はてなキーワード: 劇場とは
https://trendy.nikkeibp.co.jp/atcl/pickup/15/1003590/121900702/?P=4
ネット上の言論は、しばしば極端で根拠を欠いたものに流れがちだと言われる。その要因は複合的だが、「劇場化」「匿名化」「断片化」「無料化」などが挙げられる。
まず挙げられる代表的な原因は「劇場化」だ。現代社会は、誰もが気の利いたことを言えば、瞬時に数十万人に情報を届けることができる社会だ。過激で面白い発言は多くリツイートなどされ、発言者は目立ち、逆に地道で理解に少し時間のかかる発言は敬遠される。
誰も反応しない発言は存在しないのと一緒だし、誰でも他人には認められたい。自然と劇場化し、発言は過激に流れやすくなる。それ自体はどんな社会にも存在した現象ではあるが、それが劇場化と相まって過剰になっているのだろう。
まず前提に置いてもらいたいのは、別にASが嫌いでこういうことを言ってるんじゃないってこと
ただまあ、13年以上も経ってまだまだやろうとしてるのはともかく、先輩面して出張ってくる(おもにPがね)のは疎ましく思うよ
2005年にアイマスが始まってから13年が経ち、現在に至るまでシリーズとしては876、シンデレラガールズ、ミリオンライブ、SideM、シャイニーカラーズが出てきた
とは言っても、2012年にアニメもやったし、2014年に劇場版もやってることから、それらとはほぼ独立して展開を続けてきたのがAS
その間コンテンツとして拡大し続けてきたし、2015年のMOIW2015(西武プリンスドーム)では4万人弱も動員したライブが出来たのは当然のように凄いと思う
一方で、シンデレラガールズ(モバマス)では初期に客寄せパンダとして実装されてたり、ミリオンライブ(グリマス)では正統続編かのようにその存在がピックアップされてきたのはご存知の通り
ゲームではアケマスからステラステージまで、いくつものシナリオが存在してる
そこからやっぱり思うのは、アイドル13人を描くのに必要なものはすべて出し尽くしたと思うんですよ
ゲームもある、アニメも映画もある、ドラマもある、曲もたくさんある
今もASのPをしてる人の気持ちもわからないでもない。俺ももともとそうだったからね
飽きた、と言う表現はどうかなと思うけれども、個人的にはすべて(コンテンツの成長含め)見たいものは見れた、と満足してる
今はミリオンライブのPなんですが、やっぱりその根源からミリオンライブにはASに愛着を持ってる人は多くて、息苦しいなと感じることはある
13年と6年じゃそりゃそうなるわなとは思うけれど、やっぱり今頑張って欲しいのはシアター組の皆にだからなぁ
ミリオンライブはASありきのコンテンツだという人もいるけど、んなこたぁないと思う
その根源の設定が、「765プロが劇場を作って、そこで新しいアイドルをプロデュースする」だから、わからなくもないけど
やっぱりミリオンライブをここまで大きくしてきたのはシアター組の魅力によるところが大半を占めると思う
前述したとおり、元ASのPが多いっていうのは事実なんだけど、そこで止まってたらミリオンライブはここまで大きくなってない
一般的にミリオンライブ暗黒期と呼ばれる、2nd(2015頃)~4th(2017、ミリシタ発表)まで支えてこれたのはシアター組の魅力のおかげに他ならない
運営も頑張ったかもしれないけど、やっぱりユーザー側も散々な目(グリマスの改悪等)に逢いながらもある程度耐えてきた
その間ASは10thライブやゲーム(マストソングス、プラチナスターズ、ステラステージ)の展開に恵まれてたし(そこについてとやかく言うつもりはない)
その一生懸命の報酬にミリシタでシアター組が優先されることのどこが悪いのだろうか
何度も言うけど、ASはその年数から、何度も何度も出番を貰ってきて、たくさんのシナリオとたくさんの曲をもうすでに持ってる
俺はASにもう満足してる
アイドルマスターは常に目標を目指し続けるコンテンツなんですよ
暫くの間、春香コミュからくるドーム公演を目標としており、その目標を達成した今
ASは何を目指すのか、それをもう一度考えてほしい
ステラステージではやよいの親がもし定職に就いていたら?という設定である例からも、もうシナリオ考えるのも難しいんだと思う
やっぱり今思うのは10thで一旦立ち止まってたらよかったと思うよ
出かけると「こういう場所で新人のアイドルなんかが撮影する」とか教えてくれる
最初はふーん くらいだったが、その手の知識披露が何度かあり、あーって感じ
ブクマ結構ついてて驚いた。こんなについたの久しぶり。誰にでも分かりやすい話題だったからだね。
自分も昔アイドル好きだった時期はあるけど、それこそ学生の頃だったし、バカバカしくてすぐやめてしまった。お布施する金を自分に使うべきだと思ったし。
万が一結婚して共有のお金を使い込んだ先が地下アイドルだったら、とか考えたらもう引きまくった。不倫よりギャンブルよりも引く。
去年の1月に雪組の望海さんと真彩さんのお披露目公演を、東宝で見てから
だけど、このファントムだけはライブビューイングで見よう!そう決めていた。
公演中はもちろん大号泣だし、終演後はもぬけの殻になってしまうほど感動した。
望海風斗さんと娘役の真彩希帆さんの歌唱力がまさに圧巻だった。
でもさ‥
あぁ、また、だいもん 死んじゃった‥
最後は苦しみながら、でもヒロインの愛に包まれ、死んでいくものばかりのような気がする。
(といってもまだ二作品だけだけど)
原作通りの結末ならまた死んじゃう‥。
望海さんの苦しそうなお芝居を見るたびに、お願いだから生きて幸せなラストが待っている演目にして欲しい。
と、知識の浅い私は思うのでした。
※本文には「コードギアス 復活のルルーシュ」のネタバレを含む。
10年前のR2放送時物語が終盤に差し掛かり最終回というものを意識した時、本当に比喩ではなく毎週の楽しみであり、
生き甲斐だったコードギアスが終わるという切なさを感じつつ、その分素晴らしいものをみれるのではないか
という期待感もあった。
この素晴らしい物語が終わってほしくないという気持ちが重なる、そんな期間だった。
ルルーシュがスザクと行った本当のゼロレクイエム、ナナリーがフレイヤでやろうとしていたこと
この二つの類似性に打ち震え、あの悲しい最後のシーンはルルーシュ・スザク・ナナリーの物語を終わらせるにふさわしい、
素晴らしいもので、それまで見てきたどんな作品の最終回よりも美しいと思った。
それまでの話数は放送後何度も見返したが、
私にとって不可逆で不可侵の素晴らしい思い出だった。
最終回放送から8年後、西暦2016年にそのコードギアスが、ルルーシュが復活するとの特報が出る。
思い返せば亡国のアキトシリーズの放映や、パチンコ化などのメディアミックスの情報は、
アニメ放送後も途切れることはなく、コードギアスは死なないコンテンツになったのだと気付くべきだったのかもしれない。
情報は少しずつ鮮明になり、総集編としての劇場版3部作が放映されたのちに
与える変更点を加えつつ次々と公開していく。
そしてルルーシュが死んでから10年がったった昨日、西暦2019年2月9日、平成最後の冬に
ルルーシュは死んだのに。
美しく、そして気高く世界から憎しみを無くすために文字通り命をかけた主人公は
もういないはずで、それでも世界は続いていたのに。
復活
肉体が蘇るわけではないよ。
ルルーシュがいない世界で必死に、彼が求めた願いを実現するために
それでもよかったのではないかと考えた。
だがし復活したのだ、
策を練り、有無を言わせぬ迫力で味方を鼓舞し、指示を出す。
あれがルルーシュだということに異論を唱えるファンはいないだろう。
それほどまでに素晴らしくルルーシュだった。
詰め込まれており、それでいて色褪せない、新鮮さも感じることのできる、素晴らしいストーリだった。
完結した作品であるはずという思いが強い人が多いのではないか。
感情を抱いていた。
だけれども、観て、楽しんでしまうのだ。
どんなに抗おうとしていたとしても、
観終わった後に私がどんな感想を抱こうが、
それは全くもって否定できない。
観ないわけにはいかない。
すぐに決めることはできなかった。
少しでもこの胸のつかえがとれないかと
監督のインタビューのタイトルに「批判を覚悟で制作に踏み切った」とあった。
冷静になってみればそれはそうだろうという感想だ。
物語を美しく終わらせるのではなく、
解釈する私の様な人間から批判が出るのは覚悟していただかなくてはならないだろう。
とらえている人が多いように感じる。
また、劇場でも終幕後に涙を流し、
良かったと感想を漏らす人も多くいた。
どんなに賛否両論の意見が出たとしても、「賛」の意見が出続ける限り
今後も興行収入を伸ばし続けるであろう。
向けられる覚悟がないといけない。
「撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけ」だ。
しかし、「復活」でルルーシュはこのセリフを否定するかのような言動を行う。
C.C.と同じ、撃たれてもその命を失うことがない
L.L.にはその覚悟がない。
人とは違う理で生きている。その悲しさを物語っているのかもしれない。
円盤を購入するという行為に我々は「支援」という意識を持って行っていたと思う。
我々の支援なしには生き続けることができないと、
その支援が乏しく、延命や繁栄をすることができずに死んでいったコンテンツを
観ていたからこそ、そうした感情が行動させていたのではないか。
私が「復活」を劇場で鑑賞した際に
本作でも重要な役割を担う「玉城真一郎」のクレジットを見た時だ。
ご存知の方もいると思うが、「玉城真一郎」をTVシリーズで演じていた、
もちろん総集編の劇場版で「玉城真一郎」を演じた演者の方の演技は
素晴らしく、引けをとっているだとか、優劣があるといいたいのではない。
その悲しさは、当然のことながら亡くなった人はもう「復活」しない
実際私もそうだった。こんなことを書くと現実とフィクションを理解していないと
否定されそうではあるのだが、私が10年前に愛した「コードギアス」には
壮大で近未来的なSFとしての要素もありながら、リアリティがあったのだ。
死にゆく人間を救うことはできない。そんな現実を突きつけられるような、悲しい物語だったのだ。
だからこそ私たちは最終話でゼロの剣に貫かれたルルーシュを見たとき、
そこにリアリティを、死んだ人間は蘇らないという現実をフィクションの
私は10年前の最終話でルルーシュの死によって完結した素晴らしい物語を
味わうことができたこと。
デザートのような続編を味わえたと、いうところだろうか。
何とか消化吸収に努めないといけないのだろうか。
吐き出したところで、何にもならないのだから。
同じく「死なない」コンテンツに「復活」した。
わたくしは画面以外視界に入らないぐらい、大迫力で観るのが一番好きですの。いつもできるだけ前方の席を予約するのですけれど
インターネットで調べると、庶民の方の間では劇場の後方で観るのがグッドとされているようですわ
どんなにスクリーンが大きくてもそれを遠くから見るのでは、わたくしの家のホームシアターよりも迫力が足りませんわ
たくさんのご意見感謝いたします。わたくしと同じ考えの方が結構いらっしゃったので安心しましたわ
コトブキも見た
なんか無いか?迫力ある系に限らなくてもいいぞ
hamacheese 視聴環境にこだわる人間が“でかいモニターと高いスピーカー”なんて言い方する訳がない
こいつなんなの?
こういう人間が世の中にいるって事実がマジで気持ち悪いんだが。
でかいモニターを買ったからでかいモニターを買ったって言っただけだし、高いスピーカーを買ったから高いスピーカーを買ったって書いただけなんだが。
例えば「LGの50インチ有機EL4KテレビとJBLのトールボーイスピーカーを買ったから捗るアニメ教えろ」って言えば視聴環境にこだわってることになるのか?こだわってる人は絶対そういう言い方するの?マジで言ってんの?
気持ち悪すぎだろコイツ。「環境がよくなったから良い環境に映えるアニメを教えてくれ」が本質なんであって、LGも有機ELもJBLもどうだっていいだろ。一々言わなきゃ満足しないのか?
「でかい」「高い」で十分伝わるし、簡潔に伝えたほうが都合がいいからそうしてるのに、些細な言葉を捉えて「こいつは実は視聴環境にこだわってない!嘘つきだ!」って一々コメントしてくるの、マジで寒気がするわ。どうやって社会生活を送ってるんだ?教えてくれよ。 ID:hamacheese こうすればいいのか?答えてくれ。
ARIA→めっちゃ好きだから宝物を探してとか特に好きな話だけ見たけど、1期2期あたりはさすがに昔のアニメ感があってそんなに大画面には映えなかったわ。AVVENIREはさすがにすごい。音響は無条件で良いわ。
サザエさん→アニメの話してるとこういうコメントしてくるやつなんなの?会話に入れないなら黙ってればいいのに。会話に入れないのはちょっと寂しいかもしれないけど、サザエさん!wとかクソみたいなコメント残すよりは黙ってたほうがマシでしょ。アニメに興味ないなら別に反応しなくていいんだぞ。
ヨコハマ買い出し紀行→さすがに昔のアニメだから大画面だと微妙だわ。リメイクしてくんねーかな。ああいうの今ブームでしょ。
よりもい→あれ以外と大画面に映えるシーンってそんなに無いんだよね。結構枚数が少ないから大画面で集中してみるとなんかなーって感じは否めない。話はめっちゃ好き。
シドニア→確かに楽しいかも。オープニングも高いスピーカーで効くとすごそうだわ。
蟲師→忘れてたわ。見る。
けいおん!→京アニの最近のアニメは大画面だとすごそうだな。見てみるか。
アフィコピペ→増田なんてたいてい反応一つも無いんだからこんなところでアフィコピペの原稿作るわけ無いでしょ。効率が悪すぎる。2chでも使うわ。
ユーフォニアム→リズと青い鳥が良かったから見てみたいけど長いからなんとも言えないんだよね。一歩踏み出せないわ。
カウボーイビバップ→実は見てないんだけど劇場版から入ってもいけるか?
DYNAMICCHORD→お前はネタで言ってるのかもしれないけど、面白いらしいから大画面とか関係なく見るつもりだわ。
リズと青い鳥→家の環境だと半端すぎて逆に映画館で見たくなりそう。
ヴァイオレット・エヴァーガーデン→湖の上走るところとかすごいだろうな。アクションもあるしかなりいいかも。見てみる。
宇宙よりも遠い場所→ざまあみろのところ、買った直後に見たけど、意外と枚数とか少なくて、映像美に注目して見るとわりと肩透かしなんだわ。話はめっちゃ好きなんだけどな。
君の名は→4Kあるんだ。でもUltra HD Blurayが再生できないんだよな。
フリップフラッパーズ→うわ、絶対楽しいな。見るわ。
良いスピーカー買ったらオーケストラ聞いたほうが幸せになれる→こいつ頭イカれてるのか?スピーカー買ったら音楽も一通り試すに決まってんだろ。なんでアニメか音楽かどっちかしか楽しめないって思ってるのか謎だわ。今はアニメの話してるんだからアニメの話しろよカス。好きなハンバーガー屋の話で盛り上がってる集団に「メシ食べるならフレンチ食ったほうが幸せになるよね」とか言って入っていって嫌われてそうだなお前。気をつけろよ。
灼熱の卓球娘→オープニングもすごいだろうな。見てみる。
メイドインアビス→あれ話が嫌いなんだよな。
ゆるキャン→背景やばいしBGMもすごいから絶対良いな。見るわ。
この世界の片隅に→ちっこいモニターよりはでかいモニターのほうが絶対いいだろうけど正直劇場で集中して見たい気持ちもあるわ。
LGの有機ELに50インチは無い→LGもJBLも例えだから。実際は違う環境。本当のこと言うとウザそうだからそれっぽいこと言ってるだけな。そんな感じの環境にしたのは事実。
大阪人に聞いてみたんだ。そしたら言われたのは、
まあ、これも一理あるっちゃあるし、事実売れないのよ。
東京の劇場で吉本芸人が「大阪名物パチパチパンチや!」って言っても
「ここは東京なのになんで『大阪』?」なんて意味不明な因縁つける人間はおらんぞ
一昨日、めちゃくちゃに楽しみにしてた舞台が公演中止になった。2日経ってもクソエモ感情がもう止まらないので、支離滅裂でくそ長いけどお願いだから吐き出させて欲しい。本当に辛い。
開演の1時間前に、ブログとツイッターで主演俳優にドクターストップがかかって予定されてた土曜日と日曜日の合わせて3公演の公演中止が発表された。
物販も買って、会場特典も引き換えて、会場の近くで食事をし、じゃあそろそろ劇場に行きますか!というタイミングだった。
土曜日2公演、日曜日1公演あり、私達はそのうち土曜日と日曜日の1公演ずつのチケットを持っていた。もってたチケットどちらも公演中止になった。
このために作った時間と馬鹿にならない交通費をかけ遠征してきた公演全てが、振替公演もなく、チケット払い戻しで、全て、公演中止。
楽しみだね!とワクワクしながら過ごしていた雰囲気が一気にお通夜になった。お昼を食べた会場近くのお店で呆然としながら公演中止の旨を伝えたツイッターの文章を読み返して、これは現実か?悪い夢じゃない?とこの状況を受け入れることがそこそこいい大人だけど全然出来なかった。
舞台を好きな人はもうわかっていると思うけど、中止になったのアプリゲームの舞台化である、あんさんぶるスターズオンステージ!の5作目。
今までの公演は、いくら自分に時間と金銭的な余裕があろうがなかろうがチケットがとり辛かった。私の場合はだけど、何とか頑張って(あと運で)それぞれの興行にやっと1公演くらい行くことができるって感じ。
けど、今回の公演は何やかんやあって(これ書きはじめたら同じ量の記事がもう一個できる)チケットが手に入りやすかった。しかも何と、今回とれたチケットが前から10列目以内の通路席。今までのチケット難だった公演からしてみたら、前方通路席なんて夢のまた夢だったから、ゆ、夢って叶うんだね!!!って嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。本当に、とても楽しみにしていたんだよ・・
それが、公演中止ですよ。もう本当にびっくり、びっくりしすぎてあーとかうーとかいう声しかでない。チケットが払い戻しとか遠征費とかもうどうでもよくて、金の問題じゃねぇんだ!!!!っていう気持ちだった。
もうどうしようもなくやるせなくて、とりあえず梅田芸術劇場の前まで行ったんですけど、同じような人達が沢山集まってるんすよね。泣いて顔をおおってる子もいて、お通夜も超えてもうお葬式。黒い服でも着てくれば良かった。
まだ公演中止の事実が受け入れられなくて、でも俳優さんや運営を責めたい訳じゃなくて。誰も悪くないけど、楽しみにしていた舞台が観れないということがただただ悲しい。この悲しみ、悔しさをどうしたらいいか分かんねぇ
梅田芸術劇場の前で、スタッフさんが公演中止の旨を伝えていても、それでも受け入れられなくて、会場前から離れることができない子達が沢山いた。私達もその1人だった。公演中止をアナウンスしていたスタッフもさぞ心苦しかったと思う。
公演中止のアナウンスからしばらくして、キャストの俳優さんたちのツイッターで「まだ帰らないで」「もうちょっと待ってて」的な内容のツイートがされた。会場前はざわつき、そのツイートをみたであろう人達も会場前に集まってきて結構な人数になってきた。しかし、会場前の公演中止のアナウンスはやまず、運営のツイッターも音沙汰がない。観ることが出来ないという、やるせなくてどうしようもない悲しさの中で、もうなんでもいいから誰か私を助けてくれという気分
公演中止発表から2時間、公演開始だった予定時間から1時間ほどたったくらいに、急遽だが出演できる俳優でトークショーが開催されることが発表された。その旨が会場前に張り出された時、ささやかだが拍手が起こった。公演中止を受け入れられなくて何かに救いを求めていた私は、その事に物凄く救われた。
賛否両論目を通した今でも、チケット払い戻しにも関わらず無料でトークショーを開催し、リスクも批判もある覚悟で開催してくれた運営と、何とかしたいと声を上げて行動してくれたキャストに感謝です。ありがとう。
トークショーは、初めに運営会社のオノです(役職も何も言わなかったのでよく分からんが今回の運営側の責任者的な人か?)という私服のおじさんがでてきて謝罪、今回トークショーはキャストから声が上がり急遽決定したので、何かとほころびもあるかもしれないが楽しんで欲しい、 という挨拶があった。トークショーは楽しく、悔しい気持ちもあるだろうにキャスト達も笑顔で、そのキャスト達の元気な笑顔をみることが出来て、うちわもペンライトも振れて、底の方にあった心がちょっと浮上して、来てよかったな・・・と思った。
とはいえ、めちゃくちゃに終わった後虚無感がすごかった。今もめちゃくちゃに虚無。キャストも運営も頑張ってくれたし誰も責めたくないしどうしようもないことも本当に分かってるんだけど、観たかったなーという悲しい気持ちが自分勝手かもしれないけどどうしても拭いされない。
私は生身の人間が目の前で芝居を演じる舞台が好きで、生であるからこその熱量や毎回の新鮮さが魅力で、舞台という趣味を続けてきた。けど、その大好きな部分はリスクでもあるんだってことをこの事でやっと気づいた。災害や病気や怪我での公演中止、俳優さんの代役、可哀想に、大変だ、と思いつつ今までどこか他人事だった。好きな俳優さんがよく千秋楽のカーテンコールで話してる、「誰1人欠けることなく公演をやりきることができた」という言葉の重みを今噛み締めてる。
結構なトラウマになったので、これから観劇は余程の時間や金銭的な余裕があって、いろんなリスクも加味した上でじゃないと行けないな・・・
あーっ!やっぱりみたかったなー!!
この「男はつらいよ」は、そんな真面目に、肩を張って見る映画ではない。
映画の中では様々な笑いを呼ぶコントやセリフや動作がちりばめられている。
そして、ストーリーの中で、「寅」はダメ男の一つの典型として描かれている。
ダメな男が結局ふられる喜劇。山田監督もそんな馬鹿なストーリーの喜劇は1回で終わりだろうと思って作ったと証言している。
ところが劇場で大ヒット。映画館で笑いの渦。思いがけない反響に松竹が予定外に続編を作り続けて48作まで続いた。
昭和のサラリーマンは日本のため、家族のために日々身を粉にして働いた。
一生懸命働いても会社(上司)から文句を言われ、家族から文句を言われる事もあるサラリーマンにとっては、ダメ男の寅を他人のように思えなかった。そして、最終的に家族や隣人の愛に包まれる寅を羨ましいと感じた。
時代背景もあるが、労働で忙しく働いたけれど報いが少ない苦労の日々を過ごした経験がなかったり、会社や家族から冷遇された経験がなかったら、寅を身近に感じる事はできないだろうし、また、家族や隣人の愛が大切だとも思わないだろう。
映画は割と行くほうだが
・ああいう食べ物は包み紙が始終ガサガサ鳴るのであんまし良くない
・マックがどうか以前に、あの手の食べ物を持ち込んで喰おうとする人はそもそもマナーがない人が大半なので逆説的に駄目
・アニメ(児童向けじゃないやつ)の劇場だと食べ物どころか飲み物すらNG状態で面白いから1回行ってみな。呼吸音すら禁止みたいなオーラがある
「女にはどうせ本物のエンタメなんてわからない。劇場でキャーキャー若手を甘やかす女がお笑いを腐らせた」
そう言った彼は、芸人の家に知らない人間が忍び込む企画の無断転載をリツイートしていた。劇場は女ばかりだから実際に行ったことはないそうだ。
「最近はアニメの女の子の絵が市役所のポスターに描かれててねぇ。公共の場に貼るには品がないと思うのよ」
地元のおばさんは世間話ついでに昼ドラを勧めてくる。こじれた人間関係と、お気に入りの俳優のセクシーシーンを昼間から見られる所が楽しいのだと言う。
彼らは自分の発言と行動に違和感はないのだろう。むしろ精神状態はすこぶる良好だ。自己を省みないということは、精神衛生上の最適解と言ってもいい。
しかしたとえ自分が苦しくなるとしても、ある程度の客観的な自己分析は必要だと思う。気付かぬうちに、自分が棚上げばかりの醜悪な存在になりたくないのなら。
私はそういった教訓を胸にTwitterを開いた。タイムラインでは流行の女性向けコンテンツのファン同士が言い争っていた。
『最近の女性向け界隈、二次創作のハードルが低くなったのもあるけど民度ヤバない???個人サイト時代はみんなネットマナー読んでたし、そもそもネットできる層が限られてたから民度も』
私はそこまで書き、少し考えて下書きを削除した。