たぶんこれは難しいんだと思う。
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葬式をやるときってのは、関係者一同、平常心じゃない。だから、人が死んだあと、するするとベルトコンベアーのように流れていくように、今なっている。妙にもめないように。これはむしろ、知恵でしょう(もちろん、ビジネスにも配慮して)。
そこで中途半端に選択肢をつくると、おそらくもめる。僕の経験からいってもそうで、平常心でない人間が集まるとつまらないことでよくもめる。
これは、いまから死ぬだろう人にも言いたい。自分が望む葬式のスタイルがあるなら、それを明確に残しておいてもらわなくちゃ困る。ただ、散骨がいいなあとか、無宗教にしてねってだけでは、葬式する側が本当に困る。というのも、これは死んだ人の遺志だよって側とそうはいっても葬式くらいちゃんとしようって側と、絶対に割れる。実体験でいうと、こういうしこりはあとあと困る(下手すると遺産のことまでからみだす)。こういうの、はっきりいって迷惑。僕の親父は、葬儀会場から通夜葬儀の大体の流れまで手配してから死んだ。ようやるわと笑わせてもらったが、どうせやるなら死ぬ者はここまでやってもらいたい。
それでもベルトコンベアーに乗らない方法でやろうとおもったら、遺族が信頼できる人で、かつわりと冷静にその場をし切れる人がいなきゃいけない。で、批判は一身に受けて強引に押し切る。それだけのことができる人、なかなかいないし、これまたもめごとのもとになったりする。
そうなると、選択肢っていっても、現実にはかなり難しいと思う。葬儀屋との相談の中で選んでいくしか、普通はない。
それがいやなら、葬式のイメージを前々からよく打合せておくことですよ。みんなでイメージを共有する。おじいちゃんはいつもこういってるから、いざというときはこんな感じでお送りしましょうねって。笑い話でいいからそういう話をする。イメージをあたためておけば、いざという時に実現できる可能性が出てくる。中心となる遺族がこうやると腹をくくれば、それでいいんだから。死んでからでは、遅いんですよ。きっと。