はてなキーワード: ポリティカルコレクトネスとは
映画『トイ・ストーリー2』、いつの間にかセクハラシーンを削除
社会的望ましさを追求するなら、過去の作品だとしてもやむをえない措置だった。
今回問題となっているセクハラシーンだが、そのセクハラを行っているのはプロスペクターというキャラクターだ。
彼は年配の白人男性を模したキャラクターであり、しかも西部劇の象徴であるカウボーイハットも被っている。
これは何を意味するか。
このシーンを放置することにより、「年配の白人男性、特にカウボーイ文化を担っている地域の男性は、影に隠れてセクハラも平気でやらかす人間なんだ」という偏見に満ちたメッセージを、ディズニーが社会に対して発信し続けることになる。
実際の白人男性のほとんどはそのような犯罪とは無縁の人々であるにも関わらず、これをフィクションだからといって放置することは難しいと判断されたのだ。
特にトイストーリーのような子ども向けの作品の中で、白人男性の誤ったイメージを幼児に刷り込んでしまうと、彼女の成長後の対人関係に取り返しのつかない影響を及ぼすことになる。
近年、ディズニー作品はポリティカルコレクトネスを恣意的に適用し、女性や有色人種ばかり優遇しているとの誹謗が溢れかえっている。
ポリティカルコレクトネスだって「それを理解しない人」からすればただただ自分の意見や言動、はては表現活動までも規制しかねないモノでしかないけど、
それを推進する人にとって「それは個人の嗜好ではなく善悪の問題だから」社会全体に普及させようとするのと同じように
ヴィーガンもまた(彼らの信ずる)「個人の嗜好ではなく善悪の問題」としてるだけでしょ
多分ここでアホなはてなーは「他人の権利を侵害するからー」とか思うんだろうけど
その理屈だと「これまでやってきたことを規制したり禁止しよう」って運動は何もかもどこかの誰かの利権の侵害だぞ
大好きなフェミニズムだとか労働運動も「俺たち私たちはそれで今までやってきたんだから余計な口出しはやめろよ」って言われて「はいそうですね止めます」ってならないだろ
http://b.hatena.ne.jp/entry/b.hatena.ne.jp/entry/4666961341665668706/comment/senbuu
マジキチすぎる
差別はマイノリティが標的の場合しか成り立たないよ。男女だと女性がマイノリティ。だから「男性お断り」でも男性差別にはならない。ただし気を付けたいのは体は男性、心は女性という例。このような方は女性だから。
差別が絡む社会問題に関心を示す増田も多いが、その割にいまだこのような誤解がはびこっている。
そのせいで無用な衝突が生じている。
増田たちはそろそろこのような社会問題を論評する時、「弱者カースト」の原理を理解した上で発言してもらいたい。
理解といってもこの原理を実際に適用すること自体には必ずしも賛成する必要はない。
増田自身の意見は賛成でも反対でも保留でも構わないから、原理に従うとどのような論理構造になるか知っておく必要がある。
実際ダブルスタンダードだ、極論だと叩かれることも多いsenbuu氏のコメントだが、弱者カーストの原理を知っておけば氏の論理展開が驚くほど簡明かつ一貫していることが分かる。
弱者カーストとは要するに、社会的な弱者としての弱さの度合いが高ければ高いほど優先的に厚い配慮の対象と見なされる序列のことだ。
言うまでもなくインドの元々のカースト制度とは逆向きで、弱者が優先される原理だ。
社会運動の救済対象を選ぶ基準として用いられることが多く、社会的トリアージと呼ぶこともできるだろう。
序列の知識は大学教員や社会運動家らの間で広く共有されており、政治的正しさ(ポリティカルコレクトネス)、文化の盗用、権力勾配、非対称性など増田でおなじみの概念もこの序列に従って運用されている。
弱者カーストの中では性別(ジェンダー)、性的指向(セクシュアリティ)、国籍、民族(エスニシティ)、人種、障がい、出身地などの社会的カテゴリーによって細かい序列が設定されている。
「マイノリティカースト」ではなく弱者カーストと呼ぶことが適切だ。
弱いことと人数の多さは必ずしも一致せず、中には特権的なマイノリティ、あるいは多数派の弱者といったカテゴリーも存在するからだ。
マイノリティではなく弱者としてとらえることで、多数派を形成する女性や中国人の弱さを考慮し、特権を持つ移民国家の白人の優先度を下げることが可能になる。
カーストの上位の者に対し、下位の者がネガティブな言動を及ぼした時にそれは「差別」と見なされる。
逆に上位の者が下位の者に及ぼした場合には「差別」とは見なされず、「対抗」「抵抗」などの認定を受ける。
つまり同じ言動であっても、それが「差別」なのか「対抗」なのかは主体と客体がそれぞれ弱者カーストの中で占める位置によって規定される。
ここで注意しなければならないことは、社会における大半の人々は最上位でも最下位でもなく、中間的なカーストに位置づけられることだ。
自分より弱者カーストの下位の人間に対しては大抵の言動が許容されるが、上位の人間からは何をされても耐えなければいけない。
同じ人間でもある側面では弱者と見なされるが、別の側面では強者と見なされることもあるだろう。
弱者カーストの中では、数多ある社会的カテゴリーそれぞれに弱さ・強さが定められている。
一人一人の人間の弱さは、彼女または彼が持つすべてのカテゴリーの弱さのレベルを合計して決まる。
弱者カーストと似た概念に「かわいそうランキング」があるが、ランキングの順位はこの弱さの合計値によって決定されているといえる。
つまりかわいそうランキングはそれ自体が原理というよりも、弱さについての計算結果なのだ。
https://matome.naver.jp/odai/2141052638959681901
かつて、埼玉で全盲の女子高生が駅付近で何者かから暴行を加えられるという事件が起きた。
極めてセンセーショナルに報道されたため、記憶に残っている増田も多いだろう。
当然、未成年の女性、そして全盲という最重度の身体障がいを持っている人を攻撃したとあって、連日連夜評論家や各社社説が逃亡中の犯人を非難する声明を発表した。
しかし数日後、警察の捜査が進むにつれ浮上した犯人とは誰もが予想だにしなかった人物だった。
このことが判明したその日の夜には、いっせいにマスメディアの扱いは縮小し、評論家もこの事件についていっさい口を閉ざした。
やがて事件自体が存在しなかったかのように、日々は続いていった。
この事件で犯人像が明らかになった瞬間、報道の風向きがいっきに変わった理由は、弱者カーストの原理で説明できる。
未成年の女性がそもそも弱者カーストの上位に位置づけられる弱者だが、最重度の身体障がい者というカテゴリーは上位2位から5位程度に位置づけられる弱さを持つ。
仮に健常者の中年男性が彼女に危害を加えたとすれば、この男性は社会的に死を迎えることになるだろう。
しかし弱者カーストの中でも、最重度の身体障がいよりさらに弱いとされるカテゴリーが少数存在する。
この事件の犯人は確かに中年男性だが、ただの中年男性ではなく受け答えも難しいほどの知的障がいを抱えていた。
彼が女子高生に加えた危害が不問となってしまうことも、増田なら理解できるだろう。
昨年末からインターネットを騒がせている例として、TERF-MtF論争がある。
TERF(Trans-Exclusionary Radical Feminist)と呼ばれるフェミニストの一部の女性たちが、MtF、身体的に男性から性転換を経て女性になった人たち(いわゆるトランス女性)を女子トイレや銭湯などの女性限定の空間から排除せよと訴え始めた。
その理由とは、性転換しても肉体や染色体が男性であるMtFは潜在的にシス女性(身体的にも精神的にも女性である人々)の脅威となり、性被害に対するシス女性の不安が払拭されないということだ。
中には過剰にMtFの事件を取り上げて非難するような動きも起き始めた。
TERFに対してはMtF活動家が抵抗し始めただけでなく、やがてジェンダー問題に詳しい大学教員や社会運動家も批判の声明を公式に出す事態となった。
過去にはシス男性(身体的にも精神的にも男性である人々)から受ける差別に対して共闘することも多かったフェミニストとMtFだが、twitter上での激しいやりとりが続いている。
TERFの中には反セクシズムの急先鋒として名をはせた人もいた。
かつて女性差別が話題になった時には、大学教員から理論的支援を受け、差別的な思想を持つ男性たちと戦いを繰り広げた人だ。
しかしTERF-MtF論争が燃え広がるにつれ、大学教員たちはTERFを見限った。
このことで、TERFの中には落胆の声を上げる者もいる。
大学教員たちがなぜ女性差別との戦いの局面では支援したTERFを切ったのか、弱者カーストの原理によって理解できる。
確かに二元的ジェンダーで見れば圧倒的に男性よりも女性の弱さが優先される。
しかしトランスジェンダー(シスジェンダー)という別のカテゴリーに着目すると、弱者カーストの中でもトランスジェンダーがシス女性を含むシスジェンダーよりもより弱い位置づけになっている。
弱者カーストの原理では、TERFよりもトランスジェンダーであるMtFがカースト上位として優先的に配慮の対象となる。
大学教員や社会運動家も弱者カーストに基づいて、TERFが訴え続ける不安感よりもMtFの安心感を優先することにしたのだ。
実際、senbuu氏もこの問題では弱者カーストの原理に忠実に従い、ラディカル・フェミニストの主張とは明らかに毛色の異なる以下のコメントを残している。
痛いニュース(ノ∀`) : トランスジェンダーとして女性に認定された男が10歳少女を強姦 スコットランド - ライブドアブログ
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1987624.html
性自認とともに性的指向も女性だったと考えれば矛盾はない(性別違和かつ同性愛者ということ)。だからこの件で性的少数者をバッシングしようったって、そうはいかない。ということで、あえて痛いニュースにブコメ。
もし社会運動の専門家たちに瑕疵があったとすれば、それはTERFたちに勘違いをさせてしまったことだろう。
シス男性による差別と戦う局面で、TERFが訴える性暴力への不安感や男性に厳しい言説を専門家たちは全面的に支援し寄り添った。
しかしあくまで専門家たちは弱者カースト下位であるシス男性への対抗だからこそTERFの言説を全面的に許容したにすぎず、同じ言説をカースト上位に対しては投げかけることは到底許されるものではない。
専門家たちが寄り添う中で弱者カーストの原理の存在をきちんと説明しなかったせいで、TERFの中には自分の不安感にねざす主張がいついかなる時にも認められると勘違いしてしまい、刃をMtFに向ける者も出てきた。
結果として論争は混迷を極め、いまだ解決とは程遠い状態が続いている。
このような厳格な弱者カーストの原理を、シス男性、シス女性、トランスジェンダー、そして社会問題に関心を持つすべての増田が理解しておくべきだ。
荒らしにどう対処するかは広い意味でのポリティカルコレクトネスの問題だぞ。
西洋以外の特にアジアや南米、アフリカなどの文化を背景に持つファッションや美術品などに対して、文化的盗用と言われたり、
ホワイトウォッシングのような言葉が一般的になるなど、ポリティカルコレクトネスが広がっている。
しかし、多くの場所で言及されているように、アジア人が洋服を着ても文化的盗用とは呼ばれないように、
彼らが言う文化には上下関係があり、上にある西洋は下にある他の文化をパクらないようにしようねという暗黙の了解がある。
しかし、この過度のポリティカルコレクトネスは、不安の表れのように思えてならない。
アメリカの文化すごいじゃん、他の物なんかをモチーフにしなくてもよいじゃないか、
スシよりハンバーガーうまいだろ、オリエンタルなモチーフを混ぜて奇をてらわなくてもTシャツ、ジーパンでカッコいいはずだ、
という漠然とした不安の表れ。しかし、それを直接言うのはプライドが許さないので、
下の文化を盗まないようにと言っているのではないだろうか。
AKBなどメジャーアイドルではなく、いわゆる中堅、具体的に言えばTIFのメインステージで昼間に出てくるようなアイドルですが、オタクは知っているけれど売れていない、というアイドルのみを応援していました。
アイドルを好きだったという過去を抱えている以上、ポリティカルコレクトネスとして女性の性的搾取について正しい視点というのは持ち得ないかもしれないけれど、ただ、山口真帆さんのことはどこまでも気がかりです。
なぜなら、彼女はそういうことが起こりえないであろう、そう信じられている超大手のメンバーだったのです。
彼女がそうならば、他のアイドルはどうなるのだろうか、そういう疑問に囚われてしまいます。
下位層であればあるほどその危険性は高くなるのではないか、と考えてしまいます。
いや、大手だからこそ、枕営業と言われる、搾取があるのかもしれないです。ただそれは権力を盾にし女性を食い物にする男の存在、というどの事象でもありえるシチュエーションであります。
それを踏まえてと、このような暴力を、身内から(これは特定されていませんが、全てを失う覚悟で涙ながらに訴えた山口真帆さんの証言を、ただの被害妄想や、虚偽だと笑う気にはなれません)受けてしまった、彼女のことを考えると、何もせずにはいられない気持ちになります。
私はある程度マイナー、地下と呼ばれるにはファンも運営も嫌悪感がある、アイドル界では知られているグループのオタクになったことしかありませんが、それでも、様々な、性に関する悪評は耳に入ってきました。それを知りながらただ目の前の快楽を享受していた、私こそが彼女たちを本当に搾取してる存在だったのかもしれません。それでも、こうやって形を見せた搾取について、このまま何もなしに流れていくことはとても耐え難いです。
ここから、すべてのアイドルが、自らの肉体を、精神を、搾取していく存在へ、正当に逃走できる、そういう時流になればいいと思います。
そして、いま、その場を享受しているオタクたちは、自分たちが搾取に加担していないか、今一度それに向き合って欲しいと思います。
id:envsです。
ヘイトスピーチ論に関してはルワンダ虐殺の例も含め、私の不勉強な面があります。
ヘイトスピーチをどの程度規制するか、規制する際の法的手続をどうするか、検察が刑事で訴えるのかそれとも民事で訴えるのか、民事で訴える場合誰が原告となりうるか、権利を制限するものだから憲法に明記すべきではないか、ヘイトスピーチの事前抑制は認められるべきか、そしてヘイトスピーチの定義をどのようにすべきか(件の新潮45の記事はヘイトスピーチか)、など、私の中で立場を決めかねている問題が多々あり、現時点で満足行く回答をすることができません。
ヘイトスピーチの規制は、ともすると、ポリティカルコレクトネスの徹底的運用による対立の深化・表現の萎縮や、ポルノグラフィティ規制論など、あまり私が望まない方向へと繋がりかねないのではないかという懸念があります。
当然上記によって割を食う表現やその表現に愛着を持っていた人の権利よりも、ヘイトスピーチで侵害される人間の権利を守る方が重要ではないかという意見も理解できます。
https://mainichi.jp/articles/20180914/mog/00m/050/004000c
さらに同紙は11日付運動面で、20年間セリーナの試合を見てきたという黒人の男性記者が「我々はセリーナの行動を批判するときに、人種差別や性差別と受け取られないかと心配してしまう」と告白した。
このあたりが多くの米国人の本音だと思う。セリーナが審判に感情を爆発させるのを過去にも見てきた者たちは「またか」と思った。しかし、米国では、テニス界の性差別や人種差別に対して声をあげてきたセリーナを批判することは、「PC(ポリティカルコレクトネス)」に反するのだ。PCとは差別主義者と思われないための政治的に適切な言動だ。他国は米国のPCコードを共有しないので、セリーナを批判しやすかったのだろう。
スポーツだけでなく、社会でも規則は強い者が作り、適用する。マイノリティーが不当だとして抗議すべき時もある。でも今回は私もセリーナにがっかりした。特に、彼女が審判に「私はずるはしない。娘がいるから間違ったことはしない」という内容の発言をした時だ。ママであることは証明書でもないし、免罪符でもない。
自分の属性をフル活用してクロでもシロにしようとするヤカラがいたという話で、そういうヤカラは「人の親」という属性もフル活用する。
まず、保守主義(conservatism)って言葉の意味がイギリスとアメリカと日本じゃそれぞれ違うし、アメリカと日本に限っても保守か否か=右派か左派かという問題が、政治の場では実質共和党か民主党かという問題に落としこまれるアメリカと、与野党支持に落としこまれる日本では問題の粒度が違ってる。
日本では左派でもどの政党を支持するかって問題が存在してる。この辺は二大政党制と他党制(の中でも一党優位制)の違いにより生まれるもの。
さらには「左派」と「左翼」って厳密には全く異なる話で(って程度のことはWikipediaの概要ページ読むだけでも簡単にわかる)、左派だからって左翼ではないし、左翼とか右翼が意味するところが共産主義か国粋主義かってニュアンスが含まれるか含まれないかって話もある。そこでもってアメリカと日本では、政治的論点がまったくずれてくる。
人種差別問題のあり方、性的マイノリティの立場、女性蔑視問題。隣の国との政治問題。移民の話の危機感もそう。そもそもの論点の有無でいえば、銃規制の話は日本にはないし、在日中国・朝鮮人の話はややこしいよね。そういったものが渾然一体となっているので、ある立場では左派的だけど、ある立場では保守的なんてことは容易にありうる。
つまり、おまえが「定義の問題」って言ってるその「定義」は真面目に語ろうとすると大学でも卒論書ける程度には複雑な問題なんですよ。そこをすっとばして「左派」とも「左翼」とも「リベラル」とも書かずに、俗な用法ではリベラルに対する揶揄のニュアンスすら含む「サヨク」って言葉を使う時点で、政治に対する知識かないか、言葉の使い方に対するスタンスがあまりにも甘い。
政治の話題で「わかりやすくするためになにかを雑にラベリングする」のって争いのもとにしかならないんですよ。この元増田みたいに。ポリティカルコレクトネスをポリコレって略すだけで揶揄的かどうかみたいな話すら生まれる世界でそれやっちゃだめですよ。
ポリコレの抑圧性とそのバックラッシュって話題はマジで重要だし真面目に語るべき問題なんだから、わざわざ増田自身が争いのためまいてどうするの。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1263751
まぁいいけど、フォロワー1万超えてる人捕まえてセレクティブなぁ
はてサは嬉しそうにセレクティブっていうけど右翼にもそれできるんですかねぇ
できてませんよね、だってさんざんセレクティブやってきたんだから
自分たちがやってきたことを、他人事のようによくこんなことできるよなぁ
ポリティカルコレクトネスだのなんだのもそうだけど
お前がそれできねーくせになんで他人には意気揚々とつかうんですかね
まぁポリコレ棒がリベラルを殴る道具なったようにこれもそうなるだろうね
フェイクニュースもそう、Whataboutismもそう
これは本当なんだよ。
ヤフージャパンや企業の公式HPが立ち並ぶ中央通りは、あの時代のインターネットにおける極々一部地域に立てられたシェルター地区なんだ。
2chを中心とした巨大な荒野は、放射能や新種ウィルスにも似た毒素が蔓延する地域で、そこから隔離された地域があの見せかけの中央通りだったんだ。
あの頃、本当のインターネットはまだまだ未開の原野だったのさ。
2chを取り囲むように群生する無数のテキストサイトとまとめ倉庫が世界を構築し、そこに飲み込まれまいと企業サイト達はシェルターの中に潜っていた。
だが今は違う。
5chはかつての力を失い、企業サイト群とテキストサイト群は混ざりあい瘴気と消毒液とが混ざりあいテラフォーミングが続けられる真っ最中の中を人々は生きる。
境界線は失われた。
企業は淫夢ネタを使いインターネッツの住民はポリティカルコレクトネスを声高に叫ぶ。
この世界において今なにが中心となっているのか。
中心は失われたのか