2021-10-04

SNS白兎

SNS上でどんな意見にもやたらと切れ散らかしている人がかなりの数視覚化されていると思うのだけど、最近ではそういう人たちを「SNS白兎」と呼ぶようにしている。

要するにいつも皮を剥がれた状態で、軽く肩をぽんと叩いたつもりでもその人にとっては激痛に感じられてしまい、殴り返すことの口実にしてくるような人のことだ。

そういう人に限って、自らが他人以上に痛みに敏感になっていることに気づかないふりをして、人混みや海に飛び込もうとする。

ある意味では自傷癖に近い。

一見、何事に対しても攻撃的なだけの人に見えるが、本人にしてみればそれは現実に痛みであり、自分には反撃の正当性があると思いこんでいる。

例えばあおり運転の常習者も、この類に含まれると考えている。

普通の人にしてみれば何でもないような相手運転も、すでに傷がえぐれている状態であれば激痛に感じることは十分にありえる。

から自分には相手を煽る権利があると思いこんでしまうのだ。

その傷は一日でできるものではなく、とき低温やけどのようにゆっくりとそれでいて確実に傷をえぐり続けることもある。

そんな人に正論を向けても無意味で、触れただけでも本人には激痛なのだから普通コミュニケーションは無理だと諦めて近づかないことが一番だ。

もちろん、相手の反撃を押さえつけるくらいに強い迎撃ができるなら挑むことも一つの手段だ。

しかし、ほとんどの場合は無傷で済むわけがなく、結局は損害をこうむるだけのことのほうが多いのも確かだ。

自らに不利益しかもたらさないような相手に、わざわざ自分から近づいていく必要はない。

動物園動物よろしく、檻の外から安全に眺めているくらいがちょうどいい距離感と言える。

もちろんこれは自戒にも使える概念で、今、自分はどれくらい痛みに過敏になっているのか、周囲の反応と見比べながら自己診断をしておくべきだろう。

つの刺激に対して、全ての人間が同じ反応を返すわけではない。

いかえれば、自らの意見や行動に対して、同じ反応を期待すること自体が間違いなのだ

正の行動をして正の反応が返ってくれば関係を築き上げていけばよいし、負の反応を返すような人とは距離を離すようにすればいい。

負の反応に負の反応を返し続けていれば、気づいたときには自分白兎になってしまっているかもしれない。

実際のコミュニケーションでも、相手白兎レベルを考えるようになってから無用トラブルが随分と少なくなった。

それ以上に、自分メンタルが随分と健全に保てるようになった。

望んでもないような相手とも無理やり接点を作られてしまSNS時代からこそ、紛れ込んだ白兎とは距離を保てるようにしたいよね。

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