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はてなキーワード: チェスとは

2021-04-10

eスポーツ対義語

eスポーツ対義語はないんだけど、仮にオールスポーツと呼ぶことにする

オールスポーツスポーツというふうに思う人が多いと思うんだけど、アナログゲームオールスポーツということになる

アナログゲームの中心は将棋チェスであり、将棋チェススポーツオールスポーツなのである

学生スポーツをやれというふうに厚生労働省は言うんだけど、スポーツ以外にも将棋チェスをする選択肢があってもいいと思う

2021-04-08

anond:20210407234604

これに関しては「思考」という部分に関しては今も対して変わらん。

人間だってそうだろ?

目的地への電車が来ているか→来ていたら乗る

目の前に料理があるか→食べる

おはようと言われた→おはようと返す

とまあ、入力して何かを返す、というのは結局のところif文の羅列で表現することになる

現代ゲームAI分野とその時代ゲームAIが最も違うとしたらそれは「入力情報の爆発的増加」だ

例えばこの時代AIっていうのはお化け屋敷AIって言われていてな、いわゆる「客がある一定まで近づいてきたら出てきてびっくりさせる」っていうAI

このAIはいわば「設置型」でプランナーが一個一個手作業で置いていって、なんとなくそれっぽい反応を仕込んだり選択肢を仕込んでプレイヤー選択したら反応するってもんだ。ドラクエの村人みたいなもんだな。

ただこれが10個20個ならいいが100や200、1000個置かなきゃならないなんてことになるともうプランナーも大変だ

おそらく3000超えた辺りで把握やかぶりがないものを作るなんて無理になってくる

ましてこれがオープンワールドなんてものになってくると、そんな膨大なやつに設置するなんて不可能になってくるわけだ。

ここでAI進化することになる。

まずどういう技術革新があったかって言うと、AIが「地形」というもの認識出来るようになった

穴にまっすぐ走っていって落ちるNPCって嫌だろ?それにプレイヤーをどこまでも追っていくなんて敵ってAIっぽいだろ?

なんでこの辺りの地形認識処理が発達した。いわゆる「入力情報」が増えたわけだ

さらに地形が分かってくると今度は「視界」が欲しくなる。いわゆる見つけたらよってくる奴らだな

こいつらは罠とかを張ってもその情報認識、「入力」してうまいこと避けるルートを見つけられるようになった

こういった感じでどんどん「入力情報」を増やしていったのがAI革新

さて、しか入力情報いくら増やしたところで「色んなもの避けて、寄っていって、攻撃してくる」の色んなものを避けて、が強化されるだけだ

どうせなら「攻撃してくる」の部分も変化させないとすぐに飽きが来てしま

ただ入力情報に対して一個一個対応を考えていくと馬鹿みたいに入れなきゃいけない対応行動が増えてくる

ここをなるべく「対応行動」を抽象化してうまい具合に行動の組み合わせを作ってそれっぽくなるようにする手法が開発された

しかし、それでも大変だ。「対応行動」っていうのは本当にリアルに作るとゲームにならない場合があるし、そもそも世界観ファンタジー場合どういう「リアル」を持ち込むんだ?ってところから議論スタートする

なにがこのゲームに最適か、はゲームを作ってる側のセンス依存する部分がまだまだ大きい

(まあここを管理するためにレベルデザイナーっていうそれ専門の役職おけって話になるわけだけど)

ただこの部分も最近機械学習やらなんやらでパターン洗い出して、数の暴力で最適っぽいやつを短時間でみつける方法自体アプローチはされてたりする

(そのための評価値ぎめの数式やパラメータって何よっていうのがゲームに寄ってバラバラなんでなんとも言えんけど。将棋チェス囲碁みたいなやつは見つかったけどね)

さて、ここで本題のガンパレの話なんだが、ガンパレ自体がなぜあそこまで「生」っぽくキャラクターを動かせたかって言うともう作ってたクリエイターが狂ってたとしか言えねえ。あの時代お化け屋敷AI入力値とかフラグ管理だけであれを見せるのは技術とか以上に執念としか言えないところがある

もしガンパレっぽいゲーム上記のようにAI技術が上がったとして、それがユーザー側の体験上がるか?と言われるとあんまり変わんねえかもしれないが本音

けど作る側は当時よりある程度技術的な例が多いので少しは楽になっている可能性はある

今だったらこの子は校門からスタートして、この時間渡り廊下周辺にいる、とか別に数値入れなくても正確とお気に入り場所を入れることで勝手に歩いていくことも可能だろうからな。

キャラ文言だっての子のっぽい喋り方をいっぱい考えて機械学習させて、プログラム側でひねり出すことも可能かもしれん

ただそれはガンパレ面白さの本質ではねえわなあといったところだ

2021-03-25

anond:20210325180025

どのチャンピオンが一番IQが高いか不明だが

多分囲碁将棋チェスチャンピオン羽生さんに収束する可能性が一番高いので

結果的羽生さんが一番IQ高いでFA

anond:20210325180025

今はどのゲームでもAIが発展して機械と電力が人のチャンピオンを打ち負かすようになってしまっている

だがその中でも一番AIが最善手を見つけるのが早かったのがチェスで1980年代

その次が将棋

囲碁は2010年代後半になるまで読み手が多すぎ評価が難しすぎてAIでもなかなかショートカットができなかったが

グーグル社が開発したアルファGOが1兆円相当の電気代・サーバー代をかけて作成した、

人間では思いつかない手の棋譜がいくつかのこっている、電気代・サーバー代が安くなれば完全に機械が人をうちまかしたといえる

 

したがって純粋数学的解析能力では囲碁チャンピオンが頭がいいとおもう

  

一方で機械に解析されつくしボードゲームの中でもまだチェスチャンピオン将棋藤井将太が存在するということにも思いをはせたい

藤井氏はAIを最適な手法で利用しAIから学べるという意味で強い

チェスチャンピオン政治的能力、人を楽しませる演出能力が強い

「頭のよさにはいろいろな種類がある」というだけの話である

anond:20210325181908

いや、ムムッとして次の年からチェス将棋囲碁トッププレイヤーの中で誰が一番頭がいい?って質問に変えると思う。

あと、もし増田就活生がいたらこういうバグを突くような戦い方はせず真面目に答えた方がいいと思います

anond:20210325180025

囲碁コンピューター人間に勝てるようになるのが一番遅かったから、

   つまり人間独自の深い判断力認識力が必要ゲームから

 

…という一般的すぎる解答しか思いつかないな自分なら

それに根拠も弱いし…。(ただ囲碁AI作る人が現れるのが遅かっただけとか、複雑なゲームなだけで競技者頭脳とは関係ないのでは?とか反論がすぐ浮かぶ

増田の解答見るまでつい複雑さから将棋チェスと考えてしまった

どのチャンピオンが1番だと思う?

昔、友人2人と私でランチしてる時に就活の話になった。

ひとりの友人がどこかの入社面接でこんなことを聞かれたらしい。

囲碁将棋チェスチャンピオンの中で1番頭が良いのは誰だと思う?また、その根拠は?

私はチェスだと思った。根拠は、この中だと競技人口が最多だろうから。(囲碁将棋アジア中心だけど、チェス世界規模だと思ったから)

私以外の2人はそれぞれ囲碁将棋と答えた。つまり全員違う答えだった。

もちろん正解はないんだけど、おもしろいなって。

みんななら面接でなんて答える?

2021-03-24

anond:20210324105609

その言い分だと、チェスの事は知らんが

将棋だと「矢倉」や「居飛車」なんかの戦法を覚えることも同様にならないか

要するに出来ない事の言い訳自分以外に押し付けようとしてるだけだゾ☆

anond:20210324094329

格ゲーは駒の動かし方だけは説明されますが、ポーンは初期位置からのみ2マス動けるとか、キャスリングとか、アンパッサンとかは説明されないです。

チェスであれば一手ごとにゆっくり進むので、すぐに特殊ルールがある事に気づけるでしょう。

ですが格ゲーは1/60秒毎にゲームが進行していきます

格ゲー初心者が皆、1秒以下の世界で起こった特殊ルール(発生硬直等のシステム的要素)に気づく程に才能に恵まれてるとは限りません。

ゲーム中に気づきづらい構造になってるにも関わらず、説明が不足しているのはゲーム側の問題であってユーザーが悪いと非難するのは間違っていると思います

2021-03-19

anond:20210319135350

最近将棋チェスなんかと同じように敢えて悪い手を打つようになってるだろ。

2021-02-27

文字ベースだと論理的にやり取りするのはある程度可能だけど普段の会話で論理的にやり取りするのは難しい。

試合だととんでもない記憶力を発揮するチェス王者チェス盤を離れれば記憶力が人並みになるのと似ている。

2021-02-23

anond:20210223214407

なんでチェスとか将棋とかオセロとか買わないの?

ジェンガとか騒音の元だし要らんだろ

2021-02-22

[]フェアリー

主にチェスで使われる言葉で、一般的ルールにはない特殊な駒などを導入した、変則的ルールを指す。

詰将棋でも変則的ルールに基づいた問題を「フェアリー詰将棋」と言ったりするらしい。

2021-02-14

Netflix OriginalsのThe Queen's Gambitおもろかった

チェステーマだけどチェスのことを何一つ知らなくても楽しめる作り

めちゃくちゃネタバレだけどハッピーエンドスッキリ終わったのもよかった

2021-01-11

スポーツマンシップ」という概念は滅びるべき

なぜならそれらは「人として当たり前の行為」だからだ。

スポーツマンである前に人間であり、そして人間なのだから人間として当たり前の行為をすべきだ。

反則を取られるから相手選手攻撃しないのではなく、お互いの人格人権尊重するから暴力フィールドに持ち込まない、ただそれだけでいいのだ。

そもそもスポーツマンシップなんて概念は、スポーツマンというものを履き違えている。

スポーツマンというものは、勝利のためにはなんでもやるし、スポーツの勝ち負け1つで全人格が左右されると思い込んだ狂戦士の集まりに他ならない。

野球うまいから俺は何をやってもいい、サッカーに勝つためなら何を犠牲にしてもいい、今さっきゲームで負けたやつはボロ雑巾のように扱っても許される、本気でそう思っている集団スポーツマンなのだ

この事実スポーツマンシップという概念との間に大きな矛盾を生む。

スポーツマンらしく振る舞え」と誰かが口にする時、人として当たり前の行為を守る紳士選手として振る舞えばいいのか、勝利こそを絶対のものとする卑しい戦闘民族として振る舞えうことが求められているのか、両極端な2つの有り様の間で引き裂かれて人として当然のモラルは宙を舞う。

スポーツマンシップ、この悪しき言葉を滅ぼしてしまうべきだ。

そもそもをして、スポーツマンとは卑しい者たちであるという事実を我々は認めるべきなのだ

それは何も肉体スポーツにとどまらず、将棋チェス世界でも同じである

勝ち続けていればどんな横柄で人を食った態度をとっても、結局は許されてしまうのがスポーツ世界だ。

その世界の中で構築されたモラルなぞ、人としてあるべきモラルとは異質なものになるに決まっている。

実際、スポーツマンシップに則りと宣誓する選手たちは、その直後の試合で反則さえ取られなければ何をしてもいいとばかりに危険行為を繰り返している。

彼らにとってのスポーツマンシップとは、ゲームルール内における反則の概念自分たちに都合よく利用することにほかならず、その結果として反則を即時に取られるような行為は控えるということにほかならない。

そんなことを毎試合試合繰り返せば、徐々に本当のモラルというものスポーツマンシップへとすり替えられていき、フィールドの外における人間としての真っ当なふるまいの仕方が分からないモンスターとなってしまう。

事実高校野球におけるエース達が犯罪者へと落ちぶれた例だって少なくはない。

スポーツマンシップ」という概念言葉は滅びるべきだ。

試合前に宣誓するのだとしたら「人間としてのモラルを守る」ことだ。

スポーツマンとして宣誓すれば、それはどこまでいっても勝利を目指すことしか存在し得ないのだから

2020-12-06

将棋符号思考するプロ棋士

 将棋って指したことありますか?

 将棋楽しいボードゲームで、基本的に殴り合いのオフェンスゲームです。仮にチェスディフェンスゲームで、お互いに防御の構えを組み換えながら敵側の綻びを見つけ出すゲームだとすれば、将棋は蟻の一穴をこじ開け落城させるオフェンスゲームと言ってもいいでしょう。

 チェス競技人口が一説には5億人とも言われる中、将棋競技人口は一千万人程度とガラパゴス様相を呈していますが、明らかにゲームとしてのバランスではチェスに勝っていますチェス公式戦においては先手勝率が40%程度、後手勝率が30%、引き分けが30%程度なのに対して、将棋の先手勝率50%程度、後手勝率は48%、そして引き分け千日手)の確率は2%前後であり、引き分け可能性がチェスに対してずっと少なく、そして先手と後手の勝率拮抗し合っているため将棋ボードゲームとして極めて高い完成度を誇るゲームと言えるのです。

 更に付け加えると、ダメ筋(明らかにダメな手)を含めた、ありとあらゆる手の組み合わせ(ありとあらゆる進行の総数)を計算すると、チェス10120乗程度なのに対して、将棋10の220乗程度ということですからゲームとしての奥深さも将棋チェスを上回っています。因みに、宇宙存在する原子の総数が10の70乗程度ということなので、如何に将棋というゲームが奥深いかは言うべくもありません。つまり、ある部分において将棋というゲーム宇宙それ自体より『深い』のです。


 僕は腕前としてはアマチュア初段程度で、つまりアマチュアが目指すべき差し当たっての目標点にいます。やはりアマチュア二段以上を目指すとなるとかなり強烈な努力必要になってくる印象です。アマチュア初段は将棋普段嗜んでいる人間の中で、上位25%前後の層を指しているとお考え下さい。

 将棋の道は極めて長いです。そして険しいです。詳しくはこの「将棋名人とはどのくらい強いものなのか:https://ncode.syosetu.com/n5490eb/」という素晴らしい記事をご覧になって頂ければよいかと思います。(この記事の作者様と私は同一人物ではありません)

 将棋プロになるためには奨励会という育成機関を通過する必要があります。この奨励会は入会すると6級からスタートとなるのですが、これはアマチュアで言うところの四段以上の腕前に相当すると言われていますしかも、この奨励会に入会するのは小学生中学生少年少女です。つまり大の大人血の滲むような努力をしてようやく到達できる地点に、ある程度の凝縮された努力によって遥かに短い時間で到達できる人々、つまり天才たちだけがこのスタートラインに立つことができるということです。

 さて、当然奨励会員になったところでプロになったわけではなく、プロになれるのは奨励会三段リーグ突破して四段の資格を得た者だけで、年間に四人しか輩出されない仕組みとなっています。更に、四段になった後もプロとしてのグラデーション存在しており、そこには才能の差という影がいつまでも付き纏います

 才能のあるプロ、つまりそんな天才の中の天才は、将棋を指す際にどのように思考しているものなのでしょうか?

脳内将棋

 先に紹介させてもらった記事では、天才達の中でもグラデーション存在しており、将棋トップに立てるのは本当に一握りの人間であることが述べられていました。

 つまりトッププロとは、仮に将棋人口1000万人だとすれば上位0.0001%人間のことです。すなわち、トップの十人、それが実質的日本トッププロ達です。

 羽生善治藤井聡太渡辺明豊島将之永瀬拓矢らがそうです。将棋を指す者達は彼らのことを畏怖の目で見つめ、時折プロが招かれるイベントなどで間近に見る際には、化け物や、宇宙人。あるいはこの世の理を超越したもの意味する視線が、彼らには注がれることとなります

 さて、これらのプロ達に必要ものは何なのでしょう?

 つまりは才能とは一体何なのかという話になるのですが、脳内将棋盤というのがポイントになってきます

 人は、数理的思考能力、つまりIQが140を超えると立体的なイメージをあらゆる角度から検証できるようになるという話があります人間のある種の知的能力と、立体的な像を脳裏に生み出す能力には深い繋がりがあるということなのです。つまり、才能のある将棋指しは脳の中に将棋盤を作り出すことができ、これによってどんな時でも(つまり実際の将棋盤がなくても)脳裏において将棋情報を扱うことができるようになるほか、将棋に関する凝縮した思考を連綿と行うことができるようになるということなのです。勿論、プロもこの「脳内将棋盤」を持っており、彼らの脳内将棋盤にはそれぞれのバリエーションがあることも有名です。

 以下コピペ

羽生四冠

「4分割(5×5中央重複)の部分図が高速で行ったり来たり。盤全体は1度には浮かばない、負荷が大きい。盤面は白、線は黒。駒は外形が無く黒の一字彫り。アマ二、三段くらいになった10歳ごろからこんな風。」

森内九段

「立体的でリアルな榧盤に柘植の駒。

盤駒のみの思い浮かべる事はほとんど無く背景も付随。対局中は当時の対戦相手や対局場の雰囲気まで再生普段は自室の背景に板盤。」

加藤九段

「盤は黄色で1一が右上に固定されている全体図で、線は無い。楷書文字1字だけが駒として自動的に動く。」

渡辺二冠

「ダークグレーの空間に、字の書かれていない黒に近い灰色の駒が浮かんでいるだけだが、どちらのどの駒かは分かる。」

佐藤(康)九段

「黒くぼやけた盤面のどこか一部だけが見えている。駒はゴニョゴニョ、あるか無いかからないまま何かある感じ。」

里見女流名人

「盤も背景も黒く、線の無い盤全体に文字の無い黒っぽい駒がモニョモニョ。」

 (出典:AERA No.38増大号'12.9.17天才たちの「脳内パネル」』)

 さてトッププロどころかアマチュア4~5段の人々にはこの脳内将棋盤が基本的に備わっていると言われています。つまり、この脳内将棋盤は確かに、ある程度将棋の強さ(棋力)の指標となるのです。しかし、トップの人々に関してその指標ピタリと当てはまるかというと、疑問だと言わざるを得ません。脳内将棋盤というもの将棋の猛者にとって当たり前のアイテムかつ大前提アイテムであるため、最上位層の人々の能力を測る尺度としては些か信頼性に欠けるということなのです。というか、一応奨励会三段(アマチュアではなくプロ基準の三段)ともなれば、既に常人を超越して人間卒業レベルに至っているので、やはりその中にいる更なる化け物達を推し量るには、脳内将棋盤の有無のみならず別の尺度を用いる必要があります

脳内将棋盤が「ない」。

 つまり、その二者。単なる化け物と、化け物の中の化け物を辨別する際に必要なのは脳内将棋盤が「ない」ということなのです。

 頭の中で将棋盤が無く、視覚的なイメージに頼ることな思考できる人々が、化け物の中の化け物にはいるということなのです。

 例えば、常人は次のように考えます

 「最初の一手……まず、角の斜め前の歩を前に一つ進めるだろ。すると、後手の相手も同じように角の斜め前の歩を一つ進める。だとしたら俺は飛車先の歩を一つ前に突いて、相手も突き返して……横歩取りの筋に合流しそうだ」などなど。
 つまり常人基本的画像、目の前にある将棋盤の視覚的なイメージを用いて思考しており、そのイメージを介さずには将棋を指すことができないのです。ある意味では脳内将棋盤の存在も、視覚的な情報に基づいているという点においてはその思考の延長線上にあると言っていいでしょう。そう、人は基本的将棋を考える際には視覚的なイメージ媒介とするしかないのです。

 しかし、プロの一部にはそのような思考法は――視覚的なイメージを介した思考は――あくまで「補助的なものに過ぎない」と証言する者もいます藤井聡太増田康宏、羽生善治などがそれらの棋士です。

 では彼らはどのように思考しているのでしょうか。

 そう、符号によって思考しているのです。

 将棋符号とは、数字文字によって駒の動きを表したものです。いわば駒の「番地」とも言われるもので、次の記事が参考になると思います

https://book.mynavi.jp/shogi/detail/id=77758

 例えば、少し前に書いた横歩取りの定跡だと以下のような記述になります。76歩、34歩、26歩、84歩、25歩、85歩、78金、32金……。このような記述の仕方は江戸時代以降から共通であり、いわゆる将棋の対戦の記録である棋譜」は古くは数百年前のものが記されています。古い文献において、盤面は視覚的に、絵図を用いて記述されることはなく、符号を使って記述されているのです。

 いちいち絵図で盤面を描き残すよりも、文字で表した方がずっと労力は少ないですからね。

符号思考する

 以下の記述あくまで本人らの証言を参考に記しているものであり、彼らの思考追体験したものでは当然ないのですが、つまり彼らの思考は以下のものになります

 先程書いた将棋符号が、将棋に関する思考を始めた瞬間にズラズラズラ~~~っと文字列で浮かぶのです。

 そう、これがトップ棋士達の思考なのです!

 「ズラズラズラ~~~っ」って……、と自分文章表現力の稚拙さに絶望しそうになるのですが、そう言い表すほかない。そう、真のトッププロにおいては、文字によって思考が行われるのです。そこに画像の介在する余地は、僅かにしかない。羽生善治曰く、「思考基本的符号で行って、その後、ある程度局面を読み終わった後に、自分思考確認するために思考画像に起こす、という作業はありますが、基本的画像思考することはありません」とのことでした。

 先に書いた通り、画像物事を表すというのは、文字列で表すよりも遥かに手間が掛かります。つまり、脳の処理を要します。

 となれば、より情報量の少ない符号によって思考するということが、より高速な思考法として適しているということなのです。

 ある意味、それは楽譜における音符の存在と似ているでしょう。というか、そのものかもしれません。音楽というものは体系化され楽譜という共有形式を持つ以前は、完全に口伝であり、人々が歌い継ぐことによってしか継承を行うことができませんでした。しかしそれが数学的・音楽的に体系化され、楽譜の形を取ることになると、そのような継承の際に起こり得る障害はほぼ完全に撤廃されることとなります。そしてこれらの音符を読むことで、人々はそのメロディー脳裏に想起することができるようになりました。将棋棋士もまた、それと同じ知的処理を行っていると言ってもいいかもしれません。

 つまり、ドミソ、の音符が並んでいるのを見て、タララ~、という和音脳裏に浮かぶのと同じように、将棋トッププロたちは符号によって将棋の盤面を把握することができるのです。これは、将棋のある程度の才能がある人々には必須能力ですし、実際に高位のプロ棋士トップアマチュアは、棋譜を一目見ただけで盤面の進行をまざまざと思い浮かべることができると言われています

 とは言え、そのことと「思考符号を用いる」ことはやはり一線を画していると言ってもいいでしょう。

 勿論、理屈としては分かるのです。我々が音楽継承する際に楽譜を用いたように、あるいは将棋の対局を語り継ぐために符号によって棋譜を残したように、それらの音符や符号といった記号には意味圧縮することができ、効率的情報伝達を行うことができるのだと。

 勿論、理屈としては分かります。とは言え、それらの記号を使って後世へと情報を伝達することと、それらの記号を用いた思考を正確に効率的実践することとは、また別問題です。

おわりに

符号さえ「ない」。(藤井聡太場合

 というわけで、画像媒介にした思考文字列を媒介にした思考とでは、効率において文字列による思考に軍配が上がるということでした。プロ棋士らによる思考抽象化が極限にまで達すると、本来立体的な駒やそれらの視覚イメージを用いずして思考することが不可能であったはずのボードゲームも、文字列を介した思考によって再現されてしまう、ということなのでした。実に、これは驚くべき異常性であり、そして、個人的には文化として、そして娯楽として、このような常軌を逸した営みを次代へと継承していかなければならないと感じます

 さて、ところで常軌を逸していると言えば、藤井聡太二冠の名前はもはや語るべくもなく有名ですよね。彼のインタビュー記事は相当数発表されていますから、彼の語る様々な内容について把握している方も多いかも知れません。

 その中でも異質のインタビューと言えば、2020年の夏に発表された、小説家白鳥士郎氏によるインタビューでしょう。https://originalnews.nico/139502

――棋士はどなたも『脳内将棋盤』を持っておられます。でも藤井先生は、あまり盤面を思い浮かべておられる感じではないと、以前、記事で拝見したのですが。

はい

――では、対局中はどんな感じで考えらおられるのですか? 棋譜思考している?

「ん……それは、自分でもよくわからないというか。んー…………」

――盤は思い浮かべない?

「まあ、盤は(対局中は)目の前にあるわけですので」

――詰将棋を解くときなどはどうです?

詰将棋は読みだけなので、盤面を思い浮かべるという感じでは……」

――えっ? ……私のような素人だと、詰将棋を解くときこそ将棋盤を思い浮かべるというか……むしろ手元に盤駒を置いていないと解けないくらいなんですけど……。

 将棋プロ世界は腹の探り合いであり、自らの能力本質である思考方法」について簡単に詳らかにすることは、本来無いことと言ってもいいかもしれません。とは言え、これまで語ったようにそれらをはっきりと述べる棋士の人々がいらっしゃるのもまた事実です。そして、このインタビューにおいて行われた藤井二冠の発言もまた、棋士思考の一環を覗くことのできる重要な機会であるように思われます

 さて、ここで述べられているのは、そもそも思考する際に「なにもない」ということです。

 全くの虚無、というわけではないにせよ、少なくとも目の前に分かりやすい形で示すことのできる思考は、存在しないということなのです。

 以下のインタビューで彼は次のように語っていますhttps://shuchi.php.co.jp/voice/detail/3394?p=1

――藤井四段は、将棋の場面を図面で考えるのか、棋譜で考えるのか、どちらのタイプですか。

 聡太 : 基本的に、符号で考えて、最後図面に直して、その局面の形勢判断をしています

 彼は基本的にはこれまで述べたように、「符号」を使って思考するのですが。しかしある種の詰将棋などにおいてはそのような符号さえ必要にしないということでした。

 このような、実際の目視確認脳内将棋盤(符号による棋譜理解)→符号による思考符号さえない思考という構図を単純なステップアップの過程として語ることはできないとは思うのですが、しかし、将棋というゲームについて思考する際に、その思考が極限まで達した人は何かしらの深淵へと、虚無への道を辿っているような、そんな感触を覚えてしまうのは僕だけなのでしょうか。


 さて、というわけで、トップ棋士たちの、良い意味での思考の異常性について語りました。現在12/6午後五時三十分ですが、僕がこの世の隅っこでこの文章を書いている間、世間の大舞台では羽生善治九段豊島将之竜王二冠のタイトル戦第五局が、行われている最中です。

2020-12-05

anond:20201204010818

eスポーツと変わらない」

Eスポーツトップ藤井二冠よりよっぽど高収入だけどなお前が知らないだけで

もっというと、これまたお前が無知なだけでチェス囲碁トップ藤井二冠のような将棋トップの約二倍の賞金を稼いでいる、批判するならそっちの方を批判すれば?

マインドスポーツじゃないけど大坂なおみ収入は40億、だけど彼女のやってるテニスがなくなっても誰も困らないそれでも40億の価値がある

能力の希少性というのがあってお前のやってることがいかに大変だろうが(藤井さんにできるかはしらないが)ほとんど誰でもできることは賃金が安くて当たり前

2020-11-21

anond:20201121011544

チェスを辿ってるなあ、向こうは機械がほんとに完璧に読み切るから人間くんがどれだけ失点しないかを横からヤジ飛ばしながら見るようになって権威なんて無くなってしまった

と本に書いてあったが自分チェスプロ試合確認したわけではない

2020-11-12

コロナからこっちやってた趣味語学数独スポーツを一切しなくなった

外出禁止をいいいことにゴロゴロダラダラ

最初の頃こそチェス読書くらいはしてたが

だんだん頭使うのがめんどくなり、増田Twitterに入り浸り

脳停死して楽なほうへ転がりおちていった

以来どうもおかし

脳みそにすがはいったように働かず、

痴呆みたいにちょっと前の記憶力がなくなってきた

これはいかんと中学数学ドリルでもやるかと思うが

それすら週末からでいいかとなっている

多分週末は机にドリル出すだけで終わるだろう

2020-11-08

ブスYouTuberとは何なのかを考えさせられる

とりあえず、このYouTuber動画を見て欲しい

https://youtu.be/dvmDxtaHSdA

この動画は突如、私のおすすめ動画に出てきた「バイチェスだいきち」というYouTuber投稿したThe first takeマネ動画なのだが、とんでもなく歌が下手なのだ

歌が下手だしブスだし何も取り柄がないYouTuberなのだ

動画も2本しか上げておらず、登録者数も10人程度しかいない。

しかし、私は何故かこのYouTuberにハマってしまった。

何故なのか理由は分からない。

だけど、私と同じような人がいないかと思い興味が湧いてこのはてブ投稿した。

ブスYouTuberとは何なのかを考えさせれた。

とりあえず見て欲しい、お願い。

2020-11-02

努力矛盾である

 努力をする、という行為そもそも矛盾であって、人間努力をしないようにできている。更に言えば、人間努力をしてはいけないという命令を脳から受けつつ生きる。

 というのは、努力をする、という行為必要な時点で、それは努力するべき価値のない物事からである。夢中は努力に勝る、という言葉があるように、本来成功する努力とは無意識的なものである。つまり、「努力しなきゃ」という客観的観点と、有意義効果的な努力は不協和なのであって、「努力しなきゃ」とか意識してる時点で、貴方はその物事に向いていないし、もっと言うと、その物事に関して努力をしたところで極めて期待値が低く、恐らくコスト努力)に比してあまりにも小さなリターンしか手に入らないか、あるいは全くリターンが手に入らないか、最悪、リターンどころか自身マイナスしかならないということなである

 脳はそのことを知っているので、そもそも客観的に見て「努力必要」と感じた時点で自分の体にブレーキを掛ける。「努力必要期待値が低くあんまりやらない方がいいこと」なのである(それが我々人類におけるこれまでの生存戦略だったのだ)。本当に向いていることは「努力しなきゃ」とか考えるまでもなく体が動くし、特に意識なく精進していけるものであって、要は才能がない人間努力無駄どころかその人間の心身を蝕むことになるという厳然たる事実を脳は知っているのである。だからこそ脳は人の体にブレーキを掛ける。「やめとけ」と。だから、人は努力ができないのが普通なのだ。

 例えば、もし原始時代において、あんまり期待値が高いわけでもない試行を繰り返す個体努力をする個体)がいたら、周りの人は彼にこう告げるであろう。「お前そんなことしてないでもっと向いてることやれよ、コミュニティを存続させるために重要なこともっとあるだろ、あるいはそういうのはもっと向いてる奴に任せとけよ。コミュニティが存続しねえとお前も生きていけないんだから、お前がやるべきことは他にもあるってことくらい分かるじゃねえか」と。はい。明らかにこのような忠告は正しいし、正鵠を射ている。そういうわけで、「努力をしない」あるいは「努力と感じられるような努力はしない」が人間生存戦略となっているのである。これは極めて合理的なことで、人間は要するに努力できないように作られているのであるし、努力という行為人間生存戦略上の矛盾なのである


 とは言え、原始時代はともかくとしても現代においては、一人の人間期待値の低い努力をしていたところでコミュニティの存続には特に関係がないので、そういう「努力」が許容されるようになっている。しかしながら、「努力」と認識し「努力しなきゃ」と思っている時点で人間生存戦略矛盾していることには代わりない。脳は、そのような努力をしている人間に対して、絶えず命令を送り続ける。「やめとけ」「向いてねえぞそれ」「多分ほかのことやった方がいいと思うぞ」などなど。

 繰り返すが、そのため人間は脳の影響によって「努力」というものができない(やりにくい)のである

 才能のあるやつにはそういうことがない。あるいは、あったとしてもごく少ない。脳は才能あるやつにこう告げる。「その調子だぞ」「向いてるぞ、それ」「その研鑽期待値高えからそのまま続けろ」などなど。というわけでこの文章は才能のあるやつには向けられていない。才能のあるやつにおいて努力努力じゃねえので生存戦略において矛盾はない。彼はそれを殆ど無意識に行い続ける。多分ドーパミンとかそういうのも結構出るので、むしろ努力をやめることができなくなる。

 とにかく「努力しなきゃ」と考える時点で貴方は凡人である。脳としては「やめとけって……」の無限打診を続けるしかない。とは言え、そういう負のスパイラルに没入しても、原始時代においてはそういう期待値の低い試行をし続ける人間は下手するとぶっ殺されちゃうんだけれど、現代においてはぶっ殺されずにそのまま負のスパイラルを続けることができる。この文章は、そんな負のスパイラルを続ける人間に向けて書かれている。


 俺は凡人である。つまり努力をしている人間である期待値の低い試行を繰り返している人間である

 というわけで基本的には努力とかせずほかの事柄リソースを割いた方が明らかにマシなんだけれど、そういう合理的判断能力はとっくの昔に欠落している。

 さて、そのような凡人にとって、基本的努力というもの期待値が低く、努力なんてことはせず別の行動をした方が絶対いいんだけれど――アンチテーゼを敢えて唱えるならば、「凡人にも最高効率努力がある」というテーゼがそれに当たる。

 凡人――最も努力費用対効果コストパフォーマンス)が低い人間にも、その人間にとって費用対効果の高い努力というもの存在する。それは事実である。「努力矛盾である」という原初的命題テーゼ)を止揚アウフヘーベン)するために、このアンチテーゼを用いる。これによってジンテーゼを生じさせる。

制限された状態から効率の最大化を求める行為矛盾ではない」。

 これがジンテーゼだ。

 努力をしなければいけない人間は、能力制限限界リミット)のある人間である。よって、そのような人間の行う努力基本的効率が良くなく、あまり価値がない。これまでその事実を俺は言い続けてきた。とは言え、全く制限のない人間というもの存在しているかと言えば、それは誤りである。例えばチェス世界における現人類最強の人間ノルウェー出身のマグヌス・カールセンであるが、彼に比べれば、全ての人間相対的チェス能力制限を受けていると言ってもいい。もっと言えば、チェスコンピューターには流石に敗北を喫するであろうカールセンにしたところで、能力には制限が設けられている。つまり人間には万民において制限が、限界が、リミット存在している。

 となれば、基本的に我々の取るべき生存戦略は次のことになる。「制限のある上でいか効率よく振る舞うかを追求する」ということである。ここにおいては、次のテーゼも成り立つ。「制限の多い状況においてある行為可能ならば、制限の少ない状況においては尚更その行為可能であるし、制限の多い状態に比べればよりコストパフォーマンスも高くなる」というテーゼである。これは、ドラゴンボールにおける悟空重力トレーニング想像してもらいたい。重力が高い状態である程度のパフォーマンスが発揮できるならば、適正な重力下においては更に多くのパフォーマンスが発揮できるであろうということだ。

 そう、この場合の「重力」という比喩は、我々における一種制限、つまり「才能の無さ」と対応している。我々は、悟空重力において制限を受けるように、常に「才能の無さ」という重力に晒されている。そこにおいて我々は、常に脳から「やめた方が良いぜ」という圧力、その行動に対する一種重力を受け続けているのである。これは、寧ろ努力する人間に限らず、ほぼ全ての人間が常に晒されている恒常圧でさえあると言えるかもしれない。

 そう、人間は、基本的に、何らかの重力に晒されている。だからこそ、その強い圧力下において、強い重力下において行動することに慣れなければならないのである。そう、つまり、我々は努力をするべきなのだ。そうすることによって、重力の低い事柄、例えば自身における「向いている」事柄において、更にパフォーマンスを発揮できる可能性が高まるである

 ここから得られる結論としては、必ずしもある努力は、その努力している対象(例えばスポーツとかチェスとかその他の競技とか)そのものに対する努力ではないということだ。それは、重力それ自体に対して慣れるという努力なのである重力をある程度克服するという努力なのである。そう、努力対象を、自身の受けている恒常圧であるところの重力へと転換させること、そのことによって我々は初めて努力意味を見出すことができるのである。あるいは、重力のものを、つまりは才能のなさそのものを克服することによって、本来才能のない向いていない出来事に対しても、これまで以上のパフォーマンス発揮することも、決して夢ではないのである


 テキストとしては以上なのだが、些か抽象的な記述になってしまったので、具体的なアドバイスを一つだけ書いて終わりにしたい。

 人は脳によって恒常圧、重力を受けている。なので上手く受け流して重力を克服するしか、我々才なき者には道はない。


簡単にできることをする

 誰もが言っていることだが、難しいトレーニングをすることは脳の負担を増大させる。脳から重力を増大させる。なので、簡単なことからしなければならない。

 例えば、「あいうえお」と記述することは誰にだってできる。文章練習をしたいのであれば、毎日必ず「あいうえお」と書くことだ。そういうことから始めよう。

 毎日あいうえお、と書いていると、殆ど人間は次のように思う。「『あいうえお簡単すぎるわ」と。「何かもっと難しそうなことできるわ」と。ここにおいて、脳の恒常圧はやや薄れることになる。

 そうなったならば、相対的に難しいけれど比較簡単なことをすればよい。例えば、「あいうえお」だけでなく、「かきくけこ」から後を書くとか。あるいは、俺が実際に行ったトレーニングは、まずここに書いてある通り五十音を書き写すといったものであった。その後、脳の恒常圧がやや薄れたのを確認して、次のステップに移ったのだけれど、それは、昔暗記したとある小説のページをひたすら書き写すというものであった。自分の好きな小説のページを、同じページを書き写すのである。とにかく、物事簡単なことから始めるのが大切だ。誰にでもできることから始めるのが、一番脳の恒常圧、重力を騙すにはうってつけなのである

 簡単なことから始めよう。しかもそれを毎日続けよう。

 そうすることでしか我々は重力を騙せない。後は、毎日最低限栄養のある飯を食べて、ちゃんと寝て、人と会話をしよう。そんくらいである。

 才なき人々は、脳を騙して、重力を克服しよう。

 すると矛盾は消える。

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