はてなキーワード: 震災とは
20年ぐらい前にテレビで一般的に語られていた、日本人の日本の政治社会に対する認識一覧。
(1)物価が高すぎる(ゆえに消費が停滞している)。
(2)賃金が高すぎる(ゆえに企業の経済活動を圧迫している)。
(4)公務員が多すぎる(ゆえに財政赤字の深刻化を招いている)
(5)公共事業費が多すぎる(同上)。
こうした認識に基づいて「改革」をやり続けた結果、これが全部ひっくり返った、あるいは真っ赤な嘘だったことが判明。
(4)もともと公務員は先進諸国で最も少なく、人手不足が深刻化。。
水産業はなんとかしないと生けないにしても、沿岸部の更地再開発は、今後も同様の災害が起きるかもと思えば、どうかなあ、と。
あの震災で地下のプレートの噛み合わせがおかしくなってしまったんよ。以前は太平洋側のプレートの上に端を軽く巻き込まれる形で陸側のプレートが載ってたんだけど、今は巻き込み部分が外れて平たく載ってるんだって。だから大きな地震が起きると陸側のプレートが太平洋の方に滑っていってしまい、大きな横揺れが起きるんだよ。そのためにちょくちょく大きな余震が起きてるんで、沿岸部にまた家を建てるとかは、仮に津波の心配がなくとも止めとこうかなってなるんでないの。
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今年で数え年の25歳になった。
留年した挙句拾ってくれた会社である。受験期の高校生より馬鹿な私立文系のカスを何人も採用してくれる懐の深いIT系の会社だ。
それでどうやって生きてきたのかなという程処理能力が遅いカス、寿司打で一生ミスタイプのSEを響かせてそうな程タイピングはやばいカス。そんなカス達を2ヶ月程で鍛えたのち「バックアップ体制はちゃんとある」と言い、カス達にとっての未開の地(常駐)に放つ大胆さもある。安心する言葉ではある。現に自分には入社3年目のとても頼もしい先輩がついてくれることになった。「余裕余裕!」と嘘みたいに狭い喫煙所でワイワイ笑った。
おすすめの店があるんだよと言われ連れてかれた店が『安安』だったときはどう反応すれば良いか理解らなく、少し抜けたところもあるのかなと笑えた。基本的には面白く優しく仕事も出来る人だった。趣味も合った。麻雀、競馬、野球。タバコ休憩中は常に話が盛り上がった。男はギャンブルとサッカーか野球を知っていればどこでもやっていけるのだと思った。
ある日、とても頼もしい先輩が消えた。LINEはUnknownだった。どうやら退職代行を利用したらしく、本気で使う人いるんだと最後にちょっと笑っちゃった。
バックアップ体制というものは一度なくなったら整えるのは一筋縄ではいかないらしく、自分一人で全てを処理する必要があり残業につぐ残業だった。「まあ辛くなれば普通に逃げればいいしな…」と当たり前のことを常日頃考えていたし、今までの人生でもそういう辛いことあれば逃げてきた人間だったのに、そのときは何故か踏ん切りがつかず結局寝→労働→寝→労働の日々が数ヶ月続いた。
気取って立ちながら仕事できるスタンディングデスクというものが未開の地にはあったので、気取りながら仕事していたところ、急に目眩がしてきた。「ヤニクラかな?」と思いつつまあなんとか耐えていたのだが、あまり今まで自分が感じたことのない苦しさになり、トイレに駆け込んだところ酔ってもないのに初めて吐いた。なんかやばいなという焦燥感よりも「やっとこれで理由ができた」という安堵感の方が強かったのを覚えている。
翌日は日曜日で休みだったので初めて精神科に行った。理由付けを貰うのには一番ぴったりな場所だと思ったからだ。
その日の自分は素晴らしい役者だったので、演技とは思えないくらい自然に泣くことが出来た。先生と話をした後に、理由付書を4,000円で書いてもらいお薬ももらった。もう解放された気分だったので、書いてもらったあとは串カツ田中で独りで美味しい物を食べた。お薬は今も飲んでいる。
今の時代ネットで簡単に異性と知り合うことが出来る。自分はルックスもいまいちだし、高校時代クラスの女子が家庭科の授業中ワイワイ話し合ってた『クラスの中で一番付き合いたくない男子ランキング』で見事ワースト2位だった。
大学時代、初めて出来た彼女に対し「自分は顔が良くないから」とネガティブな発言をしたら「そんなことないよ!」と返され、その優しい一言が、今の自分がまだ恋愛に対して一歩踏み出せる勇気をくれていたのだと思う。
その彼女は別れた後、ゼミ内で自分の容姿を貶してきた男と付き合っていたが。
新しい彼女はとても気の良い子で、料理が得意で、オシャレで可愛い女の子だったと思う。多少ぶりっ子の感じはあったので、男にウケ、女には…なタイプだ。そして巨乳だった。好きになれば関係ないよなんて言うが、自分的にはあればあるだけプラスになるし、虜にもなる。
彼女とは色んなところに行った。転職して土日は不自由なく動けるようになったし、彼女とも予定は合った。自分は地方出身で彼女は横浜出身だった。あちらのほうが都内の地理には明るく、新しい発見を色々させてもらった。
ある日、原宿に行った。原宿駅のすぐ近くには明治神宮がある。自分は明治神宮が好きだった。あんな都会に緑がいっぱいで、歩いていてとても落ち着くところだった。テンションが上がり、じゃあ行こうかとなったところで彼女の顔色はそんなに明るくなかった。「ちょっと疲れてるからカフェでも入ろうか」と言われたのでそうした。素直に従ったが休憩後にも明治神宮には行けなかった。
それから日が空くが、デートをする約束の日に、自分は直前の予定が押してしまい遅刻してしまった。謝ったが、彼女はまったく怒らず「大丈夫だよ」「偶然街で昔の友達と会ったからお茶してていい?」と優しく返事をしてくれた。もちろんダメと言えないし、1時間程遅れてしまうのでむしろ偶然の友達に感謝をした。
駅に着きLINEをすると、まだお茶をしているみたいで一旦彼女と友達がいるカフェまで来て合流しようかという話になった。知らない人なのになという思いは多少あったが、非はこちらにあるので素直に向かった。
2人がいるカフェに入り合流をした。席に着いて2,30分くらいは普通の話をした。まだ付き合って日が浅いけど結構色んな所へ行きましたよとか、彼女の作るミートスパゲティはとても美味しいんですよとか。
そんな話をしていたが、2人が「トイレ行ってくるね」と同時に席を立った。そろそろ良い時間にもなるしここで解散かなと思っていた。
2人は戻ってくるとさっきまでと雰囲気が違っていた。
「大事な話があるんだけど聞いてくれるかな」と彼女が真面目な顔で言った。なんで初対面の人がいるこの状況なんだよと思ったし、戻ってきて顔見た時点で嫌な予感は凄くしていたけど、何故か格好つけて良いよと答えた。
「本当に信じてるものがあって、君にも理解ってもらいたいんだ」と言われた。
頭の中で最悪の選択肢が2つあったけど、難しい方だったみたいだった。マルチ商法であれば真っ向から否定できた。でも言われたことは恐らく宗教のことで、それをマルチ商法と同じように否定するのは憚った。ある意味その人の全てだろうし、真っ白になってしまった。
彼女が言った細かい話はもうあまり覚えていない。自分は「ここでこの話をするのはもうやめたいんだけど」としか言えてなかったと思う。その度に「大事な話だから」と同じ内容を繰り返された。
話は入ってこないし、平行線のままでいたが、「震災でも信じてた人は助かったの」と言われたのはずっと覚えている。
それは自分にとってとても人を馬鹿にした発言に思えた。「それ以上この話を続けるならもう出ていくね」と言っても、あっちはまだ続けようとするので5,000円をテーブルに置き、そのまま店を出た。追っては来なかった。
駅まで歩いて、最寄り駅に着いて、家までまた歩いてるときにちょっと泣いた。家に着いた時点で彼女からは何も連絡はなかった。
今までのことは全部嘘なのかなとか、セックスだって普通にしたんだけどなとか、あっちも勇気出して話した結果こうなってどうなんだろうとか、色々思うところはあったけど、考えれば考えるほど自分がキモくなってその日は終わった。何故か物凄く眠れた。
次の日に「考えは否定しないけど理解は出来ないし、今までみたいには行かないから別れよう」とLINEを送った。彼女は「納得いかない」と言っていたが、修復なんて考えられなかったので、ひたすらゴメンなさいと返し続けた。
別れることに合意はしてくれたのだが、定期的に連絡が来て怖かったので最終的にブロックした。
「久しぶりにご飯でも食べない?」
結構ウキウキで準備をしていたと思う。当時は自分がガキすぎて不細工に見合わない言動をしてしまったせいでヒビが入り別れてしまった。それ故にあちらからまた連絡をしてきてくれたのがとても嬉しかった。
ちょうどあちらの誕生日も近かったので、好きだったハンドクリームをプレゼントとして買うくらいには浮かれていた。
店は焼肉屋で、酒類提供禁止も明けていたのでお互いビールを飲み良い気分になっていた。元カノはどちらかといえば少し気が強く、思考が男寄りなのもあって、話をしていてとても楽しく感じた。あのときはくだらないことで拗ねてゴメンねとか気軽に言えたりもした。
3,4杯飲んで、じゃあ次の店でも行こうかとなった時に、「ウチに来ない?」と言われた。正直急だったし驚いたが、お酒も入っていたので断る理由はなかった。3年ぶりに手を繋いで心臓がバクバク言ってたのを覚えている。
次の日が仕事だったしもちろん着替えもなかったが、そんなことも気にならないくらい良い夜だった。
馬鹿なもので一度ヤれば「復縁かな?」と考えにもなったし、翌日の仕事中はこれからのことで頭がいっぱいだった。
また、次の日が祝日だったので「会えるかな?」とLINEを送った。
返ってきたのは「やっぱりごめん。昨日のことはなし。」という返事だった。立場が逆ならそこらへんにある話だと思うが、その文面を見た瞬間こういうパターンもあるのねと落胆した。
自分本位で上手くいくことを想像すると得てしてそうはならないと今までの経験で十分理解しているはずなのに。
打ちのめされた気分になったので、「わかった」とだけ返信をし、その日は久しぶりに独り酒をした。
2022年は最高の年にしたい。
なので。
裏庭のひさしの塗りむら、塗り残し
それをですね、一昨日夕方に
何度も塗らなきゃいけない部分は
掃除がしにくいので
溝みたいなのを床用のモルタル?で埋めたんだけど
その上にシーラーして塗り直しをしたところが
はがれてるので何か原因あるんだろうなーと。
裏庭のひさしは、
脚立をおいて、
ひさしを塗りました。
塗り直しというか、むらになってたのを
やっとです。
震災後に直してもらった箇所もあるけど
当時は来てもらえただけでも御の字というか
とにかく今あるきになるクラックを
ペンキが足りなくなったり
コーキングが足りなくなったりして
注文のバランスとかあったので
やっと塗れました。
CHRISTMASに間に合うかなぁ
そんな感じです。
やっと夕飯食べて
神奈川の叔父から電話かかってきて、お元気そうなお声をきけたし
充実した一日でした。
二郎の女への憧れって前半ではお絹で表されているんだよな
大学にお礼の荷物届けるときのエピソードで幻影みるときとかの表現でわかる
でも避暑地で成長した菜穂子に再開したあと、それとなく菜穂子はお絹が結婚して子供もいることを告げる
二郎に女っけはないことをわかって外堀を埋めてるっていうシーンなんだよな
というのは結核にかかっていてもう死ぬという女にとって普通は結婚なんて望むべくもないわけだ
当時のお嬢様なのにかなり成長していて未婚だしな
そんなときに二郎というエリートをまんまと仕留めるための最短の行動を菜穂子はとってるわけだ
もちろん二郎の方だってそういうことはわかってて、お互いに残り少ない時間を懸命に生きるということを2人は選択するという物語なわけだ
つまり菜穂子は結核の病状から逃れられない死のなかで夫婦の幸せというものを手に入れようとするわけだし、
二郎には狂っていきまもなく破裂する日本で美しい飛行機をつくるという夢を叶えることに急ぐわけだ
この二つが焦燥感を携えたふたりの暮らしとして後半のドラマに描かれている
そうしてみれば自分の欲しいものを的確に獲得し達成まで持っていくという菜穂子は決して弱くて待ち続ける存在としては描かれていないのだ
ポリコレ的な批判では十分に適切な読解があって初めてその効力が出るものだと思うのだが、いかんせん雰囲気で批判するための手軽なハンマーになってしまったのが誰にとっても損な話だ
あの辺りから個人開発のアプリがちょこちょこ流行ってPCと同じ事が出来るんだなーという認識。
ガッツリ遊べるアプリが流行りだしたあたりからPCよりも便利で時間を潰せる物という認識に変わっていったように思う。
で、本題だがキャリアのせいなのは間違いないがiPhoneの侵攻速度があまりに早すぎたのもあるので致し方ないという半ば同情の目で見れる部分もある。
docomoもi-modeによる独占状態を長らく維持してきたのに突如黒船の如く現れたスマートフォンにすべて持っていかれて焦っていたように感じた。
まるでandroidだけが我々に残された領地と言わんばかりに独自仕様を詰め込んだ顛末が今に至るのかなと。
こればかりは収益の柱だったi-modeをビジネスモデルをいきなり捨てろ!と言われても無理だったろうなというのは分からんでもないのよね。
流石にSHARPから出たGARAPAGOSを見た時は失笑しかなかったが。
強いて言えば2011年の震災の時ぐらいじゃないかなAndroidが輝いたの。
今思い出してもそれぐらいだったな。