はてなキーワード: 山口百恵とは
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/kagamihiroyuki/n/nea42d0f58c16
大橋巨泉が朝丘雪路をボインちゃんって言った頃には日本もマスメディア的には巨乳信仰だったと思うけどなー。かとうれいこ&松坂季実子以降ってのはいくらなんでも…。
だがそこから巨乳を探してタレントにしまくろうという動きには繋がっていない。
松坂季実子の登場の何が画期的だったのかというのはいろいろ背景を説明しなければいけないだろう。
松坂季実子以前にも巨乳タレントというのはいろいろいた。榊原郁恵、アグネス・ラム、河合奈保子、柏原芳恵、堀江しのぶなどなど。
当時はとにかくアイドル、女優というのはくびれてなければいけなかった。ウェスト60cmを越える女優やアイドルなどあってはいけなかったのである。
あの榊原郁恵もアイドル当時はウェストは60cmを公称としていた。どう見てもそんなわけはなかったがそれで通していた。
若くして亡くなった堀江しのぶも人気がある程度でてくると「もう少し細くなりたい」といって痩せてしまった。
あの山口百恵ですらアンチからは「大根足」と言われたのである。
1989年、バスト110cm(公称)をひっさげて松坂季実子が登場した。公称スリーサイズ110.7cm、60cm、90cm。ウェスト60cmは露骨なウソだったがそれを気にさせないぐらい公称110cmバストの存在感は圧倒的であった。
デブじゃんという声もそれなりにあったが、公称110cmの乳はそれに勝って人気を博したのである。
そしてほぼ同時期にイエローキャブがかとうれいこ、細川ふみえを発掘する。
もはやある程度バストサイズがあればデブという声を怖れる必要はなくなっていた。
http://anond.hatelabo.jp/20170121053500
それは「山口百恵や松田聖子なんてオペラ歌手に比べたら歌が下手でしょ」と難癖つけているようなもので、なぜ宝塚と比べないといけないのか分かりません。
前にも言ったように、私はダンスを語れるようなボキャブラリーはないので答えようがありません。
そもそも「アイドルのダンスは拙いながらも頑張ってるところがいいんでしょう」という意見に対して
「いや、基本的にダンスが上手い方が人気がでるのです」と反論しているだけなので、話がズレている。
宝塚と比べてどうかなんて話はしていません。はてな民の差別意識とアイドルの現状とのズレを書いています。なぜそこまで頑ななのか謎です。
ポストに入っていたチラシに「NHK あさイチで放送されました!」とあって、そういえばいつからNHKはこんなに宣伝的なものを許すようになったのだろう、とふと考えてしまった。
「マッサン」 なんて、ウイスキーとハイボールの宣伝以外の何物でもなかった。今度の朝ドラもファミリアでしょう? 一つ前は、『暮らしの手帖』だし。朝ドラだけに限らず全般的にだいぶ緩くなっている印象。
昔のNHKといえば、 自分が中学生の頃、音楽教師が言っていたことを思い出す。
「コンサートで使われるピアノはたいてい、ヤマハかスタインウェイって会社のなんだけど、NHKは企業名出せないから、ロゴ部分が黒いテープで覆われているのね。でも、横幅が全然違うから、そのテープの長さでわかっちゃうの(笑)」
これももう過去の話だな。山口百恵の「プレイバックPart2」の歌詞の「真っ赤なポルシェ」を「真っ赤な車」にしたのはやり過ぎだとは思うけど、何だかなあ。
山口百恵さんが二十歳前後でプレイバック part2を歌っていたなんて、驚きだ。その当時の彼女が二十歳に見えない。
逆に、最近、アイドルの方で「この人高校生の制服姿だったけど20代後半なの!?」と思う人が多い。
そのように、アイドル達が若く見せ、それが普通だと”普通の女の子”たちも思ってなのか、最近の女の人は、自分を若く見せようとしすぎだと感じる。
カワイイが好きで自分自身もそうなりたい等という心は分かる。けど、大人になっても自らジョシと名乗ったり少女趣味に固執しているのって、子どもそっちのけ感がすごい。クレヨンしんちゃんのオトナ帝国の逆襲みたいな感じで恐怖を感じる。
「らしさ」から外れているほうがコンテンツ的にはおもしろいかもしれないけど、外見や立場等が反映された自分の「らしさ」も大切なんじゃないかな。
今の職場へ来て数年経った。
その後、二次会としてカラオケを歌うことができるようなスナック(?)へ行くのが恒例になっている。
で、そこで、50過ぎのおじさま方が、よくまあ歌う。
古い曲から新しい曲まで、なんでそんなに知ってるんだというくらい、よく知っていて、ほんと驚く。
荒井由実とか山口百恵とか松山千春とかオフコースとか、(このあたりは名前くらいしかわからない)
チェッカーズとかサザンとかミスチルとかスマップとかキンキキッズとか、(この辺は知ってる)
エグザイルとかえーけーびーとか、(この辺は逆にこちらはよく知らない)
なんというか、いわゆる「売れ線」をおさえてる感じがすごい。
別の場で、同世代くらいの集まりでカラオケへ行ったことがある。
その時は各々が好き勝手に曲を入れて、しっちゃかめっちゃかというか、
自分は好きだけど他の人は知らないみたいな選曲の偏りが激しくて、
(お笑い番組由来らしい歌だとか、ロキノン系のディープめな歌だとか、アニソンだとか、)
あと数回繰り返していればお互いの嗜好も把握できてそれなりに歩み寄れたのではないかと思うのだけど、
その場での結論としては、カラオケは気が合うもの同士で集まった方がいいよね、みたいな感じになってしまい、
結局、飲みニケーション的な集まりにおいてはその場を共有することが重要であり、みんなにわかるものが要求されるらしい。
だのでミリオンセラーのような売れ筋の曲は「みんなが共有できるもの」として重宝されてきたのではないか。
売れたからみんながカラオケで歌うようになったのか、カラオケで歌われることによって売れたのか、因果関係はわからないけれども、
飲みニケーション的な悪習を築き上げてきた世代というのが確かに存在して、
そういう人たちがミリオンセラーのような売れ筋の曲を買い支えてきたという側面があったりするのではないのかなあ、と、
酔っぱらった頭で思いつくままに何の根拠もないことを書き綴ってみたのでした。
50代~60代くらいの世代が退職していくにつれて需要が減退していったのだよっ、みたいな論拠となるデータを誰か探してください。
5月3日の日経に「日本人の金融行動は2極化しているのでは?」という問題提起があった。
「極端なリスク回避嗜好者(現預金嗜好者)と、FXとかにバンバン投資して、極端にリスクテイクする人と、
2極化していて、中間層(ほどほどにリスクを取る人)が希薄」という趣旨。
これって、金融行動以外の、市民の社会行動、あるいは各種リテラシーについても、言えるのでは?
30年前、40年前とかと比べて、中庸に山が来る正規分布から、「リテラシーが凄い人」と「リテラシーが全く駄目な人」に
2極化が進行している気がする。
例えば、行政が、医療費増大を抑えるために、市民に「健康啓発・運動啓発」をしているが、
「運動する市民」と「運動しない市民」の2極化が、30年前・40年前より、一層分化していたりする。
運動する市民の側は、より一層運動に励むが、運動嫌いな市民は、より一層運動時間が減少してしまったりする。
で、問題なのは、行政が「健康啓発セミナー」を開催しても、集まるのは
「もともと健康・運動好きな、健康オタク」ばかり来場してしまって、行政としてはもっとも来場して欲しい
運動好きな人にますます運動を啓蒙したら、活性酸素で却って体を痛めてしまうのだが・・・
厚生労働省とかが「市民の運動時間調査」しても、平均を見て論議するのは、全くの見当外れになる。
例えば「運動時間合計が1週間で1時間未満の人の比率が、30年前比でどう推移したか?」を可視化して、
運動とかの場合だと、例えば40年前とかは、職場で「大運動会」「ソフトボール大会」なんかがあって、
運動嫌いな人でも半強制的に運動に参加させられる「仕掛け」があったが、それが廃れて、
「運動と向き合わなくても生活していける時代」になった、という面が大きい。
・・・あらゆる場面で「嫌いなジャンル、苦手なジャンルがあっても、別に向き合わなくても構わない時代」になり、
リテラシーボトム層は、ますますボトムダウンする、という構図になっている。
一方、運動好きな人のサークルは益々盛んになり、より上手い人は上手くなり、運動量が増える。
なので、市民の間の「運動量の断絶」は、40年前比では相当酷くなっている。
「そういうスクールにも行かず、親が夏に海・プールに連れて行くこともない家庭の子」とでは、
水泳の技量に相当な断絶が発生してしまい、体育教育現場では相当問題化しているらしい。
40年前とかなら、芸能に疎い人でも、それなりに「山口百恵がどうした」「石原裕次郎がどうした」ということを知っていた。
おそらく世間話でそれなりに芸能の話題が出ていたので、あまり芸能に関心がなくても、必要に迫られて
しかし、今では別にAKBがどうした、EXILEがどうした、ということに全く無関心でも、まあ生きていける。
40年前と比べると、芸能情報に一切無頓着という「芸能オンチ」は、より一層深刻になっているのでは?
一方、ネットの深化で、芸能オタク層の芸能知識の深度は、40年前比でも相当深まっていると思う。
以前は芸能偏差値40~60に満遍なく分布してたのが、今は芸能偏差値80のオタクがいる一方で、
芸能偏差値20の「世間知らず」もそれなりに存在して、芸能偏差値40~60の中庸層は薄くなった気がする。
他にも「料理の腕」とか「日曜大工の腕」とか、さまざまなリテラシー、ライフハックで「2極化」が進行しているのでは?
あと、先日麻生副総理が、「1年間病院に行かない高齢者に、10万円あげることで、過度の病院通いを抑制できる」
とのアイデアを披露していたが、「病院通い」も2極化している気がする。
「用もないのに、病院にやたらと行きたがる、薬を貰いたがる人」と、
麻生氏は「用もないのに病院に行きたがる人」の抑制として「1年間行かなければ10万円のご褒美」というアイデアだったんだろうが、
これで「用もないのに・・・」という層が、果たして行動変化させるか?
結局、「医者嫌い」な人に10万円を交付するだけで、「用もないのに・・・」という人はなんら行動を変えない気がする。
→「医者嫌い」な人に10万円を交付して、「交付実績が上がった、政策効果が出た」と総括するようじゃ、単なるアホである。
この場合は「医師嫌いな人に、もっと病院に行ってもらうように啓蒙」しながら、一方で
「過度に病院通いする人に、あまり病院通いしないように抑制啓蒙する」という両面作戦が必要になるので、極めて難しい啓蒙戦略が必要になる。
うーんわかったようなわからんような。
肌がきれい、色白、小顔、というのはたしかにあるあるなんだけど、童顔、っていうのは、ええっ、って感じだった。
自分の感じる童顔って、かの幼児雑誌「めばえ」(今あるのか?)にでてくるような、まん丸お目目に丸顔、って感じだから、この人対極なんだよね。
どちらかというと「ファニーフェイス」「個性派」って感じで、そういう売り方なら納得できるんだけど、「可愛い」っていわれると、ええっ、って思っちゃうんだよね。
でなんで悪役顔に見えるかっていうと、指摘した人もいるけど、眉の薄さと吊り上った目。
すっごく意地悪そうで、昔のドラマではこういうのが悪役だったんだよね。
だから自分もその価値観で、うわー、いやな顔、としか思えない。
(ついでに山口百恵もその線で可愛いと思えない。引退間際はきれいになったかな、って感じだけど、デビュー時はどちらかというと残念な顔としか思えない)
で、いかにも女の子らしい顔、っていうのにも、ええっ、だった。
つり目のせいで、あんまりかわいらしさとか柔らかさとか感じないんだよなあ。
うん、何で違和感感じるのかわかった。
自分的には彼女はどちらかというと残念な顔で、「ファニーフェイス」「個性派」「ボーイッシュ」という範疇なんだよね。
なのに世間的には「可愛い」範疇に入れられてるので、ものすごく「?????」で気持ち悪かったんだね。
結局好きにはなれないが、なんとなくわかってよかった、かな。
追記
自分、この人の薄い眉とつり目がきらいなんだな
前髪下ろすと眉とつり目のきつさが薄められてかわいらしく見えるから
この手の顔立ちが苦手なのね結局
最近AKB48が人気があるので、なんとなくアイドルの代名詞的存在の松田聖子のことを思い出して、
YouTubeで昔の映像を探して観たら、あまりの可愛さに気が狂いそうになった。
http://www.youtube.com/watch?v=Gq34I7lr21A&feature=related
特に00:27の辺りの「♪ダーリン」と歌いながら手をパッと開き、首を傾け視線をカメラから外すシーン。
これにやられた。
小学校時代に彼女の全盛期だったのだけれども、どうしてあの頃自分が彼女に夢中にならなかったのか、全く理解出来ない。
どうして彼女を好きだと思うことが、昔はあれほど恥ずかしかったのだろう?
可愛い少女が自然体でいながら、こんなに素敵な仕草で透き通るような歌を歌う、その奇跡に感動する。
それに、声がいい。
なんて美しい声を持っているのだろう。
伸びやかでハスキーで透き通る、こんな声質の少女が、かつていただろうか。
美空ひばりをすごいと思っていた。確かに情念あふれるその歌声はすごいが、残念ながらそこまで可愛くはない。
山口百恵の方が崇高だと思っていたけれども、今彼女の映像を観ても、ちょっと古臭くて観てられないし、よくよく見たら彼女は少し暗い。
時間が経過してみれば、よくわかる。
完璧だったのだ。
彼女のことを嫌っていた人が大勢いる。
例えば彼女のことを加賀まりこなどは、「ブスだ」と評していたらしい。
鼻で笑うしかない。
これもまた、自分にない可愛らしさを持った同性に対する嫉妬なのだろう。
これほど可愛いくて明るい天使が現実にいたら、叶わないと思うか、反発するしかできないだろう。
YouTubeやニコニコ動画には、彼女の映像が数多くアップされている。
今、会社から帰宅して彼女の昔の映像を観るのが、最高の幸せだ。
彼女が昔、問題行動を起こしてバッシングされていて、良かった。
だって、彼女が天使のままだったら、生きるのがあまりに辛すぎる。
山口百恵が「あなたが望むなら・・・いけない娘だと噂されてもいい」と歌っていたのが73年
自分がお子さまの頃の話なので、この歌詞がどのように受け止められたのかは、はっきりとはわからん。
お見合いの席で「処女ですか?」と聞くネタ(タイトル失念)をスネークマンショーがやってたのが80年代の前半
この辺りは建前としては処女であることを求められるけど・・・という時代
適齢期をクリスマスケーキネタにしてたのもこのくらいの頃だね。
東京ラブストーリーでリカが完治に「セックスしよう」と言ったのが90年
女性がこういうことを言う台詞が衝撃的に感じられつつも受け入れられた時代
(リアルで同じコトをやったら、当時も今も、ドン引きだとは思うけど)
この辺りから出来ちゃった婚に抵抗感が無くなる。
世代や地域によってズレはあるだろうけど、大体こんな感じだったんじゃないかなあ。
俺はまだ本気出してないだけ
虫歯になって慌てて歯磨き
鰯の頭も信心から
千代の富士はこう答えた
1001勝です
「よく禁煙に成功しましたね」
俺は勇者になりたかった!
だが魔王がいなかった!
お前には魔王がいる!
Living well is the best revenge
優雅な生活が最高の復讐である
もっともよい復讐の方法は、自分まで同じような行為をしないことだ。
マルクス・アウレリウス 自省録
我々は、現在の知識によってのみ物知りであるにすぎない。
男が女より強いのは、腕力と知性だけで、腕力も知性もない男は、女にまさるところは一つもない。
「第一の性」より
人は死の間際になってはじめて、本気で生きてこなかったことに気づく。
人を見て、「こいつはまだまだだな」と思ったら、実際には自分とそいつは同じくらいのレベルで、
「俺と同レベルくらいかな」と思ったら、実際にはそいつは自分よりも上のレベルで、
「俺よりも少しできるな」と思ったら、そいつはもう手が届かないほどレベルが違うのです
強くなければ生きていけない
マーロウの名台詞
今君は夢を僕に言えるか?あの日と同じ瞳のままで
英雄とは個人的な恨みや、失望や、復讐心に駆り立てられてではなく、
人の小さい過失をいちいちとがめないこと。
人の隠し事・秘密を暴いたりしないこと。
人の過去の過ちを掘り起こして蒸し返さないこと。
この三つの点を守れば、人格を高められるだけでなく、人の恨みや反発を買うこともないのです。
司会「北京オリンピックに何か特別にもっていく物はありますか?」
浜田雅功「あたりまえや、こんなところで何言うとんねん。」
若いときは知ってるフリをしたがる
歳をとると知らないフリをしたがる
金は集めるより散じるが難し
生きる時間は変えられない
生き方は変えられる
人を呪わば穴二つ
スナフキン語録
1.ぼくは、あっちでくらしたり、こっちでくらしたりさ。
今日はちょうどここにいただけで、明日はまたどこかへいくよ。
テントでくらすって、いいものだぜ。きみたちは、どこかへ行くとちゅうかい?
2.自分できれいだと思うものは、なんでもぼくのものさ。
その気になれば、世界中でもね。
3.そうだな。なんでも自分のものにして、 もって帰ろうとすると、むずかしいものなんだよ。
ぼくは、見るだけにしてるんだ。そして、たちさるときには、
それを頭の中へしまっておくのさ。ぼくはそれで、
4.それはいいテントだが、人間は、ものに執着せぬようにしなきゃな。
すててしまえよ。小さなパンケーキ焼きの道具も。
ぼくたちには、用のなくなった道具だもの。
5.ありがとう。でも、いまも考えたんだけどもちものをふやすということは、
ほんとにおそろしいことですね。
昔から仏教では「足を知る」ていうんだ
あれも欲しいこれも欲しいで尽きることのない欲望の果てが
『自滅』
だから賢人は必要なもの以外は切り捨てるようにするんだよ
駒田「とりあえずお疲れ」
悩むってのは余裕があるから
海で溺れてる時悩みますか?必死で泳ぐでしょ
悩まない代わりに溺れて死んでます
人生の大きさは悔しさの量で計るんだ
「サッカーとは、トータル的にこれが理想というものがない。だからこそ魅力的なんだ。」
「(交代策は)うまくいくときもダメなときもあるもんだよ。采配が全部当たるなら、
「私には、理想とするサッカーはない。こういうチームと決めてしまうとそれ以上のチームにはならないからだ。
完璧と言えるチームはないと思っているし、起こりうる状況の中で常に前進して行くだけだ。」
「日本人はシステム論議が好きらしいが、システムは保証でしかないことを理解したほうがいい。
「古い井戸があります。そこには水が少し残っています。それなのに、古い井戸を完全に捨てて新しい井戸を掘りますか?古い井戸を使いながら、新しい井戸を掘ればいいんです。」
勝てない見込みのほうが大きい戦に
あえて臨む人間にはなんとなく肩入れしたくなる
「理性の最後の歩みは、理性を超えるものが無限にあるということを認めることにある。
それを知るところまで行かなければ、理性は弱いものでしかない」パスカル
「いいか、おまえら。恋愛というものはなだな、まず相手を好きになる。そして、好きが恋になって、
恋に愛が加わって恋愛になる。それで恋が消えて愛だけになると落ち着いてきたあたりが一番幸せだな。
俺、ビルゲイツが目の前にいたら言ってやるんだ
うらやましいだろ、ざまあみろ。ってね
弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。
ハードルは高ければ高いほどくぐりやすい
信じるものがすくわれるのは足元だけ
夜なのに僕が見るのは蒼井そら
「ボクは火星人であることとチンコが小さいことをなんとも思ってませんから!」
「チンコ出して街歩きたい」
「虹がヒットしたら俺の下の毛を虹色に染めてお前ら(リスナー)にプレゼントしてやるよ!」
「空中でオナニーしてみたけど踏ん張りが効かなくてエクスタシーに達するのは無理だった」
「陰毛は直毛です」
人生は全て次の二つから成り立っている。
したいけど、できない。 できるけど、したくない。
この人が王であるのは、ただ他人が彼に対して臣下としてふるまうからでしかない。
ところが、彼らは反対に、彼が王だから自分たちは臣下なのだと思うのである。
『資本論』第1巻第1章
「折口君、戦争中の日本人は桜の花が散るように潔く死ぬことを美しいとし、
われわれもそれを若い人に強いたのだが、
これほどに潔く死ぬ事を美しいとする民族が他にあるだろうか。
もしあったとしてもそういう民族は早く滅びてしまって、
海に囲まれた日本人だけが辛うじて残ってきたのではないだろうか。折口君、どう思いますか」
久方の光のどけき春の日に、しづ心なく花の散るらむ
ラストサムライの最後のシーンで、若い明治天皇が、トムさまに、渡辺謙が
演じたラストサムライ勝元(西郷隆盛がモデルらしい)の死に様を聞く。
「Tell me how he died」
アメリカ騎兵役のトムさまが、自信に満ちた微笑をかすかにたたえて答える。
「I'll tell you how he lived」
人の通わぬ山道に咲いた紅葉の心意気
「金」以外のものを絶対に信用してはいけません。
信用できるのはお金だけ
よく聞く言葉だけど、インフレおこしたらそのお金にも裏切られるわけで
国は信用できるって(信用する)ということにつながるんだろうか
強情を押し通すと、周囲にも自分にも苦しみとなる
やっぱり一番悪いと思うのはアルコールだ
勝った人はこちらへ 負けたら向こうへ
そんな訳には いかない いかさない
子供たちがのびやかにすくすく育つために必要なのは、
実は“誰かに世界一愛されている”という実感なのではなかろうか。
今日逃げたら
明日もっと大きな勇気が必要になる
生き残るためには自ら変わらなければいけない
何事も 貴方が同じ土俵に立つから腹が立つのです
一歩退いて周りを見渡して御覧なさい
腹の立つ程の事ですか?
聞いちゃダメ!
聞いて偉くなった人は誰もいない!
勝ちに不思議な勝ちあり
負けに不思議な負けなし
女を腕に抱くと、やがて腕にぶら下がられ
そのうち背負う事になる
離婚の動機ですって?
ありますとも、弁護士さん
私が結婚してるという事です
今考えるとあの時食べておけばよかった
アーサー・ゴッドフリー
KEMURI、The John Butler Trio、The White Stripes、フリッパーズギター、山口百恵、Wolfmother、Elvis Costello
でも、1ヶ月くらいするとかなり変わるからあまりあてにならんかもな。