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鬼滅の刃に感動しない
二回観たなりの感想を述べたい。原作は未読。今後の展開も知らない上で話す。(ぶっちゃけテレビアニメもまじめに観てない)
《映画:良かったところ》→《映画:良いとは思わなかったところ》→《鬼滅の刃は感動しない》
《映画:良かったところ》
この映画の素晴らしいところは、ジャンプ原作の王道の努力•友情活劇の中に非常に高品質な心情描写があった点だと思う。前半の炭治郎の夢の描写が素晴らしい。
家族との幸せな日常の夢に浸かる炭治郎。さっきまで列車に乗って鬼を探していたはずなのに、突然夢に惑わされた。夢を夢だと気付くまでの演出の仕掛けは、往年のホラー映画やSF映画を思い起こさせる。ねずこを運ぶ箱だったり、咄嗟に口に出る“昼間のねずこ”の違和感だったり。その加減が多すぎず少なすぎず非常に絶妙なのだ。ジャンプのアニメ映画だという大前提を守りながら、観客の我々は「炭治郎は本当に現実世界に戻るのか?」と不安にさせてくれる。六太の「置いてかないで!」という絶叫は悲しくも最高だった。子供の絶叫ってどうしてあんなに不安になるんだろう。初回観たとき泣いてしまった。再会できるはずのない家族ともう一度会えた炭治郎の喜びと後悔を観た我々は、夢から覚めるために進む炭治郎の辛さが理解できた。夢にいれば鬼なんて来ないのに、鬼を倒すために炭治郎は進んだ。そして、戦うために“自決”の賭けに出た。炭治郎は鬼を倒すために、自分の首を斬る選択までしてしまうのだ。なんて胆力だと、鬼と一緒に私も驚いた。そしてダメ押しのしんどいバージョンの夢。なによりも家族を優先してきた炭治郎が、父親母親弟たちに恨まれる様子を見せられる。そのときに「言うはずないだろ!俺の家族が!!」というセリフは演技演出共に本当に素晴らしかった。家族の死という最大のトラウマを乗り越えて、彼は鬼と戦って勝った。最高のカタルシス体験だった。今まで鬼滅の刃は流行っているからとりあえず観ていた作品だったが、ここまで観に来て良かったと思った。
あと、作画と音楽も良かった。ハイクオリティだった。声優の演技も高品質だった。
《映画:良いとは思わなかったところ》
新キャラ同士の戦闘にあんまり感情移入できなかった。顔は知ってるだけの先輩と、なんの前触れもなく現れためちゃ強い敵の急な戦闘に頭がついていかない。さらにこの二人も初対面同士だし。ヤタガラスにもアカザ打倒を命令されてもいない。アカザが“なんかいた”のだ。なんかいた、という理解しかできない。因縁もなにもないやつとの戦い入れる必要ある?煉獄さんがえんむとの戦いであんまり活躍出来なかったからアカザ戦投入したとしか思えない。戦闘が非常にぬるぬる作画だったし私が長子だから耐え切れたが、テレビ放送だったら耐えきれずチャンネルを変えていたかもしれない。
煉獄さんの親、お前なに言ってるの?「自分がどうして他の人間より強いか理解できるか」って、そんなこと言う親いるのか?少し斜に構えすぎかもしれないが、選民意識が強くはないか。煉獄父の奥方がそんなドストレートな言葉で表現するかいな。ノブレス•オブリージュを表現したいなら、「なぜ強い“火の呼吸”を我々が代々受け継いでるのか」とか………もっとオブラートに包めよ!若干鼻につくんだよ。
あと皆んな煉獄さんの死で泣きすぎ。先輩が命をかけて戦ってくれたので、ちょっと泣きたくなるのも分かるがあれは泣きすぎだろう。ほとんど寝てた善逸はなんで泣くんだ。炭治郎のメンタルは強いんだ。家族の未練を断ち切り鬼を倒す自決を繰り返す、ちょっと異常な強さのメンタルを持つ男だ。自分の意思で家族を振り切れるんだから、並の10代の精神力じゃない。そんな強い男が、顔見知り程度の先輩の死にあれほどまでに泣くだろうか。炭治郎は苦しくとも前に進める心の強さがあると思っていたのに、結局は号泣してる伊之助にハッパをかけられてしまう始末。おいおいどうしちまったんだよ。赤ん坊みたいに泣かないでくれよ。お前はこれまでの鍛錬と旅で強くなったはずなのに、先輩の死であそこまで泣かないでくれよ。この作品はやたら人が泣きすぎるんだ。
《鬼滅の刃は感動しない》
書いてて分かったことがある。鬼滅の刃のアニメは料理人の腕は神だが、レシピ作成者は二流だ。アニメーターの匙加減でなんとか名作の域に食い込んでいるが、元々の原作はかなりポンコツだ。たしかに面白いは面白いんだろうが、この程度の面白さだったら流行で終わる。なんとなく面白いが、人の生き方を変えるほど感動は与えない。私はそう思う。
あらゆるジャンルの作品で我々視聴者が求めるものは、『感動』の一点のみだ。作画がすごいとか、声優の演技がすごいなんてのはおまけにすぎない。視聴に耐えうればおおよその場合そこまで重要じゃない。
で、この感動を私なりに噛み砕いてみると、“昔の自分から生まれ変わる”ことの体験だ。映画『ラピュタ』で軍要塞からシータを振り向きざまにかっさらうパズーだとか、映画『ハウルの動く城』でソフィに「ようやく守るものが出来た。君だ」と言うハウルだったり。洋画でもいい。映画『タイタニック』にて海に沈むジャックをあとに自分の好きなように生きることを選んだローズなど。今回の映画でも、炭治郎がえんむに立ち向かったところなんて本当に感動した。現実を生きる我々にはしがらみが多すぎる。新しい選択肢を取るのは怖いし、自分で自分に不幸な暗示をかけてしまっている。でも、画面の向こうの彼らは、恐れの中でも古い自分を断って生まれ変わった。それを目の前で証明され、心が動くのだ。
長々と書いて申し訳ない。鬼滅の刃の話に戻ろう。この作品の最大の問題点は「あるはずのしがらみが都合よくぼかされてる」からだ。鬼殺隊でありながら鬼の妹を連れること、政府非公認組織の鬼殺隊、絶大な力を持ちながらただの鬼殺しに明け暮れる柱など、キリがない。今回だってそうだ。なんで精神の核を破壊しなかった。なんでえんむが人間を食わなかった。意図的に炭治郎たちが苦境に立たないよう誘導されている。そういうしがらみを無視されたまま話が進んでしまうから、ご都合主義だと思ってしまう。折角いい設定を持ってるんだから、ストーリーに生かしてほしい。鬼より悪どい柱がいてもいいし、警察に逮捕される鬼殺隊がいてもいい。ねずこが炭治郎の恋人を食べてしまってもいい。いくらでもあるんだから、アカザみたいなよく分からん敵をぶん投げて戦わせるんじゃなくてしがらみからけりをつけてくれ。原作がご都合主義に甘んじるポンコツだから、アニメの味付けがいかに最高でも私は感動しない。ハマらない。
鬼滅の刃が、日本人が一緒に楽しめるコンテンツになってくれたことは事実だ。皆んなが観ていた月9や朝ドラが、今は鬼滅の刃になった。立派なメインカルチャーだ。炭治郎たちは間違いなく時代を代表してる。
https://anond.hatelabo.jp/20200118002721
たくさんのコメント、少数ながら同意など、本当にありがとうございます。
いくつか質問が寄せられているようだし、これだけ賑わせてしまったからには説明責任はあると思うのでいくつか答えさせていただきたいと思います。
元記事を読んで不快になった方や、謎は謎のままがいいという方はUターンを推奨します。
まさにこれです。この記事にリンクを貼ると万が一バズってしまったときに謎のアクセス集中が起き、総本山(ニトリ)に激震が走らないかという危惧があったのだが、その結果がこれだよ!
そうこれを恐れているのよ。でも今のところネットニュースになったりみたいな騒ぎにはならなかったようで胸を撫で下ろした。
なんかもう1万回再生行ってるが俺が初めて見た3日前はせいぜい2000回だったような気がするけどそれとこれの因果関係は気にしないことにした。
記事への反応の中の指摘にもあるように、おそらくこのYouTubeの動画は時期が来れば消えるだろう。
そうなったあと、CMの内容を知らない人が一体どんなCMだったのか永遠の謎をさまよう事態になり、たとえ真実に辿り着いても、それを知った瞬間の失望を考えるととても哀れになる。
いやどう見てもお姉さんでしょうこれは…間違いない。
いや間違いがあると俺が困る。いろんな形の愛があっても構わないとは思っているが、こんな俺でも開きたくない扉はある。たとえもし間違いだとしてもその事実は俺が墓に入るまで俺の耳には入れないでくれ。
正鵠を射た指摘だ。マネキンを使うのではなく、血の通った生身の人間を人形のように捉えているところが良い。
ソファに着地した瞬間にわずかに体が揺れて人間らしさが現れるところが、頑張って人形してるなと思えてポイントが高い。
なんというか、ほんと、ありがとう…でも無理しないでねホントに。
俺の性癖を振り返ると、現実ではありえない非現実的なシチュエーションに置かれている女性という通底するひとつのテーマがあって、そのシチュエーションが謎であればあるほどツボを刺激されるようだ。
モノによります。たとえばこれなんかすごく良い。
Twitterで時間停止AVというものが流れてきたんだけど、なんか違った。それは、「時間を停止しますよ」と企画として断っているから、なるほどそういう話なのねと脳が納得して完了して冷めてしまう。
それに対しこのニッセンのCMは、何の説明もなく香里奈が停止していたり、香里奈が増殖してワチャワチャしている。この荒々しい世界観が素晴らしい。
同一人物が増殖するというのはフェチとして有名なのでわざわざ触れないが、増殖は特殊なシチュエーションとして非常にポイントが高い。
たぶん例のニトリのCMよりはわかりやすいと思う。ニトリとかニッセンとか家具屋フェチってわけではないよ。これで答えになったのかな。
ラピュタかあ。いいよね。普通に好きですよ。期待に応えられず大変申し訳ないが、特に下半身が反応したりはしない。
こうした質問があるのは当然だと思う。あんなCMでムラムラしたとか言ってたら、女性がふわりと下りてくるのに興奮する特殊性癖と思われても仕方あるまい。
たしかに空から女の子がってシチュエーションは唐突だ。しかし、ペンダントの石が光り輝いたことで空を飛べたというのは絵として十分な説明になっており、話として納得できるので、特に俺のフィルターに異常は起きない。
ちなみにラピュタで一番好きなのはシータをムスカのところから救出するシーンです。無駄な一般の感性アピール。
確かに変形というのもやはり非現実的なシチュエーションとしてポイントが高い。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm28454420
このCMで女性がぞうきんをかけているとスーッと掃除機がけに移行していくさまが、妙に機械的な動きをさせられていて実に良い。
これも十分いいのだが、これと別に、細身の普通の女性が掃除機をかけているとぞうきんがけに移行した瞬間モーフィングで力士に変身するというバージョンがあって、その動画が残っていないのが返す返すも悔やまれる。力士のぞうきんがけのようなパワフルさをもった掃除機というコンセプトは理解できるが、女性が自身の体を力士に変身させられるというあまりありがたくはない役回りをさせられているところに強く心を突き動かされたものだった。
さっきから質問の答えになっていない気がしてならず大変申し訳ない。
さっきから例に挙がるものが全部CMだと言われそうだけど、CMはアピールの塊だからそれだけ注目を集めることしてくるからCMは危険よ。
このベッド欲しいな。掛け布団を片しておく空間を用意しないと駄目だけど。
お世話になってしまっといてアレなんだけど、家のスペース的にこのソファベッドは買えないかなぁ。同じ寝る&座るなら俺はコタツ派です。最後にしつこく一般の感性アピール。
sonzincさん
あなたは何も悪くないよ!いつかは貼られると思ってたから気にしてないよ!てか第三者が貼るならともかく俺本人が貼ると必死でキメェなと思ってたからむしろありがたいよ!
今でもほんのり香る柚子はいつも入ってたバブの柚子味とは違うんだよ柚子味とはって言いたいぐらいなのよね。
塩素で消毒してるらしいんだけど、
長時間だと肌がピリピリになってきて爪も弱くなっちゃって割れてきたから、
これは無茶して入りすぎなんじゃない案件濃厚で
逆に肌のコンディションが悪くなると言う弊害があることに気付いたのよね。
そこで、そこで私は新発見をしたの!
湯船につかれなかったらサウナに入ったらいいじゃない!とマリーアントワネットさんもかつて言ったかも知れないことのように、
それ私気付いちゃったのね。
でもサウナって熱いのは良いんだけど、
お湯の伝導率とは熱の伝わり方が違うので、
今回初回で上手に利用できなかったのもあるけど身体の芯まで温まらないような気がして、
水風呂も気持ちいいんだけど1分入ってたらもういいやって感じで、
熱い湯船につかってると、
ある時点になるとお湯に浸かってる時間より水風呂に入ってる時間の方が長くなっちゃうと言う逆転現象が起こるのよね。
それはともかく、
ある程度サウナで数セットやって
一番熱い湯船に入ったところで、
もはや熱いのも何も感じなくなっちゃうという変な現象もあって、
ちょっとサウナもなんだか上手に入らないと行けないのかしらね?ってまだ3年ほどしかしてない銭湯研究に余念がないわ。
でもサウナはやっぱり汗がしっかりかけるので
肌全体がしっとりしてるようで、
湯船に入りすぎたリスクの肌がピリピリして痛くなる現象も認められなかったから、
そう思うとさ
私まだ試したことないんだけど、
常温に戻した生玉子を
ちょー今私上手いこと言えてない?
君を乗せてってだけに黄味を乗せてって!
10分もあればしっかり半熟かたまり具合でいい感じになるかも知れないわ。
もしかすると私もその10分どん兵衛の気持が足りなかったから温まらなかったのかも知れないし、
最近よくあるその番組だけのために作られたシーエムとかをよく見る感じで、
年明けどん兵衛の年明けてませんでしたドッキリ版を
ぜんぜん担担麺って商品名が言えてない袋ラーメンのシーエムの子どもたちが演じてて、
それはさすがに狙いすぎてアザというなと言う印象でしかなかったんだけど、
最後のシーンで雪だ!雪だ!って跳ね回ってるのを見をなんだか、
まるでどん兵衛を食べてないのにほっこりした気持になったのが可愛かったわ。
あと豆知識を1つ、
口を「3」のかたちにするといつまでもUFOの香りを楽しめるわよ!
やってみてね。
もうこの際年明けソース焼きソバでもいいんじゃないかしら?って思うわ。
でもよくよく考えてみたら、
週末のゴールデンタイムなのに
初風呂で多いだろうけど、
芋を芋で洗うような感じだけは避けたいわね。
今度番頭さんに聞いてみるわね。
うふふ。
3種類のサンドイッチが入っていて美味しいったらありゃしないわ。
とりあえず迷ったらコレって感じなのよね。
なんだか作るのが大変そうなのでお店の人が大変そうだしちょっち躊躇しちゃうわ。
冬至でカボチャ買おうと思ったらマーケットにカボチャは何故かなく昨日はてんてこ舞いだったわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
友人からの言葉が、ほとんど批判や非難、否定に聞こえる癖が治らない。助けて欲しい。
私は20を過ぎた一介の大学生だが、子供の頃から続くこの症状(?)が最近ますます酷くなってきたので、もしも誰かに見て貰えたら、あわよくば反応を貰えたらと思い、こうしてネットに吐き出している。両親や友人に話しても芳しい反応が貰えないのだ。
私は精神が弱い人間だ。自分が嫌いで死にたくなることもあるが、死ぬのが怖いので軽い自傷しかできない。人に嫌われることが怖く、つい八方美人になってしまう。その末できた数少ない友達に精神的に依存してしまって、しかし自分から声をかけたり遊びに誘うのは、断られたり面倒に思われるのが怖いからできないのだ。
最近、その数少ない友人からな言葉がナイフのように思える時が多々ある。以下に天空の城ラピュタを使って例を示す。なおこれは、ほとんどLINEやメールや電話などの、表情が見えないやりとりで起こったことである。
①私「ラピュタのこういう所が好きで、キャラも好き。あのキャラがここでこういう行動をしたのは、〇〇と思ったからだと思う」
友人「個人的には違うと思う。あのキャラは××だと思ったからああしたんじゃない?」
→自分の意見を否定されている感じがする、変なことを言って嫌われたような気がする
②私「ラピュタのあのシーンって実質〇〇じゃない?(ウケると思って言ったよくわからんジョーク)」
友人「そんな風に考えてたのか.......」
③私「本編が終わったあと、シータとパズーが〇〇してるといいよね(本編後のふとした妄想)」
友人「個人的にはそれより××の方が好き」
→こんな訳分からないことを考えている自分を非難されているような気がする
④私「本編が終わったあとシータとパズーが〇〇してるといいよね」
友人「わかる」
私「(同意してくれたのが嬉しくて調子に乗る)さらにそのあと××になって~△△って2人が考えてたらいいなと思うんだけど」
友人「(私が直前に言った話題には何も返さず、他の文章に返答する)」
→調子に乗って嫌なこと言っちゃったかな、それともこいつつまんねえなと思って無視してる?
例を書いてみたらあまりのくだらなさに涙が出そうだが、これでも真剣に悩んでいる。大人と呼ばれても差し支えない年齢になって、精神的な弱さも改善出来たら、と思ったのだがこれだけはどうにも治らない。なにか改善策を知っている人がいたら教えてください。
3ファクタ認証などと若い人達が盛り上がっていますが、ラピュタのリアルタイム世代からすると
驚きなんですよ。あれは「シータとパズーが同時発声しているから有効」と我々以上の世代は
ラピュタが制作、公開された時代は、ソビエト連邦(ソ連)という超大国がまだあったんです。
ソ連と米国は2大超大国として地上に君臨しており、お互いに大陸間弾道核ミサイルを向けて
睨み合っていたんです。一方が発射してしまうと報復のためもう一方も発射しますので
「核の冬」が来て北半球は壊滅的になる、と全世界が憂慮していた時代なんです。
2011年に福島近辺に大量の放射性降下物が降ったので今でも人が住めないですが、
そんな時代ですから、核ミサイルの発射は厳重に管理運営されているのか、みんな興味があって
ドキュメンタリー番組やニュース番組でよく取り上げられていました。
そしてそのときによく放映されていた映像があるんですよ。「発射には二人の担当者がそれぞれ
キーを差し込んで同時に回さないと発射されない」という様子の映像です。
当時、宮崎駿もそれを当然見たでしょうし、観客もそうです。
30年くらい経つと世の中で共有されていた当たり前のような前提知識も失われるんだなぁ
と驚くし、寂しい感じです。が、仕方ないことでしょうね。
「うう……ここは一体……」
貴景勝は密閉されたカプセルの中に横たわっているようだった。貴景勝の意識の回復を感知するとカプセルの扉が開いた。上体を起こして周りを見回すがあたりは真っ暗で誰の気配もない。自分は裸のようだった。
「ここはどこなんだ」
――ピンポンパンポーン。オハヨウゴザイマス。タカケイショウ。アナタハキュウセイシュトナルタメニニセンニジュウネンニコールドスリープサレマシタ。アナタハスモウサイボウヲモツジンルイノキボウナノデス。ドウカジンルイヲスクッテクダサイ。ナオコノメッセージハ……
「コールドスリープ? スモウサイボウ? なんのことだ。うう、何も思い出せない……」
カプセルから出て自分の足で立ってみると力士らしい足腰は健在であった。広い円形の殺風景な室内に事務机が一つだけあった。ノートが残され、「貴景勝殿」とあった。読んでみるとコールドスリープに至った計画の全貌が記されていた。
「なんてことだ……」
ひとまずその部屋から出ることにした。ドアのロックは網膜スキャンで解除された。そこは両国国技館の地下22階だった。見張りはいない。このことは最重要の国家機密なのだ。貴景勝には今が何年だか見当もつかない。エレベーターは設置されておらず、階段で地上を目指した。1階の扉もやはり網膜スキャンで解錠された。ドアが開いた瞬間目の前に人が現れたが、彼は貴景勝の姿を見るとひっくり返った。
「はわわ」
動じない貴景勝はその人物を見おろした。16かそこらの少年であった。震えながら後ずさりする少年に対して貴景勝は悠然と構えた。周りの様子からたしかにそこは両国国技館のような気がした。長年誰も開けることのできなかった扉が今開かれたのだろう、貴景勝はそう思った。
「そ、そそそ、その扉から! 出てきたっちゅうことは! あんたはあの伝説の貴景勝様かいな!?」
「そうです。私が貴景勝です」
「うっはっは。やっぱりそうだ。おとんは嘘つきなんかやなかった。貴景勝はあったんや!」
「どどど、どうして、わいの名前を! やっぱり貴景勝様はあかんで! でもちょいと発音がちゃいまんがな! サリーちゃんと同じ発音でパズーや! こりゃあかん。親方に報告せんと!」
ラピュタの石のおじいさんになりたい。
おじさんは、暗い洞窟の中で、それぞれの小石の中に潜む夢や希望や理想などの小さなキラキラを集めて過ごしている。
小石はどこにでもあるが、暗い洞窟の中でないとキラキラが見えにくいし、声も聴きとりづらい。
キラキラを見つけるたびに、「素敵だね」「かっこいいね」「きれいだね」と返事をし、
洞窟の中は、誰にも気兼ねせずに自分のキラキラをさらけ出せる居場所だった。
あるとき、おじさんは強烈な「ギラギラ」を放つ石を持つ若者に出会う。
他のどんな石よりも美しい輝き。
私が探していたものはこれだったのだ。
そう確信したおじさんは、こんなところで腐ってられないと思い立ち、
外に出ると一番声の大きい人になっていた。
いつの間にか若者は去っていて、周りの人は怯えた目をしていた。
石はとても美しいけど、世界のすべてではなかった。
おじさんは後悔している。
【激論】天空の城ラピュタのシータとパズーは結婚したのか? マニア同士で論争に
http://buzz-plus.com/article/2016/01/06/castle-in-the-sky-laputa-3/
この記事を見て、
「えっ!確かにその後が気になる!いやーん」という人は二次創作物を作るか、見るかの才能があり、
「えっ!なにそれキモイ!」と思う人がこの世の中大半なわけであります。
中学生の時エヴァ(うちの学校ではヤンキーからオタクまで大ブームだった)でシンジとアスカは恋人になるかみたいなことポロッと漏らした時、
「はっ?」という顔をしたA君とBちゃんの表情を見て、「これは人前で安易に話してはいけないことなんだ」と思った。懐かしい。