はてなキーワード: 日本企業とは
結果学歴で判断してる日本企業がどんどん沈んでいってるわけだけど
これは一体…
ちなみに中国やアメリカじゃ学歴そのものより資格とか研究成果大事にしてますね
当たり前だけど
そもそも女性専用車両は抜本的な痴漢対策ができない日本社会、警察、鉄道会社が、はいこれが痴漢対策でございとその場しのぎで出してきたもんだろ。
で、日本社会、警察、鉄道会社の意思決定を担っているのは圧倒的に男性だろうが。
犯罪者の多くがその属性を持っていることを理由に、ある生得的な属性を持っている人の多くを公共の領域から締め出す行為は、差別だよね?
違うでしょ。
それを「その生得的な属性を持っていない人達」がやれば差別だろうけど。
「犯罪率が高い集団の成員をまとめて排除するのは差別じゃない」という論理は、たとえば歴史的に差別されてきた結果として犯罪に手を染めることが他の地域の人よりも多くなってしまった地域の人を差別することにつながる。「私企業なんだから別に勝手に『女性専用』を設定していいだろ」という理屈は、私企業が「日本人専用」や「○○人お断り」をすることを許容してしまう。「これは差別ではない、区別だ!」という言い方は、女性が不利益を受けたときに「でもこれは区別だから」で済ませる余地を与えてしまう。
なんねーよ。
特定地域の人を他の地域の人が犯罪者予備軍扱いしたら差別だし、日本企業が○○人お断りをやったらそりゃ差別だろ。
最近よく考える事がある。
世のサービスの殆どはPCが用いられているが独自システムに独自ネット回線というものは限られている。20年前はオタクだけのものだったワールドワイドウェブは既に子供から老人までが日常的に使うものになっている。つい数年前までネットを敵視していたテレビやラジオでもネットを積極的に取り入れるようになった。
ところが、である。日本のネット上のサービスの多くは日本企業によるものではない。AmazonにGoogleにAppleにTwitterにLINEなど主流ネットサービスの殆どは外国企業によるものだ。簡単な話、Yahooの検索エンジンはGoogleと同じなのだから検索するには海外のお力が必須なのだ。
日本のネットが海外企業に独占されているとしても問題はなく、むしろ世界最高水準のネットサービスが簡単に使えるメリットのほうが大きいだろう。体力の無い日本企業がGoogleと同じサービスを維持できるだろうか? LINEのような通話アプリを無料で提供できるだろうか? その代償がGPSや通話やクレカ情報を含む個人情報だとしても不満を感じない人のほうが多いのではないだろうか。
しかしこの便利なネット社会はいつまで続くのかと考えると、不安が付きまとう。
現実的に考えれば幾ら戦後レジュームがどうこう言っても日米が戦争状態になる可能性は低いだろう。ありえない話だ。しかし日本とアメリカとのインターネットが断絶しない保証は無い…もちろんSF小説のような荒唐無稽な可能性ではあるが。
例えば中国がアメリカ製CPUのハードウェアの脆弱性を突きネットを介して大規模なクラッキングを行った場合、中国製CPU搭載機を除く世界中の殆どのPCが壊滅する。昨年末にCPU脆弱性問題が騒がれたが、独自に開発を続けている中華CPUはこの影響を受けない。また昨年には中華ハードに仕組まれたマルウェアによって大規模なDDoS攻撃が発生している。もちろんPC壊滅などという荒唐無稽な事ががすぐさま起きるとは思えないが、その布石が着々と打たれているような不気味さがある。「インターネット戦争」は安いコストで敵国にダメージを与えられるので中国に限らず侵略国家ならばどの国が行っても不思議ではない事だ。
もっと単純に、なんであれ日本の周辺が戦時下になった場合、直接的に攻撃を受ける事も恐ろしい事だが、通信インフラを攻撃され破壊される可能性もとても恐ろしいものだ。政治や戦争というものは一般庶民には縁遠いものだが、通信用海底光ケーブルを寸断されたら庶民が使うインターネットもあっさりと終了するのだ。
他にも貿易とか権利とかの問題で日米間の通信が規制されるとか、GoogleやAppleが倒産しちゃうとか、日本国外の都合でネットサービスが日本に齎(もたら)されなくなった場合、どうなってしまうのだろう? 日本の企業とサーバーだけでどの程度のサービスが維持できるのだろうか?
まぁスマホを持たず楽天とニコ動とDMMしか使ってない人なら大丈夫だろうが、ネット依存の俺は即座に悶絶死しそうだ。
あまり深く考えずに適当に書き連ねてしまったので、以下「こんな可能性でネット終了するのでは」または「海外ネットサービスなくても日本には○○がある」という大喜利などでお楽しみくだしあ。書き捨て御免。
僕はある恋をした。去年の1月の末頃の話だ。
相手はマッチングアプリで知り合ったカザフスタンから来た女性だった。
初めて会った時はラーメン屋に連れて行った。来日したての彼女は自分で勉強したという拙い日本語を使って、自分のことや、カザフスタンのことを頑張って話していた。
ただ純粋に1人の女性として魅力的だった。彼女は日本の大学の大学院に進学することを目的に来日して、日本語学校に通っていた。カザフスタンの日本企業で働いていた彼女は、日本での進学に向けて頑張っていた。そんな彼女に、僕は恋をした。
彼女の友達と3人で東京ドームシティで遊んだ。寮を出て先の友達と住む家を探す、という時には通訳、というと聞こえはいいけどどちらかというと家に関する説明を日本語でする、ということもした。
彼女のことが毎日頭に浮かんでいた。2歳年上の彼女に大人に見られたくて、彼女が好きなタバコをもらってふかしてはむせたりもした。
最後に会ったのは、だいぶ前になる。スカイツリーかすみだ水族館に行こう、と話していたが、まだバイトをそんなにしてない彼女にはどっちも値段が高くて、ソフトクリームを食べることになった。その後彼女は具合が悪くなって、すぐに帰ってしまった。
それ以来、彼女からは連絡がなかった。僕はてっきり、何か失礼なことをして、嫌われてしまったのだと思っていた。何度かメッセージを送ったけど、一向に既読がつかないから、それこそブロックされてしまったのだと思っていた。
それからの僕は、普通に暮らしていた。勉強、バイト、趣味。全部、それなりにやって。9月には彼女もできた。今も付き合っている。彼女と恋に落ちた、それだけだった。もちろん、付き合う前、恋に落ちる前に、一瞬カザフスタンから来た女性、好きだった人のことが頭によぎった。でも、嫌われてしまったのだとしたら、どうしようもない。そう思って諦めた。
それからは、あまりその人のことを考えることはなかった。第一、彼女がいるわけだし、考えるタイミングもなかった。
そうして、半年弱が過ぎた今日、突然その人から連絡が来た。その人は、昔と変わらない感じで、連絡をしてきた。僕はびっくりして、てっきり何か家に関して問題が起こってしまったのかと思った。でも、違った。
その人は、僕と連絡が途切れた頃、東京ドームシティで遊んだ友達と仲が悪くなってしまい、引っ越しをしたことや、それこそ大学院について色々調べることで忙しかったのだという。
僕は、ああ、嫌われた訳じゃなかったんだな、と思った。とりあえず、久々に近況報告を兼ねて通話をすることにした。
そこでその人は、1年間の日本語学校で学ぶ留学ビザが切れるので、カザフスタンに帰るのだと語ってくれた。そこでお世話になった人、日本で会った人に連絡を取っているのだという。
大学院の試験は落ちてしまったらしい。でも、その大学院の教授と話すことができ、「日本での就職にはその分野の修士課程を修了したことがあまり役に立たないこと」「もし研究職に就きたいのなら、入るのも一つの道だということ」を教わったらしい。
そして、彼女は帰ることを決めた。僕が日本で就職するのはどうかと訊ねると、試験が終わってからではもう遅く、前に就職活動した時には日本語能力試験のグレードN2をまだ取っていなかったので、就職もできなかったのだと教えてくれた。
僕は、どうしようもない寂しさを感じた。好きだった、というだけであり、今恋心を抱いているわけではないのに、ただ、寂しかった。
彼女はこうとも言った。せっかく日本語を1年頑張って勉強したけど、帰ってしまったら忘れてしまうだろう。少し、もったいなく思う、と。
何故だか、落ち込んでいる自分がいる。ただただ、寂しさを感じている自分がいる。これが何の寂しさなのかはわからないが、とても孤独感に苛まれている。
実を言うと、僕はその人に好きだと言ったことがある。しかし、彼女は日本に来る時に、カザフスタンでの彼氏と別れたばかりで付き合う気にはなれない、と言って断られた。
きっと彼女は、特に覚えてないだろう。ただ、それでも、僕はしっかりと覚えていた。
彼女が彼女なりに考えた結果が、カザフスタンに帰るということなのだろう。僕は彼女の何でもないし、止める権利もないだろう。
でも、何故だろうか。いざそう告げられると、まるで自分が1人になってしまうような感覚になってしまう。
これが恋でないことは確信できる。何故なら、前とは全く違った気持ちでその人のことを考えているからだ。それでも、不思議なもので、やはり寂しさを感じてしまう。それこそ、もったいないなぁと思う気持ちや、残念だなぁといった気持ちが大きいが、それでない「寂しい」という気持ちが湧いて出て来るのである。
僕は、彼女が帰る前に一度会ってみようと思う。どうなるかはわからないけど、それが僕の、僕がどうするか、ということの道標になる気がするからだ。
今国会で裁量労働制についてゴッタゴタしていて、これに関しては素直に野党を応援したいのだけれど、
一方で政府主導の「働き方改革」そのものに疑問というか、不安がなくもない。
即ち「もしこのままトップダウンでホワイト厳守の働き方改革を浸透させたら、最悪、日本の企業があっちこちで倒産しない?」と。
はてなではしばしば「日本人は労働生産性が世界最低クラス」とか「管理職が無能」とか色々見掛けるけれど、これらは働き方改革が浸透すれば急激に改善されるのだろうか?
もし日本人が働き方改革と共に急に覚醒して、ホワイトな環境下でも従来の生産力を維持できる所まで労働生産性を上げられるなら良いのだけれど、
恐らく、パソコンが普及しても依然として非効率な旧式のアナログ作業的な感覚に捕われている職場も多いように、
日本企業の労働環境をホワイトにしても急には労働生産性は改善されず、単純に時間の減少に比例して生産力のみ低下する方が、確率は高いのではないかと思う。
物凄く酷い話ではあるけれど「サビ残にきっちり給与を支払ったら倒産してしまう」って企業もあると思う(正直こういう企業はさっさと淘汰された方が良いとも思うけれど、そんな企業の比率が全体の何割位なのかが問題。)
勿論、法整備によって皆の生産力が一斉に下がるのであれば相対的には然程問題にはならないのだけれど、
良くも悪くも今はグローバル社会故、日本企業の競争力が落ちても競合他社である海外企業の競争力は落ちない訳で、軒並み日本企業が駆逐される可能性も十分あると思う。
政府や官僚が裁量労働制に拘りを見せてるのも、実はその辺りに対する懸念があるから茶を濁そうとしているのではないかとも思う。
一応念のために言っておくと、私個人としては働き方改革の方針には“長期的には”賛成だし、現状の裁量労働制は野党に頑張って潰して欲しいと思っている。
だけれども、そこに至るまでの過程が問題で、急激に変化を促す政府主導のトップダウン方式ではなく、
時間は掛かるけれど、労働生産性を重視したホワイト企業が既存のブラック(グレー?)企業との競争に打ち勝ち、
各経営者が自ずから「うちも働き方改革した方が良いじゃん」と検討するようなボトムアップ方式で、ソフトランディングさせる必要があるのではないかとも思っている。
それこそ、今の新入社員が定年前になるくらいまで、それくらい人が入れ替わらないと、日本人の労働生産性はそう改善されないのではないかとも懸念している。
…のだけれど、その辺りのことをはてなーの皆様はどうお考えなのでしょうか?
働き方改革さえ徹底させれば、現状ボロクソに叩いている日本人や管理職も急激に覚醒してくれるだろうという考え?
眼前の労働環境が改善されるなら、別に後々勤め先の企業が倒産して路頭に迷っても良いやという考え?
ブラックな日本企業なんて駆逐されて滅べば良いんだよっていう破滅願望的な考え?
まぁなんとかなるでしょっていう楽観的な考え?
「ランチ」で考えてしまうと上司の財布の紐は凄く固そうな印象ですが、「飲食費」と考えれば飲み会分も込みになるでしょうから、上司なりにシッカリ考えて支出しておられますよね、恐らく。
また日本企業の上司であれば「上役が少し多めに出す」ような慣習もあるでしょうから、好悪や良し悪しはあるでしょうけれども職場内の人間関係を円滑に保とうとしている努力の一環とも思われます。
上司の貯金などの心配は家庭内で解決すべき事柄ですから、放っておいても良い話かと。所詮は他人の財布の話ですし。
そして「ランチ1,000円」は食べた本人が妥当と感じれば妥当ですし、高すぎると感じれば高すぎるだけの話ですので、個人的には何とも思えませんでした。
私自身は500円以下の切り詰めたランチを食べたこともあれば、投入しなければならない事情があったときは数千円を投入したこともありますので、そのとき次第としか言えません。
タイトルとリンク先のグラフしか見ていないけれど、いろいろと疑問が。
博士取得者と十把一絡げにされているけれど、工学など産業に直結している分野の博士取得はどのくらいなんだろうか。
博士取得者は新卒、途中とどっちで採用している事例が多いんだろうか。
博士取得者、修士取得者、学士取得者の5年後の職域・職級はどう違うんだろうか。
日本の企業が高学歴人材を有効活用できていないのか、高学歴人材を作ることそのものが無駄なことなのか、丁寧に議論しないといけないと思うけれど。
実のところ、有効活用できない日本企業に嫌気がさした人たちが外資にほとんど持って行かれているから結果が出てないとかだったりして。
日本企業が博士号取得者の採用を増やすと、逆に生産性が下がるとする分析を日本経済研究センターがまとめている。
一人前の研究者とされる博士人材は日本では、企業が終身雇用制などに縛られて人材を使いこなせていない可能性や、大学で企業の研究現場で役立つ人材が十分に育っていないことが考えられるといっているが根拠となるグラフがいくらなんでも以下のものだった。
https://www.jcer.or.jp/policy/policy-proposal/detail5316.html
どうみても疑似相関です。ありがとうございます。これで相関や関係を論じられるわけななんてないだろう。もっと丁寧に変数の関係性を立証したうえで、議論するべきでは?
使っている変数の根拠となっているのが、博士号取得者・労働生産性・鉄鋼業生産でのみ相関を見ているがいくらなんでも中間変数やらの議論が抜けすぎているのではないか?
この研究で組み立てるとすれば、博士号取得者が増えたことでどういった影響あったかを総論的にまず見ていく必要があるのではないか?
そして比率で博士号取得者をやっているが、これから労働生産性全体まで波及して影響を及ぼすなんて無理だろう。
注1 匿名はてなで画像乗っけるやり方がわからなかったのリンクのみ
注2 匿名で卑怯だというのならば、是非ともこの件はデータ分析関わる博士として身分を公開して議論を行いたいため著者らと話をしたいところである。
注3 関わっている研究者を見たところそれっぽい人はいるのだが、本当にこれちゃんと読んだうえで議論しているのだろうか。主執筆者と思われる主任研究員、福主任研究員の方は博士号を持っていないようだ。まぁ無くても研究論文は出せるから良いとは思うが流石にちょっとなぁ・・・
90年代前半に、日本の会社の主力事業が軒並み苦戦に陥った。そこで、会社の主力事業を畳んで新しい主力商品を作る必要があった。
90年代後半になると、「選択と集中」という言葉が流行しだす。どこの会社も、役人も、主力も含めた全ての部署から少しずつお金と人を削り、新しい事業にドカンと投資した。これが選択と集中だった。
しかし選択と集中はうまく行っていないようにみえる。その理由を私なりに考えてみた。
選択と集中のイメージは、痛みを伴って不採算部門を大胆に潰し、今後成長の可能性が高い、新たな事業に集中的に投資する、というものだ。
そのため、上司も部下も苦しいけれど、ここで頑張ればきっと将来はもっと儲かるはずだ、というイメージを持たれている。
しかし実際は全く違う。
実際に行われた「選択と集中」では、「選択されていない」部署からリソースを集め、「選択された」部署につぎ込む。
「選択されていない部署」の余裕を剥ぎ、みんなが少しずつ今より無理をすること、
そして新しい部署を作ってリーダーを増やすことが特徴のシステムだった。
これはみんなが上司になることを目指す日本型経営にとても合っていた。
「選択と集中」のポイントは、儲からない仕事をたたむ必要が無いことだ。
会社の調子が悪いからみんなが苦労する。そして新しい部署を立ち上げた人は功績を得る。
誰も責任を取る必要がない。しかも誰かが新しい功労者になることができる。
それが「選択と集中」だった。
問題は「畳むべき不採算事業」に責めを負わせない以上、「畳むべき事業」「芽が出始めた事業」「好調な事業」の全てからリソースを少しずつ取り上げることだ。
すると「畳むべき事業」だけでなく、「芽が出始めた事業」「好調な事業」にも余裕がなくなる。好調な事業が伸びなくなる。
これが今の日本社会だ。
みんなが遅くまで働いてる。上司も部下の面倒を見ながら細かい書類を作成し、会議も出るわ営業もするわ、もうなんでもやる。でもそんなんで本当に大切な仕事に集中できるのだろうか。
エースと呼ばれる人たちが、会社で言えばウェークマンやiPhone級、研究者で言えばノーベル賞級の仕事に集中できないのは「選択と集中」という危険なイデオロギーが原因なのだ。
またスケールメリットだけで勝負するために集中投資してもダメだ。
選択と集中は、みんなからちょっとずつ集めてドカン、というやり方だ。これはダメなんだ。
それではどうすればよかったのだろう。
事業を畳む必要はなかったのだろうか。もちろんそうではない。逆だ。儲からない事業を潰すんだ。万難を排して潰すんだ。それができないなら改革なんて何の意味もない。
そして、その空いたリソースを分散するんだ。儲けゼロの新事業に集中投資したらダメだ。
だから選択と集中に代わる正しいやり方は、バサッと切ってパッパッ、だ。
選択と集中に成功したすべての企業は、何らかの事業をバサッと切っている。そして失敗した会社は、集中した事業はわかりやすいものの、切り捨てた事業がわからない。
日本企業の幾つかは、「これから投資する部門」を「選択」した。そしてそれは何の意味もなかった。
別の企業の幾つかは(日本企業も含まれる)、「切り捨てる部門」を「選択」した。それはとても意味があった。
こうして考えると、「選択と集中」が経営者の甘えであったことがよく分かる。
つまり、不採算部門をバサッと切り捨てることこそが重要で、何らかの事業に集中することは、じつはどうでも良かった。
なのに、不採算部門を切り捨てることが出来ない経営者が、リソースを削ぐため「こっちに集中するから、少しだけ我慢して」と言った。
いつもイノベーションの話になると「経営者たちの思考が硬直して云々、縦割りが云々、自由に物言えない会社の風土が云々」とか言われるけど
それって大企業が前提になってない?
世界見てみると別にイノベーション起こしてる大企業って多くないよね?
イノベーションのアイデアを元に立ち上げたスタートアップや中小企業や民間の研究機関の特許を大企業が買収するみたいなことはあるけど
大企業内でイノベーションが起きるってのはそんなに多くないでしょ?
なのに日本になると「大企業がイノベーションを起こさないといけない」って前提になってんの
だから識者とか言う人らが話してても「はあ? お前らが会社立ち上げりゃいいだけだろ」としか思わない
そりゃさ、なんでもかんでもプラズマクラスターとかはうんざりだけど、そういう一点ゴリ押しを辞めるのとイノベーションは別の話じゃん?
だってプラズマクラスター自体だってイノベーションっちゃあイノベーションじゃん?
で、プラズマクラスターとかがそんなでもなかったってことは、結局イノベーションって儲かるわけじゃないんだよね
だから、そもそもイノベーションが目的化してる事自体にも大きな問題があるよね
これは、へーCoincheck社でハッキング被害があったんだー、で済む話ではないのだ。
アメリカでエンジニアをしているがこっちでも結構話題になっている。まあCryptocurrencyに興味があるエンジニアだけだけど。
そもそも日本のことがニュースになることはこの数年めっきり減った。IT界隈ではまず日本のことなんて話題に上がってこない。
久々に話題になったと思えば、これだ。
この一件でみんな思っていたが今まで口にしなかったが、ついに言ってしまった。
もう居心地の悪さ、わかるかな?アメリカでエンジニアをしている私の。
エンジニアは技術目的で新しい技術に飛びつくものの、それ自体が目的になっていて、本質をつかめないまま使うものだから効果がまるであがらない。
もう日本のIT業界はカオスそのもの。経営者は経営者で創造性ゼロで二番煎じのビジネスばかり、利益があがらないから社員の長時間労働でなんとか会社を回していると日本の友人が言っていたがよくわかる。