はてなキーワード: フィルターとは
本人はペーパーフィルターが要らなくて楽ちんと言っているが、あれを洗われるとキッチンの排水溝が詰まるスピードが滅茶苦茶速い。
水切りネットの交換頻度が増えので、結局たいしてエコでもないし楽でもない。
単純に味が好きなのだろうか?
個人的には、ペーパーフィルターで淹れたほうが美味しいと思う。
なんか、エグい。
「紙では吸着されちゃうオイルが残っているからアロマが豊かで」
と言ってるけれど、紙や布で漉さないでいいなら、誰もネルドリップなんて発明してないと思う。
大昔から茶こしで淹れてるはず。
はてなブックマーク - マストドンの「日本人多すぎ問題」、最新版で解決か - ITmedia NEWS
マストドンの「日本人多すぎ問題」、最新版で解決か - ITmedia NEWS
マストドンの最新版では26の言語からタイムラインに表示させたい言語を選べる設定が追加された。「これらの言語はあなたの公開タイムラインでの表示を許可されます。選択されていない言語はフィルター処理により非表示となります」との説明がなされている。
そこはフィルターで隠すんじゃなくてユーザーの母国語に自動翻訳じゃないかっていう。
画像や動画、そして音声に対しても徹底して変換翻訳しまくる方向で。
https://www.youtube.com/watch?v=HrxSEpRMGS8
ちょっと無理してでもそっちに行ってほしい。
コンビニはコーヒーでもスターバックスよりいい豆つかってるし、いわゆる合成保存料ももう何十年もつかってない。地元の弁当屋さん・総菜やさんに仕事をあげて、産地直送(よほど遠くても隣県)で、もちろん髪の毛全部覆ってマスクして手袋してエアーフィルター通した空気の中で、非常に清潔につくってる。
家庭で毎回そこまでやってるかっていう話。均一さではプロに勝てる家庭料理なんてない。コンビニパンも、地方ではあなたのいう「地元のパン屋」さんが焼いて納入してることがあるからよくみてね。
追記
あと、「お母さんが無理したからおいしい」、って理屈は日本人特有の自己犠牲を尊ぶ精神がおかしいのよ。
母親の頑張りがとおといのは本当だけど、コンビニを使っても母親は母親、別のところでがんばってる。
大げさにいうと生んだあとも産褥熱で死なずに生きてるだけですでにがんばってる。
「コンビニ飯をつかう母親」の後悔、そして「コンビニ飯で育てられた上に後悔までされた子供」の自己否定につながりかねない風潮は早く消えてほしい。
普段本を読まないが、人に「これすごいわ」と薦められた。いつも読み終わった本を私に紹介してくれる人なのだが、ここがこうすごい、と毎回ネタバレを引き連れて薦めてくるのがこの一冊に対してはたった6文字だけだった。ただそれだけの理由だ。
本自体については、人によって受け取る感情が全く違うんだろうな、としか私には言えない。私の中にはすらすらと読めた爽快感と反吐が出そうな世間のえぐみが残った。
少し私自身の話になる。周りの人が何を楽しんで何を嫌うのかが小学生の時からずっと分からなかった。楽しいことを合わせようと思ったら「○○、楽しくないならやめていいんだよ」と声をかけられたし、嫌いなことを合わせて嫌いな事をした人に対して冷たく接していたらいじめっ子と評されるようになった。
今も人とのコミュニケーションは苦手だし私自身を知った人はいずれ離れていくと思っている。でもそれが嫌いな訳ではない、離れていってほしくないから印象を良くするためどんどんコミュニケーションが化けの皮をまとっていく。どう対処するべきなのかは分かっていない。
そんな人間だ。
話は戻る。
そんな自分、「世間一般には受け入れられないだろう自分」とこの本の主人公が重なって、暗い感情でびっしり心を埋め尽くされた。改めて自分が欠点だと思っているその痛い所をつつかれた気になった。
そのまま持ち主の手元に返すことになり、私は感想の一行や二行を本のお礼として(なるかは別として)…と思っていたのだが、本を手渡した時、
「どう?身につまされたでしょ?」
と言われたのだ。
身につまされたって、他人に対してわくわくと返事を待ちながら使う言葉なのか?
この内容に対し私が身につまされると思っていたということは、私は彼女にとって「普通からズレている人」という括りだったのだろうか?
些細な言葉だけど、少なくとも繊細でネガティブに傾いていた私にとどめを刺すのには十分な一撃だった。
彼女は血縁者のひとりで、昔から私がどう振舞ったら害がないのかだったりを相談してきた人だったので、まさか彼女がこの本でいう主人公の妹、だとは思っていなかった。
なんだ、私は『こっち側』に勝手に引き戻されようとしていたのか、と思った。恐ろしいほど本を薦めてきた彼女に対する興味を失った。
色々な視点の私が笑う。この人も私を向こう側に線引いてたんだね。私はやっぱりおかしいんだ。さすがに考えすぎでしょ馬鹿みたい。あの人も同調こそが普通だと思ってるタイプだった、残念。でもどれが正解かは分からないし、どれが間違いなのかも分からないし、どれが普通の考えかなんて見当もつかない。つけたくない。
誰か、私のどこがおかしいのか教えてほしい。
http://anond.hatelabo.jp/20170427094504
RGBはモニタ表示の参考にする加色混合(原色を混ぜれば混ぜるほど白に近づく)で
インキで表現できる色域がRGBより狭い。だからCMYK化すると多少色が変わるし、CMYKで表現できない色はすっとぶ。
ただ、CMYK化したあとの色をきっちりとRGBモニタ表示することはできる。
http://anond.hatelabo.jp/20170427095306
そうなると、
いつもまた思うのが、
がどうしたらいいんだろうと思う。
これも、どっちでも結果は余り変わらないでOKなんだろうか?
色の情報が削がれた後で色々調整すると、微妙に色相を変たくても色が飛んでるから思うようにできなかったり、トーンジャンプしたり、あとはRGBじゃないと使えないフィルターなんかあるよ。
そして、だいたい終わった後でCMYK化して、微調整するのがいいよ。
ちなみに「表示」メニュー >「校正設定」の「カスタム...」からシミュレート対象に「Japan Color 2001 Coated」なんかを追加することで、データはRGBのまま、「表示」>「校正設定」からCMYK変換後を予想して表示してくれる。
人物が写った写真を調整するとき、「表示」>「校正設定」>「作業用マゼンタ版」で見てみる。このとき、顔がベタッと暗く塗りつぶされてると、思うように顔色が変わらないので、顔全体の中で濃度差ができるようにしてから調整するといい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASK4V43MKK4VUTFK007.html
aLa 今村「東北でも社会資本等の毀損は25兆円、首都なら被害額は甚大になる。地震活動期で国民の不安も募っている、予算をつけてきちんと備えるべき」という内容だった。メディアが集団パニックを誘発していると思う
realintentionkun 今回のブコメにしろみんな”悪者を叩きたがり過ぎ”なんだよ。見事マスゴミに踊らされやがって滑稽だわ。当人が反省してるなら許してやるのも心。
cider3613 何でもかんでも、許さないとか撤回しろとか謝罪しろとか、日本てホント息苦しいよ
torimal3104 実際誤解と言うか、野党マスゴミが全力で揚げ足取った感はある。でも言語フィルター緩すぎで表に立つ人としては不適格だと思う。
leiqunni 禿同。阪神大震災を、社会活動が始まる前の「未明に起きてよかった」と同じだ。誰も「東北でなら地震は起きて良い」言ってない。非難してるバカで自民党や今村議員が嫌いとかでなければ、日本語使えてない。
大麻の記事を見て、過去に日常的に大麻を摂取していた人の話を思い出した。
海外に住んでた時の話。
合法ではないが罰則はなく、持ってるのを警察に注意されたら捨てさせられる程度。現地の人の感覚としては、大麻を吸うのは子供かだらしない大人、まともな人間はワインや葉巻を嗜む。大っぴらに大麻が好きだと言うと怪訝な顔をされる。といった感じ。特に女性は。
どっかから仕入れてきた乾燥大麻を、プッシャーと呼ばれる小売人が売る。プッシャーによって、その時によって、扱っている品種が違ったり値段に違いがあったり、デリバリーしてくれたり、一緒にマリカーやったりする。具体的な値段は、約7グラムで15ビッグマックくらい。ポットヘッドの彼は、2週間で約14グラムを吸っていた。大型の水ボング(友達が来たとき用)と、小型の水ボング、ジョイント(紙タバコみたいに巻く)で吸う。品種によって匂いが全く違う。ジョイントの場合、匂い付きの紙があったり(邪道)、吸い口にフィルターを挟む挟まないで派閥がある(現地人はフィルター入れるのを軟弱扱いするが葉っぱが口に入って嫌だ)。ボングの場合は水に匂いをつける液体があったりする(邪道)。ボングを洗う用にアルコールや綿棒、塩などを常備していた(女子力)。
LSDなんかもそうだけど、吸う時は安心できる環境(セッティング)が大切で、へこんでるときや不安が強いと、いわゆる「ばっとび」(badな飛び)になる。喋れなくなる、動けなくなる、目が回る(アルコール酔いに似てる)、過去の嫌な思い出などがフラッシュバックする(彼は性的虐待の記憶が出たらしい)など。ばっとびして病院に行くと呆れた顔して帰らされたうえ、お前あの時病院に行ったよねプークスクスと何年もバカにされる。まじめな人や偏見がある人はばっとびしやすいだろう。
できる限りリラックスして、かっこつけず、悪ぶらず使用すれば、精神的な安定効果はとても高い。また、ヨガなどの運動や瞑想と相性が良いと思う。睡眠と野菜とも合うんじゃないかな?分からんけど。当時は戦国BASARAのアニメやってて、大麻を吸ってバサラを見ると、アツいものがさらにアツく感じ、臭い展開が臭く感じない。普段、無意識のうちに感性にブレーキがかかっているのを外す感じ。よく言われてるのは、ご飯が美味しく感じる、色が鮮やかになる、など。
大麻がないからといって病むことはない。欲しいけど。シャワーみたいな感じ。毎日シャワー浴びたいし、浴びないと気持ち悪いけど、依存症かと言われると???ってなる。なくなったデメリットは、くだらないことを深刻に悩むこと。体調は変わらない。体重や生理周期も変わらない。
車の運転は割と平気。むしろ集中力が高くなって上手くなったりする。目的地に行くのがどうでもよくなって、近くの川辺とかで一本つけて帰って来ちゃったりする。個人的には車の運転はオススメしない。ここの規制をどうするかが合法化の鍵な気がする。
「学歴は関係ない。本人次第」なんて言える人間は本当の天才かドアホぐらいで、企業は学歴を重視する。
底辺大学から天才を見つけるのは至難の業だ。なぜなら天才は頭がいいのでもっといい大学に行けるし実際行っているからだ。
では東大から天才を見つけるのは?難しいことではあるが底辺大学から天才を探すよりはずっと簡単だ。
それは確率論の話で、ゴミ山から金を発掘するより金山から金を発掘した方が早いという話だ。
それを理解もせずに自分は努力してるだの、社会が理解してくれないだの、甘えことを抜かしているやつはさっさと現実を見ろ。
企業もアホの相手をしている暇はないんだ。面接をすればその時間の給料が発生するし、面接をした相手がそんなこともわからない低能ならその給料分無駄になる。
それでも納得がいかないなら今すぐ学歴フィルターに弾かれないだけの大学に行けばいい話。それだけの頭脳があるなら簡単な話だろう?
ま、そんな戯言を抜かしてるようなドアホは真っ当なところに就職できないだろうけどな。私のように。
で、最終回を見返しててふと思いついた
10話で、ミライさんが「サンドスターに種類があるかも」と語っていることから、最低でも次の2種類があるんじゃないかと思う
・動物をフレンズ化する「生物のサンドスター」(作中で虹色の光)
11話で、四神とかいう謎のフィルターによって「鉱物のサンドスター」の力(サンドスター・ロー?)だけが抑えられた
(ミライさんが四神を「島の宝」と言ったのも、人間にとって都合の悪い「鉱物のサンドスター」だけを抑えられるから)
あるいは、かなり時間がたっても再生し切ってないようので、不完全なまま止まったのかも
服は綿=植物なので、「生物のサンドスター」の力で即時再生した
この説も「なんでわざわざそんな描写したのか」とか「植物に作用するなら植物のフレンズは?」とかツッコミどころはありますが、とりあえず思いついたのでメモ
どうでもいい人が人のことを勝手にダメだとかここが劣ってるとか言ってきても別に気にしなくていいんだなと思った。
自分にとってどうでもいい人だからこそわざわざ関わってきて欠点を指摘してくるのはよっぽどダメなんだろうなとか思って傷つくんだけど。
たまたま人を傷つけたい気質や気分の人の目の前にいたくらいの理由がほとんどなのがわかってから気にしないでいいやと思った。
なんで失礼なこととか悪意があること言われたか考えると理不尽さにイライラするからそういうのはゴミがゴミ言語で何か言ってると思える心のフィルターを取り付けたい。
私はいちおう写真を趣味としている。腕前は自己評価ではアマチュアの中で中の上ぐらいかな。いちおうスクールに基礎的なことは習いにいったけど、飛びぬけたセンスや人と違う着眼点を持ち合わせているわけではないので、プロになるのはまぁ無理だろうなという感じ。
あと、アマチュアでも写真で小遣い稼ぎやコンテストで賞金稼ぎができるレベルの人って、だいたい凝り性で、自分の望みの絵が撮れるまで何度も同じ場所に通ったり、レタッチもとことんイメージを追求して気のすむ仕上がりになるまで頑張る。あと、撮るときにまめにレンズ交換したりフィルター付けたり、それはそれはいろいろな工夫をしてイメージに合った作品を撮るのである。私には正直いってそこまでやる根性はない。
ということでいちおう自己表現の手段は写真だけど、中途半端な腕前だと、あまり他人様に相手にしてもらえない。定番スポットでありがちな写真を撮ってSNSにアップしても義理でリアクションしてくれる人がある程度いるぐらいで、特に今のシーズンだと似たような桜の写真ばっかりアップしても「もういいよ」ってなってしまう。
あと、写真の腕が大したことなくても、書いてることがどうでもいいことでも、人気のある人にはリアクションが集まる。明らかに写真の腕前でかなわないと思う人に負けるのは仕方ないけど、人気さえあればいいって何?明らかにスマホで撮ったへたくそなセルフィーとか、「今日は○○ちゃんと△△に行ったの~♡」ぐらいの文章でやたらとアクセスが来る連中(主に女)には殺意すら覚える。
何なんだよ~、何とかしてうまくセルフィーを撮って、レタッチしまくって可愛い子っぽくして、それでぶりっ子な感じの文章書けばいいのか?たぶん私の歳でそれやったらかえって引かれるのがオチだと思うんだけど。オバさんは承認欲求を持ってはいけないんだろうか。それとも写真の腕を磨く努力をすれば許されるのか?たぶんリアルで承認してもらえる機会が少ないから余計ネットにしがみついちゃうんだと思うけど、どうも悪循環に陥っている気がする今日この頃。
今回はとなりのヤングジャンプ
110話の感想で、闘技大会編のテーマを考察したけれども、今回はそのアンサーにあたるね。
闘技大会編で提示された「ヒーローの必要性だとか意義」とは、第102話のスネックの自問が分かりやすい。
「勝てない相手にどうすべきか」ってのは、無免ライダーと深海王のを筆頭に何度か趣を変えて描かれていることだけれども。
今回はそこに「自分より強くて、守る必要のない人間」という要素が含まれてくる。
あまり気にしたことなかったけれども、フキダシ外のセリフが割りと小ネタ利いているね。
本作はいい話のまま終わるパターンもあるし、今回はそちらのほうが収まりがいい気がしたから油断していたってのもある。
主要人物が衣装入れ替えるのって、二大ヒロイン構成の漫画とかがよくやる定番ネタだね。
こういうのってギャップによる魅力や、普段のデザインの妙などが窺えたり、それがヒロイン二人同時に味わえるわけだから一粒で二度美味しいよね。
ダッチワイフはツッコミしつつネタも入れていくものだから、今回みたいに味方が誰一人もいないと、すごくせわしなくなるね。
それにしても、良さそうな服を着てみたら思いのほかダサいと気づく、ってのはリアルでもあったりするのかなあ。
個人的にはピンとこない出来事なんだけれども、自分というフィルターを通して見て、初めて目が覚めるものなのだろうか。
いや、今回はモノがモノだから、余計そう感じるだけなんだろうけれども。
なんだかラブコメとかでよくある、扇情的な衣装を着たヒロインが「何よこれー!」っていう「いや、着てから言うなよ(気づくなよ)」という構図の間抜けさも、案外リアルにあったりするのかもしれないと思ったり。
親戚の手前、はっきりと口に出せずにいるが、信者との接触のたびに腹わたが煮えくり返り、その日、一日中気分が悪い。
うちは祖母が熱心な信者で、他宗教には排他的、他者にも信教を強制しようとする、ネットで語られる新興宗教信者を体現したような存在だった。独善的で独裁的で他者に反論を許さない祖母が私は大嫌いだった。
娘の母は二世で、家庭環境から価値観としての信仰はあるものの、他者に布教はしない消極的な(熱烈信者からはよく思われないタイプの)信者だった。祖母とは真逆のやさしい人で、私は母が好きだった。
私自身は記憶もないうちに入信させられた三世で、新年に謎の会館で数珠で遊んでいたり、自宅で行われる謎のイベントに参加した記憶はあるものの、物心つくと次第にその慣習が疎ましくなっていた。
思春期を過ぎた頃には、内心では完全にアンチと化しており、会合の誘いはのらくらと断り続けたし、選挙活動もその場は適当に応じながら、絶対に票は投じなかった。
近所で信者に挨拶されるたびに苦笑いと胃のムカムカが止まらず、挙句の果ては、当てつけのようにこれまた新興宗教の某証人の話に耳を傾ける始末だった。
この憎しみにも近い激しい感情がどこから来ているのか、ずっとわからなかった。
母は数十年、うつ病に苦しんできた。
うつで寝込んでいる母を、祖母は信心が足りないとなじり、私に母のために信心するよう強制した。
祖母への反発が強かった私は、祖母の前では頷きながらも、絶対に祈らなかった。
私が祈らないから、母は治らないのかもしれない。
母のために祈れない私は冷たい人間なのかもしれない。
私が母を不幸にしているのかもしれない。
「母を不幸にしている」自分を憎む代わりに。
私は「宗教」というフィルターを通して、「自分」を憎んでいた。
宗教を憎めば憎むほど苦しくなるのは当たり前だった。
私が某宗教を嫌いながら、表面上それを表に出せなかったのは、私の行動の責任が母にまで及ぶことを恐れていたからだ。
私が脱会することで母が信者内で悪く言われるかと思うと絶対に脱会できなかった。
玄関先に挨拶に来た議員候補を追い返したかったができなかった。
宗教を捨てることは、母を捨てることだった。
幼い子供は親が怒っていたり悲しんでいたりすると、自分のせいだと思い込む性質がある。
両親が不機嫌だったり、落ち込んでいたりする家庭で育った子供の自己肯定感が低くなるのはそのせいらしい。
親を幸せにできなかった挫折感は、「自分は人を不幸にしている」という呪いになる。
殆どの人は、その呪いに気づけないまま、一生、謎の生きづらさを抱え込む。
私は母の幸福を諦めることにした。
結局、私は母を捨てたのかもしれない。
なんだか頭が回らなくて、でも作業しなくちゃということで何か打ち込もうとするのだがいろんなことがチラチラしてなにも思いつかず
頭がショートして「あああ」と打っては消すというヤバげなことをしばらく繰り返していた。
あれもやらなきゃこれもやらなきゃあれどーしようと頭の中のメモリを食いつぶしている心配事や不安がいくつかあるような気がするので、
これは大丈夫やぞとか、今別に考えんでもええぞと棚卸して明確化すれば少しマシになるだろうか。
所持金134円
不安になってるけど会社の自販機でお茶(110円)買っても24円残る、お茶が買えるなら今日は会社にいる間はとりあえず問題ない。
帰りにおろせば大丈夫。
晩ごはん
コロッケonごはんの状態で食べきれなくて残ってしまっているものを今夜何とか食べないといけない。
とりあえずラップかけておいてあるけど、卵とじ的な何かを施せば食えるだろうか?
美味しく食べるアイデアを思いついてないのがすげー不安なんだけどとりあえず今は置いておいてもいい気がする。
昨日乾燥を使ったけど掃除し忘れた気がする。家に帰ってから確認すればいいから今は考える必要なし。
作業優先度
一旦区切りがついてるけど少し手直ししたい先週末までの作業Aと今日からやり始める予定の作業B
どっちから手を付けようか迷ってしまっている、Bからやってとりあえずスケジュール遅延を避けるべきか?
でも作業Aが昨日から頭の中にずっとこびりついていて、なかなか離れられない、昨日はそれで寝れなかったし
せっかく頭が整理できてきたのに忘れてしまいそうなのも怖い
なにをどう手直しするつもりだったのかまとめる作業だけやっておいて作業Bに取り掛かって後から作業Aをやるというのがいい塩梅っぽいのだが
でもまとめるのに時間がかかってたら新しく無駄な作業生み出しただけで時間が無駄なのでは感
っていうかこの頭の中の整理に時間をかけなきゃいけない時点で時間の無駄なのではなかろうか
しかし自分はこうしないと半日でも数日でも平気で頭の中がアバババってなったまま何もしないで固まってることがあるのもまた事実でごわすし
って言って何もできてない時間がまた増あああああああ