はてなキーワード: 読経とは
https://mainichi.jp/articles/20240319/k00/00m/040/120000c
https://www.fnn.jp/articles/-/470192
https://www.sankei.com/article/20230323-ZDOYSBZGNBO7RNGJNLTBPMNKRM/
重大犯罪が起きたり
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1249166207
そして、本当に時代に合っていないし、まだそんなことやってんの、清風らしいなと思っていることでしょう。
高校レビューサイトにも現役OB問わずボロクソ言われています。比較的偏差値のレベルに合わせて順位がつくこのサイトで、ある程度の偏差値の進学校で大阪府176位は異常事態です。
https://www.minkou.jp/hischool/school/review/2447/
毎朝全校生徒朝礼(4000人の男が一堂に集う)があり、毎日読経し、毎日教育方針を暗唱します。校長の説法で「借金の保証人になるな」と高頻度で言われます。
https://h-m-d.blog.ss-blog.jp/2008-09-12
勉強に集中するべきであるから生徒会が存在しません。(似たような学校の言いなり組織はある)
勉強できなくてもいい、寺の息子たちとスポーツ推薦のやつだけのクラスがあります。
運動が強いように見えていますがほぼ推薦でクラスも分かれているので、普通のコースで入ると太刀打ちできないことも多いです。(池谷幸雄をはじめとしたオリンピック選手多数)
普通に入ると、完全に受験のみに焦点を当てた教育(+宗教教育)で育っていきます。
親から見れば予備校に行かせなくても阪大や同志社にいっぱい進学してるように見えて魅力的です。
昔であれば「厳しい学校」程度の話で済んだかもしれません。私立校ですから、厳しい校則も別にいいと思います。しかし、この時代においては世の中とのズレが大きくなりすぎたと言わざるを得ません。
寺を継ぐ息子たちの学校に割り切るのであればそれもありかもしれませんが、このズレで教育しつづけて、卒業した子たちは社会でやっていけるのでしょうか。
教育方針に掲げた「安心と尊敬と信頼の対象となる」人物になれるのでしょうか。
春はばけもの。やうやう白くなりゆく山ぎは、にわかに曇りて、だんだら染めなら雲の乱れ飛びたる。稲妻天に向ひて走るもをかし。ふりさけ見れば、几帳の陰に、おどろおどろしき物どもこそ重なりゐたれ。追はれて暗き廊下をひた走るに、黒髪みな逆立ちて細くたなびく。
夏はへねもね。へねもねは稚児にも似たり。暑き夜、読経などして明かすをりに、うしろよりほと、と頭をうちたたきて逃ぐる、さてもさてもにくし。さりとて、闇夜にふねふねとすねこすりて歩くこそ、いみじうなまめしかれけれ。八月つごもりのころ、道の辺にて生き腐りてあるのはわろし。犬の半ば食らひてあるなど、いふべきにもあらず。
秋はぞぞろけ。ひともどき。にゃらにゃら草。一つはさらなり、二つ、三つと出たる月のいみじう赤ければ、極楽達磨のまろび狂ふもことわりなり。明り障子もみな紅に染まりて、狂ひ舞ふ人の影のみ黒し。えもいはれず。えもいはれず。
冬はあしきり。つとめて、ひとり広き野を歩くに、すすき野の、一面に白く枯れわたりて、すさまじげなるに、ふと足切らるる心地するはこれなり。あしきりにあひし人は、二、三日のうちに、必ず失せにけるとや。
中3の夏に祖父のお葬式に行った時、私の真後ろに発達障害か何かって感じの挙動の男の子(背はそれなりにあって学ラン着てたから中学生か高校生だと思う)が母親らしき女性と並んで座ってきた。
祖父母の家にお坊さんを呼んで、襖を取り払ったスペースに座布団をたくさん並べて、近しい親族から順に座っていたので周りは見知った親族ばかりだったが、その二人は今まで一度も見たことのない人たちだった。
なので近親者っぽくもないこの人たちは一体何者なんだろうかと私は思っていた。
違和感はあったがお葬式も始まってしまうので、私は隣の母にも何も聞かず出来るだけ気にしないようにしていた。
お坊さんの読経が始まり回し香炉での焼香が始まった頃、ふいに背中を触られた。意図せず少しぶつかったとかではなく(そもそも皆座ってるので意図せずぶつかることも基本的に起こらないと思う)、指先でツーーっとなぞる触り方で。
知らない人に明らかにそういう行為がそぐわない場面でいきなり触られる。はっきり言って気持ち悪い。小学生の時に通学路で痴漢に遭遇して体を触られたことがあったが、それと同じ類の気持ち悪さだった。
気持ち悪いが、こちらが注意したとしてどんな反応が返ってくるか全く読めない。黙ってやめてくれる可能性は低そうだし、もし男の子が大声をあげたり暴れるような人だったら祖父のお葬式が無茶苦茶になるかもしれない。
そう考えると、注意するどころか気にする素振りを見せるのもすべきでないような気がして、私はじっと我慢することにした。
男の子が私の背中をなぞる行為は読経の間も、私が焼香をあげる時も、その後もずっと続いた。出棺になって皆が立ち上がるまでずっと続いた。男の子の隣にいた母親らしき女性はその間、止めたり宥めたりすることもなかった(私が何も出来なかったのと同じ理由で何もしなかったのかもしれないが)。
皆が立ち上がりだした時に、さりげなく後ろを振り返ると男の子と女性は既にいなくなっていた。
中3の私は腹を立てた。障害とか何か事情はあるかもしれない。しれないが。
もし簡単な事情の説明と一言「ごめんなさい」と謝られていたら違ったかもしれないが、これでは一方的に嫌な目に遭わされただけでどうにも納得できない気持ちでいっぱいになってしまった。
納得はいかなかったが、お葬式の後でも親族の集まりでそんな話をするのも憚られてしまい、結局祖父母の家でこの話をすることはなかった。
一通り終わって帰宅した後で母に聞いたら母も全く知らない人たちだったので、近親者ではなかった。一体誰だったんだろう。
母は男の子が私にしていたことには気付いていたそうだが、私と同じ理由でお葬式の間は何も出来なかったと謝られた。母は何も悪くないし、祖父(母の父)との最後のお別れだったのにこんな変な出来事があってむしろ気の毒ですらあった。
障害のある人とその家族が皆あの母子のようとは限らないが、あれから10年以上経った今でも外出先で見るからにそんな感じの人がいると少し距離をとろうとしてしまう自分がいる。痴漢に遭った後、一人で外を歩く時は後ろを振り返る癖がつき、背後に男性がいるとその人が不審者とは限らなくても警戒して歩くスピードを速めるのと同じように。
わりとポピュラーになってきたちん活。俺もやり始めて3ヶ月なので参考に書いてみる。
とりあえずちんこを眺めるところから。帰宅したらちんこをジッと見る。10分経ったら、読経。「ちんちんちんこ ちんちんこ おおきくなーれ 誰よりも」とお決まりの18条を唱える。
「ありがたや〜ちんこの神さまどんどこしょ」まで来たら、おもむろにパンツを2枚履いて、街を闊歩。例のトイレまで来たら、パンツを一枚脱いで奉納。気持ちが良い。
帰宅したら、一度パンツを頭に入ってかぶって、ちんこを♾の動きに回す。100回終えたら、食事だ。
まあこんなふうなルーチンを3ヶ月続けた。結果は?すごいよこれ。ちんこ、七色に光り始めたんだよ。綺麗。ゲーミングちんこ?いや、虹のちんこ。虹んこ。画像をアップしたいが禁じられてるので残念。
ちん活おすすめだよ。みんなのちん活もできたら教えてほしい。スイーツちんこの舞とか、フィーリングハートwithちんことか、やってる人いる?先輩方の意見を聞かしてください!
北陸のとある田舎の町に住んでる。田んぼばっかりの農業地帯。うちの町には、町所有の墓地があって、お金ださなくても、空きがあれば町民は墓を作れるらしい。仕組みは知らん。
その町有墓地にある他人の墓の面倒をここ100年ばかりみている。
お盆前には汗だくで草をむしり、当日には花を供えて、お坊さんに読経してもらっている。
父によると、大昔、近所で開拓のために北海道に渡った一家があり、そこの人たちに「残していく墓を頼む」と頼まれたのが始まりだそうだ。気のいい先祖が「いいよ!」と受け合ったため、子々孫々と他人の墓守している。
墓石はもうかなり古びていて、花もうちが供えたものしか飾られていない。100年前に移住した一家を実際に知ってる人も、今は誰もいない。
北海道に住んでいる子孫たちも同じだろう。北陸のこの町なんか来たこともないし、もしかしたらもう先祖が住んでた町の名前も忘れちゃってるかもしれない。
ほんと何でこんなこと100年もしてるかわからないんだけど、いつか、この北陸の街に、北海道から自分たちのルーツを探しにくるかもしれないし、その時に先祖の墓がちゃんとあったら気分あがるよなとは思う。
そんなことを想像しながら、今年も顔も知らない
Twitterに書こうとしたら字数制限でめちゃくちゃ嘘っぽい文章になったので、こちらにお邪魔することにした(場所を変えたところで書き手は変わらないのだから、まともな文章になるかは微妙だが)。
大阪の街の中にはバスと電車で1時間ちょっとの、中途半端な田舎で生活中。
うつ病発症以来、趣味はほとんど楽しめなくなったが、それまでは生活費以外のお金をほとんど趣味に使ってしまうタイプのオタクだった。
2023年4月13日、大学の同期生(以下A子)からLINEのメッセージが届いた。近々お茶でもどうだという、遊びのお誘いだった。
4年制の私大(女子校)を卒業したのが2014年3月。確か入学時が1学年1学科100名程度だったので、一般的な私大よりは学生数は少なめだったのではないかと思う。
A子は学科こそ同じだったが学籍番号(名前順)が離れていたので、座席や授業グループといった講義での接点は少なめ。ただ、私もA子も生息する沼は違うが推しグッズを持ち歩くタイプのオタクだったので、講義で顔を合わせた時には軽く会話するようになり、校内の食堂で昼休みを一緒に過ごしたこともあったと思う。
その程度の関係性だったので、卒業後は「また会おう」なんて言いながら、一度も連絡を取り合ったことはなかった。
Twitter、Facebook、InstagramといったSNSでは繋がっていなかったので、卒業後の進路や近況は一切知らなかった。LINEだけは交換していたようだが、それまでにメッセージをやり取りした履歴は残っていなかった。昨年末頃に連絡していない人をLINEの友だち一覧や電話帳アプリから削除した際、トーク履歴も削除していたためだ。
幼少期から交友関係は狭めで、誰かと遊びたい時は自分から(かなりの葛藤の後にそれ以上の勇気を持って)誘わなければならなかった。学生時代、誘われるのはプレミアがつくくらい超レアだった。
なので、卒業から時間が経ってるのに私の存在を覚えていてくれたのね、と脳がしあわせを感じていたのである。
冷静に考えればこの時点で9割なにかあると怪しむべきなのだが、私は舞い上がっていた。直近で都合がつく日を伝え、何も疑っていなかった。疑うという感覚すら持っていなかったと思う。
4月14日、私は祖母の付き添いで地元の理容室にいた。店内には壁掛けのテレビが設置されており、昼のワイドショーが流れていた。店主や祖母との会話が途切れた時、ちょうどワイドショーのテーマが変わった。
「○○社(マルチの社名)は明日15日、6ヶ月の行政処分期間が明け、新規会員獲得ができるようになる」といった内容で、言葉巧みな勧誘や押し売りに注意を促す報道だった。
その社名は聞き覚えがあった。
20歳になったばかりの頃だ。幼稚園の時から知っている、最終的には高校の同級生だった子(以下B子)が、誕生日のお祝いをしたいからと大阪のカフェに呼んでくれた。
喜んで行ってみると、サプリメント等の健康食品や化粧品を購入しないかという、勧誘活動だった。
カフェのお手洗いで戻すくらいショックだった。そういう会社があり、会員が多くいるのは、インターネット経由で知っていた。でもそれは外の世界の話で、自分がそういう目に遭うとは考えていなかった。それが幼稚園の時から優しかったB子からなんて、想像もしていなかった。
挨拶もそこそこに飲食代を置いて逃げ帰り、B子と関わった全てのSNSをブロックし、着信もメールも拒否し、疎遠になった。
高校の同窓会を断り続け、グループLINEにも入らないのは、この一件の衝撃が大きすぎたからだ。B子にとって私はカモだったのか、それとも純粋な善意だったのか、今となっては知る由もない。善意だったとして、救いだったのはB子が一人で来てくれたことくらいだ。彼らの常套手段である囲い込みを最初からされていたら、上手く逃げられたかわからない。
※ちなみにこれらを思い出した後、B子がどうなっているのか、怖いもの見たさでSNSを覗いてみた。旦那さんと子供がいる幸せいっぱいな母親像と共に、チャクラを開眼した精神世界の住民になっていたので、そっ閉じした。
しばらく連絡のなかった相手から、突然会いたい等の連絡があった時は、身を守るためにまず疑いましょう。と、特集は締めくくられた。ニュースキャスターは次の話題に移る。
どこかで聞いたような話である。
A子からもらった連絡を読み直した。「久しぶりだね、元気だった?コロナに負けない、健康にいいものがあるの。よかったら近いうちに会えない?」近況語りを省いて要約するとこんな感じだった。もっと早く気付けよ私。でももう会うと言ってしまったしな…、それに万が一A子がシロだったら申し訳ない。と、この期に及んでまだそんな淡い期待を抱いてしまっていた。
だが、少し冷静さを取り戻した私は、保険を用意することにした。探すのに手間取ったが見つけ出し、明日のカバンに忍ばせた。
4月15日。朝から夕方にかけては別件で動いていた。大阪まで往復1000円以上出しているので、用事はなるべく一度に済ませたいのだ。哀ちゃんはあまりに可愛く、ミリオタには組織の懐事情が恐ろしかった。気づいたらパンフレットを購入していた。
そして待ち合わせの時間。
やってきたA子は、仕事帰りだからかパンツスーツだったので、別人のように感じられた。記憶の中の彼女は、当時の大学生が好んでいた「森ガール」の姿だったからだ。
挨拶を軽く交わし、場所を百貨店内の喫茶店に移す。大学時代の、講義で印象に残った話や友人関係なんかを話してくれたが、私の記憶はうつ病を機にぶっ壊れていたので、曖昧な返事しかできなかった。20〜30分ほど話して、A子はお手洗いに立つ。本当にただ会いたがってくれただけだったらしい、なんて油断が生まれかけたが、本題はA子が戻ってからだった。
会話が私の話題になる。自分のことを開示するのは気が引けた。慎重に言葉を選び、私のSNSのフォロワーなら知っている内容を話した。
A子は私の「うつ病」というワードだけを拾い、苦労しているねと言った(そういう話ではなく、周りに支えられていると話していたのだが)。
そして始まる。予習していた通りの、営業トーク。このサプリメントを飲んでいたからコロナに罹らなかった、この化粧品で細胞から健康になった等々「怪しい」が笑顔でパレードしている。時折、私の身に起きた事象を織り交ぜながら、巧みに購買欲を刺激することも忘れずに(この頃私は呆れを通り越して飽きていたので、映画の感想を思い出したりしていた。哀ちゃんは可愛い)。
極めつけはブラウスの袖ボタンを外して見せてくれた、パワーストーンの珠数ブレスレットだ。これを身に付けてから会社での評価は鰻登りで、恋愛も上手くいき結婚秒読みその他諸々。あの日のB子と重なる。同じだった。キラキラした純粋な笑顔は、こんな欲にまみれた営業トークと共に見たいものではないのだ。話が一区切りした時、私はにっこりと微笑みながら、カバンのポケットから「保険」を取り出した。そして「保険」をそっとA子側に差し出す。
「成功してよかったね、本当に嬉しいよ。いかなる時も、神は見ておられます。」
噛まずに言えたことを褒めたいと思った。
保険とは、名刺サイズのカードである。なんとなく捨てづらくてとっておいた、以前某宗教の宣教師さん(という肩書きでいいのだろうか?詳しいことはわからない)からもらった、コンタクトカードという名称のものだ。表面には「人生の疑問の答えは何処にありますか」という問い。裏面にはこの宗教法人のホームページのQRコードと、手書きで宣教師のものと思しき電話番号が書かれている。
A子は私とカードを見比べては、しまったと言わんばかりの顔をしている。掛かった。
「私が現在、病により仕事が思うようにできなくなっているのは、神が試練をお与えになったからです。私には乗り越えられると、神は言っておられるのです。」
「私には幸い、よき隣人がおります。神が与えてくださったよき出会いに感謝し、彼らと共に歩むのです。」
「A子、あなたも私のよき隣人に違いないのです。何故ならばあなたは私が試練に耐えているこの時にやってきて、私の身の上を聞いてくださいました。理解を示し、体に良いものを勧めてくれました。あなたは本当に善人なのです。さあ、共に祈りを捧げましょう。A子と共に安息の地へ行ける日を楽しみにしていますよ。」
大体こんな内容のことを言った。もう少し長かったかもしれない。興が乗り、舌もよく回ったので、思い返せば支離滅裂で古今東西の宗派が入り乱れた最悪な内容だったが、A子は瞬く間に青ざめた。顔色が悪くなるって、彼女のことを言うんだろうなと納得できるくらいに。
ダメ押しで家のポストに入っていた某宗教の勧誘チラシも渡しておいた。勉強会に来ませんか的なやつだ。一刻も早く離れたかったのだろう、A子は自分のお茶代を出すと、明日は用事があるからと言って、逃げるように帰っていった。多分チラシのことを言っていたんだと思う(読んでないから中身は知らなかった)。
まとめ
9年ぶりに連絡を寄越してきた元学友は、やっぱりマルチの勧誘だった。ここまで読んでくださった方は察してくれていると思うが、私は宗教に関して言えば不勉強である。信仰心は全くないことはないけど、私は(だいぶ落ち着いたとはいえ)血の一滴までオタクなので、そんなことに金を使う余裕があったら、推しに貢ぎたいのである。
そんな私の推し(FBIの腕利きスナイパー)も活躍する「名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)」をぜひ劇場で観てください。
私は元学友がマルチかシロか考えなくていい状況でもう一回観たいと思います。
「見ておられます」ってコメントに、自分で発言したのに「怖っ」って口から出ていました。
宗教観に関してですが、付き合いのある親族が多かったため、その分永遠のお別れもありました。その都度(関わったのは全て仏式だったので)読経があり、法話があり、最後のお別れがあり、お棺が閉じられ焼かれ、故人が骨壷に収まり、その先も月命日だなんだと法要がたくさんあり、墓への納骨を終えて、ようやく一区切り、という流れを子供の頃から何度となく見てきました(親戚付き合いの良し悪しの話ではなく、個人として貴重な経験を積ませてもらったと思っています)。この流れを何度か見ていると、幼いながらも生きること死ぬことに対する価値観が形成されてきました。葬儀、祭儀は生きている人のためにあるのだと感じるようになりました。その後、宗教とは生きている人が生きていくために縋ることがあってもよいのだろうと考えていくようになります。法話により心が軽くなった喪主を見てきたからです。救いを求める方向は人それぞれなのだろうと感じました(今問題視されている宗教の事案を軽視しているわけではありません)。
何が言いたいかと申しますと、私は宗教に大して明るくもなければ知識もないのに、神を騙り軽々しく利用した点に関して、時間がたった今猛省しております。ご不快に思われる方も少なくないと思います。真っ向から買わない付き合わないとB子に宣言した際、しばらく執着されていたので、この時はこれしか逃れる方法を思いつけなかったのです。
もし本当に神様がいらっしゃるなら、アホな方法を取ることしかできなかった愚かな人間を笑い飛ばしてくれるような存在であってほしいと願うばかりです。
最後になりましたが、この話はマルチへの賢い対策法ではありません。マルチはすぐそこにいたよ、というだけの話です。賢い対策法は会わない、これに尽きます。誉めてくださったコメント、嬉しかったです。ありがとうございました。映画はスピッツもすごく合ってたので観てください(笑)
最近、某襲撃事件の影響か、宗教の話題がホットエントリー入りすることが多く、概してネガティブな内容を目にする。
そうした記事のひとつについたブックマークコメントに、「宗教のネガティブでない側面を知りたい」というものがあった。
日本人の多くは実質的に無宗教であるし、宗教のことで話題になるのはネガティブかつショッキングな事件ばかりだ。
宗教をしながら普通に生活している人とはどのようなものだろうか、気になる人がいるのも当然だと思う。
そこで、タイトルの通り、創価学会の学会員2世である私が、みなさんからブックマークコメントや質問を頂いて、追記する形でいろいろお答えしたいと思う。
何か書いてみようかと思ったけれど、あまりに普通に生活していて事件らしい事件もないので、質問を募集する形にしたい。何か聞きたいことがあればお気軽にコメントしてください。できるだけお答えします。
なお、2世とは書いたが、厳密にいえば3世か4世くらいにはなる。ここでは、生まれたときから学会に属しているという意味で2世と称します。
→特に疑問を感じたことは無いな。生まれたときからそういう環境だから「受け継ぐ」っていう感覚がそもそも無かった。気づいたら学会員という属性を持っていたって感じ。それに対して、別に良い気持ちも嫌な気持ちもなかったから疑問はなかった。そういう家に生まれたんだなってだけ。後々ネットで叩かれていることを知ってちょっとショックを受けたりはして、そのせいで思春期は創価学会に対してマイナスイメージを持っていたりしたけど、今は特にプラスもマイナスも感じてない。俺の家も同じように仏壇があって、子供の頃から座って勤行するように教育されてきたけど、そんなに嫌な気持ちはなかった。ちょっと面倒くさいな~って程度。歯磨きするのめんどうだなーってのと同じ感覚かな。反省を促されたりしてたら嫌になってたかもしれない。自分自身は両親ほど熱心な学会員ではなくて、死後の世界を信じていないから、境遇は近いかもね。
→あんまり歴史得意じゃないから一向一揆の時代に何があったのかわからないんだけど、「他者を攻撃することが是とされる暴力装置として生まれ」たっていうのは私のことを指してる?創価学会は暴力装置ってこと?あんまり賢くないのでもうちょっと嚙み砕いて教えてほしいかも。他者を攻撃しているつもりはないのだけれども、仮に自分が暴力装置なのだとしたら、そのことには自覚的でいたいね。
→それマジ?でも、誰かの知りたいって気持ちにこうして応えられる人生で良かったと思ってるよ。そんなに嫌な目に合ってるわけでもないしね。
→選挙前に公明党に投票よろしくってお願いするやつは実際にやってるね、親がお近所さんを回ってたわ。やめてくれって言われたら素直に引いてるみたいだけど。法的に大丈夫なんか見てて不安になりますわ。ちなみに俺はやったことないし、実を言うと公明党以外の党に投票したりしている。
勧誘っていうのは、創価学会入りなよってやつだよね。やってる人はやってるみたい。でも、そんなにたくさんの人がやってるわけではない気がする。よく聞くのは、人生に悪いことがあって落ち込んでいる人を折伏(学会員に誘うことを折伏と言います)しましたーみたいな話。うまくいったら学会員の集まる大会とかで、感動エピソードとしてスピーチしてたりする。「悪いことがあった→折伏→うまくいくようになりました→宗教最高」みたいなパターンよく聞く。で、折伏は、学会活動の中でも大事な行いだとされているから、熱心な人はがっつり取り組むと思うけど、別にノルマがあるわけではない。俺はひとりも誘ったことない。そういう人が多数派だと思う。けれども熱心な人は熱烈勧誘してるかも。それも、単純な善意でやってると思う。よく効くサプリを人に勧めるみたいな感じかな。悩める他人を救うことが世界平和につながるって考えがあるから、本当に悪意なく救おうとして熱烈勧誘しちゃってると思う。それで、何十人折伏しましたーってスピーチしたりすると褒められるのよ。だから熱烈勧誘しちゃう人ができる。でも、勧誘される側からしたら、かなり嫌な気分になることもあるだろうなと想像つくね。熱烈具合は人によるけど、ダメな勧誘する人もいるんだろうなと思うよ。
→マジでそんなとこあんの?ヤバない?違う看板ってアレか、例えばサッカーサークルみたいに銘打ってるのに、実際は部員たちが部室で勤行してるみたいな感じってこと?そうだとしたらちょっとびっくりですわ。そこが創価大学だったら入学者の殆どが学会員だろうからまだわかるけど、普通の大学でそれやってるんだったらドン引きです。いままで全然そんな話を聞いたことがなかったので、内部的な評価はわからない。けれども、一学会員としては、それは良くないと思う。そういうことすると、ただでさえネガティブな感情を持たれているのに、余計にマイナスイメージ付くし、おっしゃる通り自分たちで首を絞めている感じする。別の看板掲げてるんだったら、それに沿った活動をしなさいよって思うね。
→?どういう意味?
→葬式は形式と居心地が若干違うかな。学会員の友人葬では、坊さん的な人を呼ぶんじゃなくて、集まった皆で題目を唱えて供養をするんだよね。友人が代表になって唱えて、それに皆で唱和する感じ。題目自体は普段から唱えているから馴染みのある文言だし、坊さん的な立ち位置の人が部外者じゃない友人だから終始アットホームな感じがある。もちろん葬儀だから厳かさもあるけどね。坊さん的な人を呼ぶ場合って結構当たり外れがあるじゃない。なんか説教下手だなーとか素人ながら感じる時もあるし、お金もかかる。そういう問題は無いから個人的には友人葬の方が好きかな。ただ、学会員じゃない人が友人葬に出席する場合、周りの出席者が急にお経みたいなのを唱えだすからちょっと驚くことになるかもね。でも、出席者みんなが葬式に参加している実感が得られて不謹慎かもしれないけど面白いと思うよ。
あと、これは非科学的でかなり主観的な話になってしまうから話半分で聞いてほしいんだけれども、信心している人は死に顔が違うってよく言われるんだよね。生前学会員だった人は死に顔が穏やかだって言われるの。そんなもん眉唾だろうって思ってたんだけど、実際に今まで出席してきた葬儀を振り返ると、学会員の故人の顔色が穏やかなのは本当に思える。というか、学会員じゃない人の葬式に出るたびに、棺桶から覗く顔色の悪さに驚くんだよね。単純に経験してきた葬式の数が少ないからそう思うのかもしれないし、化粧の問題も大きいのかもしれないけど、死に顔を穏やかにしたい人は入会するのもありかもねって思う。
→良い部分もたいがい他人事だよ。自分はあんまり積極的に活動してないからね。同じ属性を有しているからといって、他人の行動の責任を負うことはできないでしょ。
→自分はあんまり熱心な学会員じゃないから、毎日は唱えてないのよね。悩み事があったり、神頼みしたくなったりしたときに、思い出したように勤行してるわ。なんとなく頭をすっきりさせたいときとかに唱えると、気持ちが落ち着く感じがある。自分は、最近流行のマインドフルネスの一種みたいな感じで題目を捉えてて、そんなに無駄な時間とは思わないよ。どうせ気持ちが落ち込んでるときなんて、意味もなくYouTubeでだらだら動画見たりしているだけだし、それに代わる行動としてはやる分には無駄の程度は変わらないんじゃないかな。両親はほぼ毎日題目を唱えているけど、瞑想を毎日やる習慣にしてる人もいるだろうし、それと同じ感じだろうと思えて疑問を感じることもないかな。しかも、唱えたら(ざっくり言うと)幸せになれると言われているからお得感あるよね。
→自分の年収は300万程度。まだまだ新米社会人だから薄給ですわ。寄付額は0円。全く寄付していない。学会からも家族からも寄付のお願いはされてないね。されたとしても多分断るかな。薄給なので自分ひとり生きるのに必死なんだよね。将来大金持ちになったら少額寄付したりする可能性あるかもしれんけど、いまのところは余剰金が無いし、あったとしても投資信託とか買うかなー。親の年収は推定だけど1000万無いくらいだと思う。寄付は毎年しているみたいだけど、どのくらいの額かは知らないんだよね。でも、世間で問題になるようなウン千万円の寄付とかでは絶対にない。多分多くても10万円以内じゃないかと思う、少額と言ってるのは聞いたし。寄付によって家庭が壊れたりとかは無いです。自分は大卒なんだけど、奨学金を借りずに親のお金で卒業させてもらえたし、金がないから必要なものを買えなかったとかも無い。自分の住んでいる地域では、高額な寄付によって苦しんでいる人は見たことないかな。ニュースでそういう人たちがいるみたいなこと聞いて、マジでいるんだーって初めて知る感じだ。親が身の丈を超える高額な寄付して苦しんでいる子どもとかって大変やな、可哀想だなと思う。何とか救済されるといいっすね。
全国霊感商法対策弁護士連絡会に駆け込むほどの事例が、これまで3万人以上、1237億円以上あるようだけど、これって平均412万円といった規模感。一部の人は億を超えるくらいむしり取られていることからすれば、それ以外の人たちは200万円くらいなのではないだろうか。
一方、伝統宗教の葬式仏教なんかだと、戒名をつけるのに数十万円、院号をつけたらプラス五十万円、あるいは墓じまいをするための念仏に諸費用を合わせて二百万円、といったところ。その他に仏壇に魂を入れるのに十万だとか、お盆の読経で三万(×毎年なので何十回)とかあるから、生涯で数百万規模のお金を払っていることになる。
でも、前者の統一教会は完全にギルティで、後者の伝統宗教は社会的に受容されているわけだから、やっぱり一部の信者から根こそぎ収奪することが問題なんじゃないかな。ご先祖様の苦労などが脅しになっているのは伝統宗教の方でも変わらんし。
コロナ禍じゃなければ多分、危ないですって連絡が事前にきてたんだと思う。
それでもまだ生きてる内に会いたかったなぁ。
入院前に会った老人ホームで車椅子に腰掛けて、こちらを見てくれる祖母はちっちゃかった。
この日が生きてる内に会える最後かもなぁとぼんやり思ってたけど、振り返るとやっぱり最後だった。
私も母も隣の市に住んでいて、コロナ禍での病院の規定上、面会は一度もさせてもらえなかった。
受付だけ済ませて車内で待ち、タブレットを受け取ってほとんど返事も目線も返ってこない祖母を少し見ただけ。
しかもそれも一回。
小さな頃、ほとんど祖母に育てられていた期間があって、とある宗教を信仰している祖母はよくその教会に私を引き連れた。
教会にいくと祖母には祖母の仕事があり、事務所のようなところに籠もるので私は寂しかった。
同じような子どもたちもいたけれど、私はあまり人と仲良くなるのが得意ではなく、誰ひとり好きでもなかった。現に今でも誰一人として顔も名前も覚えていない。
私はその宗教を信仰していなかったし、神だ教えだは興味がなかった。
それでも少年部に属されることになり、何度か導師(式典においてメインで読経する位置)もさせられた。祖母は鼻高々って感じだったのを覚えてる。
属しているかと言って全員が全員式典などで導師をできるものじゃないんだろうと思う。
高校生にもなれば自らの意思で参加不参加を決められたので、(祖母的には出てほしかっただろうが)基本的にそういったものは以降すべて不参加にした。
そんな宗教も祖母が亡くなったことでもう完全に抜けさせてもらえると思う。母も私も信心深くなければ御布施も払わないタイプなので。
あぁでももっと、行ってあげたら良かったのかなぁ。
おばあちゃんがそれで、喜んでくれるのなら。
おばあちゃんがお墓参りのときに作ってくれる鬼まんじゅうが好きだった。蒸しパンと呼んでいたが、多分鬼まんじゅうだったと思う。
おばあちゃんがよく作ってくれたヒメジの酢漬け、何故かいつも口内炎があるときに作ってくれるから、よく泣きながら食べてたな。
祖母の家に泊まって迎えた日曜日の朝、「ピザにしてあげようね」と作ってもらえるピザトーストが大好きだった。
なんか食べ物の話ばっかりだな。
8/25 追記
でも思い出すのはあの日差しの差し込むキッチンだから、まだまだ話すね。
フライパンみたいな形状のたこ焼き器でたこ焼きを作ってくれた。十五夜にはふたりで白玉団子をこねて、丸めて、みたらしをかけて食べた。
今日白玉団子を作ったらあの匂いがして、懐かしい気持ちでいっぱいになった。
また書きながら泣いちゃったよ。
追記終わり
皮のたるんで柔らかい腕が好きだった。冷たくてぽってりしている耳たぶが好きだった。「ただいま」と言う時のイントネーションが好きだった。(中一高で完全に“ヘタリア”と同じだった)
今考えたら軽度の認知症が出始めた頃、週に一回くらい祖母の家で一緒に食事を摂っていた。基本的に祖母が食事の準備をしていくれていたのだが、一度、私が食べたいからという理由で筑前煮を作ったことがある。
「おいしいねぇ。これで○○ちゃんもいつお嫁に行っても困らんねぇ」
これを50回位言われた。
当時私には恋人がいたが、最悪なことにその恋人には妻子がいた。
ごめんね、お嫁には行けないかも。
内心でめちゃめちゃ泣きながら「大げさすぎん?」って言いながら祖母の倍食べた。食べたくて作ったのですごい美味しかった。
妻子がいる人とお付き合いするのは本当に最低なのだが、一番最低なのは妻子がいる身分で新入社員に手を出したそいつだと思う。あとこの世にいるご結婚なさってる方々、指輪嵌めろマジで。知らなくて好きになったあとだともう狂ってるから遅いんだよ。
言い訳はこの辺にしとく
あの世がもしもあるなら、どこも痛くなといいな。
輪廻転生をすることがあるのなら、次はおばあちゃんのなりたいものになって、幸せに過ごしてもらえると嬉しいな。
火葬ボタンを喪主に押させるのって酷だね。震える母の背中を見ながらそう思った。
思い出すといつもちゃん付けで呼んでくれてたなとか、眠りが浅くてすぐに起きてしまうのに何故か毎晩ラジオをつけて寝ていたこととか、こたつで眠る私に毛布をかけてくれたこととか、思い出すのは些細なことで、そしてちょっとずつ美化されてる。
ちょっとうまれが複雑な私に思うところとかたくさんあったと思う。叔母に幼少時首を締められた私としては叔母を擁護する家族に思うところもあったし。
書いてる私の略歴 中学で坐禅にはまって禅寺に通いはじめる。スピ系話が好き。ワクチンはP・P・Mで接種。年齢 中高年。
私が小学生の時、PTAのボス的存在に連れられて1946年に設立された教団に通い始める。
以下、母の証言による。
信者は皆の前で反省しなければならない。家のなかのあれこれを全部話させられる。貯金の額も申告させられる。
毎日布教に行く。母に同行した支部の班長は近所の不幸をあれこれ聞きだし、それを使って信者を獲得(○○で悩んでいた人が入信して良くなったみたいな)し、毎月信者獲得数トップで誉められていた。
布教の時に配る教団の冊子は信者が買う。沢山買って沢山配れば誉められる。返品不可。
ごく短期間で母ギブアップ。辞めるときにかなり揉めたらしいがなんとか脱退。
その後私が禅寺に通い始める。
退職後知人に誘われて入信。
一日中道場に詰めて連絡が取りにくくなるも、当初は留守番電話の設置だけ薦めて我が家は静観。
その後我が家に来て自分は清浄、我々は不浄な態度を露骨に見せ、他人の不幸を今まで以上に嬉しそうに話し始めたので、信者の自惚れに餌をやるタイプの碌でもない教団なのか、元々性格に難のある親戚だけがそうなって教団はまともなのか判らず我が家は対応に苦慮。
ご奉仕に身につけるエプロンは他で使うと穢れるとか、お守り袋作成の中に電話に出ると穢れるのとか、禁忌があまりにも厳しすぎ、自分達は守られているので医者に行かなくても大丈夫、薬は毒等々と言い出す。
うぬぼれはどこの宗教でも社会常識でも悪い事なのだが、それを抑えている気配が無く、禁忌によってそれを煽っているように見える。私の入門した禅寺の御老師様はこういうことにかなり厳しかったので絶句する。これはかなりまずいかもと退団の説得に乗り出す。しかし時既に遅く不浄な我が家の言葉は届かず、「守られている」と大見得切っているので事故や病気になったときに我が家に助けを求められず、却って事態が悪化すること数えきれず。
薬は毒だとか恐怖を煽りつつ、私たちだけは救われるんですよと優越感をくすぐる、宗教というより殆どマルチ商法という気がしたので「苦情の坩堝」や「悪徳商法マニアック」の体験談を読みあさり、なんとか脱退の糸口を掴もうとするも結局力及ばず。
晩年、教団墓地管理費を長年二重取りしていたことが判ったが(お金は返ってこない)、それでも結局親戚は死ぬまで信者だった。
親戚の死後、親戚が身につけていたお守りの事で親戚を誘った女性とも初めて会ったのだが、教団墓地の話ははぐらかすのに、突然の葬式仕切りで大忙しの私を道場へ何度も何度も誘った。控えめで気が弱そうで善良そうな女性がである。長年道場だけが重要で世の中の事は些事と教え込まれているとこうなるのだろうか。「世の中に間借りして修行させてもらってることを忘れるな」って御老師様は言ってたから、あんまり世の中を軽く扱うのもまずいのではと思う。
また信者に口寄せさせて、その人が話したことを真に受けて皆で実行していたようなのだが、そんな心許ないものに左右されてどうするのだろう。世間に対しては一々疑いや不信を抱くのに自分達の行いに対してはあまりにも信用しすぎなのもまずいと思う。「自分を疑え」「脚下照顧」と先達も諭しているのに。
通帳など紛失しているので判らないままだが、親戚が教団に納めた金額は8桁を超えていたようである。教団の維持にお金が必要なのはわかるけど、それも程度問題だと思う。
職場と家以外、人間には案外居場所がない。親戚にとって道場は第二の我が家だっただろうし、母も家とパート先以外の居場所が欲しくてあの教団に行ったと思う。でも信者獲得数やお布施の額で確保する居場所は良くないと思う。
余談だが、コロナが流行した年にこの教団の他県支部でクラスターが発生したらしい。薬は毒、我々は神様に守られている、発熱は好転症状と言い続けていたら、三密対策もとるにとれなかったろうとは思う。
タイトル通り。ある日知人ともう一人が冊子をもって布教に来たので、私は中学の時に禅寺に入門して受戒していること、今も信者である事を告げてお引き取りを願ったところ、「先祖供養はお寺任せではなく、自分でやらないと。ここなら自分でできるんです」と連れの年配女性。「自分でやってますが」と私。
しかし相手は怯まず他のやり方では駄目と言わんばかりに押してくる。
それなのに冊子には教団名が書かれてない。祈祷文をネットでくぐって漸く判明した。自信あるならちゃんと名乗れよ。
知人も過去の自分の不幸を開陳するのだが、母の体験もあるので私は一切自分の状況を口にせず「現状に大満足(大嘘)」で押し通す。キリスト教の告解は神父様だけにだし、仏教は仏に懺悔する。到らぬ身の人間相手に懺悔しても悪い結果にしかならないと御老師様も言っていたしね。
大宗教でも自派が一番優れているといってるけれど、それは大昔の、印刷術も電話もなく、人の移動がほぼ徒歩だった時代にアクセス出来る範囲にある宗教では一番と言ったわけで、色々な宗教信者が一緒に暮らす現在それをいうのは利より害の方が大きい。私の禅の師である御老師様は他宗教をくさす言葉は一言半句仰らなかった。
確かに小学校の友達が教会で入信したときに「私は救われるがあんたたちは煉獄」と言い放ったし、私が禅寺で入信したときクリスチャンの友人が牧師執筆の本を貸してくれ、そこには孝行を尽くした妹よりなにもせず親の死後仏壇を買った長男が誉められる仏教は間違っていると書かれていた。
事実に基づかない批判(貧女の一灯をしらんのか)を展開する行為の方が、私にはドン引きだった。さすがにこういうのは今は少なくなっていると思う。
常識を疑う、破るのは仏教にもあるが、それは修行が進んだあと、無意識下の刷り込みを打破するためのもので、一般信者が社会常識を踏みにじっていいということではない。
普遍的な道徳に照らしてアウトなものは宗教でもアウトだと思う。
この二人組は本当に何度も来た。コロナになってやっと音沙汰がなくなって悪いがほっとしている。
20代後半のある日、家で読経中に宗教の勧誘が来た。中断させられてイラっとした私は数珠袈裟のままドアを開けた。そこに立っていた男性は、私の数珠袈裟をみて「これはお邪魔をしました」と深く一礼した。近所のキリスト教会の牧師である事を名乗って、若い女で異教徒の私にもう一度お辞儀をして、信者を引き連れて帰っていった。信仰する者に出会ったことが嬉しいという顔をしていた。「美味これ淡味」本当に価値のあるものは奇をてらわない普通の姿をしているのだという御老師様の言葉が浮かんだ。私も深く一礼した。
しかし「図に乗る」を「読経の転調に由来する」と説明したのは金田一春彦からで、どうもそれ以前には遡らないみたいなんだよなあ。
金田一春彦に権威があったから広まってるだけで、説明自体にはそれほど信頼性が無さそうなんだけど。
「図に当たる」はどこでも「図=狙い・計画」の意味で説明しているのに、
「図に乗る」のほうだけぜんぜん別の由来だということがあるかな?
わざわざ迂遠な説明をしなくても「物事が計画どおりに進んで調子に乗る」というのが素直な解釈じゃないか?
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%B3%E3%81%AB%E4%B9%97%E3%82%8B
一般に若年者など関係が下位にある者が、自分の企図していたとおりに事が運ぶのに気をよくして、分を超えた言動をすること。
表記のゆれ:「図」に替えて「頭」を用いることがあるが、「図」はもともと「企図すること」の意なので適当な用字とはいえない。
https://kotobank.jp/word/%E5%9B%B3%E3%81%AB%E4%B9%97%E3%82%8B-539406
精選版 日本国語大辞典
自分の思うように事がはこぶ。
https://kotobank.jp/word/%E5%9B%B3%E3%81%AB%E4%B9%97%E3%82%8B-539406
とっさの日本語便利帳
タイトルのとおりだけど、うちの墓を閉じることにした。ひいじいさんだかそれくらい前の人から5~6人のお骨が納められている。
自分の代で、それ以降この墓を管理できる人間はいない。親と相談の上で、どうせいずれ放棄されるくらいならいまのうちに、と。
ある程度調べていたけれど、墓を閉じるのってかなり面倒な手続きが必要な上、それなりに費用もかかるのな。
改葬の手続きをして、お骨をまとめて、合祀墓に移す。そういう手続とか、移転先の霊場にある程度費用がかかるのはまあ仕方ない。
しかし、墓石の撤去に15万も20万もかかるとは思わなかった。専門業者いわく、産業廃棄物になるので個人では勝手に捨てられないらしい。
いちおう、墓を閉じるにあたって魂を抜くとかの読経をしてもらうことにした。必要ないかもしれないが、親族一同の気持ちの整理のため。
それが終わると、墓はただの石の塊なんじゃないのか。実際廃棄物って言われてるし。
コロナ禍じゃなければ多分、危ないですって連絡が事前にきてたんだと思う。
それでもまだ生きてる内に会いたかったなぁ。
入院前に会った老人ホームで車椅子に腰掛けて、こちらを見てくれる祖母はちっちゃかった。
この日が生きてる内に会える最後かもなぁとぼんやり思ってたけど、振り返るとやっぱり最後だった。
私も母も隣の市に住んでいて、コロナ禍での病院の規定上、面会は一度もさせてもらえなかった。
受付だけ済ませて車内で待ち、タブレットを受け取ってほとんど返事も目線も返ってこない祖母を少し見ただけ。
しかもそれも一回。
小さな頃、ほとんど祖母に育てられていた期間があって、とある宗教を信仰している祖母はよくその教会に私を引き連れた。
教会にいくと祖母には祖母の仕事があり、事務所のようなところに籠もるので私は寂しかった。
同じような子どもたちもいたけれど、私はあまり人と仲良くなるのが得意ではなく、誰ひとり好きでもなかった。現に今でも誰一人として顔も名前も覚えていない。
私はその宗教を信仰していなかったし、神だ教えだは興味がなかった。
それでも少年部に属されることになり、何度か導師(式典においてメインで読経する位置)もさせられた。祖母は鼻高々って感じだったのを覚えてる。
属しているかと言って全員が全員式典などで導師をできるものじゃないんだろうと思う。
高校生にもなれば自らの意思で参加不参加を決められたので、(祖母的には出てほしかっただろうが)基本的にそういったものは以降すべて不参加にした。
そんな宗教も祖母が亡くなったことでもう完全に抜けさせてもらえると思う。母も私も信心深くなければ御布施も払わないタイプなので。
あぁでももっと、行ってあげたら良かったのかなぁ。
おばあちゃんがそれで、喜んでくれるのなら。
おばあちゃんがお墓参りのときに作ってくれる鬼まんじゅうが好きだった。蒸しパンと呼んでいたが、多分鬼まんじゅうだったと思う。
おばあちゃんがよく作ってくれたヒメジの酢漬け、何故かいつも口内炎があるときに作ってくれるから、よく泣きながら食べてたな。
祖母の家に泊まって迎えた日曜日の朝、「ピザにしてあげようね」と作ってもらえるピザトーストが大好きだった。
なんか食べ物の話ばっかりだな。
皮のたるんで柔らかい腕が好きだった。冷たくてぽってりしている耳たぶが好きだった。「ただいま」と言う時のイントネーションが好きだった。(中一高で完全に“ヘタリア”と同じだった)
今考えたら軽度の認知症が出始めた頃、週に一回くらい祖母の家で一緒に食事を摂っていた。基本的に祖母が食事の準備をしていくれていたのだが、一度、私が食べたいからという理由で筑前煮を作ったことがある。
「おいしいねぇ。これで○○ちゃんもいつお嫁に行っても困らんねぇ」
これを50回位言われた。
当時私には恋人がいたが、最悪なことにその恋人には妻子がいた。
ごめんね、お嫁には行けないかも。
内心でめちゃめちゃ泣きながら「大げさすぎん?」って言いながら祖母の倍食べた。食べたくて作ったのですごい美味しかった。
妻子がいる人とお付き合いするのは本当に最低なのだが、一番最低なのは妻子がいる身分で新入社員に手を出したそいつだと思う。あとこの世にいるご結婚なさってる方々、指輪嵌めろマジで。知らなくて好きになったあとだともう狂ってるから遅いんだよ。
言い訳はこの辺にしとく
あの世がもしもあるなら、どこも痛くなといいな。
輪廻転生をすることがあるのなら、次はおばあちゃんのなりたいものになって、幸せに過ごしてもらえると嬉しいな。
火葬ボタンを喪主に押させるのって酷だね。震える母の背中を見ながらそう思った。
思い出すといつもちゃん付けで呼んでくれてたなとか、眠りが浅くてすぐに起きてしまうのに何故か毎晩ラジオをつけて寝ていたこととか、こたつで眠る私に毛布をかけてくれたこととか、思い出すのは些細なことで、そしてちょっとずつ美化されてる。
ちょっとうまれが複雑な私に思うところとかたくさんあったと思う。叔母に幼少時首を締められた私としては叔母を擁護する家族に思うところもあったし。