2021-10-18

クリエイティブであれという呪い

クリエイティブであれ、という呪いに苛まれている。

幸いにして自分プログラマオタクだ。プログラミングしろブログしろ小説しろ多少なりとも創作活動/アウトプットデイリーワークとして実施している。それはいい。しかし、問題なのは特に何もアウトプットをしてない日だ。

友人や家族との時間をしっかりと取った日は何もできない事も多い。休日面白いアニメ小説を一気にみて一日使ってしまう事もある。遠出をしたり旅行に行くこともある。これらはどれも充実した一日だし価値あるひと時だ。ただ、その日の終わり、あるいは週の終わりにふと思うのだ。「ああ、今日は、今週は”何もしなかった”な」と。

別にアウトプットをしない事への飢餓感は無い。私はそこまで創作活動、あるいはアウトプットというもの真摯ではない。ただ罪悪感だけがある。

私がプライベートで書くプログラムなんて些細なものだ。習作に過ぎないものだって多い。ブログ小説だって読者が対しているわけではない。もちろんそれがゼロで無いことには感謝の念しかないが... さておき、大したことをしている自覚もなければ飢餓感も無い。なのに「何もしてない」と苛まれる。

逆に、どんな些細なアウトプットでもしていれば充足がある。1日家にこもった休日に対しPVの出ないブログ記事を書く、それだけで心が充足してしまう。罪悪感が無くなる。例え他の日々をより価値があると感じていても。

いつから自分感覚としてコレがあったかは定かではない。少なくともプログラミング小説を始めた学生の途中からはそうであったと思う。もしかしたら、源流になるものもっと遡れるのかもしれないけれど。

これは呪いだ。クリエイティブであれ、という呪い。たいした創作活動なんかしてないのにそこに何かしらの特別をみいだいしている。それをしなかった日を、もしかしたらしていない人々すらをさげずんでいる。自分自分にかけたであろう呪いを説く方法を私は知らない。きっと、死ぬまでこの罪悪感と向き合っていくのだろう。

さて、今日は何もしてない1日だったけどこの文章を書いたことできっと良い一日として記憶されるはずだ。特に誰も読まなくてもね。

  • こういうふうに、自分だけは特別で、誰も考えないようなことを思いつきそれを文章化して発信できてると思っちゃってるその実、普通の人があえて言わないことを斜に構えて書いてし...

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