はてなキーワード: 少数意見とは
「思うこと」と「言うこと」は全く違う効果を持つ。特にマジョリティがマイノリティに対しての嫌悪や恐怖を公に「言う」ことが当然のように許されたら、増田の言う「差別のない世界」=「誰もが当たり前に存在して、誰もが当たり前に自分に正直でいられる世界」は成り立たない。
ブックマークでもいつものメンバーから賞賛されていて素晴らしい増田だと思うけど、「特にマジョリティがマイノリティに対して」のところから後は
の話しかしてないよね。
もそれぞれ検討するのかと思ったけど、一番重要な類型ということで最初のものだけを議論の対象にしたのかな。
個人的には、マイノリティ→マジョリティの場合などは「嫌い」と表明することが許されるのかどうかが気になるけどね。
説明してもらった内容は、誰から誰に対しても「嫌い」と表明すること自体が問題ということよりも、マイノリティの抑圧につながるから良くないという部分に力点を置いているように感じとれた。
私の感覚が少数派であるにすぎず、世の中の多数派は納得してるかもしれないので、もしそうであれば少数意見は読みとばしても構わない。
だけど、カウンター活動の名目でマイノリティが感情のあまりマジョリティを集団で名指しして強い言葉で非難してしまい、それが差別かどうなのかで揉めることも稀にだがある。
しっかり勉強すれば差別ではないと分かるケースが大半ではあるのだろうが、念のためマイノリティ→マジョリティの類型ではどうなるのかも確認しておくと、もともと高い納得感がさらに高まるのではないかと思う。
ところで、誰から誰に対する「嫌い」も許さないということであれば構わないけど、もしマジョリティ→マイノリティの類型を他のものよりも優先して考えなければならないのであれば、マイノリティとマジョリティをそれぞれどのように判定できるのかも議論に入れたい。
勉強すればどの集団がマイノリティ、どの集団がマジョリティなのかは自明のものとして判定できるのだろうが、勉強が苦手な人も世の中にはいるので、あらかじめ指定マイノリティリストのようなものを作ってもらえると分かりやすいと思う。
先日は健常者の男女間だけでなく、障害者男性と健常者女性の間でもお互いを表立って「嫌い」と言っていいのかどうか、凄く揉めたこともあった。
そのようなインターセクショナリティの影響で、一見してどちらがマジョリティかマイノリティか分からないケースもある。
要は
・マジョリティ→マイノリティの類型だけでなくあらゆるパターンで「嫌い」を表明してはならない理由も詳しく説明する
または
・マジョリティ→マイノリティの類型に特化した説明をするかわりに、どうやってマジョリティとマイノリティを判定すればいいか、マイノリティリストや判定ルールも整備する
のどちらかがあると良い。
ファンからはネットで叩かれまくってるし、スタッフのTwitter見てもあんまりそのシリーズに思い入れがなさそうでほんとメンタルがやられる
たとえばニチアサとか、ガンダムとかって必ず不人気かつかなり叩かれている作品があると思うのだが、そういうのにハマってしまった場合オタクコミュニティで肩身狭くない?
オタクコミュニティ内でそのシリーズをネタにしたり、些細なことでも叩く流れになったりしてるし、公式サイドの人間もそのシリーズのキャラクターに対して悪意が見えることを呟いてて、それが許される空気感がある
AGEとかオルフェンズ?とかがネタにされまくってたと思うけど、本気で純粋に作品が好きな人間はどうやってオタクコミュニティ内を生き抜いてたのかが気になる
周りの人間がどう言おうと、そのシリーズが好きな気持ちは変わらなくて、だからこそ周りのノリと自分のノリが離れていく
そして公式サイドもごくごく少数意見の肯定派よりもこのシリーズ否定派の意見を優先するだろう
悲しいな
日本で一番有名であろうニュースアプリで、毎日ニュースを見るんやけど、ニュースにコメントついてるやん?
いいねが一番押されてる3つくらいがレコメンド表示されてて、もっと見るを押すとすごい数のコメントが見れるやつ。
あの3つのコメントがまるで一般人の総意みたいに見せられてると思うねんけど、違う人もいっぱいいると思うねん。
そもそも色々な人がいて、色々な意見があって、どれが正しいとかってのは立場とか環境とか、時代とか様々なものに左右されると思うねん。
でもあのコメントって、いいねの数が見える事で、まるでそれが唯一絶対の正しさかのように表現されてるなって、少なくとも私は感じてる。
なんとなく、教育されてるように感じるねんな。
過激な考えが普通みたいな。しかもそれをみんなが支持してる、違う考えのやつは頭がおかしい!みたいな。
良い、悪い、のボタンを押していない人の数は、ボタンを押した人の数を遥かに上回ってるんちゃう?
良い・悪い・見たけど良いも悪いも無い
の3つの表示にしてくれたら、良いも悪いも超絶少数意見やって見てわかるのにな。
結局過激な方が話題になってアクセスが上がって収益になるから、企業としてはそれでいいんやろうなとは思うけど。
純粋な時期に過激な意見を唯一正しい民意として目にし続けて育った子供達が、偽りの民意に左右されて投票してしまわんか??
国を動かすのもまた人で、国を動かす人を投票で選ぶのが、意見を国に反映させる場所やのに
ニュースへのコメントに対する良いねが、間接的に、誰でも日本を動かせるツールに育ってしまわないかなって
考えて怖くなった
女性が「あいつら」を批判する時、「あいつら」に自分が入ることは決してないが、「あいつら」に私が紛れ込んだとして気にしない。指摘された後で「あっ、君は別ねw」と訂正すればいいと思ってる。何なら、「そんなことわざわざ言われなくてもわかるだろめんどくせぇな…」という顔をしておけば済むとも思ってる。
男だけどめっちゃわかる〜
わかるから辛いんだよ。わかる?わかんねぇだろな。
俺が最も嫌悪する"あいつら"と、結局のところ「男」であるというだけで一括りにされ、それを「めっちゃわかる〜」と肯定するしかないのが辛い。
女性が「あいつら」を批判する時、「あいつら」に自分が入ることは決してないが、「あいつら」に私が紛れ込んだとして気にしない。指摘された後で「あっ、君は別ねw」と訂正すればいいと思ってる。何なら、「そんなことわざわざ言われなくてもわかるだろめんどくせぇな…」という顔をしておけば済むとも思ってる。
第5次日韓会談予備会談 一般請求権小委員会 第13次会議 会議録(1961.5.10)
http://www.f8.wx301.smilestart.ne.jp/honyaku/honyaku-2/718.pdf より引用。
p.115
韓国側 含まない。
韓国側 前にも話したが生存者、負傷者、死亡者、行方不明者、そして軍人軍属を含む被徴用者全般に対して補償を要求するものだ。
日本側 補償とは国民徴用令第12条によって遺族扶助料、埋蔵料等を支払うことになっていて、工場においては工場法に軍人軍属においてもそのような援護規定があったが、当時のそのようなベースによる補償を意味するのか。
韓国側 それとは違う。われわれは新しい基礎の下に相当な補償を要求する。
韓国側 他の国民を強制的に動員することで負わせた、被徴用者の精神的、肉体的苦痛に対する補償を意味する。
日本側 色々問題があるが、徴用される時には一旦日本人として徴用されたものなので、当時の援護のようなもの、即ち日本人に支給したものと同じ援護を要求するのか。
韓国側 われわれは新しい立場で要求している。その当時日本人として徴用されたと言うが、われわれはそのように考えない。日本人は日本のために働くだろうが、われわれは強制的に動員された。この点、思考方式を直して欲しい。
p.115-116
韓国側 われわれは国として請求する。個人に対しては国内で措置いたす。
日本側 わが側としてもこのような人たち、そしてその遺族に対して相当程度援護措置をしていて、韓国人被害者に対しても可能な限り措置しようと思うが、韓国側で具体的な調査をする用意があるのか。
韓国側 勿論そういうことも考えられるが、この会議とは直接的な関係がないと見る。被害者に対する補償はわが国内で措置する性質のものだと考える。
日本側 この小委員会は事実関係と法律関係を確認するところにある。韓国が新しい基礎の上に考慮するというのは理解できるが、個人ベースではないというのは理解できない。元来正式な手続きを踏んでいたら支払えたと思う。わが側としては現在でも未払金を支払う用意があるということは前の会談でも言及したことがある。要はわれわれの立場は未払金が、本人の手に入らなければならないと見る。
韓国側 未払金はわかったが、補償金においては日本人死亡者、負傷者に対しても相当に補償しているが、特に他の国民を強制で徴用して精神的、肉体的に苦痛を与えたことに対して相当な補償をしなければならないのではないのか。
を区別することによって、日韓交渉においては違法な行為によって生じた損害を補填するための「賠償」はまともに検討されておらず、請求権協定で日本から韓国に支払われたのは「補償金」であって、その中に「賠償金」は含まれていない(ので、個人が後日になって別途請求できる)という法理によるものである。
しかし上記資料を見てもらえば分かるように、韓国側は補償金の性格について、国民徴用令にもとづくそれではなく、「強制的に動員することで負わせた、被徴用者の精神的、肉体的苦痛に対する補償」であると繰り返し述べていることから、その補償金は「賠償金」的性格をふくむものであると認識していたのは間違いない。
それゆえに単なる補償にとどまらない高額なもの(「相当な補償」)になるとのロジックである。
結果としてはそれが無償供与3億ドルという莫大な金額の根拠の一つとなるのである。
「強制的に動員することで負わせた、被徴用者の精神的、肉体的苦痛に対する」(ゆえに高額となる)補填を、「適法な行為によって生じた損害を補填」=「補償」したものにすぎないと解釈するのは、さすがにアクロバティックすぎるのではないだろうか。
(追記)
お、b:id:scopedog氏からの「嫌韓バカ」、頂きました(たぶん、痛いところを突かれたのでしょうね笑)。
確かに本エントリで述べた内容は、判決文中で、大法官3名により少数意見として述べられていたものとほぼ同一です(結論は異なりますが)。
その内容とは、
大韓民国は1961年5月10日の第5次韓日会談予備会談一般請求権小委員会第13次会議において被徴用請求権について「生存者、負傷者、死亡者、行方不明者及び軍人・軍属を含む被徴用者全般に対する補償」を要求し、「他国の国民を強制的に動員することにより負わせた被徴用者の精神的肉体的苦痛に対する補償」までも積極的に要請しただけでなく、1961年12月15日の第6次韓日会談予備会談一般請求権小委員会第7次会議で強制動員による被害補償金を具体的に3億6400 万ドルと算定し、これを含めて8項目の合計補償金12億2000万ドルを要求し、
このような請求権協定の締結に至るまでの経緯等に照らしてみると、請求権協定上の請求権の対象に含まれる被徴用請求権は強制動員被害者の損害賠償請求権まで含んだものであり、請求権協定第1条で定めた経済協力資金は実質的にこのような損害賠償請求権まで含めた第2条で定めた権利関係の解決に対する対価ないし補償としての性質をその中に含んでいると認められ、両国も請求権協定締結当時そのように認識したと認めるのが妥当である。
8項目のうち第5項は被徴用請求権について「補償金」という用語を使用し、「賠償金」という用語は使用していない。しかしその「補償」が「植民支配の合法性を前提とする補償」のみを意味するとは言いがたい。上記のように交渉の過程で双方が示した態度だけを見ても、両国政府が厳密な意味での「補償」と「賠償」を区分していたとは思えない。むしろ両国は「植民支配の不法性を前提とした賠償」も当然に請求権協定の対象に含めることを相互に認識していたと思われる。
そして請求権協定に関する一部の文書が公開された後に構成された民官共同委員会も2005年8月26日に請求権協定の法的効力について公式見解を表明したが、日本国慰安婦問題など日本政府と軍隊などの日本国家権力が関与した反人道的不法行為については請求権協定によって解決されたと言うことはできないとしながらも、強制動員被害者の損害賠償請求権については「請求権協定を通じて日本から受けた無償3億ドルに強制動員被害補償問題を解決するための資金などが包括的に勘案された」とした。
このように大韓民国は請求権協定に強制動員被害者の損害賠償請求権が含まれていることを前提として、それに従って請求権協定締結以来長期にわたって補償などの追加措置をとってきたことが認められる。
といったもので、これら全て韓国人大法官によるものですが、私はそれらの事実認識に賛同するものです。
一方、これらの意見に対して、
上記のような発言内容(大韓民国側が「被徴用者の精神的、肉体的苦痛に対する補償」に言及した事実を指す)は大韓民国や日本の公式見解でなく、具体的な交渉過程における交渉担当者の発言に過ぎず、
とか、
交渉過程で総額12億2000万ドルを要求したにもかかわらず、実際の請求権協定では3億ドル(無償)で妥結した。このように要求額にはるかに及ばない3億ドルのみを受けとった状況で、強制動員慰謝料請求権も請求権協定の適用対象に含まれていたとはとうてい認めがたい。
といった、およそ子供の言い訳じみた弁明が優先されるのは、大法院の判決としてはいかがなものでしょうか。
以上。