はてなキーワード: 声が出ないとは
人間の言葉として成立する声を出すために事前に5秒ぐらい喉を作る時間が必要なんだよ。
風邪引いてる状態で頑張って喋ろうとしたときを思い出して欲しいんだけど、喉のあたりを上手い具合にこねくり回して痰絡みをワキに避けて空気の通り道を作る作業が必要なことあるだろ?
俺はいつもそうなんだ。
生まれてから今日までずっとずっと鼻炎だから、ずっとずっと喉の奥に鼻水が居座ってる。
それを避けておかがないとただ挨拶しようにも「ゴンニヂベッパバッb」みたいな声になちゃう。
だから曲がり角でいきなり人と遭遇したときとかに「おつかれまでーす」みたいに声を掛け合うのは無理。
お辞儀をするのが精一杯。
喉を作った状態で喋り続けてるならいんだけど、特に喋るわけでもなく喉を作り続けるのってしんどいんだよね。
特に歩きながらやるのは辛い。
だから挨拶しようとしてお辞儀だけになることが結構多いんだけど、アレを「アイツ感じワリーナ」と思われてそうなのがすげームカつく。
お前が気軽に考えてる挨拶に俺がどんだけ労力を必要とすると思ってんだよ。
多少気まずくてもいいから50m先から歩いてこい10mまで近づく頃には喉が出来てるから挨拶出来るよ。
いきなりエンカウントすると同時に挨拶を求められるのはしんどすぎる。
お前に分かる感覚でいうと、道で取引先にいきなりあって1秒後には相手が名刺を差し出していて自分もすぐに渡し返さないといけなくなるぐらいの緊張感と「いや無理だろ反応できね―よ」があるんだ。
分からねえだろうな。
いきなり声を出すっていうことが大変っていう感覚がそもそもさ。
分からねえだろうよ。
分からねえと思う。
もう諦めてるよ。
そうやって単に身体がちょっとだけ不自由なだけの人間を「普段はちゃんとしてそうだけど、咄嗟のときに真の人間性が明らかになる、根っこの部分じゃ失礼気回るクズ野郎」とでも思って暮せば良いよ。
戦争はイケると思われたらやられる
だから、集団的自衛権でならず者国家から攻撃受けないように国家体制を整えるわけじゃん
けど、ウクライナはそれをしてこなかっかわけだよね
本来ロシアから完全に離れて西側に移りたいなら、NATOに加盟できるように国内外の調整をしなきゃいけなかった
ウクライナの場合は法律だけに限らず人口分布から領土のあり方まで調整しなきゃいけないところをサボったわけじゃん
どっちつかずの状況を維持してたからNATOにも加盟出来ず、ロシアも突き放し切れずでロシアにイケると思わせてしまった
日本で例えるなら、中国系住民が半数超えるような地域抱えつつ、アメリカの支援を求めるみたいなコウモリムーブかましてたわけだよ
現状当たり前のことが起こってるわけだ
クリスマスは娘の誕生日だ。僕はあの日から毎年クリスマスに年末ジャンボを1枚だけ買うことにしている。大きな意味はないつもりだ。ただ、あの日から大きく変わってしまった僕の人生が変わらないかどうか、毎年運試しをしているだけ。でも、その運試しも外れてばかりいる。人生そんなもんだ。
「大きく当たりますようにー」
宝くじ売り場のお姉さんが言う決まり文句。その言葉に見送られて、僕は宝くじ売り場を後にした。今年も買った1枚300円の年末ジャンボ宝くじ。たった1枚それを買うだけでも、財布の中の小銭をかき集めなければならなかったし、今晩のご飯は抜きだ。この貧乏生活にも慣れてはきたが、安い家賃でなんとか借りられた今の部屋を「住めば都」だとは思えない。しかしそれでもそこ以外に帰る場所はないので、足は自然とそちらへ向いた。
世間はクリスマスで浮き足立っている。華やかな街のイルミネーション。赤いサンタ服を着て呼び込みをする若者。楽しげにしているカップル。中でも見ていて一番辛いのが、幸せそうな家族だ。僕がもう無くしてしまったもの。それを持ってる人たちを見るのが辛いので、つい裏通りに入ってしまった。
そんな声が聞こえてきた。そちらの方を向くと、高校生くらいの青年たちがいた。見た目はどこにでもいそうな高校生たちに見えたが、ほんのりやさぐれた空気を纏っている。しまった、と思ったがもう遅い。
「僕は大したお金は持ってないよ」
「おい、やるぞ」
声をかけてきた青年が仲間にそう言った直後には殴られ、財布を盗られていた。
「うっわー、まじで大した金ないじゃん。札すら入ってないぜこの財布」
「え、超貧乏じゃんそれ」
「待て、なんか入ってた。なんだよ宝くじかよー」
青年たちがそう言って財布からあのたった1枚の宝くじを抜き出している。
「まぁいっか、宝くじだけもらっとこうぜ」
そう言って彼らは立ち去ろうとしている。大きな意味を持ってはいないはずの宝くじだったが、持っていかれようとしたこの瞬間、僕は自分が間違っていたことに気がついた。
あの日からどん底の生活に落ちて、それでも生きているのはこの年末に買うと決めた宝くじがあるからだった。だから、返してほしかったが、ボコボコに殴られたお腹が痛くて声が出ない。そして青年たちの声は遠ざかっていく。
悲しい。どうしようもなく悲しい。
「通報は、しないで…」
「あ、おじさん目が覚めた」
目を覚ますと、そこにはちょっと気の強そうな20歳くらいの若い女の子と、その背後に二人のXメンみたいなサングラスとスーツ姿の男が見えた。
「君は…?」
「おじさん、あんまり無理しない方がいいよ。とりあえず水飲みな」
僕はどうやらベンチに寝そべっているようで、ゆっくり体を起こしてからいただいた水を一口含んだ。
「おじさん運が悪かったね。大丈夫?」
「ありがとう。助かったよ」
僕はまだお腹が痛かったけど、水のおかげでだいぶ楽になり、事態を把握できた。この女の子が助けてくれたのだ。ここは倒れたところからそう遠くない公園だった。きっと後ろのXメンみたいな見た目の男性が運んでくれたのだろう。
「おじさん、もしかして訳アリだった?通報はやめて欲しいって」
「警察は嫌いなんだ。できる限り関わりたくない」
そう、警察は嫌いだ。
10年前、僕は痴漢の嫌疑をかけられてしまった。警察の人はとても怖くて、僕はやってもいない痴漢をやったと言ってしまった。認めて示談に持ち込んだら、この地獄のような取り調べから逃げられると思ったからだ。
でもそれはどうしようもないほど悲しい浅知恵で、結果的に僕は家族も仕事も失うこととなった。10年前のクリスマスを最後に、娘には会っていない。今頃は18歳になっているはずだ。
しかし、この女の子も警察が嫌いとは、どういう事情だろう?そこに疑問を覚えたが、踏み込むより先に女の子が言う。
「おじさんいくら盗られたの?」
「1000円も盗られてないよ。財布には小銭しかなかったんだ」
「おじさん、やっぱり訳アリなんだ」
「訳アリというか、貧乏なだけだよ。ただ…」
「ただ、何?」
「毎年のクリスマスに1枚だけ年末ジャンボを買うんだけど、それを盗って行かれた」
「やっぱり訳アリじゃん!」
女の子がそう言う。
「訳ってほど大袈裟じゃないと思ってたけど、毎年の希望みたいなものだったよ」
「じゃあ、それ取り返してあげるよ!」
女の子が笑顔で僕に告げる。僕もとてもびっくりしたけど、彼女の後ろにいるXメン二人組も少し驚いたような顔をしていた。サングラスをかけているから正確な表情はわからないけど。
「取り返すってどうやって?」
尋ねる僕に、まーまーと言って彼女はスマホを取り出す。そしてどこかへ電話をかけた。
「あ、お父さん?探して欲しい輩がいるんだけど。オヤジ狩りしてた輩で、宝くじ1枚だけしか収穫なかったのがいると思うんだ。そいつら探して東公園に寄越して欲しいの。うん、ありがと。待ってる」
この会話、そして彼女も警察が嫌いというのがなんとなく繋がった。
「口を慎め」
思わずそう聞いてしまったが、サングラスのXメンにそう言われてしまった。
「まぁまぁ、それは聞かないお約束ってことにしてちょうだいな」
彼女はそう言って僕に頬笑んだ。その笑顔で気がついたが、もしかしてこの女の子は娘と同い年くらいなのかも知れない。
それからしばらく世間話をしていて、僕の身の上はすっかり話してしまった。
「そんな中で買う年末ジャンボ、すごく大切じゃん」
彼女の感想はそこだった。でも、そこを分かってもらえただけでも、まるでクリスマスに奇跡が起きたような気分になった。
「さて、さっきの輩が来たよ」
彼女がそう言って立ち上がった。彼女が向いた方を見ると、いかにも強面なお兄さんたちに囲まれて、さっきの青年たちが縮こまってこちらへ向かってきているのが見えた。
「私に謝まるんじゃない!おじさんに謝りなさい!」
青年たちはこちらに着くなりそう言って頭を下げてきた。僕はなんて答えていいかわからず、しどろもどろしながら顔を上げていいよ、と言った。
「あんたたち、このおじさんから宝くじ盗ったでしょ。それ、返して」
女の子(というか姐さん)がきっぱり言う。ところが、それを聞いて青年たちが青ざめた。
「あの、もうありません…」
「あの…、女にあげちゃいました」
「えぇ〜!!」
「あげたって誰に?」
「姐さんといつも一緒にいる、あの先輩です!」
青年はそう答える。
「え、あの子に?なんでまた」
「ガメたもんだって気づかれてないな?」
「は、はい!」
「金輪際あの子には近づくんじゃない。あの子は何も知らないんだ」
「はい!!」
青年の返事にはどこか悲壮感があったが、それ以上に女の子の言葉には迫力があった。この程度の揉め事には慣れているのかも知れない。
「そいつらはもういいや。おじさん、行こうか」
「行こうって、どこに?」
「おじさんのくじを持ってる子のとこ。くじはおじさんの落とし物だったって話にしよう。ついてきて」
そう言われて僕は、彼女とXメン二人(多分ボディーガード)の後ろを歩き始めた。
「チャットで聞いたらすぐそこのモールにいるって話だったから、そこで待ち合わせることにしたの」
女の子が言う。
「てかね、時々こういうことしないとやってられなくてね…」
彼女はそう言って少し遠い目をした。が、それは一瞬で消えてこちらに言ってくる。
「これから会う子には、私は社長の娘ってことになってるの。裏のことは何も知らせてないから、おじさんもそのつもりでいてね。さっきの公園でのやりとりとか絶対言わないでね」
「分かった」
彼女の要望に僕は答える。彼女の友達から『落とし物の』宝くじを受け取る間程度ならボロも出ないだろう。
待ち合わせ場所のモールに着いた。もちろん僕には誰と待ち合わせているのか分からない。女の子の方は相手を見つけただろうか?そう思って目をやってみると、ちょうど誰かを見つけたところだったらしく、手を挙げて小走りを始めていた。
「りーすー!」
彼女はそう声をあげた。日本語として意味を取りづらいが、状況からすると相手を呼んだと考えるのが妥当だ。
そう思いながら彼女の向かった方に目をやると、彼女ともう一人、高校生くらいの女の子が立っていた。
「理衣澄…」
クリスマスに生まれた子。だから、それにちなんだ名前をつけた。
「お父さん…!」
理衣澄が答える。手元に、年末ジャンボ宝くじを1枚握りしめながら。
今年の宝くじは、これ以上ないほどの大当たりだった。
2016年5月8日の昼ごろ、我が家の裏手にスズメのヒナが2羽落ちてきた。隣の家の軒下にでも営巣してたんだろう。
うち1羽は成熟しており「巣立ち」の最中なのか余裕があって、しばらくすると自力で飛び立っていったが、もう1羽はまだ羽も生えそろっておらず、飛行もジャンプもできない様子。ういのキッチン横の室外機の下に自主的に避難し、縮こまって親を呼んでいた。ネットで軽く調べてみると、スズメのヒナは巣から落ちるのが普通で、落ちたら落ちたで、その落ちた先で親は育児を続けるらしい。まわりを探してみると、両親と思われるスズメがとなりの家の屋根の上から見下ろしており、ヒナとさかんに鳴き交わしていたので、そこに退避したことには気づいているらしい。きっとその場で育児を続けるだろうと思い放置。ちなみに巣立ちヒナのほうは気づいたらいなくなっていた。飛べるので、もう親離れしたのか、あるいは両親が別の場所で世話し始めたのか。
夕方が過ぎ、そして夜になるが、両親はヒナから離れていってしまった。人間を警戒して、室外機の下に入り込めなかったのだろうか。小さな箱に布を詰めて、その中にヒナを移動させ、上から視える位置に移動させるが、結局ダメ。落下してから8時間くらいが経ち、エサも貰えず、気温の低下で体温も下がり、ヒナはどんどん弱っていった。
母は助けてやりたいと言うが、私はこれが野生の摂理だから仕方ないよ、と首を振った。夕食後、ひとりでヒナを見に行ったが、死んでたら埋めてやろうくらいにしか思っていなかった。
ヒナは箱のなかで横倒しになり、目を閉じ、脚をぴくぴくと痙攣させていた。もうだめだ、あと数分で死ぬな、と思ったそのとき、ヒナが私の気配を察して口を開けた。なにか食わせてくれ、という風だった。私はショックを受けた。「助けて」と懇願された気がした。
今考えたら「じゃあ気取ってないで最初から助けろ」と思うのだが、その瞬間、私の心に「守ってやらなきゃ」という炎が燃え上がった。ほぼ衝動的に、ヒナを抱えて家の中に入り、玄関に避難。まず40度ほどのぬるいお湯を注射器で与えてみた。誰かが自分を助けようとしていることに気づいたのか、声が出ないほど衰弱しきっているのに「ピイ」と鳴いてくちばしを開く姿に涙が出た。ぬるいお湯を与えたあと、足温器をタンスから引っ張り出してきて電源をつけ、その中にヒナを突っ込んだ。たまに水を舐めさせ、足温器で暖めながらじっと見守っていると、30分ほどして突然目を開き、大音量で鳴き始めた。体温が上がったこと、水を飲んだことで体力が戻ったらしい。その後、私は夜通しヒナに寄り添い、砂糖水を飲ませたり、きな粉を混ぜた卵の黄身(なんかググったら出てきた)などを与えて、なんとか夜を越させた。相手が人間だと分かっているようだが、平気でエサをねだってくるし、注射器相手にもくちばしを開いてくれた。
9日、日の出とともに親鳥と思われる2羽がウチのまわりを飛んでいた。目の細かい籠に足温器ごとヒナを入れ、昨日ヒナが落ちていたあたりに置いてみると、2羽はヒナの声を頼りに右往左往し始め、やがてヒナの位置を確認したのか、虫らしきものを咥えて飛んで来るようになった。給餌をしてくれているらしい。昼ごろ、何かあった時のために、スズメ用のエサの市販品と、鳥類に給餌するための道具を買ってきた。やっと一安心といったところだが、午後から雨が降り始めた。ヒナや足温器が濡れるといけないのでダンボールで覆う。ところが、雨のせいか、あるいはダンボールのせいか、親鳥は給餌をやめ、立ち去ってしまい、結局夕方以降、ヒナはエサを貰えなかったようだった。
足温器に入っているとはいえ、外は寒いので、中に入れてやることにした。結局この日の夜も、私は夜通しヒナを見守ることになった。ただ、ヒナは本能的に夜は眠るので、特に何もしないで寝かせてやればいいらしいのだが、ネットの情報に惑わされて、ヒナを叩き起こしてエサ(買ってきた擂餌)を無理やり食わせたりしていた。このとき、ヒナは既に人間への警戒心を思い出しており、私たちからエサを差し出されても、お腹は減っているだろうにあまり食べてくれなかった。差し出される注射器から後ずさって逃げて、イヤイヤと首をふるのがとてもカワイイ。
当時、私は就職活動中で、この日の夕方に今働いている会社から内定をもらったのだが、スズメのことで頭がいっぱいで全然喜ぶどころじゃなかった。
10日、天気はくもり。夜明け前にヒナが腹減ったと主張し始めたので、擂餌と砂糖水をちょっとだけやり、そのあと外に出した。日の出と同時に親鳥が飛んできたが、ヒナはさっきので腹が膨れたのか、あるいは寝ぼけてるのか、親の呼びかけに返事をしない。少し焦ったが、しばらくするとちゃんとエサをねだり始め、両親の給餌が始まった。片親が屋根の上で周囲を見張り、もう片方がエサを取ってきて与える、という役割分担が美しい。
朝10時頃にハプニングがあった。近所の野良ネコがヒナを見つけたのだ。母が気づいて、外に出て追い払った。その野良ネコはよく見かける子で、すごく人懐っこく、近所の夫婦に世話を焼かれているので野鳥なんぞ食わんだろうが、ちょっと怖い。ヒナに対して敵意はなく、単に箱を覗き込んでいただけだったようだが(追い払ってごめんね)、とにかく地上にヒナを置くのは、野良猫から守れず危ないという結論になった。
そして、ヒナの引っ越しを決行。親鳥が見守る中、箱ごと持ち上げて2階のベランダへ。ベランダの壁際の室外機の上に乗せた。ここならヒサシがあって雨も防げて、ネコも来れないし完璧じゃん!と思ったが、引っ越しが済んだ昼から夕方まで、親鳥は遠くからヒナを見つめるだけだった。さすがに窓際は人間が怖く、近寄れなかったようだ。日の入り前、片親がギーギーと大声で威嚇音を鳴らして人間を牽制し、もう片方の親がエサを持ってヒナに近寄ろうとにじりよっていたが、やっぱり無理、怖い!という感じで諦めてしまう。そういうわけで、室外機の上よりもっとベランダの外側にアウトドア用の机を置き、その上にヒナを移動させたが、両親はそれを見届けたかどうか分からないうちに姿を消してしまった。とても残念だった。暗くなったのでヒナを私の部屋の中へ移動させ、一晩静かに寝かせた。
置き場は本当にベランダでもいいのか?親鳥は明日ヒナを見つけてくれるか?明日の天気はけっこう酷いけど大丈夫だろうか……など色々と心配事が重なってとても辛かった。私と同じ部屋で眠るヒナは、不安になるほど静かに眠っていた。
11日、天気は一日中雨という予報だったが運良く外れ、朝のみの降雨となった。しかし低気圧のアレで風が強く、人間でも怯えるような突風が朝から晩まで吹き続けた。こんな天気だとヒナは外に出しづらいし、親鳥も来てくれないんじゃないかと心配したが、親鳥は変わらず日の出と共にやってきた。風に煽られ、雨に濡れてもお構いなし。
さてヒナだが、足温器ごと外に出すと突風で吹っ飛ばされそうで、傘とかダンボールとか、いろいろ策を考えたが、レインコートをキツめに足温器に巻いて、ガムテープを駆使して机に固定してみた。親鳥がレインコートに怯えて近寄ってこないのでは……と心配だったが、あっという間に親鳥は欄干まで近寄ってきた。しかし「ヒナの声は聞こえるが、ヒナがどこにいるか分からない」というふうに右往左往するので、少し場所をズラしてわかりやすい位置に。私の部屋の窓からよく見える位置だが………? 少し経つと、どちらかともなくヒナを見つけ、暴風雨の中の餌付けが始まった。一体どこにいるのか、虫をしっかり見つけてきて与えている。天気こそ酷いが、足温器の中は暖かく風もなく快適で、ヒナは健康そのもの、親鳥も献身的で、ネコの心配もない。この日、今までで初めて「誰も家にいない時間」が3時間ほど発生したが、なんのハプニングもなく、親子ともども普通そうだった。雨もやみ、あとは強めの風だけが難点だった。
帰宅後、ベッドで寝っ転がって、親鳥の給餌をぼんやりバードウォッチングしていると、ヒナと片親が、かなり大きな声で鳴き交わし始めた。それはまるで餅つきのように、ピイ、チュン、ピイ、チュンと交互にテンポが良い。ネットで調べると、互いの位置と安否を確認するためのコミュニケーションだと書いてあった。心配になった母が見に来るが、私はそのネットの情報を伝えて、会話してるだけだと思うよ、となだめる。
しかし、母が立ち去った十数分後、突然スズメたちが叫び声を上げ、私が見ている中、ベランダの床にカラスが1羽降り立った!いじっていたスマホを放り投げ、窓にとびつき、開いて、怒鳴り声を上げてカラスを追い払う。カラスはふわふわと飛んで、すぐ近くの電線の上にとまった。逃げたというより距離をとったという感じで、ベランダからは2メートルも離れていないが、人間では手出しできない位置だ。なんて狡猾な…!と、歯噛みした次の瞬間、親鳥2羽がファンネルのように屋根から飛んできてカラスに襲いかかった。カラスが飛び立つ。するとどこからともなく別のスズメやツバメ(近所で育児をしてる別の夫婦たちのようだ)も飛んできて、空中戦がはじまった。カラスは遠くへ逃げ、スズメたちはそれを執拗に追いかけて、追い払おうとしている。私はヒナの無事を確認したあと、ベランダで放心していた。あの鳴き交わしは、遠くにいたカラスを警戒するための点呼のようなものだったのだ。そして、私が見ていなかったら、カラスはヒナにどこまで近寄っていただろうかと考えると恐ろしかった。カラスもこの時期は子育て中で、スズメのヒナは「ごちそう」なんだそうだ。
母が駆けつけたので、事情を説明すると、カラス除けが必要ではないか、と言う。人間が見張っていれば追い払えるが、ずっと見ていられるわけじゃないし、なにより今週日曜日は家はずっと無人になる。賛成だった。母は手芸が得意なので、雨除けのために用意していたダンボールをひとつ持ってきて細工を施し、「巣箱」のようなデザインに仕上げた。中に足温器カゴを入れ、コンセントはそのために開けた穴から外へ通す。もう雨は降ってないのでレインコートはひっぺがした。そして出入り口は上側に。幅5センチくらいの細長い広さにとどめ、スズメは通れるがカラスは通れないようにした。かなりゴツい見た目になってしまったが、両親は受け入れてくれるだろうか、と心配で、2時間ほど窓辺に座って観察。カラス撃退戦から帰ってきた両親がダンボールを見てギョっとしたが、片親はすんなりと入り口の存在に気づき、中のヒナの安否を確認した。受け入れてくれたらしい。もう片方は入り口に気づかず、何度か箱のまわりをうろついていたが、しばらくすると気づいてくれた。本当に良かった。これで安心である。
日の入り前、それまで見張りと餌探しで手分けしていた両親が、両方とも餌探しを始めた。ヒナが寝る前の食いだめのためだろう。父が庭に撒いた米粒を拾い、ベランダといったりきたり上下運動しながら次々とヒナに与えていく。ヒナは生米は消化できないとネットに書いてあったが、そんなことないのか……? 日が沈むと両親は帰って行き、私はヒナを机ごと部屋の中へ。その晩はチョッカイを出さずに、ずっと眠らせていた。
12日、私が寝坊して夜明けに微妙に間に合わなかったが、慌てて机ごとヒナをベランダに出すと、早速両親が給餌を始めた。部屋から観察してみると、両親とも巣箱に慣れ、給餌以外の用事でも箱のなかに入り、ヒナの世話を焼くほどになっていた。何度かカラスが近所に現れたが、そういうときは両親とも餌探しをやめ、巣箱に背を向けて欄干に並んで立つのがかっこよかった。
この日は天気がとってもよく初夏並に暑かったので、日中は足温器をOFFにしていた。まったく問題が無さそうだったので、私は巣箱ガン無視で普通に勉強していたのだが、1時頃、突然様子がおかしくなり、窓の外を覗き込む。欄干に3羽のスズメが止まっていた。は?と呆然。しかも穏やかじゃない雰囲気。ベランダに飛び出すと、2羽は右隣の家の屋根に、1羽は電線に飛び退った。2羽のほうが両親だろうが、あの1羽はなんなの?
1雇われベビーシッター 2親戚 3両親が世話してる他の子供 4この界隈で子育てしてる友人 5赤の他人(縄張り争いに来た) とかそこらへん? 昼ごろからゲーゲー鳴いてたし、縄張り争いかもしれない、と思った。巣箱を覗き込むと、ヒナと目が合い、ヒナが怯えて後ずさったが、元気そうだ。とりあえず部屋の中へ戻り、心配で巣箱を眺めていると、両親が来なくなった。たまに飛来しても、穏やかじゃない雰囲気。道路に出てみて、家を遠巻きに眺めても誰もいない。育児放棄? 縄張り争いで追い出された? とか色々考えるが答えは出ない。それから2時間ほど窓辺で観察していたが、
・青虫を咥えた親鳥がやってきて、箱のなかのヒナが鳴くが、なぜか親鳥は餌付けせず、咥えたまま箱から出てきて困り顔で飛び立つ(2回)
・エサを咥えていないスズメがやってきて、欄干を歩きまわって立ち去る
・スズメが欄干にとまってカチカチと警戒音を鳴らし、アウトドアテーブルの中を歩きまわって隅々までチェック
・巣箱の上に立ってダンボールをつつき、ぐるぐると歩きまわる。そこにもう1羽のスズメがやってきて、威嚇音とともに飛び立つ
など、不可解な行動が続いてますます混乱。登場人物が親鳥だけなのか、それとも他のスズメが混じっているのか、さっぱり分からない(見分けがつかない)。
ヒナの安否を確認しに行くと、足温器の端っこの端っこで布にくるまって縮こまっていた。怖いらしい。心配だし謎だらけだったが、大学へ行く時間になってしまったので、今起こっている状況を母に説明して外出。そして授業中に、ハッと思い至った。もしかして、ヒナが足温器の隅っこから動かないから、親鳥が箱のなかに入ってもヒナが見つけられず、ヒナがどっか行ったと思って混乱していたのではないか? そう考えると、あの謎の3羽目以外のすべての現象に説明がつく。巣箱からヒナのおねだり声は聞こえるのに、中にはいっても、どこにも見当たらない。それで両親は巣立ったのか?とか食われた?とか考えてあちこち探しまわっていたのだろう。そのことを母にメールすると、大正解だった。母の実験と観察の結果、ヒナは給餌にきた親鳥のために姿を見せることをせず、いつまでも隅っこでヌクヌクしていたというのだ。母は足温器の隅っこを折りたたんでめりこめないようにし、両親に突き出した。やがて両親がヒナの存在に気づき、給餌を再開するが、もう夕方。2羽総動員でエサをかき集めて与えていたそう。その間にも、また布の隙間に隠れてしまったヒナを見失って両親が右往左往し、母がアシストするという出来事が繰り返されたとか。私が帰宅したときには日没後だったので、ヒナは家の中で寝ていた。まったく人騒がせな奴。
13日、快晴。足温器のはじを折りたたむことでヒナの隠れ場所を無くしたつもりだったが、もうありとあらゆるスキマにめりこんでしまい、何度も親から姿を消してしまう。しょうがないので巣箱を外し、足温器+カゴの状態で外に出すと、数時間見失いっぱなしだった親鳥がやっとヒナと再会し、今まで聞いたこともないくらい優しく「ピヨピヨ」と鳴いて、エサを取りに飛び立った。ヒナは足温器から出てきてカゴの端に止まり、親の帰りを文字通り首を長くして待っていた…が、次の瞬間バサバサと飛んで落ちた!上へ上昇する力は無いらしく、ベランダの隅に落下。ああ、こうやって巣から落ちるのか、と感心しつつ、私はバッタを捕まえるようにヒナを手で捕まえて、カゴに戻す。しばらくして両親が2羽でやってきてヒナの安否を確認し、飛び立つと、またヒナがカゴの端に立ってしまう。落っこちそうだ。そろそろ巣立ちかな、と思うが、朝からカラスがうちのヒナをずっと見ていることには気づいていた。親鳥が屋根から見守る中、戻って戻って、と叫びながらベランダでヒナににじり寄ると、ヒナは足温器の中に戻っていった。それと同時に、カラスがものすごい近くを飛行して通り過ぎていった。やっぱり狙っていたか。
こうなってしまうと、親鳥が餌付け&発見しやすいようにカゴを外に出すよりも、カラスから身を守らせたほうがいいな、と思ってまたダンボール巣箱の中に戻した。すると、驚くことに、箱のなかでヒナが羽をばたつかせ、自力でよじのぼって外に出てきた。もう彼の巣立ちを止めることは誰にもできないようだ、と静観を決めるが、またベランダの隅に落ちてピーピー文句を言うので、もう一度捕まえに行った。捕まえる時、母親が屋根の上からアブラゼミのようなすさまじい声で威嚇してきて殺されるかと思った。箱の上にヒナを戻して早々に立ち去る。その後、箱の上で「どうやったら飛べるの?」といった感じでモジモジするヒナの元へ両親がやってきて、となりに並んで早口でさえずり、まるで飛ぶコツを教えているような様子が見れた。ヒナが「ピ!」と元気よく返事をしているのも可愛くて、思わず録画した。しかしその後また飛ぼうとして落下。調べたところによると、スズメの巣立ちというのは他の鳥と違って、このように「飛ぶ力はないが羽ばたけるっちゃ羽ばたける」状態になった頃にするのが正しいのだとか。そうして巣から落ちて、地面で暮らし始めるらしい。というわけで、もう箱に戻すのはやめた。それから夜まで、ヒナはベランダの床で過ごすことになった。ピョンピョンと跳ねて歩くのは完璧にできるようになったが、飛ぶ力がなさすぎる。羽ばたいても10cmがせいぜい。親鳥の後を追って、ベランダの手すりに飛び乗ろうと試みるのだが、まったくできない。ただ、その壁を飛び越えるくらいのスキルがないと、カラスや野良猫や自動車の渦巻く外界では生きていけないわけでして。親鳥はヒナが四苦八苦しているのを上から眺めるだけ。やがてヒナは疲れ果て、尻もちをついて座り込んでしまった。脚を前に投げ出してショボンと肩を落とした姿が可愛すぎてまた写真を撮った。すると親鳥がエサを与えに来て、励まし、また飛び去っていく。少し元気が出たヒナが親鳥のあとを追おうとして失敗。こんな調子で夕方になってしまった。日が暮れるとヒナは室外機の下に引きこもり、親鳥が夕飯をたくさん与えて、この日は解散。野生の巣立ち雛は、ひとりで茂みなどに隠れてこうして夜を越すそうだが、さすがに寒いしかわいそうということで、室外機の下に腕を突っ込んでヒナをむんずと掴まえ、足温器の中に入れておいた。過保護過干渉かもしれないが、ここまでやったんだ、こんなところで凍死してほしくない。結局そのあと机ごと部屋の中にいれて夜を越させた。
14日、15日はヒナがダンボールの上やホットカーペットの箱の淵に立って風を浴び、たまに親からエサをもらう日々が続いた。天気はずっと良かった。ヒナがたまに飛ぼうとして落ちて、ダンボールのところまで戻れない~と悲しそうにしてるので、15日には机の上のダンボールまで自力で戻れるように、DIYで余った板や、プラスチックの箱を組み合わせて、スロープみたいなものを設けた。アスレチック場みたいになった。15日は家族全員が日中ずっとでかけてたので、そのスロープが役に立ったかは分からなかったが、帰ってきたらヒナは無事に足温器の箱にいたので良かった。夜は寒いので家の中へ入れてやる。
16日。風が強く、カラスもよく目立つ日だった。近くにカラスがいるとき、ヒナはダンボールと欄干のスキマに隠れ、親が並んで欄干に立ってヒナを背中に守ってたのがかっこよかった。
そして昼ごろ、親鳥1羽とヒナの2羽が段ボール箱の上にいて、私がそれをなんとなく横目に見た瞬間、目の前で2羽が飛び立った。えええ!飛んでった!と1階にいる母に向かって叫び、ベランダに出た。2羽は隣家の庭におちていた。直後、隣の家の奥さんが出てきて、どうするかなと思ったら、2羽ともちゃんと飛んで逃げた。しかもヒナは電線まで飛び上がっていた!地上から電線まで飛べる力をいつの間にかつけていたとは。その後、姿見えなくなったが、数分後うちの庭に家族3人できた。母親?のうしろをテコテコついていくヒナがかわいすぎる。
このあと、ヒナがうちに現れることは二度となかった。ネットの情報によると、飛べるようになったヒナは親のテリトリーから出て行き、同じような年齢の若いヒナとグループを組んで暮らすらしい。17日・18日あたりは、親鳥らしき2羽がウチにきてベランダを覗き込み、うちの子来てます?って感じにピヨピヨ鳴いていたが、また見失ったのだろうか。母によると、スズメに米粒をあげると、たまに飲み込まずに咥えて飛んで行くやつがいるから、もしかしたら餌付けしてるかもしれない、と言っていたがどうだろう。ヒナと親で飛んできて、親が米を拾ってヒナにあげるシーンが見たかったけど残念。
野鳥の保護って条例だかなんかで罰則の対象な気がしてて、ネット上で言いふらしていいことじゃないと思ってたから。今もそう思っているが、9年前だし時効だろ
男性と結婚している女性です。配偶者は40代前半、私は50代前半です。地方都市在住です。私は地元ベースの大企業の役職者です。
配偶者は大学卒業時に就職活動をせず(できず)、しばらく親元でアルバイト等をしながら生活していたが、何かのきっかけで学生時代の友人の住む私の地元に移り住み、そこで私と出会いました。私と出会った時は飲食店の店員でしたが、それまでコールセンターや大工見習いなど様々な職を転々としていたようです。
彼は、勤務先の飲食店の閉店を機にプラント管理の仕事に就き、その後しばらくして私たちは結婚しました。
結婚生活のためもあったのか、プラントでは約10年間勤めましたが、仕事の内容や人間関係は当初から不満だったそうで、ついに先日退職してしまいました。
その時に辞めるの辞めないの、辞めるにしても次の仕事を見つけてからにするのしないのと散々大騒ぎしました。
彼の場合、大騒ぎというのは世に聞くような暴力や大声に訴えるのではなく、とにかくこちらが弱るまでメソメソした上で、あらゆる決断を私の責任にするという手法です。
我が家の場合、私の方が収入が高いのですが、私は家計の管理が苦手ですので、彼に通帳を預けていますが、頑なに私の通帳からお金は使わず、全て彼の収入で家計が賄われています。
その金銭負担のために嫌な仕事をメンタルがやられるまで10年も続けた(のは私のせい)、と。
また、私は幸い仕事に恵まれて楽しく働いているので、その感覚で、(まったく働かないのも退屈だし、一回無職になると次の仕事を見つけるのが大変と聞くから)次の仕事が決まってから辞めたら、と言ったら、次の仕事が見つからないから辞められない(私が辞めさせてくれない)、こんなに辛いのに!と、執拗に責められました。
そうこうする内に幸い新しく彼を受け入れてくれる会社があり、彼は転職しました。今度は小規模な製造業で、ベテランの女性の多い職場のようです。
それから1月あまり、仕事もまだ覚束ない中、ベテラン女性先輩のあたりがキツいとのことで、あっという間に再度メンタル不安定に陥ってしまいました。
仕事の段取りが上手くいかないのは時間が足りないだけで仕方がないし、仕事が身につきさえすれば、ベテラン女性とは手のひらを返したように懐いてくるもの。だから時間が解決してくれる、と私が一回遺留したばかりに、毎日帰宅後はため息をつき続けるか、声が出ないと言って小声でつぶやき続けるか、(ロボット調の)変な口調で敬語で話し続けるか、たまには泣くなどして、私のせいで嫌な仕事を続けていることを思い知らせて来ようとします。
(根負けして)あなた(彼)の健康が一番大事だから、辞めたかったら辞めて,嫌だったらもう明日から行かなくてもいいから、と言っても、もう言い出すタイミングを逃したから、と。
本人は本当に辛いのだろうと思いますし、私は彼の力になりたい。でもやりたいようにやってもいいよと言っても、やりたいことがわからない、私が決めた通りにしたい、と言う。私も私で性懲りもなくこうした方がいいんじゃない?ああした方がいいんじゃないと言いたくなってしまう。そして、私が言った通りにしたらこんなに不幸だ、生きている意味がない、の無限ループです。
彼の「弱り」の表現があまりに多彩で巧みにこちらを削ってくるので、「弱り」の表現で相手をコントロールできるという成功体験からその技術を磨いてきたからなのではないか、とふと感じてしまいます。
彼は転職活動以来,別の症状で通院している内科から安定剤をもらって服用しています。カウンセリングや精神科を受診した方がいいのかと考えているようですが、自分では行けないと言うので、私の職場のメンタル相談で、適切な受診先を教えてもらおうと思います。
部屋の前にいる連中は警察官であり、返事をする必要があるとお前は知っているが、まだ身体は目覚めていないため、ただモゾモゾと動くことしかできない。
しかし、そのわずかな身じろぎの気配をドア越しに鋭敏にも感じとった警官たち(どうやら、4人ほどいるようだ)は、お前が居留守を決め込んでいるのだと判断する。
ドアが叩かれる。容赦のない叩き方だ。
「増田さん!」「増田さん!!」「いるんでしょ!」「増田さん!!!」
男たちが声を上げる。警官は全員男で、全員野太い声をしている。声量は、ちょっと驚くほどに大きい。
お前は焦る。早く応えないといけないが、恐怖のあまり喉がつっかえて、声が出ない。立ち上がろうとするが、足がもつれてうまく立てない。「増田さん!!」「増田さーん!!!」「出てきて下さーい!!」
その声で目を覚ます。
耳には、お前の情けない叫び声が残っていた。
じゃあ、かつて「チンポをしゃぶったことのある」男はどうなったかということを、これから書いていこうと思う。
女性やゲイといった、具体例がわかない人には【大島薫】という人の人生を読んてほしい。俺は彼ではないけど、男なのにチンポをしゃぶって、しゃぶられて、彼女だけをつくって、ちんぽでアクメして、されて、女とだけと結婚して、自分の子供が欲しいし、射精と前立腺の快楽を享受したかった、ということを書く。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E8%96%AB
いきなりカミング・アウトすると、俺は「中年童貞で、益田界隈では(KKO)で結婚してはいけない、社会最下層のヘテロセクシャルなオッサン」である。それでも、かつてはバイ・セクシャルだったし、性の究極点を求めていたのだ。それが、なぜにヘテロ・セクシャルに落ち着いたのかを、つらつら書いていくことにする。今となっては、増田の「毛の生えたちんぽを舐めたい」なんて反吐が出るし、つまりはゲイ野郎も大嫌いだし、エロは「女に当然に中出し、漫画に至っては受精シーン」を要求する。それでも「中1までに男と女にセックスをして、ついでに男に掘られて前立腺刺激からの射精で気持ちよくなる」ということができなかった人生は後悔しているのだ。だから、元バイ・セクシャルの懺悔を書いていこうと思う。
ところで、俺もちんぽをしゃぶったことある。12歳ぐらいのときに、日能研に通っていた同期の男の子のペニスをしゃぶってみたんだよ。理由は思い出せないけど、受験で疲れていたからだと思う。彼はまだ毛が生えてなかった。その時は、包茎ちんぽを剥いて勃起させてハードにジュポジュポしてみて、途中で「ヤバいのがくる」からやめろって言われて、ストップさせられたから彼を精通させられなかったけどね。今となっては、もったいないことをしたと思う。当時はちょっと塩っぽい、カウパー腺の分泌液をもってして、他人のチンポってこんな感じか、と思ったものよ。いまとなっては、そこを超えれば精通させてあげれたし、他人の精液ってこんな味かと知る機会を失った。そして、増田の言うとおりチンポの感触は忘れられないのも、事実だ。
ただ、自分は当時、プラトニックな関係の彼女がいたのだ。それで、チンポをしゃぶったあとで後ろめたさはあった。ただ、匿名でこんなことを言うのはあれだけど、神に誓っても良い。チンポをしゃぶったことがあるのは、本当にこのときの1回限りだ。
そんで、中学受験の果に、中学に入って、当時はオナニーを知らなかったから、同期(♂)にオナニーの方法を「手コキされて」教えてもらって、あまつさえ別の同期(♂)に「フェラされて」抜いてもらったことある。いま思い出すと、キツネ目で女顔の中1男子に「いま、イッタでしょ?」ってニヤニヤしながら「手からドロっと滴るマイ精子をみせつけられたシーン」とか懐かしいし、そいつの無理やりシコシコする手コキは痛かったし、さらに別のヤツに「いきそう!」といった瞬間に激しくなったフェラは下手くそだったけど、おっさんとなったいま思うと、青春だったと思う。当時の「オイラのペニスはでかい」っていう噂を聞きつけて、何人かの男子にマイ・チンポを手コキかフェラで「抜いて」もらうイベントが発生した。概ね、施設か公園の多目的トイレに入って、まずはチンポをフルボッキさせるのね、お互いに。オイラのちんぽは中1で 14cm あって、しかも太くて、長さと太さで負けたことはなかった。なんだったかな、チンポはオナニーすると腹側が伸びるから、努力しろってアドバイスもらったけ?そんなこんなで、かぶと合わせしたり、触らせてー、舐めてみても良い?、となって手コキかフェラでシコシコしてもらって、オイラが射精したら、お開きというのがルーティンだったかな。そんなときに限って「あっ///」みたいな、こもった声が出ちゃうのだ。自分でシコるときには声が出ないのにね。そんなこんなで、男に手コキとフェラで抜いてもらう経験を、1年間で 6人に 10回ぐらいやってもらったのだった。
もちろん、抜いてもらった瞬間はすごく気持ちが良かったが、当然にイジメの対象になった。たしか、ちんぽデカ夫、とか言われたっけ? それで辛くて、『性』が嫌いになったよね。チンコがでかくて、ホモが近づいてくる、そんなヤバイやつというのが当時の俺の評判だった。女にも「ちんこでかいの?」「誰に抜いてもらったの?」と聞かれたっけ。どいつもこいつも「私(女)とセックスしよう」というやつはいなかったが。そんでもって、未だに童貞であるし、そのことに不満はないが、それでも後悔しているのが、男の同期にちんぽを尻穴に突っ込むか、突っ込んでもらって男色の世界を知ろうとするチャンスをロストしたことだと思う。当時は、絶頂の果てに罪悪感がマックスになっていただろうが、性欲マックスのあの頃にしかできないであろう、男のケツで射精するのはこんな感じであるとか、他人のチンポを穴に入れられると気持ちいいとか、あのときに知っておきたかった。当時は性欲でホモになるのが怖かったし、自分の子供ができるのも怖かった。エレクチオン・バトルしたあとに、自分の射精を終えたあとで「お礼に」ケツ穴を差し出せば良かったのだろうか。中高を通してヤリ目的の彼女はできそうだったが、ヤった後で振る方法がわかんなくて、デートが続かなかった。ヘテロなセックスは子供ができるのが、どうしても怖かったのだ。それに、小6のときの本当に好きだったあの娘と橋の下でキスしたあとに、無理やり押し倒してセックスをやれば脱童貞の果に、子供ができたとしても良かったのだろうか、という気持ちが「女に対する性欲」を打ち消してくれたのは、自覚的だった。俺は、今もあの娘のことが好きだ。消息は知らないし、今の俺に彼女を幸せにできる余裕はないが、彼女の笑窪はどうしても忘れられない。
中1までに性欲の向けた先の限界を知れば、のこりの中高5年間を勉強に突っ走り、その後の人生は安泰だったのかもしれなかったが、もはや KKO になってしまったので過去はどうでも良い。童貞ではあるけど、風俗店なんかに絶対に行かないのは、小6・中1のときの自分に戻って「タダで男と女にセックスできる」可能性が「自分にはあった」ので満足しているし、オッサンとなった今では「子供がほしいから女とセックスしたい」という気持ちだけが残ってしまったので、おそらく『今は』ヘテロ・セクシャルだろう。だから、増田のように「成人男子のチンポをしゃぶりたい」というのはわかんないけど、俺のような「若い頃はちんぽをシャブリ、シャブられた果に、ヘテロセクシャルなオッサンができあがるよ」というのは教えてあげたいと思ったのだ。だから、この駄文を書いている。
これからは、ヘテロ・セクシャルなおっさんが、男色に無関心となっていく理由を書いていこうと思う。今は、男性器が嫌いというか、少なくとも舐めたいとすら思わない。要は、他人のちんぽにそそられる理由が、年齢と比例して低下する根拠を書く。それなのに、相変わらずマンコは舐めたいし、ペニスでワギナに射精はしたいのだ。これはどういうことなのか?はやい話が、オッサンになったのだ、この俺が。
確かに、俺は小6のときに「毛の生えていない包茎ちんぽを無理やり剥いてフェラして、あと少しで射精できただろうという経験」は忘れられないが、今は全然に興味が無い。少なくとも、無料で、無罪で、日本がアフガンみたいな世界になっても「絶対にしない」と思う。なんというか、「あのときに」新品のチンポを舐めたという記憶が、性体験として自分の中では至高であっても、「ガキのチンポ?、全く興味ないよ」って言える。何故か?
たとえば、覚醒剤中毒者が「至高のエクスタシー」を知っているかもしれない。俺も、若いときには「それを知ってみたかった」のだ。だって、これだけ批判されるのに、彼らは消えないからね。ただし、逮捕は嫌だったから絶対に手を出さなかったが。でも、アナルなら逮捕されないらしいので、試してみることにした。芸能人にホモだから追放された人は、少ないからね。
それで、結果として、ゲイの連中も覚醒剤中毒者が主張するような、前立腺という「肛門性交は中毒性があって、ノンケであってもハマるし、知ってしまえばマンコはアナルに劣る」という主張が、無理だったことに気がついちゃったのよ。主に2つの理由で。
ひとつめの理由は、ホモになる努力、たとえば前立腺で絶頂することに投資してみたけど、巷で言われるほど気持ち良い体験が得られなかったのだ。デイルドーで突いてみたけど、ウンコと血が混じったものが出てきて、そりゃゲイは HIV にかかるわー、とすら思った。そして、受け側のゲイでも全員が肛門性交で絶頂できていないことが 5-MeO-DIPT という「ホモ御用達」の薬物が違法化された事件で明らかになった。つまり、被挿入されるゲイの連中は、実は全員が絶頂できていないことに、俺は衝撃を受けたのだ。ホモは嘘つき、ってね。
ふたつめの根拠は、俺はどう頑張ってもマンコが大好き人間で、マンコが気持ちいいだけでなく、次世代を生み出す「ゲイには絶対に提供できない」偉大さに気がついてしまったのだ。マンコは偉大。なんと言っても、男の俺が持ち得ない子どもを提供してくれるからだ。どうしても、ホモは妊娠できないからね。
まぁ、なんだ、自分が「ホモでは無い」ことは死ぬまでわからんと思うよ。俺もわかないし。俺も「ちんぽを舐めたい」と思ったのは、小6から中1までだもん。個人的には、冒頭のように「誰かを射精させて、精子を飲んでみたかった」時期がありました、ってことは事実だし、実際にやった過去はありました。今はヘテロ・セクシャルを自覚してるし、当時はチンポを舐めると「歓んでくれる」人が周りにいただけで、本当は「チンポが好きじゃなかった」ということに今はしている。それに、俺には、もう「チンポを舐めると歓ぶ」人がいないだよ。なぜかというと、俺はオッサンになって、もうチンポを舐める価値があると思える人は、誰かのものになってしまって、奪うと確実に「恨まれちゃう」年齢になってしまったのだ。それで、おっさんになった俺が「こいつのチンポをしゃぶりたい!」ってヤツと、俺に「こいつならチンポをしゃぶらせよう!」ってやつもいなくなったのよ。つまり、バイ・セクシャルの「男☓男」「女☓男」は、前者の方が早期にマッチしなくなるのだと気がついたのは、おっさんになってからでした。あ~あ。
というわけで、おっさんからみたら、「マンコ」が好きな男は、若いうちは「チンポ」が好きでも問題ない。そんでもって、おっさんになっても超越した性的経験で「オーバーライドされて、ホモセクシャル化」されることは、すくなくとも俺はなかったし、ネットではみかけないし、大丈夫なんじゃないかと思う。仮にホモになっても、子供がほしけりゃ、精巣に注射して、静止を取りだして顕微鏡で受精卵を作って、子宮に戻せば良いだけだ。ただし、産んでくれる相手がいたらな。
... 以上、つらつらとオッサンの後悔を書いてきたわけだが、結語として「もし俺が小6に戻れたとしたら、どう生きるか?」ということを書く。まぁ、そりゃ、小6のときにコンドームを薬局の自販機で手に入れて、あの日に橋の下でキスした後に好きだったあの娘を押し倒してセックス漬けの日々を過ごし、それと同時に塾では「浮気して」チンポを貪り食い、中学に入ったら小学校の関係を捨て、更にはアナルでイクことを教えてもらって、中高大はマンコするだけの彼女をつくってヤりたい時にマンコしつつ、その一方で発展場でアナルの皆楽を貪り、資格をとって社会的に安定を獲得し、ちょうど『バイ』な性欲が両立できなくなった頃に「子供がほしいから」という理由で『ヘテロ』セクシャルに転換し、若くて美人で貞淑な女性を娶る、って人生になったわけだ。それは、それで地獄だな、って書いていて思う。そして、そんなことしてたら愛の無い子供をつくるか、H*V 拡散者になってただろうから、しなくて KKO と言われても全く恥ずかしくない。でも、いま小6に戻れたら「男に与えられた、前立腺の歓び」と「男に与えられた、射精の悦び」と「男に与えられた、孕ませる喜び」の3つを全力で獲得しにいく。絶対にだ。
結論。男においては「男好き」と「女好き」は両立する。それに、「男好き」の対義語は「女好き」ではない。それだけは、理解してほしい。あとは、自分で考えろ。そして、後悔しない行動をとれ。なんと言っても、時間は巻き戻せない。
先日高熱を出した。
が、お金もないし会社はまだ誰もなってないから人権失うし現場があるのでコロナと断定されるわけにはいかない。
というわけで、誰にも言ってないコロナ疑惑レポを書き残そうと思います。
20代サービス業会社員、会社にも友人にも内緒でキャバクラでバイトしてる。
最近まで実家に住んでたけど、実家の自粛ムードに耐えれず一人暮らしを始めた。
茶の間よりのオタク。コロナ禍でもそこそこ遠征してるけどガッツと呼べるでは全然ない。
体調不良になった経緯と経過観察
初日以前
会社のお客様で少し話した人が感染者になるも、特に濃厚接触認定されるレベルではない。
体調不良1日目
会社勤務を終えてバイトに向かう途中から少しだるい気がするも深夜2時ごろまでバイト。
体温計が手元にないので体温計れず。
体調不良2日目
しんどいなと思いながら会社に向かうが、メンタル面からくるものだと思いこむ。
13:00体温 36.6度
この後めちゃくちゃ元気になる体調に反比例するように体温が上がる。
19:00 38.4度
さすがにまずいと思い早退させてもらう。
体調不良3日目
9:00 38.0度➡パブロンを飲んで36.5度
質問内容は
また、嗅覚、味覚に異常がなく、熱もいったん下がっていることを伝える。
キャバクラで働いてることはどんな経緯で会社にばれるかわからないので言わなかった。
上記内容では病院をあっせんできる条件でないことから自分で発熱外来を予約、受診するように言われたので探すもぜんっぜんない。
あるけど予約で埋まってるからめんどくさくなった。
会社には熱が一旦下がったから自費PCR受けに行くとうその説明をした。
18:30
夜間発熱外来を受けている病院が見つかり、LINE問い合わせができたので状況を説明。
手元に保険証がなく(実家)発熱外来とPCRを受けるには3万かかると言われめんどくさくなり診察は受けず寝る。
体調不良4日目
9:00 38.6~39度
相変わらずパブロンを飲むと下がる。
会社には自費PCR陰性、発熱外来にかかった結果扁桃腺炎だったと説明(嘘)
この時点で熱以外の症状なし。
パブロン飲んで4時間立つと熱が38度まで上がり、飲むと1時間程度で36度台まで下がるの繰り返し。
体調不良5日目
5:00 38度
朝起きた時点で少しのどが痛い。
飛行機に乗るために熱を下げなければいけないので、パブロンを飲み、脇の下に2枚ずつ熱さまシートを貼る。
これで検温は難なく通れた。
熱は前日と同じくパブロンを飲むと36度まで下がり、4時間程度で38度まで戻るの繰り返し。
バスの検温もバス待合室の入り口で簡易的なのしかなく余裕で突破できた。
体調不良6日目
7時ごろ帰宅。
このころから咳が止まらなくなるが、熱は薬を飲まなくても36度台でとどまるようになった。
扁桃腺が腫れてる感じ。
会社には声が出ないからと休みの連絡を入れ、バイトにはいった。
体調不良7日目
出勤するも咳が止まらない為早退させられる。
起床後、なんとなく煙草に火をつけたところで匂いが全くしないことに気が付く。
味はわかったけどなんとなく何を食べても塩気が強く感じる。
ここから数日間咳と、嗅覚異常が続いて体調不良12日目くらいから徐々に匂いが戻ってきた。
今は匂い全然わかるしけど、相変わらずなんでも味が濃く感じる気がする。
元々ジャンクフードばっかり食べてたのに欲しくなくなった。
という体験記です。
私の体調不良以降周りで体調不良の人も、コロナになった人もいない。
もしかして私が陽性判定ならみんな無症状なのかなと思ったりはする。
「命には優劣がある」
「自分がいつホームレスになるかもしれないのだから、そんなことを言うべきではない」
──はぁ。
「命は平等に尊いもの。価値があるかどうかで決めることではない」
──そうかい。
「人間は弱い者を守り、人権を、法律を、福祉を発展させることで繁栄する生存戦略を選んだのだから、見当違い」
──ふぅん。
しかし。
あなたがいつか上司になるかもしれないのに、上司の陰口を言ったことはないのか? クレーム電話の陰口は? お役所の受付の陰口は? あなたがいつか誰かにとっての陰口の対象になるのなら、陰口をしないのか?
命の価値が同じなら、自分の愛娘と無縁のホームレスも同じ価値か? どちらかしか救えないのなら、娘が助かって欲しいと祈るのでは?
日本が家長制度を導入していたら政略結婚や男女不平等が正しいのか? それを嫌って現在の日本にシフトしたのでは? ならば現在の法体制を疑うことが悪にならないはすだろう?
まるで話にならない。
私は年間、数百冊の書籍を読み、誰よりも勉強している自負がある。
だからこそ、システマチックな物言いだけれども、間違っているとは思わない。
──私は、個人として、陰口を言うこともある。
──私は、個人として、生存戦略よりも個人の自由や整合性を選びたい。
「社会的影響力のある者が公の場で個人の感想を言ってはならないと主張するその根拠は?」
「普段見てもいないYouTubeチャンネルの内容にまで立ち入って、怒りたいだけ怒り、自分の主張を押し付ける行為は正しいのか?」
「私が自殺をしたら、あなた方が私をいじめ殺したことになるが、あなた方の大好きな『命の価値が平等』という主張はどこに行ったのか?」
例えば「子どもが真似してホームレスを軽視するかもしれない」というけれど、それは「模倣犯になるかもしれないから」とニュース番組を一切見せないのと同じでは?
あなた方の子どもが、あなた方の主張する善悪の区別がつかないのなら、「歴史の真似をするかもしれない」といって戦争を教えないのか? すべてを教えて個人に取捨選択させるのが教育なのでは?
私の動画のコメント欄に呪詛を吐き出すのが正しい行為か? それを堂々と子どもに見せられるのか? 「将来子どもが何かしでかすかも」という不確定な要素よりも、他人に呪詛を吐く姿をこそ子どもに見せてはならないのでは?
もしかすると、多少の表現の不備はあったのかもしれない(否、あったとすればそれは受け取る側の浅学さ、浅薄さであるとも思う)。けれども、私が間違っているとは思えない。仮に誤っていると主張するのであれば、客観的かつ信頼性に足る根拠を示してほしい。私はいつでも謝罪し、反省し、訂正し、その正しさを誠実な態度で以て最大限に広く周知することを誓う。
勘違いされがちだが、私は基本的に論破されたがりなのだ。普段から道に外れたセンセーショナルなことを言っている自覚はあるけれども、それは新たな論理で正してほしいことの裏返しだ。それは、強がりや掌返しではなく、心の奥からそう思う。
けれども、その正しい根拠を募っても、いつまで経っても出てこない。だから私は怒っているのかもしれない。
「私のような厄介な人間に、正しさを説いてくれ!」と。
「私程度の小悪党が駄々をこねている間に、本当の悪党に対抗する武器を見つけろ!」と。
「正しさを曖昧にして二千年以上も生きてるんじゃない!」と。
そう言葉にすると、ふつふつと怒りが沸く。たかが日本のような小さな国で、数百万人の支持者を持っている程度の小悪党の暴走すら止められないのは、あなた方人類の怠慢であると──心底、怒っている。
私を否定できないのであれば、現時点において私が正しいことになる。
否、正しいかどうかはわからないが、しかし間違っていないことになる。
もし「正解」という道があるとしたら、私はその縁に立っているだけなのだ。危うい縁に。
けれども、違反でなければ過ちではない──。
◇
……と。
私は、思考を切るためにスマートフォンの画面をオフにする。今日は考えることが多い。浅い割に多いのだ。批判ってものは。
スマートフォンを手に乗せたまま信号が緑になるのを待つ。手のひらの中で今も生まれているだろう主張の嵐を持て余しながら、ほんの僅か、足元のコンクリートブロックが割れているのを感じ、身体を一歩前に進ませる。爪先が少し、車道を踏んだ。
と、深夜の街に相応しくないスピードの車が近づいてきた。物騒だなぁ、と思いつつも、スマートフォンの裏面を何の気なしに眇めていると、
身体に強い衝撃が走った。
衝撃が先か、轟音が先かはわからない。視界が宙を舞い、まるで目ヤニだらけの朝のようにぼやけたからだ。
続いて、痛み。
大きな銅鑼を打ったかのような、押して引いての波紋が身体中を暴れている。その振幅は自分の身体を越えているように錯覚するほどで、立ち上がることはできない。否、仮に足を踏ん張っても立つことは不可能だろう。なぜなら、膝下がひしゃげて見当違いの方向を向いているからだ。
次に、不快さ。
胃の内容物がまるでネズミになったかのように這いずり回る──実際には胃の方が動いているのだろうが、しかし這い上がってくる吐瀉物は鉄臭く、“血の通った何か”を飲み込んだ報いとばかりに喉を押し広げ、ほとんど無抵抗に半固形の何かが口や鼻から垂れる。
さらに、熱さ。
命の素がどんどん外に溢れるような、そんな感覚。身体の芯は生きる手だてを探してやけに熱っぽく、しかし手足は凍えるほど冷たい。小さな穴の開いた水風船をただ見ているだけしかできないような、取り返しのつかなさと焦燥感。何かを決定的に失う瞬間というのを久々に味わう──忘れていたのかもしれない。あるいは見ない振りを。もしくは「自分は失わない」と高をくくっていたのかもしれない。
私は、急速に死に向かっていた。
ぼやけた視界から判断できる限り、交通事故──らしい。私を轢いたと思しき自動車は、「ガードレールに刺さっている」と表現するしかないほどに大袈裟に半壊ならぬ七割ほど破壊されている。
──なお、今の私に知る由はないが、この自動車の運転手は病院へと急いでいた。
というのも、彼の愛娘が突然大量の吐血をしたため、一も二もなく最高の速度で病院へと向かっていたのだった。
皮肉なことに。
運転手は、彼の大切な命を優先したのだ。彼の咄嗟の行動に間違いはなかった。
私は助けを呼ぼうとするも、体力的な問題なのか、あるいはどこか発声に関わる器官が深刻なダメージを受けているからか、大きな声が出ない。口腔内から聞こえる「ヒュー」という音がやけに空々しい。
頭を打っていないことが幸いして意識はあるけれども、しかし長く保たないことは確かである。否、どんな仮定の話をしようとも、命を失ったことはないから“失ってみるまでわからない”──。
そんな“悠長なこと”を考えていると、ふと視界の端で動くものが見えた。それはのっそりと立ち上がり、「く」の字に曲がっていたり、すっくと立ち上がったりしている。何かを引きずる者もいる。
元々いたのか、騒ぎを聞きつけたのかはわからないが、どうやら人間のようだ。ああ、助けてくれ──!
そう口元を歪ませると、どうやら仲間同士で話し合いをしている様子だった。冷えは身体中に広がり、今にも意識を失ってしまいそうだ。早く、早く救急車を!
どのくらい経っただろうか。実際には数十秒くらいなのだろうが、その時間は誇張なく一時間に感じる。身体の中から聞こえる「ぎっぎっ」という音が何に起因するかもわからない。車が焼けているのか、瞳孔の機能が低下しているのか、まぶしくて人間たちの姿が見えない。
轟音で痺れた耳が復活した頃、声が聞こえた。
「俺らのねぐらにさ、仏さんが転がってたら良くないよな」
「な」
「他に行くアテもないし」
会話からするに、ここに住んでいる住民──ねぐら? つまりここら辺に住んでいる──ホームレスの……集団?
「仏さんには悪いけどなァ」
「な」
「すまんなぁ。でも俺らも優先するモンがあるんだぁ」
「手は合わせておこうか」
「だなぁ」
「成仏しておくれな」
な! 待て! 待ってくれ! 私はまだ生きている! ただ、声が出なくて、ア、まぶしくて、身体が、動か……なくて、そん、な死体に向けるよう、な、目を、そんな真似を、命を命とも思わない真似を、なぜできるんだ! ア、ア…考え直してくれ! 今すぐ!
くぐもったガサガサという音が聞こえる。普段寒さを避けるためのブルーシートか何かだろうか。数人の男たちが私の身体を包み始めた。
男たちの声は続く。
「口から血の泡が出てるな」
「そっか、お医者さんかぁ。……人生、何があるかわからないね」
いしゃ………? まって……。
「気のせいだろ! 見るなよ! 目を合わすと取り憑かれるって話だぞ」
そんなの……“えびでんす”が……ない……よたばなし……で……。
「じゃあ、せーので」
「うん」
「川に流すなんて、罰が当たるかもしんねぇけどさ」
「ま、許してくれなんて言わねぇよ。俺たちの“個人的な事情”だしなぁ」
「……」
「かもなぁ」
「だからさ」
「俺たちは……。
いや、誰もがみんな、間違ってないのさ。
きっとな」
(了)