はてなキーワード: ゴールデンタイムとは
もともと「品行方正」「清廉潔白」「安全安心」「健全」「知的」「元気」「笑顔」「理想のパパ・ママ」みたいな陽のイメージで商売してた人は悪さすると許されない。
一方で、アホとかやんちゃとか胡散臭いとか変態とかキチガイとかそういうイメージの人が多少悪さしても、まあそうだよなって感じになる。
だから、健全で良い子路線で売ってたベッキーは叩かれて、いかにもゲスそうなマッシュは普通に不倫をネタにしてすぐ復活できた。
現役スポーツマンは子供の憧れという前提があるから悪さをすると叱られるけど、現役引退して黒光りした清原がクスリで捕まっても「まあそうやろな」って感じ。
ピエール瀧とかまさにそんな感じで、昔から知ってるファンは捕まるのもネタでしかないけど、ドラマに出たりCMでお父さん役やってる瀧しかしらない人はガチで怒ってて面白い。
前者のほうはピエールがお父さん役って時点で大笑いなんだけど。
だから、今後、音楽活動は復帰できて、Vシネとか映画には出れるとは思うけど、ゴールデンタイムのドラマとかCMには起用されなくなると思う。
キャストやスタッフのテロップとともに主題歌に合わせた特別な映像が作られていた。これがドラマ主題歌を特別なものにしていて、主題歌に選ばれた曲のCDは爆発的にヒットした。
それが90年代後半からはテレビ局の視聴率競争のためにオープニングが流れる時にチャンネルを変えられないようにしようとオープニングが削られ主題歌が流れるのはエンディングになった。主題歌に合わせたエンディングロールの映像が作られていた。
最近のドラマではオープニングでもエンディングでも主題歌に合わせた映像は作られず、ドラマの本編映像に合わせて最後に流すだけというものが多くなった。これも視聴率争いの結果だろうか。主題歌を主題歌と認識できないドラマが多くなった。単なるおまけの曲でしかない。
こうしてドラマ楽曲はテレビ局の視聴率争いでどんどん脇に追いやられていき存在感が小さくなった。
今、ドラマにオープニングが残るのはNHKの朝ドラと大河だけである。
一方でゴールデンタイムの激しい視聴率争いに左右されてこなかったアニメは子供向け作品から大人向け作品まで全てにおいてOPとEDは不変である。
今、中学生男子のこどもふたりと、小学生男子のこどもが1人いる。
こどもが好きというよりも、これまで世界に生まれたほとんどの人類が持っていたから、
自分もどのようなことを思い、考えるのか経験してみたいと思ったから。
それを経験しないのは、死ぬときに後悔するだろうなと思った極めて消極的な理由。
こどもがとくに好きということもなかったし、
できたあとも、かわいいなと思うこともあったけれど、
こどもができて幸せとか、そういうこともとくに感じなかった。
家に、人間みたいなペットが来たなと思うくらいの印象で過ごしていた。
あるとき、仕事の飲み会で、年上のクライアントに、こどもについて聞かれて、
みたいなことを言われた。
「そうなんですよ、めちゃくちゃかわいいんですよ」
みたいな定型的な返答をしていたが、
うんざりしたのをよく覚えている。
実際、こどもといっしょにいることで、
自分の人生がゴールデンタイムになったなんてちっとも思わなかったから。
大変で、うんざりすることも多かったし。
育児放棄という感じではなく、
また、新しいペットが増えたなと思うくらいで、
しかし、大きな転機が訪れた。
保育園にお迎えに行くだけで、大喜びする。
そんなふうに求められ続けて、
若いときに女の子とデートしたときのような気分に近かったりする。
そして、家族みんなで過ごすのは、ほんとうにゴールデンタイムなんだなと。
ここまで来てやっと気づくことができた。
こどもは同じ両親からも、全然違う性格のこどもたちが生まれるし、
こどもだって人間なんだから、良くも悪くも、相性みたいなものもある。
うちがひとりっこや2人兄弟だったら、
その中に、長くいっしょに楽しく過ごせる
WBCで日本勝ったことだし、給料日前だけどうまいもんでも食べますかってね。
で食券買って席について、店内で流れてるラジオを聞くわけですよ。
もうね、聞いてらんない。
だみ声のおっさんが司会やっててさ、なんか「視聴者が考えた怖い話」みたいなの読み上げてるわけ。
「発 情 コ キ す ぎ た 男」
はあ?って感じよ。
内容も「ズボンとパンツを下ろし~右手で息子に触れ~ゆっくりグラインドし~うんぬん」って妙に生々しい。
で、オチもクッソしょうもなくて、70歳の爺さんが発情してて怖いキャアアアアアア(SE)みたいな感じだった。
でも飯食う時にそんな爺のオ〇ニー話聞きたい人間がどこにいんだよ。
自分で選ぶラジオなら自己責任だけど、飲食店で聞かされる下ネタラジオとかほぼテロ。食欲失せたわ。まあおいしくいただいたけど。
松本零士の「見ても読んでもいない」度が高いのは納得できね?
たびたび映画がリメイクされてるけれどアレ見に行くの 見たことある人が大半でしょ?
テレビ放送のリメイクも1クール深夜帯とかで オタク以外が見るのは無いでしょ?
赤塚不二夫も「見ても読んでもいない」度は高いのではなかろうか?
バカボンとかのキャラは松本零士作品のキャラより知名度、理解度は高そうだけれど、テレビ放送のシリーズ的に20さい未満の「見ても読んでもいない」度は高そう
手塚治虫はどうだろう?
一方、ブラックジャックははだしのゲン、三国志と並んで学校図書に並んでたのと2000年代に長期間ゴールデンタイムでの枠があったのでそこそこ低いのでは?
石ノ森章太郎も平成ライダーを含めないと「見ても読んでもいない」度が高そう
水木しげるの「見ても読んでもいない」度はどうだろう?
まず何が駄目って
・手が自由になるわけではない
という2点。
不思議な感覚を味わえるということもなく、バキュームなら自分で緩急をつけて揉みながらシコシコするのと大差なく、回転なら自分でグルグル回すのと大差がない。
オナニーをしたいだけなのに掃除機のような鬱陶しいモーター音をさせることになり、結果としてゴールデンタイムである深夜オナニーが捗りにくくなる。
適当な場所に固定してその間に両手を使って乳首や尻穴を弄りつつマウスもクリック出来るぞと思いきや、自分の固定や振動でオナホがズレていくのだ。
軽いタイプは吹き飛んでチンポが抜けるし、重いタイプは変な方向にチンコをねじ切ろうとしてきて非常に危険だ。
これなら普通のオナホをクッションや布団に沈めてその上からピストンをしていく方がまだ両手の自由は効きやすい。
俺は夢を捨てきれず
5万円の回転タイプ
の3つも持ってしまったが、どれもまともに使っていない。
乳首なめローターや吸い取り型のバイブなども試したが、求めていたクオリティに達しているものはない。
でもVRAVはちょっと気になるんだよなあ……
ゴールデンタイムに放映されたからと言って人気作品になるとは限らないんだが…
視聴率高い時間帯に放映されてても話題にもならず評価もされず空気、勿論海外人気もない作品なんていくらでもある
人気云々言うなら「ゴールデンタイムに放映」じゃなくて「実際日本で大ヒットした」にしないと
この手の議論で毎回「海外の酷い作品は日本に入ってこないだけ」とか「外国人の演技の酷さはわからないだけ」みたいな意見が出るけど、なぜそこまでして日本のドラマの酷さを相対化したいのだろうか。
そもそも日本のドラマのクオリティを嘆く意見自体、ゴールデンタイムなどで大々的に放送されてる人気作品を見ての意見なのだから、人気海外ドラマをその比較対象として引き合いに出すことは当然である。
そして海外に輸出されているような日本のドラマはどれも日本国内ではトップクラスの人気作品ばかりであるにもかかわらず、韓国ドラマなどと比べても全く存在感がないのは、外国人が観てもやっぱりつまらないしクオリティが低いからだろう。
「まいっちんぐマチコ先生」はゴールデンタイムにアニメ放映してて、漫画よりアニメで認識した人の方が多いと思うぞ。
今は、Amazonプライムで見放題の対象だし、この論争してる人らはみんな、一度は何話分かを見てみなって。
乳首含めて胸もお尻もそのまま出してるし、毎度のように全裸あるし、そもそものお話のコンセプトはエッチなイタズラを成功させて困らせて「まいっちんぐ」って言わせようだし。
今の感覚だと、こんな内容とエロ絵が子どもらの一番見る時間帯に放映するって事が許されてたの?ってなると思うよ。
それで、アニメの影響で、ちびまる子ちゃんやクレヨンしんちゃんの声マネや、カメハメハとか、壱の型ってマネするのと同じくらいのノリで、エッチなイタズラを真似るガキがいたんだって。
のちのクレヨンしんちゃんと同列な扱いだけど、セクハラなんて言葉も無かった時代だから実際に被害受けた女の子が40年たってもスティグマで許せないような内容を、面白い愉快なアニメって子どもらへ放映してたわけ。
だから、棲み分けというか、ゾーニングはした方が良いと思う。エロを目的にしたアニメを無くせって事じゃなくて、深夜にやるとか、レーティングなりで子どもの目につかない配慮はあって良いと思う。
アマプラだけじゃなくて、U-NEXT、dアニメストアも見放題の対象らしいし見てみなって
実際に見た上で、この内容のアニメを子どもらが見る時間に放映する様に戻すべきってならないと思うけどな
このレーティングが表現規制だ!全ての作品(アダルト含め)はレーティングつけるな!って人がいるなら会話出来ないけど、そこまで極端な人いる?
そういえば、マチコ先生はスカートめくりより「ボインタッチ」だったってコメントにスターついてるの見たけど、次回予告の毎度の初めの台詞が「マチコ先生ボインにタッチ」「いやん、まいっちんぐ」だったから印象強く残ってるんじゃないか。
スカートめくりの方が回数も多いし、当たり前の挨拶かってほどやってて、ボインにタッチの方がハードル的には上のイタズラ扱いになってるな。
まあ、この頃はアニメだけじゃなくてバラエティもひどかったからね。アニメ漫画だけのせいじゃないと思うよ。
ゴールデンタイムに志村けんが、バカ殿様で女中達におっぱい出させてボディペイントして神経衰弱したり、変なおじさんで医者になりすまして「聴診器いらない手で解りますから」っておっぱい視聴者に見せながら触ったり、電車痴漢でお尻触ったりしてたからな
僕のバスケ歴は割愛するが、一応、最低限はバスケを語れる資格を持つ経験者だ。
スラムダンクは漫画は全巻持ってたし、連載当時に週刊少年ジャンプでも読んでいた。
でも、他にも色んな漫画をたくさん読んでいたから、特に好きな作品な訳では無いが、スラムダンクを語れる資格も持っている筈だ。
プロ選手になるという夢が存在しない分、現実的な折り合いを付け易くなる。
社会人になった元経験者達が資本主義の世界の中で大人になって、自分の取り組んでいたアマチュアスポーツを盛り上げようと画策する。
例えば、バレーボール。
そこまで人気でもないのにも関わらず、毎年、日本では世界大会を開催。
試合中に今のスパイクは何mの高さだったと計測された数字がリプレイと共に表示される。
人気に見合わない大袈裟な演出は、野球やサッカーと比べても遜色ない練習の過酷さが当たり前のバレーボール経験者達がサラリーマンとして社会で活躍しながら競技を後押しし続けた結果だと思う。
一方、バスケットボールはバレーボールと異なり、野球と同じで日本に強い影響力を持つアメリカ合衆国の4大スポーツの一つだ。
サッカー、野球、バスケットボールは、日本が戦後から続く海外への憧れを象徴するスポーツだと思う。
しかし、野球やサッカーと比べて、バスケットボールはようやくプロ化に辿り着いたが、まだまだ日が浅い。
野球ほど社会的影響力は無いし、サッカーと比べて世界的人気は少ない。
だから、プロバスケ人気を盛り上げるための苦心の策として、 数年前にLEDパネルのコートで行われたBリーグ開幕戦の試合中継なのではないかと思う。
しかし今のところ、バスケは観るよりもプレイした方が楽しいスポーツだと思う。
現状の日本バスケ界に不足している重要なピースの一つが、世界観作りだ。
サッカーにおけるキャプテン翼のように、日本バスケ界でその一役を担うのが、この映画『THE FIRST SLAM DUNK』なんだと思う。
今のスポーツ中継のカメラワークは、どの競技も完成形だとは思うべきでは無い。
ドローンなんて現時点のテクノロジーによる妥協の産物に過ぎない。
モーションキャプチャーのCG合成をリアルタイムで処理しながら無制限のカメラワークをコントロール出来る時代を待つしか無い。
それが実現するのは少なくとも100年先の未来になるだろう。
でも、CG作品ならば、フィクションの試合を無制限のカメラワークで演出することが可能だ。
『THE FIRST SLAM DUNK』は100年後の試合中継のカメラワークだった。
かつて映画製作を学んでいた僕は、映画を観るためではなく、バスケの試合を観に行くつもりで数年ぶりに映画館へ足を運んだのだ。
そんな僕の判断は間違ってないと思った。
当初、ジャイアンの声優の人が桜木花道であることを知って、困惑した。
ジャイアンを襲名したからには、ジャイアンの色が付いて回る宿命をスラムダンクに持ち込んで欲しく無いと思った。
監督がリアリティを追求した結果、出刃庖丁を持った2mの巨漢が全国大会のコートに乱入する大事件はオミットされた。
桜木花道は終始、バスケ歴4ヶ月のフィジカルモンスターだった。
デニス・ロッドマンそのものだった。真っ赤な坊主頭が試合を引っ掻き回してた。
かつて緑川光が演じた流川楓も、味方にパスをしない異常プレイヤーだったし、寡黙なキャラに合った雰囲気さえあれば声優なんて関係なかった。
急展開過ぎる。
もう少しモーションキャプチャーの演技でスタミナ消耗の下降線を丁寧に描けよって笑ってしまった。
バスケットボールを描くに当たって、ボールのドリブル音、バッシュの音にしっかり拘りを持った演出をするのは明らかだった。
けど、屋外を歩くだけのシーンでも露骨に足音を鳴らすのはやり過ぎ。この一点だけは偏執過ぎる。まさに勇み足だ。
僕の記憶が正しければ、バスケのルールとして、敵陣のゴール下の台形ライン内に3秒間ずっと入りっぱなしだと、3秒ルールが適用されて相手ボールからのスローインになってしまう。
湘北高校のオフェンス時の桜木花道の立っている位置は台形内っぽいことが多い気がした。
桜木花道は何度も3秒ルールを食らってないとおかしいと思った。
渡米していた宮城リョータの出現にえっ!?と一瞬、頭が混乱した。
というか、この映画自体がスラムダンク奨学金のための伏線だったのか…と思った。
その中での90点だ。
100点じゃない理由は原作漫画を読まないと理解出来ないからだ。
当時、原作漫画を読んだバスケ経験者の親達は、この映画を観た感動を情熱に換えて子供と日が暮れるまで沢北の父親さながらの1ON1を続けるだろう。
原作者であり映画を監督した井上雄彦は、バカボンドのヒット後にどこかの寺の襖だったか屏風に直筆を描いて日本画の領域に進出した。
結果は散々。漫画は所詮は漫画であり、漫画絵が日本画と肩を並べることは叶わなかった。
かつて、日本映画界はアニメーション映画を日本映画として認めていなかった。
日本映画界が斜陽が限界点を突破した結果、映画産業を水増しするためにある時期を境にアニメーション映画を渋々受け入れた印象がある。
日本のアニメ界はファンタジー性や虚構に拘り過ぎている節がある。
だから身勝手に3.11を風化している扱いにして傲慢なアニメ作品で大プロモーションをしちゃったりする訳よ。
『THE FIRST SLAM DUNK』のようにモーションキャプチャーと2Dライクな3DCGを使ったリアルアニメーションこそ、次世代の日本映画だと思う。
ちなみに、小学2年生になる息子がいる。
高校時代は山王戦でメガホンを持っていた奴らのような惨めな3年間を送った過去のある僕は、子供に運動部の残酷さを味わせたく無いと思っている。
でも、たまに、自宅の庭でバスケットボールを使ってドリブルやパスの練習をして遊んでやってた。
昨年、小学校の七夕に「バスケがしたいです」と書いていたことを耳にした時は狼狽した。
で、今回の映画鑑賞は息子を初めての映画館に連れて行った訳だけど、感想を伺ったらバスケに目覚めなかったらしく、内心ホッとしている。