はてなキーワード: ファンタジーとは
なんか、
文春「ねぇねぇ見て見て!ミッキーの中身っておじさんだったんだよ!ほら!どう?ねぇ知ってた?失望した?ひどいよね?どう?どうなの?ねぇ、どんな気持ち?」
ってやられてる気分。
自分だって、…というかみんなそうだと思うけど…、薄々気づいてて、それでもある意味気づかないふりして楽しんでたわけじゃん。
『ドラガリアロストはFFクローンである「グランブルファンタジー」の世界観を一部引き継ぎ、そのほか「ナイツオブグローリー」のキャラクタや「進撃のバハムート」との世界観も受け継いだ「白猫プロジェクト」を模倣して作られた「任天堂」によって2018年9月27日にパブリッシングされたスマートフォン向けゲームである』
https://webnovel.jp/n/1541741088988
「世界は踊り、取り残されて」
大学四年生の女の子が単位を落とし、すべてがいやになって海を見に行く。自分を包み込んではくれない海に中指を立てて、そして自分に中指を立てるシーンでこの作品は終わる。自分が許せないから、日常の風景が許せなくなる、そんな話だ。恐らく、実際に単位を落とした作者が、自己投影しながら書いた作品なのだろう。
「世界は踊り、取り残されて」には、浅野いにおや花沢健吾の青年漫画、あるいはハードカバーの一般小説によくみられる、都会の鬱屈した日常が感じられる。僕はこういった雰囲気が好きだ。
ではなぜ、人々は陰鬱な物語を愛するのか。暗い物語の担う役割とはなにか。一つ目は「啓蒙」だ。
厨二病まっさかりの中高生は、血なまぐさいファンタジーや社会の闇など、アンダーグラウンドなものに惹かれていく。
なぜ少年少女が一様に残酷な物語を求めるのか。僕は、いずれ来たる残酷な現実に備え、苦しみを知るための本能的な衝動だと思う。
ほとんどの子供は親の庇護の中では無敵だ。苦しみや痛みや面倒事は親が振り払ってくれる。
しかし、大人になるとそうはいかない。痛みを知らないまま大人になってしまい、社会に出て初めて、人間関係や生活の不条理さ、世界の残酷さを覚えてもまともに戦えないのだ。だから、苦しみと戦えるだけの体力や精神力のある若いうちに、陰鬱な物語を求める。
物語を必要としない人間は、現実世界で理不尽さを経験することで成長していく。
残酷さや苦しみは確かに人を傷つけるが、人間の魂はそういったものを克服しなければ成長できない。
暗い物語は、僕達が傷つかない程度に、傷の痛みを教えてくれる。
明るさだけが人の救いになるわけではない。小説家になろうなどでは、鬱屈した生活を送る主人公が異世界に転移し、自分をいじめていたクラスメイトに復讐するという作品がある。こういった作品は「今の自分から抜け出したい」「惨めさを払拭したい、強くなりたい」という読者の、魂の叫びを癒してくれる。
また、僕の友人は、暗い物語を読むことで、「ダメなままでも生きてていいんだ」と肯定感を得られると話していた。その時、彼女らは陰惨さに救われている。
また、僕はイラストが趣味で、その繋がりからインターネットで小説の書き手と交流させてもらうことがある。そこでわかるのは、陰鬱な物語の書き手は、陰険と言うよりはむしろ、人間の営みの醜い部分を分析し、受け入れていけるだけの強さがあることだ。そんな作者から与えられる陰惨さは、苦しみを抱えた読者にとって、ある意味で慈愛だろう。
慈愛は「小説を読む読者」ではなく「小説を書く作者」に向かうこともある。防衛機制でいうところの「昇華」だ。
この場合は、作者の苦悩が物語にリアルに反映される。誰もが知る有名どころだと、太宰治の「人間失格」がこれにあたる。
「世界は踊り、取り残されて」では、単位を落として内定を逃し、堕落した生活を送る主人公は、海に向かって中指を立て、そして今度は自分に向かって中指を立てる。
これは象徴的なシーンだ。
「癒し」として生み出された作品において、作中の苦しみや悲しみは主人公ではなく、作者に課せられる。中指は海――作品の対象ではなく、自分――作者自身に向けられているのだ。
もちろん、この二つにあてはまらない暗い物語もある。だが、根本に人間の醜さへの受容のない陰惨さは、読者の野次馬根性を煽って購買意欲を掻き立てたい・閲覧数を稼ぎたいだけだ。それはエンターテインメントであっても物語ではない。
陰鬱な物語において、中指は誰に向くのか。その中指は同時に、救いの手となるべきである。
「世界は踊り、取り残されて」:https://webnovel.jp/n/1541741088988
硬派
無口
一匹狼
女に媚びない
的な属性を備えている事が多い。
今エグザイルプロデュースで女向けハーレムドラマのプリンスオブレジェンドをやっている、王子が大渋滞と言う売りにふさわしく馬鹿みたいに大量の男達が出てくるのだが、その中に不良王子もいる。
貧乏なヒロインが映研のバイトでアクションをしていた姿に惚れて片思いしてる設定なのだが、リーダーをしている不良学校からヒロインの学校に転校してくる理由が「だって一緒に居たいじゃないかー」めちゃくちゃ柔らかい。
チャラ男的なキャラではないからなんか驚いてしまったが、考えてみたら不良にとっては恋人がいるかどうかはとても大きな問題で、恋人作りにかなり積極的で必死な人種だ、エグザイルプロデュースだけにその辺がファンタジーになりきらないんだなぁと納得した。
「異形の男性を愛する普通の女性を描いた作品では真実の愛と評価される」
「異形の女性を愛する普通の男性を描いた作品では歪んだ愛と評価される」
「その為か前者の作品と比べて後者の作品はとても少ない。ここでも無意識のうちの性差別が表れているのではないか」
と。
本当に少ないのか、歪んだ愛と評価されているのだろうかと考えてみた。
異形の男性を愛する女性の作品と言われれば、真っ先に思いつくのが美女と野獣だろう。
千と千尋の神隠しやハウルの動く城等のジブリ作品が思いつくが、こちらは人間の形をとることもでき、実際作中の大半を人間の姿で過ごしているので、今回は少し違うと思う。
千尋は龍の姿のハクを愛したわけではないし、ソフィーもハウルの魔物の姿を愛したわけでもない。
しかし異形の姿をとっても愛を失ったわけではないから同じことか。鎌爺なんか作中ではっきりと「愛だ、愛」と言っているし。
ゲームの世界だとピーチ姫を攫う大王クッパが思いつくが、こちらはピーチ姫が好意を寄せているわけじゃないので除外。
しかし作品のテーマ、もしくはキャラクターの設定としてよく見かけるものではあるといえるだろう。
異形の女性が登場する作品となると、一番に思いつくのは人魚姫だろうか。
しかし彼女は王子に会うために声を失い、激痛を受け入れながらも人間の姿になっている。
それにそもそもその恋が叶わず泡となって消える悲恋の物語である。
また古くからある日本の物語で思いつくのは妖怪、とりわけ雪女だろうか。
しかしこちらも姿は人間であり、氷柱や雪だるまの姿で登場するという話は聞いたことが無い。さらにこれも人魚姫と同じく、結ばれることのない悲恋の物語。
ファンタジーに登場する魔物のラミアやケンタウロスなど、上半身のみ人間の女性の形を取り、下半身は動物または魔物の体をしているキャラクターもいる。
デュラハンやろくろ首のように首から上だけ異形の形を持つ者もいる。
それらと恋愛関係になる作品はいくらか思いつくが、特殊性癖だとの扱いを受けることは否めない。
暴論になるかもしれないが、ジブリのように子供も見る場所においても問題無いかと言われると、微妙なところだともう。
余談だが格闘ゲーム『Guilty Gear』シリーズにはジャスティスというキャラクターが居る。
作中用語でギア、素体と呼ばれるが見た目は完全にロボであるが、独立した思考と女性の人格を持っています。
ただ恋愛関係にあったか、といわれると、正直微妙なところかと。
世界設定によって作中の倫理観って変わるもんだけど、それによって同人で流行る変態化度合いも変わってきたりってするのかな?
女性向けソシャゲジャンルでの男キャラ×女主人公、過去何度かファンタジー系作品のジャンルいた時はファンタジー設定利用しためちゃくちゃ変態攻めそれがデフォレベルで流行ってたんだけど、最近魔法とか不思議要素が特にない現代劇の作品にいくつかハマったらどれも男キャラ×女主人公でも変態化すごく少なくてびっくりした…
申し訳ないけど異性同性問わず過度の変態化はちょっと苦手なので好きなキャラが同人人気高くても自分の倫理観と近いジャンルかどうかによって二次を見るかどうか決めるのはありかもなーと思った。
自分も時々二次同人描くけど、二次なんて大抵好きで描いてるんだし、無碍に他人の好きなものに拒否感抱いてしまうよりも自分の好き嫌いを読む前からなんとなく嗅ぎ取る能力育てたほうがお互い幸せだしね。
http://www.dlsite.com/maniax/work/=/product_id/RJ237990.html
SM要素は軽い顔騎ぐらい、おねショタ要素もファンタジー要素もない純粋な身長差エロというのは結構珍しい。
身長差以外は女性主導ではあるものの肉感的でエロく、身長差フェチの人以外でも、とにかく刺激的なのが好きな人や新しい扉を開きたい人に進められる出来。
すごく分かる!だから現代風の漫画で変に熱い主人公とか理解できない。
ファンタジーもので忠誠のために!とか愛のために!ってのはそういう時代設定で別にいいけど
現代で彼女のために!とか、いやいやいやってなる。別れたら?って。
具体例が出てこないな。
ど田舎から上京してきて6年、電車っていうものは朝の満員電車と帰りのおっさんたちが汗ばんだまばらな電車しか知らない休日引きこもり。
#拡散希望 #拡散希望RTお願いします
まず電車ガラガラなのにいきなり目の前に座ってきて 私がスマホ向ける素振りするとカバンで隠してそれ以外は公開してきて恐怖で心臓が死ぬかと思った
電車おりた瞬間追いかけたらダッシュで逃げて行きましたマジでこういうの社会のゴミ しばらく泣いた。 pic.twitter.com/kXPr0HkK6P— 5組のみゆき (@10John05) 2018年11月3日
このツイートみて、痴漢っていうのが普通にいるんだなってのを知ってマジでショック。
言葉がおかしいけど、存在するのは知ってたけど、ファンタジーというか。龍が如くっていうヤクザゲームの登場人物というべきか、ボキャ貧ですまないけど、非日常の存在だと思ってた。
しかもこんなおっさん、朝の満員電車でスーツ来て出勤しててもおかしくないただのおっさんがな…。
てか、俺も今は「痴漢?バカバカしい。我慢できなかったら風俗行くわ。」ぐらい思ってるKKO候補だけど、ボケたりしたら本能のままこういう事してしまうのが恐怖だ。
いや、そこはどうなんだろうなあ。ダブスタっていう批判も正しいのか正しくないのか、微妙でしょ。
例えばとある男性オタクがエルフが好きで好きで、「エルフは森のなかで氏族生活を送ってるので着ている服も、植物繊維とかファンタジー花びらで縫製したパステルカラーで面積少ない服なんだよ。かーわいいなー!」って発言し、実際そういう作品を書いてたとして(なんと壁サーなのだ!)、そのオタクが、このエルフの服飾文化を実際の女性に適用してるとか、現実女性文化への意見表明として作品を書いてるかと言えば疑問だし、ぶっちゃけ、そんな意味がある例は(ないとは保証できないが)ほぼ例外でしょ?
ここにおいてエルフは(それが美少女であっても)現実の女性問題とは概ね切断されているし、消費物以上の意味はない。このエルフはフィクションの存在なので、こっちの世界の男性とも女性とも出会わないわけだから、そこには搾取はない(生じようがない)し権力勾配もない。
多くのオタクにとってフィクションはフィクションであるように、腐女子にとってBLはフィクションであって現実と接続はしていない。
ここでは話をわかりやすくするためにエルフっていうはっきりファンタジーの存在と比較したけど、構図としてはエルフじゃない美少女でも美少年でも、フィクションという意味ではそうでしょ。
つまり切断されている方が普通で、切断は正しいんだよ。問題は「自分の庭とでも言うべきジャンルでは切断処理しているくせに、他者の切断処理は認めない方」であって、切断処理そのものはむしろ常識的でいいことだ。だから、彼女らの問題はダブスタじゃなくて「叩ける相手(=彼女らの言うところのキモオタ)に殴り掛かる狂犬性」だ。ダブスタは論理的な矛盾に対する私的だけど、そもそも彼女らは論理的一貫性を売りにはしてない。さいしょから暴力主義を標榜してるわけで。「ダブスタだからダメだろ」っていう批判事態が、あんまり意味ないとも言える。
異国っていいよね。でもアメリカとか中国はなんか異国っぽくない。都市部の印象が強いせいかな。イメージと違う。
東南アジアとか、ベネチアとか、どことなくファンタジー的な要素を含んでいるところが自分には適切かなあ。
サバンナとか、アマゾンとかはまた違うんだよなあ。文明色が強くないからかなあ。自然が強すぎるのもダメなんだと思う。
カナダ。カナダはどうかなあ。水力発電と壮大な山々。でもなんか違うなあ。やっぱり異国って情緒あふれていてほしい。
トルコはなんか異国っぽい。サウジアラビアは逆にだめな気がするなあ。
国の名前だとあんまりよくないのかもしれないなあ。地域名や地方都市なんかだと、より異国っぽい感じが出るのかもしれない。
これって、日本以外の国の人はどんな答えになるんだろう。
「男性向けファンタジーに出て来る女は現実的である」と考える男はレアじゃないから言われるんじゃない?
「誘拐されて逃げなかった女はただ家出しただけで誘拐した男が好きだったから逃げなかっただけである」とか
実際はそういう男が大勢いて、犯罪を行ったり肯定したりするから問題視されるんだろ。
フィクションの窃盗描写だって、実際に起きた窃盗事件に対して「何も問題ない」「被害者も本当は盗まれたがっていたはずだ」と考える人が大勢いる状況なら
問題視されるだろうよ。
他の人が言及してないので
でも、ゾーニングもされず世の中がそればっかりになると、ファンタジーと現実を混同しはじめる人がいるのはわかるかと思います。
あくまでファンタジーだから。そういった共通認識を前提として、今まで創作の世界を楽しんでいたのですが、あまりに裾野が広がりすぎるとその前提が届かない人たちが出てくる、そしておそらくそれは、男女共に幸せなことではないだろうと思います。
そんなレアケースの頭おかしい奴を理由にして創作を制限しようということに正当性はあるのですか?
「窃盗が良いことと思う人がいるかもしれないからアルセーヌ・ルパンは図書館から排除しよう。これはゾーニングだ」と言われて賛同しますか?
スクエアの開発部スタッフのお遊びで初期のファイナルファンタジーシリーズでは頻繁に登場してたのよね。
例えばFF3のけんざきならぬつるぎざきさんの奴とか。ああいうファンタジー世界に日本語が登場する所にギャップというか軽い感動を覚えたものだけど
いつからか見当たらなくなったのよね(FF14は正確には開発室なるもの。そもそも吉田はクソ)。
こっちはスタッフルームじゃなくてデバックルーム(デバッグだったかな)だったと思う。
ともかくこういう遊び心は大切にしたいものだけど、最近はゲーム世界を壊したら駄目という謎の勢力の登場によって
そういう楽しみが減った気がしてならない。
まあ、抗議が来たら嫌だものね。
最も乖離と言っても、その要素は最初からあって、だんだんとその意味合いが(本人達は無意識でも)強くなってきているんじゃないかなぁと思っている。
この乖離を求めているのは、オタクに限らず、男性女性にも限らず、性的な欲望(性欲に限らず可愛いとか綺麗だとか感じることすら)は突き詰めれば性差別や性加害を避け得ないという悲観を誰もが持ち始めているからではないか。
そして、現実の人間にそれを向けることを「良くないこと」と無自覚であっても感じているのではないのか。
そういう現実への悲観が、2次元をより現実から乖離しているものであるように、欲望しているように見えてきているのだ。
同人などで見かける性的コンテンツのエスカレートの仕方はどんどん現実離れしていて、そもそも試すことができないものになっている。
可愛いと言われるようなコンテンツは、一見昔と比べると現実に近いように見えるけれども、じつはより「そのものではないが、その世界観ではリアルなもの」というファンタジーを作り上げているように感じている。
3Dなどでもその要素は見られていて、リアルであるように向かうのではなく、リアル「のようなもの」というその世界だけで通じるものを求めていっているように見える。
だから逆に、あれらを女性の表象と見なす言動自体を、そもそも乖離させようとしているものを現実に近づけようとしている行為として反発を覚えやすいんじゃないか。
それらは非モテだとかオタクだからとかそういうことではなく、人に欲望すること自体を「悪いこと」と感じている時代がそうさせている気がする。
自分は某全年齢作品のキャラクターデザインに関わっているデザイナーです。
最初に書いておきますが、自分は萌え絵否定派ではないです。むしろ日本の発明した文化だとすら思います。ただ、ゾーニングはきっちりすべきだと思っています。
児童書やキズナアイを取り上げて、これは萌え絵か、いや少女漫画か、だとか色々話題ですね。議論に上がる絵柄は萌え絵と称されることが多いですが、「萌え」の基準に対しては、時代とともに変わり、また個々の定義にも差があり議論が平行するので言及しません。
ただ、それらの絵には一つの共通項があります。それは、「男性に対して「媚び」を含んだキャラクターかどうか」の一点です。
「媚びた絵」を否定しているわけではありません。ただ、客観的に見て、そういった要素が見受けられるアートスタイルの一種だということです。
例えば、清純派なのにエロい格好をしている。これは、明らかに矛盾しています。
現実だと、性格が淑やかな女性が、大きく胸のはみ出る服を着ることはないです。(いたとしたら、その女性の本性はとんだ肉食系です。) ロリに巨乳なども矛盾のひとつでしょうか。男性に媚びたキャラというのはつまり、「男性目線で好ましい部分だけを組み合わせたキャラクター」のことです。
露出度が高ければエロなので媚びているのか?というとそれは違います。
例えば、アメリカン・コミックスのヒロイン達を筆頭に、攻殻機動隊の草薙素子、ルパン三世の峰不二子、ヴァンパイアシリーズのモリガン。強く自立した女性は、セクシーな格好をしていてもそれは自信の表れであると捉えられます。少なくとも、自信がなくオドオドして従順なキャラクターは、上記にはいないですね。
女性に好かれるセクシーな女性キャラというのは、得てして他人に媚びず、肉体的にも精神的にも男性に勝る強さを持ったキャラクターが多いです。現実でも、セクシーなドレスを着た女性を思い浮かべてみると、ハリウッドスターのような女優、もしくはスタイル抜群でスクールカースト上位の女性ではないでしょうか。
でも、そういった女性に、日本の男性は近寄りがたさを感じてしまうのも理解できます。
そこで、「セクシーだけど、順従で清純」というある意味キメラ的な、都合の良い所だけを合わせたキャラクターが生まれていき、今日日、「痴女のような格好をした清純派美少女」という存在が、日本中に溢れているわけです。
キャラクター作りには、まず性格があり、顔があり、体系があり、髪型があり、服装があります。キャラが着ている服は、本来、本人の性格を反映している筈なのです。
多くの矛盾を含んだ「男に都合の良い女」というキャラ作り…こう書いてみると、いかにもフェミニストが嫌がりそうなキャラ作りではあります。
個人的には男性に都合の良い女性キャラクターはいてもいいと思います。(ファンタジーですし)。それに、女性に都合のいい男性キャラも当然星の数ほどいますしね。
でも、ゾーニングもされず世の中がそればっかりになると、ファンタジーと現実を混同しはじめる人がいるのはわかるかと思います。
あくまでファンタジーだから。そういった共通認識を前提として、今まで創作の世界を楽しんでいたのですが、あまりに裾野が広がりすぎるとその前提が届かない人たちが出てくる、そしておそらくそれは、男女共に幸せなことではないだろうと思います。
現実の女性は漫画で読んだほど、男性に都合は良くなかった。そう感じて女性を恨んでしまうのは、元々女性に対するハードルが、フィクションの世界で高められてしまったのも一因としてあると思っています。特に、インターネット育ちの次世代については、注意深く見守る必要があるのではないでしょうか。女性の場合は…どうなんでしょう。一昔前は王子様を待ってる…なんて言われ方もしましたが…。
長々と書きましたが、キャラクターを作る際、イラストを描く際、注意している点は山ほどあります。それは、自分が扱う作品が公共の場に出るからです。なにをどう描いたら性的に見えるか。これにはかなりわかりやすいルールがありますし、おそらく皆さんもなんとなく感覚で理解しているのではないかと思います。
老若男女、赤ちゃんからお父さんお母さんお爺ちゃんおばあちゃんまで、誰に見せても大丈夫。誰が通るかわからない道には、表現にもそれなりのマナーがあると、自分は思います。
読んでいただいてありがとうございます。頂いたコメントに関して、補足していこうと思います。
まず、最初にも書きましたが「萌え」の定義は人それぞれですので、萌えという言葉のことは忘れてここではただの「絵柄」というふうにお考え下さい。
これに関しては短文でまとめられるものではありません。箇条書きすると以下のようになります。(何か忘れていたらすみません。ご指摘下さい)
・そのキャラクターは、特定のカテゴリに属する誰かの心を傷付けるものか
・過剰に性的な描写はあるか(特定部位の肉体描写のしつこさ、視線誘導)
・現実と乖離した(異性に対して誤解を招くような)価値観を広めているか
3つ目は、先日話題になったAVの技など「真似するユーザーが増えると他者への害となる」というようなものです。が、該当作品が少数かつ、誰しもがわかるようにフィクションであれば問題なかったりします。市場全体の価値観の偏りや社会傾向が問題点になり、一番難しい部分です。
キズナアイに関して気になっている方が多いようだったので個人的に思うことを書きます。(全ての動画を見たわけではないのでデザイン面だけの話です)
デザインは、概ね問題ないとは思いますが脇の下は空きすぎですので、詰める必要があると思います。「写真集」表紙イラストを見ますと、サイドの胸の膨らみが出ていますが、服の構造的にもかなり変形的で、「胸を見せたい」という意図を感じます。ここは胸の膨らみ全体を覆うように(セーラームーンの肩の2連リングが無いバージョンを想像して下さい)した方がもっと幅広い層に受け入れられるのではないかと思います。
絵が伝える性的な要素というのはデザインもですが、色も大きく関係します。そしてイラストも構図によって見え方をいくらでも変えられるので、「このキャラだからOK/NG」という単純な話ではないのが難しいところです。
他にも、何か質問疑問があればできる限りお答えしたいと思いますので聞いてください。
追追記。コメントを読んで思い出したのですが、「脇が開いている方が3Dの制御をしやすいから」という話。
誰が言い出したことかは知りませんが、アホらしいというのが正直な感想です。破綻するとしたらそれはモデラーのスキル不足です。確かに、ヒラヒラした物がついていない方が簡単に作れますが、素肌である必要はありません。3D的な作り易さを優先するならば何よりまず、腕を組んだときなどにダイレクトにめり込む胸を無くすべきです。動かし易さを考えてデザインをすることは悪いことではありませんが、解消方法の比較的容易な脇は必要以上に開き、3D的に問題の温床となる大きな胸はそのまま、というのはよくわかりません。なにより、デザインの「言い訳」を3Dの仕様のせいにされて論点がデザインそのものからズラされるのは、3Dを悪用されているようで気分がいいものではありません。
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