はてなキーワード: 価値とは
面白い指摘だが、絵柄の価値の毀損というよりは自由市場競争で価値が下がったように思える。
私は、お絵描きAIという強力な絵描きが参入したことで、絵の進化自体が加速してると見る。
未来はより洗練された魅力を持つ絵が生き残っているハズだ。
読んでくれてありがとう。
でもこれは喪女を回避したかったという話ではないんだ。ひとりでいることに納得してるつもり。でもそのせいで経験不足な自分が情けなくなるような感覚の話でした。
告白してくれた人の中にはたぶん良い人もいたけど、顔と名前くらいしか知らないのに好きだと言われても困ってしまった。でも試しに一歩踏み出していれば違ったのかもとは思う。申し訳ないことをしたとは思う。
少なくとも私にとっては身体を求められるって恐怖でマイナス。親しくもない人に求められたって嬉しくはない。そうじゃない人もいるだろうけど。
人並みに仕事をして、成果を出せる環境があるってことがあなたが求められている証拠だと思うけどな。
それが恋愛に繋がるかは分からないけど、少なくともあなたは無価値じゃないよ。女であることしか求められなかった私からすると羨ましい。
言っちゃ悪いけど
どこかの段階で妥協して誰かしらと付き合えば、少なくとも喪女回避出来たじゃん
って思っちゃうんだよなぁ
いなかったとしたらゴメンなさい
人並みに仕事頑張って、成果を上げても、異性に求められた事が無い
異性からは何もしてない内から薄っすら警戒されたり、嫌われている
全ては自分に魅力が無い事が原因だと、悪意を向けられる事すら「お前が悪い」と罪悪感を強いられる
異性に求められる価値が無いゴミクズだって自分自身を呪いながら生きるのを強いられる
それが喪男
それなりに悩んでいるのは分かるけどさぁ
ご指摘ありがとうございます。おっしゃる通り、円高には確かに多くのメリットがあります。特に消費者の立場から見た場合、円高のメリットは非常に大きいと言えます。以下にその利点をまとめてみましょう:
1. 購買力の向上:
- 輸入品や海外旅行が割安になり、消費者の選択肢が広がります。
- 日用品や食料品など、輸入原材料を使用した製品の価格も下がる可能性があります。
2. 貯蓄の価値保持:
- 円の価値が上がるため、貯蓄の実質的な価値が保たれやすくなります。
- インフレリスクが低下し、将来の生活設計がしやすくなります。
3. 投資機会の拡大:
- エネルギー価格(石油、ガスなど)が下がる可能性があり、光熱費の負担が軽減されます。
5. 海外旅行の促進:
- 海外旅行が割安になり、より多くの人が海外経験を積める機会が増えます。
- 日本企業の海外進出や海外企業の買収が容易になり、長期的には日本経済の競争力向上につながる可能性があります。
確かに、消費者の立場から見れば、円高には多くのメリットがあります。特に、円安時に感じていた「貯蓄の価値低下」と「物価上昇による購買力低下」という二重の問題が緩和されるという点は重要です。
ただし、経済全体としては、輸出産業への影響や海外からの観光客減少など、考慮すべき点もあります。しかし、個人の生活レベルでは、円高によるメリットを直接的に感じやすいのは事実です。
ご指摘いただいたように、消費者にとっての円高のメリットは非常に大きく、生活の質の向上につながる可能性が高いと言えるでしょう。経済政策を考える上でも、こうした消費者の視点は非常に重要です。
それはそうなんだけど、今まで出会った人はみんな突き詰めが甘い
流石にガチ論文は読んでないけど、新書とかだとガチ哲学者もそっち方面では諦めてて(というか、その後の経緯にこそ注目してる、まあ価値も興味もあるし)、
ずっとモヤモヤしてたんだけど、先週ぐらいにバチっとピースがハマった
考えたところで何に活かせるかわからんけどね
道は渋滞しているし
昼飯はどんな店も並ばないといけないし
繁華街行けばろくに休むところもなくて、喫茶店に入ればそこでも席がなかったり
みどりの窓口も並ぶし、役所行っても待たされるし、病院だってジジババだらけで待っている時間の方が長い
それが普通と思って生きていける人はいいのだろうけど、「どうせこれだけごちゃごちゃいる人間のうち7割くらいは大して価値のないいてもいなくても変わらないような人間なんだろうな」と思ってしまうと他人が邪魔にしか思えなくなってしまう。
他人が多過ぎるせいでそういう十把一絡げで軽んじられて安い扱いを受けて不便な生活を強いられている状況に、他の人はどう考えてどう適応してるんだろうか。
上手く適応できている人たちに教えてほしい。
この記事は、2000ものブクマがつき、他人を煽ることしか能のない無職ゴミニートの煽りカスと違って何万人にも読まれて役立って最高に価値がある記事ですw
女へのあこがれは未だに捨てられてない
女性であるということそのものが価値であり武器であるなんて羨ましいに決まっている
女装だとか性転換だとかそういう話も出るのかもしれないけど、結局そんなの偽物でしかないし、あと俺は面長なのでこの辺が致命的に似合わない
タイトルに対しての答えは否だ。
既に多くの絵描きは何らかの形で使用した経験があると思うが、その中でほとんどの人の結論はAIは正直ツールにしかなり得ないになっていると思う。
勿論そうじゃない人もいるけど、少なくとも自分の絵(※拘りや個性)を持っている人はなんとなく理解できると思う。
自分の苦手な部分や、絵に足りないものがなにかを考えた時にAIはある程度の参考にはなる。
でもある程度であって、完璧な参考にはならない。何故なら、AIイラストはAIイラストにしかならないから。これを説明するのは難しい。
特に自分の絵が何となくではなく、限りなく完成されている人であればあるほど、AIとのズレに生じる違和感が気になると思うし、
AIだけだとどうしても自分の絵にならず、AIよりも自分が描いた方が納得のいく良い絵になることがほとんどだ。(絵のレベルによるが)
パッと見の綺麗さ、生成速度はAIには敵わない部分はあるけど、それのみ。
ゆえにAIで時短できるところは時短するけど基本自分で描くし、あくまで参考にしかならない。
AIはそれっぽい資料を見つけるためのツールとして優秀なのであって、所詮はそれっぽいものしか出てこない。
ちゃんとしたものは、AIではなく本物じゃないと分からないし、表現出来ない。
それっぽいものと、ちゃんとしたものとは全然違う。沢山絵を描いたり、見たり、仕事にしてる人はそれに気づいてる。
また、仕事先は基本AI利用は禁止としているところも多い。(契約書や資料に記載がある)
基本発注資料にAIを参考画像として載せてこんな雰囲気の絵で、や構図で、ポーズで、と指定されることはあっても、AIで出力してもいいですよ!とはならず、AI生成使用NGが多い。
理由としては、リスクを背負いたくないから、と言う点が挙げられると思う。
ただ、それとは別に長い目で見た時に、イラストの著作権も持っている企業の場合、ある程度AIで賄える部分については仕事は減ると思ってる。
現状、AIイラストを一番利用したいであろうキャライラストをメインコンテンツの一つとしている企業(ゲームや漫画)については、作者とそのキャラ絵柄の個性がかなり深く結びついている為、それを生み出した作者が虐げられるような状況になれば、いい結果に結びつかないことは容易に想像できる。
長期的に見ても人気のクリエイターであればあるほど、そのような企業にはキャラを提供しなくなるだろうし、今は個人でも稼げる時代なので困るのは企業側になってしまう。
では、背景はどうか。
ゲームの場合、世界観設計の段階でコンセプトアートや街並み、どんなデザイン設計とするかが割と重要なのでこれも基本AIでイメージ出し、そこからこんな感じでというふわっとしたイメージを形にできる目と力のある人が世界を作るので、やはりすぐには無くならない。
漫画の場合はどうか。これは世界観設定による。ファンタジーや凝った世界観ではない場合、背景はそこまで重要じゃなくなる。いや、本当は重要なんだけど見る側はそこまで背景に注目しない可能性が高い。この場合においては一部置き換わるだろうが、しかし絵柄によって背景も変わるもので、それをAIが全て賄えるかと言えばそうでもない。人間の目なのか、絵を描いているからなのか分からないけど、無意識に異物が混ざっていることに気づく。そうなると、途端コンテンツに集中できなくなることも多い。
漫画は特に、書き込むバランス、量、文字の配置、フォント、シーンによっての書き分けなど多種多様だ。全てがデザインなのだ。
流れが大切なので、その流れを遮る要素がちょこちょこ挟まれたら気になって集中できない。
違和感のバランスをみる目がある人が上手く手間を省くために使うツールとしてAIは有用だけど、何となくここにこんなイメージでという使い方にしかならない。
見る目がない人が使うと、その違和感に気づけないのでなんでこの場面でこの作画に…?とほぼほぼなると思う。影とかも。
だから、悲観してる暇あったらAIでもなんでも利用して自分の画力は勿論、それ以外で生活するために賢く立ち回ればいいんじゃないかと思う。
AIはそれっぽい資料として見るなら使えるツールだし、それっぽい資料を使うにもちゃんとした目は必要だから加筆トレスも見る人が見ればわかる。バレる。
どんな大御所だったとしても、プロの絵描きの中では基本あれはAIトレス、加筆だねとバレる。
そうなるとフリーランスは信用も大切なので、AIじゃないですよと嘘を言われたら一気に信用も無くすし、案外絵描きと企業も繋がっていて情報共有されたりもする。
個人の場合は、バレない限り生きながらえるんだろう。あるいはバレても、信者がいればどうにでもなったりもする。けど炎上はするし、それでも気にしない図太さがあれば案外生き残ったりする。しかし結局ただこれも長続きはしないと思っていて、どこかで破綻する日が来るし、過去のそういう汚点部分に対して寛容な世の中も、終わりが近づいている肌感覚はある(漂白される)
気づいたら淘汰されてる。
案外、SNS等であまり目立たない人の方が息が長く続いてるし、実績もあったりする。
新しい絵柄開発してもすぐ食われるから売れなくなる、も認識が間違っていて、その絵柄が個性的であればあるほど、本物の価値が高まりやすい。
ブランド品みたいなもので、本物の価値はそこまで変わらないんだよね。
勿論、偽物でも欲しい人はいるので偽物でも安いしそれっぽいから買う!という人も必ず出るけれど、この作者が生み出した新しい作品という価値は生み出さないのと、偽物につくファンは偽物の人のファンではないので、すぐに他の話題のものへ移りやすい。
そういう流行りものをずっと追って偽物を作り続ける執念は維持できるのか、というとそれも難しい。
そしてその偽物を簡単に誰しもが作れるようになればなるほど、その偽物を作る人の価値は当然無くなる(みんなできるから)
これが、長年自ら絵を描いてきた執念を持ち合わせた人なら、今後さらにAIも上手く利用しつつ自分の絵に活かしていけると思ってる。
対立すべきなのはAIを使用して創作の邪魔をしたり正しい資料を見つけにくいようにする人達や、著作権のあるデータを無断で学習させたモデルの入った有償サービスを提供している事業者側であり、そもそも営利目的ではなく、あくまで学習用途のみなら、ここまで問題にならなかったように思う。
長々と書いたけれど、こんな理由でAIと作家は対立構造にないよね、というお話でした。
今のクリーンでは無いAIを営利利用するのがOKです、となってしまうとそれはイラスト分野以外でも問題ごとが増える気がしているので、そこは否定したい。
ところで、AI推進してる人は自分がAIで自分の絵柄だ!と思って生みだした絵柄や構図を他の人にそのまま取られても界隈盛り上がるならいいよね、となるのか否定的な気持ちになるのかどっちが多いのか聞きたい。AI推進するならもちろん前者が多いと思うけど、どうなんだろう。
自己肯定感が低いと他人を傷つけてしまうことにようやく気が付き、自己肯定感が低いのをやめたくて、頭を整理するために書き連ねる。
自己肯定感の低さで友人に「ちゃんと連絡、報告をして」と怒られた。
この友人に怒られたのは初めてだが、同様の怒られ方を複数人にされたことがあり再犯である。
「〇〇が終わったら連絡しようね」と決めていたが、「連絡しなくてもどうせ明日の朝確認するし、わざわざご連絡して通知に出てきてしまうのも悪いしな」と返事をしなかったり、毎朝前述の確認を含めた通話をしている時に、「向こうも忙しくて他のこともやってるだろうし、私も他のことやりながら返事しよう」としていたのが相手に伝わったことが原因である。
「ちゃんと返事して、返事ができないときはできないことの報告をして。それが一緒に活動をしている人間に対しての誠意だよ」と言われ(悲しくも私はいい大人になってまでこんなことを言われないとわからない)、どうして自分が連絡ができないのかを考えた。
①連絡に対するハードルが非常に高い
②自己肯定感が低く、他人からどうでもいい人間だと思われているという思い込みから、自分の話を相手に伝えることを迷惑だと思っている
おそらくこの2つが原因だと思う。
①についても課題があるが、自己肯定感を上げることでハードルが下がると思うので、②について考えたい。
単純に考えれば、自己肯定感が低いなら他者をすごいと思っているのではないかと思うが、実際は逆である。
しかも厄介なことに、私のパーソナル空間に近付くほど、アリ地獄かのごとく他者への肯定感が下がっていく。
まず、すごいと思う他者とは仲良くできない。
なぜなら「私なんかがこんな素晴らしい人の時間を奪ってはならない」となるからである。
ただし厄介なことに、素晴らしい人間だと思った上でその人と気が合うと、仲良くしたいと思ってしまう。
するとどうなるか。私が隣にいてもいい人間だと思いこみたくて、相手を見下せる点を必死になって探し、「この人はここがダメダメだから、私が隣にいても大丈夫だ」と思い込むようになるし、実際に見下していたポイントが実は誤っていて、本当はその点においても優れた人間だとわかると、「裏切られた」と思って離れたくなる。
この特性によって今まで何人も傷つけてきたので、懺悔の覚書として実体験を書いていく
・友人に秘密にするようお願いされた上で打ち明けられた内緒話を、すぐ他人に話してしまう
「なんで言わないでって言ったのにばらすの」と言われたが、「だって私なんかに打ち明けてくれるようなことだし、(私より価値が高い)A子に言ってもいいかなって…」と答え、完全に絶縁してしまった。
もちろんA子にばらしたい思いなどはなかったが、A子から「さっき何話してたの教えて」と粘着され、嘘がつけないことも相まって言ってしまった。
それ以来、例え秘密にしてねと言われなかったとしても、他人の情報を話すことはしないようにしている。そもそもA子のような人間が周りにいなくなったことも幸いしているかもしれないが。
また、「自己肯定感が低すぎると自分を大切にしてくれている素晴らしい方々のことも大切にできなくなる」と思い、しばらくは自己肯定感を高めるよう意識していた。
5年ほど経って環境も変わり、別の友人から夏に「この映画気になってて、よかったら一緒に行かない?」と誘われたが、「その映画、あんまり良くないってSNSで見たから遠慮しとく」と断ってしまった。
今思えばもっと良い断り方があったし、断るにしても別の代替案を出せばよかったと思うが、その頃はとにかく自分みたいな底辺と付き合ってくれている底辺仲間だと思っていたから、適当な扱いをしても良いと思っていた。上記のほかにも、一週間くらい平気で連絡を返さないので、「連絡するの遅いね」と言われたが「連絡するの苦手でごめん、彼氏にもこんな感じだから」と謎の言い訳を繰り出しドン引きされた経験もある。
その後、環境の変化で別のコミュニティに属すようになってから見違えるほどに素敵な人になって、「私がつるんでいい相手じゃなかった」「この人の青春を潰してしまった」と思って必要最低限の関わりにしていたが、この友人はいまだに仲良くしてくれている。昔よりは彼女のことを尊敬しているが、いまだに自分以下の点を思い出しては安心している。
・仲良くしてくれた先輩に対して失言と上から目線のアドバイスをしまくる
とにかくすごい先輩で話も面白く、近付きたい一心で話しかけ、2人で遊ぶまでの仲になったが、そんな先輩に対して自分が隣にいてもいい理由を常に持っていないと不安で仕方なく、ダメなところを探しては馬鹿にしたり、背景も何も考えず「もっとこうした方がいい」などのアドバイスを厚顔無恥に晒していた。
上記で思ったことだが私はとにかく厄介な人間で、他人を落とすのが非常に上手い自負がある。特に友人の少ない高い地位の人が好きで、仲良くしたいと思った人間をアリ地獄に連れ込むことは得意だが、アリ地獄の中で
増田さん。この映画は、未来から送り込まれたサイボーグ、ターミネーターが人類のリーダーを守るために過去に戻り、壮絶な戦いを繰り広げる物語です。
アーノルド・シュワルツェネッガー演じるT-800が、標的であるジョン・コナーを守るために自己犠牲を払い、最後には溶鉱炉に身を投じるシーンが特に心に残りますね。
この映画のように、増田さんが対峙する「ヤバイ上司」や「ヤバイ客」は、まさに現代社会での敵かもしれません。
しかし、それを乗り越えられる強さ、そしてその経験から得られる成長も、また価値のあるものです。
だからこそ、そのメンタル負荷や治療費を数値化し、可視化できることが必要だと思います。
>話が噛み合わないだろう?
単にそちらが噛み合わせる気がないか能力がないかにしかみえないけど
>「なぜなら「恐怖」してるからだ」
これどこで言及したつもりになってたの?というか「お気持ち」で正当化するつもりでいたの?
オタクどもへのありがたいアドバイスのつもりなのかもだけど価値も意味もゼロだよ
>割れ窓理論的に街を浄化することを、お前らオタクも容認するはずだ
なんで割れ窓理論が意味ない理屈だって指摘をスルーしたの?そんな効果が否定されてることを容認するはずなんて言える思考は何?
綺麗事も御託もなにもメリットがないことに無駄にコストをかける理由はゼロ。発端のいかに性被害を減らすかという話なら意味あるところにコストをかけるべき。それなら俺は賛同するよ。
『「見かけ上」社会的な安全を演出』する方法がエロ表現の自粛のみみたいな展開も下手なミスリードでしかないし、
そもそも発端はイニシャルDを持ち出してどう実際に影響するかを語ってたのに、「フェミのお気持ちが大事だ」「オタクはありがたく俺のアドバイスうけとめろ」に着地すんの?
若い世代の女性や海外にすらすっかりオタク文化が馴染んだ今の時代にごく一部の中年フェミの根拠ゼロのお気持ちにつきあえってのがそもそも滑稽な話なんだよ
ご指摘の通りです。遺伝子だけでなく、エピジェネティクスや神経可塑性が脳機能や行動に大きな影響を与えることが科学的に示されています。
ニューロエピジェネティクスの研究により、環境因子、ストレス、学習、薬物への曝露などが神経系のDNA構造制御に影響を与えることがわかっています[1]。特に記憶形成においては、ニューロンの活動が遺伝子発現を調節し、これがエピジェネティックなクロマチンの変化を引き起こすことで長期記憶の形成に寄与しています[1]。
さらに、ヒストンアセチル化などのエピジェネティックな変化が学習や記憶に重要な役割を果たしていることも明らかになっています。例えば、ヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)の阻害によってシナプス数が増加し、記憶形成が促進されるという研究結果があります[1]。
これらの知見は、遺伝子だけでなく、環境や経験、そして個人の努力によって脳の状態や機能を変えられる可能性を示しています。つまり、生まれつきの遺伝子によってすべてが決定されているわけではなく、後天的な要因によって変化する余地が大きいのです。
この可塑性の概念を理解することは非常に重要です。なぜなら、これは個人の潜在能力や成長の可能性を認識することにつながるからです。遺伝決定論や優生学的な考え方は、この科学的な事実を無視しており、危険な偏見や差別を生み出す可能性があります。
したがって、脳の可塑性や環境の影響を理解し、個人の努力や経験の価値を認識することが、より公平で包括的な社会の実現につながるのです。
Citations:
[1] https://www.ptglab.co.jp/news/blog/epigenetic-implications-in-brain-functions-neuroepigenetics/
[2] https://www.jstage.jst.go.jp/article/ojjscn/41/6/41_411/_pdf/-char/ja
[3] https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/2012/122022/201208019A/201208019A0003.pdf
[4] https://www.jst.go.jp/presto/epigenetics/theme01.html
[5] https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-23650215/23650215seika.pdf
この哲学、「エキサイティングな地獄より、退屈な天国」は、人生の選択における深遠な洞察を提供している。これは、表面的な快楽や刺激に惑わされず、内面的な平和と精神的な成長を重視することを強調している。
まず、「地獄」と「天国」という二元論的な概念は、善と悪、正義と不正、秩序と混沌の対比を示している。ここで重要なのは、これらの対立が人間の行動と選択に深く関わっている点だ。人間は常に選択の自由を持ち、その選択が未来を形作る。
「エキサイティングな地獄」は、短期的な快楽や刺激を追求する生き方を象徴している。しかし、これはしばしば道徳的な堕落や精神的な混乱を伴う。快楽や刺激は一時的な満足をもたらすかもしれないが、長期的には苦痛や後悔を招くことが多い。これは、欲望や感情に流されることの危険性を示している。
一方、「退屈な天国」は、平穏で安定した生活を象徴している。これは、日々の小さな喜びや穏やかな瞬間に価値を見出す生き方だ。外面的な刺激や派手さは欠けるかもしれないが、内面的な平和と精神的な充実が得られる。これは、道徳的な生活と精神的な成長を重視する生き方を示している。
この哲学は、人生の究極の目的は内なる平安と精神的な成長にあるという信念を強調している。物質的な欲望や世俗的な成功よりも、精神的な価値観や道徳的な行動が重要だという教えだ。これは、個人の行動が共同体全体に影響を与えるという考え方を反映している。
さらに、この哲学は時間の概念についても深い洞察を提供している。「エキサイティング」は一時的な状態を、「退屈」はより永続的な状態を暗示している。これは、短期的な快楽よりも長期的な幸福を追求すべきだという教えだ。人間は永遠の視点から物事を判断し、永続的な価値を追求することが求められる。
また、この思想は共同体の重要性も強調している。個人の刺激的な体験よりも、他者との調和的な関係や社会全体の安寧を優先すべきだという教えだ。これは、共同体全体の幸福と調和が個人の幸福に直結しているという考え方を示している。
1種目についてのジャンルわけとかで人数が異なるでしょ
その意図が「同一成績分け」じゃなくて「同一前提分け」になってるってだけの話よ
10人出れる枠もあれば数人の枠もある それを「この競技は実数として何人だが」とか持ってくるのは意味がないと思うよ
そして分け方が「どういう理論で成り立つか」ってオリンピック競技者選定理論、なんてもので各競技の基準とか人数とか決めてるわけじゃなくて
あくまでスポーツをする前提で、できるだけ公平になるようにとする基準が「基準に沿った各国からの選出」になってるってだけの話
「柔道で無敗のクラス、10戦5勝のクラス、1勝9敗のクラス」と実力で分けたら、平等になるか?とか
「100メートル10秒で走れるクラス」に8秒の選手は出れないし10秒以上の選手しかいないチームは出場できない?とか
そういう事だよ これがなにかの理論に沿ってるわけでも一貫した哲理があるわけでもない
同じ競技をするのに何が「不平等感につながるか」を最低限排除するという事で決めるのがスポーツだねって事だよ
男女で分けてる話は「文面上同じ記事内に書かれているけど、出場枠の制限について男女の分け方が起因している」と結びついてないよ
「100メートル10秒の選手で競技する」となると男女の意味はないけど、逆に「100メートルのタイムを競う」で選手を募るなら男女わけは基準のひとつになるでしょ
前提としてもちろん「何秒台で走れる帯域」というのが性別に起因する可能性はあるけど、足の遅い男性と足の速い女性を混在させる場合に「完全にトップスコアを全人類上でだせる競技」でない場合だと
その混在理由、混在させてともに走ってスコアを出して、その1種目の中で順位を決めて賞を与える意味って「何々なのに足が遅い」というなんの基準もその意味も情報としても価値もないものになるよね
「体形が同じで同じスペックが出せるはずなのに、遅いやつは何なんだ」という事に、理由というか続ける言葉を人がつくるとしたらそこにあるのは差別的な何かになるでしょう
ただ早い人類を探すイベントなのだったら、100メートルを7秒台で走る義足の選手が出てもおかしくないでしょう 筋肉を特殊な方法で育てた人が出たりとか
そういうのを排除する意味は、人間のパフォーマンス選定会じゃないからって事 スポーツ競技者が成果を見せ合うお祭りなの
スポーツの公平性ってそういうことだって話だよ 研究室のパフォーマンスデータを一般人に見せるイベントみたいなものじゃない
たまに横断的に金をとる選手がいたりするけどそれはスポーツの祭りで平等性よりも「トップスコア」を狙ったスポーツマンシップから外れた基準だろうと思われても仕方がない
でも基準がいまのところそこはできるからしてるってところはあるだろうし、みんながお祭りとして楽しむためによりよくしていくならば、出場を限らせる条件をうまく言語化できるならばルールにしていくべき所だと思う
新体操だってベストなスコアが出せる人間がいたとしても「喫煙をしていた」とかで落ちる可能性があるんだよ
スコアと喫煙は関係ないよね だから出場するべきではあると思うけど選出条件から漏れたからトップスコアでも代表選手になれないって事があったりするわけ
ほかの身体スコアがトップだとしても薬物は違反だとか、他の倫理規定とかに違反していたら脱落とかある
競技者が競技として、そのスポーツの人口を増やす原因となってほしい成果のひとつをみんなに見てもらうためのお祭りがオリンピックなんだよ
子曰く、「法之使民也,猶如牧羊,驅而往,驅而來」。増田、この意味は政策を持って民衆を導くことは、羊を牧することに似ているということだ。AIアートの浸透により、オリジナル作品の価値や尊厳が脅かされている状況を考えると、まるで作りたての料理にたかるハエのように見えるかもしれない。しかし、その背後には技術の急速な進化がある。
増田の言う通り、有名IPの絵も改変され、元の作品の意図が薄れることも現実の問題だ。これに対処するには、AIを正しく使うための規範や法律が必要だ。孫子も言うように、「法」と「政策」によって人々を導くことが解決策となるかもしれない。
現状を打破するためには、クリエイターたちが自分の作品を守るための手段(例えば、デジタル著作権の強化や、AIの使用に関するルールの整備)を求め続け、技術と倫理のバランスを取るための対策が必要だ。増田、この道は容易ではないが、共に歩むことが大切だろう。