はてなキーワード: ブロガーとは
ネット炎上で自殺問題が騒がれてて、きょうもえさんとイケダハヤト氏と周辺がもみ合っていて、どうしてこう遺産相続問題みたいにみんな負の遺産を皆で押し付け合いたがるかなーとも思う。
実際こんだけ騒ぐのは理由があって、多分皆できることなら死にたいんだと思う。もとい窮屈な社会から離脱したいんだと思う。だから声を上げる。俺がもっと自由になれる世界を作れと声を上げる。
人気絶頂で死にたい、注目を浴びて死にたい、でも実際は限られた理解者に見守られながら死にたい、そんな人もいたなって思われる状態をつくってひっそり死にたい。
でも本当はネットの弱い連帯の中なんてくそ食らえだ。寿命で死にたい、家族といえる人たちもいる中で死にたい、できたら窮屈じゃない場所で死にたい、綺麗な田舎で死にたい、それでいて便利さと人と会える距離感のある場所で死にたい。
それができないからすべてネットで弱音や怒りを発散したい。賢く見せたい、ちやほやされたい。
メンヘラの方々は乖離といって、生きてる心地がしないから皆リストカットに走って、血が出ると痛いとかより気持ちいいと感じるそうだ。それから痛みに襲われて、生きてる心地を取り返すのだという。
もしかしたらブロガーは死ねといわれて、それに反論することで自分の生きる理由が見つかると思ってるのかもしれない。死ねといわれてそれに傷つくことで自分が生きたいと思ってるんだと実感したいのかもしれない。そうして実際に死ねといわれても特に傷つかなかった自分を見て少しショックを受けているのかもしれない。死ねといわれてじわじわ呪いのようなものが自分の身体に侵食してくるのを感じて気持ち悪いのかもしれない。死ねと言われても死ぬことができなかったので他人に死ねと撒き散らして不穏分子を排除して自分のユートピアを作りたいのかもしれない。加藤か。
電子書籍が普及して、ブロガーが出版する事例がどんどん増えてきて、もしかしたら目立つことでワンチャンしたいのかもしれない。だれかがたくさんのイナゴの中からバッタを選び出して、家の広いゲージに飾ってくれるかもしれない。みんなそんな目立つピンクのバッタになりたいのだ。
ブログの人気ジャンルの一つに「書評ブログ」というものがある。読んだ書籍をもとに記事を書き、内容の紹介をして、アフィリエイトに誘導したりしている。
彼らは実にたくさんの本を読んでいて、とても感心する。記事にするのもとてもエネルギーのいることだろう。
しかし、同時に彼らを見ているとある疑問が湧いてくる。「いったい読書で得られることってなんなんだろう」という根源的な問いだ。
一般的に本を読むのは良いことだとされる。だから、新聞では活字離れが嘆かれるのだし、学校では朝読書が導入されるのだ。読書は読者の視野を広げ、思考を深め、よりよい人生に導いてくれる。
そんなことがまことしやかに信じられているが、書評ブログを見ていると果たしてそうだろうかと思ってしまうのだ。
彼らはたくさん読んで、たくさん書いているが、それによって何かが深められているという跡がまったく見えてこない。
さすが博識だなぁとか、すごくうまい文章だな、と思うことはまるでない。
本の知識はその本の記事のなかで完結していて、他の記事に生かされて絶妙に面白い記事が書かれる、ということがまったくない。
商業で活躍する優秀なコラムニストはそれをやってのけるが、彼らにはそういう兆しは一向に見えてこないのだ。
そもそも彼らがやっていることは厳密には書評ではない。内容の要約だ。彼らの記事にアクセスが集まるのは、彼らが書いていることが面白いからではなく、本の中身が優れているからである。
例えば、プロブロガーを名乗っているイケダハヤトさんのブログなんか、記事の半分以上が引用で構成されている。ほとんど本の内容を写しているだけだ。
とりわけ興味深いのはビジネス書を中心に書評しているブログだ。
彼らはたくさんの仕事術を紹介してくれるが、それが彼らの仕事にどう生かされているのか、まったく見えてこない。
この方法よりこっちの方法が良かった、という比較も書かれないし、果たして実践しているのか謎だ。
それで「夢がかないました」と言うのでどういうことか見に行くと、自分の本が出せたことだったりする。ビジネス書を読むのは本を出すためで、ビジネスとは関係なかったということだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20130609152731
単なるギャラリーサイトとか、どっかのAPIを使って表示するだけとか、RSS読み込むだけのアンテナサイトとか。
もっと役に立つ、しっかりしたもん出してから「Webサービス」を名乗ってくれよ。
ただ、自称Webクリエイター(笑)とかWeb系ブロガー(笑)が、
「Webサービス作ってる私かっこいい!」で作ったような単なる素材集サイトとか、Wordpress丸出しなやつね。
つーかアンテナサイトももういいだろ。素人が作るならまだしも「Webクリエイターです!」ってどや顔で作るもんでもねえよ。
まだ彼氏ほしいを探すTwitterのネタサービスとかのほうが「Webサービス」って感じ。
まあ、人それぞれだと思うんだけど、何か釈然としないんだよなあ。
アレっていいメルクマールになったと思う。
普段俺がおもしろいなーと思ってるブロガーってあの件について完全にスルーしてるもん。
やっぱ人気ある人ってセンスがあるんだなと思った。
「これはまともな議論にならないで、それぞれの自分が正しいと思うことを言いたいだけになるな」
って初見で見切ってたあの感じ。
当事者同士は早々に和解して解決したのに、みんな無視して当事者以外の人達が自分の欲のためにそしてそれに気づかずに、正論をぶつのとか本当に気持ち悪かった。
セカンドレイプってあーいうことをいうんだろうね。
信者のほとんどがオタクである。セーラームーンや超常現象など、変なものを好むものも多い。元々はそうした精神で寄り集まった烏合の衆であるから、まあ当然と言えば当然である。
信者のほとんどが、はてなブックマーカーかはてなブロガーである。たいていはそのブログジャンルにおいて二流あるいは一流半程度、ややもすればキワモノとみなされている。
元々は批判するよりも、楽しむための組織であった。しかし教祖であるNATROMが批判主義であるため、当初から矛盾は内包されていた。現在では当初のキャンプ的精神はあまりみられず、妙に[ピーーーーー]している。
wander1985
hayakuzaka
damae
akira-2008
ncc1701
locust0138
昔のはてなといえばブックマークでアクセス数を伸ばしまくることで、岩崎夏海みたいな禿を社会に送り出すカタパルトみたいな機能を有していた。
もしくはちょっとアンテナ高いやつがあまりブクマされてない記事にシニカルなコメントを書き込む厨二的スノビズムこそがはてなのいいところだったのにさいきんのはてなは何?
主婦層やギャル層で話題になってる話題なんてひとつも把握できてない。
アルファクリッパー(笑)の周りで鼻を利かせて炎上して叩けそうなネタに集まって俺の中のルールではこれAUTO!と叫んで悦に入るだけ。
挙句の果てにはてな界隈で話題になってないから、と古参ブロガーが一生懸命記事をまとめて紹介する始末。
さらにはこのていたらくをデザインリニューアルのせいにするのだから堕ちたものだ
時々、ポエム(元増田のことでも特定の個人を想定しているわけでもなく自然と思い浮かび一人の時に口ずさんで歌っている)
を作っているがいきなり一行目で詰まってしまった
何でこんなポエム思いついてしまったかというと昔と現在のSNSでは「右や左の旦那様」って書くと意味が違ってくるかもしれないとふと浮かんで
昔はオフラインワールドで空き缶地面に置いていたり、それらしくお金を求めてくる人見かけたけどオフラインではほぼ見かけなくなったねととりとめもなく
☆をください 胸に輝く希望の星を 今日も皆様を満足させる為に
アルファへ繋がる希望の☆を RTください 明日のスターになる為に
社会(自分)の環境を良くする運動にカンパしてください 口座番号はこちらです
もう時間が無いんです ワープアぶらっく 壊れちゃったんです 職も無いんです
年齢的にも辛いんです ぬくもりも無いんです ネットで逆転するしか無いんです
見返したいんです 親の悲しそうな顔見るのが辛いんです こんな筈じゃなかったんです
希望が無いんです 中年に近づく 非正規ブロガーの末路を知っていますか
魔法使いが現われました
「このマッチを使えば君もウェブ炎上したり(させたり)して注目を浴びることが出来る 君にあげよう只で」
マッチを擦ればウェブ炎上しているアルファの姿が浮かんできました アルファに絡んでいる間は人々から注目が集まります
「注目されて仕事に繋がってお金になっていいな、頭が良くて学歴もあってうらやましいな いつかはああなりたい」
幾ら横増田が増田のほぼ全記事に目を通してるからと言ってネット上の構ってチャンに
全員対応してあげる暇は無いでござるよ
普段から交流しているブロガーさんとかならコメント入れて慰めるけど
ここ増田だし何処の誰とも本当とも釣りとも判別できない記事にいちいち
「よーちよーち可哀想でちゅね」とあやしてやる所縁は無いあるね
この記事が腹立つ。
http://snowymoon.hateblo.jp/entry/2013/05/28/215758
「私を含めみんなが罪深いということなのですが、」
これか? この文面が腹立つのか?
どっちにしろ、このままいったら生活保護制度は破綻するでしょ。
そうなったらどうすんの?
そっちの方がやばいでしょ。
最近、無職引きこもりになったせいで青二才がアニメばかり見てる。
そして見るだけなら飽き足らず、実況や批評までしている。
マジでやめてほしい。
こいつのアニメ批評は頭からケツまでアニメをダシにした自分語りでしかなく見ていて本当にため息しか出ない。
ていうか、こいつは本当に、本っっっっ当に、作者やスタッフへの敬意というものが微塵もない。これっぽっちもない。
もう基本姿勢が「見てやってる」なのだ。作り手が全力で自分に奉仕してくれないと癇癪を起こすような奴だ。要するにクレーマーだ。
作品に対しても粗探ししかしない。というより、全体の一割ほめて九割けなして「いい作品でした」みたいな評価を下している。
読者に分かるのは、青二才がクズなこととまともな作品評ができないということだけだ。
審美眼や感受性はもとより、読者を楽しませようという気持ちすら一切ない青二才のアニメ批評は糞以下だ。
しかも作品に対しての批評だけならまだしも、こいつのとことんまで腐ってるところは「俺ならもっと上手くやる」みたいな匂いを文章の随所に塗り込めないと気が済まないところだ。
批評はこれといって自分から見ないようにしているが、たまにアマレビューで低い評価が付いているのを見ても個人の主観だし自由だと思っていた。
こいつの批評を読んで初めて好きな作品を汚されたという思いがした。
作者なりスタッフなりの汗が全て青二才のちんけな自分語りに還元されていくのを見て本気で吐き気がした。
青二才に言いたい。
お前ひとりがアニメ見なくなったって市場には何のマイナス影響もない。
もちろんお前がアニメ批評を続けたって何のプラスにもならない。
どうしても批評がしたくてしたくてしょうがなくなったら、もう桃太郎みたいな童話かドラえもんやサザエさんでやってくれ。
どうせお前がしたいのは自分語りなんだろ?
だったらそれで十分事足りるはずだ。
形容と結果に持論が挟まっているもしくは形容から連続して持論しかない文体に、一体なにの本を読み重ねたら至るのでしょうか。
本を読んだら他人の語彙が増えて自分の口から出せるタイミングが増えるということになにか意味があるのでしょうか。
本を読まない人
持論
ツマラナイ
判断
多いです
形容 持論 判断 持論
本を読まない人って、ツマラナイ人間が多いです。正直見下しています。
持論を展開するために情報を収集するのに本に限定する意味がわかりません。ニュース記事だけヘッドラインだけみても「有名ブロガーに意見する人はおおいけど」という概算的な形容はできると思います。
本を読んでいるといいたげに表現するのであれば、形容に例から結果をつなぎ結果から別の結果への接続を持論として文章にするほうが「読んでいない」との表現と差別化が図れるのではないでしょうか。
例
イケダハヤト氏の記事「○○の××における△△」の一節にある
ちきりん氏の著書「●は◇」に見る
形容(他者視点)
「□は▽」という見解
という表現
まさに
この場面が一致するのではないだろうか
形容 例 形容 形容 持論
イケダハヤト氏の記事「○○の××における△△」の一節にある「□は▽」という見解についてちきりん氏の著書「●は◇」に見る「▼からみた■」という表現に、まさにこの場面が一致するのではないだろうか。
だれでも知ってるフレーズをマネするだけが本を読んで記憶するメリットであるまたは、自己視点を持論で判断した結果を伝播することを主眼とするならば的を得た文章かもしれないと、増田さんの主張について思います。
私の個人的な感想ですが、本を読めといわれる人の表現したい必要性という欲求の具体的な形としては「どうしたらそんな発想、表現、思考ができるの?」と興味をもたれる頭脳の構造になるには本を読むことが有効といった内容かと想像していますので、読者という視点で複数の筆者の断片的な要素を複合的に当てはめ、判断について持論を展開する折に「以前に使用された観点」を踏襲して理解を連想から興し理解に関して情報伝達のほか感情移入を誘発できる可能性から理解から行動するという結果にまで誘導する効率を高めるというのが、読書した人間の「本を読んだメリット」になるのではと考えます。
簡単に喩えると、
おまえにだって子供のときから教わってきた常識があるだろそれしていいことかわかってんの?
と
他者視点形容 例 持論
初めて幼稚園で泣かされたときのこと覚えてる?小学校のときプール嫌いだったよね、今、その気持ちをお友達に味合わせていいのかな?
では発言者の希望する結果は同じかもしれないけれど伝達される側には行動喚起に関して感情の有無から判断方向がかわる、それをコントロールできるのが本読みではないかというのは、あるとおもいます。
で、本を読めと。何の本を読んだら自己完結で読本の大切さを伝えようって行動喚起に至ったんですか。
私おもうんですけど、さよなら絶望先生とか涼宮ハルヒとかみたいな、自己視点の紹介と自己感想を常に独り言している系の作品とか、お好きでないですか?
http://anond.hatelabo.jp/20130528120421
(3)はてブの存在(というか、放置すればいいブログをもてはやす習慣?)
が思いつく。
(1)について
「最も効果的に○○するための7つの方法!」とか「○○が読むべき本○選」とか、
多くが共感できるものだけど、それゆえにブログを見て「わかるわかる」とか「これが入ってないなんてどうなの」とか思うだけで時間が費やされる。
実は中身が薄い。だがそれゆえに読みやすいという事はあると思う。こういう記事は必要だと思うが、最近ホッテントリに登場するのがコレ系ばかりでバランスを欠いているのが問題だと思う。
また、誰かを攻撃するために正論を言い合うブログも、共感はできるけど実は共感しかできない。
読んだら溜飲が下がるから読まれる。ブログ主に代弁してもらって心の中で「そうだそうだ」と一緒に石を投げるが、批判はブログ主にしか行かない。
非常に居心地がいいブログなので好かれる。
(2)について
(1)に登場した安易で読みやすい記事がどんどんパクられて、オリジナルは検索でヒットせずずたぼろ…なんて最近のホッテントリでもあったけど。これは2つの問題があるとおもう。
一つは、パクリの目的は最終的にはアフィだろうから、人を呼べそうなコンテンツばかり書き連ねて、雑多で方向性の無いブログ、あるいはパクった記事しか無いような、内容の薄いブログが大量発生してしまう。
もう一つは、密度の濃いブログを書いてくれている人のブログが発見されにくくなり、アフィを目的とした釣りブログばかり目につくようになること、それによりブログ主のモチベーションが下がる事。
(3)について
はてブが悪いっていうんじゃない、ただ、はてブ以外のサービスも必要だと思う。
理由は、はてブはコメントをつける機能があるため「ひとこと言いたい」というブログにブクマが集まる事が多々ある。
この機能が悪いと言いたいのではない、ただこの機能ゆえに、「相手にしなきゃいいのに」と思うようなブログがたまに挙がってくる。
そしてそれを見てしまうと、絶対にひとこと言いたくなる。
意識の高いブログとそれに対するツッコミの応酬が続々とホッテントリに上がってきたり、人間関係の愚痴や問題など、読んで的確なツッコミを入れたらスカっとできるようなものがピックアップされがち。
繰り返すけどそれが悪いってわけじゃない、ただテレビで言うとワイドショーとかバラエティに当たるもので、教養番組ではないと思う。
どっちも必要だし、どちらかが無くなればいいとは思わない。
これらの問題点を解消するためにどうするかというのは悩ましい。
パクリサイトにはわざわざブクマつけて「パクリ乙」とか晒さずにスルー・通報・オリジナルを応援。
炎上商法がくだらないと思っているならこちらもスルー(一緒に遊びたい人は別にいいと思う)
でも難しいだろうね、実際。
一人一人が良いものを選択して、応援してあげないと良いものは埋もれるだけだと思う。
多くの人はプロブロガー()じゃないんだし、書き続けるにはモチベーションが必要だよ。
ただ一人一人が楽しさを選択した結果が現状なんだろうからな。
http://anond.hatelabo.jp/20130528120421
日米のブログ論壇のレベルが違うっていうより、日本と米国ではブログの使われ方が全然違う気がする。
俺は英語ブロクをちょっとしか読んでないけど、俺が読んでいるのは自分の職種に関連するすごく専門的な内容で、その他の一般人はあまり関係のない内容。俺の独断で言うけど、日本みたく「社会問題全般に対していろいろ意見をいうオピニオンリーダー」的なブロガーって海外では実はあんまりいないんじゃないか?って思う。いるとしても、それこそ大統領になる前のオバマ候補とか、プロの政治家や政治団体系になっちゃうんじゃないか。つか米国の活動家はブログで意見いうだけにとどまらず気軽に政治活動に向かって立候補とかしちゃうんじゃないか。
日本でも上の増田で挙げられた人たち以外にも素晴らしいブロガーは多数いると思うが、社会問題よりも彼らの専門分野について淡々と語っている系が多いのでそれに興味が無い人には関係ないブロガーだったりする。
いやー、いろんな人に、特に有名ブロガーに、トラバやコメントで絡みまくったらいいんだろうとは思うよ。
引用して、トラバして、有名ブロガーの記事の批評みたいなのね。
それで便乗してアクセスもらえるとは思うんだけど。
今のとこ、そこまでして人呼び込みたい記事があるわけでもないしなあ。
琴線に触れて、大きな声で世間に叫びたいネタがあるわけでもないしなあ。
ポスドクからパーマネントになったから、俺も教養人? みたいなのりでとりあえず始めただけだし。
まあ、自分でどうもっていきたいかだから、流れ者アクセスは気にしなくていいのかも。
でもま、検索で不意に来る人が多い方がうれしいよね。
よくよく考えたら増田って自分で使うの初めてだなあ。とりあえず本当に特に取り留めのない事を取り留めのない文体で改行もせず雑々と。
はてな使い始めて幾年か経ってはいるけれど、未だに「はてな村」なるモノが一体どういった物体で何処に存在するのか全く分からない。
いやまあ分かった所でどうなるって事も無いし何となく得よりも損の多い事柄な予感がするのでなんともいえないのだが、ブクマとか巡回してたりとかするとちょいちょい耳に入ったりはするのでどうにも気になって仕方がない。聞く所によるとバトルブロガーなる戦闘民族が集まっていて日がな公開日記であるはずのブログを使って議論討論暴論……とは名ばかりの「高度なボキャブラリを使用した口汚い批判」を繰り返しているとか何とか。完全に風の便りとか風説とかだけの印象でだけの話だけど碌な場所な気がしない。しかし「はてな村」とか堂々と名前が付くぐらいにははてなの中でとても重要な位置を占める場所なんだろうなあとは思うし一度は拝んでおきたい。いやいやもしかして自分が気付いてないだけでもう既に実ははてな村の領土内に入っているのかもしれない。知らんけど。一体どこからがはてな村で何処からがそうでないのか全く一切合切皆目検討もつかないが、道端の所々で「otsuneは見ている」とか看板が立ててあったりするしこうやってどこかで何でも良いからくっちゃべってればその内村民の誰かが村の所在を口滑らせて喋ってくれるのではないかと期待してのことだったりはする。……いやさ、自分でもブログは持ってるんだけどさ、弱小ブログで記事かくよりも増田で書いた方が絶対反応もらえるじゃん?何のためのブログなのかっつー話ではありますけども。
いやさ、村民に絡むことが出来たらそりゃあもう僕の知名度も鰻上りだと思うわけですョ。そもそも匿名である増田の反応でも上手くいけば有名ブロガーの目を引いて戦争に持ち込む事ができるわけですし。というのもなんか分かんないけど定期的に青二才なる人物と増田の誰かとの間でたびたびブログの体裁をとったストリートファイトが行われているのを見て思っただけなんですが。主題が何なのか全く分からないのでどっちが正しいのかとか知らん。青二才先生が名実ともに青二才なのかもしれないし、増田さんがただの高分子粘着質なアンチってだけな気もしないでもない。もとい、基本部外者なのでどっちでも良いっちゃあ良いんですが、多分にああいう「文字を使え、後は特にルール無用のバーリトゥードだぜっ!」みたいな環境とやらがはてな村の正体なんだろうなあなんて考えると無視したら村への道が閉ざされてしまうし寧ろココは積極的にお二方の邪魔でもした方が良いんですかね。もとい。
後はほぼ知らない。ファッ……ハックル先生とかは何気に中の人がかの有名なドラッカーが云々の著書なスキンヘッドの某氏だと聞くしコレはもう取り入っていけばはてな村どころかテレビ出演も夢じゃないんじゃないすかね!?それはないか!
……大体全部勢いで書いたけど、まずもって村の人間じゃなくて普通の人間から文体でドン引きされそうなのでコレはないな。いろんな意味で。
そろそろ不利と分かってる人に皆でいっちょ物申すのは辞めてもっと楽しい日記書こう
Twitter民みたいなことしててもねー
今日ドラッグストアの前に妊娠検査薬が開封されて落ちてて思わずびっくりした話や
常日頃王将ワタミなどブラック労働の温床となっている飲食業を叩いてる善人のみなさんはそういうブラック企業を利用する客も同罪だといっているよね
では労働者にありあまりある負荷と圧力をかけ、自分の思いが通らなかったら知名度を利用して特定の飲食店の営業妨害をするようなブラック中のブラック客、乙武洋匡をぜひ批判するべきです。
障害者様は絶対に社会全体で丁重に扱わなければならないという規範はありません。労働者にも権利があるのです。同じ対価しか払わない客に過剰なサービスをする道理などないのです。
そうですよね?
まさか薄っぺらい人権偏重な価値観で漠然と企業を攻撃するために労働者をダシにしてるわけじゃありませんよね?(笑)
ならば労働者を虐げるブラック客と決然と戦う覚悟をもちましょう。
ならばあなた達は所詮薄らバカのブサヨだということです。アベノミクスで得するのは株長者だけだよ~とかほざいてる人の足を引っ張るしか能のない低能人権ゴロだということです。
女性手帳が話題になってしばらくたち意見は出尽くした感があるから僕もそろそろ書いてみる。
まず、僕は女性手帳に賛成です。
近年、高齢出産による不妊症やダウン症の発生率の高さが問題になっている。これはテレビでも取り上げられていて、「卵子の劣化なんて知らなかった」という言葉があったので、こういう大事なことはちゃんと教育しないといけないよなと思っていた。この記事を見たときは、「おっいいじゃん」くらいの感じだったけど、ネットを見てびっくり。反対反対の大合唱。何がそんなに問題なの?ということで、これから反対派の主張をひとつひとつ潰していこう。
これが一番多い理由だ。つまり、そんなものを配るより子どもを作れるような社会を作れよ、と。これは少子化に関して言えばその通りだろうね。でもね、これが女性手帳の反対の理由なのはちょっとずれてるんじゃない?女性手帳の目的は「晩婚・晩産に歯止めをかける」であって「少子化を解決する」ではない。少子化の原因の”ひとつ”の晩婚・晩産の原因の”ひとつ”に妊娠や出産の適齢期の無知があるから、それを改善しましょうってだけなんだが。Twitterを見ても「少子化」という観点で批判している人が多すぎる。もうちょっと落ち着いて考えようよ。
(参考)同じ意見の人がいた→【女性手帳】少子化問題と高齢出産のリスク問題は分けて考えて
「生む生まない、いつ生むは個人の問題で、国家が決めることではない」という主張。これは過剰反応というしかない。僕にはたかが手帳が個人の生き方を決めるとは思えない。女性手帳のおかげで「若くして妊娠」という生き方を選んだ女性は、たとえ女性手帳がなくても、運よく情報を得ることができれば、その生き方を選んだはず。不幸なのは、そういった女性が知識不足のために高齢出産で苦しむこと。好きに生きたい人は”リスクを考えたうえで”好きに生きればいいし、その自由は憲法で保障されている。
この主張の代表は、弁護士の伊藤和子さん。彼女は人権問題にかかわっているから敏感なんだろうね。それにしても、この人の記事には「生き方を押し付ける」や「上から目線」など感情的な表現が多かった。「生き方を提案する」でいいし、政府が施策を講じれば、すべて「上から目線」になるんじゃないか?
理由3「そんなことは知ってる」
妊娠や出産の適齢期・高齢出産の危険性は周知の事実であるという主張だ。これはちょっと終わってる。それを知らない人が多いから、女性手帳をという話になったんでしょ。たとえば、今小学生の女子が大人になった時に、教育(女子手帳など)がなかったらどれほどの人がちゃんとした知識を得ることができるのか?今、テレビで取り上げられて問題になってきたからみんなが知ってきたのであって、ここ数年まで知らなかった人が多いのでは?(僕もその一人)自分が知っているからみんなも知っていると思い込んでいるんだろうか。残念な想像力。
ブロガーのChikirinさんの主張。要約すると、「女性はちゃんと人生設計を考えている。ナンも考えてない男子にこそ手帳を持たせろ。そして早くパパになる覚悟を持て」と。うんうん、女性がちゃんと人生設計を考えているのは本当だろうね。僕の経験からも女子は真面目な人が多かった。一方、男子ははっきり言えばガキ。では男性手帳を作ったほうがいいのかというと、これは賛同できない。まず「パパになる覚悟」というが、手帳を渡されただけで覚悟ができるのか?知識は簡単に付く。手帳でもできる。さらに自分のことだから、女性の意識も変わるかもしれない。しかし、パパになる覚悟はどうだ?そんな簡単に覚悟できるか?
これはただ当たり前のことを言っているに過ぎない。「子どもの多くが「勉強したい!」って考えるようになったら、自然と学力も上がりますよ。」こう書きかえれば、仮定の部分がそもそもおかしいことに気がつくはず。その意識を変えるのが難しいんだろうが。たかが手帳で変わると思っているとは楽観的すぎる。
この理由の最大の問題点は、男性の意識の問題にすり替わっている点。女性が結婚したいと思っても、男性にその気がない。だから、ナンも考えていな男性の意識を変えましょう、と。なんと自己中心的な発想だろう。男性に結婚する気がないのは、男性が悪いわけではない。結婚する気がないのは、結婚したいと思えるだけの魅力が女性にないか、そもそもまだ時期的に結婚する気がないかのどちらかだろう。ミスマッチというだけの話だ。ここで結婚できないのを男のせいにすると、さらに結婚が遠のくということは知っておくべきだろう。
では、男性はいつまでもガキのままなのか?そんなことはないでしょ。それなりに遊び、仕事にも慣れ、収入も十分にある、家族を養えるようになって初めてパパになる覚悟ができるんじゃないのか?そのころには、女性が考えているよりもはるかに強い親になる覚悟を持っていると思うのだが。
(おまけ)
「男性にも同じものを配ったほうがいい」や「男性も妊娠や出産の適齢期の知識は必要」という意見もあったけど、これはなかなか面白い。すでにパートナーがいる男性には女性が教えればすむ話なので、パートナーがいない男性に女性手帳を配れってことなんだろう。未婚の男性が下手に知識をつけると、適齢期をすぎた女性を敬遠するようにならないか?今までもそうだったかもしれないけど、もしこれが実現すれば、婚活市場における30代女性のさらなる苦戦が予想できる。うーん、残酷。
こうして見ると、反対する理由はないと思うんだけどなあ。まだ検討段階のようだけど、ぜひやるべきだと思う。女性手帳ではないにしても、妊娠と出産の適齢期と高齢出産のリスクの医学的知識の普及は必要だろう。そういう観点で批判している人が少なかったように思えるけどどうだろう?なんとなく自分が悪者にされている気がする、責任を押し付けられている気がするから反対しているんじゃないのか?どうだ?反論してみろ。