はてなキーワード: 清帝国とは
どうでもいいことにキレ散らかすのが持ち芸のタレントの梅沢某という人が
劇団員への手土産かなんかでハンバーガーを50個だったか100個だったかを注文したときに
店員さんにテイクアウトするか店で食べるか聞かれてキレたって話をしていた。
ひとりで来てるのにそんなたくさんハンバーガーを食べるわけがないだろう!?
なんでもかんでもマニュアル対応するな、ってキレ散らかしていた。
これは正しいのかどうか?
先日、緊急の要件で得意先に出向いて帰社する時、
昼飯を食べて帰ろうと思った。
と思ってるところマクドナルドが目に入った。
バーガー単品と野菜ジュース、あとコーヒーをモバイルオーダーしてから店内に入った。
店内に入った瞬間、ちょっと嫌な予感がした。
いや、もちろん性別とか年齢とかの話をしているのではない。
わかってもらえるだろうか?
ただ共通していることはマクドナルドの店員さんらしい立ち居振る舞いをされているということだ。
それがない。
ああ、いらっしゃい、注文は?ああネットのやつ?ちょっと待ってね。
厨房全体もそんな雰囲気に包まれていて、ネットのやつってどれ?
え?知らんで、これとちゃう?みたいな関西人みたいなやりとりをしている。
ああ、これは失敗したかなあ?と思った。
というのはね。
マクドナルドのようなマニュアルに従って作業をすることが決められている職場で
マニュアルに従わない従業員が作業をすると間違いが発生するからだ。
案の定。
車を走らせながら楽しみにしていたコーヒーを飲んだら、なにか薄い。
うん?
と思ったがコーヒーというのはその日の体調によったりだとか
ひとくちめとか、最初の方は味が少しわからなくなってしまうものだから
と思って気にせずに車を走らせながらちょくちょくと飲んでいた。
でもやっぱり薄い。
コーヒー未満、コーヒーテイストのお湯以上のあいだといった感じの飲み物でいつまでたってもコーヒーにならない。
あきらかにつくりかたが間違っていて、それはマニュアルに従っていないからだ。
あまり上手いたとえ話ではないのかもしれないけれど、
私はマニュアル対応というのは清帝国の辮髪に似ていると思っている。
髪を切るか?頭を切るか?というスローガンのもと
漢族が蛮族の卑しむべき異習として嫌悪する辮髪を強制することで服従していることの証としたのだ。
別の言い方をすると規律ともいうのだが。
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新潟空港からウラジオストック航空に搭乗することになった。東京駅から新幹線車内で待ち合わせたのはコラムニストの高山正之氏ら合計四人。このミニ探検隊が急遽「結成」されたのはひょんな経緯からだ。
昨年、フライング・タイガーの基地跡を湖南省の西南部にある辺境、渋江までこの四人組にあと三人ほどでグループをつくり見に行った。ここは岡村寧次と何応鈞の終戦協定を結んだ場所でもあり、反日宣伝が濃厚な記念館がある。
例によって改竄史観の反日展示だが、日本軍と戦ったのは「偽軍」とあるので、この「偽」は何処かとガイドに問うと、国民党軍を意味することだったのには笑った。そうだ、フライングタイガーは蒋介石に協力したのだ。
さてウラジオストックを戦前の日本人は浦塩斯徳と表記したが、ロシア語の原義は「東方を征服せよ」という物騒な意味がある。
ロシアは不凍港を求めて清帝国の版図を結果的に強奪し、地政学的にみれば中国の海の出口を塞いだ。中国にとっては恨み骨髄の場所である。
それゆえ中国人はウラジオストックとは言わず歴史的な地名=ハイサンウェイ(中国語では「海参威」)と言う。ついでに言えばロシア人は中国人を「キタイ」を呼び、いまも陰湿に排斥するし、中国人は「オロシア」と言うから、ま、お互い様か。
というわけで筆者の一番の興味は三カ国の国境の現状である。
ロシアと中国と北朝鮮の国境地帯はいまどうなっているのか? 不思議に日本のマスコミはこのことを追求しない。
筆者は中国側からは何回かロシア国境を見ている。スイフェンガ、黒河、満州里、そして延吉から図門へ行くと北朝鮮、軍春からはロシア国境が、また吉林省の集安、丹東からは北朝鮮国境も見た。つまり旧満州の七箇所から国境を見た。反対にロシア側から中国国境をみたのはハバロフスクからアムール川との国境くらいだった。
とりわけウラジオストックより西側のハザン地区は北朝鮮と国境を接し、ちょっと北側へ回れば中国の軍春である。
二ヶ月準備期間があった。第一にロシアのヴィザをとらなければ行けないが、これに一ヶ月を要する。つぎに肝心のハザン地区へ行けるかどうか。ポシェット港、ザルビノ港を見学できるか、どうか。
直前にこの地区に入ったNHKが追い出されたと聞いていた。旅行社を経由してロシアに打診したが、「審査」に最低一ヶ月、そして土壇場で蹴られると旅行そのものが成立しなくなる。というわけでハサン地区はあきらめ替わりにナホトカを加えることにした。
事態の変化はつぎのようである。
東西冷戦が終了し、ロシア極東軍は削減され、しかも北朝鮮から露西亜軍事顧問団は引き揚げた。北は最大の保護者を失い、唐突に北京へ秋波を送る。
一方、中国の経済力が著しく飛躍し、北朝鮮も経済の飛躍が政治安定を招くのではと経済改革を模索しはじめた。日本の財界が主導した「日本海経済圏」の思惑とも合致してロシア、中国、北朝鮮の国境付近の大開発が決まり、かなりのインフラ建設が進んでいた。十年前までの話である。
中国側は「図門江開発」、北は「豆満江開発」。そしてロシア側は「ハサン地区開発」(ザルビノ、ポシェット両港を含む)とそれぞれ名称こそ違え、経済交流による相互発展目的は温度差があったが、基本的に共通目標だったのである。
数年前にも中国からポシェットへ鉄道が通じたというので軍春へ見学に行くと、工業団地が造成されており、中国企業、韓国企業にまざって日本企業が三社ほど進出していた。
延吉から高速道路工事が進み、あたり一面が普請中だった。開発ブームは各地にクレーンを林立さえ、ブルドーザが動き回り、輝かしい未来を予感させていた。
ところがその後、北朝鮮の苦境と核開発が状況を激変させた。
第一に日本企業が拉致問題の露呈と核開発に嫌気して進出意欲がそがれ、積極性を失う。
第二に中国は北朝鮮へ直通ルートをつくり、ロシア側の港湾へ鉄道をつなげたものの昨今は北朝鮮の羅津、先鋒開発に重点を移した。つまり中国は北朝鮮を経済植民地となし、ロシアを袖にする野心を露わにしたのである。
第三にロシアは中国、北朝鮮への鉄道接続ルート強化に乗り出し、ちぐはぐに対応をみせた。
第四に韓国が間隙を縫って各方面に浸透していた。
そこである日、モスクワからプーチン大統領(当時)がウラジオストックへやってきて、「シベリア極東大開発」の号令を出し、状況が一変する。2014年ソチで冬季五輪。ならば極東の目玉を2012年、ウラジオストックでのAPEC。そのために大開発が必要というわけだ。
怪しい旅行団の結成にはそうした経緯があった。
(続く)