はてなキーワード: 造成とは
今なんか造ったって、そのうち使わなくなるのわかってんじゃん。
住宅需要の高まりを背景に、今から数十年前に造成された、どこにでもあるような郊外の住宅地だ。
今では他のニュータウンと同じく、高齢化に悩まされてるらしい。
あんな排他的な住民ばっかなとこ、誰も引っ越したくねえから当然なんだけどさ。
ご存知の通り、ニュータウンというのは、だいたい同じ世代が一度にやってきて、入れ替わることもあまりない。
すると必然的に、子供の数はある世代でワッと増えて、後は減る一方となる。
増田が丘小学校もその例に漏れず、ピークの時には児童が1200人もいたらしい。
でも俺らはその後の世代で、その頃には6学年合わせても4~500人程度だったから、
多目的教室やなんたら準備室と名前はついているが、もちろん普段は全く使わない。
ニュースで待機児童が多いって言われてるのも、最近またニュータウン造成しまくってるとこでさ、
今あるとこが活かせないのかなって思うよ。まあ無理なんだけどさ需要がないから。
でも、わざわざ激戦区に引っ越しといて競争が厳しいとか言われても、そりゃそうだろうって思うよ。
正月になると思い出す。
関西の片田舎に高度経済成長にあわせて、造成された住宅街だったので、
見た目は綺麗な家が続いていたが、ふと道をはずれるととんでもなく大きな農家や、
浮浪者のような老人が住んでいる掘っ立て小屋(親からあそこには近づくなと教わる)
があるようなところだった。
ちなみにその「浮浪者のような老人」は頑固じじいを略して「ガンジー」と子どもから呼ばれていたが、
非暴力、不服従とは程遠く、小屋の前をわいわいと子どもたちが賑やかに集団下校するだけで、
「ごるぅああああああ!!!!!ぼけぇががああああああ!!!!!ぐるうう」
そんなある時、友人の近藤くんが「あの老人の小屋の裏の池で釣りをしないか?」と言い出した。
米寿を迎えた祖父母を見舞った帰り道、スローガンをたたえた幟が個人雑貨店の出入り口に立てかけられていて、思わず呻いてしまった。
つくし野、という高度経済成長期に作られたニュータウンならどこにでも見かける名前に合わせるかのように、
確かにまたつくし野に戻ろうとしているのが肌に感じられたから。
近くに出来たマンション群の甲斐あってリフレッシュに成功した駅前と変わって、
かつての田畑を宅地に造成した住宅街はそこに住む住人とともに歳を静かに重ねていくように見えた。
もっともその風景の半分は家庭菜園という趣味が景色の一端を担っていて、
静か過ぎる平坦な休農地の隣で騒がしくしていた。
休日の今日は色々な人が出入りしていたけど、それに合わせるかのように田畑もいろいろなモノが植えられている。
年の瀬にしか来ない弁財天でお参り。楼門を支える白く塗ったコンクリを品がないと思うのはいつものこと。
裏手に回って祖父母の名前を確認して安心を覚えるのもいつものこと。
橋に来た。よく伸びる冬の日差しが川面に落とした自分の影を辿ると、
ふと子供の背丈しさない欄干を乗り越えたい誘惑に駆られる。思わずよろけた側を、ごめんなさいと風に乗った自転車が通り過ぎていった。
長い。長すぎる。早く行きたい。ちょうど側を追い抜いていったランナーについていって十秒で息が切れた。
そしてたどり着くは辺境、もといちょっと田舎目な二郎店……時間が悪いのか開いてない。
2キロ先のスタバで時間を潰して戻ると、日も暮れて良い時間になっていたがやはり開いていなかった。
悪い予感がしてスマホで検索すると二郎botにお休みするの店長の声。結局二軒隣の吉野家で散財した。
駅までの帰り道、住宅街にありつつ、いい感じのスイーツのお店を見つけて入る。
嬉しいことがあるたびによくクッキーとケーキを持ち帰ったことをつかの間思い出した。
後々、原宿で偶然入った同じ名前のお店が姉妹店であることを知って、
そっちにある方が失礼ながら違和感が絶えなかったのを思い出す。
残念ながら原宿店は閉じてしまったけど成瀬の方は無事妹と同い歳を迎えたはず。
このお店はどうだろう。
軽く10キロ以上歩いた後のくたびれた気持ちをコートで軽くガードして、
カウンター横のコーナーを物色しながら、半目でチョコレートコーナーを視界からガードする。
二郎の口直しにまた買いに来よう。
GoogleMapは人を知らない。
初めての道が幹線道路を外れてついでに街灯も外れてるのだけど、どうなの。
夜道モードがあれば、良いのにと思う。
ざけとんのかこら。どんだけ人をなめてけつかるんじゃこら。
「神戸市に隣接する大阪市」「神戸市に隣接する大阪市」「神戸市に隣接する大阪市」アホか。
死者五千人のほとんどはコリアンタウンである生田区で発生した。
なわけがあるかこのカスが。だいたい「生田区」ってどこや。そんなもんあるか。生田神社のへんか。あの辺はコリアンタウンちゃうぞ。コリアンタウンいうたら生野区のつもりか。生野区って大阪市じゃボケが。大阪に被害はなかったってぬかしたんはどこの誰や。ほんまアホ過ぎてシャレにもならん。
まあ、百歩譲って長田区の書き間違いやと思ったろか(どうやったら書き間違えるんかもはや理解不能なレベルやけどな)。にしてもそれも嘘や。長田区の死者は千人以下や。それにリンク先見てみい。むしろ灘区~西宮市という、この一体で一番所得水準の高い地域が死亡率高いんがわかるやろ。
だいたい、関東大震災とかふざけたことぬかすなよ。差別が原因で関東大震災みたく人が死んだいうなら、虐殺事件があったというんやな。初耳や。よっしゃ、証拠を耳を揃えて出してみい。ほんまに虐殺があったいう証拠あるんならお前に土下座して謝ったるわ。せやけどもし出せへんかったらお前こそ目ぇ噛んで死んでまえ。大阪と神戸を一緒くたにして侮辱した罪や。
んなわけがあるかドアホ。殆どが建物倒壊じゃ。見てきたような嘘をつくな。
思い切り生活の場や。「ポートアイランド」「六甲アイランド」ぐぐってみいドアホ。
利用するも何も焼却処分せえいう話やないか。何をトンチンカン抜かしとるんじゃ。
お前はどこの人間や。東京やとか神奈川やとかぬかしおったら承知せえへんぞ。お前が何の被害うけたんや。あんなんが大地震のつもりか。舐めくさるんも大概にせえよ。
普段から原発の電気ガンガン使うとったくせに、何か起こると自分は罪のない被害者面しよる。知事の石原にしてからが「震災は天罰」とかふざけたことを抜かしくさって。これやから東京の人間は嫌いなんや。
実際、神戸市に隣接(訂正:近接)する大阪市ではほとんど被害が出ていない。
だが、朝食の準備で火を使っている時間帯が悪かった。
戦後そのままの木造バラックに在日住民を押し込めていた下町地区が焼け野原になった。
死者五千人のほとんど(訂正:うち判明しているだけでも千人近くもの犠牲者)はコリアンタウンである生田区(訂正:長田区)で発生した。
大地震ではないのに、日本人の差別意識からの人災で大震災になってしまったのだ。
瓦礫処理の話をしよう。
市役所や県庁は被災せず、職員も被災しておらず、すぐさま復興の指揮を取れた。
瓦礫も燃え残り程度しかなく(訂正:倒壊した建物もあったが燃えて嵩が減っており)、目の前の海に持って行くだけで容易に処理できた。
埋めていい海があり、経済的にも神戸空港や大阪オリンピック会場と言う埋立の需要があった。
生活の場ではないから、心情的にも、土壌汚染などがあっても、特に問題ない。
町役場や県庁まで津波が迫り、職員も被災し、政治中枢が完全に失われた。
町の全てが瓦礫と化し、山がちな三県では到底処理できない。
生活の場となる高台造成に利用するのは、心情的にも、放射能汚染対策上も、許されない。
大した地震でもないのに日本人による在日住民差別が大惨事にしてしまった関西大震災。
S市は大きな都市で、周辺から人口を収奪しながら今も大きくなっています。その中心部が私の生まれ故郷で、小学3年生の秋に、私の一家は郊外のH町に移りました。私の父は、そこそこ社会的に成功した人で、広い庭が欲しかったらしく、彼の希望に合致する約600坪というまとまった土地がたまたまH町で購入できたので、私もH町を第二の故郷にすることになりました。
H町は旧炭鉱地で、私たちが越した頃から急速にベッドタウンとしての開発が進みましたが、私がH町民になった頃はまだ開発が本格化する直前で、住民は貧しい人がたくさんいました。私が大学生になって、東京に出ていく頃には、町の人口は私が来た時の3倍になっていて、今ではH町の一部の地域は高級住宅地として知られています。
引っ越した頃、私は「お高くとまっている」と言われて軽いいじめをうけました。でもそこで、正面からぶつかっていったのでかえって仲良くなって、みんなに溶け込むことが出来ました。私は他の人たちを見下していたわけではないのですが、H町の同級生の目に「お高くとまっている」ように見えたとしても無理はなかっただろうと思います。男子も女子もジャージを着ているような土地で、かわいらしいフリルのついた服で登校していればそれは異質感がきわだちます。私はS市では当たり前だったことをそのまま当たり前に続けていただけだったのですが、それらがすべてH町民への批判になってしまっていたのでした。
とは言っても、私もそうですし、うちの家族は基本的にだらしないというか、ずぼらな人たちなので、すぐにH町に染まってしまいました。「お屋敷みたいな家に住んでいて、どんな人たちかと思っていたら、気さくな人たちで良かったわ」とはよく言われたものです。
私は学校の勉強は出来たのですが、H町の子供たちの学力はS市に比べればずっとずっと劣っていました。そして意外かもしれませんが、子供たちはそれを自覚していました。なんとか頑張ろうとしている子もたくさんいて、でも、出来ない子が多すぎるので授業の進みは遅いし、家に帰っても勉強を教えてくれる人もいないし、塾とかもまだH町にはありませんでしたし、あったとしても、経済的には行けなかったりで、私が勉強を教えてあげると、「増田さんっていい人なのね」ということになって、私はすぐにクラスのまとめ役みたいになりました。
放課後には一緒に原っぱをジャージで走り回って、楽しい子供時代を過ごすことが出来ました。
でも、その頃から、町のあちこちで住宅開発が本格化して、それが本格化する直前にH町民になった私は、「原住民」の立場から町の歴史の移り変わりを眺めることになりました。ある日突然、遊び場だった山や原っぱが立ち入り禁止になって、重機が入って、造成していくのです。しばらくして瀟洒な家が立ち並ぶようになって、こぎれいな格好をした人たちが大量に「入植」してきました。
遊び場を奪われて、自分たちとかけ離れた生活をする新住民とその子供たちに、原住民の子供たちが素直に好意を抱けるでしょうか?
中学の頃にはずっと新住民と原住民の子供の冷たい対立がありました。大量に入ってきた新住民の子供たちは町に溶け込むこともなく、自分たちの色に塗り替えてしまいました。私はそれを原住民の立場から、でも、社会的な立場としてはむしろ新住民に近い人間として、対立や調停に巻き込まれることになりました。どちらからも自分たちの側の人間だと思われて、なおかつどちらからも疎外されるような、そういう難しい立場に立たざるを得ませんでした。私の苦悩はむしろ先生たちと共有できていたと思います。
新住民と原住民では利害が完全に異なるので、新住民は「出来ない子は切り捨ててどんどん授業を進めてください」と言うし、原住民は教育を学校に丸投げしてそのくせ自分たちの子にあわせろと主張します。先生は間に入ってかなり大変だったろうと思います。
けれども年を経るごとに新住民は数的に圧倒的になって、原住民やその子供たちは自分たちのホームタウンにいながら、次第次第に切り捨てられるようになりました。高校生の頃にはもうこの種の問題は私の日常生活では見えなくなっていました。というのは、そもそも私が通っていた高校は地域ではわりあいレベルが高かったので、そもそも原住民の子供はほとんどいなかったからです。
小学校の頃からの原住民であった同級生の多くは、今はおさだまりの底辺生活者になっています。フリーターだったり、肉体労働者だったり、18歳で子供を産んだりして、私が勉強を教えた子たちもほとんどは結局、貧困の連鎖から抜け出すことは出来ませんでした。
ロンドンの暴動を見ていて、なんとなく感じることがあります。あの生活費の高い都市で、高度に都市化された生活がかいまみられる状況で、決してそれには手が届かないことを知っている子供たちがどんな風に感じているのだろうと。
「頑張れば抜け出せる」
それは確かにそうなのでしょうし、そのためのアシストもあるのでしょうが、日本の、一億総中流幻想があった頃でさえ、実体験から言えばやっぱり貧乏人の子の多くは貧乏人になったのでした。それがどれだけ難しいことなのか「新住民」の人たちは分かっていないと思います。母親でさえ四大卒の家庭で育てられた人に、九九も満足に言えないような親に育てられることがどういうことなのか、わからないと思います。
頑張らない、頑張らないことをむしろ奨励するのが貧困なのです。親や周囲を敵に回して、そういう中で子供ががんばるのは無理です。
地方ってのは、川や海や山で仕切られていて、そこへ行くにもそこから出るにも時間やコストがかかったんだ。
一日の生活時間の中で、買い物にかける時間として合理的な範囲が商圏として成立していた。この障壁がある意味、地方の繁栄の源だったのかもしれない。
君たちはカレー粉を買いに一時間も電車にゆられたり、車を飛ばすこともないだろう。
この一般の人にとって有効な時間で買い物ができる商圏って概念は、便利な生活道路や高速道路や新幹線や空港ができて、大きく変わってしまったんだ。
商圏の外からモノを持ち込みやすくなったんだ。言い換えるならば、物流に大きな風穴が開いてしまったってことなんだ。自由に使える車の数が増えたことも商圏を広げてしまった。
それと並行して土地改良区が農地の宅地や商業地への転換を許可し始めた。
商業地が希少な存在であったからこそ、商店街に価値があった。商業地が増えるなんて思ってもいなかった。
郊外の農地を埋立てて、ロードサイド店やショッピングセンターが造成されていった。
複雑な権利関係が存在する間口の狭い細長い土地は再開発しにくいよね。時代に合わせて駐車場も作れない。アメリカで成功したビジネスモデルを取り入れるなんてどだい無理な話だ。
行政の立場からすれば、商店街と新興のお店が重複して出店されている瞬間は、お店の数的にも売り上げ的にも街が発展したと見誤ったのかもしれない。税収が増えているからね。
大規模店舗規制法というショックを和らげる緩衝期間が設けられたけど、圧倒的な物量、合理的な発注、的確な接客ノウハウを持った大手資本を相手にパパママストアから発展できなかったお店は、撤退を余儀なくされたんだ。
結果、無事に廃業できたところは、中途半端な住宅として残り、無事に廃業できなかったお店は、銀行に土地を取り上げられて、更地になったり、良くて駐車場になって、街の空洞化を進めてしまった。道路の拡幅工事やバイパス道路の建設も混雑や渋滞による賑わいを失わせた。
無論、これはみんなが望んだ選択と自由競争の結果だろう。
より便利なものを選択した消費者、商業地の稀少性を失わせた行政、商店街のパブリック性に気がつけなかった商店主たち。この3者それぞれの思惑から、外からの資本の流入を許してしまったんだ。
実はもっと困ったことが起こっている。日本の高齢化を先取りしている地域を見るといい。
外の資本のロードサイド店やショッピングセンターでは撤退が始まった地域がある。これは10年後の君たちの国の姿かもしれない。
今は便利だと思って使っているお店がある日突然、消えてしまうかもしれない。
未来永劫、巨艦型ショッピングセンターの時代が続くわけでもないと思うんだ。彼らは君たちよりもはるかに合理的な選択をするのだから。
完全な妄想レベルで全く根拠はない与太話なのだが。ハイクに書こうと思ったらえらく長くなったので増田に書いてみる。
突っ込みどころは山ほどあると思うがまぁ与太話として聞いてくれ。
様々議論はあるだろうが、今後国内では原発は向こう数十年は推進される事はなくなるのではないかと思う。少なくとも国政選挙が2回ぐらいは原発支持・不支持が論点になり、原発推進候補は勝てないだろう。当然ながらこの福島原発の処理が終了するまでは先に進めないだろうし、毎年毎年、3月11日が来るたびに思い出され、忘れられずに残っていくだろう。あるいは残らなければならないと思う。
また、一緒にするなと言う話になるかもしれないが、スリーマイル島事故のあと米国は反原発に舵を切って長年原発を作ってこなかった。それが解除されたのはつい最近で、きっかけは確かカリフォルニアでの大規模停電だったように記憶しているが、そういった再び世論を動かす事故が起きなければ敢えて寝た子を起こすような政治家は出てこないと思う。(ただ…チェルノブイリ発電所は2002年まで動いていたとか、そういうことを考えると残る可能性も十分あるし、今回の経験から日本の原子力技術はさらに成熟されるだろうし、国際的にはどうだろとか、いろいろな議論はあるとおもうけど発散しちゃうのでここではこういう前提にする)
という夢は日本が今後成長していく上では捨ててはならない。捨てた瞬間日本の経済は終わる、と言うレベルで捨ててはまずいと思う。エネルギーはすべての生産活動の基本なのでここが下がらないことにはコスト競争に勝てないからだ。
まずエネルギーコストがあがると、エネルギーコストが原材料費に占める割合が大きな産業からやられてくる。たとえば製鉄業などがこれに当たるが、実はすでに鉱石からのアルミニウムの生成など一部の産業では国内企業はエネルギーコストの上昇によって競争力を失っているものがある。(日本では独自に水力発電所を持っていてエネルギーを極端に安く入手できる企業しか残っていない。国内のアルミニウム工業はインゴットを輸入している。このためアルミニウム合金そのものについては国内より外国の方が進んでいる)これらの産業が外国に流出しても別にかまわないという考え方も十分あるが、これは全体的にコストの上昇を意味することとなる。
さらに、エネルギーを輸入に頼らなければならない日本では、エネルギーは即座に外国に金が流失する事を意味する。(国内でエネルギーを生産できる国はエネルギーコストが上がっても国内需要として残る)故にエネルギーコストが原材料費に占める割合が増えると産業競争力が落ちるばかりでなく、国内の金の巡りが悪くなり、経済はかなり厳しくなる事すら予想される。
全ての産業がこう言った事に追い込まれないためにも、永遠にエネルギーコストを削減していく技術は追い求めなければならない。
ただ、原発はもう少なくとも政治的・社会的にもう限界だし、コスト的にも議論はある。個人的にも消極的容認派から積極的収束派に意見が変わった。原子力推進でこの夢を追うのは無理だ。
では、どうするか。
原子力によって叶えようとした夢は、自然エネルギーが引き継ぎ、夢へと動くべきだと思う。自然エネルギーは原子力と非常によく似ており、正統な後継者だからだ。
「おい貴様何を言ってる水と油じゃないか」「かわいそうに、酸素欠乏症にかかって…」「ばーかばーか」等と言う声が聞こえてきそうだが、かなりマジである。原子力と自然エネルギーは、少なくともチェルノブイリ以前の認識ではかなり共通点があったと思うんだ。
後ろの利権(産業としての裾野の広がり、影響力)の話なんかも下手すりゃ同じである。原子炉の仕組みが考え出された当時は火を燃やすよりずっと安全だと考えられており、今でも単純な死亡者の数では火力より安全だという議論すらあるくらいである。故に、今の自然エネルギーの一種のような認識だったのではないか。さらに言えば発明された当初は「こんなもの制限が多すぎて使い物にならない」と考えられていた…かもしれない。
原発というのはあくまでも手段であって目的ではない。大規模な原子力災害が発生し、その他様々限界が見えてきた中で手段を変えるのはそんなに悪いことじゃない。目的が達成できればいのだから。
故に、自然エネルギーは原子力の正当なる後継者じゃないかと思う。だから原発は今後尻すぼみになるなら、同じ夢を追う自然エネルギーに原発に振り向けていた投資のうち、維持費以外を振り向けて推進するべきだと思うんだ。原発反対の反動としての自然エネルギーではなく、原発の正当なる後継者としての自然エネルギーに。
ただ、よく知られているように自然エネルギーは
などなど、山ほど問題を抱えていて実際の所うまくいく保証はない。というか、代替エネルギーとして今すぐ原発の後を継げるような存在ではないのは間違いない。今原子力の直近の代替エネルギーになり得るのは火力しかないと思っている。(夢は継げるかもしれないが。さらには原子力が火力を駆逐できなかったように、火力も依然として必要とされるだろう)ただ個人的にはそれぞれ、以下のようなブレイクスルーがあって、研究されさえすれば解決に進むのではないかと思っている。
最後の送電網の組み替えだけは、物理的な問題があるのでブレイクスルーのような物はちょっと考えつかない。ただ、これはたとえ原発事故がなくても設備の更新などは必要だったわけだし、おそらく原発がこのまま推進される事になってもこの流れは必要になってくると思われるので、と言う事にしておく。
また…。これは完全に不謹慎であるし、お怒りをいただいてもしょうがない思考ではあるのだが、怒られそうな事を敢えて言うと、今回の被災地は壊滅的な打撃を受けほとんど丸ごと町を作り直さなければならなくなってしまったところがかなりあり、政府はここに莫大な公金をつぎ込み新たな町を作り上げるつもりのようだが(そして世論もそれに賛成している)、これは新エネルギーのための町をある程度採算度外視で作る事ができる条件がそろっていることを意味している。
ご存じの方も多いと思うが都市計画は、再開発よりも一から作った方がよほど簡単なのである。たとえば中国では大規模造成によって作られているのはものすごいスピードで発展しているが、何もないところ(あるいは何もないに等しいところ)を造成しているから早いのである。(日本の高度経済成長期のニュータウン造成も似たような話)一つずつ立ち退かせるところから始めなければならない再開発より早いのは当然である。
だから、災害に遭ってまっさらになってしまったところがある、というのは、未来のエネルギー産業を育てるためのモデル都市を作る事ができると言う事も意味する。きっかけは不幸な災害であったが、この災害を次へと繋げる事も可能になると言えるのだ。(ただ、外野だからこういうことをいるのだ、とも言えるのであるが…うまくいけば世界に名だたるモデル都市になり、産業たり得るだろう)
前掲した以外にも様々な技術的な問題はある。これらの実現・解決にはかなりの時間がかかる。ではどうするか。個人的にはそれでもとりあえず問題はないのではないかと思っている。何故かと言えば、原発は今すぐ停止できる物ではなく、どちらかというと安楽死というか引退させると言った緩やかな停止になり、自然エネルギーの成長を待つだけの余裕は十分にあるのではないかと思うからだ。
今後、原子力は引退させようという動きになっていくと思うが、一部の過激派の言うように「今すぐ撤去せよ!」というのは暴論も暴論で、とても無理だと思う。確かにエネルギー問題を無視あるいは過激派の言うとおり節電などでやりくりすることが可能であれば、異常な状態である福島第一原発を除けば原発を今すぐ止めることは物理的には可能だろう。しかし停止状態になっているのに問題になっている、あるいは使用済み燃料であるにもかかわらずきちんと管理が必要なことを考えれば、いきなり停止させても自己満足以外の意味は、それほどないのではないか。むしろゆっくり運転させ経済的に重要である状況に置いておいた方が、追い込みすぎて安全対策にまで金が回らなくなることに比べればずいぶん安全かもしれない。
さらに、原発の解体は年単位で時間がかかるし、日本国内できちんとした技術は確立されていないから、そこら辺の技術をきっちり固めてからではないと危険であるし不可能だ。
また解体した原発の放射性のゴミをどこに捨てるかという問題も当然発生するだろうが、場所はすぐに見つかる物でもないので(今でも地層処分の場所が見つからず難儀している)、そこも確保してから停止しなければならない。もちろん一度にたくさんの数の解体を進めることも、現実的ではない。すると、古い順番から廃炉へと動いていく事になって、原発の廃止にはどうやっても時間がかかる。自分は少なくともどんなに急いでも二十年はかかるとおもう。
だからまさに原発から自然エネルギーへ夢を引き継いでいく素地は十分にあると思うのだがどうだろう。
根拠らしい根拠はない。また「未来の可能性は無限だから何でもできます」みたいな不毛な話なのも自覚している。今の短期的な電力不足・技術的課題が残るであろう中期的な問題を解決するような話ではない。
さらには原子力がクリーンな夢のエネルギーとみられていた時代と同じで自然エネルギーも今後おそらく確実に様々な今知られていない問題も出てきて、場合によっては今回のような致命的な問題は出て来て頓挫するかもしれない。
また、設備以外にも、ライフスタイルは大幅に変えなければならないだろう。少なくとも
等は考えつくところだ。さらには原子力産業で食っていた人たちをどうするかと言う事もある。電力会社は徐々に電気を作って売る会社ではなく、電力送電網を所有する企業へと変貌を迫られるだろう。末端の電力網を維持管理する作業者は技術的に大きな変更はなくあまり関係ないだろうが、そうでは無い電力会社本体の、発電に携わる今まで日本を支えてきた技術者の方々には削減の並が及んでしまうだろう。
しかし、原子力が数十年原子力産業と日本を食わして来たように、数十年は日本を食わせてくれる原動力になるポテンシャルは十分にあると思うがどうだろうか?
また、困難であるため他者が参入してこないと言う状態であるならばより高い見返りを得る事ができるのではないか?うまくすれば、日本がはじめてエネルギーの世界で優位に立つ事ができるようになるやもしれない。
今こんな事を言うと怒られるかもしれないが、原子力は敵、自然エネルギーは味方、あるいはその逆でも良いが、そういった思考では未来は開けない。
現実原子力の力によってできあがってきた社会を直視し、原子力に携わる人々に「なんて物を作ってくれたんだ!」と言い放つのではなく「今までありがとう」と言い(これは無論原子力災害に見舞われている現地の方々ではなく、そのエネルギーを享受してきた我々の立場である。原子力災害のただ中にいる人は怒っても良いし、保証の話は別だ)原子力で見た夢は自然エネルギーが引き継ぎます、と告げ、方向転換を図る時だと思う。
あれなら普天間飛行場は数年で確実に戻ってくるでしょ。協定で「2014年までに普天間の返還を完了するよ」とアメリカもサインしてたんだから。
ただし引っ越し先の土地が必要になりました。なので少し離れた辺野古の海を埋め立てる事にしました。埋め立てて新しく土地を造成するから、「土地を奪われる」という感覚も比較的抑えられる。おまけに滑走路は海にせり出してるから、街のど真ん中にある普天間よりは確実に危険性は低い。ついでに、大規模な埋め立て工事となれば地元のゼネコンは特需で潤う。
そりゃあ、基地の県外(国外)移設という理想に比べたら不十分ではあるけどさ、でも不十分であっても、それでも方向性は理想の状態に向かってるよね。それでダメっつーなら、もう仕方がない。何かの奇跡でも起きて普天間飛行場がグアムに移設出来る日が来るのをずっと待ち続けるしかない。それが何年後か何十年後になるかは知らんし、その間普天間は返還されないままだけど。
一級建築士事務所 所在地 : 神奈川県横浜市 所属団体 : 社団法人 神奈川県建築士事務所協会、 横浜市建築事務所協会 登録資格 : 応急危険度判定士、 耐震診断士、 県建築物調査・鑑定業務事務所、個人情報取扱業務登録 仕事分野 : 建築意匠(企画・設計・監理)、 宅地造成 及 開発計画、 調査鑑定 など 得意用途 : 住宅、 共同住宅、 幼稚園、 店舗 など 姿 勢 : " 今、必要なのは専門家です。 誰でも家はつくれますが、 誰にも家は造れません。21世紀をリードする楽しい住まいづくりをします。 " 相談無料。 HP : http://homepage2.nifty.com/kamakurakentiku/# vironviron 2010/01/27 18:04 キーワードの宣伝利用は規約違反
# tkamakuratkamakura 2010/02/01 15:02 登録内容変更
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“マイホームを建てる!”一生に何度もあることではありません。 「こんなはずでは・・・」「こうしておけば良かった・・・」という事がないようにしたいものです。 一級建築士として多くの住宅を設計してきた経験から、失敗しない“家づくり”のためのアドバイスや建築に関して個人的に感じていることなどを書いたブログ「住宅設計のアドバイス」 : http://housefine.blogspot.com/
失敗しない“家づくり”のためのアドバイスや建築に関して個人的に感じていることなどを書いた一級建築士のブログ。 URL : http://housefine.blogspot.com/
住んでいるところ 横浜市
建築設計事務所リンク * 株式会社 鎌倉建築設計事務所
宅建の問題で疑儀問が発生。
公式発表は12月2日。
40 :名無し検定1級さん :2009/10/20(火) 01:34:03
ロー生なんだが、問31ウは○なんじゃないの?
1.AのCとの契約は33条の2で定める他人物売買である。
2.同時に、41条1項に規定する売買に該当する。
3.本件は41条1項で定める保全措置を講じている。
3.ゆえに、33条の2第2号の要件を満たす。
4.ゆえに、33条の2但し書きに該当し、AはCと本件宅地の売買契約を締結できる。
33条の2第1号を根拠に、AB間で契約が締結されてないから無理という人がいたけど間違い。
「次の各号の一」とは「次のいずれか」という意味だから、2号を満たしてる本件では1号を満たす必要は無い。
現所有権者からの取得か、手付けの返還か、いずれか一方が確実に実現できる状況であれば
他人物を売却する契約を結んで良いというのが33条の2の趣旨だと思う。
****************************************
新潟空港からウラジオストック航空に搭乗することになった。東京駅から新幹線車内で待ち合わせたのはコラムニストの高山正之氏ら合計四人。このミニ探検隊が急遽「結成」されたのはひょんな経緯からだ。
昨年、フライング・タイガーの基地跡を湖南省の西南部にある辺境、渋江までこの四人組にあと三人ほどでグループをつくり見に行った。ここは岡村寧次と何応鈞の終戦協定を結んだ場所でもあり、反日宣伝が濃厚な記念館がある。
例によって改竄史観の反日展示だが、日本軍と戦ったのは「偽軍」とあるので、この「偽」は何処かとガイドに問うと、国民党軍を意味することだったのには笑った。そうだ、フライングタイガーは蒋介石に協力したのだ。
さてウラジオストックを戦前の日本人は浦塩斯徳と表記したが、ロシア語の原義は「東方を征服せよ」という物騒な意味がある。
ロシアは不凍港を求めて清帝国の版図を結果的に強奪し、地政学的にみれば中国の海の出口を塞いだ。中国にとっては恨み骨髄の場所である。
それゆえ中国人はウラジオストックとは言わず歴史的な地名=ハイサンウェイ(中国語では「海参威」)と言う。ついでに言えばロシア人は中国人を「キタイ」を呼び、いまも陰湿に排斥するし、中国人は「オロシア」と言うから、ま、お互い様か。
というわけで筆者の一番の興味は三カ国の国境の現状である。
ロシアと中国と北朝鮮の国境地帯はいまどうなっているのか? 不思議に日本のマスコミはこのことを追求しない。
筆者は中国側からは何回かロシア国境を見ている。スイフェンガ、黒河、満州里、そして延吉から図門へ行くと北朝鮮、軍春からはロシア国境が、また吉林省の集安、丹東からは北朝鮮国境も見た。つまり旧満州の七箇所から国境を見た。反対にロシア側から中国国境をみたのはハバロフスクからアムール川との国境くらいだった。
とりわけウラジオストックより西側のハザン地区は北朝鮮と国境を接し、ちょっと北側へ回れば中国の軍春である。
二ヶ月準備期間があった。第一にロシアのヴィザをとらなければ行けないが、これに一ヶ月を要する。つぎに肝心のハザン地区へ行けるかどうか。ポシェット港、ザルビノ港を見学できるか、どうか。
直前にこの地区に入ったNHKが追い出されたと聞いていた。旅行社を経由してロシアに打診したが、「審査」に最低一ヶ月、そして土壇場で蹴られると旅行そのものが成立しなくなる。というわけでハサン地区はあきらめ替わりにナホトカを加えることにした。
事態の変化はつぎのようである。
東西冷戦が終了し、ロシア極東軍は削減され、しかも北朝鮮から露西亜軍事顧問団は引き揚げた。北は最大の保護者を失い、唐突に北京へ秋波を送る。
一方、中国の経済力が著しく飛躍し、北朝鮮も経済の飛躍が政治安定を招くのではと経済改革を模索しはじめた。日本の財界が主導した「日本海経済圏」の思惑とも合致してロシア、中国、北朝鮮の国境付近の大開発が決まり、かなりのインフラ建設が進んでいた。十年前までの話である。
中国側は「図門江開発」、北は「豆満江開発」。そしてロシア側は「ハサン地区開発」(ザルビノ、ポシェット両港を含む)とそれぞれ名称こそ違え、経済交流による相互発展目的は温度差があったが、基本的に共通目標だったのである。
数年前にも中国からポシェットへ鉄道が通じたというので軍春へ見学に行くと、工業団地が造成されており、中国企業、韓国企業にまざって日本企業が三社ほど進出していた。
延吉から高速道路工事が進み、あたり一面が普請中だった。開発ブームは各地にクレーンを林立さえ、ブルドーザが動き回り、輝かしい未来を予感させていた。
ところがその後、北朝鮮の苦境と核開発が状況を激変させた。
第一に日本企業が拉致問題の露呈と核開発に嫌気して進出意欲がそがれ、積極性を失う。
第二に中国は北朝鮮へ直通ルートをつくり、ロシア側の港湾へ鉄道をつなげたものの昨今は北朝鮮の羅津、先鋒開発に重点を移した。つまり中国は北朝鮮を経済植民地となし、ロシアを袖にする野心を露わにしたのである。
第三にロシアは中国、北朝鮮への鉄道接続ルート強化に乗り出し、ちぐはぐに対応をみせた。
第四に韓国が間隙を縫って各方面に浸透していた。
そこである日、モスクワからプーチン大統領(当時)がウラジオストックへやってきて、「シベリア極東大開発」の号令を出し、状況が一変する。2014年ソチで冬季五輪。ならば極東の目玉を2012年、ウラジオストックでのAPEC。そのために大開発が必要というわけだ。
怪しい旅行団の結成にはそうした経緯があった。
(続く)
[2009.3.27]
派遣業の許可基準の厳格化。
これまでは、資産から負債を引いた額が1000万円以上ある黒字企業ならば許可されていたのが、2000万円以上で、かつ、1500万円以上の現金・預金を持っていることとなり、同時に、これまで5年に一度だった派遣元責任者講習を3年に一度にするという話である。
しかし、派遣制度の根本的な問題は、雇用の調整弁である派遣労働者は、無期雇用者に比べて退職金や保険年金や食費補助や交通費補助といった福利厚生が無い分、高給でなければならないのに、無期雇用者よりも低い額の賃金しか受け取れていないという点にある。
さらに、工場立地法や、建築基準法等による作業場面積制限によって、人口密集地、すなわち、派遣労働者となりえる若者の居住地での職場を無くしていること、地方の工業団地のような、居住費を負担しなければならないような場所に工場が移転していて、派遣のような流動性の高い労働者の為の居住施設を確保する為に、どうしても寮を所有する地元の派遣業者を噛ませて多重派遣にせざるを得ない点に、問題がある。
そもそも、地方の工業団地に工場が移転していったのは、そこで無期雇用の労働者を雇い、工場周辺の土地を住宅地として開発していくという目的があったのに、派遣労働者を雇い、派遣労働者向けの寮を建て、派遣労働者向けのコンビニを作るという程度で終わってしまっている(cf.[2008.6.10])のでは、高速道路を引っ張り、インターチェンジを作り、工業団地を造成した意味が無いのである。
高速道路や工業団地を作る為の補助金は欲しいし、工場の法人税や労働者の所得税は欲しいが、地域に有権者が増えると、選挙に差し障りが出てくるからというニーズに、派遣労働者という制度は、ぴったりと当てはまっているとも言える。
住民票を持ってこないか、あるいは、住民票を持ってきたら、即座に寮を運用している地元の派遣業者から、寮で不都合があったので派遣契約を終了して欲しいと派遣元と派遣先に話を通して追い出し、代わりの派遣を雇い入れるという手口が常識化して、ようやく、地方に作られた工業団地は有効に機能し始めたとも言える。
"派遣は社会の最底辺"、"働いたら負け"というのは、こういう現実を体験した人が、実感として持つ感情なのである。
日本人が働いてくれないから、外国人労働者を呼び込もうと主張している者が居るが、日本人が働かない理由を理解していないから、そのような主張が出てくるのである。そのような主張をする者は、一派遣労働者として、ド田舎で、寮と工業団地を往復するだけの日々を体験してみるべきである。
http://www.asahi.com/national/update/0827/SEB200808270011.html
伊藤さんの死を乗り越え、同会はアフガニスタンやパキスタンでの医療活動や農業支援を続けるのか。会見で問われた福元事務局長は「まだ頭が整理できていないが、アフガニスタンの人々のためにやっていること。今回のことで放棄することはない」と静かに語った。
伊藤さんを捜索するため、千人を超える村人たちが協力したという。「伊藤君を含め、現地のワーカーが頑張ってきたから。村人たちの気持ちに応えることが……伊藤君の死を生かすことだと思います」と自らを奮い立たせるように話した。
しかし、現地の治安悪化は間違いない。約20人いたジャララバードの日本人スタッフは4月に半数を帰国させ、年内に残りを帰すことになっていた。現地代表の中村哲医師は「以前は日本人なら大丈夫だったが、4月ごろから対日感情も急速に悪化していた。ここまで伊藤君をとどめた私が悪い」と悔やんだ。
『静かに語った』とか、そういうのやめなさい朝日。
というのは置いておいても、とても残念な話ではある。ご家族の心痛を考えると胸が痛む。
だがそれはそれとしても、というよりもそれを思うからこそ、会の皆さんには再度じっくりと考えてもらいたいと思う。本当に伊藤さんという方の死を生かしたいと思うのであれば、『井戸を掘り、農地を作る』という初志に戻ることを再考してもらいたいと心から思う。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200808170278.html
アフガニスタンとパキスタンで活動する福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」がアフガン東部ナンガルハル州シェワ地区で、イスラム神学校「マドラサ」の建設を進めている。旧政権タリバン幹部を養成し過激派の温床とも批判されるマドラサだが、同会は「地元の要望が強く、貧困層の子供や孤児の養育が目的」としている。
マドラサはイスラム聖職者養成も目的とする寄宿学校で、青少年に聖典コーランの内容や読み書きなどを教える。アフガンでは二〇〇一年のタリバン政権崩壊後、各国NGOが学校建設を進めているが、ペシャワール会によると、非イスラム教国の団体によるマドラサ建設は初めて。
同会は干ばつによる食料不足を防ぐためシェワ地区などで農業用水路を造成。用水路は二十一キロ余り完成し砂漠地帯だった土地で耕作が可能になった。このため、隣国パキスタンに逃れていた難民が続々と帰還、地区周辺の人口が急増しているが、大きな学校がなく、信仰に根差したマドラサ建設の要望が出ていた。
約一万四千平方メートルの敷地に学舎と寮、モスク(礼拝所)を建設中で、今秋にも完成予定。同会現地代表の中村哲なかむら・てつ医師は「貧困層にとって寺子屋と養護施設の役割がある。過激思想を植え込むという考えは間違いで、科学なども教える大事な施設だ」としている。(シェワ共同=遠藤幹宜)
中村氏というひとについても、ペシャワール会のひとたちについても、えらいひとたちがいるものだと常々思っていた。だがこれはどう好意的に捉えようとしても捉えられるものではない。マドラサ建設が今回の事件の引き金になったと言いたいのではない。だが情勢がこれほどまでに緊迫している中で、マドラサ建設などということに着手しようとする神経が分からない。宗教に対する感覚が良く言えばおおらか、悪く言えば鈍っている日本人からしてみれば美談なのかも知れないが、少し視点を変えればこのような取り組みは常規を逸しているとしか言い様がないし、そうした常規を逸したことに着手してもなお会の内部からそうした活動を疑問視する声が出ないのだとしたら、これはもうNGOではなく個人崇拝団体だ。
他の報道を見ると、以前よりも日本人に対する反日感情が強まっているのを感じた、というような発言もあり、総合してみると「自衛隊派遣のせいだ」と言いたいのが本音のところか?と勘ぐりたくもなるが、それが理由だと言いたいなら、全く根拠にはならない、とは言わない。
だが反日感情云々と同時に、反イスラム主義感情もあるのだ、という現実にもそろそろ目を転じて頂きたい。アフガンにしろパキスタンにしろ、穏健なイスラム教徒やイスラム教徒の中でも少数派とされる宗派に属する人々がどれほどイスラム主義者達に苦しめられてきたか、もう少し考えてもらいたい。
[ジャララバード(アフガニスタン) 26日 ロイター] アフガニスタン東部ナンガルハル州で26日、日本人男性が武装勢力に拉致された。同州のスポークスマンが発表した。
この男性はダラエ・ヌールでの作業中に拉致されたとみられており、当局は男性の捜索を開始した。
日本のメディアによると、拉致されたのは日本の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の伊藤和也さん。
ペシャワール会というのは以前からたびたびその名前を聞いていた。井戸を掘るお医者さんと、彼を支える会なのだと聞いていた。えらいひとたちがいるものだなあと思っていた。ところが何日か前にこんな報道があった。
アフガニスタンとパキスタンで活動する福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」がアフガン東部ナンガルハル州シェワ地区で、イスラム神学校「マドラサ」の建設を進めている。旧政権タリバン幹部を養成し過激派の温床とも批判されるマドラサだが、同会は「地元の要望が強く、貧困層の子供や孤児の養育が目的」としている。
マドラサはイスラム聖職者養成も目的とする寄宿学校で、青少年に聖典コーランの内容や読み書きなどを教える。アフガンでは二〇〇一年のタリバン政権崩壊後、各国NGOが学校建設を進めているが、ペシャワール会によると、非イスラム教国の団体によるマドラサ建設は初めて。
同会は干ばつによる食料不足を防ぐためシェワ地区などで農業用水路を造成。用水路は二十一キロ余り完成し砂漠地帯だった土地で耕作が可能になった。このため、隣国パキスタンに逃れていた難民が続々と帰還、地区周辺の人口が急増しているが、大きな学校がなく、信仰に根差したマドラサ建設の要望が出ていた。
約一万四千平方メートルの敷地に学舎と寮、モスク(礼拝所)を建設中で、今秋にも完成予定。同会現地代表の中村哲なかむら・てつ医師は「貧困層にとって寺子屋と養護施設の役割がある。過激思想を植え込むという考えは間違いで、科学なども教える大事な施設だ」としている。(シェワ共同=遠藤幹宜)
科学も思想もところが違えば過激にも穏健にもなる。進化論は科学ということになっているが、一部の人々にとっては過激であると映る。マドラサと一口に言ってもそこで教えられる思想というかイスラム神学というのは地球上どこへ行っても同じというわけではない。そのマドラサで教える側に立つピールであるとかホジャであるとかイマムであるとかの思想背景によって違ってくる。地域によっては女子のためのマドラサというのもある。どのようなマドラサを構想していたのだろうか。
寺子屋が必要ならば学校でよいではないか。養護施設が必要なら養護施設でよいではないか。なぜマドラサである必要があるのか。
ペシャワール会のウェブサイトを見る限り、マドラサ建設に協力しているというような話は一言も告知がない。あくまでも農業支援の話しかない。『過激思想を植え込むという考えは間違いで、科学なども教える大事な施設だ』というのは論点のすり替えだ。ペシャワール会のひとたちはどのように考えておられるのだろう。
何にせよ無事に解放されることを祈る。
2兆円あったら。
でっかい学校を作るかなぁ。金に糸目をつけずに優秀な人をたくさん集めて、教師やってもらうの。
規模はもう本気で学園都市。主要産業学校。主要輸出物人材。それこそ過疎にあえぐ島か山間部あたりを丸ごと買収して造成して。
もう小学校から大学はもちろん、公認非公認関わらずの専門学校や予備校サポート校、生涯学習や職業訓練校だって学校とつくものはなんだって集めるね。学生だけで数万人規模のコンパクトシティを造成するんだ。
で、残った金は財団を作ってできるだけ堅実な方法で確実に運用しつつ、その金で奨学金制度をつくる。もちろん貸すなんてちんけなことは言わず、続く限り配っちまうの。
結局お前も社会貢献野郎かって? いやいや、最後まで聞けよ、ここから先が本題だぜ。
そして仕上げとして、たんまりと金をかけてデザイナーに作らせたかわいい制服を強制する。
もちろん短パンもニーソも有な。
そして、一番の学校の正門の前に10部屋ぐらいの寮を建てるわけ。マンションとかじゃなくって、食堂がある昔ながらの寮スタイルな。もちろん破格の値段だが、面接して気に入った子しか入れないわけ。で、そこで学園都市のオーナーの身分を隠して、寮の管理人しながら、登校時間は毎朝道路の掃除でもしながらのんびりと、毎日若者たちを愛でるわけさ。
もちろん若者たちの恋愛なんかを蔭ながらサポートしたりしてな。そんでもって、老後は旅立った寮生からの手紙なんて読んだりして。
どうだ、すばらしい使い道だろ?
なお、「お前エロゲやりすぎ」「キモスキモス」「この変態野郎、さっさと変態の国へ帰れ」「犯罪者予備軍は隔離すべきだ」「ネタではなく普通にキモい」「……さみしいんですね。おかわいそうに」「……手遅れか……」等々のご批判につきましては、本人も深く反省しているようですので、なにとぞ心の中に納めていただき、本人の治療のためご発言を控えていただきますよう、よろしくお願いいたします。
リアルイナゴ。
asahi.com:関空2期島にバッタ大発生、駆除へ 数百万匹が生息か? - 関西
8月2日にオープンする関西空港の2期空港島で、バッタが大発生している。空港会社は「航空機のエンジンに吸い込まれでもしたら大変」と、駆除に乗り出した。
発生したのは最大で体長10センチほどのトノサマバッタ。第2滑走路の周りの芝生や植栽をえさに繁殖したとみられ、すでに数百万匹が生息していると推測されている。
99年から造成された2期空港島は滑走路以外に施設がほとんどなく、人もあまり入らない。「天敵もおらず、バッタにはまさに楽園の島に思えたのかも」と担当者。
イナゴではなくトノサマバッタだけどな。
なにもないひろっぱに草生やして放置すればイナゴみたいなものが湧くのも道理。
参考1
- 直翅目
参考2