はてなキーワード: 少数意見とは
多数派の専制でよく思うのがまさにこのコメ欄です。例えば料理チャンネルでレバーを扱う動画が上がるとコメ欄は
「美味しそう!」
「作ってみてすごく美味しいかったです!」
「家族に好評でした」
「久々に料理して5個も食べちゃったよ」
「寝る前のメシテロやめろ」
「わーいいなー」
「レバー美味しいし動画の通りにやれば臭みも抜けるし鉄分豊富だし安いし最高」
「いやいやレバーはビタミンA多すぎるから鉄分目的で食い過ぎたらかえって毒だぞ」
「苦手だけどこれなら食べれそう」
「すみません正直私には合いませんでした」
って感じになって、少数派はビタミンAに触れてる人と不味かった人。
それ以外のコメはほとんど動画を漠然と肯定してるだけで、その数に見合うほどの具体的で価値ある事を特に言ってない。
だったらコメ欄をまとめれば(そういう動画見る人はレバー=鉄分くらいの知識は誰でも持ってるものと考えれば)
「美味しそう(まだ作ってない人)」
「食べてみて不味かった人(作った否定派)」
「ビタミンAに注意」
の4つだけでいい、これで少数意見が目立てる。疑似意見はいちいちツリー立てて書かずに既に書かれてる所にいいねするだけでいい。
でもそのビタミンさんと不味かったさんは発言したくても肯定的なコメだらけの中で細かい事やネガティブな事言ったら
空気読めない奴みたいに思われるから勇気が必要になるし、書いたところで多数の疑似コメに埋もれて見つけて貰えない。
俺も少数派でいる事が多いので疑似コメ増やして他の少数意見を埋もれさせる加害者になりたくないので、
なるべく全てのコメを読んで既に言いたい事が書かれてればそこにいいねするだけにして同じ内容は書かないようにしてるし、コメツリーをいくつも立てません。
長文を書きはするけどツリーが一つだけなら読みたくない人はさっと飛ばせる。もしこの文をツリー10個に分けたら他人に迷惑がかかる。
でもこんな事考えて書いてるのたぶん俺くらい、どの言語の母語話者でもです。
日本の動画はどんなに人気のものでもコメは4桁だけど英語動画になると5桁がザラにある。
その5桁のコメも内容ごとに整理したらきっとせいぜい100通りくらいしかない。
500回くらい書かれてる意見は大勢の目につくけど3回しか書かれない意見は誰にも気づいてもらえない。
コメの多さが動画主の収入に繋がるなら疑似コメを増やす事は否定できないけどyoutubeにその仕組みは辞めてって言いたくなる。
でもyoutube以外のどんなサイトでもそこを効率化できていない。
みんな多数派に属していたい気持ちと、自分個人のオンリーワンそうな意見に耳を傾けて欲しい気持ちがある、
概説
二大政党制は通常、国家制度や政党制度としては複数政党制だが、二大政党が大半の集票・議席・影響力・政権担当実績などを保持している点で、多党制と対比される。しかし、どこからを二大政党制または多党制と呼ぶか、もしくは何をもって二大政党制に当てはまるとするかについては学者や時期や観点によっても異なり、明確な定義は存在しない。2大勢力が拮抗していることを条件とする考え[1]や、選挙での一時的な勝敗は度外視して10年以上などの長期間で2つの主要政党による政権交代が行われていることを条件とする考え[2]などがある。
二大政党制では政権交代が比較的容易だとされる。二大政党のいずれかによる単独政権になることが多く、多党制で多く見られる連立政権は、政党同士で長期的な連立協定や選挙協力を組んで一体化している場合(下記のオーストラリアなど)を除けば頻度は低く、二大政党がともに過半数を確保できなかった場合などに限られる。何らかの理由で二大政党を共に含んだ連立が組まれた場合は大連立や挙国一致内閣などと呼ばれる。なお多党制も政党間のイデオロギーの差異によって穏健な多党制と分極的多党制とに分けられる。
ジョヴァンニ・サルトーリの指摘では、二大政党制はイギリスや、イギリスから独立したアメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどのアングロサクソン諸国で多く見られる。
二大政党制の背景には、主要な二大政党以外からは大量当選が困難な選挙制度である小選挙区制や、国民のイデオロギーや支持層が「保守と革新」など2種類または2方向に大別できること、更に両政党が比較的穏健かつ民主的であり現実的な政権交代を相互に許容できること、などが挙げられる。
二大政党制の利点には、二大政党による政策論争が国民にわかりやすく、二大政党への参加や支持が容易で、現実的な政権交代が容易なため国民に実質的な選択の余地があり、長期政権に発生しがちな腐敗防止や、政権獲得時に国民の支持を背景にした大胆な政策転換を行いやすいこと、などが挙げられる。また、中間層の有権者の支持を得る為に二つの政党の政策が似たものとなる傾向があり、少数派の意見をくみ取る政党がなくなるという問題があるが、ジョヴァンニ・サルトーリの主張ではイデオロギーの差異が小さいことは良い政治であり、この点を利点とする立場もある。
二大政党制の欠点には、二大政党の思想や政策が離れている場合にはイデオロギー的あるいは感情的な対立になりやすく、政権交代の発生時には大幅な政策変更により政治の不安定化を招く場合があること、逆に二大政党の思想や政策が接近している場合には国民に選択の余地が狭く多様な意見や思想を反映しにくいこと、同じ政党・政策・支持勢力などが長期間存続しがちなため政党内の新陳代謝や政策転換が進みにくいこと、特に二大政党間で談合や汚職などが常態化した場合には致命的な政治不信を引き起こしやすいこと、あるいは二大政党制へ誘導するための小選挙区制では大量の死票が発生すること、などが挙げられる。アーレンド・レイプハルトの合意形成型民主主義の考え方に立てば、二大政党制を基盤とする多数決型民主主義においては多党制を基盤とする合意形成型民主主義より、少数意見の代表性が相対的に低いとされる[3]。
そういうちゃんとした理由のない校則って今メチャクチャ批判されてますよね。
私もそういうつまらない校則とか学校のルールはどんどん無くしたらよいかと思うんですけど、
「通学時は制服を着る」っていうところに疑問持つ人全くいないのよね。
「そもそも制服を強制されているのはおかしい」っていう風にはならない。
これって何でです??
先回りして、ある程度回答の予想を書いとくと
「風紀のため」ってやつね。
アメリカの学校とかでは制服を導入したら、非行に走る生徒が有意に減って学校や周辺地域の治安が
実際良くなったりするらしく、制服導入の強い意義になるのよね。
でも「風紀のため」が理由として認められると、
それってつまり「見た目や格好が本人の規律や全体の雰囲気に影響する」っていうことを認めているということだから、
「ポニーテールはうなじが性的だからダメ」みたいなアホ校則もあるけど、
「風紀を乱す私服」と「制服」の間の服装に具体のボーダーラインって引けないのよね。
そうすると多数意見か少数意見かのグラデーションはあれど「ポニーテールはダメ」にも合理性が出てくるのよ。
そういこと考えてると、
結局、生徒側が好き好んでor少なくても拒絶 してないからだけが理由であって、
校則の良し悪しが判断されてるのって結局単なる生徒側の「主観的な」好悪だけなんじゃないのと思ったわけです。
どう??
https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/1391207118502383621
https://twitter.com/rikakoikee/status/1390638021943316482
これ見てると、個人の感想の羅列しかなくて、個人の感情の延長戦上に果たして理想的な政治はあるんだろうかと思ってしまう。
アスリート目線で言えば、オリンピック開催して欲しいに決まってるけど、参加したいなじゃなくてオリンピック開催して欲しいなって高橋洋一みたいに呟いたら矢のような非難がくるわけでしょ。
まぁ高橋洋一が笑笑とかつけたのは馬鹿としか言いようがないけどさ。
理性的な人は、池江さんみたいな個人にオリンピックの開催是非を問うたり辞退の要請をするべきではないっていうけどさ。
じゃ、高橋洋一ならいいわけ?って思うのよ。いや、内閣官房参与という立場だから、というのはわかるんだけどさ。
それで、人の死に敏感な人を慮って内閣官房参与はオリンピック開催を推進するべきではない、というのならば、アスリートのためにオリンピックを開催しようとする政治家はどうすればいいわけ。
少数意見だから無視なのかしらん。人の死を軽んじるな!だったらお前が死ね!くらいまで言われてもアスリートのためにオリンピックを開催しようとするのは自由だから、そういう主張をするならば、死ねと言われても仕方がないってことになるのかな。
そんで「コメントが羅列されている」だけにすぎないのに、あたかも世論がそこにあるかのような話がされているのとかが気持ち悪くて仕方ない。
「思うこと」と「言うこと」は全く違う効果を持つ。特にマジョリティがマイノリティに対しての嫌悪や恐怖を公に「言う」ことが当然のように許されたら、増田の言う「差別のない世界」=「誰もが当たり前に存在して、誰もが当たり前に自分に正直でいられる世界」は成り立たない。
ブックマークでもいつものメンバーから賞賛されていて素晴らしい増田だと思うけど、「特にマジョリティがマイノリティに対して」のところから後は
の話しかしてないよね。
もそれぞれ検討するのかと思ったけど、一番重要な類型ということで最初のものだけを議論の対象にしたのかな。
個人的には、マイノリティ→マジョリティの場合などは「嫌い」と表明することが許されるのかどうかが気になるけどね。
説明してもらった内容は、誰から誰に対しても「嫌い」と表明すること自体が問題ということよりも、マイノリティの抑圧につながるから良くないという部分に力点を置いているように感じとれた。
私の感覚が少数派であるにすぎず、世の中の多数派は納得してるかもしれないので、もしそうであれば少数意見は読みとばしても構わない。
だけど、カウンター活動の名目でマイノリティが感情のあまりマジョリティを集団で名指しして強い言葉で非難してしまい、それが差別かどうなのかで揉めることも稀にだがある。
しっかり勉強すれば差別ではないと分かるケースが大半ではあるのだろうが、念のためマイノリティ→マジョリティの類型ではどうなるのかも確認しておくと、もともと高い納得感がさらに高まるのではないかと思う。
ところで、誰から誰に対する「嫌い」も許さないということであれば構わないけど、もしマジョリティ→マイノリティの類型を他のものよりも優先して考えなければならないのであれば、マイノリティとマジョリティをそれぞれどのように判定できるのかも議論に入れたい。
勉強すればどの集団がマイノリティ、どの集団がマジョリティなのかは自明のものとして判定できるのだろうが、勉強が苦手な人も世の中にはいるので、あらかじめ指定マイノリティリストのようなものを作ってもらえると分かりやすいと思う。
先日は健常者の男女間だけでなく、障害者男性と健常者女性の間でもお互いを表立って「嫌い」と言っていいのかどうか、凄く揉めたこともあった。
そのようなインターセクショナリティの影響で、一見してどちらがマジョリティかマイノリティか分からないケースもある。
要は
・マジョリティ→マイノリティの類型だけでなくあらゆるパターンで「嫌い」を表明してはならない理由も詳しく説明する
または
・マジョリティ→マイノリティの類型に特化した説明をするかわりに、どうやってマジョリティとマイノリティを判定すればいいか、マイノリティリストや判定ルールも整備する
のどちらかがあると良い。
ファンからはネットで叩かれまくってるし、スタッフのTwitter見てもあんまりそのシリーズに思い入れがなさそうでほんとメンタルがやられる
たとえばニチアサとか、ガンダムとかって必ず不人気かつかなり叩かれている作品があると思うのだが、そういうのにハマってしまった場合オタクコミュニティで肩身狭くない?
オタクコミュニティ内でそのシリーズをネタにしたり、些細なことでも叩く流れになったりしてるし、公式サイドの人間もそのシリーズのキャラクターに対して悪意が見えることを呟いてて、それが許される空気感がある
AGEとかオルフェンズ?とかがネタにされまくってたと思うけど、本気で純粋に作品が好きな人間はどうやってオタクコミュニティ内を生き抜いてたのかが気になる
周りの人間がどう言おうと、そのシリーズが好きな気持ちは変わらなくて、だからこそ周りのノリと自分のノリが離れていく
そして公式サイドもごくごく少数意見の肯定派よりもこのシリーズ否定派の意見を優先するだろう
悲しいな