はてなキーワード: ファッションメンヘラとは
ガチメンヘラが減ってファッションメンヘラだらけになってきた
2月に自殺配信をしていた女の子のアカウントをふとTwitterでパブサした。
ただのお気持ち日記ということを、言い訳として先に明記しておく。
しばらくしてからアカウントが削除されていたことは覚えていたが、彼女のことをもうみんな忘れてしまったのかな、となんとなく思ったので。
彼女と同じ名前、同じIDで作成されたアカウントが、「死にたい」と呟くアカウントに向けて自殺配信してくださいとリプライを送っていて、暗澹たる気持ちになった。
彼女自身が「配信」というコンテンツにしてしまった以上仕方のないことだとは思う。
思うけれど、やめてあげて欲しいなあ、と思った。
彼女は父親から性的虐待を受けた旨を書き残していて、近親者から性的虐待を受けていた者として、少しばかりの親近感を覚えていた。
そして、そのことに対する逃げ場のなさもよく理解していた。
自分の発言で家庭が壊れるかもしれないということへの恐怖もあった。
とはいえ大抵の場合、相手に社会的地位があればあるだけ、自分の証言など信用してもらえないし、Twitterで義父からの性的虐待の動画を証拠として撮り拡散した女の子は実家を追い出されていた。現実なんてそんなものだ。
彼女は神経が図太くない、普通の女の子だったのだろう。だから病んでしまった。
本来自分を性的消費するはずのない大人から性的消費される苦痛や恐怖は受けた人でないとわからないと思う、そもそも彼女の気持ちも推し量っているだけで、これを書いている自分もわかっていないのだろう。
彼女はファッションメンヘラと同じにされたくないから配信すると書き残していた。
でも、死なないでとは言わないから、ファッションメンヘラでもいいから自分の死を安売りしないで欲しかったと勝手ながら思う。
彼女のような子供を救いたくても、地方の一介の社会人である自分には何も出来ない。資金もないし時間もない。保護しようにも場所が足りない。そうした苦しみを背負う子供は1人や2人ではない。
自分が生き抜こうと思うと、苦しんでいる何人もの側にずっとはいられない。
定期的に自殺配信をする子は現れる。自分が勝手に思い出して勝手に覚えていて勝手にしんどくなっているだけだけど、忘れたくないと思う。
皆さん、#コンパス 戦闘摂理解析システムというスマートフォンのゲームアプリをご存じですか?
ここではそのプレイヤー、通称コンパス民の気持ち悪い点を羅列してみようと思います。
一緒にやる人って意味じゃないみたい。
というか基準があいまいでみんな相方相方言ってるけど恋人だったりする、なんなのこれは
やたらトラブるし囲いなども存在するのでツイッターでは火元が絶えない。
2.やたらオフイベが好き
でも相手を煽ることを信条にしてる人を「公式お墨付き」にするのはちょっとどうかとおもう。
3でも書いたけど一定数そういう人がいるとかじゃなくほぼ漏れなくそう。
ほぼゲームをやったことがないアクターの人を生放送に出させて、トップランカーと試合させて、デスするたびに全員で名指しで笑い転げてたりします。最悪でしょうこれ。
5.ファッションメンヘラが多い
さみしいから通話したいとか言い出すゆるふわ系、もしくは塩顔っぽい二次元アイコンの中身顔面崩壊ド陰キャがツイッターにいます。
要するにかまってちゃんが多くてレベルの低いなれ合いをしている。見てて悪寒がするレベル。
「同担拒否」とか言い出すぐらい拗らせちゃった人もいるけど7割以上が別にキャラ愛とかない。
ソシャゲの悲しいところ。
ギルティギアとか誰もプレイしたことないけどキャラ性能がやたらいいのでみんな大好き。プレイしたことないけど。
いろいろ羅列したけど中身ド陰キャ顔面崩壊(ソースはオフイベ)ネット弁慶にわかイキりがこんだけ1コンテンツに集うのはすごいなあと思いました。
顔のない女はモテる。
例えば椎名林檎である。彼女の顔を思い浮かべようとするとき、それ自体よりもMVで着ていた服やそのときの髪型や新しい亀田誠治やら花束で殴られている伊澤一葉ばかりが出てこないだろうか。そこまで詳しくなくとも意外と苦戦するはずだ。デビューから20年は経っているというのに新曲のMVを発表すればYouTubeの急上昇ランキングに躍り出る程のアーティストである。なのに、あの女はいったいどういう顔をしていたのだっけ?
この現象は、名前だけ知っているというような人より、椎名林檎が好きで新曲や動向を逐一追っているようなファンの方に発生することが多い。
なぜか? 彼女はMVごとに顔を変えているからだ。「獣ゆく細道」ではたおやかな着物の女を、「流行」ではツンとしたモデルを、「鶏と蛇と豚」ではもはや人外を演じている。椎名林檎というとその独特さや他にない雰囲気に目が行くが、その裏に、徹底して曲のイメージに自身を叩き込むセルフプロデュースの巧みさと強さがある。個のなさとアイデンティティの強さが両立している。
だからこそ椎名林檎は時代にモテた。レーベルにモテた。テレビにモテた。なにより聴衆にモテた。顔のない女に誰もが好き勝手な像を見出し、その歌に強く表れる「椎名林檎」にまんまと魅了されたのである。
では夢見りあむはどうか。
断言しよう、夢見りあむにも顔がない。
夢見りあむの設定自体はとてもインパクトがあるものだ。ファッションメンヘラ、クズ、社会不適合──彼女を形容するさまざまな言葉がTwitterに溢れたが、未だかつてこんな言葉で括られたアイドルは余りいないだろう。
ハイスペックな家族に劣等感を抱いている。自己肯定感が低い。ドロップアウトの経験がある。学校は辞めたいし、努力するのは嫌い。だからこそ努力して輝くアイドルが好き。
読んでいて覚えはないか。これは自分だし、あの人ではないだろうか。つまり、現代社会によくいる疲れた人間たちそのものではないか。
ピンクと水色の髪を持たず、また輝くような容姿も大きい胸も無くとも、上記の点で夢見りあむと共通するなんらかを持つ人間は沢山いる。「夢見りあむは俺/私だ」と思う人も少なくないだろう。多くの人間が夢見りあむに自分を見る。そうこうしているうちに野次馬は増え、好き勝手な像を結びはじめる。ある人間は1歩踏み出した世界線の自分を、ある人間は自分の担当が昇るシンデレラの階段に泥を塗る売女を、ある人間は総選挙というシステムを破壊する最後の爆弾を夢見りあむに見る。そうなればもはや夢見りあむの個性など関係ないのではないか。人間たちによって夢見りあむの顔が奪われていったのだ。
夢見りあむは流行になり、顔のない女になった。
夢見りあむは総選挙3位になった。充分な大番狂わせである。この影響は計り知れない。
夢見りあむには声がつく。楽曲も制作される。そうなればもはや、彼女は顔のない女ではいられなくなるだろう。他のアイドルと同じ舞台に引きずり降ろされるのだ。彼女が月並みなキャラクターに収まるか、もしくはまた何か特異さを発揮するか。私としては前者だと思うが、いずれにせよ、夢見りあむが流行であったという事実は消えない。
……なんというか、夢見りあむを作った人間がいて、もしここまで見越していたとしたら、頭が下がる。なんという手腕。なんという悪趣味。椎名林檎の「流行」には「感情が誘うより早い私の気分を喰らい 代用を仕立て上げて さようなら名プロデューサー」という歌詞があるが、たしかに名プロデューサーとはそんなものなのかもしれない。
夢見りあむが可愛い。
俺はモバもアプリも入れるだけ入れて、たまに触る程度のプレイヤーだった。
そんな俺が、今は夢見りあむのためにこまめにログインしている。
夢見りあむが可愛い。
曲がりなりにもアイドルコンテンツに登場するんだし、容姿が可愛いのは言うまでもない。
ちゃんと自分の顔や乳のデカさを客観的に理解し、単純に武器としてカウントしてるとこもいい。
自分なりにアイドルに対する美意識みたいなものはあるくせに、ファンをチョロイとかナメてるとこ最高。
自分のことクソザコメンタルとか言って予防線はってるくせに、チヤホヤされるとチョロイところも愛らしい。
炎上上等っぽいくせに意図的ではなく無意識に炎上させるタイプで、実際のところ炎上は怖がってるところも人間らしい。
現代人が大なり小なり病んでる程度に病んでて、でも実家が太いんだからファッションメンヘラすんな甘えんなと断罪されるとこも。
アイドルという偶像が好きで、アイドルという存在の夢も現実も分かってて。
自分にはない輝きを放つ、羨望や願望の逃げ道であるアイドルオタクという居場所を奪ってしまってごめんな。
でも俺は、誰もが持ってる何とも言えない感情をストレートに口に出して炎上するところ。
言ってることが矛盾しまくってるし、すぐ手のひらをかえすし、一貫性もあったもんじゃねえところ。
とくにアイドルを好きな人も嫌いな人からも重い感情を向けられているところ。
どこまでも普通を装ってる人間らしくて、どこまでも偶像であるアイドルらしくて、そんなところが好きなんだと思う。
夢見りあむは、ただ出てきただけなら「ちょっと毛色の違うアイドル」くらいで、そこまで既存のファンに叩かれなかったはずだ。
夢見りあむに票を入れた大半は俺のような、軽い気持ちでほんの数票入れた程度がほとんどなんだろう。
それがまさか、シンデレラ総選挙で上位に食い込むなんて誰も思わなかった。当事者たちにとっては色んな意味で遊びじゃないんだから。
それからだ。夢見りあむに関するエントリーがよく目に付くようになった。
どれもりあむ自身、総選挙という仕組み、運営、ファン、色々なものに対する複雑な感情がつづられている。
アイドルらしくないとか、物語がないとか、選挙への冒涜だとか、自分の担当が受けた仕打ちへの恨みで応援しているとか。
登場時からのものも、3位になってからのものも、とても面白かった。
アイドルコンテンツの面白さは、アイドルそのものだけじゃなくて、それを取り巻く環境と感情にあると思う。
誰もが本気で何かを想って願って、それをアイドルという偶像に時間や金をかけて投影する。
ここに渦巻くクソデカ感情は、愛でも恋でも希望でもなく、ただただ重くて息苦しくて辛くて、でも誰にも否定できないくらい尊い。
だから、夢見りあむには頑張ってほしい。
もしトップを取ったら、もっとすさまじい怨嗟の声が見れるかもしれない。
3位から転落しても、しょせんぽっと出ファンの力なんてこんなものだと俺たちみたいなのが馬鹿にされるかもしれない。
中途半端な位置でも完全に話題をかっさらわれたんだから、トップのアイドル担当は面白いわけがないだろう。
このまま転落して、いつか再び這い上がるチャンスがあったとしたら、それこそ清く正しいアイドルとしての物語になってしまう。
どう転んでも、何をしても、絶対に誰かの何かに影響する。そんなアイドル、なかなかいないだろ。
他人事のように楽しんでいるだけでなく、俺もきっと、夢見りあむに何かを期待している1人だ。
これまで他にも色々なアイドルを見てきて、好きになって、運営とファンと自分の感情に振り回されてきた。
アイドルというコンテンツは、2次元だろうが現実だろうが本当にどうしようもない。たぶん、良いことより辛いことのほうが多い。
でも、もう、どうしようもないはずのそれがないと生きていけないんだ。
夢見りあむは、それを分かってくれる。
だから、そんな夢見りあむがアイドルという作品に何かをもたらすことを願っている。
この総選挙の結果が出た時、俺が、周囲が、一体何を思うのか。どんな景色をみせてくれるのか。
それをひたすら楽しみに、今日も微々たる票をりあむにつぎ込む。
まずこのタイトルを説明する前に私の担当を軽めに紹介しておく。私の担当は宮本フレデリカだ。とても可愛い。魅力もたくさんあるが今回のタイトルと関係がなくなってしまうので割愛させていただく。しかし今回は担当のフレデリカには票を入れずにりあむに票を入れようと決意した。ではなぜフレデリカPの私が自分の担当の票を投げてまで今回はりあむに票を入れようと決めたのか話していきたい。私個人のお気持ち表明みたいなものなので「こいつ晒してやろうw」みたいな軽い気持ちで聞いていってほしい
さて、今行われているシンデレラガール総選挙中間発表でPa2位総合3位と新人にしてとんでもない記録を打ち立てた今話題の夢見りあむについて少なからず他P達がお気持ちを表明したことは記憶に新しい。それを真に受けてそれについてのお気持ちを表明する者、りあむPのミスリード論だろうと軽々しく構える者やそれすらも面白おかしく見ている者など今期総選挙はかなり混沌としている。しかし、それすらをも飲み込んでなお行進し続けるりあむを一言で形容するのならば"台風"といった表現であると個人的には思う。
先日、このはてな匿名ダイアリーにて投稿された「夢見りあむに夢を見るべきではない」という日記がTwitterにて話題になっていた。内容は要約すると「未央が1位に立つべきなのでりあむに票をいれるのをやめろ」といった感じの内容である。これについて私は馬鹿馬鹿しいといった感情しか出てこない。こんな記事を書いてもただただりあむが有名になってより票が入るだけの燃料としかならないのにと。もちろんこの記事がりあむPによる陰謀である可能性もあるが、そんな事はこの嘘が横行するインターネットでは議論するだけ無駄である。
では本題だ。なぜフレデリカPであるこの私が今回は担当の票を投げてりあむに票を入れようと決めたのか?それはタイトルにも書いた通り、夢見りあむという女性が文字通り「歴史」を変えるかもしれないからだ。
これまでの総選挙で1位になったシンデレラガールにはコミュという名の「シンデレラになるまでのストーリー」があるのだ。もちろんそれ以外のアイドルにもそのストーリーはあるのだが、新アイドルである夢見りあむにはまだそれがない。文字通り彼女は虚無なのだ。これまで彼女が歩んできた過去も。そしてアイドルとしての物語も。なにもない。まだ真っ白なキャンバスなのだ。
しかしその彼女が今回の総選挙でPa2位総合3位というとんでもないことをやってのけている。ぽっと出で、まだアイドルしても真っ白な状態で、キャラも炎上系で俗に言うファッションメンヘラで、オタクから嫌われる系のアイドルの彼女がだ。これは素晴らしい快挙といってもいいだろう。そして私はこの結果を受けて、「こいつは優勝してもしなくてもデレマスの、ひいてはアイマスの歴史を変え、今までの古くさい常識をぶち壊して、いつか必ずトップアイドルに立つ女の子だ。」と強く思ったのだ。
彼女の歴史はまだないに等しい。しかし、だからこそ彼女が優勝しシンデレラガールになることは、大きな意味を持つのである。しかし、その大きな意味を持つ1位は「今」でなければ意味がないのだ。りあむが大番狂わせを起こして何もかもを飲み込むのは今しかないのだ。
これを批判する人ももちろん出てくるだろう。「なんであんな炎上アイドル応援してるんだw」「そんなに必死に発言する意味w」「熱弁キモいよ」「どうせ流行りに便乗してるだけだろ」みたいなコメントが出てくるのも当然だと考えている。しかし、りあむがその時の人気で1位になるのは許せないと考えている人にはこう言いたい。
思い出してみてほしい。よくある興奮するものはあるだろう。スポーツ界におけるジャイアントキリングを、奇跡の逆転を。りあむには、それを起こせる話題性と力がある。と個人的に思う。
彼女が1位にもしなれるのであるならば、それは今のデレマス界の環境も、歴史も、常識も、何もかもをぶち壊して革命してしまうかもしれない。しかしそれは今でなければ、このぽっと出の新人のままシンデレラにならなければいけないのだ。もしシンデレラになれなくても、もしなったとしても、彼女は「オタクたちを手のひらの上で転がしてやった」と結果発表の後の喜びや悲しみや苦しみの中でただ1人笑っているのだ。私はそれが見たい。彼女が望むのなら、俺は手のひらの上で転がってやろう。そして私が望むことはただこれだけである。「本田未央をその玉座から引きずり下ろし、それすらも飲み込んでしまえ」と。
願わくば、この至らない私のただの感情ばかりのお気持ち表明が、ポジティヴもネガティヴも全て飲み込んでいく夢見りあむの炎上パワーの一つになるように。
欅と乃木坂好きだったんだけど。
乃木坂も売れないメンバーが卒業とか近づいたり、スキャンダルがあったりして見れなくなっていった。
そこに日向坂。
カワイイね。初々しいから、素直に見れる。乃木坂のベテラン感から解放された感じ。当然、欅みたいな暗さもない。
いやいや、欅も最初はよかったよ。
キレッキレな理想的な中二って感じで。
でもさ、今じゃドーモ、暗ーいネットのファッションメンヘラみたいな雰囲気。
乃木坂も、最初はよかった。だけど、なんじゃ、あのスキャンダルやらわ。
う~ん。
ある程度の周期で。
それとも、固定客がついて閉じコンとしてグループとしては残っていって、
一生懸命キチガイっぽく文章作ってるのがファッションメンヘラ見え見えだよー。恥ずかしいねー。
合宿免許で取れないやつは猿以下って風潮はなんなんだろう。いや猿なら学科は落ちても技能は受かる。学科は完璧なんだ、当然だが。
17人受けて落ちたのが私だけってそりゃ涙も出てくるわ。しかもAT限。人生無理。
そりゃ検索すればするほど「お前なんかお金は諦めて潔く免許取得を諦めろ」と言ってくる。そりゃそうだ。わかる。だがそれらは「免許の代わりになるレベルの身分証明書(かつ管理が大変でないもの)」の意見案を提示してくれない。ちなみに自転車乗れないので原付免許も取れない。
この世で一番愛していたペットも死んでしまった。死に目に会えなかった。こんなことなら合宿なんてくるんじゃなかった。もう後を追って死にたい(ここに書きこんでる時点でファッションメンヘラ)
親友と呼んでも差し支えないくらい近くにいた友達が手首に10本以上傷を作った
※長文です
その友達(Aとする)は、すごい可愛くてめっちゃモテる ゆるめるモ!のあのちゃんが好きであのちゃんっぽい雰囲気は男から見て可愛いんだろうな…頭もいいとは言えないけどそれを引きずるような性格じゃない
今漏れもAも高2で同じ部活なんだけど、2年に上がるまでは本当に本当に普通の女子高生だったんだ。どこにでもいるちょっとメンヘラっぽいものとソシャゲが好きな、普通の女子高生
それが、Aが、Aと相性の悪い友達(Bたちとする)と同じクラスになっちゃって、しばらくは普通に仲良くしてたんだけど6月くらいからAがBたちと距離を置き始めた
そこから酷くなった
Bたちはクラスの一軍グループと仲良くするようになって、Aはクラスで孤立するようになった。なんとか元中の友達と仲良くなって一緒に行動するようになったけど、Bたち含む一軍に色々いわれるようになったらしい Aは「クラスでいじめられてる」って言い出すようになって、部活でもめんどくさい後輩が入ってきたりして学校も部活もちょくちょく休むようになった
それからしばらくしてAが手首切ったって同じ部活の男子から聞いた
最初聞いた時パニックになってLINEで「ねえリスカしたってほんと??」って聞いたら「いやどっから聞いたの(笑)はや(笑)」っていわれた たった二本くらいの浅い傷だったけどもう何もかも考える余裕なくてとりあえず『友達 リスカ やめさせる方法』で検索したけど、どの回答にも『やめさせる方法はない やめさせたほうがストレスになる』みたいなことばっかり書いてあって、私はAにリスカをやめてほしいのに回答もクソもなくて困り果てた
それ以来しばらく切ってなかったんだけど、先週にも切って今日もまた切ったらしい
原因は色々あるんだろうけど、漏れがもうAに何をしてやれるか全くわからない 漏れが冷たい人間なのかもしれないけどもうメンヘラの気持ちがわからない そんなに死にたいなら死ねばいいじゃんって思う反面Aには生きててほしいって思う反面Aが死ぬことで楽になれるなら死んでもいいのかなと思う反面友達に死んでほしくないと思う自分がいる
「親にも祖父母にもこんな傷見せられない」「早く死にたい」「死にたい」「死にたい」「死にたい」こんなことツイッターで延々と呟かれて不快になってる自分が冷たすぎて嫌になる Bたちなんて無視してやればいいんだよ!漏れがいるよ!って言ってやりたいけど漏れ自身の存在が重圧になってる?死にたいなら死ねばって思ってしまう自分が本当に本当に本当に本当に本当に本当に嫌 大好きな友達なのに
メンヘラにリスカをやめさせるには?友達が自殺をしないようにするためには?メンヘラの気持ちを理解するには?メンヘラにはどう対処していけばいい?死にたいって言ったら無視すべき?死なないでって言うべき?漏れの存在は重圧になってない?漏れはAの何だったの?もう何もわかんない気持ちもまとまんない私だって死にたいや
メンヘラってめんどくさい。
めんどくさいけどなってしまうとなかなか苦しい。
わたしは希死念慮がある20代前半メンタルヘラヘラ人間(女)だ。
昨日はバイトでにこにこと接客をした。接客したお客さんたちからは病んでいる人間には見えなかったと思う。
しかし一昨日のわたしは電車を待つ際に最大限ホームから離れて、電車が来ても飛び込まないよう足を踏ん張りながら俯いて目を瞑っていた。
最近いろいろあった。
いろいろを一つ一つ説明して行くとまた長くなるので省略させていただくけれど、一言で言うと死に触れる機会が多かった。
何か明確なきっかけがあるわけではないけれど、気付いた時には自己否定しかできなかった。
何かトラブルがあった時、その時の精神状態にもよるけれど気持ちがもともと沈んでいる時にトラブルが起きるととにかく自分を責め、自己否定に自己否定を重ねていかないと逆に気持ちが落ち着かない。
先回りして自分を否定して最大限叩きのめさないと居ても立っても居られない。
自己肯定感の育ちには家庭環境が深く関わってくると言うが、家庭環境は良いほうだと思う。
この歳にしては仲も良く家族で出かけることもある。
わりとどんな話もしている。
唯一わたしがメンタルヘラヘラな件についてだけは話していないけど。
でも十分愛情を注いでくれているが故に、今話したとしてもわたしが望んでいない対応や反応をしてきそうなのでまだ当分話すつもりはない。
話が逸れたけれど、とにかく最近いろいろあった。
いろいろあったからなのか、最近希死念慮がどんどん強まってしまい困っている。
この「困っている」はチャンネルを変えたいのにテレビのリモコンが見当たらないから困っている程度の「困っている」なのでまあ言うほど困っていない。
けれどこのままだと本格的に困ることになりそうなのでどうにかしたい気持ちがある。
わたしは自分の顔も身体も性格も声も何もかもがコンプレックスだけど、何が1番コンプレックスかと聞かれると間違いなく人との関係を保つ能力の低さだと答えると思う。
人と話すのは好きだし人と関わることも嫌いではない。
というか人と関わる仕事に就くことが決まっているし好きな方なのだと思う。
が、その築いた関係を上手く継続して守り続けることができない。
仲良くなった人となんやかんやあって仲違いし、今まで築いて来た関係が壊れてしまう。
そんな経験をしたことがある人はいると思うし少ないわけでもないと思う。
長い人生の中で経験する可能性は大いにある、だからそこまで気にすることはないと言われたことがある。
確かにそうだけど、20数年生きて来てすでに何度もその経験があるとなると気にもなってくる。
だいたいはわたしの精神状態が不安定だったり、ひどい気持ちの落ち込みや悲観的な考え方が原因で、勝手に考えすぎて勝手に落ち込んで勝手に病んで離れるというまあめんどくさい形でそれまでの関係を壊してしまうことが多々あった。
相手の行動にイライラした時、疑問を感じた時、不安になった時。伝えるべきタイミングで自分の気持ちを伝えられず、伝えるべきでないタイミングで抑えきれなくなってだーっと伝えてしまう。
自分に自信がなく、人からどう思われているのかもマイナスにしか考えられない。
直接ではなくても、SNSで散々しんどいしにたいもう疲れたと鬱々としたツイートばかりしていて引かれて離れられてしまうこともある。
自分でもここまで書いていてなんてめんどくさい人間だろうと思う。
そりゃあ周囲の人も離れるだろう。
こんなわたしを…こんなカスを…と自己否定フィルターがかかって純粋に物事を捉えられないため、相手に友達だと言われていても堂々と友達ですと言い切れない。
信じてくれていないのかと言われると申し訳ないけれど、きっとどんなに深く心を通わせられたとしてもわたしは友達ですと真っ直ぐ前を向いて言えるようにはなれないと思う。
それはわたしがわたしを肯定できるようになれなければ無理なのだと思う。
何が言いたいのかわからなくなって来た。
文章が拙くて引いているけどもう吐き出したいだけだと思うので気にせず乱文を失礼したい。
何ってもう自己肯定感がないのだ。
自分では否定しかできないため人から肯定してもらえないと自分を保てない。
自分の友達のいなさに、いついつ会おうと約束できるほどの関係性をもっている相手がいないことに、メンタルがヘラヘラなわたしは絶望を感じている。
3月もきっと誰とも遊べないままインスタグラムで楽しそうに旅行の思い出を語る同級生を見なかまら過ごすことになるのだと、考えるだけでしにたくなる。
とてもめんどくさい。
メンヘラってめんどくさい。
だったら数少ない友人(あちらがそう言ってくれている)を誘えばいいのだけれど、毎日しにたいと騒ぐわたしに引いているだろうと思い踏み出せない。
かわいそうなわたしと遊んでと頼み込んでお情けでも遊んでもらえば少しは気持ちもマシになるのだと思うけれど、何よりその友人たちにはわたしより優先するべき人たちがいると思うと意地でも予定を合わせて遊んでもらうことは気がひける。
健全な精神を持つ人からしたらこの程度でと思うだろうがこんなことで毎日生きるのがしんどい。
自己肯定感はなくなるばかりで、そこに友達がいないという現実と誰にも必要とされていないという気持ちが相待って、ゆるやかに希死念慮が強まっていた中人身事故に遭遇した。
その瞬間は見ていないけれどそれ以来電車のホームであと一歩前に出れば終われると思うことが増え、座りたいがために最前列に並ぶタイプだったわたしは序盤に書いたように最大限ホームから離れた場所で電車を待つようになった。
ここで飛び込まないようにしている点で結局はしにたくないのではと考えたが、飛び込むことを防いでいるのは親に迷惑をかけたくないから電車でという方法は避けたいというだけの理由だった。
ここから飛んだら終わる、ここで一歩踏み出せば終わる、薬を買うお金はないからODはできない、ならどうすれば。
毎日こんなことばかり考えている。
確実なのはやはりホームに飛び込むことだけれど、人身ほど迷惑な死に方はないと言うし、あのマジかよ…というホーム全体の雰囲気とイライラをぶつけられる駅員を見てしまうとするべきではないと思う。
もしここまで読んでくださっている方がいたらわかると思うがわたしは死ぬことに対してこの程度の考え方だ。
しにたいけれど社会のことを考えて悩む。
だがめんどくさいことは確かだし、しにたい気持ちがあるのも確かだ。
けれどたぶんどこかでしぬよりも誰かがわたしを肯定してくれて、自分も自分を少しでも肯定できるようになればそのほうがいいだろうと思っている。
それは良いことなのか、しにたいと考える時点で良くないのか。
昼間から憂鬱な気持ちになったり、一日中憂鬱だったり、鬱々とした気持ちでいる時間は圧倒的に長くなっている。
うつ診断を試してみたらどの診断でも中程度のうつ状態だと出た。
ここで専門医に診断してもらうことが大事で、この時点での対応でこの先うつ病になるかならないかが左右されるらしい。
でもわたしよりしんどい人は世にたくさんいるだろうし、黙れファッションメンヘラと真のメンヘラの方々に怒られそうだし、結局はただのかまってちゃんなのだからそこまで大げさに捉えることはないと思っている。
メンヘラってめんどくさい。
メンヘラってくるしい。
もっと毎日元気に過ごせたら、友達とどこに行こうかと旅行の予定を立てられたら、人生がもっと楽しかったら。
たらればばかりだ。
でもそれは全てわたしが自己否定しかできないから、友達を信じきれないから、承認欲求が強すぎて拗らせてしまうから、結論自分のせいなのだ。
わたしが今仲良くしてくれている人の中でとくにこの人たちは好きだなあ、一緒にいると楽しいなあと思っていた人たちはその人たちだけで旅行に行くらしい。
一緒に行きたいとは言えない。
いいね楽しんできてねと言うと、○○も今度一緒に旅行行こうねと言われた。
そんな日は訪れないことは百も承知だけれど、そうだね一緒に行こうね、大阪とか楽しそうだなと返した。
くるしい。
しにたい。
ここまで読んで大多数の人はイライラするだろうけど、もし共感しかないという人がいたら友達になってほしい。
死にたい。とんでもなく死にたい。ファッションメンヘラでもなんでもなく、本気で死にたいというか消えたいというか、人生をやり直したいような気がしなくもないというか、とにかくこの人生を続けたくない!
17年間、わりと死にたいと思いながら生きてきた。みんな死にたいというと親身になって話を聞くよと言い、ある子はいつでもLINEしてよと言い、ある子はわたしはいつでも〇〇の味方だよと言った。ぜーーーーーんぶ口だけ!!!!!ていうかあたしはそんなんじゃなくて誰かに、わたしの好きな友だちに、「〇〇が一番だよ!〇〇がいないとさみしいよ!〇〇、だから生きて!」的なことを言われたい。わたしのために生きてとか言われたい。〇〇、心配だよ(;;)と言ってくれたあの子は翌日にはたのしそうに同じ部活の子とディズニーランドに行っていたし。みーーーーーーんなあたしよりも大事な子がいて、仲良しな子がいて、あたしははてさて友だちランキング何位なんだかわからない。最下位じゃね?たぶんあたしのだいすきな「友だち」たちは、あたしが今日死んでも一日泣いて次の日にはケロッとしてて、2週間後とかには楽しく友だちと溺れるナイフとか見ちゃってプリとか撮っちゃうと思う。あたしにはそんな価値しかない。あたしの大好きな子に
同じようにあたしを大好きでいてほしい。みんなあたし→→→→→→←友だちみたいな感じで、あーーーーーしんどい!!!!!えっぐ!!人生えぐいわ!!!!!みんなそんな感じで需要と供給がまったく釣り合ってないのであたしばかり損をしているし、あたしばかり与えている。あたしはそうやって友だちに大好き大好きしながら良いように使われてることに気づかないふりして、誘われないほんとの仲良し同士の女子会とかに行くために終わらせなきゃいけない課題とかをちょっと見せてあげたりしている。まあいいんだけどね!!!!!メンバーその子以外知らないし(笑)(笑)
なんにも考えずにあたしを愛してくれ!!!!!うざいくらいでいいから!!!!!うざいなんて思わないから!!!!!LINEなんてグループLINEと聞かれたことに答える事務的LINEと、若干のすぐ終わるであろう会話LINEしかなくて、返すのめんどくさいとか言ってクソみたいにたまった画面無視してる子が羨ましくて吐きそうだし、プリなんて年に数回しかとる人いないし、気軽に遊ぼ!
帰り〇〇寄ろ!とかいう人もいなくて、あーーーーーさみしいやつだなあ。あたし!!!!!優しすぎるだいすきな友だちがいるんだけど、同情からたぶんあたしと話してくれてるだけでほんとは同じ部活のあの細い子と一緒にいたいんだろうな。
寂しいやつ全員友だちになろうぜ。LINE荒らしていいよ。リプバカみたいにしていいよ。そのかわり、あたしを好きでいてくれ。
おわり。