はてなキーワード: デイケアとは
クレクレしか言わない乞食親(anond:20181005101717)やそれに同調を示す連中は、本当にどうにもならない
しかも設定では稼いでいる設定だろ?
大手は正社員で時短勤務も長期の産休も育休も取れるのだが?加えて公務員なら最大で3年取れるし
もっというと言うと中小でも、リモートワークや育休制度を設けているところはあるし、何も無くとも雇用保険でも、1歳までは育児休業給付金がでるし(最大で18ヶ月は延長可能)
保育園に預けた後が大変なんだよ!でも良いけど(実際、就学前の子は直ぐに熱出すし、保育園へ預ければ解決!とはいかない)、
自分で社会的コストを払い適切な環境を得ようとはせず、無料でもっと寄越せ!!!!という民主主義と資本主義と利他の精神に敵対的なヤツは「感謝」はせず、暴言と威嚇をします
欧米だと無料で自分で社会コストも払わないでも勝手に国が用意してくれるのにーって人は
Googleで working parents balance で検索されたらよろしいのではないでしょうか?
Ask your network of friends and family for references to nannies, babysitters, and daycare centers. とか出てきませんか?
『先進国における子どもの幸福度』なるモノの1位であるオランダですら、保育園(デイケア)の1時間あたりの費用は、もうすぐ€8,02 ですよっていう
10万も費用を払う日本はおかしいのではなかったのでしょうか?
なお誰もがこの額(今は€7,45)を余裕で払えるわけではなく、じゃあどうするのか?って言うと夫婦が平日休みを取って子どもの面倒をみます
そりゃ自分らが望んで作った子なのだから当たり前やろ?っていう話ですよね※1
自分の家族のことを丸投げすることが当然で他者を威嚇しろで育った連中が、
よしんば稼げるように成長したとして、果たして親の面倒を見るでしょうか?
まぁ見るわきゃねぇんですよね、今度は、看護婦や介護士へ暴言を吐くだけです
例えば、病院の療養病床なんて年金目当ての子どもらばかりだし、
親の容態が急変して、処置をする必要がある際(老人は処置で骨折したりすることがある)、
子に連絡を取った看護師に対して言い放つ言葉は
『そんなことでいちいち連絡するな。私は忙しい』
有料老人ホームでも同じ傾向
金も時間もそこそこ余裕があるはずなのに顔を出さない者が多数派で
親元に顔出すだけマシかなーと眺めていると
『早く死んでくれないかな』と施設内で親に向かって言ってたりする
もちろん、こういうヤツが職員に暴言を吐かないわけがなく
(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200212111557)
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※1 . しかし、日本は2019年から保育費全面無償化なのよね〜、乞食さん大勝利
常識的に考えて、大学全面無償化が先だろ
一応、2020年から始まるけど対象は世帯年収380万未満まで。養護施設の子や障害者や低賃金のシンパパ・シンママのご家庭はこの世帯年収は仕方なしとしても、それ以外のご家庭は働く気がないご家庭しか対象にならない
成績チェックするから大丈夫とかそう言う問題ではないと思うのよね、乞食はどこまで言っても要求しかしないので、対象を広げ税の不公平感を無くすべき
anond:20190127104006 anond:20181006070800 anond:20190216220956 anond:20200213130344 anond:20220114172648
やってるか分からないけど役所で自立支援精度を申請すれば、精神科の受診と薬代が月1万円上限になる。
デイケアも近くで受けられるところがあって通える状態なら昼と夜に食事が出て食費も抑えられる。
親からの支援が望めないなら、生活保護を検討するとよい。今まで働いていてのうつ病ならすんなり通ると思う。
都内で単身世帯だと家賃53700円のとこに引っ越す必要があるので、いい物件を見つけるのは大変だけど。
引越し費用は引っ越し業者に払う分の他に敷金礼金・契約手数料を含めて出してもらえるので、増田負担分はないはず(上限はあるが基本超えない)
自立支援の上限も0円になるので、月〜土、デイケア及びリワークプログラムに通えば昼・夜の食費無し。
家賃以外の支給費が7〜8万なので、任意整理の借金を返してもなんとかやっていけるのではないだろうか。
死ぬことはない。
2000年頃より、うつ病ブーム、双極性障害ブーム、発達障害ブームという流れをメンタル業界は歩んできたわけだが、次は何が「啓蒙」されるのだろうか。
マインドフルネスとかデイケアとかスピリチュアルだとか、精神医学はいよいよ変な方向に向かっている気がする。
マインドフルネスなんて、100年も前に森田正馬が提唱していた概念そのものだろうに。
グレーゾーンな人々を最も的確に表していたのは神経衰弱や神経症という言葉だろう。
DSMから神経症が消え、何でもかんでも「○○障害」となったのにはどうしても製薬会社の陰謀を感じてしまう。
私の周りで、せっせと真面目に精神科に通って良くなった人は一人もいない。本当に薬が必要なのは統合失調症と古典的なうつ病と躁鬱病(今で言う双極I型障害)だけであろう。
鬱っぽくて色々な薬を試したがどれも効かなかったという場合は、性格の問題だと考えざるを得ない。根性論を主張したいわけではないが。
ダラダラ合う薬を探すのではなく、一定のラインで薬物療法に見切りをつけるべきだと思う。
「日本に住んで、家庭を持って子供を産む」ということじゃないと人口問題は解決できない。
そうなるといろいろ起こるんだよ。
・一人の女性を争って負けた。彼女が幸せそうに手を取ったのは中国人
・デイケアを頼んでいた老いた父が救急車で運ばれた。ケアをしていたのはベトナム人。
というようなことが起きた時、国籍をまったく脇に置き、1人の人間としてその状況を受け入れて、対応できるのか?
ただでも仲間で固まって、変な奴の陰口で盛り上がるのが大好きな日本人だ、絶対トラブル起きると思うんだよなー・・・・
追記)
ブコメあったので。
違う。
上記に上げた例は、まさに人種や国籍とは本来全く関係ない事だから上げた。
ここで問題にしてるのは、「相手の人種、国籍、民族、言語、文化が違う事による理解が難しいトラブル」ではなく、
その理由を本来関係ない、人種、国籍、民族のせいにしてしまう、
あるいは、同じ日本人同士で固まって話し合い、相手の集団を批難したり、排除して解決しようとする」
それって、個人の「それはそれ」って意識や精神的なストレスに耐える準備や、
日本人全体で「いや、それは人種国籍関係ないよね」ってお互い確認して間違った決定にいかないような社会の準備ができているのか、ってこと。
あるいは、外国人だろうがなんだろうが、全然知らない、自分と全く違う相手の懐にズバッと1人で入り込んで、相手を知ろうとするコミニュケーションへの強さ。
正直、怪しいと思ってる。
そんなとき、日本人の同僚と飲みながら、誰か一人が「俺も思うけどやっぱ○○人てさー・・・」と慰めて、
ズルズルと「人種、国籍、民族のせいにする、あるいはそういう相手を排除する」方向へ空気が変わるのが、
悲観的過ぎると言われるかもしれないが目に浮かぶ。
外国人との生活のトラブルや、そのときに、自分の心に「差別や身内意識による排除」が浮かぶかもしれない、
という状態なんじゃないのかなー。
この記事読んでしんどくなってしまった。これを書いた人がどうこうという話でなく自分の記憶とかやってることとか、そういうのでしんどくなってる。
うちにも認知症の祖母がいる。母方の祖母。秋田でじいさんと、叔父と三人で暮らしてたんだけれど、じいさんは心筋梗塞で亡くなって、叔父はその一年後だか二年後に酔って首をくくって死んでしまった。たいそう金がなかったみたいで幾度かうちの母に無心の電話を寄越していたらしい。
で、だれも頼れる人がいなくて、叔父の葬式が終わった直後に、母が嫌がるばあさんを引っ張って東京に帰ってきた。ほんとは一人で生活なんてできないって、ばあさんも呆けてるなりにわかってたみたいだけど。そこから二年、もうすぐ三年、週に四回デイケア?というの?昼間預かってくれる施設に行ってる。
わたしも兄弟も仕事したら学校行ったりしてるから、実質面倒見てるのは母であって、わたしたちがばあさんの世話を見るとか、そんなの全くしてない。大して関わり合いがない。一緒に生活してるのに。それどころか生活とか衛生観念とかが違いすぎて、あと呆けてるからほんと三分に一回同じ話したりするじゃん、それでだんだん疎ましく思うようになってしまったのね。
でさ、自分の幼少時を振り返るとこう、秋田と東京だからね、そんなしょっちゅう会ってたわけじゃないのね、盆暮れ正月に一週間くらい遊びに行くみたいな感じ。で、遊びに行けばやっぱり可愛がってくれるわけ。スゲエ甘かったと思うし、わたしも秋田で暮らしてる親戚の人々が好きだった。母にとってはどうだったか知らないけど、わたしたちにとってはいいおばあちゃんだったと思う。記憶が美化されてるのもあるかもしれないけど、わたしは昔のばあさんのこと、とても大好きだった。
今はさ、それがさ。何度も同じ話するからとか、外から帰ったりトイレ済ませたタイミングとかで手を洗わない(何度教えてもダメだった)とか、耳が遠くて私たちの言ってることが聞き取れなくて、それでこっちが怒鳴るように話すと萎縮して泣いちゃうとか、そんな些細なことで、些細なことなんだよ、だってわたしがメインで面倒見てるわけじゃないからね、そういうことで疎ましく思ってしまって、しんどくなるわけ。勝手に。
この人が孫たるわたしに注いだ愛情とか、まあそういうようなものを、面倒くさいからで無視して適当にかわして全部母親に面倒見させてるっていうさ、あーもうしんど。
じゃあちゃんと話して相手になって一緒にテレビとか見ればいいじゃん、と思うんだけどそうもいかねえのな、自分勝手なんだよな結局。
そんなので毎日ぼんやりとしんどいなあって思っている。そんで、ばあさんが死んだら、また身勝手に苦しむんだろうな〜って。どうしたらいいんだろうな。
パーソナリティ障害とかメンヘラとか依存症とか、あと極端な右派左派とか、異性嫌悪とかって愛と安心がないからそういう方向に行っちゃうムキがあるわけで、投薬とかじゃなくて愛と安心をくれる機関ってないの?
デイケアとかデイサービス、NPG/NGOみたいなのが居場所を作りますとか言ってるのもあるけど、ああいうのってなんか大体、うすら気持ち悪い目の煌めき方してて、とても打ち解けて交流はできない。
趣味のサークルみたいなのは地方にはほぼないし、親に縛られてるから引っ越しは無理。
そしたらこのクソみてえな人格と健康が徐々に治ってまともな生活ができて職にもついて社会貢献できるようになるかもしんねえから。
親はもういなくてデイケアの人が作っている方に一票
警察沙汰を何度も起こし入退院を繰り返したこの数年間、退院して週3日のデイケアになんとか通えてるのが現状。
それは何も症状そのものだけを指すのではなく、社会適応の能力も含めて幅が広い。
働けて嬉しい、自信が持てた、それ自体は素晴らしい。
でもそれは陰性症状が軽度でもともとの社会適応が良かったからこその結果だろう。
軽症な統合失調症は薬さえきちんと飲んでいれば普通の人とほとんど変わらないという事実はもっと知られてもいいと思う。
同時に、中核的な統合失調症の人たち、そして社会適応力や認知機能が低下した状態にあり、本人が働きたくても働けない状態にある人たちの存在も忘れてはいけない。
NHKEテレ『長すぎた入院 精神医療・知られざる実態』で描かれた日本の精神医療の実態。https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259602/index.html
鹿児島県立姶良病院http://hospital.pref.kagoshima.jp/aira/
http://bakusai.com/thr_res/acode=10/ctgid=104/bid=1304/tid=3433815/tp=1/
携帯は使えない。
退院時はデイケア通い(週4日以上)と居住地を制限される患者(病院周辺のみ)も多い。
主治医は選べない。変更も出来ない。
必ず預ける事になり、おやつの時間(3時)にのみ限られた量だけ渡されて食べる事が許される。
マジで副院長は、女性患者しか受け持たなくて、恋愛禁止を強要しているのよ。
だから、女性患者は、ここの患者でいる限り、恋愛を禁止されているんだ。
医者によっては、資産を売却して生活保護を受ける事を強要された患者もいた。
姶良病院の近くにグループホームが新しく出来て、そこに居住する事を強要させられる。そこの設立者が姶良病院の元看護師長で、会社を設立している。姶良病院の近くに居住を強要して、その元看護師長がアパートの保証人に当てられる。そして、週に何回か訪問看護があって看護師が自宅に監視にやってくる。その内容は主治医に細かく報告される。退院しても自由はない。金も訪問看護が決められた金額だけ渡して自由に使えない。何かを買う時は、病院の許可がいる。
262 2018/02/09 18:05
南日本新聞の患者インタビューも病院に対して不満を持っている患者は対象に選ばれなかった。都合が悪い事実を暴露されるのを恐れていたからだ。病院側にとって優等生的な発言をする患者のみにインタビューする事が許されており、病院の真実は明かされる事はない。
#266 2018/02/09 19:22
都合が悪い告発をした告発者は重症患者扱いして真実を闇に葬る卑怯な手口」
(注)
「南日本新聞の患者インタビュー」鹿児島の地元紙・南日本新聞に16年に掲載されたこの病院のルポ記事のこと。同紙の連載『精神障害とともに』16~17の一部「精神科密着240時間」として掲載された。但しwebでは一部分しか無料で読む事はできない。https://373news.com/_kikaku/16/seishin/
なおラグーナ出版から17年に同内容が書籍化されている。『精神障害とともに』http://www.lagunapublishing.co.jp/books/seishintomoni.html
無趣味で室内、車内、近所をうろうろ
乗れなくなって処分されるまで、毎日車のトランクを無意味に何度もガサゴソ開け閉め
でも別に潔癖というわけではないし
部屋を綺麗にしてくれるわけでもないので役に立たない
ただウロウロしたいだけ
ばあちゃんとの仲も最悪
尊敬できるところは全くないけど無害(ウチの母親が結婚した前後は勝手に人の財布を覗き見したり等々チクチクいじめられたようだが)
でもなんもタメになる事やってもない
息子夫婦と孫集合して
7回忌までちゃんとお坊さん呼んでお経あげてもらうんだから
恵まれてるよな~
葬式も誰一人悲しんでない、みんな和やかなもんだったよ(疎まれてもいないだけマシか)
私の世代なんか多分こんなことしてもらえへんで
みたいな事をお経上げてもらってる間考えてたのであった
あと、なんで死んだ人が全部ガンジスに流す用なインド由来の宗教が
まぁ甥っ子がかわいかったのでいいか 法事って人が集まるための理由づけだよね。それでいいと思う
おつかれ~
僕は老人ホームに行くのが嫌いだ。
正確に言えば、『認知症の進んだ祖母のいる老人ホーム』に行くのが。
今年で96歳。
あと1年半ほど生きていれば、大正、昭和、平成、そしてその次と、4つの時代を生きていることになる。
10年前までは普通に一人暮らしをしていたけれど、ある日偶然足を骨折してしまった。
年のせいでなかなか回復せず、やっと治った頃には筋肉の方が衰え、どんどん動けなくなった。
これじゃ一人暮らしはもう無理だということで親戚の家に移ることになった。
最終的に、介護する余裕のある伯母(祖母からすりゃ娘)の家に住むことになり、割と裕福な家庭だったので段差を無くしたり手すりをつけたりするようなリフォームなどもしていた。
しかし伯父と伯母も70過ぎで、どちらかと言うとそろそろ介護される側だ。
だんだん余裕がなくなり、近くにある老人ホームに移ることとなった。
それ以前にもデイケアでお世話になっていた所なので安心ではあった。
しかし他人ばかりの、自分で好きに出来ない施設に送られるというのはどうにもモヤモヤするものがあった。どうにもできなかったけど。
1年ほどは普通に過ごしていた。
車椅子にこそ座っているが、至って元気そうな姿を見て安心した覚えがある。
僕の顔も名前も覚えていた。
でも、ちょっと舌が回っていないようだったし、母と祖母の2人にしか分からないような話をしていた様子だったので、僕は横で微笑むしかなかった。
祖母はしきりに
という旨の話をしていた。
僕は
と、少し伯母夫婦に不信感を覚えた。
僕はバカだった。
足腰以外は至って健康だと思っていた祖母は、既にボケていたのだった。
母だって、2人にしか分からない話をしていたのではなく、優しく話を合わせていただけでしかなかった。
次の帰省で会いに行った時、
残念ながら症状は進行していた。
僕の顔を見て、
正直、親戚の家に移った8年程前からは半年に1度ほどしか会っていないし、仕方の無いことだと思った。
車椅子から職員に肩を抱えられベッドに移る姿は悲しいものだった。
この時は、話している途中で僕のことを思い出したようで、すると
『タンスにお菓子が仕舞ってあるから出そうね』と言って立ち上がろうとして、隣にいた職員に止められていた。何度も。
その時、祖母の頭の中では、自分はまだ自由に動けて、僕はまだ小学生くらいの小さい子供だったのかもしれない。
切なくて涙がこぼれた。
感動映画とか、ドラマとか、漫画とかを読んでも基本泣かない人間なのにだ。
そして今回。
もう、祖母が僕のことは露ほども覚えていないことを覚悟して向かった。
顔を合わせると、
『どちらさまですか』と言われた。
娘と孫だ。
前までは名前を言えばなんとか思い出せていた。
その後も、ずっと祖母は見知らぬ人間と話すように、敬語を使い続けた。
『見覚えのある方ですね。どこでお会いしましたっけ?』と繰り返すようになった。
中途半端な希望的な言葉を言われ、ここまでこらえていた涙が出てきた。
すこし話はズレるが、
一番関わりのある(面会に来る)伯母の名前だけを覚えている。
でも、自分の娘だということはよく分かっていない。
僕はこれからも、祖母と顔を合わせるたびに泣いてしまうだろう。
そして、きっと祖母が死んだときは、それほど泣かないのだと思う。
理由は、はっきりと言うのはあまりに非倫理的であるように思われるので
心のうちにとどめておきたい。匿名であってもだ。
こんな言葉があるけれど、今では亡くなるのではなく、
寿命は延びたかもしれないけど、やはり五体満足である期間は短い。
子供の作文の締めくくりみたいになるけど、
やはり親も先は長くないし、出来ることは今のうちにしなきゃいけないなと思った。
デイケアで友人作ってる人いるし行ってきたら?