はてなキーワード: ジャイアンとは
ネットを見ていて思ったことがあります。フィクションのように思える人物設定を持ち出して、こういう人いましたよねなんて言い出す人がいました。
例えばドラえもんに出てくるジャイアンのような人や、スネ夫的立場の人、出来杉的立場の人。
それはコロコロコミックやジャンプキャラではないかと感じさせる、どこかデフォルメされたような、ステレオタイプのような人物像を「こういう人いましたよね」と言う人。
どうも納得がいきにくいのですが、本当にそのようなタイプはそんなに実在するのでしょうか。
少なくとも私が33歳(男)の現在まで生きてきて、ジャイアンのようなガキ大将も、
スネ夫的立場の人も、その他「こういう人いましたよね」というようなタイプの人は見た記憶がありません。
もっと昔ならガキ大将は普通にいたそうですけど、でもジャイアン的な特徴まで備えた人というと、やっぱりそれは漫画の設定じゃないかという気がします。
いたかなかかったかといえば、日本は広いですからどこかには同じような人は当然居たのでしょうけど、「こういう人いましたよね」と言えるほどそこらに似たような人がいたかというと疑問があります。
世の中凡人・平均的な人が多いわけで、極端に何かが飛び出ているとか、その一方で凹んでいるとかそんなタイプの人はそんなに良くいるタイプではない気がします。
エロい話ではないです。
小学1~3年の間学童保育(放課後児童クラブ)にいた。死ぬほどいやだったけどいやだいやだ言っても「共働きの家庭は普通学童保育よ」って感じで気持ちより普通であることを優先されてた。
小学校自体は楽しかった。まだ小1だし勉強楽しい、新しい友達出来るの楽しい、平和で劣等感なんて感じずのびのび生きてた。
だが放課後になると鬱。遊ぶ約束して友達の家でお菓子食べながら人生ゲームしたかったけど強制的にまだ学校にいなくてはならない。
児童クラブには1~4年生が親迎えにくるまでの間預けられていた。
4歳も離れた人間たちが教室より2回りは狭い空間に閉じ込められ、やりたくもない雑巾がけやらを強制される。
終業のチャイムは2時に鳴ったのに6時まで学校にいなくてはならない。まーストレス溜まるわな。
カーストで一番偉いのが4年、次は4年に気に入られた4年グループの1~3年。
当然、私は気に入られない1年。その他
1年女子何人くらいいたっけな 6人くらい
児童クラブのカースト、小学1から小4の間なんて大したことないだろうと思うだろうし母親もそう思っていただろうけど苦痛だった。
まず居心地が悪い。児童クラブには漫画と小説があってそれで暇つぶしして過ごすんだけどカースト上位にしか読むことが許されない漫画があった。
当時きらレボがまじっっっで読みたかった。でも読むことが許されない雰囲気
なんつーか圧?が凄くて
いろいろ言われたなぁ....ほとんど記憶から消し去ったけど。
二人はきらレボ回し読みしてたなぁ。一切貸してはくんなかったぜ・・・
別にさぁ自分で買って家で読めばいいじゃんって話なんだけど 親が買ってくれなかった家庭だったんだよね。小遣いが月1000円になったあたりで自分で買ったよ。
ケツの穴の話に入ります。
本を読んでいた小1私、なぜか3年の上位層の女(仮名:R)にトイレに呼び出される。
Rと私は特に仲いいわけでもなく、私はRのことが怖かった。(上位層の女はみんな怖かった その中でもRは3年だけど兄貴がジャイアンそっくりの重量級でRも物理的に強そうだったし雰囲気がヤマンバギャルのはしりっぽくて・・・・) 小1からしたら2.3年違うだけで身長7センチ以上差があったから児童クラブの年上大半反論してもかなわないだろうな 理不尽も仕方ないよな という気持ち 少なからず子供ながら持ってた。
で、Rにトイレに呼び出された私、同じ個室に入れられる。
そこでケツの穴を見せろと、
私が立ちバックの受けの体勢になるように言われズボンを脱がされ、Rは屈んでケツを凝視してた。
もううっすらとしか覚えてないけど、う〇この拭き具合を確認するとか言われた気がする。
BL漫画みたいなア〇ルのピンクさチェックではなかった(小学生だぞ)
ただケツの※を見られるだけではなくトイレットペーパーで私の下半身に手を伸ばして拭きだした。
ケツを拭かれた。ケツ拭きプレイ。
そのケツ拭きプレイは一回では終わらず数回続いた。
学校が終わり児童クラブで本を読んだり友達としゃべっているとこっちへ来いとよばれる。
もう児童クラブの生徒しかいなくなった小学校の廊下を手を引っ張られ少し離れたトイレへと。
そりゃもー嫌だった。ケツの穴をチェックされてうれしい人なんていない。
本当に嫌だったし変なことしてるって自覚あったから誰にも相談できなかった。
母親に「Rちゃんにトイレでケツの穴見せるようにいじめられた」なんて言って児童クラブの先生に伝わり学級会が開かれた日にはもう小学校に行けなくなる。
R「もうちょっと強く拭いた方がいいよ」 「今日トイレ何回した?」
「こうやってこうやろう?」
いじめというよりケツ拭き講座。ケツ拭き講座を立ちバック状態の和式トイレの一室でされ女同士子供同士といえど恐怖でいっぱい。でもケツ丸出し。脳内ストレスマッハ。別に私のケツ汚くなかったしちゃんと拭いてたよ まず小学校って学校で大をしてはいけない的な風潮あったし・・・
そしてケツ拭き講座は突然終わりを迎えた。
いつものようにRにトイレに連れてかれてケツ拭き講座が始まる。
スクールカースト上位層の女達がRを探しにトイレまで来たのだ。
私はRにズボンを上げられ死界になりそうなドアの裏におしこめられた。ドアが開いたら裏になって隠れるってやつね。
今でも鮮明に覚えてるくらいドキドキした。怖かった。
ばれたらどうなるんだろうとか考える余裕もなかった。私は変なことしてないじゃんて話なんだけど被害者というより共犯者の心境だったんだと思う。
Rは私を置いて迎えに来た女たちに適当?に説明したのかそこまで掘られなかった。
なにしてたんだよとか責められた記憶あるけどケツの穴チェックはバレなかった気がする。
Rが迎えに来た女たちにバレ、私を置いて女たちに混ざってトイレを去ってから、ケツの穴チェックは無くなったのである。
Rも秘め事の意識があったのだろうかこのことはなかったことの様にされた。
元から話す仲ではなかったので自分からケツチェックなんだったの?なんて怖くて聞けないしRも話しかけてこなかった。
私とRは目があっても話さない元どうりのスクールカースト上位とその他の仲に戻った。
そのあと小学校中学校地元が一緒なのでマックで見かけたり運動会でRの存在は確認していてもいっっっさい話してない。
Rから話しかけてくることも、私から話しかけることもなかった。
Rが誰に話したかは知らないけど、私は誰にもしゃべらなかったよ 何度もネタにしようかと思ったけど言葉が出なくてムリだった。
いつの間にかケツの穴チェックのことは私とR二人だけのヒ・ミ・ツってやつになってた(きたねえヒミツだな)
Rさん元気にしてるかな?今もう大学生?社会人になってる歳なんだよなぁ 時の流れってはやい
誰にも話せなかったからここに書いて忘れます。はじめてこんな長文書いた。小学生の時の嫌な思い出なんてさっさと忘れたい。
追記:ちょっと文直した。女が〜って事を言いたかったわけではない。漫画は低カースト男女関係なく読めなかったよ。児童クラブにあったカーストに男女差はないです。
いつもそういうこと言い出して道具を置いて行かせるのはジャイアン
まずパーマン1号の本名がわからん。2号のサルの名前はブービーだとよく覚えているのに1号はわからん。3号は女の子、アイドルの星野スミレだ。それも覚えてる。ドラえもんの漫画にゲストとして出たこともあった。4号は関西人。名前は全く覚えていない。ボス的なのがいて名前はバードマン、昔はスーパーマンだったそうだけど大人の事情でバードマンになった。そんな話は覚えている。
ジャイアンやスネ夫的な奴もいたと思う。名前は少しヒントをもらったら一発なんだけど今はちょっとわからない。キテレツ大百科のキャラクターはブタゴリラやトンガリだとすぐにわかるのにな。女の子もいたのは間違いないんだが、ヒロインはどう考えても3号だから印象に全く残らない。だから名前もわからない。
あるいは、もうずいぶんテレビアニメになっていないのが響いているのか。ここまでだらだら書いても、まだ1号の名前がわからない。
優秀な人間は劣った人間に命令する権限があるのかというと、これは自動的に発生するものではなく、何かしらマウントをしなければならない。
たとえば出来杉君がのび太に命令できるのかというと、それは出来ないわけである。
ハイスペックな人間であっても、マウントしてない相手に命令は出来ない。
出来杉君は完璧超人の記号ということだろうが、そこまで極めなくていいなら、意外とこういうタイプの人間はいるものである。
ハイスペックな人間がロースペックな人間に命令するというのは、意外とないのである。
だから、ジャイアンとのび太の関係を性能差と考えると、人間観として誤りということになる。
優秀な人間に従うということであれば、真っ先に出来杉君に隷従しなければならないので、必ずしもスペックだけの話ではない。
あるいは、出来杉君がたとえば財務官僚になって他の省庁に嫌がらせをするとしても、マウントできる対象は限られている。
やはりハイスペックとロースペックという話ではなく、マウントできる関係性ということである。
マウントするからには何らかの力が必要なので、子どもなら腕力とか大人なら頭脳とか、スペックの格差という背景もあるが、財務官僚なら誰にでも命令できるというわけではない。
ではマウントとはなんぞやというと、とりあえず無理難題をふっかけて、それが通用するということであろうし、つまり無理難題あってこそだから、性能差そのままではないのである。
わかるかジジババ、長い人生よーく思い出してみろ
弱いものいじめしたことない奴なんておらんやろうし、増してワイらより長く生きてるんやからやってるやろ
ちゃうって思う人もおるやろうけど、違わんで
ドラえもん分かるか?
お前はスネ夫や
これがなぜかっちゅうと、強さがジャイアン、スネ夫、のび太の順に差があるからや
(不等号使ったら文字化けしたから分かりにくい表現になった、堪忍や)
スネ夫はジャイアンに喧嘩売ってもボコられんねんからアホらしいやろ
力関係に不等号がつくと、戦いが起こるんや
何が言いたいかっちゅうと、ジジババの中にある「自衛隊いらない」って考えは、日本がのび太になることやから危ない、ってことなんやな
この憲法上宙ぶらりんの自衛隊を、憲法に明記して、のび太状態から脱せなアカンのや
さて、これをいうとジジババの中には「戦争始まる!」って奴がおる
でもな、周りの国がみんなジャイアンやのにのび太になったら戦争始まるで?
よそには9条なんかないんやで!
ただし、自衛隊を持つ上で注意せにゃならんことがある
それはどんどん武力行使の範囲が広がって、事実上の軍隊になることや
これはジジババも気にしてることやな
日本は強くなきゃアカンけど、決してジャイアンになったらアカンのや
だから、改憲は必要十分で留めなアカン、戦争知ってるジジババの力の見せ所やからここで頑張って欲しいで
ただし、一回変えたらまた変えられるから変えないって意見はアホや
9条の「戦争はいけない」って言うのは、人類共通の素晴らしい考えや
のび太の例で言ったように、パワーバランスの乱れが戦争を生みやすくするんや
横からだけど。あそこに至るまでに全人類の希望をナウシカ一人に責負わせちまったからなぁ。
命をもてあそぶのをやめろって言ってもやめないし、争いをやめろって言ってもやめない。なんでこんなことになったのかというと墓のヤバイ技術が漏れ出してるからで、そんな墓何のためにあるのよと思ったら「現人類はバカだからリセットして、争わない綺麗な新人類を作るんだ」だもん。ざっけんなよって言いたくなるわ。
(整理。旧人類:巨神兵や王蟲を作り、火の七日間を起こした世代。現人類:ナウシカの世代(浄化までの捨て駒)。新人類:世界浄化後、卵から生まれる予定の綺麗なジャイアン)
まああんたの言う通り、王蟲も巨神兵も人工物だけど当初の予定以上の知能を持つようになったんだから、頭空っぽの新人類だって年月を経ればまともな感情を持つかもしらんよ(オーマは裁定者として元からスーパーAIだったろうし、王蟲と墓の血液が同じだと分かったのは墓の崩壊後だけどな)。
綺麗な新人類はすぐに邪悪な現人類に攻撃されて滅ぼされそうだけど、それをナウシカが守ってやればいいじゃんってのもまた一理ある。ただな、最終話の時点で人々はもうどうにもこうにも限界が来てた。旧人類が絶望の末に綺麗なジャイアンや音楽くらいしか残す価値を見出せなかったように、人間は絶望すると余裕のある判断はできなくなる。
なにより前提として、そこに至るまでにすでに現人類はナウシカに全部を託したんだよ。そうしないと現人類絶滅が避けられそうになかった。ナウシカによってどうにか破滅の一歩手前で止まってたわけ。ヴ王とかに任せてたら巨神兵使って再度核戦争まっしぐら。
で、託してしまった以上「文句を言うのが遅い」と思うね。本当に綺麗な新人類を助けたいなら、それまでに現人類がナウシカを助ける必要があった。現人類同士での争いをやめて、新人類を受け入れるくらいの余裕がありますよと言えればよかったのに…できなかった。クッソ重い責任をたった一人に背負わせて「最終判断間違ってるぞ!」って責めるのは酷だろう。
ナウシカは一人の人物ではあるけど、結局はそこに至るまでの過程を現人類が選択したんだよ。あなたならその時破滅を止めるために何か協力できただろうか?
絶望した旧人類の選択を、これまた絶望した現人類が書き換える。傲慢だ。ただそれはちゃんと漫画にも描写されてて、旧人類にはああするしかなかったと書かれてるし、ナウシカ(というよりは現人類)が傲慢だってのはまあそうだ。その傲慢さを持つのが人間だと。
『巨神兵を使い捨てにした』と言うが、技術が未完成で育つ見込みは薄かった。そしてナウシカが指示したわけではなく巨神兵(オーマ)自身の判断もある。あの時点で裁定者として動き始めてたからな。前線でドンパチやってる「墓所」を前にして「責任者を出せ」と言ったら墓所が問答無用で発砲してきたのが発端。最後はナウシカもオーマ本人も、助かる見込みはないということが分かっていて、ナウシカの最後のお願いを聞いてオーマは発砲し死んだ。ナウシカ自身もオーマに自身を母親のように認識させておきながら同時に「オーマの死を望んでいる」。物としては危なすぎるからな。その傲慢さは本人も自覚している。
結果として、墓の崩壊とヴ王の死去により今後はクシャナ殿下が国を統治することになり、人類は少しは軌道修正できるだろう。
最後にユパが身を挺してトルメキアとドルクの報復合戦を止めたことも大きい。そのユパの存在はナウシカの存在によるものが大きく、ナウシカなくしてはユパもまだ腐海の探検を続けてただろうし、ここまで身を挺さなかっただろう。
ナウシカが巨神兵を物扱いせず名前(オーマ)を授けたことで、巨神兵の知識が急速に進み「昔の人は巨神兵をただの兵器としてではなく裁定者として作ったのかも」ということが分かった。
旧人類は自らに絶望し、すべて新人類に託すことにした。一方の現人類は、旧人類同様リセット寸前だし、浄化後の世界に耐えられないかもしれない、だがそれでも「我々は血を吐きながら、繰り返し繰り返し、その朝を越えて飛ぶ」という選択ができた。
俺としては「ナウシカは称えられこそすれ、責められるべきではない」「ナウシカに全責任を負わす前に、人類が自分たちで踏みとどまる必要があった」だな。
コトノハ〇×(http://kotonoha.cc/)とは、数年前までは人気があったSNSサイトである。
mixiで一時期流行した「人生の経験値」を元ネタとし、トピックに対して〇×で評価するという独自のスタイルが特徴である。
トピックは「コト」と呼ばれ、ユーザー自身が投稿することも可能である。
しかしながら、少し前にそれを乱すユーザーが登場した。
ここでは、筆者が分かる限りのそのユーザーについてのいきさつを書いていく。
「鉄道ファンは俺の敵」、「〇〇(鉄道ファンのユーザー)は嘘つき」などと言った鉄道ファンを目の敵にするような投稿が増える。
上記の投稿を行うユーザーが、アイコンなどから鉄道ファンだとわかるユーザーの投稿のコメント欄を荒らすようになる。
駅名コトが同一ユーザー、並びにその同一ユーザーの副垢と思われるアカウントから大量に投稿されるようになる。
それに対して、「鬱陶しい」などの苦情を言うユーザーが多くなり、駅名コトの連投に辟易してコトノハから去っていくユーザーも増える。
他のユーザーが上記の連投行為に対して否定的だったことから、上記の副垢を大量に作成して連投を行ってきたユーザーが運営を騙るようになる。
「俺が運営だからみんな従え!」、「コトノハのルールは改革された!これから連投やエ〇投稿は自由だ!」などと言うようになる。
本当の運営者であるオオヒダタカシ氏が不在なことを利用し、運営気取りが始まる。
要約すれば、「リアルジャイアン」の登場。
今度は、「俺に同調しない奴はみんな敵!」、「ルール違反者なのだから何やっても良いだろ?」ということで、同調しないユーザーに嫌がらせを行うようになる。
特に、同調しないユーザーのアイコンに誹謗中傷の落書きを加えたアイコンで副垢を作成し、連投や暴言などのやりたい放題の行為を行うようになる。
上記のユーザーは、ユーザーの誹謗中傷や一部ユーザーの投稿晒し、自己正当化コトを行うようになる。
自己正当化コトとは、「自分の行為は全て正しい!」、「自分は人から嫌がらせされるのは嫌いだけど、人に嫌がらせするのは好きだ!」などの自己中そのものである。
ここまでくれば、なりすましなどの嫌がらせが嫌になってアイコンやアカウント名を変更するユーザーが増えてくる。
最初は複垢連投厨に反抗していても、変化なしでコトノハを辞めていくユーザーも出てくる。
殺害予告などの脅迫や、人権侵害等の違法行為を含めた個人攻撃も行われているため、警察や弁護士、IHC等への相談・通報を行うユーザーも登場する。
2018.07.19【New】
最近、コトノハには出戻り、若しくは全くの新規のユーザーで、純粋な心でコトノハに参加しており、複垢連投オヤジの実態を知らないと思われるユーザーが時々見られている。
このユーザーの何人かは大量連投されたコトに異常性を感じ、連投コトへの批判コメント、若しくは連投は可笑しいというようなコトを投稿することもある。(例:◯◯町長とか◯◯市長って削除しないんですか?)
勿論、批判した新規、出戻りユーザーに対しても、複垢連投オヤジの目に留まればアイコンに落書きした副垢作成やユーザー名名指しコトなど、以前からの例外に漏れず複垢連投オヤジは攻撃するようになる。
複垢連投オヤジは「コトノハオールスターズのおかげで新参や出戻りが増えた」と豪語していたが、実際に増えたのは複垢連投オヤジの副垢だけで、本当の出戻りや新参は今のコトノハを異常に感じ、複垢連投オヤジの行為を快諾する者は皆無なのであった。
2018.08.30【New】
複垢連投オヤジに対抗するため、複垢連投オヤジを叩くためのアカウント(叩き垢)が登場するようになる。その叩き垢は、今までコトノハに投稿せずROMっていた(閲覧専門だった)ユーザー、今まで通常のアカウントでコトノハに参加していたユーザーなど、コトノハに関して様々な境遇のユーザーが作成、操作しているものと思われる。複垢連投オヤジに対する批判や苦情は、メインアカウントで投稿しても意味は無いし、投稿しても上記のように複垢連投オヤジから攻撃を受けるだけであるため。
複垢連投オヤジはこのような叩き垢のことを便乗荒らし等と呼んでいるが、そもそも複垢連投オヤジが大量の複垢による大量連投やユーザー罵倒等をしなければこのようなアカウントは最初から存在することはないのである。
複垢連投厨は、様々な別称(蔑称)で呼ばれている。
主に5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)のコトノハスレとその界隈では「漫湖」。
コトノハ内では、「(複垢)連投オヤジ」、「(複垢)連投厨」、「(複垢)連投魔」、「(複垢)連投バカ」などが主流である。
※複垢は、複数のアカウントを所持・利用していること、副垢はメインアカウントに対するサブアカウントのことであるが、両方用いられることがある。
また、複垢連投厨は基本的に自分のことを「コトノハオールスターズ」と名乗っている。
これの略称として一度だけKAS(Kotonoha All Stars)と名乗ったことがあったが、KAS(カス)と読めてしまうため、「カスか、名は体を表すだな」というようなコメントを受けて一切KASという略称を使用しなくなった。
それ以降、稀ではあるが複垢連投厨が「コトノハオールスターズ」と名乗って投稿やコメントしているコトに対して蔑称として「KAS」が使われていることがある。
という流れである。
今、仮想通貨が話題である。この仮想通貨が将来現実通貨に取って代わるようになる時点を金融的シンギュラリティと名付け、その可能性について語りたい。
もともと通貨は金を中心とした貴金属で成り立っていた。金そのものに価値があるので、それと物品を交換していたのだ。しかし、ある時点から金そのものをやりとりするよりも金と交換できる券をやりとりする方が便利だという発明がされる。それが金本位制に基づく通貨の始まりだ。この時点でのは通貨は仮想金と呼ぶことができるだろう。
そしてそのうち、別に金本位制ではなくても通貨に信用があれば問題がない、ということに気がつく。この時点で、今まで仮想金であった通貨が仮想ではない財産となったのだ。
さて、その通貨の信用であるが、これは何によってなされているのだろう?それは、国が通貨を発行し、これが様々な物品やサービスなどと交換できる価値のあるものだ、と宣言し、国民もまたそれを信じることで通貨の信用は担保され、通貨は財産たり得るのだ。
では、現在国家によって保証されている通貨の信用であるが、根本としては信用があればいいのであって、それを国家の保証ではなく、人々の信頼のみによって保証することはできないか?それが仮想通貨の発想の原点だ。
だから仮想通貨は人々が信頼できる仕組みというものを内包している。それがブロックチェーンによる取引記録の透明性だ。
通貨というのは所有者がいる。ある所有者からどの所有者に通貨が渡ったかということを記録する取引履歴が明快ならば、物理的な通貨が目に見える形で存在しなくても、ある所有者が持っている通貨がいくらなのかということがわかる。現実通貨が、取引履歴が不明瞭でも物理的に所有している者が明確ならばいいということとは対象的だ。仮想通貨は物理的に存在しないために、所有者を表すには取引履歴がどうしても必要なのだ。この点で、取引履歴というものが仮想通貨の命綱だということがわかるだろう。
そしてその命綱である取引履歴、これは当然個々人が勝手に主張することができない仕組みになっている。正確には、個々人による取引履歴の主張はできるが、それが第三者によって承認されないと正規の取引履歴として記録されない。ジャイアンがのび太から仮想通貨をもらったからのび太の仮想通貨は俺のものだ、と主張したところで、それを周りの人々が承認しないとその仮想通貨がのび太の手元からジャイアンに移ったという事実、取引履歴は記録されない。なので、ジャイアンが仮想通貨を持っているというようには見なされないのだ。
みなさんは、みんなが取引履歴を監視することで保証される取引履歴、つまり所有者を表す記録を信用することができるだろうか?仮想通貨そのものを信じられるだろうか?
もしできるのならば、次のステップに進もう。とはいえ、だいぶ話は飛躍する。
仮想通貨が人々に信頼され、実際の通貨と変わらないかそれ以上の利便性を持った使い勝手を獲得していったらどうなるだろう?具体的には、商取引に仮想通貨が直接使えるのが当たり前になるなど。
そのとき、現実通貨の価値は仮想通貨と比べて下がっていくと考えられる。
そして現実通貨の価値がゼロになり、仮想通貨が完全に現実通貨に取って代わる時点がやがて現れるかもしれない。
では、金融的シンギュラリティに到達した時点で何が起こるのか?
まず、既存の政府による金融コントロールが全く不可能になるだろう。それどころか、国というものがなくなってしまうかもしれない。
なぜなら、現行の通貨は国による保証によってその価値を担保されているが、その価値がゼロになるということは国に対する信頼もゼロになるということだからだ。加えて、仮想通貨には国境もない。そのため、国が仮想通貨による税収を始めてなんとか存続する、というシナリオも期待薄だろう。
そんな世界になってしまったら、所得の再分配もほとんど行われなくなるだろうから、近代国家が出来上がる以前のレベルにまで貧富の差が拡大するだろう。もしかしたらそれよりも酷いかもしれない。
個人的には、金融的シンギュラリティが訪れた後の世界はアナーキズムに支配されたディストピアになるようにしか思えない。
しかし、仮想通貨はすでに社会に現れてしまった。それをなくすことはもうできないだろう。
同時に、現実通貨が仮想通貨に対抗して価値を維持し続ける世界というのも個人的には想像しづらい。いつになるかはわからないが、金融的シンギュラリティはやがて訪れると思われる。そしてそれは、人類史を大きく書き換えることだろう。
の「ドラえもおおぉぉん!学校に忘れ物しちゃったよおおぉぉ!どこでもドア出してよおお!」
ド「まあったくうぅ、きみってやつはああぁぁ」
テテテテッテテーー
こんな感じで、ドアをくぐり抜けるだけで目的地に行ける便利なひみつ道具「どこでもドア」。
ドラえもんの道具の中で知名度・実用性と共に上位にいるであろうこの道具。
この後の展開としてお約束なのが、のび太くんが学校に行こうとしてドアを開けるのだが、しずかちゃんの風呂場に行ってしまうというものだ。
しかし、この時のび太くんは本当にしずかちゃんの風呂場に行こうと思っていたのだろうか。
おそらくのび太くんは、本当に学校に忘れ物を取りに行こうとしていたのだろうと思う。
それでもしずかちゃんの風呂場に行ってしまうということは、頭の中のもっと奥深く、深層心理でしずかちゃんの風呂を覗きたいという気持ちがどこでもドアの行き先を決めているのだろうと予測できる。
……ていうかこれ、欠陥品じゃないか?
僕がもしどこでもドアをもらったとしても、この仕様では確実に会社に行くために使用することはできないだろう。
だって僕が深層心理で会社に行きたいと思っているとは到底考えにくいから。
あれは、どこでもドアのドアノブ上部辺りに地図を表示して、指定した場所に行けるように設計したほうが良かったんじゃないだろうか。
きっと、どこでもドアを作るときに脳波を読み取る機械が流行ったのだろう。
そしてこんなやり取りがあったに違いない。
後輩「ついに完成しましたね!」
先輩「あぁ、ここまでよく頑張ったよな。ついに俺達の努力が報われる時がきたんだ!」
後輩「でも凄いですよね。指定した場所に瞬時に行けてしまうシステムなんて」
先輩「あぁ。こいつは売れるぞ。早速上司に報告しよう。」
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課長「しかしなぁ、いまさら行き先をタッチで指定するってどうよ。今は消費者へのインパクトが大事な時代なんだから。ほら、◯◯商事の新商品見た?頭にプロペラ乗っけて空を自由に飛べるんだよ」
先輩「あぁ、タケコプターですか。確かにあれは画期的だとは思います」
課長「だろう?それ以上のインパクトを生むためには、タッチで指定する程度じゃだめだよ。そうだ!今流行りの脳波を使用してみてはどうだろう。行きたいところを脳波を読み取って自動認識する。これは我ながらナイスアイデアだぞ!」
先輩「しかし課長、それでは間違った箇所に繋げてしまうリスクがあります」
課長「そんなことは君達エンジニアの技術でなんとかしたまえ。それと、今度の記者会見で発表する予定だから、それまでには間に合わせてくれよ」
課長「いいかね、君も知っているとは思うが、このプロジェクトは我が社の命運がかかってるんだ。君がしなければいけないことはわかるよね?」
先輩「……はい」
かくして、どこでもドアは脳波で行き先を自動認識するような仕様になり、それによってのび太くんは被害を受けている。
これを書いていてふと思ったが、これだけ毎回しずかちゃんの裸を見ていても、しずかちゃん以外の風呂場に行かないのび太くんって実は凄いんじゃないか。
この仕様で行くと、たまには同じクラスの別の女の子の風呂場に行ってしまう日があってもおかしくはないと思う。
ジャイ子の風呂場に行ったらジャイアンが入っていて「いやぁーん、のび太のえっちぃ(はぁと)」という展開があってもおかしくないはずだ。
のび太くんの年齢が上がって本格的に犯罪者になってしまう前に、どこでもドアの製造会社には、行き先を明示的に指定できるよう改良をしてほしい。