はてなキーワード: 紅鮭とは
どっかの増田投稿に『犬笛』って名前つけられたから犬笛マンガと呼称する。理由は調べたら多分わかる。
『ゐ』って漫画家なんだけどよ。
最近バズってるよな。見るとまぁ気分逆なでしちゃう内容なんだわ。
気になったから調べてみたけど前の名前が『ゐろこ』で紅鮭色子って名前で2018年ごろに大手の大賞を受賞する立派な漫画家様だったよ。
別にツイッターのマンガなんてどうでもいいわ。ただ純粋に気になったことがあって。
何故か知らんが今年の7月を境に自分のツイートをほぼ削除していろいろセンシティブな漫画を投稿するようになった。
多分自分や周りから危険を遠ざけるためと思うが、なんで危険だと思うような事をわざわざ漫画に描いて投稿してるんだ?
あれこれ忙しく、どこかに書かずにはいられなくなってしまったので増田に。
昨日の朝、一緒に住んでいる恋人が早朝からおなかがいたいと言った。
もともと良性の腫瘍があり、年に2回ほど経過観察のため病院に行っていた。痛みの位置的にも腫瘍がわるさをしている可能性が高く、はやめに診てもらったほうがいいと考えてかかっていた病院の救急外来へ電話。
当直の先生へ病状を伝えたところ、やはり腫瘍が原因になっている可能性が高いとのこと。いつ来てもいいと言われ、簡単に支度をしてタクシーで病院へ。
診察前に熱をはかりにきた看護師さんにお友達ですか? と聞かれてパートナーですと答えた。家を出る前に関係を聞かれたらなんて言えばいいの? なんて話していたのが役立つ瞬間だった。
診察中は待合室のベンチで待機。MRIをすませた段階で、痛み止めの点滴を打たれている恋人のところに通してもらえる。パートナーと伝えていたのがよかったらしく、全体通して家族扱いしてもらえていた。外科の先生がきて、病状の説明。やはり問題の腫瘍が原因とわかる。
今日手術してしまうのがよいそうで、そのまま手術の説明をうける。日曜に手術、水曜まで入院の三泊四日の予定だそうだ。また、コロナ禍のために面会ができなくなっているとのこと。腹腔鏡手術担当の先生は説明がていねいで感じがよく、好印象だった。入院の準備と手術の準備をするのでと言われ、そのまま二人でしばらく待機。朝からなにも食べていなくていいかげんおなかがすいたので、長丁場になったときのために持ってきていた焼き菓子を食べた。おいしい。
その間に恋人は家族に連絡していた。コロナ禍のこともあってわたしはまだ恋人のご両親にお会いしたことがなかったけれど、恋人伝いでお母さまとLINEを交換し、はじめて直接連絡をとる。優しい言葉が返ってきて一安心…。
手術に関する書類はわたしだけ窓口に呼ばれて記入をした。無料の病室の都合がつかないらしく、室料がかかると言われて同意書を書くよう案内される。インターネットでつけた知識をもとに、病院都合の部屋の変更は料金がかからないと聞いたことがあると思うんですが…と話すと、無料のお部屋をご本人も強くご希望ということですね? と念押しされてしまった。こわい。窓口のかたが先生に確認しますと下がっている間に恋人にこういうことになってますと連絡。正直、手術をしてもらう時点でこちらは命を握られているに近いわけで、軽い気持ちのネゴシエーションがおおごとっぽくなると入院中の待遇がわるくなったらどうしよう、などと心配になってしまう…(とはいえ病院の方は皆さんとても親切でていねいでした)。
戻ってきた窓口のかたによると、火曜までは有料の部屋が無料で使えるが、最後の一泊については無料の部屋があかない場合交渉が必要とのこと。わたしは仕事があり、面会もできないのでおそらく入院患者本人に交渉しろということだろう。入院の必要な人間にそんなめんどうなことをさせるのか…? というきもちでいっぱいだったけれど、これ以上めんどうを起こしたくなく、その条件をのんでしまった。窓口のかたが室料についての新しい同意書を持ってきたので、それにサインする。文言が変わっていて、系列の病院に移動させられても文句を言いませんみたいな内容になっていた。すごく不安だったけれどサインをしてしまう。
恋人のもとにもどって、室料の件をかんたんに話した。退院するまで部屋の件は不安だしよくないことが起こらないといいなと思っている…。べつにお金に困っているわけではないんだし、払ってしまったほうがよかったのかなあ。
しばらく待って、病棟に移動することになる。待ち時間、恋人はすこし寝ていた。わたしも気疲れしてしまってベッドの柵にもたれて目を閉じていた。
移動までの間、面会できないので、ナースステーションまでですと念を押された。恋人が病室へ連れていかれてしまうのを見送って、ナースステーション横のソファで待つ。すこし前におなじようなかんじで手術と入院をした友人に役に立った持ちものを聞いたり、自分でもあれこれ体験記を読んだりしてこのあとの荷造りのことを考えていた。
看護師さんが来て、もうすぐ手術ができるがいまはまだ時間がわからないこと、もう面会ができないので帰ったほうがよいことを伝えに来た。うすうすわかっていたけれど、もう退院まで恋人の顔を見ることはできないらしい。ここでお別れです、という時間を1分でもつくってもらえたら最後に手を握ったりなんか話したりできたのにな、というきもち。病棟へ移動した際に預かったままになっていた恋人の荷物を看護師さんに渡して、荷造り&買い物のために病院を出る。
恋人の通っていた病院は、比較的家からも通いやすいところで、今回それが助かったなとおもいながらユニクロと無印良品、成城石井、マツキヨに行く。途中おなかがすいてしまってたまごサンドを買って食べた。
あってよかったものリスト、いろいろ見ているとジャムやふりかけがあげられていることがおおかった。恋人はお菓子やジャムをふだん食べないので、いろいろ迷ったけれど三島食品の紅鮭菜飯を買う。
ちょこちょこ連絡事項をやり取りしていた恋人に手術内容について聞かれて、返信しながら恋人もいろいろそれどころじゃないのかも、とあらためておもった。わたしが同席していられてよかった。
買い物でスマホから目を離している一瞬のうちに恋人は手術室にはいってしまったようだった。買い物をすすめながら、わたしは手術が完了したあと連絡をもらえるのだろうか、と急に不安になる。そもそも手術って家族が手術室の前で祈りながら待つようなイメージだった。今回は面会ができないのでそれができないことはまあわかっているし、荷物を持ってくるためには帰ってこないと電車もなくなってしまうから、一度帰宅する必要はあった。ここでようやく腹腔鏡手術の所要時間を調べる。持ちもののことばかり考えていた。
買い物をすませて家に帰り、iPhoneの着信音を最大にする。
荷物を準備していると、ちょうど手術開始から2時間弱のタイミングで電話が鳴った。手術は無事終了、とくに合併症などもなく予定通りに終わったとのこと。恋人は麻酔で寝ていて、連絡がつくまでまだかかるそうだ。電話を終えて、恋人のお母さまにも連絡する。はじめ恋人はお母さまに、わたしへ連絡先を教えておいてと言われたときに電話番号を伝えてくれようとしたのだけれど、LINEにしておいてよかったとおもった。既読がすぐについて、しばらくして返信がある。とても安心したことや、わたしや病院の先生へのお礼など。
わたしはいまたしかに恋人と生活をしていて、おたがいがおたがいのいちばんの関係者だとおもっている。籍を入れることはできないけれど、指輪の交換もした。けれど、わたしという存在によって、恋人のお母さまは手術の結果をいちばんに聞くことができなくなってしまったんだ、とおもうと、わたしが恋人をとってしまったような気がした。
荷造りをすませてふたたび病院に向かうころには、通常の面会時間はすでに終了していた。守衛さんに伝えて手続きをおこない、ふたたびナースステーションへ向かう。
看護師さんに荷物を渡すと、荷物を渡しがてらとくに持って帰ってもらうものはないか恋人に聞いてもらえた。わたしはそこですでに恋人が目を覚ましていたことを知ることになる。恋人の病室はナースステーションからいちばんちかいのに、恋人の病室に出入りする看護師さんを黙って見ることしかできない。毎日一緒に寝起きしているのに、いまは恋人が起きているかどうかも他人に聞くまでわからないのがむしょうに悲しくて、泣きながら病院を出た。
最寄り駅にふたたび帰り着くころにはすでに22時をまわっていて、どうしようか迷ったけれど松屋で夕食をとって23時には寝た。わたしは寝付きがいいほうではないので一人寝はかえってねむれるかも、とおもっていたけれどねむりは浅く、病院に行く夢や恋人と過ごす夢ばかり見た。
日付変わって今日、恋人はまだ具合がよいとはいえない状態のようだけれど、連絡はとれている。このままなにごともなく病院を出て、しばらくはつらいだろうけれど、ゆっくり回復できればいいなとおもっている。
不安なのかさみしいのかわからないけれど、誰かに話したくてしょうがないし、けれどおなじ温度感で問題を共有できそうなひとがいないのがしんどい。昨日から泣いてばかりいる。
恋人にはさみしくて毎日泥酔しているかも、なんて軽口をたたいたけれど、いまは夜ごはんになにを食べたらいいかよくわからない。
プレイ直後は面白かった記憶が多くを占めていたが、クリア後しばらくして考察したくなったときに、嫌な部分をブワッと思い出してしまって駄目だった。
私はアニメロンパ3をリアルタイムで視聴し、前作との矛盾点やスナック感覚洗脳が気になりイライラしていた。
しかし、それでもこれがロンパの世界で起こったことで、彼らが選んだ道なら、なるべく自分が納得できるようにこじつけようと考えた。
そうして自分の中で希望ヶ峰シリーズを完結させようと考えていた。
しかし、V3で希望ヶ峰の名前が出され、ゴフェル計画をはじめ希望ヶ峰の設定を覆すものを並べられ、冷静ではいられなかった。
希望ヶ峰シリーズをこれ以上搔きまわすことだけはやめてほしかったからだ。
この時点でイライラは募っていたが、Chapter5は個人的に好きだったし、終わりよければ全てよしとしようと偉そうにも考えていた。
しかしそれも最悪の形で締めくくられた。
ダンガンロンパはゲームで、登場するのは非実在キャラクターだなんて、誰もが分かっている。
しかし、ゲームの中ですら私の好きなキャラクター達は生きていなかったと言われたのだ。
生い立ちは設定だから過去に関わった人間は存在しないと言われたように感じた。
本編の後なんてあるわけないと否定された気がした。
希望ヶ峰シリーズの余韻に浸って、平和な学園時代やキャラクター性を掘り下げて考えていたのを全て否定された気がした。
ロンパ3なんて茶番の最たる形だと思った。
その視聴者というのが、ダンガンロンパの続編を望んだ私を含むプレイヤーのことを指してると思えてならなかった。
kdkは、1周年の際のネタバレツイートでその意図はないと言っていたけれど、当時の私はそう捉えられなかった。
お前らが掘り下げと続編を望んだから、こうして悲劇を作ってやったんだ満足だろうと顔に唾を吐かれた気持ちだった。
それをわざわざ立ち絵と声優さんを引っ張ってきてキャラクターに言わせるという周到さをもって、私は精神は粉々に砕かれた。
V3だけで完結させることもできるオチを、こうして1・2のキャラを巻き込んでまでやる必要はあったのかと何度も泣いた。
ダンガンロンパ1・2reloadとそのキャラが好きだったから、こうして扱われることが悔しくて堪らなかった。
吐きそうな気持ちでプレイし終えて、それでもV3のキャラクターは好きだったからイラストなんかは漁った。
でも、少し落ち着いて紅鮭をプレイしようと思ったら発売前の宣伝と内容が違っていて、プレイヤーキャラクターが赤松じゃないことにガッカリして手をつけずやめた。
twitterではV3肯定派の人ばかりで息苦しかったので、アンチスレに入り浸った。
普段話していた人がV3にジャンル移行してしまったのが辛くて、V3の呟きが増えた人を何人かブロ解した。
すでに自分の生活の一部になっていたロンパの話をするのはもっぱらtwitterだったから、開くたび目に入るV3の情報にものすごくイライラしていた。
本当に酷いときは1・2の話をしなくなってV3を楽しんでいる人を憎んでいた。
V3が苦手だと打ち明けると、いいところもあるからもっと掘り下げろと勧めてくる人には露骨にキレた。
ここまで言ったがずっとキャラは好きだった。
キャラデザは好きだし、設定とはいえ自身ではそう認識していないなら、キャラに罪はないと思っている。
クリア直後に集めたグッズを捨てようとかは考えなかったし、スケブとかで描く程度のことは抵抗がなかった。
ただ、twitterに流れるコラボや二次創作は絵が綺麗だなくらいの感想で興味が湧かなかったし、本編沿いのものはイライラして見れなかった。
けど、発売から1年と少し経ったくらいの今も、twitterのTLはV3でいっぱいだ。
さすがに見ててイライラすることはなくなったが、未だに興味は持てない。
本編沿いの内容だとすごいなと感じるが、感動はなかった。
正直こんな現状はつまらないなと思った。
みんなが楽しんでいるものを私は楽しめていないのが寂しかった。
でも、怒りを再燃させるのが怖くて2周目に手をつけられなかった。
信じられないだろうが、私だってキレたくてキレているわけではないし、楽しんでいる人を否定したいとは思わない。
自分がまた愚痴ばかりの嫌な人間に逆戻りするかもしれないと分かっていて、手を出す勇気もなかった。
そこで、二次創作に手を出してみた。
本編より二次創作に手を出すのはにわか臭くて抵抗があったが、一応本編はクリアはしているし、と自分に言い訳した。
最初は人気の漫画やギャグなど、比較的V3の世界観に触れない、ライトなところから入って抵抗をなくそうと試みた。
イライラしないし、キャラを活かしたものは「上手いな」と思えた。
さすがに自分の推しほどの興奮はないが、読み物として面白いと言う程度の感想が湧くようになった。
まだTLに流れてくるものにまで興味を持てないが、描き手の名前やCP名くらいの知識は身につけた。
ここまできたら、別ジャンルではなく、知っているジャンルとして認識できる。
描き手はそんな感覚で読まれたくないかもしれないが、私はこれを経て、V3を少しでも好きになりたいと思っている。
努力して好きになるものではないと言われればそうだが、これを好きでいられたら、そしてそれを分かち合えたら楽しいだろうという気持ちで、これからも少しずつV3の二次創作を見ていきたい。
3強 小松菜(Ashemu)、下痢(p†p)、三闘神(quell, Bad Maniacs, MENDES)
———————— 連奏ゲームへの壁 —————————
地力A 修正(mosaic)、秘伝のタレ(Secret Tale)、更新(fffff)
個人差A 田中くん(four pieces of heaven)、バーロー(ubertreffen)、⑨(Dances with snow fairies)
————————— 未確9の壁 ——————————
地力B BDMN(Bad Maniacs)、PLDN(PLEASE DON’T GO)、MTYH(Music to your head)、ヨロロ(MAX 300)、マメガ(Mermaid girl)、
同窓会(reunion)、火門(come on)、穴子(R5)、野菜(Y31)、韓国(衰色小町メランコリア)、紅鮭(Red. by Full Metal Jacket)、鯖(PARANOIA Survivor MAX)、将棋(GOLDEN CROSS)、
個人差B ホホナデール(Leaving…)、うどんげ(MOON RACE)、〆(Xepher)、やらないか(tant pis pour toi)、鎮圧七奴隷(quell)、セワンジェ(session 1-genesis-)、
——————– まずはよく見る略称に挑戦の壁 ———————–
当て字C 耳(era)、竹(take it easy)、麺(MENDES)、炎(FIRE FIRE)、羽(VANESSA)、修羅(schlagwerk)、愛社員(LOVESHINE)、
愛無双(I’m So Happy)、溺死(DXY!)、時津風(Time to Air)、黒白複眼(3y3s)
直訳C 金角(golden horn)、青雨(bluerain)、雪嵐(snow storm)、桜嵐(sakura storm)、色(colors)、明日香(tomorrow perfume)、
白壁(Innocent Walls)、猿踊(Monkey Dance)、仕組(太陽/世界/生活)(Programmed Sun/World/Life)、
失楽園(PARADISE LOST, p†p, BROKEN EDEN)、蛇棒(Snake Stick)、冷凍光線(Frozen Ray)、息(Breath)、禁欲(stoic)、
十三(No.13)、虹虹(rainbow rainbow)、雷(thunder)、十二式(twelfth style)、偽時間(FAKETIME)、雪雁(snow goose)、
————————- 押さえておきたい基本系 ————————-
28歳。サラリーマン。僕の住む家の近くに、こんな家がある。
クリーム色の外壁は雨風で薄汚れていて、玄関のドアは新しくペンキで塗りつけられたのか、光沢ある深緑色。家の前に止めているのは鍵の壊れた「チャリ」と、よくわからないシールが貼られたヤマハのジョグ。
夏になればその家の2階の窓は開け放たれていて、日本のパンクバンドの歌声が聞こえてくる。多分ipodとかではなくCDラジカセとかから鳴っているに違いない。会社からの帰り道、中学生か高校生の男の子が、その家の前でうんこ座りをしているのをよく見る。前を通る度、ちょっと緊張する。
今夜、その家の前を通りがかったとき、中の様子が望めた。漫画が中心の本棚の上に地球儀が乗っていて、その横には有名らしい海外のサッカー選手のポスターが貼ってあった。
それを見て、友達の家には必ずポスターが貼ってあったことを思い出した。やはり有名なサッカー選手だったり、ヴィジュアル系バンドであったり、グラビアアイドルであったりした。
子供の頃、友達の家に行くのが楽しみで、他人の家のニオイが好きだった。学校で会う友人とは違う一面を見ているような気がしていた。そして、自分の実家の部屋には何も貼っていなかったことも思い出した。
それなりに少年時代は好きなバンドやマンガや小説なんかがあって、それを幼稚なパーソナリティの源泉にしていた。むしろ、マイナーな海外バンドのインタビュー記事から、自分の人生訓を見出していた典型的な中学二年生だったと思う。
なのに、僕はそれらのポスターを貼らなかった。別に小奇麗な部屋でもなかったし、画鋲の穴を気にするような性質でもなかったのに。
さっきの家を通り過ぎて、オリジン弁当を買いにいく道すがら、ずっと考えていた。店について、紅鮭弁当を注文して、弁当が出来上がるまでにひとつの答えを出してみた。
どんなポスターだって、親の目には触れるし、家に呼んだ友達も見るかもしれない。何より毎日、自分がそのポスターを眺めることで、「自分はこれが好きなのだ」と言い聞かせることになる。好きなものを好きだと表明することは覚悟がいるのだ。
何者かになると言うことは、その覚悟をするということだったんじゃないか?その覚悟とのギャップを埋めるために、努力することだったんじゃないか?
満足とも不満足とも言えない今のサラリーマン生活から、ふと出した答えだった。
僕はポスターを貼らなかった。剥がしたくなるようなポスターもない。紅鮭の皮を剥がしながら、この事は忘れないでおこうと思った。