はてなキーワード: バブル世代とは
元田にも書いたけど団塊の7割は高卒中卒な、そん大部分は大卒就職せんかったブルーカラーや農家や
この連中が就職した当時は高度経済成長期つうても、農家が農業だけでは食えなくなったとか、炭鉱や製鉄所が閉鎖したとか、ホワイトカラー以外はけっこう悲惨な話は多いんやで
次に
>・日本はアメリカに次ぐ経済大国かつ先進国くらいの勘違いをしている(20年くらい前の国際経済の感覚がアップデートされてない)
こういう時代錯誤な認識、1960年前後生まれバブル世代にもぎょうさんおるで、ほんで「今の若い奴らは俺らみたいに高級車グルメ高級ブランド品ゴルフ料亭リゾートその他に金を使わんけしからん」とかドヤ顔してる
ネット世論では何かと叩かれる団塊世代であるが、何が悪いのか本気でよくわからない
まず「団塊世代=全共闘」という偏見であるが、1945~1950年生まれであれば大学進学率は3割程度で、しかも学生運動に参加したのはその中の1割程度だ
団塊世代の大多数は高卒か中卒なのである。団塊の行動原理=全共闘メンタリティという説明一発は無理がありすぎる。
よく話題になる「団塊世代のクレーマー」の大多数は学生運動経験なんかない、うるさいクレーマーなのは世代ではなく個人の人格の問題ではないのか
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過去に自分が仕事で接したことのある1945~1950年生まれは数人いるが、工業高校卒か、学生運動には行かなかったおとなしい優等生タイプだった
1990年代に派遣社員でNECの下請けに行ってた当時は、1945~1950年生まれだが最初期のPC98だのをいじってた経験のあるオサーンが普通にいた
1945~1950年生まれならばパソコンとか使い方がわからんのもじいさんだから仕方ないと諦めもつくが、1960年前後生まれバブル世代なのにITにうといオサーンの方がよほど問題ではないか、そーいう奴も大量にいたはずである
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団塊世代を擁護する気はないのであるが、単に「数が多い=目立って問題視される、クレーマーとなる者も絶対数が多い」という話であれば、まさに1970年代生まれ団塊ジュニアの20年後の姿も同様であろう
というか、団塊ジュニアは、非正規雇用の貧乏独身者は多いし、ぎりぎりデジタルネイティブでもないし、ガンダムやら北斗の拳やらの1980年代文化を押しつけがましく振りかざすし、20年後には今の団塊以上にお荷物扱いされるんだろうなあと戦々恐々としている
ワタシが替わって謝ります。ごめんなさい。
阿保な日本人には、ホント恥ずかしい思いです。今時血縁に外国人がいるからと態度を変えたりどうこう言ったりなんて意味不明です。
日本語がまだまだの外国人の方に赤ちゃんに話すような言葉を使ったりもイライラします。地元に戻れば(いや、母国でなくても、大抵の社会ならどこであっても)立派な社会の構成者である(しかも日本に来られる能力とバイタリティもある)との想像力も働かない愚か者です。たかだか日本語が上手い下手なんぞ、それには関係しないこと。もちろん、そちらがルール違反や失礼で、母国は違うなどと主張してなお改める気もなかったり、依頼されている仕事などをさっぱりやってくれない外国人社員には当然に抗議したりしますがね。
飛行機で海外に行っても、大抵の国の人はクルーなどの挨拶に応えるのに、多くの日本人は無視。職業なんぞ、それを今たまたまやっているだけで個人に固有な属性でもないのに、自分が客だとどれだけ偉いのか。
最近の30代未満はそのあたりまともになってきています。その意味ではバブル世代の引退を楽しみにしております。もちろん年長者にも立派な人はたくさんいますが。
爆釣ですね バブル世代ぐらいですか?
えー加減にせー!えー加減にせー!アー!!
その前に職に飢えたロスジェネを何とかせー!!
早よ言え!先に言えー!!
とのたまる
もっと早よ指示出せ!早よ助けたれー!
各界隈から救援申し込み相次いだ
「まだ数が足りない。」
そんなこと言うてる場合かー!!
余計に人が死んどるやろ、ボケー!!
「若者の肥満が少ないのは貧困のせいですね」何ぬかすんじゃ、ボケー!!
シャレにならん!シャレにならん!アー!!
負けないぞ!(負けんぞ!)アー!!
みんな一生忘れへんで
都会で車が多いバイクが多いとのたまっているけど
車はみんな借り物か、クソー!!
何考えとんねん!!
ネット経由で物味遊山で人の家に来るヤツ
(セリフ)「今はみんな関心持ってるけど、喉元過ぎても熱さを忘れるなー!
これからが大変なんだー!!」
今に見てろよ!(今に見てろよコラ!)アー!!
みんなの力で日本を作り直してしてやる
負けないぞ!(負けんぞ!)アー!!
新幹線にはねられたのは52歳の介護師だとニュースで言っていた。
52歳ということは、就職活動時が1988年前後だから、ちょうどバブル世代ということになる。
はてな界隈では就職氷河期世代のサイレントテロがよく話題になるけど、バブル世代もそれなりに苦しいのかな。
時系列的には、バブル世代が就職した後にバブルが崩壊して、日本経済は緊縮していくことになる。
社内にバブル世代の人数は多くても、バブル崩壊の余波で、会社や組織は事業を拡大できない。
当然社内の競争は激しくなるだろうし、係長や課長のポストを得るだけでも熾烈な世界なのだろう(それらのポストは基本的に増えない)。
競争についていけない人も多いだろうし、2018年現在の時点で55歳前後の彼らの中で組織に生き残っているのは多くないのではないか。
バブル世代が退職しても、氷河期世代を採用していなかったせいで、日本の会社にはこれからの管理職や指導者となる人材がいない。
何度もそうやって若者ターゲットから逃げてたって何も始まらない、シニアだってあと5年すれば可処分所得はほぼなくなるんですから、スモールビジネスで始めましょう、という方向に持っていった。根回しとか大変だろうなー系の古い体質の会社なんだけどね。
自分はまさに氷河期世代なんだけど、一つ上のバブル世代の人たちの中から、ひとり、二人ぐらいちゃんと認識を持ってくれて頑張ってくれると、私ももうちょっと頑張ろうとか少しずつでも世の中が変わるといいなーと感じる。
実際には、こっから先は自分たちも美味しい思いができるわけじゃない、というのが、老化とともに身に迫ってきてるのが大きいんだろうなと思う。
若者向けのサービスやりたいんだけどと相談をされて、そんな市場はありませんよ?だって~~だから(ex.子育て世代にそんなヒマ&金あるかいな、あなた方がボリュームがあると思い込んでいる団塊Jr.世代はもう中年だし金もない など)をデータと共に説明すると、なんていうか、ピリピリっとする。
んで、大抵は若者をターゲットにすることを諦めて、バブル世代以上をターゲットに据えて「親子二代で!」とかお茶を濁したりすることが多い。
まぁでも全員ではないけどね。
こないだ会った人は50代半ばだったけど、まさに「若者向けのつもりで企画したけど市場がないからシニア向けに切り替えようか」という会議で、初めて説明を遮って「年寄り共が手をこまねいてるからこんな辛気臭い話ばっかりになるんだよ!」って怒ってて、まともなバランス感覚のある人も居るんだなぁ、とは思ったけど。あとで聞いたら出来るけどかなり変わり者だって話だったので、まぁ少数派ではあるんだろうなぁ。
想像以上の非効率さを目の当たりにして、漠然と抱いていた「社会人への憧れ」が粉砕されてしまった。
特に大手企業の対応には眼に余るものがあり、入社するつもりだった会社にも幻滅してしまった。
この様子だと入社後の扱いや会社の行く末も知れている。今は真剣に辞退を検討している。
僕が具体的にどういう所に就活の非合理・非効率を感じたのか、記憶が新しいうちに記録しておこうと思う。
個人情報の一切合切を書き込む手間が毎回あり、それだけで一社あたり10〜20分ほど使わされる。
エントリーシートの締め切りもマイページに書いてある場合が多いので、まだ募集しているかどうかわからないのに登録するハメになる。
そのため登録してみたら実は募集が終わっていました、なんてこともしばしば。
それでいて選考通過のお知らせは電話でよこすのだから意味がない。マイページのメールボックス使えよ。
志望動機、学生時代に力を入れたこと、などが鉄板。
これの厄介なのは合計1000文字など平気で要求してくるところだ。
もちろん使いまわせるところは使い回すが、同じ「学生時代に力を入れたこと」でも400文字と800文字ならいちいち直さなければならない。
それを20社、30社と出すのだから学生の負担は計り知れないものとなる。
無駄に力を入れてユニークな設問を入れてくる会社もある。その場合、また改めてゼロから400文字ひねり出さなくてはならない。
しっかり読み込まれているならまだしも、面接のときの「話のネタ」程度で終わるのがオチである。
そのうえ、面接でエントリーシートの内容について口頭で説明させることも多い。
エントリーシートで400文字もの志望動機を書かせたのにも関わらず。
失礼としか言いようがない。
地方の学生であってもわざわざ東京の説明会に参加しないとその後の選考を受けられない、という場合が多くある。
最近はネット説明会を導入する会社も増えているが、やはり基本的には説明会への参加を強要される。
このインターネット時代に何をやっているのか、開催する方もそれなりの負担があると思うのだが……。
学力を見たいのなら学歴で判断すれば良いのである。もしテストで学力を見たいのであれば、対策のしようがない、自社製のテストを作るべきなのだ。
その労力を企業が怠るために、学生はわざわざ本を買ってwebテストに備えるハメになる。
学力テストならまだましで、「精神疾患へのかかりにくさを測るテスト」というものが存在し、実際に大手企業が使っていた。
これがたとえば「がんになる可能性テスト」だったらどうだったであろうか。疾患リスクで採用候補者を絞るのは完全な差別である。
社員が仕事でうつになった時、自己責任にするような会社なのだろう。
このような面接で学生の能力や人格がわかるとは到底思えないのだが、ご丁寧に日程を分けて3度も4度も行うので交通費も時間もかかる。
話す内容は学生時代のアルバイト、サークルなどでの仕事についてだ。
これは嘘をついたもん勝ちで、一部の本当の努力家か、その人たちの成果を横取りして話した人間が突破することができる。
しかし企業側もうまく嘘をつける人材が欲しいのかもしれない。そうであれば妥当な選考か。
協調性、論理性など、チームで仕事をする際の能力を見ていると思われる。
新卒採用HPの「求める人材」の欄に「協調性」とあれば余計な自己主張はしないのが吉。
たとえ納得できない論理が展開されていても、遠回しに否定するか反論を諦めるかしないといけません。それが会社で求められる能力です。
ちなみに僕はほぼ発言しなかったGDに通過しました。そんな選考やめちまえ。
怒涛のオワハラの開始だ。
(オワハラとは「就活終われハラスメント」、つまり内定を出した学生を囲い込むために就活を終わらせようとすること)
そもそも最終面接において、学生が第一志望と宣言するかどうかで内定の有無を決めることからしてオワハラだと思うのだが、内定後はさらに酷いオワハラが繰り広げられる。
「他社選考の集中する日程に研修を入れる」「他社は辞退します!と言わせる」など、立場の差を利用してありったけの圧力をかけてくる。
僕はこれがトドメとなって第一志望の志望度がダダ下がりし、内定辞退を検討している。
つらつら書き連ねてきたが、他にも書きたい「企業の学生に対する失礼な行動」がたくさんある。
サイレントお祈り、勝手に送りつけられるパンフレット、圧迫面接などなど……。
大学の学業について、「社会では役に立たない」から、とバカにしてくる企業もあったそうだ。
「学校のコネで入社できるんでしょ」「学歴がいいんだから、いい企業から内定がもらえて当然」「何のためにいい大学に入ったの」
親がバブル世代であり、就活に苦労しなかったこともあって、無理解や誤解には非常に苦しめられた。
加えて、卒研の担当教官からの「早く就活おわらせて学業に専念してね」というプレッシャーも非常に苦しい。
就活が長引けば研究が終わらず、卒業できないリスクが待ち構えている。そうなれば入社がどうこうという話ではなくなってくるのだ。
このような事態に学生が一方的に我慢せざるを得ないのは、全て新卒一括採用のせいである。
周りの学生と比較して内定が取れていないと焦り、追い詰められてとりあえず適当な会社を受けて内定をとる。
入社後、その仕事がちっともやりたくなかったということに気がつく。
やりたくない仕事を毎日残業までこなし、転職の余裕もなく、会社で消耗して精神を病んでしまう。
あるいは、自分に合わない業界で就職活動をし、内定をもらえないまま夏を迎える。
間違いに気づいた時にはすでに遅く、新卒カードを失った就職浪人生ができあがっている。
翌年あらためて就職活動を行うも、就活に失敗した「劣等生」を採用する会社は少なく、学生の時には無かった苦労を強いられる。
新卒一括採用を行い、そこでレールを外れた人間は一生「レールの上」に戻れない。
そのような採用方法がなければ、自分のペースで就職活動を行い、じっくり会社を吟味することができるはずなのだ。
「御社」の内定は辞退し、海外にでも行って働くのがいいのかもしれない。
しかし踏ん切りがつかないでいる。それは僕自身も、この就活を通じてすっかり価値観を染められてしまったからなんだと思う。
まさか「就活うつ」を超えた先に「内定うつ」が待ち受けているとは思わなかった。このまま入社すれば「社畜うつ」が待ち受けているのだろう……。
あと目撃したことがあるのは、母親向けのあるサービスの構築中、商品テストを判断するのメンバーが全員子育て参加もしたことがなさそうなおっさんだらけで、さすがにこれはおかしいから金がきついのはわかるが外部機関にも検証してもらいましょうと言ったらその仕事を切られて(コンサルとしてかかわった)、忘れたころにその商品はその会社ではとっくにお蔵入りしてて、競合他社がメイン取ってた、というのもある。
団塊の世代のおっさんどもは、頭が固くて厄介な人が多かったが、それでもまだ「俺のポジションを取られてたまるか」という本音は隠そうとしていたけど、最近のバブル世代のおっさんどもは、ポジション取られてたまるか感を前面に押し出してくる感じはある。そういう意味では隠さなくなった分、下品度が増してる。
日本経済を停滞させないためにひとつ思ったのが公務員の民間企業への転職斡旋という手だ
バブル世代の公務員はあれだとはいえ、官僚主導で成長してきた時代もある国だ
志が高く優秀で頭の切れる職員はキャリア組にも地方にもそれなりにいるだろう
しかし彼らの頭はあのしょうもない国会であり内閣だ 最終的な決定権は全くない 優秀な彼らをそんなところに放置しては国の損失ではないだろうか 優秀な人間には自らの所得を伸ばし経済を回してもらえばいいのだ
またこの国はマスコミをはじめとして、クビにならない公務員に厳しい勢力が強い
国民一人あたりの公務員数では先進国の中でも少ない方なのに 彼らにとって公務員を恵まれた待遇から外すのは願ってもないことだろう
あと内部の人間として確実にこの分野に人はいらないな、と思う分野にも何やかやと理由をつけて人員を確保する流れがある気がしている 要は連中には仕事がないのだ
人手不足の昨今民間部門に優秀な人手が移ることはどの企業にとっても願ってもないことだと思うがどうだろう?
教えて増田さん
社長が、マネージャ達に下がり続ける売り上げをなんとかしろと激を飛ばすレターを出した。
しかし、我々統括者チームが首になったときには、過去最高売り上げと利益を出し
つまり、因果応報、自分に跳ね返ってきてるだけだから、それに気がつかないと何も変わらないだろう。
施策を考えたり、調整能力が高かったりの仕事の結果は評価されない。
上司に気に入られるように、立ち回る人が出世する傾向が強くなり、多様性がなくなっている。
結果として、組織の力が落ちている。
なんといっても、今は、個人の実績や能力は評価せず、その人の腰掛けているソファを評価する制度になっている。
ようするに、大昔に流行った、学歴主義(その人を評価しないでその人の着ている服を評価)に原点回帰している。
座らせているソファなので、退化しているが。
もともとは、ベテランの年収を減らして、目立たないようにリストラ、または、固定費削減を進めるための制度だが、やりすぎてしまった。
急激な入れ替えのために、組織による教育ができなくなり組織力が落ち込んでしまった。
バレー部にたとえれば、2年生、3年生が全員いなくなり突然1年生だけになってしまったようなものだ。
どこかのWebの記事に
「50歳過ぎた社員は新しい価値を生まない」空前の人手不足でも進むバブル世代のリストラ」
という記事があった。
50代以上は、お荷物という傲慢な態度にはびっくりするが、安定した権力の座に長くいると魂が落ちぶれていくのは、やむを得ないのだろうか。
昔のリーダーのほうが気骨があったような気がする。
Web上で、いかにも経営改革進めていますよという、投資家向けのアピール記事でしかなく
会社を追い出される、ひとりひとりの心の声は聞こえず、また、一人の退職は、悲しむべきできごとだが数百人のリストラは、統計上の数字でしかない。
少なくとも私は、この記事読んで、今後、一生、絶対に、○勢丹と○越では買い物しないと神に誓った。
経営の失敗の恥ずかしい話を、投資家向けのアピールの為に記事にする経営者の素養を疑う。
私の父親が、この人じゃなくて、本当に良かったと思った。