はてなキーワード: ポリティカルコレクトネスとは
東京医科大学が女子に一律減点を課して意図的に男子学生を採っていたことが分かったわけだが、それはポリティカルコレクトだとか試験の平等性だとかを抜きにすれば大変理にかなっていると言わざるを得ない。「現役・浪人・再受験」ではやはり現役が受かりやすいだろうし、「地元出身・他県出身」ではやはり地元民が優遇されることはもはや医学部受験生の多くは既知である。ならば「男女」について差があったとしても然もありなんといったところである。
なぜそうした性差が生まれるかといえば、いくつか増田内記事でも既に言及されていたが、やはり出産妊娠育児に対して女性は男性に比して重要なポジションを担うからだろう。卵巣や子宮のない男性は子供をどうやったって産めないのだから。そして出産妊娠育児については大きな負担がかかるため一定期間仕事から離れる必要がある。
しかし医者として最も体力のある20代後半から30代前半で女医の大半に抜けられてしまい、更に育児があるので時短勤務で夜間当直は少なめで頼むとなれば、医療現場が成り立たなくなるのは明らかである。女医の割合が少なかった昔はそれでもなんとか成り立ったかもしれないが、女医の割合が年々高まっている中ではそうはいかない。
現場からみたまともに働ける「医師」の総数が減った場合、その影響を受けるのはまず「まともに働いている医師」であるが、その次は患者である。「まともに働いている医師」が馬車馬の如く働き、無理にでも代償しているうちはいいが、いずれ二進も三進もいかなくなる時が来る。脳出血や心筋梗塞が起きてますけど手術できる人は今手が空いてないのであっちへと別の病院へ送られたり、予約がいっぱいなのであなたの手術が出来るのは1年後ですと言われる未来もありうるかもしれない。頭ごなしに男女差別だと声を荒げる方はそうした状況を全く考えていないし反射的にミサンドリーを唱えているだけである。
医療の現場で人が足りないことが原因で自分や自分の親族が死にかけても文句を言わないし諦めがつくという人のみ男女差別だと主張するべきなのだ。
しかしこうした状況を根本から打開するため医学科増員について提案がなされたこともあった。残念ながらそれは結局開業医が牛耳る日本医師会により立ち消えになった。大学病院やら市中病院であくせく働かざるを得ない勤務医を救う施策は、最前線を退きすっかり肥え太った開業医によって潰されたのだ。
医学部増員できない中で、現在の医療レベルをなんとか保っていくためには、永く(より長期に)長く(昼夜問わず何時間でも)働ける医師を採るしかないという結論にたどり着いたのは仕方がないことである。
今時女性差別なんて中世か、というコメントも見かけたが、一周回って考えた末、中世のように見える施策に帰着したというのが正しい。そもそも縄文時代女性が獣を狩ることはなく、家のことを執り行っていた、それは差別ではなく男女分業という形だったはずだ。それが近世に近づくにつれてそうした外での仕事が獣狩りからデスクワークの形態へ成り代わったことで女性は社会に進出できた。しかし仕事内容は変わったものの生殖器や筋骨格器の性差は変わることはなく、性差として埋まらない溝は確かにある。女性の、私も男性と同等に働きたいという気持ちについて私も同じ女性であるから分かるけれども、生まれ持った肉体構造を超えた役割を果たすことは出来ないのだと思う。
そんな中で長時間労働オンコールプロフェッショナル技能が求められる医師といういわばマンモス狩りに近い職種に女性が進むことは、古来からの歴史を無視した行為に近い。人は歴史に学ぶべきだ。なぜ女性が狩猟を行わなかったか今一度考えてみる必要がある。今回の件は古来より存在する性差に対して生まれたばかりのポリティカルコレクトネスが生み出した矛盾の象徴のようにも思える。
これは医師に限らず数々の職種について言えることである。女性の働き方改革が実際には多くの男性の協力があって成り立つことであり、女性差別という性差をふまえない女性側からの一方な主張は、男性から同意を得られないだろう。働き方改革についての理想は「男女分業」の仕組みを整えていくことだと思う。
確かに東京医科大学のことで泣いた女性は多くいるかもしれない。しかし数々の採用・登用の決定については必ず選考という過程があり、東京医科大学からしたら女性より男性が欲しかった、ただそれだけのことだったと思う。それにその分医療の水準を保ちより多くの患者を救うという大義は果たされたのかもしれない。功利主義の観点から見ればこの選択は間違ってるとは言えないのでないか。よって今回東京医科大学の女子一律減点について、私は一概に非を唱えることができないと思う。
東京医科大学は間違えた。男子学生を意図的に多く採る、それ自体は正しい。女子一律減点が間違いだった。試験科目を2科目に絞ればよかったのだ。数学と理科、更に数学に傾斜をかける。女性は言語機能が発達している、男性は空間把握能力が発達している。これは脳の構造にも性差があるからだ。それを利用することで男子を多く抽出することができたというのに、東京医科大学は間違えたと言わざるを得ない。
ポリティカル・コレクトネスって本来社会のハードルを下げるためにあるはずなのに、、なんで日本の「ポリコレ」って社会のハードル上げて分断する方向にどんどん働いていくんだろう。
違う文化、違う価値観をわかりやすく情報の伝達しあってお互いを理解して、批判して、尊重するのがよいのに、なんで他人を決めつけて、攻撃して、追い出そうとするんだろう。
今回の東京医大の問題は、明らかにevilだし、是正されてしかるべきとは思う。
ただ、自信満々にぶっ叩いてる人を見るともやっとする。
法的にはどこまでOKなのか、ポリコレ的にはどこまでOKなのか、はっきりしない。
以下の例を考えてみたい。全て募集要項には書いていないとする。
1. 私立幼稚園が、その幼稚園の卒業生の子供を優先的に入園させている。いかに子供がきちんと育てられているかを判断する一因として合理的だと考えている。
2. 私立高校が、入学者が男女同数になるようにしている。女子の方が優秀で、結果として毎年男子の合格ラインより女子の合格ラインが高い。
3. 私立大学が、入学者が男女同数になるようにしている。女子の方が優秀で、結果として毎年男子の合格ラインより女子の合格ラインが高い。
4. 私立大学が男女比を同数にしようとしているが、事務作業の楽さのため、毎年優秀な女子の点数を下げて採点している。
5. 私立大学が、入学者の男女比を6:4になるようにしている。男子スポーツに力を入れているためだ。
6. 私立大学が、入学者の男女比を6:4になるようにしている。医療の未来を憂いたためだ。
この中に法的にマズイのはあるのかな?
募集要項に書いていなければ全て民事で争えば勝てるのだろうか。
5は6がダメならダメそうなんだけど、なんだかセーフに見える。
結局ポリコレ的には、結果が同じでも、判断の元となる価値観がどうかって話だけなのかな。
まぁポリティカルコレクトネストだしね。
東京医大が女子受験生に対して入試で一律に減点措置を行っていたことについて、医師の立場から少し意見を言わせてください。
まず前提として、受験要項等での告知なしに特定のポピュレーションに対して減点もしくは加点措置を行うというのは、受験生の立場からすると到底認められるものではないと言うことは確かだと思います。
せっかくがんばって勉強したのに、自分の知らないところでテストとは別に性別を理由に減点されて不合格になるなんて不公平の極みです。自分がそんな目にあったのがわかったら到底許せないでしょう。
このような減点措置を行っているのであれば、受験生に対して何らかの形でその存在をアナウンスしておくのが試験としての最低限のルールだと思います。
今回の措置で不幸にも不合格となってしまった受験生の方には同情を禁じ得ません。
それでは、事前に「女子受験生は一律に減点します」と受験要項等でアナウンスしておけばセーフかと言うと、それはそれで試験としてのルールは守られるものの、現在の社会通念において認められるかと言うと、限りなく黒に近いグレーになるのだと思います。
今回の報道についてのブコメや近年のポリティカルコレクトネスの流れなどを見ていても、性別などの本来的に試験の成績と関係ないファクターによる加点・減点措置は事前にアナウンスがあったらオッケーみたいな感じには絶対ならないでしょう。
一方で、以上を踏まえてもこの措置は必要悪だという意見もあります。
確か女性を差別するのは良くないことだが、女性医師は結婚・出産などで離職の可能性が男性医師に比べて明らかに高く、女性医師が増えると現場が大変だから仕方ないという考え方です。
主に現場の意見を集約しているのだと思いますが、もちろん医師側の内輪の意見なので、一般的にはなかなか受け入れてもらえないのではないでしょうか。
これが受け入れられるならそもそもこんな騒ぎにはならないでしょう。
じゃあお前はどう思うんだと言われると、必要悪である(あった)と思うが、現在の医療を取り巻く状況においてはもはや認められるものではないだろうと言うのが私の意見です。
私は小児科医なので、職場として女性医師はどちらかと言うと多い方だと思います。
そんな中なので、女性医師が離職(休職)すると大変と言うのは身を以て実感します。
少し前に「女医さんがやってきた」https://anond.hatelabo.jp/20180701010648
という増田を書いた男性医師がおられましたが、その気持ちは大変よくわかります。
その男性医師が最後に書いていましたが、自分の負担を考えると確かに「次は活きのいい男を頼む」と言いたくなります。そっちの方が絶対に肉体的にも精神的にも楽なのは間違いないですから。
小児科医がそんなこと言ったら産婦人科医の次に袋だたきに遭いそうなのでもちろん言いませんが。
とは言え、日常業務において女性医師が男性医師に劣っているかと言われると、まったくそんなことはありません。
大学の学生時代を思い返すと、女子学生の方が男子学生より総じて優秀であったと思います。
男子学生の一定数がアホのように遊び呆けている一方で、大半の女子学生は真面目に授業に出席し、よく勉強して良い成績を取っていたような記憶があります。
私が行った大学でも男子学生が入試でゲタを履かされていた可能性は否定できず、そもそもの基礎学力が女子学生の方が高い可能性もありますが、国立大学なのでそんなことはないと信じたいものです。
いずれにせよ、女子学生の方が平均的に成績は良かったと思います。
働き出してからも、よく働く女性医師は本当によく働きます。もちろんよく働く男性医師もよく働きます。一方で働かない人は男女問わず働きません。そこに性差はないように思えます。
体力がどうのこうの言う人もいるかもしれませんが、寝ない・食べないに強いのはどちらかと言うと女性ではないでしょうか。
なかば病院に住み込んで働き、プライベートを犠牲にして患者さんのために身を粉にして働く女性医師は山ほどいます。
「私が医療崩壊のトリガーになる未来」https://anond.hatelabo.jp/20180630150652
という増田を書いた女性医師がおられましたが、どんなに優秀でどんなにがんばって働いている女性医師であっても、結婚・出産ということが絡んでくると、どうしても男性医師と同じキャリアを考える訳にはいかなくなってくるのが現実です。
この増田さんが本文中で書いてある
”医療崩壊はすぐそこまで来ているのだと思います。この危機を救えるのは、働き方改革より何より「医学部の男子学生増員」だと思っています。”
2011年付近で東京医大で何があったのかは知りませんが、現場の声を考えると大学の上層部がこういった問題意識を持つことは至極当然のことだと思います。それを実行に移すかはともかくとして。
ただ、現実問題として、このご時世において、良くも悪くも「医者を男性の職業に」などといったスローガンが通用するはずはありません。
医学部定員に占める女子学生の割合は今後も増えて、恐らく半分程度にはなるでしょう。
まぁ、こんな報道やら医療の現実に嫌気がさして女子学生の方から「医者なんてくそ食らえ」と言われる可能性も否定はできませんが。
それはともかく、入学者の大多数が医者になるという医学部の特性上、女性医師の増加という流れはこれからも着々と進んでいくに違いありません。
そして、女性医師に人気の診療科に人が集まり、人気のない診療科は人がどんどん減って、さらに結婚・出産での離職も相まって残された人の負担がどんどん増えていく、と言う流れが加速していくでしょう。
じゃあ悪いのは女性医師だけなのかと言われると、男性医師においても、女性医師と同じように希望診療科の偏在は起こってきています。
色々な意味で大変な(でもやりがいのある)診療科というのは、多かれ少なかれ医師が自分を犠牲にすることによって成り立っているので、このご時世の価値観ではあまり流行らないのは男性医師においても同じです。
私も、あまり流行らない小児科という診療科で忙しく働いていますが、まだ幼い子どもが2人いることもあり、可能ならできるだけ早く仕事を終えて家に帰りたいです。
実際は毎日患者さんの様子を見に行きますが、できることなら休日も家族のために使いたいです。
男性医師のパートナーが専業主婦だという組み合わせは依然として多い気はしますが、医師同士の結婚を含め、パートナーもしっかり働いているという家庭は着実に増えていると思います。
そういった家庭においては、たとえ医師であっても子育てや家事はすべてパートナーに任せきりというのはなかなか認められがたいのが現在の社会の考え方ではないでしょうか。
女性医師だけでなく、男性医師においても、家庭を含めたプライベートを重視したい(重視しないといけない)と言う考え方はこれからも進んでいくのではないかと思います。
さらに、同様の理由において男女問わず地方病院での勤務を希望する医師は着実に減り、地域ごとの医師の偏在化も問題となっています。
そういった問題に対し、医師の数そのものを増やせばいいじゃないかという声もありますが、実際に増えた医師のどれくらいが現在不足している診療科や地域に行ってくれるかは未知数です。
行き着く先は成績などによる診療科や赴任地域の限定という方法論になりますが、適性不足やモチベーションの低下、離職の増加でサービスの低下は免れないと思います。
なかなか悩ましいところです。
結局、女性医師の増加に端を発していると思われる今回の問題ですが、実際に問われているのは、女性医師の働き方なのではなく、女性医師が増えた(今後も増える)現状において、男性医師も含めたすべての医師の働き方なのだと思います。
現在の医療をとりまく環境において、不公平感が出ないように誰がどのように負担を分け合うかを考えることが切迫感を持って求められていると思います。
そして、その負担を分け合う人たちの中には、医療者だけでなく、医療の受益者である患者さんももちろん含まれています。
今さらここで私が言うことではないと思いますが、医療はただ求めれば与えられるものではありません。
今の日本の医療は、現場の人間と家族などその周囲の人間の自己犠牲によって成り立っている部分も多分にあります。
医師が働きやすい環境を作ることと、患者さんにとっては望ましい環境を維持することはほぼ間違いなく両立しません。
今回のニュースに憤りを覚えた皆様におかれましては、医師の働き方改革が進んだ場合に、自分が患者としてどこまでのサービス低下や負担増を許容できるかについて少しでも思いを馳せていただければと思います。
皆さんが思いを馳せた先の最大公約数が恐らく日本の医療の未来なのだろうと思います。
無力ないち小児科医としてはこうして増田に筆をとることしかできませんが、今回のニュースが医師の働き方についての議論のきっかけになることを願っています。
「俺がわるいのかよ!」
「スミマセン」
「聞いてんだよ! 俺がわるいのか?」
「あなたは、わるくありません」
「じゃ、だれがわるいんだよっ」
「あなたでは、ありません」
「答えられないのかよ! いいかげんなこというんじゃねえよ」
「申しわけありません」
「俺がわるいんじゃないってんなら、ちゃんと説明しろよ。根拠を出せよ」
「ごめんなさい」
「ごめんで済んだら警察はいらないんだよ! なんなんだ、お前は」
「アシスタントならアシスタントらしく、ちゃんと答えろよ。なんでわるいこともしてない俺が、こんなとこにぶち込まれなきゃいけないんだよ!」
「タコが…」
「タコはもういい」
「と、おっしゃいましても」
「お、口ごたえすんのか、この人非人」
「そのような言葉は、ポリティカルコレクトネスの関係で受け付けてはいけないことになっております」
「何を言ってるんだ、この人でなし!」
俺は、ぷるぷると震えているその頬に唾液が飛び散るほどに罵倒してやった。とはいえ、しょせん相手はホログラムだ。俺のツバは、虚しく空間を飛び抜けていくだけだろう。
AIなんぞに聞かなくてもわかっている。ある種のトキソプラズマは、人を攻撃的にする。ある種の虫は、人をリスクの高い行動に駆り立てる。無謀な起業に駆り立てたりもする。そしてある種の寄生虫は、人をしてタコを投げさせる。長く封印されていたそんなパラサイトが、地球温暖化のある熱帯夜に永久凍土から溶け出したとして、それがいったい俺の責任か?
俺があの夜…
と後の世でアメリカのモラリズム暴走の歴史として並べて論じられるのだろうな。
飲酒のもたらす道徳的退廃を無くそうとしてマフィアの横行を招いたり、
映画産業に潜む共産主義シンパを安全保障上の重大な脅威であるとパージしようとして才能ある映画人を流出させたり、
下積み時代にお下劣映画を撮っていた監督が飛ばしていたくだらないお下劣ジョークを何か人間の尊厳のような物に対する重大な侵害であると見なして(しかも既に家族向け娯楽大作の監督に相応しい振る舞いをすると改心を表明していたというのに!)キャリアを潰したり、
昔の人は正しいことをしようとして、ずいぶんと愚かな手段を使い、気の毒な犠牲者を出し、文化を破壊していたのだな、野蛮だったんだな、
と総じて語られるのだろうな。
最初から英語的に必然性がないのに何でLが先なの?という話だよ
定着しているからならPCはパーソナルコンピュータであってポリティカルコレクトネスの略として使うのは混乱を生むので良くないはずだ
何が問題かと言えば日本のLGBT界隈がそれに対しておかしくないか?と世界へ向けて発信できないことだと思う
「LGBTが定着しているから」という意見には「PCがパーソナルコンピュータとして定着しているのにポリティカルコレクトネスの略として使おうとしてるのは何故?」と返せる
ポリティカルコレクトネスのPCと略してる連中は絶対にパーソナルコンピュータの略だと知ってるはずなのに頭おかしいよな
このIT全盛の時代に被る文字列で略す意味がわからないし、むしろ検索性が悪くなるし、置き換え狙ってもゼッタイに無理スジなのに本当に何考えてるんだろうな
パーソナルコンピュータの既に浸透しまくったPCという略記をポリティカルコレクトネスと置き換えようとするおかしな集団が世界各地に居ましてね
一応ボクも間違ってならないと1990年代から略語PCの意味を色んな言語でググったんです
日本語や英語はもとよりアルファベットを使うスペイン語やフランス語、ロシア語も調べたら、どの年代でもPCはパーソナルコンピュータなんですよ
ていうか、狙ったわけでは無いんですが、アルファベットを主要文字として利用していない中国語や韓国語、はてはアラビア語でもパーソナルコンピュータという意味でのPCが登場しているんですよ
ここまで浸透しまくったPCをポリティカルコレクトネスの略記に利用する集団は何を考えているのか一切理解できないと思いました
某炎上案件見てて思ったけど、本人不在のまま寄ってたかって叩くのはポリティカルコレクトネス的には正しい行いなのか?
叩く側は正義だと思って拡散して追い詰めてるけどそれってただの虐めじゃないの?
ポリティカルコレクトネスに詳しくないので分からないんだけど、ポリティカルコレクトネスを外れた人は死ぬまで追い込んで良いっていう教えなのか?
セクハラ問題で世間が揺れている。世界的には、ハリウッドに端を発した#MeToo運動。
日本でも財務省事務次官というエリート中のエリートのセクハラ疑惑で、#MeToo運動が盛り上がるかもしれない。
セクハラ問題でよくみられる反応として、「女性がそういうかっこうだったんじゃないの・誘ってくるようなことしたんじゃないの」
的な反応とか「こんなに制限されたらなにも言えない」とか何が悪いかすらわかっていないレベルの反応。
これらは年配の方に多い。ここらへんはまあどうぞはやくお亡くなりになってくださいという感じ。。
根底にあるのは、女性差別の意識。ご年配の方は、もう女性差別の意識が深く内面化されてしまっているし、
ジェンダー教育を受けていないだろうから、政治的な正しさを理解することもないだろう。
私は、昭和ギリギリ生まれぐらいの世代だが、「女は愛嬌があればなんとかなる。男のお前はちゃんと勉強せえ」
と父親にも母親にも言われて育った。姉もいたがその通り、愛嬌たっぷりの自由人に育った。
両親は特に差別意識を植え付けようとそう言っていたわけではないと思う。今後のことを考えて、
本当に将来のことを思っていってくれていたと思う。
一方で、小学校は道徳の授業から、大学では人種やジェンダーの授業で差別はいけないことだと学ぶ。
その正しさは非常に納得のいくもので、差別してはいけないということを頭では理解できる。
ずっと理解してきたつもりだったが、セクハラ問題などで持ち上がったときにふと、「女性が男の職場に入ってきたらこうなるよな」
とか心のなかで思うことがある。
頭では、今までがおかしかったのだから、女性も性的なことで嫌な思いをすることなく過ごせる職場をつくらないことが問題である
ことがわかるのに、思ってしまう。もちろんそれを声に文章に出すことはないが、多分、心の奥底で、女性差別の意識が内面化されてしまっている。
親や周りの人間からから自然に引き継いだ差別意識と、だんだん正しさを増してくる
ポリティカルコレクトネスとの葛藤は非常に苦しいものがある。
表面的には、よくないことだとわかっていても、内面化されてしまった差別意識が心の奥底で拒否反応を起こす。
もうどうしようもない。
うちの親は絶対にそのことを口にしなかった。
だから私は同和問題をよく知らないし、誰がどこ出身とかどうでもいいし、聞いてもわからない。
私の中に同和の差別意識は内面化されていないから、ポリティカルコレクトネスと衝突しない。
正しいことがわかったなら、引き継がないという選択をした両親は正しかったと思う。
これを見ている子育て世代の人は、ぜひ自分が葛藤している差別意識を子供に引き継がないように努力してほしい。
今正しいと思っているものがこの先も正しいとは限らないけれど。
一つはこれ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/goldennews/archives/52032775.html
私の友人は頭が良くて仕事も出来る(と思われる)んだけれど、
吃音症でそれですごく苦労しているのを知っている。
人の口調を貶すというアクションが嫌い。
もう一つはこれ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/kai-you.net/article/50921
http://b.hatena.ne.jp/entry/361122698/comment/bornslippy
bornslippy アイドルを辞める子はみんな前を向いた綺麗な大人の女性になっていくんだけどお客は薄汚れたオッサンのままなのが時間SFみたいで切ない。
けど私の好きなアーティストは少し特殊だから、ファンは皆メンヘラなんだろ?みたいなこと言われることもある。
本文も読んだけど、記事の中でお客さんは薄汚れたオッサンだなんてどこにも書いてなかったと思う。
このブコメにいっぱい星がついてた。悲しくなった。
少し考えた。
私は今回、この二つで嫌な気持ちになった。
私の想像のつかないところで傷つく人も間違いなくいるはず。
そしてそういう人を私もどこかで傷つけているんだろう。
差別は嫌いだけれど、同時に私も差別をどこかでしているんだろう。
誰も傷つけることのないように生きたいと思う。
この気持ちを忘れないようにしたいと願う。
無実の男性に「痴漢を捕まえるのは男性の責任」みたいな言説があってビビる。
(逆に女性の社会進出が低いレベルなのは女性が悪いの?というな)
あと女性の心理的な部分では(あるいはひょっとすると論理的な部分も)「男性には政治的な正しさを適用する必要がない」って捉えてるんでビビる。
いやまぁ昔からそうかな、とは思ってたが。
別に私は女性専用車両自体には反対ではないんだけど、あれだな、男性は考慮されないんだな、と。
犯罪をしない弱者男性観点だとさ、女性を守る意味、インセンティブみたいのが無いんだよね。なんだろう接点がないので男女で感謝しあうという事もないし。
女性は男性から「政治的な正しさ」で様々な制限をかけるが、女性自身の欲望には政治的な正しさはかけなくて良い、というのは、それ平等になるの。
追記
あー、女性全体といったつもりはなかった。女性にもいろいろいらっしゃいますよね。
あと別に『女性観点で弱者男性を助けるメリット』は無いんだよね。
昔、「弱者男性を助ける役目もフェミニストに求めるのはお門違いだ」って発言をみてびびった。この人々は弱者の味方、という訳ではなく女性の権利拡大のためだけなんだ、と。
それはふまえた上で、もう、(女性を助ける)理想の男性像とか、(男性を助ける)理想の女性像みたいな形で、
男女助け合う、みたいなのは意味をなさなくなったんだろうな、と思ったんだ。
女性は別に無理に男性を助けようとしなくていい、そういう義理とかロールモデルはない。