はてなキーワード: 撤去とは
俺はアラサー男だけども、男性向け成人誌だけじゃなくもっとやればいいと思う。どの事業者も。
世の中の表側からはアダルト(性的かつ下品、淫蕩的なもの)はぜんぶ撤去するべき。ティーン誌とか青年コミックも含めてね。厳しすぎるくらいでいい。
コミケなんかのイベントでもエロ同人での参加は禁止して、エロは通販やDL販売に完全移行したらいいと思う。
同好の士との触れ合いの場がほしいならまず外で話せるレベルの、健全なものも作ってから話してくれ。エロでしかコミュニケーションが取れない人間はネットから出てくるべきじゃない。
実店舗を持つ同人ショップからもエロ同人アイテムは撤去。公共の場には存在しちゃダメだ。
とはいえ、厳重にゾーニングされ、入店時にピピっと成人認証されるアダルト専門ショップ、といった感じなら商業・同人問わず実店舗もあっていい。あと現状のように歓楽街に隔離された形の風俗店も問題ない。
要するに、現実世界では非エロとエロが混在する空間があってはならない。健全なものを求める人間(未成年含む)がアダルト方面に迷い込むのが問題。
ただし、ネット上ならそういった類の迷い込みがあってもいい。もちろんフィルタリングなどの必要性を否定するわけではないが。
根本的にネットというのは、ほとんど精神世界だ。精神に歯止めは掛けられない。だから強い意志があれば未成年でもフィルタリングを抜け出せるくらいで構わない。
そういう空間と、現実の空間との区別は厳格であるべきだし、その分別を誰もがつけられる国民性を志向するべきだと思う。
誤解されそうだが、成人向けコンテンツの流通を縮小させる意図はない。むしろ、厳格に分ける一方で萎縮が起きないように気を配るべきだ。
アダルトを含めたあらゆる表現を手厚く守って、エロアイテムの流通は倍増させるくらいの勢いでいいとすら思う。
ただしその流通は、パブリックとは隔離された場所で、プライベート空間に直送される感じでやってください、という、一言で言えばそれだけの話だ。
中国じゃないんだから、アレなモノからソレなモノまで、公共空間にごっちゃ混ぜで陳列する必要はもう無い。
日本はもうカオスでいられる時期を過ぎた。もっと洗練されたスマートな社会のありようを本気で考えて、変えていかなくちゃならない。
平たく言うとみんなネット通販を活用しろって事だ。ついでにドローンとか無人トラックの認可を急げってね。
既存の流通からの変化を促すと、それについていけない人への配慮を~という批判が来る。
だが思うに、ネットも使えないような、コンピュータ音痴の年配というのは、大概知ろうとしない、学ぼうとしない。
必要に迫られてもできるだけ避け続ける。たとえば高性能なスマホを息子に見繕ってもらい、教えてもらっても、
難癖をつけるばかりで最低限の通話やメッセージング以上のことを断固としてしようとしない。興味を持とうとしない。
使っているモノの事をなにも知らないまま使い続けるような、恐ろしい感覚を持っている。
コンビニでエロ本を買っていた人間のうちで、撤去されたから焦って他の入手手段を調べ出せる能力のある人はまだマシだ。
そうでない人はきっと先に述べたような気質の人だ。入手を諦めてまた別のもの(風俗とか)に流れるのかもしれないが、
いずれにしても、自ら賢くなろうとしない人間が取り残されることまで配慮していては、人間をダメにし、社会をダメにする。
何か事情があって取り残されてしまう人の保護ならともかく、健常な人間は生きている限り常に賢くあろうとし、学び続ける姿勢がなければならない。
さもないと、資本主義・自由主義経済下の社会ではうまく生きていけないのが当然だし、なんならカモられハブられるの致し方ないことだ。
エロ本の規制問題によりコンビニから撤去されるエロ本まがいの雑誌。
手軽に買えなくなるのが問題なのか?
表現が規制されてエロ本がなくなるかもしれないと思っているから?
どれにせよ女の意見よりも個々の主張がバラバラで男性側から何を求められているのかよくわからない。
私は知っています。海外のサーバーを経由すれば無修正エロ動画なんていくらでも落ちている事を。
無修正DVDが法の隙間を掻い潜って店舗販売されていることも、児童ポルノまがいのイメージビデオが店舗販売されていることも。
エロ本がもし全てのコンビニ全ての書店で買えなくなったとして、あなたたちはインターネットを使って、人を伝っていくらでもエロ本エロ動画を入手できる可能性を秘めています。
18禁のものは置かない、過激なものは置かない、コーナーを分ける、表紙も大人しくする、場合によってはビニールをかける、こういう努力をやってるのを無視して「18禁のものをゾーニングもせずにそのまま置いている」みたいのを規制の理由に挙げる人たちが大量にいるからそこが論点になるんでしょ。別に「ぜんぜんエロくないよ超健全だよ」つってるわけでもないし。
そのあたりを分かってない人の圧力で規制が進行したり、あるいは千葉市長のような行政側の「要請」を忖度して撤去するようなことは良くないと言ってるだけで、「小売りは嫌でもエロ本を置き続けなければいけないのだ」とか言ってる人なんていないでしょ。
イオングループの件は、(元々取扱量もシェアも少ないとはいえ)雑誌販売の販路縮小からの売上減少に繋がるため、
個人的には売って欲しいという思いがある一方、
anond:20171122003439 『ミニストップの件の重大さがわかってる?』
トラバした匿名ダイアリー内で言及されているように、コンビニで売られている雑誌は成年向けマーク(成人向けマーク)がついておわず、
そもそもコンビニで成年向けマーク付きの雑誌は(原則)売れません。
そうしたことから、「成年向けマークがついてないから一般向けである=エロ本でない、だから規制するのはおかしい」のようなことを言う人が、
こうした問題のように、各小売店やネット通販サイトなどの販路で、販売がとりやめられた時にも現れてきました。
しかしそれは、世論の理解を得にくい上に、我々が表現活動を続ける上で、自らの首を絞めかねない無理筋な論です。
そもそも成年向けマークは、国家や国務大臣や法などが、基準をもって認定し、
このマークをもって、成年向けだ、このマークがないものは一般向けだ、としたものではないのです。
(そういうマークを国家が直接認定するのはディストピア感満載なので、まともな民主主義社会では絶対やるべきではありませんから)
これらのマークは、国家権力等による介入を最小限に防ぐという点でも、
あくまで決めるのは出版社・発行者であり、出版社・発行者等の自己申告による自主規制マークとなっています。
同人活動などがわかりやすいですが、同人誌につく成年向けマークも、作者が自主判断したり、
印刷所がこの表現なら成年向けマーク入れてないと印刷してあげれないよ、などとしているに過ぎませんよね?
さて、こうした自主規制の成年向けマークですが、仮に、エロ満載ではあるけどれど、その本の出版社(印刷所)や作者が成年向けマークをつけなかったら、
小売店やネット販売サイトは、それを必ずエロ本じゃない一般向けとして扱わないといけないのでしょうか?
もう少し具体的な話をしていきましょう。
先に書いたように、成年向けマークがあるものは区分陳列するように促され、コンビニでは原則売れないことになりました。
この時、雑誌の売上の中で大きな位置を占めるコンビニでの販売を継続させようと、
出版社側などは、事実上エロ本なのに、「成年向けマークをつけない=これは成年向けエロ雑誌でないですよ、一般向けですよ」として、
この「成年マークがある本」と、「コンビニの成人向けコーナーに売られている成年マークなしの本」に、
エロ本であるかないかという大きな差異、たとえばいわゆる「エロ本」と青年誌くらいのたいへん大きな差異があるとまだマシだったのですが、
「成年マークがある本」と、「コンビニの成人向けコーナーに売られている成年マークなしの本」とでは、一般人が思い描く「エロ本」としては、大差はありません。
じゃあこの成年向けマークをつけるつけないの差がどこにあるかと言うと、(血縁関係のある)近親相姦はNGとか、そういう曖昧な面もある基準だったりします。
女子高生との直接の表現とか、近親相姦とか、獣姦や強姦みたいな過激に映りがちな表現、
そういう(各社によって微妙に違いがある)ある種の設定やシチュが、
成年マークをつけてないだけのエロ本にはない(あるいは控えめにしたりしている)のです。
つまり、中身は社会で普通に思い描かれるガッツリとした「エロ本」となっています。
少年誌、あるいは青年誌あたりで時折プチ炎上する、一部に乳首がちらっと出てる、パンツ見えすぎだ、エロいコマがある、とかのレベルでなく、
エロこそが本編であり、大部分のページをエロシーンが占め、ズッコンバッコン、グッチュグチュ、フェラも結合も成人向けマークがあるものと同様、思いっきりやってるような雑誌です。
みなさんも試しに成年向けマーク(成人向け雑誌と書かれた黄色いマークや、18という数字に斜線が入ったりしているマーク)がついてるマンガ雑誌と、
「成年向けマークがついてないがコンビニの成人向けコーナーに置かれている雑誌等」を買って読み比べて見てください。
例えば、快楽天と、コミックホットミルクと、コミックメガストアアルファと、コミックLOというマンガ雑誌がありますが、
快楽天とコミックホットミルクは成年向けマークをつけず、コンビニでも売られてもいます。
一方、コミックメガストアアルファとLOは成年向けマークをつけており、今は基本的に大手コンビニなどでは売られていません。
さて、これらを読み比べて、コミックメガストアアルファとLOはエロ本だけど、
快楽天とコミックホットミルクはエロ本じゃないよね、一般向け雑誌だよね、子どもさんにどんどん売ってもいいよね、って言えるでしょうか?
快楽天に掲載されたマンガが、まとまって単行本になったときに「成年向けマーク」をつけて売られることからも、
こうした自主規制の運用が、エロ雑誌をコンビニで売りたいがためだけの抜け道に利用されていることもわかるでしょう。
実のところ、近年、都条例などで度々やり玉にあげられているのも(非実在で盛り上がったときも)、
こうした成人向けマークをつけていない雑誌・単行本だったりしており、
「自主規制してます、配慮してます」「ちゃんとレーティングしてます」と言いつつ、こうした、成年マークを付けずに全編エロみたいなものが売られている実態なので、
我々描き手や出版社が「配慮してますよ」と言っても、その説得力を自ら弱めてしまっいる現状があり、
表現規制派がつけこんでくる格好の材料を与え、世論や社会の理解を得にくい原因にもなっているのです。
実際、東京都の場合は、成年向けマークをつけている本はそもそも不健全図書の審査対象に原則としてなっていません。
不健全図書審査されているのは、成年マークをつけず「一般向けですよ」との体裁なのに中身が成年向けじゃないか…と、東京都の委員らが判断した本が、毎年20から30冊程度、不健全図書に認定されています。
猥褻を警察が恣意的に判断しているように、僕達の業界も、ガバガバの成年マーク運用で、エロ本かエロ本じゃないかを恣意的に判断している面があるのです。
中堅、中には大手の出版社などが、自主規制を形骸化し、売らんがために成年向けマークもつけずにがっつりエロエロの本を大手の販路に載せて、
そうした度に問題が起こって、規制への動きが芽吹いてしまう…、
このことは、エロ本をエロ本として成年向けマークをつけ、社会で住み分けて売ろうとしている零細な身としては非常に悔しいのです。
表現規制でまず真っ先に割を食うのは、大手よりも僕らのような零細のほうですから。
ところで、勘違いしないで頂きたいのですが、
僕は、青少年健全育成条例等、各種表現規制の糞っぷりや、そもそも成年向け商品なのに性器が修正されているという先進国にあるまじき日本の糞っぷり自体は、昔から間違ってると思っています。
だからこそ僕は、これは「エロ本です、成年向けです、だからコンビニでも売りませんし、未成年にも売りません」として、
成年向けマークをつけ、社会の成員としてそれぞれ住み分けをした上で、
自由な表現活動と、現行の法令を守った上で、よりよい法や条例の運用に向けた改正活動をしたいと思っているのです。
それなのに、成年向けマークをつけて「エロ本はちゃんと自主規制してますから」という体裁を取りつつ、
一方で成年向けマークをつけない事実上のエロ本を作って売上欲しさにチキンレースを繰り広げ、
「これはエロ本でなく一般向けだから。小売店の撤去はおかしいから。」という成年マークの運用と主張をやっていれば、
「出版社らに自主規制させても意味ないね、自己申告・自主規制でなく、国家や自治体が成年向けマーク認定基準団体作って取り締まるしかないね」などのように、さらなる規制を招き、表現の自由を弱めかねません。
トラバ先の増田さんは、盛んに恣意的という言葉を使っていますが、
雑誌の内容が成年向けマーク付きの雑誌とほとんど変わらず、単行本化されると成年向けマークがつく「コンビニ売りの成年向けマークなしの雑誌」があるという事実、
この成年向けマークの恣意的な運用の問題については一切触れておりません。
こうした成年向けマークの恣意的な運用は、青少年健全育成条例の恣意的な運用と不健全図書の指定にも、ますますお墨付きを与えてしまうでしょう。
ラジカルな、すべての表現物が完全に自由で、公共性の高い場だろうがなんだろうが、どんなものでも陳列し売っていい世界というのは、
現実の社会では、0か100かでなく、理想論は実現し難く、どこかで妥協し折り合いを付け、社会の成員として現行の法令の中で生きていかなければなりません。
出版社さんはちゃんと成年向けマーク(しかも自己申告でいいですよ)を付けてくださいね、ということでなんとかなった両者の妥協点を、
成年向けマークがないからエロ本じゃないし、みたいな欺瞞に満ちた出版社同士のチキンレースを続けていれば、
頑なな規制派と穏健な規制派を切り離し、穏健な規制派だった人を徐々に味方にしたり好意的中立に引き込むことは困難になっていくでしょうし、
規制派と規制反対派のどちらにも強く立場を置かない中間に属する大多数の人らの理解を得にくくなるでしょう。
その結果、そうした有権者をバックにした政治や行政も動かしてしまいます。
なお、この問題は、こうした何がエロ本か、というような問題と、
小売店などの事業者が自らの裁量でどういう商品を扱うかという観点も大きいことには留意すべきです。
任天堂はエロゲー出すのを許さないし、Steamにも独自基準はあるし、ある書店がうちはエロ本おかないんだ、というポリシーもあるでしょうね。
子ども向け、ファミリー向け、高齢者向け、どこに軸足を置くかという企業イメージもあるでしょう。
出版社や作家が成年向けじゃないと決めたら、それを売る小売店や各事業者は、必ず成年向けじゃなく一般向けとして扱わないとならない、
売り場を確保してずっと売り続けないとならない、それに反したら、表現の自由を侵害しているのだ!と思うのならば、
http://buzzap.jp/news/20171120-xmas-tree-kobe/
また、野暮な連中が野暮に文句を言ってる。
お前らは、あれだな、
って言うタイプの連中だな。
別にいいじゃねえか。
楽しく踊ってるんだから。
別にいいじゃねえか。
山師の思い付きに、
みんなで乗っかって、
楽しくやろうとしてるんだよ。
やろうとしてる。
やろうとしてるんだよ。
神戸市役所はさ、もともと8階建だったんだよ。
普通、建て替えるじゃない?
でも建て替えなかった。
6階以上を撤去して、
仕方ないね。
で、そのあと。
今でも。
怖いですね。
仕方ないね。
ちなみに、今年の初めに建て替えが決まりました。
ようやく。
いいじゃねえか。
軽薄なイベント、
だからいいんだよ。
軽薄に盛り上げれるようになったんだよ。
ようやく。
息子は、震災を知らなくて。
結婚した妻も、知らなくて。
自転車で川沿いを走る通学路は、
部活帰りにふと、
「きっとこの空き地でも誰か死んでるんだろうな」
と思うこともない。
みんな普通に働いてて、
そっちのほうがびっくりしたよ」
って親父に言われることもない。
それがいいんだよ。
そりゃあ、まあ、俺も、
正直趣味が合わないと思ったし、
ダサいと思ったし、
早朝降った雨が乾ききっていない芝生の上で
はしゃぐ息子の相手をしながら、
うしろに大きなあすなろの木が立っているのを見ていたら、
まあ、いいんじゃないかな
って思ったんだよ。
コンビニからエロ本の撤去問題の議論を読んでいる最中、俺が気になったのは、そもそも何で女向けのエロ本は売っていないんだろうということ。売っているのかもしれないけど、コンビニや大手書店などでは一度も見かけたことが無い。女にだって、男並みに性欲はあるだろうし、どうやって解消しているのかな。BLは少し違う気がする。
ざっくりエロ本というジャンルで見ると、成人指定含めて過激さはどんどん下がってると思うな。"若年層の犯罪が増えている"のと同じ、増えていないけど不快感は増しているのでそう感じるという構図。
たぶん増田も本当に過激さを見比べて追ってるわけじゃないでしょ。個々の表現が過激とか大人しいとか年次的にこう推移しているとかではなくて、そういう目的の本があるということそれそのものが不快だからそこで思考停止してしまって、不快なのは過激化しているからだという論がポンと提示されればそうだ、きっとそうだ、と疑問を持てなくなっているんだと思う。女性誌にもっと過激な表現があるとか言われてもそんなのはそういう目的ではないんだから関係がない、不快感はない、と考えるよね。この間にあるのは誰がどう言い繕っても性的な意図があるかどうか、女性誌に女性向けの意図があると言ってしまえば男性向けの意図があるかどうかだよね。
で、それって思想統制であって言論弾圧であってつまるところ差別なんだよね。キモくて金のないおっさんを意識させるな、と。おっさんは穢れている、と。世界をカワイイだけで満たせ、と。清浄な社会に男を持ち込むな、と。男性向けの準エロ本が撤去されることに賛同するというのはそういうことなんじゃないかな。
そうだな。
今時トイレットペーパー使うのは一部の人間だけだし、トイレットペーパーの表紙が目に入って不快な思いをする人は多いし、子どもへの悪影響も考えられる。
撤去はやむをえないと思う。
オタクにはエロく見えてしまう絵、というのが人気エントリーか何かに上がっていた気がするがそれに通じる話。
AKBグループのメンバーの顔がみんな同じに見えてしまう現象も、アニメのキャラが全部同じに見える現象も、一般向け漫画も露出があればエロ漫画だと見えてしまう現象もだいたいは同じで
理解、興味の範疇にないものはみんなそんなに見えていないのだ。
なんとなくそんなものがあるような、その程度の認識力しかない。先ほども書いたが理解や興味のないものに限る。
コンビニに置くエロ本が実はエロ本という分類ではないということもわかっている。
少年誌に描かれる水着は昔からあった特にエロでもなんでもないということもわかるのだ。
しかし、漫画やアニメ、エロ雑誌、男性の性欲に対する知識や理解のない人が見れば等しく不健全なものである。
『撤去されたコンビニのエロ本は実際のところエロ本ではない』という話が通じる、あわよくば理解する層というのは少なくともそこに対する興味や関心がある人だけである。
声を上げたであろう主婦層やフェミ層はこのことを理解していないしおそらく見ようともしない。興味がないからだ。
撤去に対して声を上げるなら、理解者だけが見えている世界ではなく、その他の層にも見えている部分を明確にし、改善点を伝えなければならない。
・追記
コンビニ向け雑誌の需要低下、または単なる企業戦略なら、千葉市長が同席しての会見には大いに疑問がある。今回の件はそもそも千葉市長の要請からはじまっている。ミニストップの市場規模の小ささを語る人もいたが、なおさら「市長との合同会見」を気にかけてもおかしくないのでは。
エロ本を何がなんでも置けという主張はしていない。子供への有害性、主に女性の不快感などの問題もわかる。店舗単位での判断がその解決策に近いと思うが、行政絡みの強行手段のような形は強く疑問なため、そのことを本文に書いた。
「エロ本」という呼び方は、今後何が恣意的にエロ本扱いされるかわからないという意味を込めて。「どう見てもエロ本だろう」と言われても、これまでは条例などの「公的な基準」で違ったのだが(それが絶対に正しいかは置くとして)、その公的基準を無視して、恣意的な判断が通ってしまった。問題はその点。内容が問題ならそれを改善するのに適正な手順がある。
現にセックス特集をする雑誌、セックスシーンの多い漫画をエロ本扱いする人も見受けられるし、そういう層は今回の件とかぶりそうに思う。また、お色気シーンのあるジャンプも不快だとして、ついこの間炎上している。その際お色気表現は「成人誌=エロ本」なみの扱いだと拡散されていた。子供が立ち読みできるこれらに加え、暴力シーンにも波及するのではと危惧する。
ズリネタの話題でだけ表現の自由勢力が活発になるというコメントもよく見るが、逆に言えばそれだけ多くの人の関心事と捉えられるのでは。オタやジジイの低俗なズリネタには味方しないがその他の表現では公正に戦う、という人に信用があるとも思えない。
・追記終り
ブコメ見ると不快なエロ本がなくなって清々した、ミニストップ最高、みたいなコメントあるけどさ。
今回の件って「エロ本じゃないものが不快だからという理由だけで売られなくなった」という話でしょ。法的根拠とかどうなってるのかわからないんだけど、ものすごく重大なことだよこれ。だから表現規制反対派は怒ってる。
エロ本じゃない、の意味がわからない人も多いと思うけど、コンビニは規約で一般的なエロ本、本屋で暖簾の向こうに配置されるような本を置けない。そもそもエロ本ならそういう措置をとらないと条例違反になる。青少年健全育成条例とかそういうのね。つまりコンビニにあるエロ本は類似図書類で、そういう本とは違う扱いの一般的な雑誌なのだ。
あれがエロじゃないのはおかしいと言いたくなる気持ちもわかるけど、それは出版社と都道府県各自治体の判断なのだから仕方ない。ちなみに年齢規制されてるのはコンビニ側の自主規制に過ぎない。他の18禁とは全く違う意味合い。
つまり、今回の件は法的にエロ本と見なされない雑誌が、手続きすっ飛ばして行政からの圧力(と言ってもいいよね)によって撤去されたという話。これすなわち表現規制でしかないんだけど、その重大さが伝わってないように思う。
コンビニでそういう本は買わないし、元々不快に思ってたし、という人がいるかも知れないけど、次は規制の矛先がどこに向くのかわからないよ。青年漫画誌や週刊誌にだって卑猥な表現はあるし、女性誌にだってある。法的根拠なし(に思える形)で、行政側からこういう処置が取れるという結果が出てしまったら、この先どうなるかわからない。
不健全図書に指定されるまでもなく、不快だからという理由だけで本を書店から撤去できるようになるかも知れない(人それぞれの見方はどうあれ法的にコンビニ雑誌はエロ本じゃないのだから、つまり理屈上はそうなる)
女性はコンビニエロ本を見るたび〜という話もあって女性の意見も目立つが、じゃあ書店にある女性向けのエロ関係の本はどうなるだろう?
書店にだって子供は来るし、書籍とは本来知識を得るためのもの、教育的であるべきだなんて親も多そうだ。そういう人たちはBLなんて有害なものを子供の目につく所に置けてしかも年齢規制なしに買えるなんてとんでもないと文句付けそうだし、女医が教える気持ちいいなんたらなんてのも目くじら立てそうだ。問題なのは、今回の件でこれらの下らない意見に確実に反論しにくくなってるんだよ。
青少年の健全な育成に不適切だとして、青少年健全育成条例に違反してもいないものをさも有害かのように一般の場から排除してしまったんだから。それを応援してしまったんだから。
エロ本が排除されたんじゃないよ。エロ本じゃないものが排除されたんだよ。
その意味をもっと考えて欲しい。この件でスッキリしたとか言ってる人、あんたらが受け止めてる以上に、これは表現界隈にとって重い出来事なんだよ。
喝采送ってる人、なんでエロが表現規制の最前線なのかもうちょっと考えてくれ。あんたらが自由に表現を楽しめるかどうかは、実はあんたらにとって不快でしょうがないエロというものにかかってるんだよ。
参考
https://anond.hatelabo.jp/20170316003106
撤去させる大義名分として、「子供や家族連れへの配慮から」という建前らしい。まあ、推進派(特に女)の本音としては「男に性欲は存在しないものだ、という価値観の社会にしてやりたい」と言うものなんだろうけど。私が気になったのは、子供と家族連れを理由にすれば、自分の嫌いなものを撤去させる正当性を持たせることができる、前例を作ってしまったことだね。これだと、他にも色々な事に応用ができる。
1.タバコ:子供が吸いたいと思うかもしれないから、店内から撤去しろ。
2.競馬新聞:子供が将来ギャンブル依存症になるかもしれないから、撤去しろ。
3.女性雑誌:美人を過度に賛美する女性雑誌は、当然撤去しろ。
他にもあるかな?
https://togetter.com/li/1167254
花見会場のように臨時ごみ箱も設置しろという言い分はわかるが、だからといって、ごみ箱が無いのでそのまま路上に捨てていくが正当化されることはない。持ち帰れよとしか思わない。
花見イベントは臨時ゴミ箱が置かれているから、ゴミ問題はそこまで騒がれない
一方で、ハロウィンはゴミ箱設置されていなかったから、騒がれる
外野はイベント参加者のモラルが悪い、持ち帰れよと言い、イベントそのものを悪者にする
でも、その「持ち帰れ」っていう発想自体はおかしくないだろうか?
こうやってイベント参加者が悪いように仕立てるからイベント自体が萎縮する
イベントそのものを悪く仕立てたい人間がいるとしても、イベントを楽しみたい人間だっているのに
なぜこんなことに気づかない?
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3202971.html
ニューヨークの地下鉄のゴミ箱はテロ対策されているのにも関わらず、日本の地下鉄は撤去されたまま
ここでは、なんか問題があると、
撤去だ!
無くせ!
っていうクセがある
なんでも「連帯責任」なんだよね
しかし、イベント参加者全員がやったことではないし、ポイ捨てした一部の人間のせいだ