はてなキーワード: オウム事件とは
「不謹慎ネタや事件で興奮が抑えられない件」(anond:20230207123046) を読んでいただきありがとうございました。
匿名ダイアリーやブックマークでいただいたコメントに返信していきたいと思います。
ブックマークにて私の年齢を推測するコメントがいくつか見られた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4732017395807396836/comment/Cunliffe
この増田は、昭和天皇が死んだときレンタルビデオ屋が空前の賑わいだったのを覚えてるんじゃないかなあ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4732017395807396836/comment/manFromTomorrow
年齢が気になる、40〜50代だろうか
https://b.hatena.ne.jp/entry/4732017395807396836/comment/wosamu
他多数
多くの方が私を40-50歳代(1970-80年代生まれ・団塊ジュニア/ポスト団塊ジュニア/就職氷河期)と考えているようだが違います。
もし私が40-50歳代なら、デレマス・シャニマスじゃなくて初代(765AS)か、百歩譲って続編のミリオンライブにハマっている。
記事でネタにした、オウムについて、この年の暮れに解散命令判決が確定したそうな。
(アレフとかひかりの輪とか山田らの集団とかが出てきてるけど)。
アイマスシリーズでも、年下のキャストはシャニマス(めぐる)にしかいない。
成田空港管制塔占拠事件も、昭和天皇の死直後のアレコレも、オウム事件も、実体験などなくすべてインターネットで知った。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4732017395807396836/comment/catan_coton
政府はあくまで「お願いベース」なのだから、「政府のお願いを聞くかどうかはこちらの判断」と考えている。
そんなにマスクしてほしいなら、自粛してほしいなら政府で義務化してみろ、その代わり金銭補償もセットな、と思っている。
アイマスライブなんかその典型例で、ノーマスクの入場拒否や途中で発覚した場合の退場処分をさせるとあります。
あと、コンビニやレストランなどではマスク着用の指示があります。
そこでは私もきちんとやってますよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4732017395807396836/comment/hironagi
変に抑えるより増田なり5chなりで吐き出しといた方がよさそう。
イスラム教はごく一部のカルトと違って大多数は何の問題もない人ばかりであり、彼らをネタにすることはできないと思っている。
(イスラム国とは別物。というか、一部が過激化するのはどの人間集団でもあること)
この他、個人的には、以下をネタにしたものは笑えないし、絶対にしてはいけないと思っている。
性別(sex)及び性自認(gender)・年齢・国籍及び人種/出身地・障害の有無やその種類・マイノリティ全般・憲法で定められた権利
(一般的には、法に反すること、本人が生まれつき持っているもの、身体に関すること、本人の力では変えられないものは一律不可)
あとは、時々面白い容疑者やインタビューが出てくるのが面白いと思っている。例えば
・しぇしぇしぇのしぇー
・「キィィエー」「私は森の妖精です」「今ならからあげクン1個増量中」
・(メイドカフェ勤務の女性が襲われたとき)「えーなんすか!?それは許せないと思います」
・逮捕時にせつ菜のTシャツを着ていた女子小学生の上履きの匂いフェチ
意外にも少ないんだね。こんだけ書いてるのに。
アイマスオタ厄介
厄介とは失礼な…別にUOグルグルもイエッタイガーもしてません。んなことしたらつまみ出されます。
つか設定ではなんか結構なおっさんになってるけど、実はそこそこ若い人か?
初代が入っていないのは、単に世代が合わないだけです。
やったことあるのはシャニマス・ポプマス・デレステのみで、アーケード版やコンシューマー版には手を付けていません。
屁理屈を申し上げれば、なんどでも笑おうなら(オンリーではないにせよ)初代のキャストもいますよ。
Mってなんすか?続編のミリオンライブですか?それとも男版のアレですか?
そういや、この前のライブ(Sunrich Colorful)では、高額な等身大スタンドが売られていたんですってね。買う人いたのかな?
ちなみに、アイマスのプロデューサーになったのは去年2月、「お願い!シンデレラ」のアニメMVを見たことがきっかけです。
ふと思ってアソビストアの購入履歴を見てみると、この1年で60,350円も使ってました。
(283プロ特製レッスンジャージとか、#cg_ootdのスニーカーとか、1つ1つが高いんだよね)
anond:20220924123746 の続き。
前回は嗜好面の特徴を書いたが、ポリティカル的な特徴も書いておこう。なおサンプルは二けた以上とだけ言っておく。
Z世代は何かをやろうとしている人を上に見る傾向がある。綺麗事や机上の空論は好まず、とにかくアクションとファクトを求める。逆にやろうとしている人に対して強く非難する人を嫌う。Z世代が左派野党を嫌う理由の本質はここにある。「口しか出さない人」を嫌うのだ。大人になる前からハラスメント教育をあちこちで受けていて、「面前で人を批判する」ことは内容にかかわらず悪であると刷り込まれているのも大きい。
これはよく言われる特徴である。オウム事件などをリアルタイムで見ていないのもあるが、意外とZ世代の周辺にカルト2世の同級生が居たりする。彼らは無理に勧誘して来ずに普通に過ごしているので拒否感を覚える機会がないのである。
上記2点の特徴が合わさったものである。従前から某カルト系(統一教会ではない)が強い学校部活動のジャンルがあるが、Z世代の同部活動経験者の大半はその学校や団体、および所属メンバーを崇拝している。「カルト宗教の広告塔であるから何?素晴らしい成果を見せれば問題ないじゃないか」という考えなのだ。
増田もそのジャンル出身の人だが、ここ数年、沢山のZ世代の人から「某カルトを批判する人達がうざい。直接被害食らっているのならまだしも、そうでない人がうるさく言うな」という類のフレーズを聞いている。直接被害を受けていないのなら、という但し書きがZ世代の考え方の特徴を表しているともいえる。
もちろん統一教会に対しても批判的ではない。それどころか「教団の人がマスコミや氷河期世代以上のおっさん達に叩かれて可哀想」と言っている人がそれなりにいる。
仮に統一教会がこの部活動ジャンルに手を出して来たら、一気に統一教会崇拝が起きる可能性すらあるのだ。既にニュートラルではなく同情的なポジションに居るし、ちょっとお金かけて全国レベルの団体を作れば・・・
前者はメディアでも報じられている傾向であるが、その結果後者の考え方が増えている。30代と比べたら3割くらい多いだろうか。キャリア志向が弱いので、キャリアを捨てて専業主婦になる事に対する拒絶感が無いのだ。しかも「お金持ち捕まえて専業主婦ライフ満喫♪」というお花畑志向ではなく、「つつましく暮らして子供育てよう」くらいの現実的志向である。統一教会と日本会議が望む家族観が既にZ世代の中に浸透しているのである。ちなみに近年、20代中盤の出生率が僅かながら回復傾向にあるが、この結果だろう。
次の世代に期待しよう。
横だが怒りは「発作」と医学的に見る人もいるらしい
この「怒れよ」とか「怒っていい」という表現とその背景にある心理は、近代から現代における「日本人」のダメな部分をよく表しているよな。目的意識が希薄で規範や道理から逸脱したと見做した相手に対する怒りが行動を規定してしまう。
日本人の血であがなった大陸の生命線と利権を徒党を組んでかっさらおうとしたり、満州開発してるだけなのに経済制裁してくる鬼畜米英許せねぇ、からの真珠湾攻撃を喝采してしまう。
でも日本にとっての本当の生命線は英米との良好な関係のほうだったよな。
今まで親しく付き合い、選挙で力を貸してくれていた人たちに向かって親しいわけではないとか関係ないとか言い出すのは確かに不義理なんだよな。
でもそもそも統一教会が政治家にかかわろうとする目的は何か?まず真っ先に摘発逃れだろ。これは指導者自身が述べていて、冷戦の終結もあって90年代に政治家とのかかわりが薄くなり、その上オウム事件もあって「次(に摘発されるの)は統一教会」なんてささやかれるようになった。だからもう一度政治家とのかかわりを強化しましょう、と。
もう少し遠大な目的としては日本を完全に制御下に置くこと。彼らの言葉でいえば、「日本を宗教国家にする」ということ。
このどちらの目的に照らしても、今この瞬間に公の場で怒って見せることに合理性はないんだよな。そしておそらく「内輪もめ」する害のほうが大きい。そもそも政治家の生命線である選挙に食い込んでる上に、私設秘書として政治家の内部事情も把握してるだろうから公開の場で怒って見せるより水面下でやるほうが得策でしょ。政治家には、直接の関係はないとか、関係を改めることを検討するとか言わせておいて、事態の冷却を待ちつつ、カルト対策法(仮)を骨抜きにできればそれで目的は達せられる。
メンツを失うとなめられると思う人もいるだろうが、メンツのために自滅するとかまさに本末転倒だし。
あるいは信者向けのアピールとしてみても、公の場で議員とケンカするより「今は試練の時です。悪魔からの攻撃を耐え忍ぶために議員の方々も苦心しておられる。日本を真の宗教国家にするためにはこの苦難を乗り越えねばなりません」とでも言っておくほうがよっぽどいいでしょ。
今回の場合は統一教会がどうふるまうかという話だから、彼らが怒りに身を任せて自滅してくれるなら「日本人」としてはありがたいけどね。そうはならんでしょ。ある程度教育が行き届いてるはずの集団でそんなことするアホ日本人くらいのものだぞ。
この「怒れよ」とか「怒っていい」という表現とその背景にある心理は、近代から現代における「日本人」のダメな部分をよく表しているよな。目的意識が希薄で規範や道理から逸脱したと見做した相手に対する怒りが行動を規定してしまう。
日本人の血であがなった大陸の生命線と利権を徒党を組んでかっさらおうとしたり、満州開発してるだけなのに経済制裁してくる鬼畜米英許せねぇ、からの真珠湾攻撃を喝采してしまう。
でも日本にとっての本当の生命線は英米との良好な関係のほうだったよな。
今まで親しく付き合い、選挙で力を貸してくれていた人たちに向かって親しいわけではないとか関係ないとか言い出すのは確かに不義理なんだよな。
でもそもそも統一教会が政治家にかかわろうとする目的は何か?まず真っ先に摘発逃れだろ。これは指導者自身が述べていて、冷戦の終結もあって90年代に政治家とのかかわりが薄くなり、その上オウム事件もあって「次(に摘発されるの)は統一教会」なんてささやかれるようになった。だからもう一度政治家とのかかわりを強化しましょう、と。
もう少し遠大な目的としては日本を完全に制御下に置くこと。彼らの言葉でいえば、「日本を宗教国家にする」ということ。
このどちらの目的に照らしても、今この瞬間に公の場で怒って見せることに合理性はないんだよな。そしておそらく「内輪もめ」する害のほうが大きい。そもそも政治家の生命線である選挙に食い込んでる上に、私設秘書として政治家の内部事情も把握してるだろうから公開の場で怒って見せるより水面下でやるほうが得策でしょ。政治家には、直接の関係はないとか、関係を改めることを検討するとか言わせておいて、事態の冷却を待ちつつ、カルト対策法(仮)を骨抜きにできればそれで目的は達せられる。
メンツを失うとなめられると思う人もいるだろうが、メンツのために自滅するとかまさに本末転倒だし。
あるいは信者向けのアピールとしてみても、公の場で議員とケンカするより「今は試練の時です。悪魔からの攻撃を耐え忍ぶために議員の方々も苦心しておられる。日本を真の宗教国家にするためにはこの苦難を乗り越えねばなりません」とでも言っておくほうがよっぽどいいでしょ。
今回の場合は統一教会がどうふるまうかという話だから、彼らが怒りに身を任せて自滅してくれるなら「日本人」としてはありがたいけどね。そうはならんでしょ。ある程度教育が行き届いてるはずの集団でそんなことするアホ日本人くらいのものだぞ。
書いてる私の略歴 中学で坐禅にはまって禅寺に通いはじめる。スピ系話が好き。ワクチンはP・P・Mで接種。年齢 中高年。
私が小学生の時、PTAのボス的存在に連れられて1946年に設立された教団に通い始める。
以下、母の証言による。
信者は皆の前で反省しなければならない。家のなかのあれこれを全部話させられる。貯金の額も申告させられる。
毎日布教に行く。母に同行した支部の班長は近所の不幸をあれこれ聞きだし、それを使って信者を獲得(○○で悩んでいた人が入信して良くなったみたいな)し、毎月信者獲得数トップで誉められていた。
布教の時に配る教団の冊子は信者が買う。沢山買って沢山配れば誉められる。返品不可。
ごく短期間で母ギブアップ。辞めるときにかなり揉めたらしいがなんとか脱退。
その後私が禅寺に通い始める。
退職後知人に誘われて入信。
一日中道場に詰めて連絡が取りにくくなるも、当初は留守番電話の設置だけ薦めて我が家は静観。
その後我が家に来て自分は清浄、我々は不浄な態度を露骨に見せ、他人の不幸を今まで以上に嬉しそうに話し始めたので、信者の自惚れに餌をやるタイプの碌でもない教団なのか、元々性格に難のある親戚だけがそうなって教団はまともなのか判らず我が家は対応に苦慮。
ご奉仕に身につけるエプロンは他で使うと穢れるとか、お守り袋作成の中に電話に出ると穢れるのとか、禁忌があまりにも厳しすぎ、自分達は守られているので医者に行かなくても大丈夫、薬は毒等々と言い出す。
うぬぼれはどこの宗教でも社会常識でも悪い事なのだが、それを抑えている気配が無く、禁忌によってそれを煽っているように見える。私の入門した禅寺の御老師様はこういうことにかなり厳しかったので絶句する。これはかなりまずいかもと退団の説得に乗り出す。しかし時既に遅く不浄な我が家の言葉は届かず、「守られている」と大見得切っているので事故や病気になったときに我が家に助けを求められず、却って事態が悪化すること数えきれず。
薬は毒だとか恐怖を煽りつつ、私たちだけは救われるんですよと優越感をくすぐる、宗教というより殆どマルチ商法という気がしたので「苦情の坩堝」や「悪徳商法マニアック」の体験談を読みあさり、なんとか脱退の糸口を掴もうとするも結局力及ばず。
晩年、教団墓地管理費を長年二重取りしていたことが判ったが(お金は返ってこない)、それでも結局親戚は死ぬまで信者だった。
親戚の死後、親戚が身につけていたお守りの事で親戚を誘った女性とも初めて会ったのだが、教団墓地の話ははぐらかすのに、突然の葬式仕切りで大忙しの私を道場へ何度も何度も誘った。控えめで気が弱そうで善良そうな女性がである。長年道場だけが重要で世の中の事は些事と教え込まれているとこうなるのだろうか。「世の中に間借りして修行させてもらってることを忘れるな」って御老師様は言ってたから、あんまり世の中を軽く扱うのもまずいのではと思う。
また信者に口寄せさせて、その人が話したことを真に受けて皆で実行していたようなのだが、そんな心許ないものに左右されてどうするのだろう。世間に対しては一々疑いや不信を抱くのに自分達の行いに対してはあまりにも信用しすぎなのもまずいと思う。「自分を疑え」「脚下照顧」と先達も諭しているのに。
通帳など紛失しているので判らないままだが、親戚が教団に納めた金額は8桁を超えていたようである。教団の維持にお金が必要なのはわかるけど、それも程度問題だと思う。
職場と家以外、人間には案外居場所がない。親戚にとって道場は第二の我が家だっただろうし、母も家とパート先以外の居場所が欲しくてあの教団に行ったと思う。でも信者獲得数やお布施の額で確保する居場所は良くないと思う。
余談だが、コロナが流行した年にこの教団の他県支部でクラスターが発生したらしい。薬は毒、我々は神様に守られている、発熱は好転症状と言い続けていたら、三密対策もとるにとれなかったろうとは思う。
タイトル通り。ある日知人ともう一人が冊子をもって布教に来たので、私は中学の時に禅寺に入門して受戒していること、今も信者である事を告げてお引き取りを願ったところ、「先祖供養はお寺任せではなく、自分でやらないと。ここなら自分でできるんです」と連れの年配女性。「自分でやってますが」と私。
しかし相手は怯まず他のやり方では駄目と言わんばかりに押してくる。
それなのに冊子には教団名が書かれてない。祈祷文をネットでくぐって漸く判明した。自信あるならちゃんと名乗れよ。
知人も過去の自分の不幸を開陳するのだが、母の体験もあるので私は一切自分の状況を口にせず「現状に大満足(大嘘)」で押し通す。キリスト教の告解は神父様だけにだし、仏教は仏に懺悔する。到らぬ身の人間相手に懺悔しても悪い結果にしかならないと御老師様も言っていたしね。
大宗教でも自派が一番優れているといってるけれど、それは大昔の、印刷術も電話もなく、人の移動がほぼ徒歩だった時代にアクセス出来る範囲にある宗教では一番と言ったわけで、色々な宗教信者が一緒に暮らす現在それをいうのは利より害の方が大きい。私の禅の師である御老師様は他宗教をくさす言葉は一言半句仰らなかった。
確かに小学校の友達が教会で入信したときに「私は救われるがあんたたちは煉獄」と言い放ったし、私が禅寺で入信したときクリスチャンの友人が牧師執筆の本を貸してくれ、そこには孝行を尽くした妹よりなにもせず親の死後仏壇を買った長男が誉められる仏教は間違っていると書かれていた。
事実に基づかない批判(貧女の一灯をしらんのか)を展開する行為の方が、私にはドン引きだった。さすがにこういうのは今は少なくなっていると思う。
常識を疑う、破るのは仏教にもあるが、それは修行が進んだあと、無意識下の刷り込みを打破するためのもので、一般信者が社会常識を踏みにじっていいということではない。
普遍的な道徳に照らしてアウトなものは宗教でもアウトだと思う。
この二人組は本当に何度も来た。コロナになってやっと音沙汰がなくなって悪いがほっとしている。
20代後半のある日、家で読経中に宗教の勧誘が来た。中断させられてイラっとした私は数珠袈裟のままドアを開けた。そこに立っていた男性は、私の数珠袈裟をみて「これはお邪魔をしました」と深く一礼した。近所のキリスト教会の牧師である事を名乗って、若い女で異教徒の私にもう一度お辞儀をして、信者を引き連れて帰っていった。信仰する者に出会ったことが嬉しいという顔をしていた。「美味これ淡味」本当に価値のあるものは奇をてらわない普通の姿をしているのだという御老師様の言葉が浮かんだ。私も深く一礼した。
ここに宮台真司(1995)『終わりなき日常を生きろ――オウム完全克服マニュアル』がある。社会学的観点からオウムがなぜのさばり、オウム的なものに立ち向かうにはどうすればよいかを記した本で、少なくとも10年ほど前は哲学・批評・(現代)社会学近辺では必読文献だった気がする。
そんなわけで本棚にたまたまぶっ刺さっていたので「終わりなき日常を生きなきゃならないんだよなあ」ぐらいしか覚えてない状態で再読した。以下では、この本の要約ではなく、気になったポイントを断片的に取り上げていく。ちなみに私自身は特に宮台のファンではなく、ほかに宮台の本は『権力の予期理論』『サブカルチャー神話解体』しか読んでないと思う。宮台が今回何を言ってるのかもほとんど把握していない。
まず読み始めて思ったのは、知識人の対応がどうやらオウムと今回ではだいぶ異なるのだなあということだ。冒頭で宮台は、オウム事件がそれまでの歴史における過去から理解する、言ってしまえばそれまでの歴史の延長線上におけるものとして理解することを激しく拒絶することにまるまる一章を割いている。オウム事件を(それまでの文学等々より悪しき・劣った)オタク文化の影響とか、連合赤軍の二の舞であるとか、そのように理解する知識人を批判する。
この辺りは論壇における立ち位置を示すパフォーマンスが結構含まれている気もするが、そもそもオウムについて語りたいわけではないので内容には深入りしない。ここで問題にしたいのは歴史と出来事の間の関係である。
今回の事件について、いまのところ過去の歴史と連続的に語る言説は私の見る限り絶無といってよいのではないかと思う。右派にせよ左派にせよ、「これまでの日本では起きたことがないたぐいの出来事」として捕らえているようにみえる。流れた川の水が戻ることはないので、むろんそれはある程度正しい。しかし完全に歴史から切り離された出来事が可能なものか、という点に関しては議論があるだろうし、宮台自身かれの歴史の中で取り組んできたことだろうから、とにかく歴史との連続性を強調する言説がないこと、それがオウムのときとは逆であるらしいことだけを指摘しておく。
宮台は「普通の若者が普通にオウムに入ってサリンを蒔いた」という見立てを行う。そのため、「マインドコントロール」(宮台は使っていないようだが「洗脳」もここでは同義語としていいと思う)について、何か特殊な技術であったり、明確な必要十分条件を定義できるものではないことを強調する(自分の講義だってある種のマインドコントロールだと言いながら)。これは社会学・社会心理学近辺ではわりと常識的な考え方であると思う。なので被害弁護団が「洗脳」をかぎかっこ抜きで自明な用語として使っているのには、少なくとも私は少し抵抗を覚えないでもない(「洗脳」と言いたくなるような事実があることを否定しているのではなく、あくまで用語法の問題)。
本全体の骨子となる主張として、宮台はオウムに関わった若者が抱える問題は「『終わらない日常』に耐えかねて『輝かしきハルマゲドン』を夢想し、キツさに耐えかねて『夢想を現実化』しようと」した点にあると主張する。その処方箋として「終わらない日常を生きる知恵」が必要とされるが、その知恵を持っているのがブルセラ女子高生なのだそうだ。なぜならブルセラ女子高生は決してオウムに入ってサリンを蒔いたりしないから、とのこと。まあ妥当性については何も言うまい。
すでに見たようにこの本は世代論の本でもある。宮台は江藤淳やその後の加藤典洋、あるいは宮台と同世代の大塚英志も含め、年長世代が新しい世代を「何かが欠けた存在」とみなすことを強く批判する。「あんたがただって年長世代におんなじこと言われてただろう」というわけであるばかりか、そうした言説は不要なきらきらしさを持った「幻想」を下の世代に押しつける有害なものである、というのが宮台の主張だ。そして大塚に対して「われわれ新人類世代はまだ何かを諦めたが、ブルセラ=ポスト団塊ジュニア世代はようやく諦めるべきものを最初から持たず、そのため何も諦めていない。なのにまた旧世代の幻想に彼女たちを縛り付ける気か」的な批判を行っている。どうでもいいが大塚英志が軽く30年以上同じスタンスを取り続けているのを見ると本当に安心する(20冊かそこらは読んでる程度にはファン)。大塚のツイッター(ていつから本人がつぶやくようになったの? 俺の知ってる大塚はタイピングができなかった気がするが)を見ると、メディアなり知識人なりが統一教会と自民党―安倍との関係を追求しないことにブチ切れてて、やはり信用できるなと思った。政教分離の観点から国葬にも激しく反対していて、こっちは大塚が立憲主義の観点からそう言うのは分かるが、私が政教分離についてよく分かっていないので(天と地の分離ってけっこうキリスト教特有の考えだったりしない?というレベル)、問題意識は共有できていない。こういう場合は経験上5~10年くらい経ってから共感できるようになることが多いが、今回はどうだろうか。
話が逸れた。宮台は可能かもしれない処方箋として(異性を念頭に置いた)コミュニケーションを検討する。「全面的包括欲求」に対して応えることが可能なのは宗教と恋愛だけだからだそうだ。そして恋愛は社会の再生産を行う家族システムへの動機でもあるため、社会は宗教より恋愛をプッシュする。にもかかわらず恋愛からはじき出されて宗教に飲み込まれる若者が多いのだから、恋愛は処方箋ではあるが「やれるなら最初からやってる」程度のものでしかないと宮台は言う。
だから現実的な処方箋としては、旧世代が押しつけてくる「輝かしさ」など忘れて「まったり終わりなき日常を生きろ」ということになる。
「処方箋」の妥当性はさておくとしても、少なくとも統一教会は「若者問題」ではない(原理研については詳しく知らないが)という一点においてすでにそのまま転用はできないなあというのが第一の感想であるし、さておいた妥当性をほじくりたくなるなあというのが第二の感想である。
もう少し有意義なことを言うのであれば、この「まったりしたコミュニケーション」こそが統一教会の本質なのではないか、という気が脱会者や現信者のブログやツイッターなどを見てるとするのだ。10年代に流行った「居場所」の問題はいまだ解決していない。
30代後半。
ボカシ入った画面で白い服着た人たちがくねくね踊ってる映像が何度も流され
「新興宗教怖いな」と思っていた。
ここらでもう一度あの辺の熱狂的なカルト宗教報道を再燃させてほしい。
ついでにマルチとか老人が詰めかけている健康食品屋も報道してほしい。
めちゃくちゃ気持ち悪い。
・桜田淳子の合同結婚式(1992年)は当時年齢1桁なので記憶に無い
・オウム事件の時に『オウム以外のカルト宗教』的な扱いの番組で触れられ、(桜田淳子のかは不明だが)合同結婚式の映像も見た
・文鮮明が始めた(一応)キリスト教の影響の強い宗教であること、純潔運動をしていること、霊感商法の問はネット以前から知っていた。
・純潔キャンディも一度もらったことがある(本当にやってるんだ! 的に感心した記憶がある)。それが統一協会の運動なのは『ちゆ12歳』で知った。
・大学はプロテスタント系だったが、特に注意喚起はされなかった。たまたま事務室を見たときに『統一協会のダミーサークルについての警告』的な掲示はあったから活動はあったのだろうが、大学が厳しく取り締まっていたのだろう。
・ネットをするようになってから『勝共連合が統一協会の団体であること』『自民党議員と繋がりがあること』という通り一編の話は聞いた。が、結局のところ『勝共連合』の運動をリアルに目撃したのはその10年後だった。
・当時のネトウヨのご多分に漏れず嫌韓で、今も表現の自由戦士をしているくらいだから統一協会自体は『嫌いな団体』ではある。が、実は2022年現在でも『統一協会』として活動しているのをリアルで見たのは先述の『純潔キャンディを配っているのを一度受け取った』『勝共連合の街頭演説を見た』だけだ。
・余談だが他の宗教団体との接触経験について言うと創価の勧誘は何度かされた。エホバはたまに玄関まで来る(典型的な女性2人組だ)。幸福の科学のビラも入っていたことがある。
・嫌韓で統一協会嫌いのネトウヨなので当然ながら「統一協会が自民党と繋がりがある」という話を聞いた時には「本当だったら嫌だ」という理由で調べた。が、『集票や選挙の時の人手としての付き合いはあるだろうし、秘書がいるのも本当だろう』し、『政治家なんて票と金には弱いのだから一定の協力が得られたら感謝のメッセージくらい送るだろう』とは思ったが、『じゃあ創価より影響力あるか?』と考えた時の答えはNoという結論になった。なのでそれ以降は陰謀論は話半分程度に聞いていた。
・秋葉原で「児童ポルノ単純所持規制賛成」デモをしていたのを友人が目撃し、「統一協会の方ですか?」とストレートに聞いたらあっさりイエスと言われたらしい。