あなたの趣味は何ですかと聞かれたら私は即答するであろう。「自慰です」と。
小学生の頃から今日まで私は自慰ばかりしながら生きてきた。最初は一枚のティッシュでも十分だったのが、今では十数枚を無造作に引き抜き、大量の液体を思うさま放出する日々である。
一度で数億生じるともいわれるオタマジャクシは、私の身勝手な行為によって、無念にも犠牲になった。女体をまさぐった末に起こる肉体の変化に伴い発射されるのが自然の流れであるし、私が生んだオタマジャクシたちもそれを望んだであろうが、実際には、適当な画像や動画にみだらな欲情を起し、しこしこと上下に僅かな回数動かしただけで、彼らは無理やりこの世に引き出される。
きっと彼らは、温かい体内の中で、数億のライバルたちと対しながら、奴らに勝って卵に突入するという野心を燃やし、そのための準備も怠らなかったであろう。
それなのに。
勢いよく飛び出たところは、あるいは紙の上、あるいは手の上、あるいは、やったぞ性器のスタートラインにたどり着いたと思うやいなや、それが単なる玩具の中であったことに気づき、涙を流して生を終えたものも、少なくなかったにちがいない。
私は彼らに謝りたい。
だが、考えてもみてほしい。青年は、ほぼ例外なく、思春期に入ると自慰を始める。その青年が大人となり、子供を持つまでの間に創出するオタマジャクシの数は、無駄にされるオタマジャクシの数は、数百億、いや、数百兆匹をもかるがると超えてしまうのではないか。
そう、彼らの中で卵にたどり着けるのはたったの数匹(零かもしれない)。残りの、無限にも近いオタマジャクシたちの死は、宿命なのである。
しかし私は声を大にして言いたい。君たちの生は無駄ではなかった、と。
広大な野原にうっすらと積もった雪のように白いティッシュペーパーの上に、さっと撒かれた純白の蜜を眺め、ああ、この中には、俺の種がたくさん泳いでいるのだと、そう思うとき、私は言い知れぬ幸福を感ぜずにはいられない。私の生きがいである自慰に、君たちは華を添えてくれるのだ。