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2015-05-01

http://anond.hatelabo.jp/20150429111436

魂は新しいも古いもなくて生まれたり死んだりするものじゃないと思う。

数も量も単位をつけて具体的に数えることは出来ないかもしれない。

魂は人間だけのものじゃなく、動物、魚、虫、植物微生物、岩石、鉱物、水、光線に至るすべての物理的な存在にそれぞれの形で入っている。

世界人口が増えることで絶滅する生物が増えているということは、確かに地球全体の魂の総量は決まっているのかも。

でも思考の深度は魂の質量にはあまり関係ないような気がする。できてから数千数万年経ってる巨大な岩とか地層にも魂があって、脳みそないから思考することはできないけど、魂の質量は相当なものじゃないかな。そういう地盤はその地中で起こってる化学反応とか地上のあらゆる出来事を知っていて、記憶していると思う。証明はできないけど^^;

知らない土地に行って、この場所なんだか独特な不思議な感じがする、っていうことないですか。あるいはそこに行くと不思議特定の何かを思い出すとか、元気が出てくるとか冷や汗が出てくるとか。雰囲気オーラのような。悲惨出来事が起こった場所ってやっぱり禍々しいムードが残ってること多いじゃないですか。空間場所自身記憶してるんだと思う。記憶=魂。

そんな地層も大昔から今までに死んだあらゆる生物の死骸と魂でできていて、生物の肉体も魂も死ぬときは両方分解され、土やら水やら気体に分散して帰って地球全体という1個の魂に戻っていく(吸収されていく)。生きていた時の個体としての記憶は死んだら地球全体に吸収されて自他の区別が付かなくなるかも知れない。う~んどうなんだろう。

でもある程度思考ができる、感情がはっきりしてる個体がまた新たに生物として生まれときは、分散していた魂がまた同じ個体となって生まれると思う。必要とあらば他の魂の一部と合わさるのかも。前生の最重要要素(人格の根幹、ハイヤーセルフ、大きな自己意図重要記憶)はちゃんと引き継がれる。あとエゴも引きずって似たことを繰り返すことがある。ただし、普通めったに自覚したり思い出したりできない。

自分記憶自己自己たらしめる要素、全生涯で思考・体験したことは、死んだらなくなるんじゃなくて、種全体、地球全体の魂に余すことなく引き継がれる。大事栄養になる。全然関係ない個体(あるいは似た境遇個体)に引き継がれて、生き伸びるために役に立つ。新しい形質を作らせる。このサイクルがなかったら生物はここまで進化してないと思う。目にも見えないし、科学的に全く観察できないことだけど。

魂は非物質エネルギーのことで、物理法則を超越している。物理次元もっと上の次元

魂は宇宙(世界)が生まれた時からある。宇宙=魂=全物質。で、私達人間それぞれの魂も、本当は宇宙(世界)の途方もない年齢と同い年。自覚できないけど。そもそも宇宙(世界)には始まりすらないかも知れない(そしたら無限歳だ…)。

となんとなく思いました。

2014-10-17

 

27歳男大卒の元ひきこもりで今アルバイト

友達なし、彼女なし。

夜になると不安と虚しさで鬱になってきて、誰かに話を聞いてもらいたいけど、

親しい人間がおらず誰も話を聞いてくれないので、せめてここで吐き出すことにする。

高校中退引きこもりから大検取って偏差値50代の四年制大学に入ったが、

一人暮らしきっかけに引きこもりが再発して、単位ギリギリでなんとか卒業新卒資格は棒に振った。

人生に何の目標ももてないし、社会に出て色んな人と関わるのも怖かったので、大卒後は引きこもりに戻った。

が、特にきっかけもないのだが、27歳の誕生日頃に社会復帰を決意。

とりあえず人付き合いのリハビリと、就職活動の軍資金を稼ぐためにアルバイトで働き始めた。

状況として良くはないが、最悪の状態から改善は日々少しづつでも続いてると考えるべきなんだろう。

でも定期的に絶望的な気分になってしまう。

同じ職場で働いている正社員人間達との格差は大変なものだ。

学歴コミュ力人間性も仕事能力も全てが上。

友達申請なんてする勇気もないのでこっそり見るだけのFacebookでは、友達3桁は当たり前、

遊びに仕事に、精力的に人生を楽しんでいて、動く死体みたいな俺とはまったく別の生き物だ。

バイトの同僚は若い女の子が多くて、普通の男なら喜ぶところなんだろうが、

コミュ力0で、若い女の子相手ではキョドってまともに口も聞けない俺には、うつ要因以外の何物でもない。

3ヶ月も経つけど、雑談などできない。事務的な会話にこっちはイエスノー返すので精一杯だ。

彼女達も、俺とは全然違う生き物だ。

この年になって、やっと社会に片足を突っ込んでみて、俺の人生には何にも無いということに気がついた。

普通の人から見たら気楽なもんだと思うだろうが、自分からすれば歯を食いしばってがんばってる。

楽しいことなんか何も無い。

昔はあんなに楽しかったゲームも気が焦るばかりでのめり込めないし、映画を見てもストーリーが頭に入ってこない。

本なんかしんどくて読んでいられない。

出かけたくても行く場所がないし、付き合ってくれる人は誰もいない。

お金がかかるような場所には貧乏から行けない。

一人家にいて、夜中になってくるとがんばったところで何になるの?っていつも思う。

就職しても一緒だよ。

今みたいな生活がずっと続いて、そのうちに病気にでもなって終わりだよ。

お前なんて子どもの頃から友達のいないネクラの嫌われものなんだから、この先もずっと一人だよ。

女の子もお前みたいなつまんなくて気持ち悪い人間のこと好きになんかならないよ。

だいたい就職だってちゃんとできるかも怪しいし。

何が楽しくてお前生きてんの?

2014-05-14

Q.「何でお前生きてんの?」→あなた

無職ですごくネガティブな心持ちなんだけど、心の中の知らない誰かが「何でお前生きてんの?」と呟いた。

そこでこんなお題を思いついたから、孤独な私の大喜利に付き合ってくれると嬉しいな。

Q.「何でお前生きてんの?」

文系の答え「これは国語テスト的に考えて、死ねと言われているんだろうか…」

理系あなたの答え「***」

2014-05-12

http://anond.hatelabo.jp/20140512004713

大丈夫、お前が消えたところで本当に誰も困らないから。みんな薄々、なんでお前生きてんだろって意味ってると思うよ。表面でお前優しく接するのももう飽きたよ。そろそろ、空気読んで消えてあげるべき時期じゃないのかな。

http://anond.hatelabo.jp/20140512004713

大丈夫、お前が消えたところで本当に誰も困らないから。みんな薄々、なんでお前生きてんだろって意味ってると思うよ。表面でお前優しく接するのももう飽きたよ。そろそろ、空気読んで消えてあげるべき時期じゃないのかな。

2014-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20140325203530

その他読書感想

★「三四郎」の中に「明治15年以降生まれ」と「明治15年以前生まれ」が世代ギャップがあるような記載があり、脳内が「???」となった。

 調べてみたら、明治15年以前生まれは「漢文素読」を叩きこまれた世代

 以降は「近代教育を受けた世代」で、モノの考え方に激しくギャップがあるらしい

 今で言えば、「1~2歳の時にスマホ経験した世代」とそうでない世代の差みたいなものか?

三四郎を読んでると、西片町辺りが舞台で出てくる。

 東京に詳しい人でも、西片町を知ってる人は少ないのでは?あの辺り、今でも明治香りがする。

 25年前の悪い東大駒場生は、本郷キャンパスに所用で出掛けた際、西片町を経由して帰ってた。

 (ルート東大正門→西片町三田線春日新宿線笹塚明大前井の頭線

 悪い東大生は、井の頭線定期券と、春日駅の初乗り切符で(以下自粛)

 自動改札のない時代お話である

 ※西片町って、三浦展によれば「第一山手」なんだよな

★「三四郎」読んでると、本郷エリアじゃなく大久保に住むことを「都落ち」的な書き方されてる。

 まあ当時大久保東京市じゃなく豊多摩郡だったろうから、さもありなん。

三四郎の友人が貸家を探すエピソードが描かれてる。

 裏返せば、「不動産仲介業」という職業が当時はまだ確立してなかったことがわかる。人々は口コミ人ツテで空き家を探してた

 田端とか荻窪とか馬込とかに「文士村」として作家が集住してたのは、作家口コミ人ツテで空き家を探した結果、知り合い同士固まったから。

 いわば「不動産仲介業の未成熟」が「文士村」を生んだ。

 ※トキワ荘も、不動産仲介業の未成熟の賜物?

 不動産仲介業が発展するまでは、「同郷者が、同じアパート・同じ街に集住する」というのは、割と見られた光景だった。

 逆にいえば、不動産仲介業は「同郷集住による街の単一化」を防ぐ役割を果たした、と言える

★「三四郎」で、本郷エリア寄席に行くシーンがある。戦前まで本郷寄席があったと聞いている。

 その後映画館になったようだが、戦災で消失し、東大界隈は映画レスな街になった。

 戦後映画の全盛期に映画館ゼロというのは、他の学生街だと、あったのだろうか?

 元々東大って「学生門前町」の類が発達しない。

 映画館がないほか、雀荘なんかも少ないし、学生向け大衆食堂も少ない。

市電が急速に発展したせいで、三四郎市電に乗り間違うエピソードがある。

 当時の市電網で誤乗するくらいだから、2014年の東京圏鉄道網って、地方出身者にはカオスで、乗り間違い多数なんだろうなあ

★「三四郎」読んでたら、「適齢期は女性過剰」的表現があった。

 日露戦争でそんなに男性犠牲になったとも思えないので、感染症栄養失調で夭逝する男児が当時は多かったんだろう。

 適齢期性比が男性過剰に転じたのは、実は高度成長以降だったりする。

2013-11-27

もう、社会主義をもう一回試してみれば?

http://anond.hatelabo.jp/20131127205029

基本的にそうするには日本雇用制度撤廃して簡単に解雇出来る様にすることだけど。

簡単に解雇できれば流動性が出来て簡単に再就職できるようになって。

ただ、そうすると、ヘタすると経営側の力が強くなりすぎるし今以上に格差は大きくなる。欧米みてれば分かるように。

そこを補って下層を厚く保護しようと思ったら北欧みたいに税金をたんまりとって社会福祉を充実させる。

だが、行き過ぎると社会主義みたいになる。


だけど、社会主義って一回失敗してるけど、今、もう、社会主義的な物ももう一回やってもいいんじゃない

古い、国家貧乏的な社会主義じゃなくて、それこそ、「想像上の未来」みたいな、

誰もが適当仕事をしたりしなかったりの中でそれなりの生活できる世界


今の世界技術が余りに進歩して、「知識」に関して言えば

個人が本読んだりして学ぶよりも圧倒的に機械だよりで引き出した方が速い。

まだ、「知恵」的な部分では圧倒的に人間が優れてる場合があるけど、それでも、「人間」が考えなきゃならない場面ってのは徐々に減って来てる。

誰がやっても同じ、ってものほとんど。

たまたま運良く道が開けた人が上にのし上がって他を蹴落とすけど、そこには同じようなレベルの物がゴマンとあって、その中でたまたまさなきっかけの連続で多きくなったに過ぎない。

そこで、他の蹴落とされた人達はやる気を無くし、生産性を失う。

それならばのし上がっていって他を蹴落としてしまシステムよりは、皆が皆、同じように働いたほうが生産性が上がるかもしれない。

ある意味で、日本高度成長期と言うのは、一億総中流と言った、誰もが同じようなレベルで働けたか生産性が上がったのではないかある意味社会主義的な物があったのでは?

勿論、民主主義的な競争があったのは事実だが、その中で、もっと成功者けが巨大な富を得るような経済システムだったらこれほど成功してなかったのでは?




勿論、インセンティブが無くなるとそれはそれで生産性が減るので難しい。高度成長期には、その「中流」の人達も毎年のように生活レベルが上がっていったわけで、

周りと同じであろうと充分なゲインがあると思えてた。

それを考えると、現在の一番の問題はある程度物質的な成長に限界が来ていて、現実的な生活レベルの向上、が全体として得られる事が無いのでやはり難しいか

ここ10年くらいは物質的な生活レベル向上なんてほとんど無く、成長したのはネット社会のみ。

ネット社会ものすごい勢いで成長したが、やはりそこでは生活の豊かさを実感出来る事は少なく、そこで便利になったとしても生活が豊かになった、と感じる人は少ない。

だが、今、以前生レベル向上のために動いていた金もネット社会へ流れてるので、実感できる生活レベルの向上が実際鈍化してるのも確かだろう。

そう考えると、何か、物理的な生活の変化が必要なのかもしれない。

それこそ宇宙移住するようになるとか。。。

2013-11-18

他人に池沼と呼ばれる人生

私は人から池沼と呼ばれることがある。

……そうは言っても大体の人は口には出さない。

気持ちが悪いだとか変だとか言って私を遠ざけるかいじめるかの二択だ。

子供の頃はそのことに気が付いていなくって、皆友達だと純真無垢な私は信じていて、何されてもニコニコ笑っていた。

その話を話すと不思議がられて彼らは私を憐れみいじめられていたんだね可哀想に」と同情した。

不思議で仕方なかったけど、今考えるとあれはいじめだったのかもしれないと思う。

今いる友人は皆どこか歪んでいる人ばかりだ。

そういう人は他人を攻撃したりしないし、自分と違う人を馬鹿にしたりもしない。

なので今は前と比べて池沼馬鹿にもされなくなった。

けれど私は今でも池沼のような特徴を持っているのだろう。

人とは会話が成り立たないことも多く、雰囲気を読むことができないし、物忘れが激しく、いつもぼーっとしていて、暗算もできなければ漢字も書けない。

できないことを人に知られたらまた馬鹿にされる「池沼かよ!」「お前生きてる意味あんの?」

努力はしているつもりなのに、どうして私はできないのだろう。

これから先も、他人のサンドバッグとして生きていくのだろうな。

2013-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20130819170145

書いてないこと読み取るマンの元増田ですが、それって遠回しに「お前生まれてくるべき存在ではなかった」って言ってる?

増田って昔から「○○なxxは□□すべきじゃない」っていう人がいるんだが、そういう人の深層心理って興味深いなぁ。

自分は□□する資格がない思ってるのか、それとも自分は絶対関係ないと思っているのか。

増田の中だけならトラバツリー伸びて楽しいけど、リアルでそう思っているならそのうち死にたくなるから気をつけたほうがいいよ。

2012-05-29

ありがとう2ちゃんねる人殺しども。今後、餓死者は増え続けるだ

ブラマヨ吉田不用意な発言で叩かれているわけだが、深い怒りしか感じない。

このさいハッキリと言ってやるが、河本氏に関しては、不正受給云々に関して、少なくとも突っ込まれる余地を残したという点では、ちょっとばかり否はあったかなと思う。

確かにプライバシーの問題とか、あるいは親を供養する義務が存在するとか、その辺りはいろいろと問題があるかもしれない。

しかし、それに対して無理矢理「在日」であったり、不正受給者を厳しく取り締まれとかやりやがった。お前らは本当に生活保護を申請する時の苦労を全く知らない。

生活保護をもらうための二つの

生活保護をもらうための壁は二つ存在する。

まず一つが水際作戦だ。水際作戦とは、受給者が生活保護を申請するための、申請用紙を渡さなかったり、今日相談だけにするといって追い返すことだ。

もう一つ。これは明確な言葉を忘れたが、生活保護を受け付けたあとに、なにかしらの生活のめどが立つや否や、受給を取り下げるというものだ。

「それって悪いことなの?」と思うだろうが、当たり前じゃ。最初仕事について「本当に安定するかどうか」まで見て、保護を取り消すというのならわかる。超絶ブラック企業にぶち当たって、2ヶ月で体調を崩して辞めたあとに、生活保護がなくなってみろ。悲惨なことになるのは目に見えてるだろ。

なぜ不正受給があるのか

なぜ不正受給があるのか?なぜ必要な人が受けられないのか?簡単だ。現在生活保護を貰うためにはコツが必要からだ。コツとは何か?まず水際作戦を受けないことだ。多くの人が追い返されているとはいわないが、それなりの人数は追い返される。「貴方には必要が無いですよね?働けますよね?」と言われて追い返されるのだ。顔を見せて「あのー、生活保護受けたいんですよ」と言ったらにこやかに受けられるんじゃないんだよ。戦場だよ。そしてケースワーカーものわかりがよければいいけど、ものわかりが悪いときもあるからな。そのときに消耗することもある。

あとな、公務員を無闇に減らせっていってんじゃねえよ。ケースワーカー労働基準監督署の職員は足りてねえんだよ。で、公務員を減らされたとき、真っ先に何処が削られる?福祉関係だよ。福祉関係なんてクズしかいない。クズを雇うなんていうことに、何が気持ちいいことがあるか?ないだろ。だったらそこから人員が削減される。削減されないにしろ、嫌な顔されるだろうね。そんなにブラック不正受給を憎んでいるんだったら、もっと公務員増やせって言えよ。さらにいうなら、その増やした公務員は福祉やそういうところに廻せって言え。

公務員が足りなくなりゃ、そりゃ管理はどんどんザルになるだろうよ。必要じゃない人は追い返すだろうね。

政治家はお前らの都合の通りには動かない

片山が動いたことに関しては知らないが、この件に関しては生活保護削減の動きも出ている。河本の一件が無けりゃ、物価水準に合わせることも考えるわな、とか思うことはあるよ。でもな、河本のおかげで「不正受給をやめさせろ」という世論が形勢されたらどうなると思う?そりゃ生活保護の厳密運営化を目指すだろう。はっきりいって、上記の意味で厳密に運営させたら、ますます餓死者が出続ける。そりゃそうだろうよ。現在生活保護制度ですら運用できなかったら、ますますボロが出るに決まってるだろうよ。

制度には二つしかないんだよ。緩く運用するか、厳しく運用するか。厳しく運用した場合は、必要人間は見殺しにするけど、その代わり不正受給は減る。緩く運用した場合は、必要人間は見殺しにならないけど、その代わり不正受給も増える。この2択しかない。そして、現在はそれなりに厳しく運用されている。これ以上厳しくしたら、ますます餓死者が出て、受給のコネを持っている人(ああ、あいつらの大嫌いな左翼NPOとか、暴力団の施設とか、弁護士だろうね)しか、その門を潜れなくなるだろうね。

人を殺したいならば、殺したいとハッキリ言え

いいよ、お前らが国を憂いているのはわかる。だがな、生活保護の50%が在日であるとか、そういう雑な認識で接しないでくれ。頼むから現在運用状態とか、そういうのをちゃんと調べてから物事を言え。それと、制度をどっちにカジを取るかハッキリしろ。あのな、「本当に必要な人に入るようにするべき」っつー理想論なら誰でも言えるんだよ。そうじゃなくて、現実に如何にそういう制度を実現するかだろ。そして、現状はそういうのから、そこそこ遠いことはわかってるんだろ。

餓死者を引用して吉田に迫ったクズ。はっきりいって、お前がやったことは本当に最低だ。そして、これを喜びながらまとめているアフィリエイトクズども。お前らも同罪だ。

おめでとう。お前らは、これから貧しい日本人を殺しつづけるだろう。無意識のうちにな。そうやって延々と血を貪りついて生きればいいさ。本当に醜悪だ。

そして、こんな文章をここにしか書けない俺が一番情けないよ。

「適切な運用」って何よ?

でさー、ドヤ顔で「適切な運用」とか言っている馬鹿はなんですかね?俺だって「本当に必要な人に与えてほしい」と思いますよ。

でも、福祉には必ず例外がくる。じゃあ例外に対しては「お前は例外だからダメ」って言うのかどうなのかってのもまず一つあるよね。それ神様みたいにきめられないよね。で、生活保護を申請する場合、多くが緊急性が高い事例が多いんだよ。とすると、チェックしているから待っていてくださいねー、で死ぬ可能性もあるわけ。だから生活保護には、申請を出した時点で保護責任が生じる。だから申請をすると嫌がるの。

あとそれと、チェック体制をそれなりにしたけりゃ公務員を増やし、「福祉に人員をまわせ」って言うしかないの?すくなくとも、現状で廻ってないのに、さらに「チェック体制を厳しく」とかいったら、リソースもっと割かれるし、そうするとさらにザルになるか、むしろ「お前はくんな」っていう圧迫、あるいはまだ安定していないのにも関わらず「お前生活できてるんだから切るわ」ってなるよね。

「適切な運用」にしたところで、どっちに触れるのかはあるし、「もっと厳しくやれ」っていうんだったら、少なくとも現状の運用状態だったら見殺しにするという認識を持って言ってほしいよね、って思うわけ。それだったら一貫性があるからまだいいよ。

2012-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20120418183038

育てるなら婚前生中もオッケー、というと、要は結婚制度はいらないという考えでいいのかな?

男は同時に複数人孕ませ可能なのを忘れてないか

結婚に対する考え方が若干ブレているように見えるけど。

2012-04-11

オウム真理教ナウい教化法”を実践した広瀬死刑囚手紙 vol.3

【vol.2「宗教的経験(前半)」】はこちら。

 オウム信徒制度には、在家のほかに出家がありました。オウム出家とは、世俗的な関を一切絶ち、麻原に全生涯を捧げ、人類の救済―最終的には解脱させること―と自己解脱に専念することでした。

 出家者は教団施設内で共同生活をすることになります家族とも絶縁の形になり、解脱するまでは、会うことも、連絡することも禁止でした。財産はすべて教団に布施し、私物として所有できるのは、許可されたもののみでした。飲食は禁止でした。本、新聞テレビラジオなど、教団外の一切の情報に接することも禁止でした。これらの戒は、苦界に転生する原因となる執着を切るためのものでした。

 入信時、私は出家をまったく考えていませんでした。長男という立場上、親の老後を見たいと思っていたからであり、また私が出家すると家庭が崩壊しかねないとも思っていたからです。そもそも、入信前に読んだ麻原の著書によると、在家でも解脱可能だったので、そのような無理をしてまで出家する必要を感じませんでした。

自分が培ってきたものを崩すのは真に恐いことです。入信間もないころ、私はある在家信徒と話をしました。彼は出家の準備のために定職を捨て、アルバイトをして暮らしていました。その話を聞き、私は恐怖心を抱いたのです。実際、昭和六三年十月の私について、母は「就職内定を喜び、安心している様子だった」旨法廷証言しており、その時点で出家意志は皆無でした。

 ところが、私は出家することになりました。私の入信後、勢力拡大のために、オウム出家者の増員を図ったのです。私の入信前の一年半の間に約六十人が出家したのに対し、入信後の一年間には約二百人が出家しました。

 「現代人は悪業を為しているために来世は苦界に転生する。世紀末核戦争が起こる。(本文二十一頁)」

 ―麻原は人類の危機を叫びました。そして、その救済のためとして、信徒布教活動をさせたり、さらに、出家必要性を訴え、多くの信徒出家させたりしました。

 このように、一般社会は苦界への転生に至らせる世界として説かれていましたが、それを聞いているうちに、そのとおりの体験が私に起こりました。

 私の公判において、友人が次の証言をしました。昭和六十三晩秋か初冬に私が話した内容です。

 町中を歩くとバイブレーションを感じること、電車内のいかがわしい広告を見ると頭が痛くなること、繁華街の近くにいると体調がおかしくなるという話がありました。

 当時、私は街中を歩いたり、会話をするなどして非信徒の方と接したりすると、苦界に転生するカルマが移ってくるのを感じました。この感覚の後には、気味悪い暗い世界ヴィジョン(非常に鮮明な、記憶に残る夢)や自分が奇妙な生物になったヴィジョンカンガルーのような頭部で、鼻の先に目がある―などを見ました。この経験は、カルマが移り、自身が苦界に転生する状態になったことを示すとされていました。さらに、体調も悪くなるので、麻原がエネルギーを込めた石を握りながら、カルマを浄化するための修行をしなければなりませんでした。

 また、一般社会情報煩悩を増大させて、人々を苦界に転生させると説かれていました。そのために、情報によっては、接すると頭痛などの心身の変調が起きたのです。

他方、当時、日常的に麻原からの心地よいエネルギーが頭頂から入って心が清澄になり、自身のカルマが浄化されるのを感じました。

 これらの経験によって、一般社会が人々のカルマを増大させて苦界に転生させるのに対して、麻原だけがカルマを浄化できることをリアルに感じました。そのために私は、麻原の説くとおりに一般社会で通用する価値観は苦界に至らせると思うようになり、解脱悟りを目指すことにしか意味を見い出せなくなりました。

 この状況に関連することとして、検察官の「広瀬から出家の原因、理由を聞いたことがあるか」との確認に対して、私の指導教授は「結局、神秘体験だと言っていた」と法廷証言しています。(当時、私は教授にも入信勧誘していたのです。)また、出家することが、苦界に転生する可能性の高い親を救うことになるとも思うようになりました。子供出家すると、親の善業になるとされていたからです。出家にあたり一番の障害は親子の情ですが、それを除くために、オウムではそのように説かれていたのです。

 こうして、私は出家願望を抱くようになりました。世紀末人類の破滅というタイムリミットをにらみながら、家族の説得に要する期間や就職が決まっていた事情なども考慮して、二、三年後の出家になると思っていました。

 このような昭和六三年の年末、私は麻原から呼び出されました。麻原は救済が間に合わない、もう自分の都合を言っていられる場合ではないと、出家を強く迫りました。私は麻原に従い、大学院修了後に出家する約束しました。そして、平成元年三月末に出家しました。

 私の出家後、平成元年の四月から、麻原は「ヴァジラヤーナ」の教義に基づく救済を説きはじめました。現代人は悪業を積んでおり、苦界に転生するから、「ポア」して救済すると説いたのです。「ポア」とは、対象の命を絶つことで悪業を消滅させ、高い世界に転生させる意味です。この「ポア」は、前述(二十一頁)のように、麻原に「カルマを背負う―解脱者の情報を与え、悪業を引き受ける―」能力があることを前提としています

 その初めての説法において、麻原は仏典引用して、「数百人の貿易商を殺して財宝を奪おうとしている悪党がいたが、釈迦牟尼前生はどうしたのか」と出家者に問いました。私は指名されたので、「だまして捕える」と答えました。ところが、釈迦牟尼前生悪党を殺したのです。これは殺されるよりも、悪業を犯して苦界に転生するほうがより苦しむので、殺してそれを防いだという意味です。それまでは、虫を殺すことさえ固く禁じられていたので、私にはこの解答は思いつきませんでした。しかし、ここで麻原は、仏典引用して「殺人」を肯定したのです。

 ただし、このときは、直ちに「ポア」の実践を説いたわけではありませんでした。最後は「まあ、今日君たちに話したかったことは心が弱いほど成就は遅いよということだ」などと結んでいます。私も、実行に移すこととは到底思えませんでした。

 ところが、麻原は説法の内容を次第にエスカレートさせていきました。その後の説法では、「末法の世(仏法が廃れ、人々が悪業を為して苦界に転生する時代)の救済を考えるならば、少なくとも一部の人間はヴァジラヤーナの道を歩かなければ、真理の流布はできないと思わないか」などと訴えています。それに対し、出家者一同は「はい!」と応じており、「ポア」に疑問を呈する者は皆無でした。(『ヴァジラヤーナコース教学システム教本』―教団発行の説法集より

 前述(二七~二八頁)のように、私にとっては、現代人が苦界に転生することと、麻原がそれを救済できることは、宗教経験に基づく現実でした。ですから、私は「ヴァジラヤーナの救済」に疑問を抱くことなく、これを受容しました。なお、麻原は、私が述べたような宗教経験を根拠として、この教えを説いていました。

 さらに、私はいわゆる幽体離脱体験(肉体とは別の身体が肉体から離脱するように知覚する体験などもあったので、私たちの本質は肉体ではなく、肉体が滅んでも魂は輪廻を続けるとの教義を現実として感じていました。そのために、この世における生命よりも、よりよい転生を重視するオウム価値観に同化していました。このことも「ヴァジラヤーナの救済」を受容した背景だと思います

 このような説法が展開されていたとき、私は解脱悟りのための集中修行に入りました。第一日目は、立住の姿勢から体を床に投げ出しての礼拝を丸一日、食事も摂らずに不眠不休で繰り返しました。このときは、熱い気体のような麻原の「エネルギー」が頭頂から入るのを感じ、まったく疲れないで集中して修行できたので驚きました。

 この集中修業において、最終的に、私は赤、白、青の三色の光をそれぞれ見て、ヨガの第一段階目の解脱悟りを麻原から認められました。特に青い光はみごとで、自分宇宙空間に投げ出され、一面に広がる星を見ているようでした。これらの光は、それに対する執着が生じたために、私たちが輪廻を始めたとされるものでした。その輪廻の原因を見極めることは、輪廻から脱した経験(=解脱)を意味しました。

 解脱悟りを認められた後は、以前は身体が固くてまったく組めなかった蓮華座(両足首をももの上に載せる座法)が組めるようになりました。教義によると、これはカルマが浄化された結果と考えられました。また、食事が味気なく、砂でも噛んでいるように感じ、食事に対する執着が消えたように思えました。さらに、小さなことにこだわらなくなり、精神的に楽になりました。

 以上は麻原の「エネルギー」を受けた結果のように思われたので、彼が人のカルマを浄化して解脱悟りに導くことの実体験になりました。

 平成二年四月、麻原は古参幹部と理系出家者計二十人に対して、極秘説法をしました。冒頭、「今つくっているもので、何をするか分かるか」と私に問いました。しばらく前から、何らかの菌の培養を指示されていたのです。目的は聞かされませんでしたが、指示の雰囲気から危険な菌らしいことは分かりました。私は、「ヴァジラヤーナの救済」とする旨を答えました。一年間説法されて、その実行が当然のことのようになっていたのです。

 麻原は、「そうか、分かっていたのか」と言い、「ヴァジラヤーナの救済」の開始を宣言しました。

 「衆院選の結果―平成二年二月の衆院選に、麻原ら教団関係者二十五人が出馬し、全員が落選―、現代人は通常の布教方法では救済できないことが分かったから、これからはヴァジラヤーナでいく」

 そして、麻原が指示したのは、猛毒ボツリヌストキシン大量生産し、気球に載せて世界中に散布することでした。私たちは、その場で各人の任務も指示され、直ちに作業に取りかかったのです。私はボツリヌス菌の大量培養―容量十立方メートル水槽四基―の責任者でした。

 作業は過酷でした。ヴァジラヤーナの救済になると麻原は血道を上げるので、指示を受ける私は寝る暇もないことがありました。私は約三か月間教団の敷地に缶詰めにされ、風呂にも二度しか入れませんでした。それも関連部品の購入のために業者を訪問するときなどに、指示されての入浴でした。そして、安全対策も杜撰で、非常に危険な状況での作業でした。結局、種菌さえできていなかったことが後で判明したのですが、できていたら私たちが真先に死んでいたと思います

 私たちは、一般社会では無差別大量殺人とみなされる行為を指示され、しかも厳しい作業が続きましたが、誰も疑問を口にすることなく、淡々と行動していました。外部の人が見たら、殺人の準備をしているとは思えなかったでしょう。

 それは、私たちにとって、「ヴァジラヤーナの救済」が宗教経験に基づく現実だったからです。(本文三十一頁)そして出家後も、次のように、そのリアリティは深まるばかりでした。

 一般社会が苦界への転生に至らせることに関しては、出家後初めて外出したときに、以前に経験のないほど厳しくカルマが移ってくるのを感じて(本文二十七、二十八頁参照)、危機感を覚えました。出家者に対して外部との接触を厳しく制限するなど、教団が外部の悪影響を警戒していたことが暗示になったのだと思います。また、テレビコマーシャルを視聴したところ、その音楽イメージが頭の中でぐるぐると繰り返されるようになり、集中力が削がれる経験がありました。それは、選挙運動中に、麻原の指示でオウムに関する報道を録画したときのことでした。私の変調に気づいた麻原が、「現世の情報が悪影響を与えている」と作業の中止を指示したので、一般社会の発する情報への警戒心が強まりました。

 一方、麻原の救済能力に関しては、その「エネルギー」によって解脱悟りに導かれたと感じる経験をしたために、さらに奥深さを知った思いでした。

 ボツリヌストキシン散布計画が中止された後、私は集中修行に入りました。そして、自分意識が肉体から離れ、上方オレンジ色の光に向かう経験などをして、ヨガの第二段階目の解脱悟りを麻原から認められました。また、認められたその場で、毒ガスホスゲンの生産プラントの製造計画(平成二年十月から三年八月、中止ーオウムでは、次の計画の指示が入り、前の計画が中止されることが多かった)に加わるよう指示されました。その後も、プラズマ兵器レーザー兵器の開発(同四年十一月から五年十二月、中止)、ロシアにおける武器調査(同五年二月と五月)、炭疽菌の散布計画(同五年五月から六月、失敗)、オーストラリアにおけるウラン調査(同五年九月)、自動小銃AK七四千丁の製造(同六年二月から七年三月、一丁完成、逮捕のため中止)などを麻原から指示されました。

 このように、オウムにおいては、「ヴァジラヤーナの救済」の実践日常的なことでした。

 そして、平成七年三月、私たちは地下鉄サリンと散布する指示を村井秀夫から受けました。麻原の意志とのことでした。その指示は、当時の私には、苦界に転生する人々の救済としか思えませんでした。一般人が抱くであろう「殺人」というイメージがわかなかったのです。

 地下鉄サリン事件に関するある共犯者の調書を読むと、私たちが事も無げに行動している様子が散見されます。そのような記述を読むと、残酷な事件を平然と起こしたことについて、自らのことですが戦慄さえ覚え、被害関係者の皆様に対しては心から申し訳なく思います。誠に愚かなことでしたが、オウム宗教経験に没入している状態でした。

 [ただし、私は決して軽い気持ちで事件に関与したわけではありませんでした。救済とはいえ、「ポア」の行為のものは、通常の殺人と同様に悪業になるとされていたからです。それまではカルマの浄化に努めてきたのですが、救済のためにカルマを増大させる行為をすることが「ヴァジラヤーナの救済」と意味付けられていたのです。そのカルマは、修行によって再び浄化する必要がありました。さもないと、「カルマ法則(本文二十一頁)によって、自身にも返ってくるとされていたからです。実際、地下鉄から下車した後、私は突然ろれつが回らなくなく、サリン中毒になったことに気付いたのですが、そのときは「カルマが返ってきた」と思いました。]

 以上のように、オウムにおいては、非現実な教義が宗教経験によって受容されました。そして、その教義が社会通念と相容れないものだったために、逸脱した行動がなされました。

 他方、「禅」も宗教経験を起こす技法を用いますが、「悟了同未悟―悟り終われば凡夫に立ち返る―」という教えがあります。これは「禅」の瞑想技法によって起こる日常生活への不適応(本文二十五頁)を防ぐ安全装置ではないでしょうか。何代にもわたって存続している宗教には、問題が起こるのを回避する知恵の蓄積があるのだと思います

 宗教経験を起こす技法やその経験に基づく思想に係わる場合は、その弊害の予測が困難なので、このように経験的に安全性が保障されていることを確認する必要があるでしょう。

 また、私は宗教経験によって教義の検証が可能と思いオウムに関心を持ったのですが、それは大きな誤りでした。人間感覚は決して常に真実を反映しているわけではありませんでした。神秘的体験の心理状態は次のようにいわれており、幻覚を真実認識してしまうこともあるのです。

 神秘的な状態は比量的な知性では量り知ることのできない真理の深みを洞察する状態である。それは照明であり、啓示であり、どこまでも明瞭に言い表されえないながらも、意義と重要さとに満ちている。そして普通、それ以後は、一種奇妙な権威の感じを伴うのである。(前出ジェイムズ

 幻覚的な宗教経験によっては、決して“客観的”な真実検証できません。できるのは“主観的”に教義を追体験することだけです。それ以上のものではありません。

 ですから宗教経験はあくまでも“個人的”な真実として内界にとどめ、決して外界に適用すべきではありません。オウムはそれを外界に適用して過ちを犯したのです。


【vol.4「恐怖心の喚起」】へ続く。

2012-01-09

とりあえずテストで書いてみる

テスト

最近になって、とにかくなんにもやりたくなくなってきた。

具体的には、何か責任が伴うようなことや、「やらなきゃいけないこと」が極端にやりたくなくなってきた。

で、現在絶賛逃避中。なんだか最近来れが癖になってきてしまってまいっている。

すごく自分勝手で、ただの怠慢の他ならないんだけど、なかなかどうにもならなくて困る。

とにかく着手し始めるのがいやだ。考えたくもやり始めたくもない。

こういうのってだいたいやり始めると軌道に乗るはずなんだけど、それすら拒絶してるのかもしれない。

散々自己啓発やら偉人伝記やらを読みあさって、モチベーションを保つ方法!とかそれなりに理解しているはずなのに、行動に移さない。

なんかもういやいなっちゃうね。てか、嫌になっちゃってる。

こういう「やりたくねー!!」って時に、常々頭によぎることが

「そもそもなんでそんな事しなくちゃいけないの?なんでお前生きてんの?」

って考え。

ホントなんで生きてるんだろうって常々考えるようになってしまった。

自分が楽しめるように生きれればいいって思うようにしているけど、その「自分楽しい」ってことがよく分からなくなってきた。

お金を使えば楽しいのか?人と関わり合えば楽しいのか?旅行をすればたのしいのか?

一体何のために生きているんだろう。生きることに意味なんて無いんだろうけど、なんか虚しくなってきてしまった。

まあ、多分こんな考えが巡るのも現実の「やらなきゃいけないこと」からなるべく逃避するためのこじつけ探しだと思う。

やれば楽になることをなぜやらないのか?

から取り組めば、少なくともあとに回すよりか断然楽になるはずなのに。

きっと「逃げる」ことを覚えてしまたから。ぎりぎりになってキリキリ胃を痛めて作業して、間に合わなくて、間に合わせで済ませても、

意外と何とかなってしまうことを覚えてしまたから。

自分の満足とか、他人の評価とかそんなもの無視してしまえば、結局は耐えさえすればなんとかなってしまうってこと。

でも、それは実際には、何とかなっているのではなくて、確実に自分自身を貶めてしまっていること。

他人からの評価や、自分仕事・作業の価値を下げていることを、考えないようにしてしまっている。

からだんだん周りの自分に対する評価も下がり、自分自身への評価も下がり、やる気もなくなって作業も滞る。

やることから逃げていれば、必ず負のスパイラルに入ってしまうこと。

今はこの負のスパイラル突入だってことは頭では理解できている。

問題はどうやって抜け出すかってこと。

「やればいい」んだけど、そのやる気がおきない。(やる気は起こすものだってことは十分に理解できている。やり始めることでやる気は起きるってことも)

からいつもやっているのは、こうやって今の心情や状況を書きだす作業。

これが意外と効果があって、冷静になれる。

結局、仕事や作業にヤル気が起きなければ、自分の興味のある範囲でそれ(仕事)に近い作業すればいいんじゃないかな、と思う。

こうやってPCに向かって、僅かながらも頭を使いながらキーボードを打っていると、仕事中のような感覚に陥る。

コレで満足してしまうとかなりまずいが、これで本流の作業に戻るきっかけを作ることができそう。

かなり話が右往左往してしまったが、とにかく日記を書きたかったので、これでスッキリした。

2010-08-26

やっぱり人の生き死にを戸籍で完全に管理することってできないんだね

これは死んでも登録されてるケースだけど逆に生まれても登録されないケースはあるのかな

asahi.com朝日新聞社):ペリー来航6年前生まれ163歳男性「生存」 三重 - 社会

http://www.asahi.com/national/update/0826/TKY201008260141.html

2010-08-04

短足ってすげえ侮辱

彼女に短足って言われた

すげえ侮辱だと思った

俺のこと短足だとからかっていいのは俺の親兄弟だけだろ

同じ遺伝子ファミリーだから自嘲気味に言えるだろ

そこのお前、お前は家族じゃねえ

血がつながってねえ

お前に短足と呼ばれる筋合いはねえ

デブは分かる。そいつの不摂生だ

ブサイクもなんとかなる。整形すればなんとか。

だが短足はだめだろ。生まれつきの身体の特徴を悪く言うとか

どこの小学3年生だよ

言っていい事と悪いことの分別もつかないのかよ

冗談で笑って済ませられることとそうでないことの区別もつかないのかよ

しかもその程度の冗談で怒る俺のほうが悪いとかいう始末だよ

本当にありえない

お前親にどんなしつけを受けてきたんだ

前生きる価値ないよ

2010-08-03

行旅死亡人数・特異不明者数から勘案すれば、超高齢者のうち数百人は失踪宣告漏れで「データ上生存」

ラフ計算

自宅・病院以外で死亡し、かつ身元が判別しない遺体

行旅死亡人」とされる。

これが、世間一般に想像される以上に存在する。

http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/4b6896899d93ad6079bf38e3688b346c

によれば、

人口147万人の福岡市内で、10年間に行旅死亡人として市の税金火葬処理した人は154人」

となっている。

人口1.2億人の日本全国なら、10年間で1.2万人、1年間で1,200人だ。

で、仮に

「1980~1990年の10年間に発生した行旅死亡人数=全国で1万人」と

仮定する。

(多少当時の方が人口は少ないだろうから)

この「1980~1990年の行旅死亡人数」の中で

誕生年が1910年以前の行旅死亡人」、

これは1980年時点で「70歳以上」、1990年時点で「80歳以上」となるが、

これを年齢構成比で類推して「全国で500人」(比率5%)を仮定する。

つまり、行旅死亡人絶対数から考えれば、1980年代において、

「1910年以前出生者のうち500人が行旅死亡人になっている」と類推される。

「一方で行旅死亡人遺体が500体ある」のなら、もう一方では

「(当時で)70~80歳以上の人のうち500人が行方不明になっている」ということになる。

この中の大半は同居親族・親しい親族警察に捜索願を出して、それでも見つからないので

「失踪宣告」手続きがなされ、「死亡が擬制」されることになる。

しかし、一人暮らしの老人で、子孫はおろか兄弟がいない、又は絶縁状態、という場合

「失踪宣告をしてくれる存在がいない」ということになる。

行方不明」の場合遺体が異臭を放つわけでもないので、近隣も気付かないケースが多い。

これも仮定だが

行方不明老人の10人に1人が身寄りない単身老人で、失踪宣告してくれる親族もいない」と

仮定した場合

「500人の行方不明者のうち、50人は失踪宣告漏れで(データ上)存命」となる。

この「1910年以前生まれで、80年代当時70~80歳以上」というのは、

そのまま「2010年時点で100歳以上」となる。

つまり、計算上は「失踪しているハズなのに失踪宣告する親族がいないために

データ上生存していることになっている100歳以上老人」は50人いる計算になる。

勿論、「市当局が高齢祝い品を持って行ったのに不在だった」

民生委員が行ってみたら不在だった」ということで不在の事実がわかって、

その後「自治体の職権で失踪宣告した」という事例もあるかもしれない。

(50人より減るかもしれない)

しかし逆に、今回は「80年代行旅死亡人」に集約して試算したので、

「70年代に発生した行旅死亡人」「90年代に発生した行旅死亡人」とかも

含めていけば、逆に50人より増えるかもしれない。

そして、この「行旅死亡人」というのは「遺体発見された場合の話」である。

殺人等で「遺体が埋められ、そのまま誰にも発見されない場合」とか

「海に投身自殺して、海底深くに沈んでしまった」という場合は、この「行旅死亡人」には入らない。

日本国内で行方不明者は相当数出ているが、「捜索願が出され、かつ事件性が高い」場合

「特異不明者」と扱われる。

そしてその特異不明者数も、これまた想像以上に存在し、全国で34,000人/年程度はいるらしい。

つまり行旅死亡人の34倍だ。

先述の「非実在高齢者(100歳以上)=50人」というのは、計算の出発点が

行旅死亡人総数」だが、これを「特異不明者総数」を出発点にして計算すれば、

50人×34倍=1,700人となる。

なので、非常に荒っぽい計算だが、100歳以上の老人で、

余所で死んだのに失踪宣告されずに「住基データ上は生きている」人の総数は、

最低の計算でも数十人、最高の計算で数千人、

恐らく数百人に及ぶのではないか、という推計が成立する。

2009-12-14

たのむ!釣れてくれ!孤独なんだ

一年前生まれてはじめて男性に恋愛感情を抱き

今まで興味のなかった男性が女性についてどう思っているか

ということを知りたくなり

増田2ちゃんねるを利用するようになった。

男性は自分が正しいと思い込んでいる

主張する女性がとにかく嫌いだ

ということがわかった。

意外と頭からっぽな

スイーツより頭でっかち

頑固者の女性の方が嫌われる傾向にあると思う。

スイーツネタとして嫌われているが

何かを主張する女性本能的に嫌われているような気がする

そんなことないぜ!という反論求む!

2009-09-03

国民ツンデレ

ちらうら

自民「なんだよ。こんな時間に話があるって」

国民「もう――別れよ? 私たち」

自民「……またかよ」

国民「『またかよ』じゃない!」

自民「ああ、まあ悪かったよ。いろいろ迷惑かけたしな。反省してるよ」

国民「――いつも同じこと言うよね」

自民「愛してるよ」

国民「困ったら『それ』だよね。奥田さんや御手洗さんと会ってばかりいるくせに」

自民「あれは仕方ないんだ。お前のためにやったことなんだから」

国民「何が仕方ないの? 好きなことばっかりやって……私の気持ちも知らないで」

自民「これから心入れ替えてがんばるからさ。まあ見てろよ」

国民「もういいよ。さよなら」

自民「ちょ、お前本気か? 俺と離れてどうするつもりだよ。お前生きていけないだろ?」

国民民主のところに行くからいいよ」

自民民主? バ、バカ! あんな口だけの奴についてってどうすんだよ!」

国民民主はちゃんと私の話聞いてくれるもん。私のこと愛してくれるって言ってくれたし」

自民「口だけに決まってるだろ! あいつはダメだよ! ほら、あの旗とか破ってたの見ただろ? ろくなやつじゃねえよ」

国民「なんであなたが口出すのよ。私の勝手でしょ? もうお互い無関係だから。バイバイ」

自民「……ホンキなのか?」

国民「――止めても――無駄だから。じゃあね」

自民「待てよ」

国民「――何よ」

自民「――ありがとな。いろいろと」

国民「……もう遅いわよ。バカ」

自民「元気――でな」

国民「……待ってるから」

自民「え?」

国民「迎えに――来て。いつか、まともになったら」

2008-12-19

http://anond.hatelabo.jp/20081218135321

「今年の冬は寒いね」

と言う人に対して

「はぁ?今年の冬は去年に比べて平均気温は0.5度高いぜ」

とか

「冬が寒いのなんてわかりきってることだろwwお前生まれてから何回目の冬だよwwうはっ情報弱者www」

という突っ込みをする人の巻

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