はてなキーワード: 無造作とは
多くの喫煙者たちが虐げられなければならんのだ!
マナー悪いのはごく一部のDQNたち。こいつらはアホだからいい歳して煙草を吸うことがカッコいいと思っている。
車に乗り、窓から手を出しながら喫煙。(俺、今カッコよくね??)
そして、無造作にそのまま火の付いた状態で道に捨てる。(煙草投げ捨てたよ!!悪だぜ!!カッコいいぜ!!俺!!)
多くの喫煙者はマナーを守っている。歩き煙草するのも、ポイ捨てするのも、ごく一部なのだ。
一部の、カッコいいと思っている勘違いバカのおかげで、昨今では喫煙者はとてつもなく居心地が悪くなってしまった。
何十年も前は電車の中でも普通に煙草が吸えたそうだ。むしろ肩身が狭かったのは嫌煙家の方。
そりゃさ、アホみたいにその辺に火の付いた煙草投げ捨てたりさ、火の不始末で火事起こしまくってたら、煙草吸わない奴にとったらいい迷惑だよ。ムカついて当たり前だ!
そういうことが積み重なって、今の嫌煙ブームになったわけだよ。
このDQNたちは、自らが肩身の狭い思いをするように世の中を誘導しているということに全く気付いていない。
迷惑をこうむるのは一般の喫煙者だ!そして、いずれは煙草を吸いづらくなり、嫌々やめることにもなる。
しかし!!このDQNたちはそれでも吸い続けるだろう。そんな風潮なんて気付けないほど鈍く、低能な連中だからな!
いや、むしろ時代に逆らってる俺カッコいい?と中二病をこじらすかもしれん。
ということで吸いづらい世の中になってきたので2週間ほど前に煙草やめました。
そういう系の会社なんだろ?
自己啓発に、学のないものが都合のいい創作を持ち込んで、それがビジネスや宗教になって定着していくのは
いつの時代にもあるからね。それに群がってくる、頭の弱い人間たちを使う側になるか、逃げ出すかが正解では。
次は植林かなんかですかね。これはグレーな例だけど、うちの近くでも、潜在植生とか、緑の防潮堤とかいって海岸にシイやタブを無造作にまくってるよ。
そもそも海岸の潜在植生は海浜植物だろうし、そもそも樹木の防潮機能なんて無視できる程度ないのに、地震が起きた時に盛り土の上の木がは逆にあぶないんじゃないか。
薄切りにして両面をフライパンで焼いたらクッッッッッッッッッソうまかった。
フワッ!?ってなった。
カリカリ感と香ばしさのハーモニーによって、本来ないはずの旨味まで感じられる。
普段めんどいから生でそのまま食ってたけど、焼くだけでこんなにおいしくなるなんて!!!!!
ジューシーさでは本物のソーセージに負けるけど、唐揚げとかしつこい油物が辛くなってきてる体にはこっちのほうがうまい!!!
しかも薄切りにして焼いたら結構量あるから、1本の半分でも1食分で足りるからコスパもいい!
生だったら1本無造作に食べきっちゃってたし。
今日も帰ったらギョニソ炒めて卵と絡めて炒めて、キャベツと焼きそばに混ぜて食べる!
久しぶりに自炊のすばらしさを感じた。
昨日、一旦搭乗し終わってドアが閉まった後に、全員が一度搭乗待合室に出されて、10分後に再度搭乗するという経験をした。
その2回目の時にも"券"の2次元コードを再度タッチする必要があった。"券"は到着するまで大切に持っておきましょう……ポケットに無造作に突っ込んでいたのでしわしわになってたよ……。
ところで"券"と書いたが、搭乗券の半券、と書きかけて手元のそれを見ると「SFJ搭乗案内書」と書いてある。保安検査場でもらうのが「搭乗券」だというが、レシートみたいでペラペラだし、そもそも2次元コードがない。
あまり飛行機に乗らないので、飛行機の乗り方の「進化」についていけないが、調べるとこういうことらしい。
JALとSKYは、保安検査場の「外」で「搭乗券」を発券し、搭乗券で搭乗口を通過する。
ANAとSFJは、保安検査場の外で「搭乗券」を発券する。ただし、搭乗券で搭乗口を通過できない。2次元コードが書いてあるのは「eチケットお客様控」「搭乗案内書」だから。
このあたりの手順や用語が異なるのは、不慣れな旅行者にとっては毎回不安になるところだ。
鉄道で言えば、自動改札で磁気券のきっぷを2枚重ねて入れるのか、1枚ずつ入れるのかという話にも似ている。いくら案内しても、異なることそのものが悪だと思う。
以下、各社の案内のページ。皆「2次元バーコード」と書いている。
【JAL】https://www.jal.co.jp/dom/flow/flow.html
× かざし方の写真が説明に寄り過ぎ、実際の動作と異なる
(この点、ANAの"ひまわりの裏に2次元バーコード"はよいと思う)
【SKY】http://www.skymark.jp/ja/res_boarding/checkin_machine.html
× 保安検査場から搭乗口までの流れがない。全体に他社より劣る印象。
【ANA】 http://www.ana.co.jp/dom/checkin/step/airport.html
× 「eチケットお客様控」ではなく「2次元バーコード」をタッチするよう案内。
○ 画像には「eチケットお客様控」らしきものが書かれている。
【SFJ】 http://www.starflyer.jp/checkin/boarding/guide.html
× 「搭乗口」と「搭乗ゲート」が混在している。
ところで、従来型携帯電話、フィーチャーフォンには「ガラケー」という俗語があるが、「2次元コード」「QRコード(デンソーウェーブ)」には広く通じる俗語があるのだろうか。うちのオカンは"ゲジゲジ"というw
あなたの趣味は何ですかと聞かれたら私は即答するであろう。「自慰です」と。
小学生の頃から今日まで私は自慰ばかりしながら生きてきた。最初は一枚のティッシュでも十分だったのが、今では十数枚を無造作に引き抜き、大量の液体を思うさま放出する日々である。
一度で数億生じるともいわれるオタマジャクシは、私の身勝手な行為によって、無念にも犠牲になった。女体をまさぐった末に起こる肉体の変化に伴い発射されるのが自然の流れであるし、私が生んだオタマジャクシたちもそれを望んだであろうが、実際には、適当な画像や動画にみだらな欲情を起し、しこしこと上下に僅かな回数動かしただけで、彼らは無理やりこの世に引き出される。
きっと彼らは、温かい体内の中で、数億のライバルたちと対しながら、奴らに勝って卵に突入するという野心を燃やし、そのための準備も怠らなかったであろう。
それなのに。
勢いよく飛び出たところは、あるいは紙の上、あるいは手の上、あるいは、やったぞ性器のスタートラインにたどり着いたと思うやいなや、それが単なる玩具の中であったことに気づき、涙を流して生を終えたものも、少なくなかったにちがいない。
私は彼らに謝りたい。
だが、考えてもみてほしい。青年は、ほぼ例外なく、思春期に入ると自慰を始める。その青年が大人となり、子供を持つまでの間に創出するオタマジャクシの数は、無駄にされるオタマジャクシの数は、数百億、いや、数百兆匹をもかるがると超えてしまうのではないか。
そう、彼らの中で卵にたどり着けるのはたったの数匹(零かもしれない)。残りの、無限にも近いオタマジャクシたちの死は、宿命なのである。
しかし私は声を大にして言いたい。君たちの生は無駄ではなかった、と。
広大な野原にうっすらと積もった雪のように白いティッシュペーパーの上に、さっと撒かれた純白の蜜を眺め、ああ、この中には、俺の種がたくさん泳いでいるのだと、そう思うとき、私は言い知れぬ幸福を感ぜずにはいられない。私の生きがいである自慰に、君たちは華を添えてくれるのだ。
昨日、NHKで、オス鳥がメス鳥をGETする一部始終を撮影していた番組があったんだよね。
オス鳥は2匹いて1匹のメス鳥をGETするために競争するんだけど、
どちらがよりオシャレな巣を作れるか、めっちゃカラフルに巣を飾り付けるん。
有名な鳥だよね。(名前どうでもいいので覚えてないけど)
で、勝った方の鳥はやっぱり美的にもセンスがあって、カラフルな花とかを色を統一させながら置いていたの。
方や、負けた方の鳥は、ペットボトルとかプラスチック系のゴミを無造作に置いててセンスゼロ。
さらに、勝った方のオスはメスが近づいてくるまで巣の奥の方で隠れていて、
負けた方のオスは、メスが来るのを巣の前面で待ち構えていたの。
オスは交尾のとき興奮してるので、くちばしで傷付けられるのをメスは怖がるらしい。
さまざまな立て看板や、掲示板や壁に無造作に張られたビラの数々、サークル活動に打ち込む学生。
意図して目を背け意識しないようにしていた憧憬が、そこに実際にあるさまをまじまじと見せつけられると、予備校のような殺風景なキャンパスと、希薄な人間関係、学問に励むわけでもなく、何の進歩もなかった私のこれまでの大学二年間を肯定できなくなる。
そういった私の二年間は、環境を違っていれば、全く異なっていたといったことは絶対にありえなく、そういった状況を生み出したのは低偏差値大学という環境でなく、私自身の社交性の欠如、積極性の欠如といった個人の問題であると、冷静に捉えることはできているつもりだ。
しかし、どうしても自分が高偏差値大学に通うを想像し、それと今の状況を比較してしまうことがやめられなく、今の大学へ通う必要があるのかという考えに至り、最近は大学へ行くと体調が悪くなり困っている。
まだ大学入学前の高校生諸君は、平日の大学構内にでももぐりこんで、大学の雰囲気を体感して、大学と自分とのミスマッチを避けてほしい。
気を遣っている人もいるけれど、そうでない人の割合が女性と比べて圧倒的に多い。
気を遣っている人もいるけれど、略
気を遣っている人もいるけれど、略
男性と比べて筋肉量の少なくて太りやすい女性のほうが圧倒的に体型を維持できている。
増田は、筋肉量が女性並なのでわかるが、筋肉が少ないと本当に痩せない。
努力もせずに一人前の顔をされた時の感情はどのジャンルに関しても同じだと思う。
そして男性というものはほぼ無意識に女性を下に見る傾向にある。
そういうわけで多くの男性は世の女性に対してそういう思いをさせている。
女性も容姿に恵まれている人の割合というのは男性と変わらない。
それでも女性に華やかな人が多いのは、普段の意識の差だと思う。
(増田はネット上でしか男性の考えに接する機会がないので違うかもしれない)、
月1で髪を切ろう。無造作に伸び切った髪の毛ほどだらしないものはない。
家の鍵が見当たらない。
右のポケットにも左のポケットにも、カバンの中にもパンツの中にも無い。
ああ、よりによって何で今日なんだ。
顔をしかめて天を仰ぐと、堅く握られた左手に鍵の感触を認めた。
灯台下暗し。
にやっと口角を上げて、すばやくロックを解く。
靴を無造作に脱ぎ捨てたまま一直線に走り出す。
水を注いだペットボトルにバスタオル、そして大量のトイレットペーパー。
あっという間に用意ができたので、あとは服を脱ぐだけなのだが、緊張した手先のせいでボタンがうまく外せない。
ふーっと一旦深呼吸して、やっと全裸になったら、鏡と相対してなにげなく身体をチェックしてみる。
顔は期待で満ちあふれ、すでに汗もにじんでいる。やや力の入った肩からは、焦ったせいか呼吸の乱れが伝わる。股間はすこし膨らんでいるものの、まだ眠たそうである。
よし、始めようか。
バスタオルを敷き、正面にペットボトルを置いたところで、おっと、大事なものがないではないか、と気づいてまた焦る。
おかず、おかず、きょうのおかずはなんでしょう、などと独りごとを言いながらスマホを取りに行く。小走りの足が股間のものをぶらんぶらんと揺らしている。
さあ、今度こそ。
世間の男どもは最近やたらにこの子をもて囃しているが、俺は有名になる前から知っている。
久々に名前を入力しながらおぼえる、生き別れた美少女と再会するような幸福感。
こんな子がそばにいたら、と思うけれども、頭を振ってわれに返る。
そう、今だけ、今だけは目の前にこの子が寝そべっていると信じ込むのだ。
スマホから手を離し、窓から差し込む夕日が照らす、透きとおった輪郭のまん中あたりへ、唇をやさしく添わせはじめる。
朝の満員電車から始まり、煩わしい雑事に追われつづけた一日が、心身の疲労とともに、すっかり清められる気がする。
生の感覚がこれほど鮮やかに得られていることに我ながら驚く。
しあわせ。
いつのまにか閉じていた瞼がふたたび開いたのは、それから数分経った後のことだった。
念入りに手を洗い、トイレットペーパーを流してタオルをたたむ。ペットボトルもよく洗浄しておく。
服を着てごろんと床に寝転んだら、扇風機のスイッチを入れ、一仕事終えた体をやすめる。
ふう。
でも、風俗へ行かなくたって、右手とティッシュとちょっとの工夫さえあれば、道は十分拓けるんだ。
セックスなんか時代遅れだ。を書いてからちょうど一年、いま私は心からそう思う。
きょうは良い一日だった。
あしたもあさっても、きっと素晴らしい日になるだろう。
歯医者すげー!
お茶飲みまくるせいでとれなくなった歯の着色が3000円でめっちゃ綺麗になった・・・
初診・歯石取りとかも込み。
家で喉乾いたときにはジュースよりはお茶がいいだろうと思ってたけど、お茶はコーヒーより着色しやすいらしいから、今後はトマトジュースにすることにする。
フロスはやってるんだけど、歯と歯の間しかとれてなかったっぽい。
結構ぎょっとするくらいまでフロスを歯と歯茎の間に食い込ませる必要があることがわかった。
閑話休題。
今日俺を見てくれたのは、いつぞやにお世話になったことを増田に書いた、おっぱいは小さいけどかわいい歯科衛生士さん。
顔が小さいけど目が大きくてくりくりしてきりっとしている。
でも全体的にはぽやーっとした感じ。そのギャップがいい。
無造作に口内に入れられた指を反射を装ってprprしたくなる衝動と戦うのが大変だった。
たおやかで細い指が口内を不意に動くもどかしさ。
でもやっぱり想像どおりかわいかった。
目を開けてたら口内を覗いてる彼女をガン見する感じになって恥ずかしすぎるから、ずっと目をつぶってた。
見つめ合うと素直におしゃべりできない。
西の善き魔女のルーンにならって、フィボナッチ数列を脳内で暗算し続けることで興奮しすぎずにすんだ。
300か400超えたあたりから怪しくなってくるから、何度も最初からやり直した。
うーんえっちいこと抜きにしても個人的にお近づきになりたいけど、30童貞にはそんな勇気はないな・・・
でも口内を無遠慮にきれいな指でかき回されて、口あけっぱなしのほげーって感じの情けない顔も見られた後で、「連絡先教えてくれませんか?今度どっか遊びに行きましょう(キリッ」とか口が裂けても言えねえ。
プライドなんか捨てちまえ当たって砕けろという考えもあるが、せっかく便利な場所にあるのに気まずくなって行けなくなるのも困る。
定期歯石取りの3ヶ月に一度会えたらいいなってくらいでいいや。
頭頂部に感じた彼女のお腹の感覚を思い出すと心がぽかぽかするからそれだけでいい。
これは恋・・・じゃないと思う。
エロゲレビューサイトめぐりをやってて思ったけど、エロゲをやることが面倒になってやらなくなってから、インプットに応じたアウトプットを行うことすら面倒になってきている感じがする。
だからレビューだけ読んで(自分がプレイしてこういう感想を考えたと錯覚して)満足する。レビューを読むことが趣味になってるレベル?
新作ゲーム買うけど自分でやるのは面倒だから誰かにやってもらうのをただぼーっと眺めるだけ的な。
でも実際そういう人って多い気がするんだよなあ。
日常生活がしんどすぎるのに娯楽が溢れすぎててやりたいのにやる気力がない、時間がないとかそういう。
オートモードもあるけど基本的にボイス待ちで次に進むから、読み終わったらボイス気にせず進める人にとっては基本的に無意味なんだよね。
クリック代行とかでも結局クリックしてもらうっていうアクションの手間>>>自分でクリックする手間だし。。
メッセージ表示終わってから文字数に応じてウェイト時間を決められればいいのか。
あとはあえて言うならエロゲのテンプレ(ツンデレとかハーレムとか中二病アクションものとか)を「そういうもの」として理解する労力も費やしたくなくなってきた。
うーん、、、ノベルゲーをやりたいけど読むのは面倒臭いってところに行き着くのかなあ。。。
なんなんだろうこの矛盾した気持ち。
ダンボール一箱分くらい未プレイのエロゲあるんだけどもうこれやらないまま処分するしかないのかなあ。。。
頭の中ではやりたいって思ってるのにやる気力が出ずに結局やらないままというのは社会人にとっては普通だけど深刻な問題だわ。
とってつけたようでなんだけど、最近の自分が特に史実を調べるでもなく艦これで無造作にレベリングばっかやってるところを見ると、物語を消化するのを避けているのかもしれないとふと思った。
佐村河内しかり大衆は物語を求める云々が最近ホッテントリでよく見かけたテーマだけど、物語を消費することが面倒になってきているのかもしれない。
いつもカバンに入っていた手帳が無造作に机の下にころがしてあった。
俺はその手帳に気が付かず最初蹴っ飛ばしてしまったので、だらしねぇな、と思いながら彼女の鞄にしまってやろうとしたら、
手帳に挟んであったらしき紙が落ちてきた。
そこには
○月×日 トイレットペーパー取り替え
○月×日 夕飯(▲▲▲でパスタセット)
…
と彼女の文字で殴り書きしてあった。
これ、彼女が俺にしてくれたことじゃない。
俺が彼女にしてあげたことだ。
少し震えながら紙を挟んであげようと思い、手帳の中程を開いたらウィークリーリフィルのページだった。
そこにも同じように俺が彼女にしてあげたこと(大きなことも小さなことも)が書いてあった。
プレゼントの内容だけだったらこんなに怖く思わなかったと思う。
例えばスーパーで俺が細かいのを多くだしたことなんかも書いてあるんだ。
なんだこれ、すげえ怖い。
その日は手帳をそのままにして何事もなかったかのように過ごしたんだが、明日の夜に夕飯に行くことになっている。
また手帳に書かれるんだろうか。
いつもカバンに入っていた手帳が無造作に机の下にころがしてあった。
俺はその手帳に気が付かず最初蹴っ飛ばしてしまったので、だらしねぇな、と思いながら彼女の鞄にしまってやろうとしたら、
手帳に挟んであったらしき紙が落ちてきた。
そこには
○月×日 トイレットペーパー取り替え
○月×日 夕飯(▲▲▲でパスタセット)
…
と彼女の文字で殴り書きしてあった。
これ、彼女が俺にしてくれたことじゃない。
俺が彼女にしてあげたことだ。
少し震えながら紙を挟んであげようと思い、手帳の中程を開いたらウィークリーリフィルのページだった。
そこにも同じように俺が彼女にしてあげたこと(大きなことも小さなことも)が書いてあった。
プレゼントの内容だけだったらこんなに怖く思わなかったと思う。
例えばスーパーで俺が細かいのを多くだしたことなんかも書いてあるんだ。
なんだこれ、すげえ怖い。
その日は手帳をそのままにして何事もなかったかのように過ごしたんだが、明日の夜に夕飯に行くことになっている。
また手帳に書かれるんだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20140219175828
Kさんへ
http://anond.hatelabo.jp/20140219175828
何事かと思いましたが、案の定増田に書いてましたねw
冗談はさておき。
覗き見はダメです。
置きっぱなしにしたのは失敗でしたが、
メモの紙は真ん中じゃなくて、
ポケットのところに入れているはずなので、
Kさんが見たこと、わかりました。
こういう流儀がいいのかしら、
人は、してもらったことより、
してあげたことを覚えているのだそうです。
あと、私がどういうふうに今まで別れを経てきたのかとか。
聞きたがったから話したじゃないですか。
それで、ワガママいっぱいだった私は、
実際にやってみよう、って思ったんです。
あなたがしてくれたことばっかり書いてあって、
気持ち悪かったですか?
怖かったですか?
人に見せる用じゃなくて、
もしイヤなら、やめます。
私が「嬉しかった!」って思ったことだけ書いているので、
お正月のコトとかは書いてないでしょ?
そこまで見てないかな。
あと、爆弾発言をすると、
私の使ってないほうのバタフライちゃんには、
Kさんの後ろ姿とか、
寝顔とか、
そういうの、いーーーーーーっぱいあります。
でも、私、Kさんが
私の寝顔とか、
料理してるところとか、
これはお互い様ですよねw
じゃ、そんなかんじで。
もし、気がついてくれたら
Kより。
これは自慢話というか手柄話というか、そういうものである。ところどころのろけ話でもあることも自覚している。そんなものを長々と書くのはあまり美しい行為ではないが、それでも一度でいいから誰かに話してみたかったし、かといって「自慢とのろけとかウゼー」とリアル知人に思われるのも怖かったしで、増田に書くことにしたわけだ。
彼氏と付き合い始めた時、すぐに私は「この人片づけができないのでは」と疑うようになった。
実家住まいだった彼氏は、一人暮らしの私のアパートにしょっちゅう遊びにきて、それは嬉しいし楽しいしどんと来いではあったのだけど、彼が帰ったあとの部屋は異様に散らかっていた。
牛乳やジュースを冷蔵庫から出したらそのままで戻さない、ゴミはゴミ箱に捨てたり捨てなかったりで、食べカスが散らかるのは全く気にしない、彼氏はそういう人だったのである。
別にそんなことは気にしないでいたのだが、いろいろあってある日、彼氏が我が家に転がり込んできて、そのまま一緒に暮らすことになった。
そうなってしまうと話は変わってくる。彼氏の片づけられない男っぷりは私にとって無視できない問題となった。
とりあえず、さりげなく訊いてみる。
彼氏は料理がうまい。本当に美味しいものを作る。素晴らしい。愛してる。だが生活は食事だけで成り立つものではないのだ、残念ながら。
「そ、掃除は? 片付けとか、そういうのは……?」
「そっちは覚えてない。おれ、散らかってても全然気にならないんだよね。別に部屋汚くても困らないし。ただ引っ越す時、部屋の床を張り替えなきゃならなくなって、金はかかったな。まー、男の一人暮らしだと、どうしてもねえ」
違うぞそれ、男の一人暮らしがみんなそうなわけじゃないぞ、君の汚し方は並じゃないんだぞ自覚しろ。
あー、なんか、これヤバイ。
親切でおおらかで思いやりのあるこの人の美点を、このままだと私、ゴミに埋もれて見失う。
とはいえ、口うるさく片づけをせっつくのは下策であろう。
私は欠点が多い人間で、人様から大量に注意されているのでわかるのだが、注意されてすぐに行いを改められる人間というのは、稀である。
悪気がない振る舞いをたしなめられるとやっぱりちょっとむっとしてしまうし、無意識のうちにしでかす失敗は無意識ゆえに直しづらい。
ところが注意した側は行いの改まらない相手を見て、ぜんぜん直ってないじゃん、何回同じこと注意させるんだよコノヤローとか思うんである。
それに、もしも注意された彼の心がじゅうぶんに素直で美しく、すぐさま反省してくれたとしても、私はたぶん不満を抱えるだろう。彼と私では「きれい」「きたない」の基準がだいぶ違っている。彼が自分なりの「きれい」を達成したとしても、私はそれを「きれい」だとは思わないはずだ。そうなると努力が無視されて彼は傷つくに違いない。
そしてそんなことを繰り返しているうちに二人の関係はこじれ、隙間風が吹くようになるかもしれない。それは困る。口うるさくなるのは出来る限り避けようと、私は心に決めた。
かといって掃除と片づけをぜんぶ私がやるというのは嫌だった。私は掃除大好き人間じゃない。どっちかといえば嫌っている。そんな人間が今まで以上に掃除と片づけをやることになったら、彼氏のせいで私の負担が増えたチクショーきさまいつか殺すぞとか、その手の悪しき想念を抱くようになるであろう。結果として愛は儚くも失われることになる。これも嫌だ。タスクを大量に抱え込んだ上に我慢できなくなって関係破綻とか、骨折り損のくたびれ儲けすぎるではないか。彼も私もなるべくストレスをためずにすむ、そういう方策が必要だった。
悩んだ私はしばらくの間、彼氏の観察に徹し、その結果あることに気付いた。
彼氏は缶コーヒーを燃料にして走るアメ車みたいな男で、とにかく毎日飽きもせず缶コーヒーを飲む。
そして空き缶をそのへんに散らかす。
私はこの空き缶を始末するのが、一番嫌だった。怠惰な私はビン・カンゴミの日も朝寝したい一心で、缶の飲料は家では絶対に飲まないようにしたのだ。どうしても缶ジュースが飲みたいときは買った店の外で飲んでその場のゴミ箱に捨てる、そんな日々を送っていた。
これが他人からはバカみたいに見えるルールだという自覚もあったので私は何も言わず、結果として彼氏は毎日勤勉に缶コーヒーを飲み続け、空き缶をせっせと生産した。空き缶は時々横倒しになって、底の方に残っていた飲み残しがあちこちにこぼれた。缶を拾うと手がべたべたしてコーヒー臭くなり、お気に入りだったソファのカバーにはコーヒー染みがついた。
この問題は早急に解決の必要がある。私は再度、聞き取り調査を行った。
「なんで床を張り替えることになったの?」
「おれ、昔はマンガ雑誌をすごくたくさん買ってたんだよね。そんで捨てるのがめんどくさいから、全部部屋に置いてた。積むと邪魔だから床にマンガを敷きつめて、マンガの上で暮らしてた。そんで空き缶とかそういうのも適当に散らかっていたから、こぼれたジュースとかがマンガに沁み込んで、床板に貼りついちゃったんだよね」
頭がくらくらするような話ではあったが、そこには貴重なヒントが含まれていた。
彼はゴミが多ければ多いほど嬉しい、ゴミの中でこそ安らげるゴミフレンドリー人種ではないのである。大量の雑誌が積みあげられれば、彼といえども邪魔に感じるのだ。
邪魔に感じた結果、どうするのか。彼は「ゴミを薄める」のだと私は直観した。うずたかい雑誌タワーは、不安定で危なっかしくてとてつもなく存在感がある。存在感あふれるゴミを彼は無視できないのだ。
そういえば、彼はコーヒーの空き缶もそこらじゅうに散らかす。決まった場所に捨てるわけではなく、あっちゃこっちゃに置く。かき集めたら小山を作るであろう量のゴミも分散されることで目立たなくなる。つまりあれもまたゴミの存在感を薄める行為なのだ。
ならばこの先ゴミを薄めさせなければよいのだ。私はそう確信した。
薄められないゴミはいつか彼の我慢の限界を超えるだろう。そうなれば彼は何らかのアクションを起こすのではないだろうか。そのとき私は彼のアクションを「ゴミ出し」という形に限定させればいい。これはさほど難しいことではないだろう。雑誌を部屋に敷き詰めるなど、彼の行ってきた数々の薄め動作は、実はけっこうめんどくさい作業だ。そんな面倒なことができる彼ならば、集積所にゴミを運ぶくらいのことも、軽くこなせるはずではないか。
私はかつて、誰かに書類仕事などをやってもらう必要があって、頼んでもなんとなく先延ばされてしまうとき、相手の椅子に書類を置くという手法を編みだしたことがある。
机に置いてはダメなのだ。机に置いたものはなぜか適当に積み上げられたり、引き出しの中に追いやられたりしてしまう。
椅子に置くことのメリットは、相手が必ずその書類を手にとる点である。座ったらそのまま手の中の書類を処理してくれるような幸運に恵まれることも、珍しくない。
もちろん、確認後そのへんに書類を置き、またしても先延ばしにされることはよくあるが、焦る必要はない。相手が席をはずしたら再び書類を椅子の上に置き直せばいいだけだからだ。何回か繰り返せば相手も、さっさとこの仕事を片づけて心おきなく椅子に座りたいと考えるようになる。。
当然のことながらこの椅子置き手法がカンにさわって怒り出す人もいるし、うっかり書類の上に座っちゃう人もいるので、実行の際にはいろいろ見極めが必要となるが。
私はゴミ薄め妨害作戦に、この椅子置き手法を応用してみることにした。ゴミ出しや片づけの時に部屋中から集めたコーヒーの空き缶を、彼が使っている座イスの周りにぐるっと置くようにしたのである。
やってみていいと思ったのは、空き缶をすすいで水切りしてゴミ袋にいれる手間が省ける点だ。彼氏の座イス周りに缶を置けば、もう私のゴミ出しタスクは完了である。らくちんじゃないか。
ちらかっているのが気にならないと言いつつ彼は、私の片づけの邪魔はしない。あたりがさっぱりするとにこにこしながら自席に戻る。
最初のうち彼は座イス周りの空き缶をまるで気にしなかった。すとんと座るといつも通りに本を読んだりテレビを見たり話をしたりしながら、ゴミを室内に薄めていく。半ば無意識の動作らしく、ひょいひょいと本棚だのテレビ台だの靴箱の横だのに空き缶を無造作に置いていく間、彼は自分の手元をほとんど見なかった。
けれどある日、彼は座イスに座ろうとした瞬間に、
「うわっ」
と声をあげた。
数えたので知っているのだが、そこには空き缶が26本あった。数本の空き缶ならば気にも留めずに再度の薄め動作を行っていた彼氏だったが、さすがにその量の空き缶は、気に留まってしまったのである。
「なんでこんなに空き缶がいっぱいあるんだ。これぜんぶおれが飲んだの? 飲んだんだよな」
「ごめんね、一緒に暮らすなら、自分の片づけは自分でしたほうがお互いの精神衛生上いいかなって思ったの。だからあなたの空き缶だけ片づけなかったの」
「そっか、今までこういうの全部、片づけてもらっていたんだな。気付かなかった、こっちこそごめん。ちゃんと自分でやるよ。この空き缶、どうすればいい?」
そのとき初めて知ったのだが、彼が今まで片づけや掃除をしなかったのは、「どうすればいいかわからなかった」かららしい。
ゴミ箱には普通ゴミしか入っていないから、空き缶をどこに捨てればいいかわからない。
ゴミ箱がいっぱいになってそれ以上ゴミが入らない状態のときは、何をどうするのが正解?
悩んでいると私が片づけてしまうので、「わかる人に任せればいいか」と思うようになったそうなのだ。
一人暮らしの時、マンガ雑誌を大量にため込んでいたのもどうやら、住みなれない土地で古雑誌をどうするのがいいかよくわからなかったのが原因だったそうで。
実家では彼はゴミ出しにまったく関わっていなかった。ゆえにゴミは朝に出すものとか、資源ゴミと普通ゴミと不燃ゴミは回収の曜日が違うとか、自治体によってゴミの区分や回収の頻度は異なるとか、そういうことを彼はぜんぶ知らなかった。実家にいる間はそんなことを知らなくてもゴミはいつの間にか処理されていた。だから彼は、生活にはゴミ出しが必要とか、そのために知らないことをわざわざ調べなきゃとか、そういう発想をしなかったのである。代わりに彼はゴミを薄めるという手法を編み出し、洗練させていったのだ。
料理と洗濯ができるのはなぜか、というのも理解できた。彼は服が好きで、美味しいものに目がない。だからこそ、料理と洗濯だけはやらなきゃいけないという「必要」を感じて、スキルを身につけたのだろう。もしも食にも服にも無関心なタチだったら、彼の部屋はもっと酷いことになっていたのかもしれなかった。
彼が薄めたゴミを私が濃縮還元したことによって、彼は初めてゴミ捨ての「必要」を感じたのだ。空き缶の捨て方を皮きりに、片づけや掃除に関する知識を、彼は徐々に蓄えていった。
ちなみに、彼は小学校から高校までエレベーター式の私立校出身者なのだが、そこの方針で校内の掃除をしたことが一度もないそうだ。アニメなどで掃除当番という単語を見るたびに「物語をすすめるための特殊設定の一つなんだろうな」と思っていたというから驚きだ。「雑巾の絞り方」を、彼は成人するまで知らなかったのだという。私は貧しさゆえ学校と名のつくものはすべて公立でまかなったのだが、雑巾の絞り方は学校で習った。金持ちと庶民では受ける教育が違うのだということを実感した私は、彼がつい掃除や片づけを面倒に感じてしまうのも無理はないな、と思った。
その後、彼は片づけや掃除に、きちんと取り組むようになった。素晴らしい。愛してる。
元々彼は、器用でテキパキして要領がいい。気配り上手で、頭の回転が早く、何をやらせてもすぐに大抵の人よりうまくこなせるようになる。そういう人間だ。
掃除も片付けも、あっという間にできるようになった。びっくりするくらい素早く部屋を片付けて掃除機をかけて、窓ガラスまで磨いちゃったりする。
床に敷き詰めたマンガ雑誌の上で暮らせるくらいだから本質的には綺麗好きというわけではないので、たまにものすごく散らかしたり汚したりするが、それはもう愛嬌みたいなもんである。
そして数年が経ち、彼は私の夫となった。
「脱いだ服を出しっぱなしにしない! その場ですぐたたむ!」
「ティッシュを何枚もなんとなく持ち歩くのやめなさい! みっともないからすぐに捨てて!」
「書類仕事は先に延ばすとだるくなるから、すぐにやりなさい! だめ、終わるまでここで見張ってます!」
今の私は、毎日とまではいかないがかなりしょっちゅう、夫に糾弾されている。
そもそも私は、綺麗好きではないし、しっかりもしていない。むしろ世間的にみれば、ややだらしないほうと言えるだろう。そういう人間だからこそ、空き缶大量生産マッシーンみたいな男性と付き合えたのである。私が潔癖症だったら、絶対に夫とは結婚していない。
つまり、私のだらしなさこそが二人の仲を取り持ったとも言えるのだ。もうちょっと寛大にしてもよいではないか夫よ。
「調味料は使ったら棚に戻す! 『めんどくせーなー』とか思わない! 顔に出てるよ!」
従順に片づけているのだから、内心の自由くらいは担保させてくれないか夫よ。
「洗濯物の干し方がなってない!」
「服のたたみ方が下手!」
この人けっこう口うるさいよな。昔はそんなことなかったのに。遠い昔、ややだらしない女を心広く許容してくれた優しい彼は、もういないのである。
あーあー私だって言いたいことあるけど口うるさくするのはやめようって、けっこう我慢してるんだけどなー。
ということはよく思う。なので喧嘩になる時もある。だけど。
「ほんとは掃除とか片づけ嫌いでしょ? 放っておけばいいのにとか、思うときない?」
ずっと昔、私はそんな風に訊いてみた。
「一人だったらそうかもしれない。けど部屋が片付くとあなた本当に嬉しそうだからねえ。だから片づける。それに今はおれ自身、片付いてる部屋のほうが好きなんだよ。これはあなたのおかげだなあ」
と答えてくれた夫はほんとに男前であるなあ、と思うのである。私のために片づけや掃除をしてくれるのかと思ったら、かなりじーんとくるではないか。
なので、夫の口うるささは時々嬉しかったりする。だってこの人、私のために言ってくれてるんだもんね、と思えるから。それでも喧嘩になってしまうときがあるというのが、私という人間の器の小ささを物語っているが……
というわけで私は時々、椅子置き手法によるゴミ薄め防止作戦を立案・実行した過去の自分を、誉めてやりたい思いに駆られるのである。今日の幸せは、かなりの程度貴君の活躍によるものだ、えらいぞ、よくやった! そんな言葉でねぎらいたくなっちゃう思い出である。
もちろん一番偉くてよくやったのは、別人のように家事スキルを向上させた夫である。素晴らしい。愛してる。
とりあえずそういう夫に見捨てられることがないように、私も自身のだらしなさを払拭すべく、がんばっているつもりである。
だらしない女と片付けられない男で、たぶん私たちは割れ鍋に綴じ蓋ってやつなんだろうけど。
この人と一緒にいられるんだから、かえってそれでよかったよな、とか思ったりもするんである。
ところでこのコトワザ、鍋と蓋、どっちが男でどっちが女なんでしょうね。ま、どっちでもいいか。