はてなキーワード: 山口百恵とは
と言ってももう午前中をとっくの昔に過ぎてしまったもうこんな時間いかがお過ごしかしら?って言いたいんだけど、
なんだか今日は寒くてお昼もランチに出たくないけど出なければならない用事もあるし
というか
もう12月も半ば過ぎてるじゃないと言うことに意外と今気付いて実感してるところなんだけど、
毎年送りたいと思ってる年賀状は今年中にやって片付けてしまいたいってことも、
毎回毎年書いてるわけで、
時間に追われてる感じも増して思うのよね。
余裕が欲しい午前中なんだけど、
いい加減私は郵便局に行ってきちゃいなよユーって自分自身に言いたいところ。
新しい新年を迎える迎春みたいな。
そんなこと聞いたことないけど、
きっと多分、
ってこれまた可及的にできるだけ早くって言うのは二重表現なのかしら?って思っちゃうけど、
1人はみんなのためにみんなは一人のために!って
それは三銃士!
一向にそう言ったコミックはなくって
私それ何処で見たのかしら?って思っちゃいたいほどラーメンが食べたいけど、
ってこれまたソルティーと塩分量って二重表現の応酬でお見舞いしてやるわ!って思いたいところ。
何でも良いので、
毛布にくるまれた状態で「だ、誰か温かいものをこの肩に!」って
温まるわよね。
自動販売機で売ってる「おしるこ」か「コーンポタージュ」かどっちにドリンコってダイドーが言ってたんだけど、
とりあえず飲まなくても
手に持って暖を取りたい感じでもあるわね。
この暖かさが百数十円で得られると言うことは、
温かい缶も寿命があるようにいつか冷たくなってしまうってことを
教えてくれたのはあなたでしたって
私歌苦手なんだけど。
まあそんなわけで、どんなわけだよ!って
慌ただしい午前中を終えて
迎える午後に備えて、
私は美味しいランチにでありつきたいと思ってる矢先よ。
うふふ。
厚みがあって美味しかったわ。
これまたリピ案件濃厚よね。
時間がなくても白湯ぐらいはさりげなくって白湯だけにって言いたいわ。
温めの白湯でもいいのよ。
私はそこでほんの少し出来合いのレモン果汁とハチミツをそっと付け加えるわ。
手紙ってなんだよ!って言わないでね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
山口百恵「オタじゃなくても待ってほしいことはあるよ?」
一体なんの作品ってゾンビランドサガの話なんですが、まずはライブお疲れ様でした。
いろいろ二次創作界隈の扱いをみて嫌いでは無いけど、純粋に見られなくなったお話を愚痴として書こうと思いますが、紺野純子×水野愛のコンビがお好きな方で、二次創作のように二人がイチャイチャする関係性を好む方はブラウザバックを強くお勧めします。
さて、大丈夫でしょうか?
ゾンサガの二次創作のうち全体の6~7割方が純愛コンビ物で、二人が恋人のようにイチャイチャしてるのはまだ良いのですし、純子の身体が他人のパーツを合成してできたみたいな話もまだ許せるのですが許せないのが、かなりの割合で愛の頭の花飾りがポップコーンのように炸裂しながら「純子かわいい」みたいな純子age要員に使われるオチが非常に多いんです。
もちろん逆も有るのですけど、一般的に愛から純子に対しては、ポップコーン炸裂させながら余裕が無い感じで「かわいい」と言うのに、純子→愛は余裕綽々で「かわいい」という感じでヘタレキャラ扱いされているのです。
さらには純子絡まなくても焼肉好きを弄られたり二次創作愛は全体的に弄られキャラ扱いされてるのですけど、そのうち「水野愛は無能なコメディリリーフ」みたいな認識が一般化して公式に逆輸入されるんじゃないかと不安に思います。
本来、フランシュシュって「時代も性別も世代も超えて」伝説を築き上げたもの立ちが集まってお互いに助け合うって話なんだから7人に序列は無いはずなのですけど、暗に純子>愛みたいな序列づけがされてるようで気に入りません。
これは公式への愚痴にもなるのですが、純子は河瀬茉希さんの歌唱力という説得力に裏付けされたけど、愛は特にダンスが自信ありというのに、コーチ役としての役割以外にダンスが凄いって描写が無かったり、「死んだから伝説になれた」と言わんばかりの劇中の追悼サイトもあったり、純子はほぼ独白頼みで想像に任せきりで生前の活動実績は愛と比べて想像の余地も現時点では大きくて、微妙に公式からも愛sageみたいなものがあるような気がするのですが邪推しすぎなのかな?
そもそも、純子の生前の芸能界の立ち位置って視聴者のうちの少なからぬ人がまだ権威のあった時代のレコード大賞をもう取ってて松田聖子と中森明菜と山口百恵を足して三で割らない凄い人みたいなイメージをされてて、愛が前田敦子(インタビューでもモデルと公言された)って感じで、松田聖子+中森明菜+山口百恵とマエアツならどっちが芸能人としての格が上かと聞かれたらそりゃ殆どの人が前者と答えるよねって感じで、対等感が無い感じがするんです。
初の九州ツアーに行く途中に夭折したんのだから、公式の想定した立ち位置ってもしかして本当に火を付けただけで、(昭和)アイドル好きからは神格化されたけど一般的な知名度があまりない知る人ぞ知るみたいな立ち位置なのかもしれないけど、そのあたりの描写が無かったんですよね。 まあ、多分知名度は全局ゴールデン制覇をして、東日本大震災の年にそのまま死んでさほど時間も経ってないリリィが一番上だと思うのですけど。
どうも、二人はライバルなのかな?とも思ったのですが、よくよく考えたら6話の喧嘩を除けば、意地の張り合いもする事もお互いに競い合う訳でも無い。巽から「お前は昭和のアイドルのままでいい」(要約)と言われた時点で、同じ目標を共有することはあれど、「競う」関係ではなくなったと個人的には思います。
そもそもステージ以外で絡んだのって10話でイノシシ捕らえたときにハイタッチした程度で、7話以後純子が愛をどう会話しているのかまだ解ってないくらい会話してないですよね。
最初の頃は同じ芸能界のアイドル同士って事で一緒に抜け出そうとしたり、ゲリラライブには参加しなかったりしてましたけど、純子はさくら、愛はサキの方が気が合う感じがするんですよ。現代の風俗を愛に聞くってそれこそ二次創作でよく見るシチュエーションですけど、実際には芸能界の事を除けばむしろ最終回後ならさくらに話しかけるんじゃないかなと思うのです。
ライバルじゃ無く以心伝心で伝え合える戦友だから良いと言われるかも知れませんが、それだったら7人全員がそう有るべきでしょう。
結局、純愛ばかり二次創作書かれるのってさくらやサキが方言キャラで、リリィが男の上にロリキャラだからてっとり早く描けるキャラなんでしょう。でも、それってキャラのガワだけはりつけたハリボテですよ。
ちゃんと見てたらそこまでイチャイチャするような関係じゃないと思うのですが、まあ、どっかのガルパンのケイダジとかまほチョビとかのように劇中一度でも会話も交わしたかも怪しいカップリングがあるくらいですから、それに比べたら遙かに接点はあるでしょうが、イナゴのどこか二次創作なんですか(純子風)
どこぞのけものなフレンズのように裏事情ヲチや推測の方が面白いコンテンツに成り下がったってなら幾らでも他界もしますが、最初は燃料不足と最終回ロスでむさぼるように二次創作を読んでたのですが次第に、描き手は違えとやってることが殆ど同じチュチュイチャイチャばかりなのに違和感を覚えて、今では不満のほぼ8割は二次創作の風潮が嫌いなだけなので嫌いになれない苦しみこれが一番辛いです。
ちゃんから連絡が来た。会うことになった。新宿集合、向かう途中でミルクホールに予約とったので代々木に変更。急いで連絡する。ここ最近新規の子とかだと会う前にマインドセットしっかり叩き直して戦略を考えたりするが全くそんなことをしようという気がおきない。西口、緊張しながら彼女を待つ。なんたってほんとに久しぶりなんだ。改札を出てくる彼女と目が合う。すぐに笑い始める彼女。あうあうしてなにもいえない俺。店内に入ってもなに話して良いかわかんない感じは続く。基本俺がなに言ってもなんていうか茶化してくる感じ。全然変わってない。全然嫌じゃない。店内では山口百恵とか松本伊代が歌ってくれていた。ノスタルジックなメロディにつつかれているせいか、途中なんか懐かしくてちろっと泣いてしまった。闇太郎へいこうといって店を出て、でも総武線乗ってる途中で行先をナッシュに変えて中野へ行く。ナッシュと思って入った店は違う店だった。隣にある。お酒二杯ずつくらい飲んだ。俺が思っていたよりお酒強かった。二人で飲むときはそんな飲んでたかったから。強くなったのか元々強くて今日はお酒を必要としていたのか。
出て焼肉へいった。盛りを頼んで焼いてくれた。ほとんど ちゃんが出してくれた。今日はお母さんがいるから家とまれないと。中ので別れた。
今日会う前から、一年半前会えなくなってからずっと感じていたけどやっぱり好きだ。考えると鼻の奥が、胸の奥がつんとしてしまう。今日もずっとその柔らかい体を抱きしめて髪の匂いを嗅ぎたかった。
「この曲懐かしい!」
「あ~いいよね、この歌」などと言っていたが
齢10歳の息子は「ふ~ん」と。
そういえばこの息子、夕方キッズアニメの主題歌しか好きにならんな?
と思ったわけ。
歌番組の出演者にB'zが、ミスチルが、ゆずが、モー娘が、あゆが、GLAYが、
歌番組の懐かし映像に松田聖子が、郷ひろみが、光GENJIが、山口百恵が、
兄や母とこの曲好きだと話し、翌日は友人と昨日のMステ見た?と話し、
とりわけ好きなアーティストがいるわけでもない。
そういや歌番組って観ないな。
今地上波で歌番組ってなにがやってる?Mステが変わらずやってることくらいしか知らない。
少なくとも自分は結構そうやって自らの幼き頃と息子を比べてみちゃう。ごめん。
んでさ、息子がこれから先、例えば懐かしい音楽聞いて「うわ~よく聞いたよ」とか
しないんだろうな?って思ったら物足りないって思ったんだよね。
でもね、10年前聞いた曲を懐かしいって思わないことを
物足りないと思うのは息子じゃなくて自分なの。
子供に経験させようとしちゃうことって親ならあると思うんだよね。
そこでふと思い出したの。
男子ってうっかり友達の前でママなんて言おうもんなら一生からかわれるでしょ?
「どうしたら母さんって呼ぶのさ」
フツーか!そうか~~~!!
そんなわけで、10歳の息子は、
好きなアーティストがいなくても懐かしむほど音楽を聞いてなくても
10年後べつにもったいなくないってこと。
私にとって音楽を聞きまくって自ら求めなくても耳に入ってきた時代は
私にとって今はそうではないってこと。
なんかひょんなことから月蝕歌劇団の公演を観てきた。
『怪人二十面相 黒蜥蜴復活篇-ガス人間第二号とフランケンシュタイン-』
『ピーターパン 月蝕版』
自分にとっては初めての月蝕歌劇団。
忘れてしまわないうちに記憶を記録に変えるため、レビューを残しておくことにする。
(月蝕歌劇団を知らない人は目の前の箱でググってほしい)
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■全体として
これ、過去の演目を見る限り、そう間違ってはいないはず。
自分のボキャブラリでいうと、ボルヘス、池澤夏樹、イタロ・カルヴィーノ、筒井康隆、このあたり(マルケスは積ん読状態なので知らん)。
『怪人二十面相』やら『ピーターパン』やら、もとからマジカルな舞台設定の既存作品をさらに2つも3つもカットアップ、マッシュアップして、"魔法世界の中で、さらに有りえねぇ超現実が起きる"ある意味なんでもありの“ごった煮”的な世界設定を作って、舞台の制約が許すかぎり絢爛豪華なスペクタクルに仕立てる。
で、そこに昭和風俗をまぜ込んで(たとえば突然、山口百恵のワンフレーズが出てきたり、吉本新喜劇的なシークエンスが乱入してきたり)、さらに'60年代新宿のアングラシーンの楽屋オチ、「唐十郎と李麗仙が~」みたいなネタをチクリ、チクリと混ぜ込めば月蝕歌劇団になる。
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あと、これはどうかな……はずれてるかもしれないけど。
60年安保、70年安保的な新左翼の臭いと、その文化の“祭りの終わり”みたいな寂寥感が通底しているような気がする。
自分が当時のアングラシーンの空気と政治的な空気を混同しているだけかもしれないけど。
でも、“岸信介”とか、“ロシア革命”とか、そういうワードはちらほら出てくる。
2演目とも、終盤クライマックスにマシンガンの乱射をきっかけに急速に話が収束するところも、かならず流血をみるところも、まあ、ほら、いろいろと。
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ともかく自分にとっての月蝕歌劇団はそんな感じ。
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あと、演目の間に『詩劇ライブ』というのがあって、基本は歌唱ショー。短い芝居と群舞。
キャストの紹介も兼ねている、のかな?
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良かったかって? うん、良かった。
ただね。
大正末期(1910年代)の冒険小説、明智小五郎シリーズが戦後(1945年~)に伝奇ロマン化したものをアングラ時代(1960年代)の空気感で舞台化しようとして、当時の若手(高取英、1985年)が古豪となって2017年に上演した作品世界に、どの時代の気分で接すればいいのか、混乱するところはあった。
寺山修司とかが登場する楽屋オチに、どの時代の気分で笑えばいいのやら。
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良かったところは……、
舞台は超現実的なんだけどプロット自体は、なんというか、それぞれの人物群が自分たちの課題の解決を目指して動くような、破綻も不条理も無いオーソドックスな作り。
ときどき舞台袖で狐舞が始まったりとか、解釈に困るような隠喩的な演出が入るほかには、ストーリーを楽しむのに支障はない。
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くわえて、これは自分が舞台観劇の初心者だからだろうけど、衣装と舞台と演技と、つまり色々と作りこんだ箱庭を見ているような感覚。
これが新鮮。
そりゃ、どんな超現実もCGでリアルに作ってしまうハリウッド映画はすごいけど、いっぽうで、いろいろと“作りもの感”のある世界を、19世紀の見世物小屋のパノラマのぞき窓みたいに見ている感覚が良い。
(どうしても想像できない人は、映画でいうと
あたりを思い浮かべてください)
同じビジュアルスペクタクルでも、モデリングとレンダリングが古びてしまったら一気に観る価値がなくなってしまうVFXではなくて、どんなに古びても観ていたくなる、吊り操演とミニチュアと火薬の特撮みたいな。
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で、そこに少女歌劇団(厳密には若手女性主体の歌劇団)の、なんというか、キャッキャウフフ感がのっかってくる。
実際、終演後にはチェキの時間があったりと、アイドル公演的な。
(昨年だか一昨年だかに『アリスインデッドリースクール』を観たときにはチェキと握手会があったけど、そういうのって少女演劇のスタンダードなのか?)
というわけで、全体として
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1)呪術的なストーリーテリング
2)箱庭的な幻想感
3)若い娘さんたちが頑張ってる感
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が、それぞれX軸、Y軸、Z軸に広がって立体的にホンワカした気分になってくる。
これで役満。いい気分。
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■岬花音菜
歌、ダンス、芝居、3枚そろって超人。
もともと彼女がアンテナに引っかかったから舞台を観に行ったわけで。
行く前は「ひょっとしたら芝居が弱いかなー」と思ってたけど、そんなことはなかった。
純朴ショタ(少年探偵団の小林少年)からガラッパチ女子高生まで演じ分けていた。
いま確認したら、全体の振り付けもやってる。スゲェよこの人。
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■白永歩美
上に書いた岬花音菜嬢がトップか一枚看板かと思ったら、すごい人がいた。
白永歩美。
OG客演なのか、現役トップなのか、よくわからん。(そもそも一般的な意味でのトップと、月蝕歌劇団の“ヒロイン”とか“トップ”の意味が違うのかもわからんが)
動いて良し、喋って良し、歌って良し。加えて舞台向きの強力な眼と唇、長い手足その他ビジュアル。
ピーターパンになって最後は飛ぶ(榊原郁恵ばりとは行かないけど)。
普段は何やってる人だ? 専属か?
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■白川沙夜
コメディ、アクション、ストーリーテリング、怪盗紅あざみのパートはほとんど彼女一人で回していた。
アンサンブルも彼女が周囲をブン回している感じ。(いや、周りが抑制しているのか? そこまでの鑑賞眼は俺にはない)
イヤそりゃ紅あさみ役なんだから当然といえば当然なんだけど、そういう長時間の高負荷に耐えられるキャストなんだから、信頼性の高い人なんだろう。
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■新大久保鷹
で、この人。
発声から演技まで、一人レベルが違った。
いや、レベルというのとは違うな。
キャラクターの性格と感情と現在の意図がわかりやすい、演劇らしい演劇をしていた。
キャリアの違いか。
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■河合瑞恵
この人というか、この人を見て思ったことを書く。
河合瑞恵さん、男役として帝国軍人とラスプーチンを好演。なんだけど、それとは別に幕間のライブで『夢は夜ひらく』(藤圭子)を歌っていて、これが実に良かった。
そこで気が付いた。
いや、大人の女性のキャラクターは出てくるのよ。でも、『二十面相』の誘拐少女の母親にしても、『ピーターパン』のアレクサンドラ皇后にしても、設定上の年齢よりは10歳か20歳は若いキャストが演じてる。黒蜥蜴も紅アザミも、おそらく。
少女とショタと男役とサポートの男優だけで構成されていて、大人の女性の存在がすっぽり抜け落ちてる、この劇団。
いつもそうなのか? そういうコンセプトなんだろうな。暗黒タカラヅカだし。
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■嘴音杏
上手い、凄い、空気も変わる。専業で本業なんだから当然か。
ただ、ほかのキャストが黒を基調にした演出で、おそらく劇団のストック音源をバックにJ・A・シーザーの幻想世界や女心とかを切々と歌ってるところに、パーソナルカラーの赤コルセットと赤ドレスで生バンドの高音質2MIXをバックにブルースをゴリゴリ歌って月蝕歌劇団を3分間だけ痴人倶楽部にしてしまった感じがする。
良いか悪いかは別として。
芝居は。んー、良しあしが言えるようなキャラクターじゃなかった。
政治的に正しくない、だけど、ある意味では由緒正しい戯画化された“インディアン”だったので。
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明智小五郎+α役。オフの顔を見たら、アラかわいいお嬢さん。ベテラン主体の劇団だったら、小林少年をやっててもおかしくない。
客演らしい。
「美丈夫ですか? やりますよー」といってこなせる彼女みたいな人が、実は隠れた高能力者なのかもしれない。
だってあれよ? 明智小五郎と黒蜥蜴といったら、つまり天地茂と丸山明宏よ? そういうダークで苦みのあるキャラを演じて象徴的にせよベッドシーンまでこなす。役者ってすごい。
そういえば高畑亜美さん。一緒に観劇した元同僚が「あの黒ボンデージの人は役者魂を感じる」と言っていた。
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■北條華生
緊縛師をエキストラで連れてきたのかと思ったら、そのままシレっと芝居を初めて、V・フランケンシュタイン博士を演じきってしまった。しかもうまい。
調べたら緊縛師ではなくて緊縛もこなす役者さんだった。みんな多芸なのね。
吊るしのとき、役者の影で見えなかったけど、1/2なり1/3なりのプルアップ・システム(滑車みたいに距離2倍、荷重1/2にするロープワーク)をやってるはずで、一瞬、芝居が停滞したように見えたけど、あれでも相当手際が良かったんだなと後から思った。
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■はるのうらこ
北條さんのロープワークもさることながら、吊るしというのは吊るされる方にも技量がいるわけで、ハーネスをガッチリつかんだまま気絶するという難しいことをやっていた。
男役。
悩める青年将校をきっちり演じきっていたけれど、華奢なのはいかんともしがたい。女性役であらためて見てみたいと思った。
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■中村ナツ子
な!に!も!の!だ!? こ!の!ひ!と!
Web/エディトリアルデザイナー、ライター、イラストレーター、Photoshopper。
チャラっと調べてみたけれど、原稿(というか体当たりルポ)もロゴデザインも依頼主のテイストに合わせて手堅くこなす。
役者で声優。前説もこなす。となりの知乃さんにも目配りしながら観客席と当意即妙のやり取り。
舞台にも立つ。しかも端役じゃなくてしっかりスポットのあたる役どころ。
これでJavescriptとSQLが書けたらホンマモンの超人や。
こういう人が一番まぶしい、そして怖い。
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足りぬ足りぬは工夫が足りぬ。いやそうなんだけど、せめて南部十四年式拳銃は用意してほしかった。ポスターにもあるんだし。
ネバーランドの崩落シーン。大道具の意地と苦労がしのばれる。というか、そのための柱だったのね。
周囲の柱といい、中央の小部屋といい、随所に設けられたピットといい、演目に合わせて必要十分な空間の設計がなされていることに、いまさら感心する。
意地と苦労といえば、ピーターパンの飛行シーンも、無くても成立するだけに、「これをいれねば!」とウィンチを仕込んだ意地と心意気がうかがえるよなぁ。
ところで、いま調べたら、中央の小部屋は常設みたい。
なるほど、上手と下手のほかに中手があると、バーン! と登場するシーンとかに便利だよね。
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『絶対運命黙示録』『私の中の古生代』(←だったっけ?)しか知らなかったんだけど、「ほかにどんな曲があるんだろ」と思ってたところ、つまりはこれこそがシーザー節だった。
主旋律の音域を広く取ってロングトーン多用おまけに変拍子の幻惑的なスタイル。
これがそのまま歌手泣かせの難易度となって跳ね返ってくるわけで。ノリで合わせていたら絶対にロストする、ブレスで死ぬ、超絶覚えゲーみたいな世界。
こりゃ役者さんが大変だろうと思った。
あと音でいえば、既成の歌謡曲のダビングもの、J・A・シーザー氏の打ち込み音源、ボーカル無しで舞台で歌うもの、ボーカルありの既成曲で舞台でも歌うもの、マイクあり、マイク無し、古いローファイ音源と新しいハイファイ音源、とバラバラのチグハグだったのが気になった。
歴史の長い劇団だから地層のように多種多様な音源が混ざってるんだろうと想像するけど、どこかで専門家がDAWで新録して整理しないと、大変なことになると思う。
あとマシンガン銃声のポン出し、キャストにトリガーを渡せるような仕組みはないものか?
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……んー、こんなところか。
機会があったら、一度は観てみても良いと思います。そこでハマるかハマらないかは、あなた次第。
自分? チャンスがあったら、もう何回か行こうと思ってる。
推しの卒業を、受けて卒業までに何が出来るのか1人考えていました。
アイドルという存在でいて、笑顔を見せてくれた、例えば公演に行けなくても、握手に行けない時期があっても、そこで彼女が笑顔でいてくれた事はとても大切で尊いことだと思っています。
私は山口百恵さんの事が好きだけど、産まれた時に彼女はもうアイドルをやっていなくて、芸能界を引退していました。
同じ時代に生きれない。というのは後で延々とCDを回すしかない、ということです。
自分にとって大切な推しが卒業する姿を見れるのと、同じ時代を生きている事、見送れることがどれほど貴重で尊い事でしょうか。
元祖神7と呼ばれるような子達から、研究生の子まで卒業ソングもひと通り聴いていると思います。
たくさんのアイドルを見送った事で、私はアイドルが卒業する時にとても大切な事がたくさんある事を知りました。
アイドルは、私たちが学校に通って友人と遊んだり、はたまた色めいた年頃になってもその時間の全てをアイドル活動に捧げて居ます。
その煌めきと同じだけの物を貴女は残したのだと、きちんと推しに伝える事、それが卒業までに推しにすべき事だと思っています。
その方法として、推しが卒業までに出来るだけ多くの機会をあげる事、チャンスを増やすこと。
推しの卒業までに、出来るだけたくさんの事をした方がいい、と考えています。
残した軌跡は多い方が、アイドルの自分の意味がわかると思います。
卒業ソングを貰い、卒業コンサートをしてファンにコールされて、惜しまれて卒業をする事が私はアイドルにとって最高の卒業だと思っています。
アイドルは多忙だし、なにが、どのくらい自分のうちで残せたのかは、本人からは見えない。
だから、オタが言ってあげなきゃ。
今まで笑ってくれていてありがとう。歌もダンスも最高だった、来れない時も画面の中で笑っていてくれたこと、悲しいこともあった、その9年は真那ちゃんのこれからの人生をもっともっと輝かせる鍵になる。
どのくらいあなたが愛されて必要とされていたか、惜しまれて卒業していくのか。そしてみんなみんながあなたの幸せを祈ってる。
3万票は伊達じゃない。あなたの残りの人生の中にも、そのひとつひとつが残っていることを、落ち込んだ時に、あなたを忘れたファンなど1人もいない事を、思い出して、また笑顔で。
ポリコレが全部悪って言ってるわけではないのはわかる
上段はその通りですが、下段は違います。
私が問題にしたいのはポリコレそのものだけではなく、妄信的にポリコレを信じている人であり、そうした態度を他人にも強要する人のことです。そうした人のことを息苦しい人だと感じます。
そして妄信的であるならば、ポリコレに限らずフェミニズムであっても差別主義であってもやはり息苦しさを感じます。
公共空間で本当に必要なのは、頭だけで考えた正しいポリコレではなく、お互いを気遣う気持ちではないでしょうか?
気遣いをルールにしたのがポリコレなのかもしれませんが、個人的にはルールになっている時点で本来必要であった気遣いの気持ちとはかけ離れていっているように感じます。
そして重ねてになりますが、そのポリコレ的なルールを妄信的に信じ、他人に強要する人はやはり息苦しいです。
山口百恵さんの著書の話は初耳ですが、これは私も納得する話です。専業主婦や専業主夫など、多様な生き方がありそれはそれぞれ自立でもあるのだと心から思います。同時に働く人の選択も多様な生き方の一つであり、肯定されるべきでしょう。
これから世界がどうなっていくのかはわかりませんしそこを論じるつもりはありませんが、私が一番言いたかったのは正しさを盾にしている不寛容はよろしくない、という話です。