はてなキーワード: 血圧とは
文章書くの下手でまとまってないけどただダラダラ書かせて。
父親が年々頑固になって、「ああはなりたくない」って言ってたじいちゃんそっくりになっていく。
じいちゃんは老人会にも参加して、ご近所の老人たちと週に何回かは会って、カラオケしたり、将棋したりしてた。
友達も遠方で、連絡も取ってないっぽい。なんかボケるの早そうだよなぁ…。
申し訳ないことに私は独身で、付き合っている相手はいるけど今の所結婚の予定はない。
とりあえず2ヶ月に1回は実家に帰って様子を見に行くようにはしているけど、行ってもただただ父親のため息と「人生に疲れた」的な話を聞かされるので、正直ちょっと疲れてきてる。
孫でもできれば多少は…と思うのだけど、先に書いたように私自身にその予定がないし、兄弟は結婚しているものの子供はまだ。
あと父親は基本的に移動は車の人。家から徒歩5分の病院ですら車で行く。
正直ただでさえ家にずっといるのに、そんな近距離ですら車で移動するから足腰が弱って行くんじゃないかとものすごく心配。
しかも父方のばあちゃんはクモ膜下3回やってるし、父親自体も高血圧だから、運転中にプチーンてきちゃったらもうどうしようって思っちゃう。
ヤフートップに事故のニュース出てれば絶対にクリックして事故現場真っ先にチェックする。
今60代だけど、70後半にはもう免許返上してほしい。
運転してちょっとでも「あれ?」って思うことがあったら返上してほしい。
うちの父親も世の中の高齢者の多くと同じく変な自信というやつをお持ちですから…実際に事故とか起こさないと「あ、俺やばい」と思わないやばい人なんだよな…マジ勘弁してほしい…
でもその血は自分にも流れてるんだよなぁ…。
今の父親を見て「ああはなりたくない」って思ってるけど、何年後かにはああなってるんだろうな…母親の血の方が濃く出てほしいなぁ…。
すると
・ダラダラとツイートを見たりすることがなくなって時間を有効に使えるようになった
・寝付きが良くなった
・不毛な争いやデマに心を乱されることが無くなったので心が穏やかになった
というわけで良いことしか無かった
デマに関しては自分もすぐRTするタイプだったんだけど自分の関わってるものがデマ情報を元にツイッター民に袋叩きにあってるのを見て初めて恐怖を感じたんだよね
実生活にも影響があるかもと思ってビクビクしてたけど結局何の影響も無かったし、やっぱりツイッター民の意見は偏りがちなんだって思った
でも多くのツイッター民は出回ってるものを簡単に信じてそれが多数の日本人に支持されてると思い込んでる
こんな世界にどっぷり浸かってたらヤバイぞと思ったのが直接的な辞めるきっかけになった
同じ趣味の人同士でワイワイやってるのはいいけど、間違ってもツイッターで回ってる社会的政治的な話題がマジョリティの意見だと思ったりしてはいけない
楽しく使う分にはいいけど辛くなってきたら思い切ってやめよう
https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=10093
部分抜粋だけど。食後じゃなかったらまた別原因かなぁ
「食後の傾眠・だるさの原因は?【多くは食事性低血圧による】」
③収縮期血圧が食前100mmHg以上あった場合に90mmHg以下になる,のどれかに該当する場合を陽性としています3)。
しかし,健康者に起こる眠気のように,これらの基準以下でも軽い症状が出ることもあります。
食事性低血圧は,自律神経不全,パーキンソン病,アルツハイマー病,脳血管障害などの神経疾患だけでなく,高血圧,糖尿病,透析,そして高齢などにより起こることも報告されています。
食べると眠くなるのはなぜ?脳科学でわかる食と睡眠のメカニズム
https://www.dtod.ne.jp/omoshiro/article30.php
やっぱり 👻のせいかな。
問題は「透析中止」にあらず、マスコミ報道に違和感|医療維新 - m3.comの医療コラム
簡単に言ってしまえば透析を続けたくない患者様を医師やクリニックの利益のために人工腎臓に無理矢理繋げている、という指摘です。「透析利権」である。
血液透析は患者様に強い負担を与えます。半数が生活習慣病である糖尿病由来であることから、その厳しい食事制限や水分制限にまず耐えられません。尿の出ない患者様は一日に1リットルの水を飲むことすら許されません。それ以上飲んでしまえば透析時の除水量は比例して増え、透析の負担が増します。一日おきの透析の度に胸が攣り、足が攣り、血圧が下がり意識を失います。透析後も一時間は体を動かす事すらできません。でも、それを乗り越えた後ストレスによってまた水を飲んでしまうのです。
血液を抜いて戻すために太り針を腕に刺します。これもたいへんな苦痛です。
永井先生も触れているとおり、透析にはたいへんなお金がかかります。投薬も多く、年間500万円は下らない金額がひとりひとりの患者様に投下されています。
お国のために、自分のために透析を中断したいという声に耳を傾けることなく、自らの利益のためだけに患者を縛り付けることがはたして人道的でしょうか。生きるべきではない、生きたくないいのちの声をタブーの一声でかき消してはなりません。
参考: 毎日新聞のミスリード:福生病院 透析中止の件について | Dr.Hisacchi:誰もがわかりやすく健康・予防・医療を理解する事ができるブログ
透析中断による死亡に関するニュースへの反応(ブコメ)をみて気になったから書く。
長谷川豊の透析関連発言を擁護する意図は毛頭ないので勘違いのないように。
長谷川豊の発言の趣旨は、「透析患者が透析が必要になったのは自業自得。そんな患者達が税金や健康保険を大量に使って生きながらえるのはおかしいから透析患者は透析をやめて死ね。」ということだろう。
福生病院の説明では、「当院で悪意や手抜きや医療過誤があった事実はない」とされている。
おそらく医師個人のなんらかの目論見として透析中止を提案したのではなく、コメディカルを含む医療チームによる提案なのだろう。
これは、維持透析を続けていくことが患者本人にとってベストな選択かどうかを見直すきっかけを与えたということではないだろうか。
一言に「週3回の透析を死ぬまで続ける」と言われても、具体的なイメージができる人はまずいないだろう。
透析は1回3-4時間程度で、その間は片腕に太い管が2本入った状態で椅子もしくはベッドから動くことはできない(本を読んだりテレビを見たりはできる)。
透析中やその前後では血圧の変動が大きいなどの理由で気分を崩すことも多い。
若い人であれば仕事の都合をつけつつ、決められた時間に決められた病院へ通う生活(夜18時から可能といった透析病院も多い)。
一方で高齢であれば、通院するだけでもそう楽なことではない。
先ほど腕に太い管を入れるといったが、事前にそのために太い血管(シャント)を作る手術を行う。しかし長年経過するとその血管が詰まる。その度に風船で血管を広げる処置や、新しくシャントを作る手術をしたりしなければいけない。
また、日常生活では水分制限や食事制限などが厳しく課される。それを行わないと週3回の透析では生命が維持できない。
例えば水分は1日1000mlまで、塩分は可能な限り控えてカロリーは1600kcal以下に、といった具合だ。
このような患者を目の前にして、医療者は「この患者さんが今後も透析を続けていくのが、この患者さんの人生においてベストの選択なのだろうか」と考える。
自業自得だとか医療費とかは全く関係なく浮かんでくる、1人の人間としての疑問だ。
抗がん剤を続ける患者が副作用で辛そうにしているとき、医療者が「もうやめてもいいんだよ」、と声をかけるのに似ているのかもしれない。必ずしも治療を受け続けるように説得するのが正しいことではないだろう。
でも食べても太らない体質だし高血圧とも無縁だもん
ツクヒは普段から不機嫌が服を歩いているような人間だったが、この日は特に虫の居所が悪かったようだ。
体調が完全に回復していないのだろうか。
それとも昨日は寝入りが悪かったのか、はたまた寝起きの低血圧か。
朝食を食べ損ねたからなのか、朝の占い番組の結果がダメだったのか、エレベーターが中々こなかったからなのか、通学路の信号で尽く足止めをくらったからなのか、気温がいつもより低めだったからなのか、湿度が高かったからなのか、変なところで足をつまづいたからなのか、苦手な先生が話しかけてきたからなのか。
結局のところ理由は分からないけれど、当の本人すらよく分かっていないんだから、俺に分かるはずもない。
でも分かっていることだってある。
何かを指摘して、それが結果的に合っていても間違っていても、火に油を注ぐ可能性がある。
「どうしたの? 随分とイライラしているね。食生活が偏っているんじゃない?」
対立は決定的となった。
「御託は結構」
ツクヒは、ペットボトルの飲み口部分を握り締め、既に臨戦態勢だ。
俺たちはそれを止めようとはしない。
いま、あの場にいるのはツクヒじゃなくて、俺たちの誰かだったかもしれないのだから。
「ブリー君。どうしても断る理由があるのならいいけど、ないのなら受けて立った方がいい」
「ブリー君には自覚がないようだけど、これは必然的な戦いなんだ」
「もう、分かったよ。やればいいんでしょ。でも、何でペットボトル……」
気圧されたブリー君は、渋々といった感じでペットボトルを握り締める。
このペットボトルを武器にして戦う慣習は、学校の生徒たちによって作られた。
なぜこんな方法が生まれたかというと、「怪我をしにくいため」。
そして何より「子供のケンカに大人がしゃしゃり出てこないようにするため」だ。
だけど、これは両方とも大人の言い分だ。
お年玉と一緒さ。
身勝手な大人は、その“お年玉”を子供たちが与り知らぬところで使う。
そんな状態で、もうどうにも止まらないことが起きた時、子供だけの社会で何ができる?
大人たちが毎日どこかでやっていることより、遥かに平和的なケンカだ。
なのに、出しゃばりな大人たちは大きく騒ぎ立てるんだからバカげている。
同じ人間として扱っているようで、内心では子供たちを見下しているんだ。
だから、違うレイヤーに平然と土足で入り込み、その干渉が正しいとすら思っている。
そんな大人たちに、俺たち子供の世界を侵略されるのはゴメンだ。
そうして当時の子供たちは、子供たちによる子供たちのためのルールを自然と作っていった。
それは時代によって形を変えつつも、今なお残り続けている。
このペットボトルによる戦いも、その一つってわけだ。
そして今、その火蓋は切られた。
「おい、ブリーどうした! 腰が入ってないぞ!」
「いや、だって、ぼくはこれ初めてだし」
「ビギナーであることを言い訳にするな。オレはこの容姿のせいで、10戦10敗だ」
「それ、きみが弱いだけじゃ……うっ、脇はやめて」
今回使われていたペットボトルは、エコタイプだったので柔らかめ。
しかも、二人とも運動神経がよくないから、勝負の内容は凄まじく泥臭かった。
「さっきからお前は、口だけか!」
「ぐっ……ぼくは間違ったことを言ってない」
「“間違ったことを言ってないだけ”だ! お前はそれをウィルスのようにバラ撒く! だからみんな近づきたくないのだ!」
それでも俺たちは見入った。
ツクヒがブリー君に投げかける言葉、振り下ろされるポリエチレンテレフタラートによる一撃。
それらは、いつか誰かが実行していたに違いない。
それがツクヒだったというだけだ。
「オレはまだまだギブアップしないぞ!」
「こっちだって!」
ブリー君も雰囲気にあてられて、ペットボトルの振りが本格的になってきた。
「いいぞーやれー!」
「チャイムが鳴るのはまだ先だ! 頑張れー!」
ドッジボールをしていたときよりもエキサイトする、とても自由で豊かな感覚だ。
「あなたたち! 今すぐにやめなさい!」
だけど、終わりは突然だった。
俺たちによる俺たちのための闘争は、より力のある人間によって簡単に介入され、無理やり組み伏せられる。
それをしたのがルビイ先生だとは思ってもみなかったけど。
結婚したくない。
厳密に言うなら、同居人としての旦那は欲しいけど(困った時に助け合いたい)、式を挙げたくない。あと子供を産みたくないし、育てたくない。
結婚式に何百万と使うくらいなら家を買う頭金にしたい。そもそもそんなに金を使うほど規模の大きい式を挙げる度胸も無ければ、来てくれる知り合いのアテもない。投げたブーケが床に落ちるのを想像すると虚しくて昼寝が捗る。結婚する機会があるとしても籍入れるだけでいい。
子供を産んで育てるのが女の幸せうんぬんとよく言うけれど、本当にそうだろうか?
子供を産むのは命懸け。そもそも子供って他人だし、他人が自分の体の中にいるってことは、わたしの免疫がはたらいて追い出そうとする。はたらく細胞見たか?わたしの中のはたらく細胞たちが子供という非自己を攻撃しまくる。そしてわたしの体内がはたらく細胞たちの戦場になる。戦場ってもんは焼け野原になるもんである。わたしの体も焼け野原になる。それを命懸けと言わずに何と言うか?悪阻とか考えるだけで吐けそう。絶対やだ。
それから子宮。子宮って普段は握り拳より小さいくらいの臓器なんだけど、これが出産直前になるとスイカとか、バスケットボールくらいの大きさまで伸びる。骨盤の中に収まってる握り拳が、バスケットボールになって肋骨の下ギリギリまで来る。いやいや人体不思議すぎひん?伸びすぎちゃうか?伸ばしすぎて破裂するんちゃうか?命懸けすぎんか?そもそもBMI17のガリガリ女の中に子供が出来たとして、子供に栄養が行けば私は更にやせ細って死ぬんじゃないか?命懸けにも程がある。
腹の中に子供がいるってことは、いい感じになったら出さなきゃいけない。いつまでも腹の中には入れておけない。じゃあどこから出すって、膣から。いやいや子供ってそこから出すようなサイズじゃなくない?裂けるでしょ。ここから出そうと思った祖先意味わからん。進化しろ。ここで大量に出血すれば死ぬし、出血しなくてもいきんでるときに血圧上がれば脳みその細い血管がプチっといく可能性もある。ガリガリなので途中で体力が尽きてコロッと死にそうな気もする。命を懸けてまで痛い思いはしたくない。
腹から世に出したら今度は大人になるまで育てなきゃいけない。収入が充分でない限り、自分たちがアレコレ我慢したり、子供にも我慢をさせなきゃいけない。私は欲しいもの我慢したくないし、子供にも我慢させたくない。そもそも人生ってそんなに楽しくないし、生まれてこない方がきっと幸せである。わたしの遺伝子を受け継いでる時点で人生に幸せ感じられるような性格には育つまい。
そういうわけで、子供は産みたくないし、育てたくない。ていうか産まないためには結婚もしない方が多分いい。結婚したくない理由もひとつ増えた。
いつもここまで考える。
だから最終的に、こんな女と暮らしたい男なんぞいないだろうから、旦那は諦めて、似たような思想の女性とルームシェアするのが一番いいだろうなって結論に至る。
「住み慣れた環境で」なぞといって、病院へ行かずに「家にいたまま医療が受けられる」とお年寄りをそそのかし、医師が高齢者宅を訪問して診療をする「在宅医療」なるものを勧めるむきがあるらしい。だがこんなものは一部医療機関のために役人と医師会がつくりだした医者のためのシステムである。
まず、医療が受けられるというのがウソである。ただ医師の資格を持っている者が来たからと言って「医療を施す」ということにはならない。実際は、費用はバカ高いが、やることは外来で受ける診察と同じようなものだ。いやもっと悪い。病院なら詳しい検査をしたり、具合の悪い箇所があれば、専門医の診断を受けることは可能だろうが、「在宅医療」ではできない。しかも費用は外来診察の何十倍である。今時の医師はオールラウンドプレイヤーなどいない。彼らは画像診断など、客観的な検査結果に基づいて判断を下すことは、ある程度はできるが、患者をちょっと見て、話したりしただけで診断ができるような医師は、まずいない。風邪と誤嚥の区別もできないようなのもいる。
高額な医療費を取るくせに、それに見合った医療行為などない、というよりできやしない。ただやって来て、誰にでもできるようなことしかしない。体温・血圧を測ったり、聴診器をあてたり、その程度だ。しかも簡易測定器でやっている。そんなもので正確な測定ができるとでもいうのか。
ちょっと様子を聞いて、せいぜい10分ぐらいで帰る。これだけで何万円という医療費が支払われるのである。仮に半分を経費として差し引いたとしても、時給換算で10万円ぐらいになる。ぼったくりもいいところだ。医療費が1割負担の高齢者を対象にしたものだからこそ成り立つ、楽に金儲けをしたい「医師」のためのシステムである。
1年365日、1日24時間対応しており、高額なのは当たり前というようなことらしいが、実際は電話しても出ないことだってあるし、すぐ来てくれと言っても、すぐ来るわけではない。来たとしても緊急の場合は役に立たない。何もしないし、できやしない。本当に具合が悪くなった時には病院へ行かせるべきなのに、それもせず、抗生剤を処方して終わり、なんていうことが横行しているのである。そして高齢者が死ぬと在宅医療医に「香典」が転がり込むのである。
家族から「どうも様子がおかしい」というような連絡を受けて、高齢者宅を訪問する。こういう医師連中は「この高齢者はもうすぐ死にそうだ」と思ったら、そのまま付き添って看取るようなことはしないで、抗生剤を打ったり、点滴を施したりという程度のことをして、そそくさと引き揚げるのである。そして家族から死んでしまったのではないのかという連絡がきてから再び来るのである。実際の死亡時刻から何時間経っていようが構わない。彼らが高齢者宅に行って確認した時を死亡時刻にするのである。死因は碌に確認もせず「老衰」で片づける。そうすることで彼らにはより多くの金銭が転がり込むからである。
死亡した日に2回行くと「診療費」と「看取り加算」の両方が請求できるのである。これが医師がいる間に息を引き取ってしまうと「看取り加算」しか取れないのである。だから死にそうだと見極めたら、一旦引き揚げるのである。さらに「ターミナルケア加算」などという法外な金を請求する。死ぬ2週間以内に一度でも診察していれば請求できるのである。彼らは月2回来ることになっているのだから、たいていの場合は「ターミナルケア加算」が受け取れるようになっているのである。
かくして高齢者が死ぬ度に15~6万円の「香典」が在宅医療医に支払われるのである。今まで月2回、たったの10分程度、高齢者宅に行くことで6~7万円ぐらいの報酬を得ていたのに、死んでしまえば貰えなくなる。だから2、3ヶ月分の収入は保証してやるから、その間に次の金蔓を探せ、ということなのだろう。何から何まで医師のための制度なのである。
病院に通っていた人が、高齢になり通うのが困難になったから、通っていた病院の医師を派遣し、いくらか割増の料金をとるというのなら、まだ理屈に合う。だが「高齢者在宅医療」を専門にやっている医者など、高額な医療費目当てにやっているようなのばかりだ。なにしろ開業の費用など、ほとんどかからないのだ。診療室を用意する必要もないし、医療器具をそろえる必要もない。「高齢者の専門医」を自称しながら「吸引器」も持っていない、看護師を使わずに主婦のパートに助手をさせる、なんていう「先生」がいるのだ。金が惜しくて看護師を雇わず、吸引器も購入しない。目の前に痰がからんで苦しんでいる高齢者がいても「吸引器がないから」と言ってほったらかし。こんなのに来られたって役に立つわけがない。
彼らは「交通費」と称して金をとるが、実費以上の金を巻き上げて平然としている。ある高齢者の家に行くのに1キロしか走っていなくても、20~30キロは優に走れるぐらいの燃料費をぼったくる。彼らが高齢者から「交通費」名目で受け取った金で、彼らや家族のレジャーのためのガソリン代が賄えるようなら、これは詐欺に匹敵する犯罪だろう。
目の前にコインパーキングがあっても利用せず、平然と路上駐車をする。「往診中」と貼り出して。コインパーキングを利用したら、患者に料金を請求する者もいる。交通費を取っているのにである。
とにかく「金」のことしか頭にないような「医師」が、高齢者宅を訪問して診療するという「高齢者在宅医療」を専門にしているのである。
「高齢者在宅医療」とは、年寄りは病気になっても治療を受けさせず、そのまま自宅で死なせる、というものなのである。そして「訪問診療」をしている医療機関にはお金が入るシステムなのである。もちろん我々が払っている健康保険料から支払われる。
もう九十歳も越えたような年寄りを生きさせるのに治療を施す必要はなし、何もせずほっといて自宅で死なせるのがよい、というのがこの国の支配者たちが考えていることなのだ。
しかし医師にはしっかり儲けさせるようにしているのである。この国の医療制度は国民のためのものになっていない。
はっきり言う。人は寿命の尽きるまで生きる権利がある。人の寿命は年齢によって決められるものではない。百歳でも百二十歳でも何歳であっても、まだ寿命が尽きる時が来ていなければ、病気になったり、怪我をしたり、具合が悪くなったときには医療に携わる人たちは治すことに全力を傾けなければいけない。それをせずに「もう死んで当然の年だから治療をしてやる必要がない」とばかりに、まだ寿命の残っている人間をほったらかして死なせることがあるなら、それは「殺人」であり、そのようなことをしている者に医師たる資格はないのである。
医師と呼べるに値しないような連中が「高齢者在宅医療」に群がっている。目当ては高額な医療費である。たった10分で数万円転がり込むのである。死ねばさらに高額な香典を手にする。金目当ての藪医者のための制度である。国や厚労省に本気で医療費を抑えようという気があるなら、「高齢者在宅医療」制度など真っ先にぶっ潰さなければいけないものである。
・産んだら社長業は当然休まざるを得ないので、臨月入る前に社長が不在でも業務回せるよう準備したくらいは説明する
(社員も社長がいない間は任せてください!等前向きな事しか言わない)
・弱い陣痛を感じて誰か(夫が理想)に付き添われながら病院へ→診察してから入院
・最初は弱い陣痛が次第に強まっていき間隔も狭まってくる、という描写
・点滴刺して血圧計心電図計等などの医療機器もちゃんと繋げる(全く無いと自然派カルトかよ感が出る)
・下半身丸出しで分娩台で大股広げてる…なんて描写は勿論できるわけないのでいっそ下半身は一切描かない
・シングルで産んだという設定に出来ないなら夫に立ち合いさせる、でなければ海外出張中などのどうしても来れない理由つけとく
「自分の欲望の対象である女キャラに(別の)男がくっついてるのは見たくないというオタクの願望」と
「夫も出産に主体的に関わるべきと言うポリコレ」は両立できんよ、
でなければ最初からそういう欲望の対象ではない適当なサブキャラ夫婦にやらせるしかない)
・取り上げた子は助産師が(血や胎脂拭いて各種測定するなどの)処置してから画面に出す
ってくらいやればまあまあリアルだと思うかも