はてなキーワード: ドイツとは
ドイツやフランスにおいて「(日本の)小中高(に相当する教育機関)と全く優れた成績を取らず」という人間はその時点で高等教育から排除されている
こういうことソースもなしに言うんだ。
普通に考えて馬鹿正直に小さい頃からコツコツ勉強してるより普段遊んでいざという時の試験で高得点出せる人間の方が優秀な結果残せるんだから排除なんかされてないよ。その理論だとミュンヘン工科大やソルボンヌは小さい頃から勉強ばっかしてきたもやしだらけになるけど実際はそうはなってない。はい論破。
大学受験一発逆転組。
初等教育、中等教育で常に一定の成績を取り続けることが出来なかった人を排除する仕組みが必要。
日本ではなぜか一発ペーパーテストを過度に尊重し、日頃の成績を軽視するどころか馬鹿にする風潮まである。ちなみにペーパーテストを無意味だと言っているのではない。アイビーリーグの学部生たちもペーパーテストは受験する。
大学受験一発逆転組が大学で全く勉強に打ち込まないことは大学職員や教員の間では既に知れ渡っている。
世の中には「小中高と全く優れた成績を取らず、大学受験期のみ猛勉強して大学に進学し、大学進学後も講義には全く出席せずに学外活動に力を入れてきた」という経歴を辿った上で実社会で活躍する者は多くいるが、彼らが活躍するフィールドは起業やビジネス、芸能界においてであり、ならば大学に進学させる必要はない。時間は有限なのだから大学で彼らの言う無駄な時間など過ごさせずとっととビジネスや芸能の世界に進ませれば良い。学術分野においてはそのような人物は少ない。もちろんゼロではないが。
G7において日本の大学の論文引用数は最下位である。ドイツやフランスにおいて「(日本の)小中高(に相当する教育機関)と全く優れた成績を取らず」という人間はその時点で高等教育から排除されている。
よく「推薦入試や内部進学組は勉強ができない」ということが言われるが、これは全くの間違いである。だいたいこういうことを言い出すのは大学教育に全く関わったことのない人間だ。慶應義塾大学を例に出す場合、文理、学部に限定されず成績、学力の最底辺は内部進学組であるが頂点も内部進学組である。学部からの外部生はその間に分布しており、どちらかと言えば最底辺の内部進学組に近い。
昔作ったデータ。Excelの作成日付が2004年なのでたぶんアテネのだろう。ギリシアは開催国で有利。
追記: でもよく見たら人口の少ない国は省略してるっぽいので、どんな条件で絞ってるかわかんないなこれ。あれれ、ロシアの獲得数もだいぶおかしいな。修正の必要がありそう。これ、ワンチャン開催中の途中経過かもwwwすまんwww
金銀銅を含めて夏冬10大会合計くらいで計算するともっとよいかもしれない。
1 | 🇦🇺オーストラリア | lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll 65 |
2 | 🇬🇷ギリシャ | lllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllllll 47 |
3 | 🇷🇴ルーマニア | lllllllllllllllllllllllllllllll 31 |
4 | 🇫🇷フランス | lllllllllllllll 15 |
5 | 🇺🇦ウクライナ | lllllllllllllll 15 |
6 | 🇰🇷韓国 | llllllllllll 12 |
7 | 🇮🇹イタリア | llllllllllll 12 |
8 | 🇯🇵日本 | llllllllllll 12 |
9 | 🇬🇧イギリス | llllllllllll 12 |
10 | 🇩🇪ドイツ | llllllllll 10 |
- | 🇺🇸アメリカ | llllllll 8 |
- | 🇷🇺ロシア | llll 4 |
- | 🇨🇳中国 | ll 2 |
https://anond.hatelabo.jp/20230925133441
めっちゃわかる。
現在進行形で個別指導塾のバイトやってるけど、どうにも学力が伸びない生徒ってのがやっぱり居る(というかうちの校舎はそういう生徒ばっか)
生徒のやる気も原因の一つなんだけど、「考える方法」のコツが分からないことが、学力が伸びない最大の原因だと感じる。
一つ例として挙げられるのが、途中式や図を書く(描く)こと。勉強に限らず何かを覚えたり考えたりする時って書く(描く)ことが重要なんだけど、学力が平均に満たない生徒はこの点が本当に抜けている。
ノートには答だけしか書かず、分からない問題は腕組んでひたすら悩んでしまうような生徒が多い。とにかく間違っててもいいから、何でもいいから図や式を書こう!と指導するんだけど、謎に頑固な生徒は絶対やってくれない。中3にもなって「ヤダ」とか言い出す生徒に対してはどう指導すれば良いのか分からず頭を抱えてしまう。
しかしながら、大半の生徒は素直にやってくれるんだけど、元増田と同じく上手く定着しない。
授業では演習量が足りないので宿題を出す。うちの塾では大半の生徒が宿題をやってくれるのだが、授業で教えたことを実践せず、とりあえずやっただけな状態になることが多い。
本来ならば宿題もガッツリ添削してやり直しさせたいのだが、それも主に二つの理由で難しい。
一つ目は授業時間が短く、そこまで面倒を見きれないこと。しかしこれは私が上手く授業を回せば何とか解決できる問題なので、言い訳であることを認めよう。
重大なのは二つ目で、他の先生がちゃんと指導しないこと。私もだがメインの先生は学生のバイトである。しかし大半の学生バイトはそこまでやる気がなく、指導が適当でぬるい場合がほとんどである。
これも元増田と同じく、毎回同じ生徒を担当できる訳ではない。なので次に担当する先生へ引き継ぎを書く。しかし、「途中式や図を書かせてください」と引き継ぎしても守ってくれないし、口答で伝えても「分かりました」と言うだけで実践してくれない。やり方を教えても、生徒はもちろん先生も覚えてくれないのである。
また、生徒に嫌われるなどストレスも抱えたくないので、学生バイトの先生は生徒に対する態度が甘く、生徒が抱える問題が放置されがちになる。
唯一の社員である校舎長もその辺の問題は把握しており何とかしようとしているものの、保護者対応など各種事務処理が山積みでブラック労働が常態化しており、そこまで手が回らない。
一応、本部の方針によりバイト講師の研修が定期的にあるのだが、「夏期講習のねらい」などのように抽象的な内容ばかりで、「途中式をかかせる」「ゴネる生徒にはこう対応しろ」などといった具体的かつ実践的な内容は皆無。
中小企業のくせに組織としての柔軟性は大企業並みにガチガチらしく、このあいだ校舎長が本部の上司に問い合わせをしたら、「別の人間に聞け」のたらい回しに三周くらい遇ったと嘆いていた。バイトの私ですら感じる本部の無能さに校舎長が不憫でならない。
しかしそんなグダグダ塾の門を叩く保護者は後を絶たない。それは元増田が指摘している通り、保護者もとりあえず子供を塾に放り込んでおけば良い、くらいにしか考えてないからである。子供の成績(結果)を考察した上で、指導方法やカリキュラムを細かく注文してくる保護者など皆無である。
近江商人の経営哲学のひとつとして「三方よし」が広く知られている。グダグダな教室(売り手)と、グダグダな保護者(買い手)により、グダグダな生徒を社会に排出し続ける「三方よし」ならぬ「三方グダグダ」なシステムが、隙間産業的学習塾の実態である。
最後に。「めっちゃわかる」と元増田に共感してしまったのだが、共感できないところもあった。
元増田はまるっきりダメな生徒ばかりだと言っているが、私はそうは思わない。いっくら勉強が苦手で成績が悲惨な生徒でも、ちょっとくらいは成長できる。今まで解けなかった簡単な方程式が解けるようになるとか、ほんとうにささいな進歩も含めれば、まるっきり成長がない生徒はいない。
しかし、こういったささいな進歩や成長は、中三受験生で中一の内容ができるようになった!といったレベルであり、受験戦争の中では焼け石に水なのである。
偏差値45前後の高校やFラン大学は廃止して、ドイツの教育制度のように、職業訓練校で実学を身に付けさせた方が本人の為なのではないか、と最近は考えるようになった。
ジャニーズ起用企業のひとつが1960年から化学製品「クレアラシル」を販売している
販社の Reckitt Benckiser 本社は イギリス Slaugh (スロー)にある
さて暗喩を読もう
Reckitt(みなし記録機関)のクレアラシルで「日本社会の発達をスローにする記録機関(レコードキット)のアラをシル者をクレ」
ヴィートは脱毛剤
なお、ディートなら殺虫剤の成分
1980 年代、心理学者のリチャード E. ペティとジョン T. カシオッポは、説得がどのように機能するかを説明する「精緻化尤度モデル」を開発した。ここでの「精緻化」とは、その情報をどれだけ注意深く考えるかという意味である。人々に注意深く考える意欲と能力がある場合、「推敲の可能性」は高くなる。これは、人々が関連情報に注意を払い、メッセージの議論の利点に基づいて結論を導き出す可能性が高いことを意味する。
他人を説得するには少なくとも2つの方法がある。最初の方法は「中央」ルートと呼ばれ、聞くメッセージを注意深く熟考することから生まれる。中央ルートが関与している場合、提示された情報を積極的に評価し、それが真実かどうかを見極めようとする。一方で「周辺」ルートが関与している場合、実際の情報やメッセージの内容以外の手がかりにさらに注意を払う。たとえば、誰かのメッセージの実際のメリットを考慮せずに、その人の魅力や教育を受けた場所に基づいてその人の主張を評価する可能性がある。
周辺ルートを通じてメッセージを受け入れる場合、中央ルートを通じてメッセージを受け入れる場合よりも受動的になる傾向がある。
有名な心理学者のスーザン・フィスクとシェリー・テイラーは、人間を「認知的守銭奴」と特徴付けている。彼らは「人間の情報処理能力には限界があるため、できる限り近道をするのです。」と書いている。
動機や議論を処理する能力が低下するにつれて、説得には周辺的な手がかりがより重要になってくる。
議論(中心ルート)の実際の利点を比較検討して信念を更新すると、周辺処理を通じて信念を更新する場合と比較して、更新された信念は持続する傾向があり、反論に対してより堅牢になる。慎重かつ思慮深い検討を通じて何かを信じるようになると、その信念は変化しやすくなる。
つまり、周辺ルートを通じてより簡単に操作される可能性がある。周辺ルートを通じて何かを確信している場合、操作者は周辺ルートをもう一度使用して最初の信念を変えることに成功する。
心理学者のレオン・フェスティンガーは、社会的比較プロセスに関する影響力のある理論の中で、人は自分の意見を他人の意見と比較することによってその意見の「正しさ」を評価すると示唆した。他の人が自分と同じ信念を持っているのを見ると、その信念に対する自信が高まる。
これらの考えを総合すると、人間の心の中には何らかのメカニズムがあることが示唆される。たとえそれが真実であっても、自分の地位を下げるようなことを言わないようにする。そして、たとえそれが嘘であっても、自分の地位を高めるようなことを言うように彼らを駆り立てる。
さらに、自身の評判がどうなるかという考慮が私たちの信念を導き、私たちの社会的地位を維持または強化するための一般的な見解を採用するように導くこともよくある。暗黙のうちに「この信念を保持すること(または保持しないこと)が社会にどのような影響をもたらすだろうか?」と自問する。
説得の周辺ルートに戻ると、多くの人がそれを信じている場合だけでなく、その信念の提唱者が権威ある人物である場合にも、何かを信じるかどうかを決定する。
オックスフォードの心理学者セシリア・ヘイズは、著書『認知ガジェット』の中で次のように書いている。彼らは、同じ年齢と性別の同じくらい身近な人よりも、大人が社会的地位が高いと考えるモデル、たとえば学校の校長を模倣する可能性が高い。
それでも、私たちが高い地位を持つ他人を真似するのは、彼らを模倣することで自分の地位が向上することを期待しているからだけではない。権威ある人ほど有能であると信じがちであるが、プロミネンスはスキルのヒューリスティックである。
研究者のアンヘル・V・ヒメネス氏とアレックス・メソウディ氏は、威信に基づく社会学習に関する最近の論文で、能力を直接評価することは「騒がしくコストがかかる可能性がある」と書いている。代わりに、社会的学習者は、モデルの外観、性格、物質的な所有物などから推測することによって、ショートカットを使用できる。
ここで、次のような疑問が生じる。周辺的説得による操作の影響を最も受けやすいのは誰か? 教育を受けていない人々のほうが操作されやすいと信じるのは直感的に思えるかもしれないが、研究によると、これは真実ではない可能性がある。
心理学教授のキース・スタノビッチは、「マイサイド・バイアス」に関する自身の研究について論じ、次のように書いている。「あなたはそれに属しているのは、それらはあなたの気質と生来の心理的傾向に適合しているからです。」
一流大学の学生や卒業生は、自分側の偏見に陥りやすい。彼らは「自分自身の以前の信念、意見、態度に偏った方法で証拠を評価し、証拠を生成し、仮説を検証する」可能性が高くなる。
アメリカのジャーナリストであり、『第三帝国の興亡』の著者であるウィリアム・シャイラーは、ナチスドイツの従軍記者としての自身の経験をこう語った。シャイラーは次のように書いている。「ドイツの自宅やオフィスで、あるいは時にはレストラン、ビアホール、カフェで見知らぬ人と何気ない会話をしているときに、一見教養があり知性のある人たちの突飛な主張に出会うことがあった。彼らがラジオで聞いたり新聞で読んだりしたナンセンスをオウム返ししているのは明らかでした。時には同じことを言いたくなることもあったが、まるで全能者を冒涜しているかのような不信感を抱かれた。」
同様に、ソ連崩壊に関する研究では、大学教育を受けた人々は高卒者よりも共産党を支持する可能性が2〜3倍高いことが研究者らによって判明した。ホワイトカラーの専門労働者も同様に、肉体労働者に比べて共産主義イデオロギーを支持していた。
今日の米国内のパターンはそのような調査結果と一致している。政治アナリストのデビッド・ショールは、「高学歴の人々は、労働者階級の人々よりもイデオロギー的に一貫した極端な見解を持つ傾向がある」と述べている。これは、問題に関する世論調査やイデオロギー的な自己認識にも見られる。大卒の有権者は穏健派であると自認する可能性がはるかに低い。
この理由の 1 つは、時間や場所に関係なく、社会の富裕層の方が地位を維持したり、地位をさらに獲得したりするために正しいことを言う可能性が高いためであると考えられる。
カリフォルニア大学バークレー校のキャメロン・アンダーソンが主導した最近の一連の研究では、社会階級が社会的地位への欲求と積極的に関連していることが判明した。より多くの教育を受け、お金を持っている人は、「他人の意思決定に影響を与えることを楽しんでいます」や「名声や社会的地位を得られたら嬉しいです」などの発言に同意する可能性が高かった。
ケイトー研究所がYouGovと協力して行った調査では、全米を代表する2,000人のアメリカ人サンプルを対象に自己検閲についての質問を行った。
その結果、高校教育以下の学歴を持つ人の25%が、政治的見解のせいで解雇されたり、雇用の見通しが損なわれることを恐れているのに対し、大学院卒の学歴を持つ人の割合は44%であることが判明した。
政治学者のジェームズ・L・ギブソンとジョセフ・L・サザーランドによる「口を閉ざす:米国における自己検閲のスパイラル化」と題された最近の論文の結果は、Cato/YouGovの調査結果と一致している。彼らは、自己検閲が急増していることに気づいた。マッカーシズムの絶頂期だった1950年代には、アメリカ人の13.4パーセントが「以前よりも自分の意見を自由に言えなくなったと感じている」と報告した。2019年までに、アメリカ人の40%が自分の意見を気軽に言えないと回答。ギブソンとサザーランドは、「自分の意見を言うことを心配している民主党員の割合は、自己検閲を行う共和党員の割合とほぼ同じで、それぞれ39%と40%である」と報告している。
この増加は特に教育を受けた層の間で顕著である。研究者らは次のように報告している。「自己検閲に従事する人々が限られた政治的資源を持った人々ではないことも注目に値し、おそらく予想外である…自己検閲は最高レベルの教育を受けた人々の間で最も一般的である…この発見は、以下のことを示唆している。社会学習のプロセスであり、教育を受けた人ほど、自分の意見の表現を妨げる社会規範をよりよく認識している。」
興味深いことに、教育が自分の権力意識とマイナスに関連していることを示す示唆的な証拠がある。つまり、教育を受けていればいるほど、「自分が意見を表明しても、自分の意見はほとんど揺るがない」「自分の考えや意見は無視されることが多い」といった意見に同意する可能性が高くなる。
ミュンスター大学のリチャード・ラウ氏が率いる「他者の最良または最悪の見方:一般化された他者認識の尺度」というタイトルの論文を考えてみる。
研究者らは参加者に、ソーシャルメディアのプロフィールや動画に登場する人物を評価するよう依頼した。参加者は、「この人が好き」「この人は冷淡だ」などの発言にどの程度同意するかを尋ねた。その後、参加者は自分自身についてのさまざまな質問に答えた。
高等教育は一貫して、人々に対するあまり肯定的な見方に関係していなかった。この論文は、「人々の感情、行動、社会的関係を理解するには、彼らが他者に対してどのような一般的な見方を持っているかを知ることが非常に重要です…人々がより良い教育を受ければ受けるほど、他者に対する認識は肯定的ではなくなります。」と結論付けている。
したがって、裕福な人々はステータスを最も気にし、自分にはほとんど力がないと信じており、仕事や評判を失うことを恐れており、他人に対してあまり好意的な見方をしていない。
つまり、意見は、その真理値に関係なく、ステータスを与えることができる。そして、自分の地位を維持したり高めたりするために特定の意見を表明する可能性が最も高い人は、すでに社会のはしごの上位にいる人でもある。