はてなキーワード: 若造とは
40歳になった。ここまでの人生を振り返って思うのは、「人生観が変わるほどの衝撃」とか「人生を決定づける出会い」って俺には結局なかったし、これからも無いだろうな、ってこと。キルケゴールの「大地震」とか、安藤忠雄のガンジス川とか、ああいうの全部20代だしね。もちろん俺は彼等ほどの逸材傑物ではないけれども、俺の人生にだってああいう転換点があってもおかしくなかったはずだ。ということで年表見ながら振り返ってみるわけだが、
リクルート事件(1989)
⇒自民党って悪い奴らなんだな、という理解だったが、今じゃ贈収賄程度で総辞職なんてしないわけで、いま振り返るとよくわからない。
天安門事件(1989)
⇒社会主義って怖いんだな、という理解。戦車の前に立ってる写真は後から知った。
⇒社会主義は終わったんだな、という理解。世界史とか地理とか結局マトモに勉強しなかったので、今でも当時の解像度のまま、なんで露宇が戦争してるのかよくわからない。
湾岸戦争(1991)
⇒油田放火もったいねー、海鳥かわいそう、くらいの印象しかない。当時からハイテク戦争と言われてて、ベトナム戦争やアフガニスタン紛争みたいな人道危機の報道は少なかったんじゃないかと思う。普通に人も死んでたはずだが・・・
阪神淡路大震災(1995)
⇒高速道路が倒壊してる絵面はショッキングだったが、いま振り返れば単に大都市で起きた大地震という以上の意味はなかったと思う。手抜き工事疑惑はあったけど、復興利権みたいな報道は記憶にない。
地下鉄サリン事件(1995)
⇒犯罪どうこう以前に、ホーリーネームとかヘッドギアとか純粋に気持ち悪くて理解できなかった。カルトやべーな、という理解。
同時多発テロ(2001)
⇒その後、アメリカが大量破壊兵器の証拠とかナイラ証言とか捏造してイラクに侵攻してフセイン処刑してた。ブッシュやべーな、という理解。
⇒ひどすぎる、と思いはしたが、少なくとも今はもう拉致してないんだな、と安心もした。
ライブドア事件(2004)
⇒こんな若造でも金さえあればフジテレビ買えちゃうんだ、という発見と、出る杭は打たれるってマジなんだ、という理解。
オバマ大統領(2009)
⇒ブッシュから黒人大統領まで揺り戻した点にアメリカの強さを感じたが、当選後の印象は薄い。オバマケア? あとビンラディン殺害。
⇒当時勤めてた会社が潰れかけてて、リーマンショックの影響で業績悪いっすってみんな深刻そうに言ってた。もちろん全然関係ない。
福島第一原発事故(2011)
⇒日本は危機に弱い、という理解。その後のゴタゴタで、究極的には倫理/信念/信仰の欠如(保身と利益誘導以外の行動原理がない)、という理解。信仰とは必ずしも特定の宗教に帰依することを意味しないのだが、しかし日本社会には資本主義科学技術信仰への対立軸がなく漠然とした宗教への忌避感もあり・・・と、俺なりの総括を語ろうと思えば語れるんだが、このあたりはもう30がらみ、既に自己が確立してしまった後なので、あとはもう何を見ても偏見を補強していくばかりだし、ここから現在までの10年間のニュースもほとんど印象にない。あったねー、くらいの感じ。
参考:キーワードでみる年表 平成 30年の歩み|平成 -次代への道標|NHK NEWS WEB
振り返って思うに、転換点は1999年の東海村JCO臨界事故だったと思う。裏マニュアル作って核燃料をバケツで扱って臨界しちゃったアレ。日本は先進国で技術なら世界一とか、日本人は真面目で几帳面とか、そういう幻想が崩壊していく予兆を感じ取るべきポイントだったが、当時高校3年の俺にはそういった視点はなかった。作業員がチェレンコフ光を見て放射線障害で苦しみぬいて死んだことは印象に残ってるけれども、日本もうダメなのでは? みたいのは無かったし、世間の空気もそうではなかった。一部の不心得者による怠業、むしろ日本人の生真面目さが悪い方向に働いてしまった結果、みたいなことをみんな言ってた気がするけど、今振り返れば完全にズレてたな。80歳で死ぬとして残り40年、これからも重大事件は毎年起こるんだろうけど、俺はもう死ぬまで「人生観が変わるほどの衝撃」を受けることは無いんだろうと思うと、ちょっとさびしい。
重箱 → わかる
湯桶 → ピンとこない、「湯桶」と聞いてもその形が思い浮かばない。もっと身近な例はないものだろうか。
好きなのを選んでね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E6%A1%B6%E8%AA%AD%E3%81%BF
湯桶 ゆトウ
朝晩 あさバン
油絵 あぶらエ
雨具 あまグ
甘食 あまショク
甘茶 あまチャ
粗熱 あらネツ
粗利 あらリ
梅酒 うめシュ
大仰 おおギョウ
遅番 おそバン
親機 おやキ
親分 おやブン
影絵 かげエ
切土 きりド
子機 こキ
子分 こブン
指図 さしズ
鈴蘭 すずラン
立役 たちヤク
立役 たてヤク
立役者 たてヤクシャ
強気 つよキ
強吟 つよギン
永年 ながネン
練製品 ねりセイヒン
野宿 のジュク
早番 はやバン
盛土 もりド
結納 ゆいノウ
夕刊 ゆうカン
床本 ゆかボン
湯気 ゆゲ
湯銭 ゆセン
湯茶 ゆチャ
弱気 よわキ
弱吟 よわギン
若気 わかゲ
若衆 わかシュ
若僧 わかゾウ
若造 わかゾウ
若蔵 わかゾウ
業師 わざシ
綿菓子 わたガシ
綿帽子 わたボウシ
割印 わりイン
割勘 わりカン
割注 わりチュウ
悪気 わるギ
最近、Twitter上の一部では、「表現の自由」や「表現規制」を話題にして争っている人達が少なからず居る。
所謂、フェミニスト・アンチフェミニスト(オタク)等と呼ばれる人達の事だが。
これから書く話は、主に「表現の自由は守らなければならない物だ」と考えているオタク(アンチフェミニスト含む)に向けた話だ。
「表現の自由は守らなければならない物だ」と考えているオタク達を見ていて、私は、とても言いたいが言えない事が有る。
それは、「表現の自由とは守らなければならない物なのか?」という一言だ。
多分これをTwitterで言えば、主にアンチフェミニスト(オタク)から、多数の
「何を言っているんだ?」「守らなければならない物だろ?当たり前だろ?」「そんな事を言うなんて、お前は表現規制派か?」等の
批判リプライが付くだろう。
そういうリプライを付けられる事を恐れて言えない状態、それは、アンチフェミニスト及びオタク達に寄る「同調圧力」という名の表現規制なのではないかと感じてもいるが。
ここから話す話は、匿名…名無しの語る事なので、信じたくない人は信じなくても良い、眉に唾を付けてでも聞いてくれれば良い。
今から20年ほど前の話、当増田(記事)主は、コミックマーケットの先代代表で、2006年に亡くなった米澤嘉博さんと「表現の自由」について話す時間を数分レベルだが、持てた事が有った。
「表現の自由とは、守らなければならない物なのか?」は、その時に、米澤嘉博さんがぽつりと言った一言だ。
勿論「表現の自由」は守らなければならない物である。
だが、今から20年ほど前ぐらいの頃「表現の自由を守らなければならない」と主張していた人の中に
「表現の自由は何よりも優先されなければならない」という思想を持ち、守らなければならないはずの「表現の自由」を、
「自分達が他者を殴るための武器」や「自分達が他者から殴られた時の盾」にする人が現れ始めていた。
そういった状況に関して聞いた際の一言が上記の物だ。
現在「表現の自由は守らなければならない物だ」と主張している人達の中にはそういった人が更に増えていて歯止めが効かなくなっている印象を当増田主は持っている。
だからこそ聞いて欲しい。
かつて、晴海にあった東京国際見本市会場が無くなり、コミックマーケットの会場が東京ビッグサイトに移って来た頃、ビッグサイトの周辺は大きなビル等の少ない空き地の多い土地だった。
そこに少しずつ商業施設等が立ち並ぶ様になった。
コミックマーケットは東京ビッグサイトで開催される催事の中では極端に多くの人が来るイベントだ。
その多くの人の中には夜中から並ぶ徹夜組と言われる人等も居る。
そのため、商業施設が立ち並ぶ様になると、周辺商業施設の中にはコミケが開催される事に不安感や警戒心を持つ人も現れる様になった。
そういう不安感や警戒心を持つ人に米澤嘉博さんは一つ一つ「大丈夫です、そんなに不安に思わないで下さい」と説得して回ったという話だ。
その際、米澤嘉博さんは「敵と友達になる」を心がける様にしていたという。
敵は攻撃したり潰したりしても禍根しか残らない。
かと言って、敵を敵のままにしておく訳にはいかない。
そこで、不安感や警戒心を持っている相手に対し「僕達は、貴方と友達になりたいんです」という姿勢を見せる。
「敵と友達になり、”友達として、自分達の事を、(元は敵だった友達に)理解してもらう”」という形で、周辺地域の理解を広めて来たという話だった。
「表現の自由とは守らなければならない物なのか?」というのは、そういう「敵と友達になる」という気持ちを忘れた、又は知らないオタクが増えて来ている事に対しての一言であり、
「表現の自由は守らなければならない物だ」というのは、米澤嘉博さんは誰よりも良く解っている人だった。
そして、だからこそ「表現の自由を守るために、敵を攻撃するのではなく、敵と友達になりに行くという気持ちを常に大事にして欲しい」と、当時まだ若造だった私は言われた。
今、「表現の自由を守る」という思想の先には「敵は敵」「敵は攻撃するもの」「敵は潰すもの」と考えている人が多数派になっているのは否めないと思う。
「敵は友達になりに行くもの」という気持ちを持っている人は「表現の自由を守る」と言っている人の中に、100人に1人いれば良い方な状況かも知れない。
だからこそ、オタク(アンチフェミニスト)で「表現の自由を守る事が大事」だと考えている人達一人一人に考えて欲しい。
「表現の自由とは、本当に守らなければならない物なのか?」
「表現の自由を守る」という言葉を錦の御旗に「表現の自由」を敵を殴りつける棍棒に、敵の攻撃から身を守るための盾にしてないか?
自分は「(表現の自由を守るために)敵と友達になりに行こう」という気持ちを持つ事ができるのか?
という事を。
とても拙くて読み難い文章になっていると思う。
けれど、この記事を読んで一人一人に考えて頂ければとても嬉しい。
タグ
[表現の自由][表現規制][コミケ][フェミニスト][アンチフェミニスト][オタク][フェミニズム][雑感]
何だか、この記事を読んで「友達になりに行く」ことを「マウントを取りに行く」と曲解しそうなオタクもTwitterをしていると見受けられるのが悲しい。
知り合いの結婚式に行ってきた。
まあ俺らは学生時代の仲間同士でドンチャンドンチャンして「奮発して3万出したけど料理だけだとせいぜい1万程度の価値しかないし2万分飲むぞー!!ギャハハハハハ」みたいに適当に盛り上がっとった。
んでまあ割りとベロベロに近いモードながら朧げに卒業式の来賓祝辞じみたジジババ共の贈る言葉を聞いてたんだが、やっぱ酒はいっててもつれぇわ……
なんかさあ「夫婦生活長く続けてきた俺らの方がお前らより人間として上だから」みたいな圧があるんだよな。
それどころか「夫婦として沢山中出しして子供作ってきたので生物として格上やぞ???」ぐらいのこと考えてそうなのがまあキンモー☆
この実力社会の現代の中で全力で年功序列オーラ出して「若造は未熟で馬鹿者だが見守ってやるぞ^^」みたいな面できる最後の場所が結婚式なのかなあとすら思うわけよ。
ほーんまキモすぎて辛いっすわ。
結婚式の暴力性とかゆーが中高年共が年功序列でイキってることのがよっぽど暴力っすわ。
いやー恥ずかしいね……。
人生の先輩っぽいこと言って格好つけたいんだろうけど結局中身がないから滑り倒して年齢だけを論拠に威張ってる奴ばっかでさ。
こうはなりたくないんだけど、まあいざ自分も結婚式で作文読む羽目になったら同じレベルに陥るんだろうな。
暴力性だわ。
中身のない空っぽな虚勢の殻しか作れなかった数十年の人生をピカピカの新婚の前で必死に取り繕いながら語らされるのもある種の暴力なんやろな。
憐れやで。
色々教えてもらったありがてぇ…サンデー系あんまり詳しくないんだよな。
●忘れてた
・からくりサーカスのしろがね(エレオノール)と鳴海。わたくしはルシールさんが好きすぎる方向性
●ちょっと違うけど無論好き
・ウィングマンのアオイさん 子供心にアオイさん派だったけどミクちゃんENDは致し方ない
・ネウロとヤコチャン 人間の成長と可能性みたいなのいいよなぁ
・うしおととらのとら関連 かがりさん√も真由子√も好き…選べない
やっぱラーマの姉(名前不明なんかよ)が本命ってことなんだろな
・うしおととらのうしおパパとママ 過去編読む前からお父さん好きだったのだが、
・幽遊白書
そうだ!ぼたんちゃん好きだわ。蛍子ちゃん応援して、同僚応援して、いいやつすぎるだろ。
幻海と戸愚呂弟いいよね…
・映画「Red」ブルース・ウィリス目当てで見たけど、紅一点の凄腕スナイパー・ヴィクトリア様が素敵すぎた。
これは主人公(60代)の彼女(30代くらい?)がちょっといらんかった…。ヴィクトリア様ワントップでいいだろ!!!
2だと イ・ビョンホン演じる若造とヴィクトリア様がバディ組むので大分該当している。
あとおじいちゃん共どいつもこいつもめちゃ可愛い(これは1の方が可愛い)
・コブラとレディ
まぁ、相棒なんだけど、一応過去レディ人間時代に恋愛関係にあったので…。でも大好きだよ。
●その他
・ザ・ファブルの洋子
漫画広告で気になってたからこの間、金曜ロードショー見たけど実の兄弟じゃなくてびっくりした。
・化物語の忍
好きじゃないわけがない。普通にガハラさん派ですが。羽川、可哀そすぎてみてらんない…。
●ええーってなったやつ
https://anond.hatelabo.jp/20220509195813
確かにそうかもなーって思った。
就職氷河期の初期世代で、リーマンも東日本大震災の影響もモロ受けた。
とはいえ、自分はすごく運が良い方で、紆余曲折経つつも、ここ数年でやっとマトモな収入を得られるようになった。
個人的には職務の割には少ないなと思ってるけど、同年齢の平均年収よりは貰っている。
でも、ここまで辿り着くまで本当に時間がかかった。ブラック企業に勤めていた時もあったし。
就職氷河期時代の就職失敗について、自分は自己責任だって思ったことがない。
あの時代、企業はそろって新卒採用を絞ったり停止したので、そもそも応募できる会社が非常に少なかった。
知名度の高い企業の多くは、ハガキで会社案内を取り寄せることで応募ができるようになっていた記憶がある。
女性名で請求すると反応がない会社も少なくなく、対して男性名の請求では普通に送ってくるので、男性同級生の名前を借りて請求する事もあった。
やっと応募できても、選考が5次6次まであるのもザラで、採用ではなく「0までふるい落とす」のが主目的のようだった。
新卒採用をするように要請は受けていたみたいだけど、形だけ取り繕って「採用するほどの人材はいませんでした」というポーズを取って逃げた会社もある。
圧迫面接もすごくて、自分は「(あなたの)前に面接した人は泣いて帰ったけど、あなたは泣かないんだね。泣かなかったから、数時間後にある学術試験受けてもいいですよ」って言われたくらい、詰められていびられた事もある。
その面接官については、20年以上経過しているのに、いまだに「零細企業勤めの若造の分際で何を言ってるんだ。ばっかじゃねーの」と思ってる。けれど、特にもならない超つまらない話なので、会社名は綺麗さっぱり忘れた。
そんな感じだったので、とても努力だけでは抜け出せない。
あの雰囲気は、当時の渦に身をおかないとなかなか理解できないと思う。
ちなみに、初期の頃は「青田買い」は健在だったらしく、旧帝大とかの上位校ではあまり困っていなかったと後年聞いた。
一部の優秀な学生を除いて、努力とタイミングと思い切りの良さの全てが揃ってはじめて、「どうにかなるかもしれない」という感じだった。
自分よりもずっと優秀なのにダメになった人を見たことがあるし、やっと入社できても「教育はしない。見て覚えろ。すぐに仕事を覚えられなかったり、精神病んだら見捨てる」という会社も多かった。
結果論ではあるけど、「飛び込むぞ!失敗したらそこまでだ」という捨身にも似た思い切りの良さと、ちょっとした状況の見極め力が重要だったと思ってる。
今いる業界は景気もいいし、仕事があっても人が足りないので、中途採用も積極的にやってる。
うちの会社は年功序列を廃止したので、実績ベースでオファー年収を決定している。
ちなみに正規・非正規は気にしていなくて、とにかく「なにができるのか」「どんな将来を考えているのか」で見ている。
たくさん面接したわけではないけど、自分と同年代の人の傾向が「40代半ばにして初めての転職」か「非正規で大量の職歴がある(1〜2年契約を繰り返すから)」。
特に「非正規で大量の職歴がある」人の話を聞くと、かなり苦労をしている。身に覚えがある話もあり、すごくよくわかる。
でも、苦労しているけど、明らかにスキルが低い。うちの会社だと新卒入社して3〜5年程度と同じくらいという時もある。
特にジョブチェンジやそれに近い人は、本人が驚くくらい下がる。こっちも計算結果にめちゃくちゃ驚いて、しばし思考停止するんだけど。
本当は、同年代の人に、25〜28歳くらいの社員と同等の年収でオファーを出すのは嫌なんだよ。やっぱり相手の生活のこととか考えちゃうから。
でも、年齢ではなく「実績」で計算するから、どうしても本人希望の年収に到達しないことが多い。
なぜ、嫌でもその年収でオファーを出すかというと、既存社員との相性も良さそうで、何より1〜2年経てば本人の希望する年収に到達する可能性が極めて高いからなんだよね。
限られた予算の中で採用しているので、100%スキルを満たす人材を得るのは難しい。そのため、会社の既存メンバーとうまくやれそうで、入社後の成長が見込めそうならば、スキルが足りなくてもオファーする傾向はあると思う。
オファー年収出すために、実績と面接時の質問を基に仮評価するけれど、貢献できるところと足りないところをはっきり明示するので、それも辛いのかもしれない。
自分もたまに「若手に渋すぎない?」って思ってるところがあるから(最初の役職が付くまでは低めなので)。
ただ、全員に渋いかと言えばそうじゃなくて、これを逃せば採用できないスキルを持っていると、年齢性別関係なく希望年収でオファーするんだよ。場合によってはちょっと積む。
うちに来てる応募者だけかもしれないし、お金のかかる年代でもあるので、「能力が足りないので、これ以上出せません。入社後の業務遂行状態に相応しい査定をします」というのに納得できないのかも。
自分たちは「入社したら上がりますよ」とは絶対に言わない。「実績」で査定するので、成果が出なければ給料が下がる可能性もある。嘘や上辺だけの言葉を言うわけにいかない。
現状景気の良い業界だし、今まで長年苦労してきたし、ここならまともなお給料がもらえるはず!…と思っている人が多いのかなって思った。
苦労はしていると思うけど、スキルが足りないのはどうしようもない。いや、苦労したから、スキルを養えなかったとも言えるのかもしれないけど。
たまに、自分がその立場だったらどうするだろうって考えることがある。
ジョブチェンジに近い転職でオファー年収が想像以上に低かったら、自分はどんな選択をするだろう。
他社の結果にもよるけど、同じような結果が出た場合はスキル不足は確実なので、2〜3年死ぬほど頑張ってスキルを磨けるような会社に転職する。
社内で年収が上がらなければ、そのスキルを持ってとっとと転職しよう…くらいは計画を立てそうな気がする。
そこまで考えると「目の前のことしか考えてないかも」という事に気づく。
自分は今の収入を得るために、拙いながらも戦略を立てながら仕事をしてきた。
スキルがおぼつかない時は、どこでも通用するスキルを養えるのであれば、ぎりぎり生活できる程度の収入でよしとした。
ある程度のスキルを養った後は、年収を上げるための転職を繰り返したし、転職先でも死ぬ気で働いて、さらにスキルを増やしていった。
歳を重ねるようにスキルを積み重ねてきたんだけど、中年でジョブチェンジに近い転職をする人は、この考えが薄いのかなと思う。
今までの社会人経験を無視するつもりはないけど、年齢を重ねているから年収もそれなりに上がるという考え方は誰も納得しないと思う。
と、ここまで考えて「氷河期世代は氷河期世代を助けない。自己責任と責める」というようなコメントを読んで、そうかもしれないなーって思った。
うん。
こう考えるのは、「戦略的に仕事してこなかったのが悪いんじゃないか」って自分もどこかで思ってるってことだよなあ。
とはいえ、会社の規定通りに計算しているので、自分がどうこうできるものではない。
そこを断るか、受け入れるかは個人の意思なので、他人にはどうすることもできないよね。
部下に「僕はゆとり世代だって思われたくないです!」と唐突に言われた時に、
「え、君の年代って『ゆとり世代』なの?どっからどこまで『ゆとり世代』なの??っていうか、『●●世代』って仕事の出来になにか関係ある??」
そもそも、仕事相手の世代の呼ばれ方とか、学歴とか未婚・既婚・子あり・子なしとか意識しないよね。
それを知ったところで、仕事の進捗にはなんら寄与しないし、知りたいとも思わないし。
「●●世代」という区分けをすることで、世代間や世代内の争いを誘発して得している人がいるってことなんだろうなあ。
得している…政治家とか?なんかありそうだよね。