はてなキーワード: 効用とは
これだけ「男の場合にのみ強く自助努力・自己責任を求められるのは差別では」と提言されてるのに、
「男子放置問題は男子は女子より体力がある上指示に従わず周りに合わさずで」
(=男は生来的に身勝手だから放置されてしまうんだ、男自身のせいだ!)
とか、
(=戦わないから差別されるんだ、戦わない弱さや自覚のなさが悪い!)
とか、
「女性が戦ってきた歴史を読めば、男性の権利はかなり進化すると思う。」
(=私たちに習ってあたたちも努力しなさ~い、努力しないから悪いのよ~)
とか、
「少女とは違って、若い男性は放っておいても何とかするだろうから男性用のColaboみたいのはいらないだろう。」
(これをフェミニストへの皮肉ではなく本気で書いてるのが凄い)
とか、
「 男も夜道怖いなら女の警戒も支持するだけなのになんで男性差別って方向に行くんだろな。腕力ある時点で被害者より加害者になる確率のが高いのに「自分は被害者側」って信じて疑わない感じが性犯罪者あるあるで怖い」
とか、
お前本文読んでないだろ!?とか、読んでも頭に入ってないだろ!?とか、頭に入ったうえでそのブコメ書けるなんて心底男性差別意識がこびりついてんだな、とか、絶望してしまう。
「「警戒」は心情の問題じゃない。実際に襲われ貞操、生命や健康を奪われ精神破壊につながるので実効的に総発生数を減らすために男女差で対処するのは大雑把だが合理的、現実問題としては効用比が最大。」
これは直接には増田の本旨に反してないが、「男女差」を「人種差」に置き換えれば容易に差別とわかる(黒人は犯罪率が高いから黒人に特に警戒する(結果として警官は黒人相手だと容易に発砲する)のは犯罪被害や警官殺害を減らすため合理的だ、と)のに、これまでその指摘も何度もされてきてるのに、全く無自覚なあたり、やはり男性差別は根深いな、とますます絶望してしまう。
筑紫=多くのジャーナリストの中でも、ニュース番組を中心に独自の主張を貫いた。それにしても70歳をやっと超える生涯は、決して普通ではない。筑紫は自らが認める筋金入りのスモーカーであった。ちょうど20年前、ニューヨークで暮らした筑紫は、当時の米国がなぜドラスティックにタバコ抑制に向かったかを理解できなかったようで
筑紫「この厳しい喫煙御禁令は、タバコのおいしさを日々知らせてくれる効用がある。我慢を重ねた上の一服の楽しさは、自由に吸える日本で味わえるものではない」
このタバコに対する認識はそれから20年、禁煙社会に向かう世界のうねりによっても殆ど変えられることはなかったようだ。
喫煙者になったからといってすぐに健康を損ねたり死ぬことはない。
飛びきり強い依存性を併せ持っていた。
おそらくアルコールに次いで人類に最も広く用いられたドラッグとなった。
1960年代を境に大きく凋落していく。他のドラッグにはない致命的な欠陥が明らかになったのである。他の薬物にはない「ガンを引き起こす」という欠点が知られるところとなった。
https://laundrybox.jp/magazine/menstrual-hygiene/
「5月28日は「月経衛生デー」。生理にまつわる沈黙やタブーをなくして社会的な意識の変化を促すことを目的とした日である。」
しかしつくづく今の世の中は若い女性、男と性交し妊娠出産した女性やその可能性のある女性の事しか考えてないというのを感じて嫌になるな
「生理の貧困」が話題になった時も、ナプキンさえ無償で配ればそれでいいみたいな論調だったし、それって多分若くて健康な女性の事しか想定してないからだよね
自分も若い頃は生理に伴う不調はあるにはあったけれどそこまで酷くはなくて、歳を取ってから酷くなったんだけど
その年齢で処女だと婦人科も行き辛いし使える薬も限られてくるというタイミングの悪さ
ピルの効用はやたらと宣伝されるけれど若いうちしか使えないし副作用も酷い事はあまり知らされない
バランスが悪いと思う
1秒しか読んでなくて間違ってたらごめん
三国志の
自分で悪口を言うより、他人にそれを言わせる方が効用は高い気がする
それは、悪口を誰かに言わせる方が以下の理由で何倍も楽しめるからだ。
そもそも、みんな本心では悪口を言いたがっているのだから、誰かに他人の悪口を言わせるのはさほど難しいことではない。
共感されるだろうエピソードで水を向ければ、相手は簡単にその口を開くだろう。まるで貝のように。
特に、悪口の鉱脈みたいなものに突き当たって、水道をひねったかのように、相手の悪口が止まらないときの喜びと言ったら!
効用が高いと述べたが、そうやって相手の悪口を導けたときには、
①相手をそんな異質な状態に持っていくことができた自分の会話能力の高さに惚れ惚れし、
②相手が秘めていたニーズを明らかにし、それを満足させた自分の有用感に安住できて、
③悪口をこっそり打ち明けるくらい、相手の信頼を勝ち得ていることにコミュニケーション上の疎外感が解消され、
④逆に、悪口を言ったことを本人にばらす可能性をちらつかせることで、相手の弱みが握れて今後の人間関係が優位に運べるわけだし、
⑤第一、悪口を言うことで生じる罪悪感というか発言責任みたいなものを相手に押し付けることができ、
⑥それでいて、自分で悪口を言うのとストレス解消感は変わらない。
むしろ、相手の悪口の方が自分のそれより表現が巧みで「なるほど!」と膝を叩きたくなることまである。
そんなわけで、そのシチュエーションを思い出しただけでニヤニヤが止まらないほど、他人の悪口のシャワーを浴びていると高揚感で楽しくなってくる。
そうそう純粋に、⑦他人が本気になって怒ってる姿って楽しいなー、みたいな感情もあるよね。
ただ、それに合わせて自分も悪口を言ってしまっては元の木阿弥(同じように発言責任を負ってしまう)なので、
あからさまに誉め殺しの口調で「そんなことないですよ~○○さんだって俗人にはわからない深い御意図をお持ちなんですよ」
なんて言って他人の批判根性を刺激しつつも、自分は悪口を言っていないと予防線を張り、
この素晴らしい時間がなるべく長く続くよう会話に策を凝らして、自分の感じる快楽のために頑張り続ける。
それでも決して相手に同意はしない。あくまでも善意の振る舞いで相手を煽ることで、言い逃れもできるようにする。
そして、その罪はお前だけが被れ!ってほくそ笑みながら、同僚の感情豊かな「おこ」を見て、楽しいティータイムを今日も過ごした。
…というのはまあ、全て机上の空論で実際に試したことはないんだけども。
楽しいのは頭でわかってるし、その手はずもバッチリなのに、なんか実行に踏み切れない。
それは、悪口を誰かに言わせる方が以下の理由で何倍も楽しめるからだ。
そもそも、みんな本心では悪口を言いたがっているのだから、誰かに他人の悪口を言わせるのはさほど難しいことではない。
共感されるだろうエピソードで水を向ければ、相手は簡単にその口を開くだろう。まるで貝のように。
特に、悪口の鉱脈みたいなものに突き当たって、水道をひねったかのように、相手の悪口が止まらないときの喜びと言ったら!
効用が高いと述べたが、そうやって相手の悪口を導けたときには、
①相手をそんな異質な状態に持っていくことができた自分の会話能力の高さに惚れ惚れし、
②相手が秘めていたニーズを明らかにし、それを満足させた自分の有用感に安住できて、
③悪口をこっそり打ち明けるくらい、相手の信頼を勝ち得ていることにコミュニケーション上の疎外感が解消され、
④逆に、悪口を言ったことを本人にばらす可能性をちらつかせることで、相手の弱みが握れて今後の人間関係が優位に運べるわけだし、
⑤第一、悪口を言うことで生じる罪悪感というか発言責任みたいなものを相手に押し付けることができ、
⑥それでいて、自分で悪口を言うのとストレス解消感は変わらない。
むしろ、相手の悪口の方が自分のそれより表現が巧みで「なるほど!」と膝を叩きたくなることまである。
そんなわけで、そのシチュエーションを思い出しただけでニヤニヤが止まらないほど、他人の悪口のシャワーを浴びていると高揚感で楽しくなってくる。
そうそう純粋に、⑦他人が本気になって怒ってる姿って楽しいなー、みたいな感情もあるよね。
ただ、それに合わせて自分も悪口を言ってしまっては元の木阿弥(同じように発言責任を負ってしまう)なので、
あからさまに誉め殺しの口調で「そんなことないですよ~○○さんだって俗人にはわからない深い御意図をお持ちなんですよ」
なんて言って他人の批判根性を刺激しつつも、自分は悪口を言っていないと予防線を張り、
この素晴らしい時間がなるべく長く続くよう会話に策を凝らして、自分の感じる快楽のために頑張り続ける。
それでも決して相手に同意はしない。あくまでも善意の振る舞いで相手を煽ることで、言い逃れもできるようにする。
そして、その罪はお前だけが被れ!ってほくそ笑みながら、同僚の感情豊かな「おこ」を見て、楽しいティータイムを今日も過ごした。
…というのはまあ、全て机上の空論で実際に試したことはないんだけども。
楽しいのは頭でわかってるし、その手はずもバッチリなのに、なんか実行に踏み切れない。
どうやら5chの言語板では推測を書いてはいけないというどう考えても科学の発展の妨げにしかならないような謎ルールが存在するので、以下、スレに書き込もうと思っていたことをまとめてここに書く。
性癖を性的な癖に言い替えられるような使い方で使っているのはネットかつオタクの文化圏に集中していることは疑いようがないことだと思う。
まずツイッターのbioがそうだ。
これを言ったらツイッターのbioとオタクがどう結び付くのか分からないし視野狭窄としか思えないって言われたけど。
なので他にも例をあげていこう。
cmで有名なシーモアやめちゃコミやrentaよりも蔵書が多い電子書籍サイトだ
・性癖が暴かれる!? 新感覚オフィスラブ!(中略)彼女のヒミツは…「アレ」に人一倍興味があること・・・!?
・性癖ヤバめなオトコに狙われました。
・彼の性癖は歪んでる。~聖母系エリートの悪魔的とろとろ溺愛セックス~
・ひなこは今夜も鷹臣先生を困らせたい おしどり夫婦のナイショの性癖
全て性癖を「性的な癖」と置き換えても成立する文脈で使われている
1000件以上ヒットしたが5件連続でこうなのだから漠然と有意性が感じられるとは思う
全部検証するのは大変骨が折れるので興味がある人がすればいい
また似たような引用方法をしてもくどい感じもするので検索結果のリンクだけ貼っておく
https://www.pixiv.net/tags/%E6%80%A7%E7%99%96/novels
なんか最初のあたりで中国語のものが目立つが、日本語の作品ではやはりそういう性癖の使い方が目立つと思う
・
以下ではなぜこのような性癖の使い方が行われるようになったか推測、かっこよくいえば仮説を書く。
「○○をする性癖がある」があるというのは、一部の国語教師面をした人間からのウザ絡みを避けられるという意味でより無難な書き方をするなら「○○をするのが好き」と言い替えられるだろう。
しかし単に「○○がすき」みたいにというふうに書くとなんか締まりがない感じがしなくはないか?
なんというか名詞の性癖を使うのと比べるとバシッと決まらない感じがするというか、読み手を想定してみればそういった文章は漫然と左から右へと意味内容が流れていくばかりその読み手の頭からするっと抜けてしまうような感じが俺はする。
それに比べて「性癖がある」というのは名詞的な表現だ。その言葉の前で受けている性癖の内容をバシっと捉えて概念化している。
概念化は名詞の効用だと思う。動詞で終わる文章が単に事実や考えを伝えるのに比べると、文章全体ではなく、一つ名詞に読み手の意識が集中される。
名詞が記憶のとっかかりにもなる。そういう意味でも読み手の頭により強く残る。
以前私は「漫画の魅力ってそれが二次元とメタファーされるように」という文を書いて、ここで「そんなメタファーの使い方はしない」というふうに言われた。
しかしこうやって指摘するぐらいの人間はその言わんとすることが伝わっているからこそ、その意味と用法がずれているということに気付けることが指摘の動機となっているはずなのだ。
完璧に正しい用法かの確証はないがおぼろげに自分の伝えたいことにかすっている程度ぐらいの可能性でも感じるなら、少し小難しくてもそういった名詞や特に術語を使うほうが、読み手は「あああのことが言いたいのね」となるのだと思う。
性癖も本来は単に癖と言うのをより生硬にした表現だ。そういう日常的にあまり使われてなかった言葉をあえて使う場合、日常的に使われる言葉が多種多様な場面で使われるためにぱっと読み手の目に入って来てもその言葉だけでは文脈が絞り切れないという意味ではニュートラルに認識されるのに比べれば、そういう言葉は特定のミームというか匂いを帯びやすい。
「性癖」の意味をひとたびずらして「性的な癖」という文脈で使うようになると、もうそういうミームで固定される。
だからそういうミームを共有し合う人間にとっては性癖という言葉を出すだけで、みなまで言わなくても何が言いたいのかなんとなくわかるというか、そういう読解の省エネ的な効果が認められるのだと思う。
とにかく、単に何々が好きというのが読み手に「なんの意味で好きなんだろう」とその実態のより詳しい限定化を課す、すなわちボトムアップ式の理解を課すものだとすれば、性癖と概念で言ってしまえばトップダウン式に何が言いたいのか理解されるという点が便利なのだ。その代償として国語教師面した人間に噛みつかれるリスクを負い得るだけで。
俺がメタファーという言葉を使ったのもそういう効果を狙ったものだ。そもそもメタファー以外に自分の伝えたいことにあてはまる表現が見当たらないって理由も大きかったはずだけども。
(アスペは会話をあまりせず書き言葉が友達だから難しい言葉と思われているもののほうがアスペにとっては身近というのはアスペの悪い癖だ。もちろん俺の「メタファー」は他の定型から見れば理解の浅いずれた使い方なのかもしれないけど、俺にとってはメタファーが理解度という点で使うべき一番ましな言葉だったのだ。そもそも言葉の難しさとは何なのか。たかがカタカナご文字の言葉の難しさをどう規定できるというのか。正も凸も小学生で習う同じぐらいの画数の漢字だが習う時期が全く違う。俺はこれにも納得できないがそれは上記のことに通じる話だと思う。凸が身近な人間にとっては普通の人にとっては正の方がやさしい漢字に思えても、その人にとっては凸の方がやさしいのだ。)
名詞は特技、趣味、性癖というように表とかの項目にするにも都合がいい。
これが一つだけ「性的に好きなこと」とかだったら統一感もない。
角川類語新辞典には「手癖」「尻癖」「酒癖」と○癖という言葉がたくさん載っている。
癖をへきと音読みする言葉は実はそんなに多くないが、それでも日本語、いや日本人の伝統として○+癖という造語法で言葉を作っていく造語意識が背後にあることを伺うことはできる。
基本的に癖の内容を象徴し得るような漢字+癖という組み合わせて作られていることは明らかだ。
酒癖はそのままだし、尻癖は失禁する癖のことで、その現象が起こる場所を示す漢字を使っているという点でちょっとひねっているが、根本はおなじだ。
そんなわけで、もとの性癖は性も癖も似たような意味で使っている漢字を組み合わせた熟語だけども、それとは独立して性的な癖という意味での、酒癖等と同列な「性癖」が今作られるようになっていったとしても、日本人の背後にはそうおう造語意識がずっとあったわけだから、何もおかしくないわけだ。
つまり、両国には地名と両者の国という二つの意味が考えられるがこれらは辞書では別の言葉として別別に立項されているように、あの性癖とこの性癖も辞書で別扱いするべきぐらいに全く別物の言葉なのだというのが私の仮説だ。
よって性癖を性的な癖と言い替えられる文脈で使ったときに「誤用だ」とかいうのは全くずれていて、単なるシノニムとしての衝突に翻弄されているだけなのである。
日本語だとちょっと突拍子なく感じる意見かもしれないが、英語ではスペリングが同じで別の概念として複数立項されている言葉は何も珍しくない(無学かつ個別の事例を覚えてられるほど記憶力よくないので例はあげられないけども)。