2013-11-18

他人に池沼と呼ばれる人生

私は人から池沼と呼ばれることがある。

……そうは言っても大体の人は口には出さない。

気持ちが悪いだとか変だとか言って私を遠ざけるかいじめるかの二択だ。

子供の頃はそのことに気が付いていなくって、皆友達だと純真無垢な私は信じていて、何されてもニコニコ笑っていた。

その話を話すと不思議がられて彼らは私を憐れみいじめられていたんだね可哀想に」と同情した。

不思議で仕方なかったけど、今考えるとあれはいじめだったのかもしれないと思う。

今いる友人は皆どこか歪んでいる人ばかりだ。

そういう人は他人を攻撃したりしないし、自分と違う人を馬鹿にしたりもしない。

なので今は前と比べて池沼馬鹿にもされなくなった。

けれど私は今でも池沼のような特徴を持っているのだろう。

人とは会話が成り立たないことも多く、雰囲気を読むことができないし、物忘れが激しく、いつもぼーっとしていて、暗算もできなければ漢字も書けない。

できないことを人に知られたらまた馬鹿にされる「池沼かよ!」「お前生きてる意味あんの?」

努力はしているつもりなのに、どうして私はできないのだろう。

これから先も、他人のサンドバッグとして生きていくのだろうな。

  • 「どおかニーマきょーじゅにつたいてください ひとがわらたり友だちがなくてもきげんをわりくしないでください。 ひとにわらわせておけば友だちをつくるのわかんたんです。 ぼく...

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