二郎の女への憧れって前半ではお絹で表されているんだよな
大学にお礼の荷物届けるときのエピソードで幻影みるときとかの表現でわかる
でも避暑地で成長した菜穂子に再開したあと、それとなく菜穂子はお絹が結婚して子供もいることを告げる
二郎に女っけはないことをわかって外堀を埋めてるっていうシーンなんだよな
というのは結核にかかっていてもう死ぬという女にとって普通は結婚なんて望むべくもないわけだ
当時のお嬢様なのにかなり成長していて未婚だしな
そんなときに二郎というエリートをまんまと仕留めるための最短の行動を菜穂子はとってるわけだ
もちろん二郎の方だってそういうことはわかってて、お互いに残り少ない時間を懸命に生きるということを2人は選択するという物語なわけだ
つまり菜穂子は結核の病状から逃れられない死のなかで夫婦の幸せというものを手に入れようとするわけだし、
二郎には狂っていきまもなく破裂する日本で美しい飛行機をつくるという夢を叶えることに急ぐわけだ
この二つが焦燥感を携えたふたりの暮らしとして後半のドラマに描かれている
そうしてみれば自分の欲しいものを的確に獲得し達成まで持っていくという菜穂子は決して弱くて待ち続ける存在としては描かれていないのだ
ポリコレ的な批判では十分に適切な読解があって初めてその効力が出るものだと思うのだが、いかんせん雰囲気で批判するための手軽なハンマーになってしまったのが誰にとっても損な話だ
ポリコレというか、昔ながらの「ヒーローを信じて待つヒロイン」が 主体性がなくて男に都合のいい女だから悪いみたいに言われてるのがすごく嫌なんだよな テレビで放送されるたびに...
風立ちぬの菜穂子はねぇ、かなり狡猾な女だよ 二郎の女への憧れって前半ではお絹で表されているんだよな 大学にお礼の荷物届けるときのエピソードで幻影みるときとかの表現でわかる...
やりたいようにやって風のように去る、大正ロマンのモダンガールだな。
創作的には、テンプレート的なつまらなさから抜け出せるチャンスだと思うけど。
とっくに抜け出していて多様なキャラクターが生まれている 「多様なキャラクター像のうちのひとつ」として存在することすら許せないのがポリコレ
実際には新しい「つまらないテンプレート」が生まれただけな感じもする
制限をかけて「新しいアイディアが!」っていうのはよく言う人がいる(主にアホ上司)んだけど、 まぁまず失敗するんだよね 割とそれを続けてきたのが現代日本で
ポリコレというか単にわがままな視聴者
一つの作品で全部入れようとするからおかしくなるんだよな。ラーメンに醤油と塩と味噌ととんこつをぶち込む感じ。天才シェフなら料理できるのかもしれんが。 増田が言うようなヒロ...
人類か多様性とかいうもんをナチュラルに解する生物だったらこんなに発展する前に絶滅するか進化が停滞してたと思うし、まあ無理だろ。
本人たちは了承済みだがそもそもその了承に至る過程もその時代に女は(男は)こうあるべきという価値観が刷り込まれていることがベースになってるのでそうした固定観念にとらわれ...
ていうか結核が今もあることのほうが重要だとおもう 結核にタバコと戦えというのは無理
風立ちぬでいえば、二郎の妹の加代ちゃんは独立志向だったから登場人物全員としてバランス取れてるはずなんだけどね。 ジブリ映画全体で言っても多くが女性主人公 or ヒロインの冒険...
お嬢様が生まれる背景として、いいところの娘はだいたい美人で(当社調べ)、誘拐や性的暴行やビッチ化を防ぐため箱入りにするよね、普通。こんな感じで、お嬢様の出来上がるわけ...