はてなキーワード: ジラとは
ユニクロって言う工場(アジア産)から出荷された製品しか置いていない、ちょっと大きな直売所だよ。
切り込み隊長「新卒3年で50%の離職率って… 使い捨てじゃないですか、これ。」
http://kirik.tea-nifty.com/diary/2013/04/post-82b2.html
激務に追われ疲れ果ててしまう人だけじゃなく
職務を滞りなくこなしている人も「あっ、ここにいても先(30歳の時の自分)が見えないや。まだ若いし、他の事をチャレンジしてみよ」という人もいるのかな。
でもこんな数字を目の前にすると"良い人材"はきっと集まらない。だから使い捨てなのか(以下無限ループ)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130411/246495/
いいかげん「自分に都合が良いグローバルスタンダード」はやめてくれ。
なるべくゲスい感じで書いたけど、人生経験からすると「思いつく限り最も身も蓋もないものが現実である」というものだと思うから、割とあってるんじゃないかと思うんだよね。
結局のところ自己満足であって、「「子供の幸せに十分与してるな」と自分が満足できる範囲に着地できればそれでいい」って感じで、子供がそれ以上を見ても「足るを知れ」とか「大人になれ」とか言うんだろう。まあ元増田は色々恵まれてるっぽいから十分なものを提供できるのかもしれないが。
そうでないんだとしたら、これはつまり覚せい剤みたいなもので、「現実のことは置いといて、今超気持ち良くて超ハッピーだからマジラブアンドピース」みたいな感じなんだろうなあ。と思った。
男全般からの受けを気にするんじゃなく、彼氏受けだけ気にしてればいいから、ラクになった。
たとえば陰毛。
パイパンあるいはブラジリアンスタイル、ハイジニーナ、色々と呼び方はあるけど、私はそれに憧れてた。
でも「セックスアンドザシティ的、白人女性文化かぶれ」とか、「毛ジラミビッチ」みたいな認識をして"引く"男性も存在する。
もし、両思いになった男性が、パイパン状態にドン引きするような人だったらどうしよう…。
そう思ってずっと踏み切れなかった。
彼氏が出来ると、「これから付き合うかもしれない男性の好み」についてあれこれ考えるよりずっと簡単。
「パイパンどう思う?」って聞くだけ。で、彼氏が「別にいいんじゃない?」と言ったから、その日の夜に全部剃ったよ。
チクチクを恐れていたけど、剃り続けたら全然平気。本当に快適。
陰毛が一番大きかったけど、そのほかの髪型についてとか、服装についてとか、とりあえず彼氏に聞く。
ネット上の男性からボロクソに酷評されてたトレンカは彼氏的には普通にアリで、逆にネット上では人気の「森ガール」系が無理とか言う。
規範意識を変容させる集団
これまで、「宗教的経験」、「恐怖心の喚起」について述べさせていただきました。次に、これらを基礎とする思想に沿うように個人の規範意識を変容させ、常識から逸脱した思考や行動をさせる集団の作用について補足致します。
オウムにおいては、集団の作用によって、教団の規範に客観的現実性が付与され、さらに、信徒の規範意識が変容したと思われます。
オウムの信徒の多くは、教義どおりの宗教的経験をしていました。そのため、次のように、宗教的経験そのものの「個人性現実性」に「社会的現実性」も加わり、信徒は個人的な非現実的宗教経験を客観的現実であるかのように認識していました。
現実性とは、当該の所信の内容が客観的現実としてあたかも存在しているような感覚の程度であり、個人的現実性とは社会的現実性の二つを仮定する。個人的現実性とは、当該の所信の内容が直接知覚や論理的推論といった個人的経験を通して客観的現実としてあたかも存在しているような感覚の程度である。社会的現実性とは、当該の所信の内容が他者の経験や他者によって合意されているといった間接的経験を通して客観的現実としてあたかも存在しているような感覚の程度である。
そして、オウムにおいては、信徒たちが客観的現実として認識していた宗教的経験を根拠とする行動規範が定められていました。ですから、信徒にとっては、その規範も現実的だったのです。
たとえば、殺人を救済、すなわち「善」とする規範は、前述(本文三十一頁)のように、輪廻転生、麻原の救済能力、および現代人の苦界への転生などに係わる宗教的経験に基づいていました。一般的な社会通念は「命は地球より重い」ということですが、それが「この世の一生限りの命」などの日常的経験に基づいているのと同様です。
ところがオウムでは、日常的経験のほうは、宗教的経験によって幻影とみなされ、無意味化されていました。そのために、宗教的経験に基づく行動規範が一般社会のものに取って代わっていたのです。
実際、信徒は教団独特の規範に従い、麻原の指示であれば殺人まで犯しました。信徒の見地からは、教義の世界が幻覚的経験によって現実として知覚され、加えて、周囲の人たちもその世界観に合致した思考や行動をしていたため、教団の規範も現実的に映っていたのです。つまり、教団内では教義そのものの世界が実現しており、信徒はその中に没入している状態でした。
以上のように、オウムにおいては、信徒の規範意識が教団で通用しているものに変容し、信徒は常識から逸脱した思考・行動をしました。集団のこのような作用について、次のことがいわれています。
そもそも人はいろんな信念を抱いている。その中には善悪の規範基準になる信念も含まれる。これらの信念は親、教師、友人、知人、などと相互作用を行いながら獲得され、社会的な共通性ができあがっている。しかし形成された信念がどうして「良い」とか「悪い」といえるかの判断基準は、所属する社会における暗黙の価値観に左右されるものであり、個人が所属意識をもって参照する社会集団によって左右される。
(西田公昭 静岡県立大学大学院准教授作成の広瀬健一に関する「意見書」)
カリスマグループでは、集団凝縮力(全員を集団に従事させ続ける影響力)、共有信念、変容意識、行為の基準、およびリーダーの魅力の影響は、公然の強制がなくても、行動の服従を強い、感情を変化させる作用をする。
バイオンやエズリエルのような集団心理の理論家は、個々の構成員の意志にかかわらず、避けられない問題が集団においては現れることを指摘してきた。不可解な個人の行動を彼らは説明するが、それは依存的傾向や闘争―逃避パターンのような、集団につきもののテーマの現われかもしれない。この点については、集団が構成員をあたかも一つの集合体に変えるようなものである。
そのほか、カリスマグループの規範が、全員の本能的要求の表出や行動を統制することが報告されています。(本文四十三から四十四頁の引用)。
以上のように、集団には個人の規範意識を規定する作用があるとされています。したがって、集団に係わる場合、それが全員の規範意識を一般社会のものと異なるように変容させないか確認すべきだと思います。
まず、集団の全員が共有する「ビリーフ」が適切に合理化されている必要があるでしょう。たとえば宗教では、教典自体には非現実的な表現が見られることがまれではありません。しかし通常は、そのような表現は、信仰と日常生活の間に摩擦が生じないように、合理的に解釈されています。集団の全員と会話をしたときに、なぜその人の「ビリーフ」が形成されたのか理解に苦しむ場面があるならば、その集団は「ビリーフ」の合理化がされておらず、全員の価値観や規範意識を不適切に変容させる可能性があります。
項目の選択に偏りがあるかもしれませんが、次の点の確認も必要でしょう。
○指導者や教えへの服従がないか
その服従が、たとえば宗教上の指導におけることのように、範囲が限定されているように見えても要注意です。実質的には、それが生活全般に及んでいることがあります。いかなる状況においても、全員個人の判断が尊重されている必要があります。また、教えに疑念を抱くことや脱会が制限される場合は問題です。
○過度に厳しい規制がないか
思考や行動に関する道徳的規則が、社会通念と比較して過度に厳しい場合は、一般社会における生活がしにくくなります。その結果、社会からの離脱が促進されることもあります。また、規制違反に対して、過度の恐怖が喚起される場合は問題です。
○自己を否定されないか
自己を否定されると、指導者に服従する結果になります。オウムにおいては、信徒は煩悩を有している。(本文二十頁)ために正しい判断ができず、それが可能なのは最終解脱者である麻原だけだとされていました。
そして、それは私にとって、体験的にも事実と思われました。私は自身が悪業(カルマ)で汚れていること、また、麻原だけがそれを浄化できることを感じていたからです。(本文二十八頁)。
結局私は、それまでの人生が煩悩や悪業を増大させるだけのものだったことを認めざるを得ず、自身の経験や知識を信頼できなくなりました。これは、私が愚かにも麻原に従った原因の一つです。
○会員が一般社会から離れ、集団生活に入る傾向がないか。
一般社会を非合理的に否定する教えを説き(本文二十七頁)、全員をそれから離し、集団生活に誘導する集団は問題です。全員の価値観や規範意識は相当程度変容していると考えられます。集団生活に入った後は、さらに規範意識の変容が深まり、違法行為に及ぶ可能性もあります。
次の内容は、麻原が信徒に出家を訴えていた昭和六十三年十一月(本文二十七から二十九頁)の彼の指示です。「人材をぬきとる」など、人材を集める強い意志が感じられます。これは教団の大師(解説・悟りを認められた高弟)のメモで、一般信徒には明らかにされていませんでした。
六十三年一一月五日は黙示録の予言を麻原が七つの予言その後世界戦争、二〇〇〇年まであろ一二年しかない
滅亡の日の出版しろと
一五日、オウムの方向性…旧約聖書によるとオウムの時間はあと七年、石油になってハルマゲドン、ソ、米、日本、世界大戦
デザイン編集がプロパガンダマシンに完璧に成りきること(人材を経済力のためでもある)
一、新信徒の獲得
八、大師(一人で二~三億)が五〇〇〇人
九、建築班一〇〇〇人
一〇、七年後大師だけで一四五〇〇億
なお、右のように、麻原は理系の人材の獲得を重視していますが、それは当時既に、科学技術を用いた大量殺人である「ヴァジラヤーナの救済」を意図していたためと思われます。実際、昭和六三年十月二十八日、麻原は出家者に対して次の説法をしていますが―在家信徒がこの説法を聞くことは禁じられていました―、「ヴァジラヤーナの救済」を宣言した説法(本文三十二から三十三頁)においても、「残すべき者以外はポアする」旨説いていました。
近ごろ私は心が少しずつ変わってきている。動物化した、あるいは餓鬼化した、あるいは地獄化したこの人間社会というものの救済は不可能なのかもしれないなと。新しい種、つまり、今の人間よりも霊性のずっと高い種、これを残すことが私の役割かもしれないなと。
【vol.6「まとめ」】へ続く。
恐怖心の喚起
恐怖心を喚起する思想も極めて有害です。オウムにおいては、信徒の思考や行動が教義に沿うものに著しく制限されました。
ただし、その思想に触れて間もないうちは、恐怖心を喚起する部分が含まれていても、それに気付かないかもしれません。私自身も、クンダリニーの覚醒前は、麻原の著書の地獄・餓鬼・動物などの記述はまったく気になりませんでした。
その経験を振り返りますと、私の話がどれだけ伝わったか心もとなくなります。信徒の心理において、苦界へ転生する恐怖からの回避は無視できない要素なので、その恐怖が実感できないと、信徒特有の思考や行動は理解が困難だろうからです。実感は難しいかもしれませんが、その恐怖のために、たとえ自身の生命や健康が損なわれる事態に直面しても悪業となる行為はまったくできません。私の経験としては、次のことがありました。
地下鉄サリン事件のとき、私がサリン中毒になったので(本文三十六頁)、あらかじめ指示があったとおりに、送迎後の信徒が車で教団の付属病院に連れて行ってくれました。ところが病院関係者に話が伝わっておらず、事情がわからないようでした。しかし、私はサリン中毒を伝えられませんでした。「ヴァジラヤーナ救済」の任務に関することを関係者意外に話すと悪業になったからです。結局、私は病院での治療を断念し、医師の林郁夫のいる集合場所に行き、治療を受けました。
また、地下鉄サリン事件で逮捕された後、教団の指示どおりに当番弁護士を一回お願いして、拘留場所を教団に伝えましたが、右と同じ理由で事件に関する相談はできませんでした。常識的には、弁護士に相談しながら取り調べを受けます。また、それをしないことは連日十時間の取り調べが続くなか、自らを孤立させることになるとされています。
これらのことは、重大事件で逮捕された状況において、極めて不利です。しかし、悪業となる行為はできませんでした。
さらに、事件の動機である「ヴァジラヤーナの救済」の教義と麻原の地下鉄サリン事件への関与については、供述すると無間地獄(宇宙の創造から破壊までより長い期間苦しむ地獄)に転生しかねないので―また、この教義を聞く資格のない人に話すと誤解され、その人が将来にわたって救済されなくなるともいわれていました―、この事件の捜査期間内には供述できませんでした。
取り調べの最終日、事件の核心部分を追求する検察官を、悪業を犯すまいとする私との間に必死の攻防がありました。
問)麻原尊師のことや事件の動機、目的も話さなければ、反省したとはいえないのではないか。
答)……
問)話せない理由は何か。
答)お話できません。
問)今回の事件はヴァジラヤーナの教義に基づいたものではないか。
答)答えられません。
問)ヴァジラヤーナでは、「ポア」のために他人の命を絶つことも許されるのではないか。
答)答えられません。
答)答えられません。
問)麻原尊師の指示は、いかなるものでも絶対に従わなければならなかったのではないか。
答)必ずしもそうではありません。
問)では、どういう場合に従わなくていいのか。
答)何ともいえません。
―ほら、やはり従わなければならないじゃないか。
問)村井正大師は、サリンを撒くと切り出したとき、それが麻原尊師の意向であることを話さなかったか。
問)今回の事件の後で、君は麻原尊師に事件の報告をしていないか。
―(ある信徒が描いた図を見せながら)〇〇が図まで描いて、君たちが報告したことを話しているのに、話さないのか。
問)君は、今回の事件に関与した仲間については話しているのに、なぜ事件の目的や動機、報告については話さないのか。
答)答えられません。
当時は、なるべく悪業にならないように、教団とは無関係なこととして、地下鉄サリン事件における自身の行為はすべて供述していました。しかし、自身のことを供述しても、事件の動機や麻原の関与を供述しなければ反省していないとみなされ、身を滅ぼしかねない状況でした。加えて、質問の内容から検察官がそれらのことを既に知っていることは分かり、一般的見地からは、私が供述しても誰にも影響しないことは十分に理解できる状況でした。それでも、金縛りにでもあったかのように、供述できなかったのです。
以上のように悪業とされる行為ができなくなる傾向は、クンダリニーの覚醒直後に現れました。オウムに入信する段になって、気に掛かったのは、「複数のグル(修行の指導者)の指導を受けると、その異なるエネルギーの影響で精神が分解する」との麻原の著書の記述でした。当時、私はある瞑想団体に入会していたからです。私は不安になり、クンダリニーが覚醒したその日に、団体に脱会届を郵送しました。
また、私は釣りが好きだったのですが、それは悪業になるので、クンダリニーの覚醒以来一度も行いませんでした。そのほか虫も殺せなくなるなど、恐怖のために教義で悪業とされる行為はできなくなったのです。
このような状態は、次のように、宗教的回心において現れるといわれています。
私たちはある思想を繰り返し繰り返しいだき、ある行為を繰り返し繰り返しおこなっている。しかし、その思想の真の意味が、ある日はじめて、私たちのなかに響き渡るのである。あるいは、その行為が突然、道徳的に不可能なことに一変しているのである。
(前出 ジェイムズ)
オウムの信徒には、同様に悪業を為すことに強い抵抗を感じる者が多数いました。このような宗教的悪業の教義に関して、文献では次のことがいわれています。
さらに、宗教が単独で精神的問題を引き起こす場合がある。フロイトが主張するのは、「イド」と「スーパーエゴ」とのせめぎ合いにおいて、宗教はスーパーエゴの側に立つということである。宗教の戒律や禁制は、性的衝動や攻撃的衝動を抑制する目的がある。さらにまた、宗教は完全な道徳を目指しているので、これらの掟に対する違反は罪悪感を引き起こす。極端な場合、罪悪感が生活を支配し、麻痺させることがある。また、しばしば、過度の後悔に至ることもあり、中世鞭打苦行派の罪の意識による鞭打ちから現代テレビ時代における罪の公然の告白にまで及ぶ。
オランダにおいて、罪への自責心の問題をアライト・シルダーが研究した。彼女の研究『罪の意識に苦しむ以外なすすべがない』は、厳格な一部のオランダプロテスタントに関するもので、罪悪感がもたらしうる、人の仕事、思考および行動を麻痺させる影響への洞察を与えた。
友好関係を生じることに加えて、カリスマグループは個人的および社会的行動を規制する行為の基準を確立する。絶縁したセクトの状況では、このような外的規制によって、集団は心理学的に困難な支配の操作がしやすくなる。多数のセクトの行動規範は、現在の性的に寛大な態度に対する反動形成を反映するように見える。これらの規範は、しばしば多くの儀礼化された集団防衛を採用するだけで維持される。たとえば、ハーダー、リチャードソン、およびシモンズは、ジーザス運動の一つの分派における求愛、結婚、および家庭の形態を研究した。彼らは、全員が性的にとがめられかねない状況を明確に回避することを述べ、そして求愛と肉体的快楽に関するセクト特有の規制の大要を説明した。たとえば、デートをすることは不適切と考えられたが、それに誘惑や罪に至りかねないからだった。セクトに入会中の人の態度の同様な変化は、前に述べた統一教会の会員に関する研究に現れた。その七十六パーセントが性について考えることを“非常に”避けたと述べたが、入会の前には十一パーセントしかそのように感じなかったと報告した。したがって、集団心理は本能の要求の表出の統制やそのほかの葛藤の統制に重要な役割を果たす。
以上のように、宗教的悪業を規定する教義には、人の思考や行動を強く統制する作用があるとされています。そして、オウムの教義にもまた、ある思考や行動を宗教的悪業として規定するものがありました。たとえば、私が出家した直後の平成元年四月二日、麻原は次の内容の説法をしています。
「わたしたちの修行を妨げる眠気、貪り、怒り、真理(オウムの教義と考えていただいて差しつかえありません)を否定したくなる気持ちは悪魔であり、取り返しのつかない迷いの生を繰り返す」
また、クンダリニーが覚醒すると、「魔境」に入りやすくなるとされていました。これは、「これ以上ない人生の挫折」、「生まれ変わっても続いてしまう恐ろしい修行の挫折」とされる状態です。そして、「魔境」に落ちないためには、「正しいグル(解脱した指導者)を持つ」、「功徳(神とグルに対する布施と奉仕)を積む」、「強い信を持つ(グルと真理を強く信じる)」、「真理を実践する」ことが必要と説かれていました。(麻原彰晃著 『超能力秘密の開発法』 『生死を超える』 『マハーヤーナ・スートラ』 )
この類の教義はほかにも多数ありましたが、これらは信徒にとって、麻原、教団、あるいは教義からの離脱を困難にし、そして、麻原や教義に従うよう思考や行動を統制すつものでした。このような作用は、信徒が違法行為の指示に従わなかったリ、事件が明らかになった後でも脱会しなかったりする原因の一つと思います。
私が教義に疑問を抱き、脱会に至るまでには、次のように、悪業とされる行為をすることへの慣れが必要でした。
逮捕された後、供述すると悪業になる内容について、私は取調官の追求を受けるようになりました。しかし、それでも、はじめはまったく供述できない状態であり、身を引きちぎられるように感じました。そのような状況において、私は軽度の悪業となる内容から少しずつ供述せざるを得ませんでした。
私が最初に話したのは、地下鉄内で自身がサリンを発散させた単独行動の部分でした。事件に関してかなりのことが既に明らかになっていた状況であり、個人的な行為として供述するならそれほど悪業にならないと思ったのです。
その後、黙秘と供述を何度も繰り返して、長時間かけて動機の「ヴァジラヤーナの救済」の教義のことや麻原の事件への関与について供述できるようになりました。
以上のように、自覚してないうちに恐怖を喚起する教義の影響を受ける場合があります。また、宗教的悪業を規定する教義そのものに興味を抱いてオウムに係わることは考え難いですが、多くの信徒がそのような関心外の教義を受容し、思考や行動が制限されていました。ですから、そのときは実感がわかなくても、「地獄」など恐怖の喚起が予測される概念を強調する思想には、近づくべきではないでしょう。
オウムの信徒制度には、在家のほかに出家がありました。オウムの出家とは、世俗的な関を一切絶ち、麻原に全生涯を捧げ、人類の救済―最終的には解脱させること―と自己の解脱に専念することでした。
出家者は教団施設内で共同生活をすることになります。家族とも絶縁の形になり、解脱するまでは、会うことも、連絡することも禁止でした。財産はすべて教団に布施し、私物として所有できるのは、許可されたもののみでした。飲食は禁止でした。本、新聞、テレビ、ラジオなど、教団外の一切の情報に接することも禁止でした。これらの戒は、苦界に転生する原因となる執着を切るためのものでした。
入信時、私は出家をまったく考えていませんでした。長男という立場上、親の老後を見たいと思っていたからであり、また私が出家すると家庭が崩壊しかねないとも思っていたからです。そもそも、入信前に読んだ麻原の著書によると、在家でも解脱可能だったので、そのような無理をしてまで出家する必要を感じませんでした。
自分が培ってきたものを崩すのは真に恐いことです。入信間もないころ、私はある在家信徒と話をしました。彼は出家の準備のために定職を捨て、アルバイトをして暮らしていました。その話を聞き、私は恐怖心を抱いたのです。実際、昭和六三年十月の私について、母は「就職の内定を喜び、安心している様子だった」旨法廷証言しており、その時点で出家の意志は皆無でした。
ところが、私は出家することになりました。私の入信後、勢力拡大のために、オウムが出家者の増員を図ったのです。私の入信前の一年半の間に約六十人が出家したのに対し、入信後の一年間には約二百人が出家しました。
「現代人は悪業を為しているために来世は苦界に転生する。世紀末に核戦争が起こる。(本文二十一頁)」
―麻原は人類の危機を叫びました。そして、その救済のためとして、信徒に布教活動をさせたり、さらに、出家の必要性を訴え、多くの信徒を出家させたりしました。
このように、一般社会は苦界への転生に至らせる世界として説かれていましたが、それを聞いているうちに、そのとおりの体験が私に起こりました。
私の公判において、友人が次の証言をしました。昭和六十三年晩秋か初冬に私が話した内容です。
町中を歩くとバイブレーションを感じること、電車内のいかがわしい広告を見ると頭が痛くなること、繁華街の近くにいると体調がおかしくなるという話がありました。
当時、私は街中を歩いたり、会話をするなどして非信徒の方と接したりすると、苦界に転生するカルマが移ってくるのを感じました。この感覚の後には、気味悪い暗い世界のヴィジョン(非常に鮮明な、記憶に残る夢)や自分が奇妙な生物になったヴィジョン―カンガルーのような頭部で、鼻の先に目がある―などを見ました。この経験は、カルマが移り、自身が苦界に転生する状態になったことを示すとされていました。さらに、体調も悪くなるので、麻原がエネルギーを込めた石を握りながら、カルマを浄化するための修行をしなければなりませんでした。
また、一般社会の情報は煩悩を増大させて、人々を苦界に転生させると説かれていました。そのために、情報によっては、接すると頭痛などの心身の変調が起きたのです。
他方、当時、日常的に麻原からの心地よいエネルギーが頭頂から入って心が清澄になり、自身のカルマが浄化されるのを感じました。
これらの経験によって、一般社会が人々のカルマを増大させて苦界に転生させるのに対して、麻原だけがカルマを浄化できることをリアルに感じました。そのために私は、麻原の説くとおりに一般社会で通用する価値観は苦界に至らせると思うようになり、解脱・悟りを目指すことにしか意味を見い出せなくなりました。
この状況に関連することとして、検察官の「広瀬から出家の原因、理由を聞いたことがあるか」との確認に対して、私の指導教授は「結局、神秘体験だと言っていた」と法廷証言しています。(当時、私は教授にも入信勧誘していたのです。)また、出家することが、苦界に転生する可能性の高い親を救うことになるとも思うようになりました。子供が出家すると、親の善業になるとされていたからです。出家にあたり一番の障害は親子の情ですが、それを除くために、オウムではそのように説かれていたのです。
こうして、私は出家願望を抱くようになりました。世紀末の人類の破滅というタイム・リミットをにらみながら、家族の説得に要する期間や就職が決まっていた事情なども考慮して、二、三年後の出家になると思っていました。
このような昭和六三年の年末、私は麻原から呼び出されました。麻原は救済が間に合わない、もう自分の都合を言っていられる場合ではないと、出家を強く迫りました。私は麻原に従い、大学院修了後に出家する約束をしました。そして、平成元年三月末に出家しました。
私の出家後、平成元年の四月から、麻原は「ヴァジラヤーナ」の教義に基づく救済を説きはじめました。現代人は悪業を積んでおり、苦界に転生するから、「ポア」して救済すると説いたのです。「ポア」とは、対象の命を絶つことで悪業を消滅させ、高い世界に転生させる意味です。この「ポア」は、前述(二十一頁)のように、麻原に「カルマを背負う―解脱者の情報を与え、悪業を引き受ける―」能力があることを前提としています。
その初めての説法において、麻原は仏典を引用して、「数百人の貿易商を殺して財宝を奪おうとしている悪党がいたが、釈迦牟尼の前生はどうしたのか」と出家者に問いました。私は指名されたので、「だまして捕える」と答えました。ところが、釈迦牟尼の前生は悪党を殺したのです。これは殺されるよりも、悪業を犯して苦界に転生するほうがより苦しむので、殺してそれを防いだという意味です。それまでは、虫を殺すことさえ固く禁じられていたので、私にはこの解答は思いつきませんでした。しかし、ここで麻原は、仏典を引用して「殺人」を肯定したのです。
ただし、このときは、直ちに「ポア」の実践を説いたわけではありませんでした。最後は「まあ、今日君たちに話したかったことは心が弱いほど成就は遅いよということだ」などと結んでいます。私も、実行に移すこととは到底思えませんでした。
ところが、麻原は説法の内容を次第にエスカレートさせていきました。その後の説法では、「末法の世(仏法が廃れ、人々が悪業を為して苦界に転生する時代)の救済を考えるならば、少なくとも一部の人間はヴァジラヤーナの道を歩かなければ、真理の流布はできないと思わないか」などと訴えています。それに対し、出家者一同は「はい!」と応じており、「ポア」に疑問を呈する者は皆無でした。(『ヴァジラヤーナコース教学システム教本』―教団発行の説法集より)
前述(二七~二八頁)のように、私にとっては、現代人が苦界に転生することと、麻原がそれを救済できることは、宗教的経験に基づく現実でした。ですから、私は「ヴァジラヤーナの救済」に疑問を抱くことなく、これを受容しました。なお、麻原は、私が述べたような宗教的経験を根拠として、この教えを説いていました。
さらに、私はいわゆる幽体離脱体験(肉体とは別の身体が肉体から離脱するように知覚する体験などもあったので、私たちの本質は肉体ではなく、肉体が滅んでも魂は輪廻を続けるとの教義を現実として感じていました。そのために、この世における生命よりも、よりよい転生を重視するオウムの価値観に同化していました。このことも「ヴァジラヤーナの救済」を受容した背景だと思います。
このような説法が展開されていたとき、私は解脱・悟りのための集中修行に入りました。第一日目は、立住の姿勢から体を床に投げ出しての礼拝を丸一日、食事も摂らずに不眠不休で繰り返しました。このときは、熱い気体のような麻原の「エネルギー」が頭頂から入るのを感じ、まったく疲れないで集中して修行できたので驚きました。
この集中修業において、最終的に、私は赤、白、青の三色の光をそれぞれ見て、ヨガの第一段階目の解脱・悟りを麻原から認められました。特に青い光はみごとで、自分が宇宙空間に投げ出され、一面に広がる星を見ているようでした。これらの光は、それに対する執着が生じたために、私たちが輪廻を始めたとされるものでした。その輪廻の原因を見極めることは、輪廻から脱した経験(=解脱)を意味しました。
解脱・悟りを認められた後は、以前は身体が固くてまったく組めなかった蓮華座(両足首をももの上に載せる座法)が組めるようになりました。教義によると、これはカルマが浄化された結果と考えられました。また、食事が味気なく、砂でも噛んでいるように感じ、食事に対する執着が消えたように思えました。さらに、小さなことにこだわらなくなり、精神的に楽になりました。
以上は麻原の「エネルギー」を受けた結果のように思われたので、彼が人のカルマを浄化して解脱・悟りに導くことの実体験になりました。
平成二年四月、麻原は古参幹部と理系の出家者計二十人に対して、極秘説法をしました。冒頭、「今つくっているもので、何をするか分かるか」と私に問いました。しばらく前から、何らかの菌の培養を指示されていたのです。目的は聞かされませんでしたが、指示の雰囲気から危険な菌らしいことは分かりました。私は、「ヴァジラヤーナの救済」とする旨を答えました。一年間説法されて、その実行が当然のことのようになっていたのです。
麻原は、「そうか、分かっていたのか」と言い、「ヴァジラヤーナの救済」の開始を宣言しました。
「衆院選の結果―平成二年二月の衆院選に、麻原ら教団関係者二十五人が出馬し、全員が落選―、現代人は通常の布教方法では救済できないことが分かったから、これからはヴァジラヤーナでいく」
そして、麻原が指示したのは、猛毒のボツリヌストキシンを大量生産し、気球に載せて世界中に散布することでした。私たちは、その場で各人の任務も指示され、直ちに作業に取りかかったのです。私はボツリヌス菌の大量培養―容量十立方メートルの水槽四基―の責任者でした。
作業は過酷でした。ヴァジラヤーナの救済になると麻原は血道を上げるので、指示を受ける私は寝る暇もないことがありました。私は約三か月間教団の敷地に缶詰めにされ、風呂にも二度しか入れませんでした。それも関連部品の購入のために業者を訪問するときなどに、指示されての入浴でした。そして、安全対策も杜撰で、非常に危険な状況での作業でした。結局、種菌さえできていなかったことが後で判明したのですが、できていたら私たちが真先に死んでいたと思います。
私たちは、一般社会では無差別大量殺人とみなされる行為を指示され、しかも厳しい作業が続きましたが、誰も疑問を口にすることなく、淡々と行動していました。外部の人が見たら、殺人の準備をしているとは思えなかったでしょう。
それは、私たちにとって、「ヴァジラヤーナの救済」が宗教的経験に基づく現実だったからです。(本文三十一頁)そして出家後も、次のように、そのリアリティは深まるばかりでした。
一般社会が苦界への転生に至らせることに関しては、出家後初めて外出したときに、以前に経験のないほど厳しくカルマが移ってくるのを感じて(本文二十七、二十八頁参照)、危機感を覚えました。出家者に対して外部との接触を厳しく制限するなど、教団が外部の悪影響を警戒していたことが暗示になったのだと思います。また、テレビ・コマーシャルを視聴したところ、その音楽のイメージが頭の中でぐるぐると繰り返されるようになり、集中力が削がれる経験がありました。それは、選挙運動中に、麻原の指示でオウムに関する報道を録画したときのことでした。私の変調に気づいた麻原が、「現世の情報が悪影響を与えている」と作業の中止を指示したので、一般社会の発する情報への警戒心が強まりました。
一方、麻原の救済能力に関しては、その「エネルギー」によって解脱・悟りに導かれたと感じる経験をしたために、さらに奥深さを知った思いでした。
ボツリヌストキシン散布計画が中止された後、私は集中修行に入りました。そして、自分の意識が肉体から離れ、上方のオレンジ色の光に向かう経験などをして、ヨガの第二段階目の解脱・悟りを麻原から認められました。また、認められたその場で、毒ガスホスゲンの生産プラントの製造計画(平成二年十月から三年八月、中止ーオウムでは、次の計画の指示が入り、前の計画が中止されることが多かった)に加わるよう指示されました。その後も、プラズマ兵器、レーザー兵器の開発(同四年十一月から五年十二月、中止)、ロシアにおける武器調査(同五年二月と五月)、炭疽菌の散布計画(同五年五月から六月、失敗)、オーストラリアにおけるウラン調査(同五年九月)、自動小銃AK七四千丁の製造(同六年二月から七年三月、一丁完成、逮捕のため中止)などを麻原から指示されました。
このように、オウムにおいては、「ヴァジラヤーナの救済」の実践は日常的なことでした。
そして、平成七年三月、私たちは地下鉄にサリンと散布する指示を村井秀夫から受けました。麻原の意志とのことでした。その指示は、当時の私には、苦界に転生する人々の救済としか思えませんでした。一般人が抱くであろう「殺人」というイメージがわかなかったのです。
地下鉄サリン事件に関するある共犯者の調書を読むと、私たちが事も無げに行動している様子が散見されます。そのような記述を読むと、残酷な事件を平然と起こしたことについて、自らのことですが戦慄さえ覚え、被害関係者の皆様に対しては心から申し訳なく思います。誠に愚かなことでしたが、オウムの宗教的経験に没入している状態でした。
[ただし、私は決して軽い気持ちで事件に関与したわけではありませんでした。救済とはいえ、「ポア」の行為そのものは、通常の殺人と同様に悪業になるとされていたからです。それまではカルマの浄化に努めてきたのですが、救済のためにカルマを増大させる行為をすることが「ヴァジラヤーナの救済」と意味付けられていたのです。そのカルマは、修行によって再び浄化する必要がありました。さもないと、「カルマの法則(本文二十一頁)によって、自身にも返ってくるとされていたからです。実際、地下鉄から下車した後、私は突然ろれつが回らなくなく、サリン中毒になったことに気付いたのですが、そのときは「カルマが返ってきた」と思いました。]
以上のように、オウムにおいては、非現実な教義が宗教的経験によって受容されました。そして、その教義が社会通念と相容れないものだったために、逸脱した行動がなされました。
他方、「禅」も宗教的経験を起こす技法を用いますが、「悟了同未悟―悟り終われば凡夫に立ち返る―」という教えがあります。これは「禅」の瞑想技法によって起こる日常生活への不適応(本文二十五頁)を防ぐ安全装置ではないでしょうか。何代にもわたって存続している宗教には、問題が起こるのを回避する知恵の蓄積があるのだと思います。
宗教的経験を起こす技法やその経験に基づく思想に係わる場合は、その弊害の予測が困難なので、このように経験的に安全性が保障されていることを確認する必要があるでしょう。
また、私は宗教的経験によって教義の検証が可能と思いオウムに関心を持ったのですが、それは大きな誤りでした。人間の感覚は決して常に真実を反映しているわけではありませんでした。神秘的体験の心理状態は次のようにいわれており、幻覚を真実と認識してしまうこともあるのです。
神秘的な状態は比量的な知性では量り知ることのできない真理の深みを洞察する状態である。それは照明であり、啓示であり、どこまでも明瞭に言い表されえないながらも、意義と重要さとに満ちている。そして普通、それ以後は、一種奇妙な権威の感じを伴うのである。(前出ジェイムズ)
幻覚的な宗教経験によっては、決して“客観的”な真実は検証できません。できるのは“主観的”に教義を追体験することだけです。それ以上のものではありません。
ですから、宗教的経験はあくまでも“個人的”な真実として内界にとどめ、決して外界に適用すべきではありません。オウムはそれを外界に適用して過ちを犯したのです。
【vol.4「恐怖心の喚起」】へ続く。
ひさしぶりに会った友達で、同窓会みたいな感じでウキウキして参加した。
ひさびさという事もあり、昔の思い出話に花でも咲かすかという所だったが、なぜかずっとなじられていた。
お前はブサイクだ、毎日鏡を見て死にたくならないか お前はつまらない しょうもない と。
仕事の話をすると、仕事についてくだらないと言われたり、とにかくひどい有様だった。全然おもしろくない。
なぜ、久々に会う昔の友人に対してそういう事を言いたいのか、自分にはとても不思議だった。
振り返って考えてみると、ようするに中学時代のノリでお互いを卑下し合ってダメ人間遊びをしたかったのだと思う。
確かに、自分も昔はそういう、リア充爆発しろみたいなノリで自虐っぽく笑いを狙ったような会話をよくしていた。
社会経験を重ねていくうちに、自然とそういうのはつまらなくなったし、言わなくなった。
なぜか?
社会の中で競争をして、少しでも自分を良く見せようと努力してしなければならない状況で、自分がいかにダメかを語る事は何の価値もない事を知ったからだと思う。
客観的に自分自身を見つめると、そんなにダメではない。 それなりの評価を得ることもできるし、慕ってくれる後輩も彼女もいる。
なにより、高校を卒業してからは他人から「ブサイクだ」と言われた事が一度もない。
そんな環境で自ら進んで「僕はブサイクでアホウです」と言って回る必要など皆無なのだ。
なんなら、真顔で「僕は高い能力を持ってます」と言ってのけるくらいの度胸とプライドもある。
地元でずっと生きていくというのは、ずっと変わらない顔ぶれの人間達にずっと変わらないイジラレ方をするという事だ。
おそらく、自分をナジった友人は、ずっとお前はブサイクだとイジラレ続け、新しく入った学校や職場でも「こんにちはブサイクです」と言ってるんだろう。
中学時代のあだ名でいまだに呼ばれ続けているのがその証拠だろう。
自分を卑下して、それが一生続くのだという価値観で、そういうノリが一生楽しいと思って、自分に対しても「同意」を求めて自虐遊びをしかけてきたのだ。
自分は、昔の侮蔑が混じったようなあだ名の数々は忘れたし、そのあだ名を自分に対して言ってくる人もいなくなった。
地元が好きなのはいいことだと思う。でも、地元の中でずっと生きていくという事はアリ地獄に自ら身を投げるようなものだ。
その友人だけではなく、多くの飲み会参加者はそんな感じだった。
この人達とは、同窓会で会うくらいの関係でいいやと心底思った。
http://gplus.userlocal.jp/gplus/page/
この2位に来てる Aya Sakaguchiって子。
http://profile.ak.fbcdn.net/hprofile-ak-snc4/211919_100000872144853_4875960_n.jpg
アイコンの写真、カワイイっぽいじゃん!ファン多いのもうなづける!
ぐぐって見ると、あ、この子なのね、、、。
さてさて調べてみると、、、早稲田の人なのね、、。だから津田大介とかにもフォローされてるのね、、、。
http://gakusei.suumo.jp/contents/campus/waseda/waseda/10067400_004.html#area_gekichika
google画像検索すると、twilogのキャッシュで古い写真が出てくるけど、
クリックすると上のカワイイバージョンの新しいアイコンになってたりして、
http://a1.twimg.com/profile_images/782353332/___maki.jpg
http://a3.twimg.com/profile_images/1194892435/b13baffb-7b1c-45b1-b025-1d51cbc33535_bigger.jpg
10^-15 1 fm 陽子の半径 :有限の大きさを持つ物質のうち、現在、具体値が知られている最小の大きさ
10^-8 90 nm ヒト免疫不全ウイルス〈HIV〉(一般的なウイルスの大きさは 20 - 450 nm)
10^-7 450 - 500 nm 青の光の波長
10^-1 11 cm ダチョウの卵(生物界で最も大きい細胞)の長径(殻の長径は17 cm)
10^0 5.3 m キリン(最も背が高い現生動物)の平均的全高(頭頂高)
10^2 828.0 m ブルジュ・ハリファの全高(尖塔高)
10^6 5,262 km ガニメデ(太陽系最大の衛星)の直径
10^8 299,792 km 光が1秒間に進む距離(光秒)
10^8 384,000 km 地球から月までの距離(月の軌道の半径)
10^11 150 Gm 1 天文単位 (AU) -- 太陽から地球までの平均距離
10^13 15.48 Tm 太陽からボイジャー1号(最も遠くにある人工物)までの距離(2007年7月19日時点)
10^16 4.22 光年 プロキシマ・ケンタウリ(太陽系から最も近い恒星)への距離
10^24 5億光年 グレートウォール(観測された内で、最も巨大な「宇宙の大構造」)の長さ
ttp://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/occult/1268749422/
38 :本当にあった怖い名無し:2010/03/21(日) 16:36:34 ID:khW4IM/zO
主要事件全てに関わってるからオウム事件の全貌を掴むのに都合がいいし、
風貌や逮捕された時の笑みと逝った目がとても印象的。
この人の洗脳されぶりは凄まじくて
サリンを撒いたことを善行で自分は救済者だと本当に思っている。
他の幹部の多くは罪を逃れるために教祖に責任転移をしたのに対し
新実は未だに麻原に帰依を貫いてて、拘置所でもずっと修行してるようだ。
こいつの傍聴記はイカれた発言の連発で、読んでると本当に面白いのよ。
芥川龍之介の「杜子春」の解釈を巡って検察官と言い争いしたりなw
39 :新実の法廷発言集:2010/03/21(日) 18:23:05 ID:MPsrY25i0
法を犯して人を殺していいのか?――
「法を決めたのは国家。死んだのはそれ(法)とは別の因果応報です」
「慈愛の心に満ちていたからやった。死刑になり地獄へ堕ちてまでやろうとした」
私が聞きたいのは、罪の無い人がなくなっている。その点ですが――
「すべては因果応報。罪無くして死傷する人はいません。因があって結果がある。これが答えです」
人を殺すという誰がみても悪の行為でも、喜びを感じることが究極の理想になるのか?――
被害者や遺族をどう受け止めているのか?――
「犠牲者は転生した。答えるべきではない。被害者に世俗の論理で言い訳するものではない」
自分の行為は悪ではあると考えるか?――
「完全なる善ではないでしょうか。」「善悪超えた全き善と思う」
(麻原に)支持されれば喜んで人を殺したい?――
「そのように理解されて結構」
そのような言葉がいかに被害者や遺族を傷つけているか分かるか?――
「傷つくなら傷つかない本当の心を求めて欲しい。
(遺族が)人間の心を持てと言って苦しむのなら(その)心が苦しみの因とわかる」
自分の犯行を直視せず、心の動揺を避けようとしているのではないか?――
モヒカンや腰パンが「カスプレーヤー」だ、とする価値観はそれはそれで誠宜しいと思うし、
別に異議を唱えるつもりも全くないし、それでいて俺は君が救いようのないバカだなぁと思うくらいで
お互い様で終えておくのがいいと思うんだけれど。きみはぼくを多分、うるさいケジラミくらいに思ってるんだろうし。
ただ、ぼくの指摘の本旨はそこではなく。
そのブログの書き手の主張はそういう感じであって、明らかにきみは読んでない
あるいは知能か読解力にそうとう致命的な欠陥があるのではないか?ということなんだけれど。
ぼく、別に君の意見を聞きたいわけじゃないし、
ただ、君の読み方はすんごくおかしいよ、と述べただけ。
「そういう法律でもあるの?」のくだりとか、ホントよくわからないや。
とりあえず、君がなんかよくわからない反論をしているようなことが、そのブログには書いてあるよ。
君が言っている通りの内容ではないよ。それ以外のことは、ちょっと論点絞ってお話しようか。
好きなところからお始めなさい。
彼に出会うまで、私は「カップル喫茶」の「カ」の字も知りませんでした…
初めて彼にくっついて行った時は、小学生が社会科見学に行く気分…(^-^;
でも、私はとってもヤキモチ妬きなので、いる間中、彼の同行が気になっちゃって、気が気じゃなくて、エッチな気分なんか、どっかにフッ飛んでっちゃってダメなんです(-_-;)
それに、他の女性とは絡まないという私との約束を極力守ろうとしてくれてる彼を見てると、可哀想だし、申し訳ないし(;_;)
そんなわけで、カップル喫茶に行くのは3回ほどでギブアップしたんですが、3回目に行った時に、私達の他に、2組のカップルが同じお部屋にいて、そちらの2組はSWしたりして遊んでいました。彼はそれを横目に見ながら、私と…。
そのあと、ティールームでみんな一緒になって、6人で和気あいあいとお茶をしながら話をして…カップル喫茶初心者の私は、なんだかすごく不思議な世界を見ている気がしました…。
さて、ティールームからみんな元の部屋に戻ると、彼がオモチャで私をイジリ始めました…。
休憩前に、ローターを使っていた女性がいて、さっきみんなでお茶をした時に、オモチャの話になり、普段は彼も私もオモチャには興味が無く、使ったことがないのですが、使ってみるかということになったんです。
他のカップルさん達は、今回はそれぞれのパートナーと楽しんでいるようでした。
そのうち、さっきローターを使っていた女性が、「私にもやらせて??」と、彼に言ってきたんです。
もちろん、彼のことですから、ふたつ返事で「どーぞどーぞ」とオモチャを彼女に渡し、私は初めて女性にイジラレることに…(((・・;)
いつの間にか、おクチには、もうひと組の男性のモノが…
あとのおふたりと彼は私を挟んだ形で歓談を始めちゃいました(・・)
そのうち、もうひとりの女性の手まで私に伸びてきて、おクチのモノも選手交替…でも、皆さんはやっぱり歓談中…
私だけ5人にイジラレまくって…グッタリ…
なんだったのでしょう…
でも、貴重な経験には違いない(^_-)☆
典型的な画像検索。
エッチでもそこが好き。