はてなキーワード: ライブアライブとは
その1 ドラクエ、FF、サガ、聖剣、クロノ、マザー、桃伝、ウィザードリィ
その2 ポケモン、マリオRPG、マリルイ、メガテン、ペルソナ、デビサマ、エストポリス、テイルズ、ルドラ、バハラグ、FE、タクティクスオウガ、ゆうなま、アンテ
その3 ドラえもん、貝獣物語、ライブアライブ、WA、カエル、ファンタシースター、ポポロクロイス、アークザラッド
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もうどこかにまとまっているのかもしれないが見つけられない。
ネットのプレイ動画とか実況だけで調べてるのでおかしいとこあるかも。
大きく分けて縦向きの巻物タイプと完全ページ送りタイプがある。
名ありも名無しも同じく
*「てつがくしゃ ニーチェは プロイセン しゅっしん で *「しんえんを のぞきこむ とき しんえんを のぞいて いるのだ。 *「と いう ことばをのこした。
一ページ三行、ページ送りは巻物タイプ。
同じ人の一続きの発話であっても一〜三行ごとに*「がついて一区切りになる。
名ありは
たろう「てつがくしゃ ニーチェは プロイセン しゅっしん で たろう「しんえんを のぞきこむ とき しんえんを のぞいて いるのだ。 たろう「と いう ことばをのこした。
となる。
名無し
*「哲学者 ニーチェは プロイセン 出身で
名あり
たろう「哲学者 ニーチェは プロイセン 出身で 深淵を 覗き込むとき 深淵を 覗いているのだ ーーーーーーーーーーーーーーーーーー たろう「と いう 言葉を残した。
おわかりだろうか。*ではなく*を使っているぶん字下げが狭い。
一ページ四行。完全ページ送り。
キャラに話しかけたとき、話しかけた相手のセリフが一ページのみ表示されるから
てつがくしゃ ニーチェは プロイセン しゅっしん で しんえんを のぞきこみなさい。 と いう ことばをのこした。
一ページで終わるのにページ送り形式もなにもない。
『てつがくしゃ ニーチェは プロイセン しゅっしん で しんえんを のぞきこむ とき しんえんを のぞいて いるのだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー と いう ことばをのこした。
名あり
たろう「てつがくしゃ ニーチェは プロイセン しゅっしん で しんえんを のぞきこむ とき しんえんを のぞいて いるのだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー と いう ことばをのこした。
一ページ四行、完全ページ送り。
字下げが一ますで、同じ人の一続きの発話ならば区切りが入らない。
『てつがくしゃ ニーチェは プロイセン しゅっしん だ。 たろう「しんえんを のぞきこむ とき しんえんを ーーーーーーーーーーーーーーーー たろう「のぞいて いるのだ。 と いう ことばをのこした。
完全ページ送りで、話者が同一の一続きの文章でもページ頭には必ず区切りを入れるようだ。
名前の長さに合わせて字下げが違う。
どうしてこんな名前が長くなるほど行数がたくさん必要な仕様にしたんだろう。
FCファイナルファンタジー1と同じでなにもついていない。
完全ページ送り。
同じくなにもついていないが、人物の位置から吹き出しが出る方式になっている。
読点がある。
完全ページ送り。
名あり(主人公含め)
たろう「てつがくしゃ ニーチェは プロイセン しゅっしん で しんえんを のぞきこむ とき ーーーーーーーーーーーーーーーー しんえんを のぞいて いるのだ。 と いう ことばをのこした。 ジロスケ「ニーチェは そんなこと ーーーーーーーーーーーーーーーー いわない。 おまえは いったい どうして そんな うそを つくんだ。
完全ページ送り。
字下げは一ますだが、前ページと同じ話者かつ次の話者が出てこないときは字下げしない。
名ありキャラは
たろう「哲学者ニーチェは プロイセン出身で ーーーーーーーーーーーーーーーーーー たろう「深淵を覗き込むとき 深淵を覗いているのだ という言葉を残した。
のようになる。
一ページ四行、完全ページ送りタイプ。
区切りはページの頭に入るが
話者が同一の一続きの文章の場合は入れることも入れないこともある。
名無しはなにもない。
名あり
たろう 太郎 の 「哲学者ニーチェは かお プロイセン出身で、 イラスト 深淵を覗いているとき ーーーーーーーーーーーーーーーー たろう 深淵を覗いているのだ。 の という言葉を残した。 かお 俺はこの言葉が大好き イラスト なんだ。
一ページ四行、完全ページ送り。
顔イラストはキャラの位置関係などによっては右にくることもある。
名ありも名無しも
◆てつがくしゃ ニーチェは プロイセン しゅっしん だ。 ◆しんえんを のぞきこむ とき しんえんを のぞいて いるのだ。 ◆と いう ことばをのこした。
一ページ三行、巻物タイプ。
同じ人の一続きの発話であっても1~3行ごとに句点や!や?がつき◆で一区切りになる。
考えてみれば上に書いたRPGにはどれも主人公の心の声はなかったような?
たろう | |
---|---|
◆てつ | がくしゃ ニーチェは |
プロ | イセンの ひとだ。 |
のように表示されるので、名前がわかる。
名ありも名無しも
「てつがくしゃ ニーチェは プロイセン しゅっしん で こてんも けんきゅうしていた」 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 「しんえんを のぞきこむ とき しんえんを のぞいて いるのだ と いう ことばをのこした」
一ページ三行、完全ページ送りタイプ。
同じ人の一続きの発話であってもページごとに「と」がついて一区切りになる。
誰か追加して
srgy
申し訳ない。直しておいた。
プレイ動画と首っ引きで書いてるのにどうして漢字の有無もわかってないんだろう、と思っただろ?
申し訳ない。直しておいた。
プレイ動画と首っ引きで書いてるのにどうして色の有無もわかってないんだろう、と思っただろ?
アガった👆
── 追記 ──
それは嘘だ。
映画『とんかつDJアゲ太郎』が、あの頃の気持ちを取り戻してくれるからだ。
『とんかつDJアゲ太郎』は渋谷が舞台だ。
主人公・勝又揚太郎(北村匠海)は、やりたい事がないために実家のとんかつ屋「しぶカツ」を継ごうとしているモラトリアム青年。
しかし、父親の勝又揚作(ブラザー・トム)に「(その気がないなら)継がなくてもいいんだぞ」と言われてしまう。
気落ちしていた揚太郎が出会ったのがクラブ「WOMB」だった。
プレイリストを見ても納得が行く。CCMusicFactoryの「Gonna Make You Sweat」やMaroon5の「Sugar」等ポップな曲を使いつつも、クール・ハークが発見した「Apache」を何度も使用するなどクラシックへのリスペクトは欠かさない。全体的にヒップホップ・EDM・ポップの新旧曲を満遍なく使用している印象がある。パンフレットを見てみると、監督や音楽プロデューサー等複数人で選曲をしたらしい。それが偏りを避けることにつながったのだろう。
そして、美術が素晴らしい。
しぶカツのセットはまるで映画「タンポポ」に出てくるラーメン屋のようで、「円山町のソウルフード」らしい説得力のある店に仕上がっている。
出てくるとんかつも美味しそうだ。湯気に包まれ、金色の衣から油がしたたる映像を見ると生唾が止まらない。パンフレットには「とんかつ濵かつ」の協力があったとのこと。本物のプロの仕上がりなのだ。
とんかつ屋の主人を務めるブラザー・トムに至っては、もはや美術と定義していいほどに頑固オヤジがハマっている。
それでも、本作における一番の貢献者は北村匠海さんかもしれない。
揚太郎の真っ直ぐで不器用なキャラを表現しつつも、ダンス・キャベツの千切り・DJを自身で行っているスーパーマンだ。カオスパッドを器用に操る彼の姿にはビックリした。バンド「DISH//」でボーカルを務める彼は、映画『サヨナラまでの30分』でも美声を披露していたが、やはり音楽センスがずば抜けているのだろう。
各所で批判されているYoutubeシーンの安っぽさだが、僕は評価している。
何も持たない所から、ビデオカメラを引っ張り出しお手製のミュージック・ビデオを撮る。これぞ、まさにヒップホップじゃないか。しかも、アメリカの文化そのままにスケート・ボードやグラフィティを撮るのではなく、現代日本風のタッチに置き換えたのも素晴らしい。
乱れ打ち方式ではなく、じわりと笑わせてくれるギャグ。何度壁にぶつかっても立ち向かう揚太郎の姿。そして、余韻のあるハッピーエンド。エンタメ作品として上等に仕上がっている。
DJシーンも、あれほど長尺で用意されているとは思わなかっただけに不意を突かれた。やっぱり音楽映画はライブシーンがたくさんないとね。『涼宮ハルヒの憂鬱(ライブアライブ)』も『けいおん!』も『響け!ユーフォニアム』もそうだろ。
コロナもなく事件も起きなければ、第二の『翔んで埼玉』になってもおかしくなかった。今や叶わぬ夢だ。
だが、あの頃の渋谷の、あのアガった街を確かに描写している。それが『とんかつDJアゲ太郎』なのだ。
再考・『涼宮ハルヒの憂鬱』のどこが新しかったのか - シロクマの屑籠
p_shirokuma氏に記憶を刺激されたので、『涼宮ハルヒ』シリーズのいちファンとして、個人的にも振り返ってみたいと思う。
大ヒットした作品には「総決算」タイプと「新開発」タイプがあると考えている。
すなわち、過去の流行を上手くまとめたものと、新しい流行を提示するものである。
80年代・90年代のジュブナイルSFや超能力ものをベースに、
きわめて表面的かつ類型的な萌え要素を配置したものが『ハルヒ』である。
西尾維新のように、萌えを理解した上で過去の作品を換骨奪胎するのではなく、
ベタに古いものをやりたいので萌えをまぶして新しくみせかけた、といった印象を受ける。
Web小説でVRMMOものを流行させた『ソードアート・オンライン』などと比較すると、
『ハルヒ』はヒットの規模のわりにフォロワーの少ない作品と言っていいだろう。
ライトノベルの「萌え化」「学園ラブコメブーム」の原因とみなされることもあるが、
『ハルヒ』の大ヒット以前からMF文庫Jなどにはその傾向が見られたし、
直接的には2000年代前半に全盛期を迎えていたエロゲの影響のほうが大きい。
ちなみに『ハルヒ』フォロワーなら『いでおろーぐ!』がオススメだ。
難しい問題だ。
アニメ化前から巻割10万部を突破しており、これは当時の出版状況からしてもヒットではあったが、飛び抜けた大ヒットだったとは言い難い。
「スニーカー文庫のエース格」とは言えても、「業界を代表するエース」ではない、といった感じか。
第一巻の『憂鬱』は話題になったものの、『溜息』『退屈』がいまいちだったため、作品評価としては賛否が入り交じる状態。
『憂鬱』は当時の2chの人気投票で21位(そのときの1位は『撲殺天使ドクロちゃん』、2位は『バッカーノ!』)。
『消失』は同じく2chの人気投票で6位(1位は『ALL YOU NEED IS KILL』)であった。
ただし、2004年11月発売の『このライトノベルがすごい!2005』で『ハルヒ』は1位を獲得しており、
(この結果は少々の驚きをもって迎えられたと記憶しているが)やはり一定の人気は獲得していたことがうかがえる。
勘違いされることが多いが、アニメ『ハルヒ』放送時(2006年4月〜7月)には、まだニコニコ動画(2006年12月12日〜)は存在しない。
「ニコ動によってヒットしたアニメ」を考えるなら『らき☆すた』(2007年4月〜9月)のほうが適当だろう。
『ハルヒ』の場合、本編を動画サイトで視聴するというよりも、「ネットで話題になったシーンだけを確認する」という使い方がまだ多かったのではないか。
当時のYouTubeでは、動画の長さに10分の制限が設けられていたことも考慮したい。
(このあたりは個人的にYouTubeを敬遠していたという理由もあり、実際には本編をまるごとYouTubeで観ていた人も多いかもしれない…)
その視聴体験をみんなで「共有」したという点については、ニコ動(のコメント機能)の果たした役割は大きいと考える。
2006年といえば、我らが梅田望夫の『ウェブ進化論』が発売された年で、「Web2.0」ブームの真っ盛りである。
はてなダイアリーが2003年1月。livedoor Blogが2003年11月。アメーバブログが2004年9月。FC2ブログが2004年10月。Yahoo!ブログが2005年1月。
2004年ごろのブログブームを経て、2006年にはすっかり普及しており、オタクたちも盛んに長文を書き散らしていた。
「カトゆー家断絶」「かーずSP」「ゴルゴ31」に代表される個人ニュースサイトが、それを拾って拡散してくれるサイクルがあった。
また、いわゆる「2chまとめブログ」も2005年ごろから増加しており、考察や話題の拡散を手伝うこととなった。
(ただし現在有名な「やらおん!(今日もやられやく)」「はちま起稿」「オレ的ゲーム速報@刃」などが台頭してくるのは2007年以降である)
ついでに2005年2月には「はてなブックマーク」も開始している。「mixi」のブームも2005年くらいか。
ちょうど『ハルヒ』の放送直前に、これらのツールが出揃ったわけである。
アニメ『ハルヒ』のヒットに最も貢献したのが京アニの超絶作画だったことは疑うべくもない。
自主制作映画を完璧に再現した第一話、EDでの滑らかなダンス、『射手座の日』の艦隊戦、『ライブアライブ』における楽器演奏。
時系列シャッフルや公式サイトの作り込みなどと併せて、とにかく話題性が抜群に高かった。
2006年の『ハルヒ』、2007年の『らき☆すた』、2009年の『けいおん!』で京アニブランドが確立されて以降は、
他のアニメでも異常に作画のクオリティがアップしていったことだし、
やはりアニメ『ハルヒ』の特徴を挙げるならキャラデザよりは作画だと思う。
アニソンあるいはキャラソンについては、2005年のアニメ『ネギま』の主題歌『ハッピーマテリアル』の影響が最大で、
『ハルヒ』の「ハレ晴レユカイをオリコン1位にしよう」などはその後追いにすぎないという印象が強い。
ただ、『けいおん!』をはじめとして「作中で歌われるキャラソン」が増加したことについては、
『ハルヒ』のそれが売れた影響は大きいのだろうな。
1997年にアニメ『スレイヤーズ』のテレビ放送が終わり、そのブームが落ち着きを見せて以降、
世間的な注目度でいえば「谷間」の時期を迎えたライトノベルが再び注目を集めるようになったのは、
2004年に相次いで発売された『ライトノベル完全読本』『このライトノベルがすごい!』などの「解説本」がきっかけとされる。
それを追うようにアニメ化も増加し、2004年に3本しかなかったラノベ原作アニメは、2005年に8本、2006年には18本にまで膨れ上がった。
つまり、『ハルヒ』の大ヒットはアフターバーナーのようなもので、ラノベブームの「きっかけ」そのものではなかった。
とはいえ『ハルヒ』によってラノベブームが一気に拡大したこともまた事実である。
あとはSF設定によってファンによる考察がはかどったというくらいだろう。
やはり外的な要因に求めるべきだと思う。
京アニの台頭、キャラソンの増加、動画サイトの登場、ブログの普及、ラノベへの注目…
これらがちょうど上手いタイミングで噛み合ったからこその流行だったと言えるのではないか。
あ、『ハルヒ』の流行が終息したのは「エンドレスエイト」のせい。
これだけは間違いない。
とても楽しませて貰った
神ゲーと言えるけど、何点か気になったところ
仕方ないとも思えるけど、すぎやんもう引退させてやれよ
一緒に仕事したこともあるし崎元仁さん辺りにまかせりゃいいだろ
よりによってラスボスの曲が使い回しだったのにびびったわ
FF14よりDQ10派だけどFF14はBGMに関してはダントツ勝ってるよなとは思う
落とし穴とかマウントにのってジャンプしたりとか岩壊す奴くらい
なんとか魔城はやや大変だった。MP的に。
買って速攻次の出たり作れたりでやたら入れ替わり激しい
多分ゲームがサクサク進むからかもしれない(110時間プレイした)
セーニャ目がデカすぎてきもちわりぃよ。通常のポリゴンだとまぁ可愛い。
グレイグとかあの辺はとてもいけてる。
PS4番は、1ターンの区切りはあるけど、従来の一度に全員分のコマンド入力するのではなく、
これ無駄行動防げる便利なところもあるけどターンの区切りがあいまいになってくるので
このターン中にどの敵と味方の行動残ってるかを念頭に置いとかないといけない
基本通常バトルはオートにしてるけどたまにボス戦でめいれいさせろすると慣れてないのでやばい
…話は戻って、これDQ10のUIそのままもってきてからだろうけど、
今どのキャラのコマンド回ってきたか判断めちゃくちゃしづらい。
右側のアイコンでちょっと左にでっぱってる奴が今コマンド来てる奴なんだけど分かりづらい
DQ10は自キャラしか操作できないからコマンド入力=自分の行動なんだけれども
オンラインだとそのモーション中にも他のキャラは動いてるからいいけど、
通常は平気なんだけど、○ターン内に敵を倒せ系のバトルの時めっちゃイライラした
シルビアだけ使い回しではなく独自のエレガントなモーションが作られているので
やみくもに使い回ししているのではないのはわかる。めちゃくちゃ素晴らしい
弱い。普通に殴れ。
あと某英雄とセーニャの最終装備がクソダサでつらかった
タクティクスオウガやるのがこわい
ライブアライブみたいに今はじめてやってもつまらんかったらどうしようと思うとこわい
友達が絶賛しててPSPのリメイク版持ってたから借りたけど5分くらいでやめたからこわい
第東京トイボックスで主人公が憧れてゲーム制作の道に足を踏み入れたくらい面白いってことになってる(多分モデルになってるゲームこれだと勝手に思ってるのもこわい)のに面白くなかったら東京トイボックスにまでケチがつきそうでこわい
なんかかわいいおんな騎士みたいなのがFFタクティクスにしか出てこなくてオウがには出てこなさそうでこわい
どっかでセーブしたら詰むっての見てこわい
バランスブレイカーがいるからそれつかうとこまでいければほっとしてぷれいできそうだけどそこまでいけるかどうかこわい
ずっとタクティスだと思ってたのに実はタクティクスだなんてちょっとひっかかる言葉なのがこわい
ファイナルファンタジータクティスだったらさらっと言えるのにと思ってた自分がこわい
タクティクスオウガこわい
当たり前だけど
名作と言われてるレトロRPGをストーリー楽しみたいと思ってチート使っていくつかクリアしたけど、もう大人になってるってのと短時間で思い入れもなくやるってのが相まって、クリア後に長く心に残るものがまったくなかった
クリアした意味なかったなーとりあえずやっただけという感じになっちゃった
マザーとかも寄り道とか雰囲気楽しむもので、本能に訴えかける恐怖とかあるから、ほんとーにたのしむためには時間と未熟な精神で楽しめる子ども時代にやるべきだったんだなーと
ネタバレありありだよー。とにかくシナリオが悪いしなんつーか着地点が気持ち悪いんだよね。
もちろん脚本上の要請から来るところもあると思うんだけど、それにしたってその脚本があんまりだと思うわけ。
純粋な憎しみに燃え上がって人を凍らせて殺した→封印とかならまだ分かる話なんだが、エルサのミスは本人の言うとおり完全なる事故、射撃の命中率的な意味でコントロールに問題があるのであって解決策は明らかに日常的にぶっ放す練習をさせて精度を上げていくのが正解だったのに封じ込め一択とかマジキチ。
どこでどうなったらそんな判断になるんだ政治家向いてないぞ。
実際エルサは完全に萎縮してるし、そのビビリが却って力を増幅させているのは明らかだ。
1年2年ならともかく18になるまでその調子で育てたとか子どもの様子も見てなかったのか。お前ら本当に親か。今流行りの毒親か。
住めよ。せっかく建てたんだから。住み続けろよ。
王国が氷漬け?知った事か。「知った事か」と歌い上げて建てた城じゃねえか。なめてんのか?
本家雪の女王見習えよコノヤロウ。たまにお出かけするけど普通にあそこに住んでるぞ。城主以外は召使いすらいないんだぞ。手違いでついてきちゃったショタを軟禁してるだけだぞ。
唐突すぎるし意味がわからん。呪いだったらまだ「愛はすべてに勝つ!」的な感じで理屈がつかないでもなかったが「生まれつき」なんだろ?
何?自分の能力を愛してなかったから暴走してたとかそういうアダルトチルドレンこじらせた感じだったの?でもそんな描写なかったんじゃね?
これが一番きもちわるい。
これ何の物語だかわかってんのか?
社会とかコミュニティには受け入れられない力を持った人間が、そこから叩き出されて孤独を受け入れると同時に、自由と自分自身のアイデンティティを全力発揮する楽しみを謳歌する物語だろうが。
少なくとも目玉シーンまではそういう話だっただろ。
何が「みんなで歌おう」だアホか。その「みんな」がそいつを蹴り出したから生まれた歌を「みんな」で歌ってどうする。ヘドが出るわ。
「最終的には(コミュニティのために)異分子受け入れエンド」だというこの映画そのものと似た構造のキモさがあるぞ死ね。
ジェンダーとかフェミニズム界隈では評価されてるって話だけど、ぶっちゃけはっきり快挙と言えるのは白雪姫とかのトラディショナルな一目惚れプリンセスは完全否定してみせたという点くらいで、本質的なとこがジェンダー以前の問題なんじゃないのこれ。
あ、逆? 本質的にジェンダー以前の問題であるところを最終的に「能力を抑えることを覚えてみんなのために暮らしましためでたしめでたし」ってオチに持ってかれる、その所以がジェンダーだって話?
だったらわかるんだけど。男主人公だったらどう考えても魔王として覚醒して城に住み続けてみんな凍え死ねーっていう話になりそう。っていうかそういう作品あるっぽくね。ライブアライブとかあのへん。
作品は好きだけど、あまりに祭り上げられすぎだよなあと違和感を感じていたことを一つ。「純粋な」ファンが見たら怒るかも知れないけど。
まあ、ハルヒの「ライブアライブ」が好評だったからというのが大きいのでしょう。しかし、京アニにオリジナルを作らせるとMUNTOになってしまいます。
そこで、芳文社という中堅の出版社の中堅雑誌(きらら)から出る、中堅の(世間から見ればマイナーな)作品を選んだことは、偶然じゃないはずでしょう。おそらく、角川書店や集英社、小学館のような大手の出版社だったら完全にコントロールされていたでしょうし、知名度から言っても京アニが「オリジナル」のガールズバンドアニメを行なうに、絶好の依り代だったでしょう。だって、私は似たようなタイトルのエロゲのアニメ化だと最初は勘違いしたくらいですから。
そんなわけで、設定だけを借りて、1万部しか売れていないコミックを40万部までレバレッジさせたのは実力は認めたいですが、正直原作の器を大きく逸脱した、バブル的な人気なんじゃないかな?と危惧しています。
CDが売れるのはともかく、作中の小道具であるシャーペンが売れ、ヘッドホンが売れ、楽器が売れっていう状態は明らかに加熱がしすぎていると思うし、子供は兎も角いい年した大人がアニメに触発されてあることを始めたというのは余り聞いたことがありません。
http://yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-3834.html
上のURLによると、掲載誌の「まんがタイムきらら」も「けいおん!」のアニメ化でものすごく売れるようになったみたいだけど、そもそも原作が面白いという話は余り聞きません。個人的にはGAの方が面白いと思うし、少し人気を分けて欲しいとすら思うことすらあります。(なんせ「けいおん 原作」とググったら、「けいおん 原作 つまらない」が候補にあがるくらいだし・・・。)
原作者の人には悪いけど、ファンの殆どは京都アニメーションがつくったアニメとしての「けいおん!」のファンであって、「けいおん!」というアニメのコミカライズを読んでいるという感覚なんじゃないかな?
だとしたら、新作アニメという燃料が(番外編以外)投下されないのはなかなか厳しいはずで、正直、原作は来年三月で終わるか、梓中心で続けるのか知らないけど、アニメの2期でもやらない限り、来年の今頃には見る影もなくなっているだろうと思います。さすがに、今のらき☆すた並みの人気は維持すると思いますが。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3070578
アリシアのことを悪女呼ばわりしている人が多いけど、オルスデットと境遇が似ているような気がする。
信じていた人が助けに来ると思ったら、途中で引き返してしまい、信じている人から裏切られた。
オルスデットも仲間からは裏切られ、兵士からは追われ、アリシアもなびいてくれなかった。
でも、二人が歩んだ道は違う。
でも、オルスデットにはできず、魔王となった。
そして、人々を苦しめた。
オルスデットにも信じてくれる人がいれば、魔王にならずに済んだのかもしれない。
#追記
書いていて思った。
やっていることも大差ない。
なのに、オルスデットに共感する人は多い。
まったくもって理解できない。
二人ともやっていることは同じだよ。