はてなキーワード: 献体とは
これは俺自身が科学的根拠のないことへの拒否感が人より高いのかもしれないけど、
具体的に言うと、
・行事の日取りにおいて「仏滅」を嫌がって「大安」とかにしたがる(だいたい、費用が高くなる!)
・方角が悪いとかの理由で家具などを利便性を無視した配置にしたがる
これらはパートナーとケンカになった一例のうち、俺のほうが正しいよな?と未だに思っている事例。
ただ、以下のような例は俺の方が極端なことを言ってるなと思ったので反省している。
・安いなら事故物件でもいい(物理的な問題がなければ)。気にするほうが無意味。
・自分が死んだら葬式やらないでほしいし臓器は全部提供してなんなら献体してほしい。
仏滅だの風水だのは未だにそんなもんに振り回されるのが我慢ならない。
方違えとか言って遠回りしていた平安貴族から何も進歩してないじゃんと思ってしまう。
献体とは、死後の体を解剖実習用などの素材として利用してもらうことである
自分の人生は学問にあり、学問によって救われたと感じていて、死に場所は学問の場たる大学がいいと常々思っていた。東工大の使われていない建物で遺体が見つかったというニュースを見たときは、なんて羨ましいんだと思った。
しかし大学に迷惑はかけたくない。そこで献体である。なんと献体すると、学問の世界に文字通り身を投じてから死ぬことができる(すでに死んでるけど)。解剖後の遺体は大学で焼かれるのも最高(これは大学によって違いそうだが)。さすがに骨は保管してもらえないが、普通に葬儀場でしんみり焼かれるよりよほどいい。家族に、火葬場でボタン押す役割を背負わせるの嫌だなーって思ってたしさ。あれしんどいじゃん心理的に。死刑のボタン並にしんどい。
自分には二人の子がいるが、死んだ父親が晴れ晴れしい気持ちで(死んでるけど)大学に向かい骨になって帰ってくるのは悪くないのではないかと思うんだよな
当然、友達も恋人もいないので、自分が死んだ後は何も残らないだろうし、それでせいせいすると思っている。
しかし、それと同時に自分が死んだ後に何も残らないというのはなんともつまらない話だなという矛盾した感情もある。
なので、おととしのコロナ禍という歴史的出来事もあったので、2020年からノートに日記を書く事にした。今の時代は紙に個人的記録を書く事がほぼないので、後世になってから今の時代の個人的記録はかなり希少な存在になるのではと思っている。だからノートに日記を書く事は後世の歴史家にとって多少は有難い事になるのではないか。(ブログなどのデジタル媒体はいつまでサービスが続くかわからないので)
ある種、自分の人生を献体として使われたらいいかなと考えている。よく死んだ後に自分の日記が見られるのが恥ずかしいとあるが、死んだら恥ずかしいと思う存在が無くなるのだから、あまり意味のない考えだと思ってる。
内容は自分の日記としての記録、印象に残った誰かが喋っていた事、Twitterなどのネットで気になった文章や画像、行った店や光景などの画像なんかを記載していったりしている。いずれ酒井伴四郎の日記みたいに歴史家や好事家の酒の肴にでもなればいいんじゃないだろうか。
そんなこんなで、2年ほど日記を書き続けているが、最大の関門が自分の死後どうやって第三者に引き渡すかだ。
東京に手帳類図書室という施設があるので、自分の終活間近に20年くらい公開禁止と伝えて(50年公開禁止と伝えて引き渡したりしてるみたい)譲渡するのが、現状一番理想ではあるが、この施設がそんな先まで存在しているかどうかはわからない。
まぁ将来的に契約したら自分の死後に色々と作業をしてくれるサービスが出来るのかもしれない。
なんにしても、自分が書いた日記がいつまで存在するかはわからない。明日ダメになるかもしれないし、10年後ダメになるかもしれないし、100年後にダメになるかもしれない。
100年後にまで残っていたら史料的にはけっこう面白いものになりそうだから、運よくその時まで残っていて欲しいものだ。仮に100年後に残っていたとしてもそもそも人類はいるのか、いたとしてもこんな史料を読み込むくらいにゆとりある社会なのかもわからんが。
ワクチン推奨派は自身を正義だと思っているからワクチン忌避派を悪だと思い込むみたいなことを言ってる人が居るけれど、別に俺はそんなんじゃないなと。
完全に俺の知的欲求、興味本位でワクチンを摂取しようと考えているのね。
つまり俺は万が一にワクチンによって死に至る可能性へ対しては恐怖を感じるのだけれど、それ以上にワクチンのメカニズムや副反応へ物凄く興味津々でワクワクしちまってるのよ。
惜しむべきはワクチンで死んでしまった後の献体提供で検死解剖の結果を知れないことだな。これは死んだという事実よりも残念感が強い。
こんな俺のワクチンへの印象をワクチン忌避派や陰謀論を信じるような人たちからすると「善悪とは違う意味で真逆」な存在として俺は彼らの目に映ってるんじゃないかなと思わなくもない。
科学へ強い興味を持ち、自身の肉体すら実験材料と考え、死んだとしても献体提供を望んでおり、検死結果を知れないのが残念、そう心から純粋に思い、そう主張する俺は彼らからすると精神異常者か化物みたいなもんだろう。
むしろワクチンを忌避する人たちからすりゃ、俺はワクチン推進派よりも忌避派と比較して鏡合わせの存在と言えるかも知れない。
忌避派が持つ何らかの陰謀とか不自然だとかそういう疑念の論理ではなく、俺が持ってるのは「単なる興味本位」という論理だ。
もし、俺が書いたこのエントリに不快を得たり、驚愕したり、頭大丈夫か?って感じつつ、前々からワクチンを忌避をして居るのであれば、キミはワクチン推進派からその様に思われてると自覚したほうが良いぞ。キミはワクチン推進派が不快を得たり、驚愕したり、頭大丈夫か?って思われてるんだ。
俺のような存在が居るから政府やワクチン推進派が調子付くって側面はあると思うし、キミたちはお前の興味に巻き込むなって考えるかも知れないけど、そっくりそのまま返すぜ。お前の忌避感に俺を巻き込むなよ。
俺が死んだらデータは得られるのでワクチン研究はより発展するんだから儲けもんだろ?
死んでしまったら霊体の確証とか取ってみたいな。
ラップ現象とかあるしモールス信号でワンチャン意思疎通できるかも知れないし。
夢広がるなオイw
死にたい、とふとした瞬間よく思う。
アクティブな希死念慮ではない。ロープや練炭を買うこともなければ、富士の樹海や東尋坊に行くこともない。時々発症するパッシブな希死念慮だ。
人生の配信終了ボタンがあるなら押してみたい、定食屋で今だけ死が無料サービスならちょっと選んでみたい。それなりの頻度で「あー死にてえな……」と思う程度の、ファッション死にたがりでしかない。
そんな中に現れた死のチャンス。これを逃す訳にはいかないのである。コロナワクチン接種後に亡くなられた事例が約350件。国内で1回目のワクチン接種を終えた人数は7/5時点で約3255万人。ざっくり計算しても0.001%くらい。交通事故に遭う確率よりは断然低いらしい。しかし宝くじの1等よりは当たる。
これはチャンスなのだ。当たれば死ねる。もし死んだのなら、ワクチンの発展の為に献体にでも回してほしい。当たらなければ「0.001%が当たるわけないよな」なんて言い訳しながら生きる。「あー死にてえな……」とぼんやり思う事も、これまでとなんら変わらない。
チャンスがあるならやるだけやる。それ以上の理由もない。チャンスだからこそ、コロナワクチンを打ちたい。2回きっちりと。そうしてまた、「死ねなかったなあ、死にてえなあ」と思いながら生きてゆくのだろう。
大腸ガン。87歳だった。
戸籍上の関係はなくもちろん血の繋がりもないが、家族以外に私のオシメを唯一変えてくれた人であった。そして学生時代には私のよき相談相手でもあった。
タイトルの玄海師範とは幽遊白書に出てくる玄海師範のことである。生前に彼女のことを玄海師範とあだ名していたわけではない。彼女の訃報から思い出を反芻してるうちに、武闘派でこそないが玄海師範と多くの共通点があるとかんじ、また匿名日記ゆえの都合の良さがある。
若い頃の彼女の写真はとにかく美しかった。東北人らしからぬ都会風の美人だった。しかし伴侶を持たず、生涯独身であった。
言葉は説教くさくなく、明瞭で簡潔で的確だった。理知的でドライで、自立した凛とした女性であった。
私の実家が家族を保っていたのは彼女の存在が大きく、それこそ家族をつなぎとめる文字通り重しであったと思っている(私を漬物石のように言うな、と怒られそうではあるが)。
私には長兄としての立場に理解をしつつも、お前の悩みはまだまだ浅く青いとケツを叩き、母にとっては精神的な疲れの定期的な拠り所でかつ、貴重な愚痴と感情のはけ口であり、父に対しては説教をし、そして父がこうべを垂れて反省する唯一の女性であった。
けして彼女のために家族を維持していたのではない。本当に彼女のみえない力で、私たち家族は維持され続けていた部分が確かにある。
「もう来ないで」「もう来ないでください」「もういいでしょ」
おそらく父や母が1人で行った時にも同じ言葉をかけていたのだろう。半分冗談で、もう半分はお前たちは私の家を駆け込み寺のように扱うな、自立しろというメッセージだったと思っている。
昨年末、彼女に数年ぶりに会った。衰弱した彼女と30分ほど会話をした後、不意にいつもの言葉を言われた。
「そろそろ帰りなさい。もうこないで」
わかった、じゃあまた、とだけ言ってその場を後にしたが、何かこみあげてくるものはあった。昔よく交わした最期の会話。雪が積もり始めた日だった。
彼女の出身地は既にダムの底であり、彼女自身の体は献体に参られるから、彼女が生きた痕跡は驚くほど速くなくなっていくのでしょう。