はてなキーワード: 震災とは
業界の有名人に会ったって話を営業さんから聞いて、すごいっすね!!と盛り上がった事もあった。
でもこの業界って思ってたより体質が古い企業も残ってるんだねぇ。ビックリした。
「新しい、若い業界だ!!」という自惚れが強すぎて、逆に勉強しようとしないのかもしれない。
一番やべーのがほとんどTwitterをやってなかったの。震災の後作ったアカウントだけ残ってて開店休業状態。
私はビックリして、え!オタクでTwitterはマストっすよと社内勉強会みたいなのを企画して頑張ったりもしたよ。
でも「スパムみたいなアカウントしかフォローしてこないよ」と文句言われたり。
「今は、時代はインスタグラムだよ」「いやティックトックだよ」と芸能人や犬の動画ばかり見てる。
でそっちに広告を打つ。効果なし。「やっぱりSNSはダメだね」となる。いやTwitterでやれよ。
誰が実名でいいねなんかすると思ってんだよ!?お前ら陽キャならわかれよ。
もうこりゃダメだなと思って、うるさく言うのはやめた。お前がやれよと言われそうだがそんな義理はない。
その間に、Twitterではいろんなことがあったよね。ついにTwitterの鳥もいなくなった。
連日報道されてるからか、ついに焦り出したらしくて「あ、あのさ…。スレッズ?とかいうのやった方がいいのかな」と来やがった。
あのさ。
もう1Pマンガ載せてバズったり、
そんな時代はさ、もう終わったんだよ。
事故や事件、戦争や災害などで人が亡くなったニュースをみると、それがどこかの知らない誰かであっても、悲しくて涙が溢れて枯れるまで泣き続けてしまう。
東日本大震災の直後は、震災とは無縁の土地に住んでいたにも関わらず、ショックが大きすぎて毎日泣き腫らし、学校に行けなくなってしまったこともあった。
当時は高校生だったので感受性が豊かな年頃なんだろうという感じで周囲の人たちも見ていてくれたが、30歳になった今でもその性質は変わっていないし、悪化してしまっているような気もする。
特に、自分の子どもが産まれてからは、子どもが被害に遭うニュースが本当に耐えられない。
今日もさっき、水難事故で小学生たちが亡くなったニュースを見た。
亡くなった女の子の気持ち、帰りを待っていた家族の気持ち、一緒に遊んでいた友達の気持ち、救助に関わった人の気持ち、夏休みに送り出した先生の気持ち、色々なことをぐるぐると考える。
元増田が望むような観光ではないかもしれないけど、仙台から鉄道とBRTで三陸を北上するのはおすすめだよ。
西日本生まれで東日本大震災って報道を通してしか理解できてなかったんだけど、BRTに揺られながら北上するだけでも、海岸沿いに続く壁みたいな巨大防波堤や唐突に真新しい町並みが高台に出現する南三陸町志津川地区、だだっ広い更地にポツポツとこぎれいな建物が点在する陸前高田の景色が目に入ってきて、震災も復興もまだまだ全然終わってないんだって思ったよ。
東京からなら時間はかかるけど特急ひたちで仙台に向かえば、帰還困難区域も通ることになるので福島第一原発事故の姿もちらっと見ることができる。
ついでに仙台をふつうに観光するのも楽しいし(せんだいメディアテークに入ってる仙台市民図書館では郷土資料コーナーにジョジョが並んでいるぞッ!)日本三景の松島も通り道だッ!!
石巻は石ノ森章太郎先生の作品にジャックされているけど、旧観慶丸商店という古い地元の百貨店を残した建物はジブリの世界から抜け出してきたみたいでめちゃくちゃかわいいよ!
不本意ながら韓国に住んで2年近く経つけど、竹島はどっちのもんだから始まり、慰安婦や植民地、そして今回炎上の発端となった大震災のこと。日常的に言われてきた。
それほど多くの老若男女が、当たり前に発言してくる。2割は悪意がない。から余計にタチが悪い。
あまりにもフランクにけなしてくるので感覚が麻痺していたみたいだ。
Twitterで炎上を知ったときは、「あぁ、やっぱりこんなに怒るべき発言だったんだ」と考えさせられた。
とある人から同じように福島を馬鹿にされた。当時私は福島からはほど遠いところに住んでいて被害はなかったものの、津波に流される家が映る映像を見たときの衝撃と悲しさと無力さは忘れてはいない。小学生の時の記憶だ。あれだけの事故をどうして馬鹿にできるのか。私は韓国が(実体験により)心底嫌いになったが、決してセウォル号を馬鹿にしようとは思わないし、馬鹿にする人がいるならば軽蔑する。
あのような発言をする人間が、決して一部ではないことを知ってほしい。体感では6割だ。某YouTuberに関しても、炎上させようと、売名しようと、そんな目的で発した発言ではないと思う。日本人女子たちが大好きな韓国アイドルもまた、声に出していないだけで同じである。彼らに道徳なんて概念は存在していないのだ。
どれだけ歴史の話を避けて話をしようとしても、必ずどこかで突っ込んでくる。歴史に限ったことではない。「パナソニックは落ちたよね、今はやっぱりサムスンとLGが~」。「日本は安い国になったよね、物価も安いし円も落ちたし!」。日本という国を、けなして、下に見ないと気が済まないんだと思う。たかが22歳の日本人たった一人を相手にだ。年齢は関係ない。若くても言ってくる。某YouTuberも20代だろ?
ハイボール専門店、日本式居酒屋、たこ焼き屋、お好み焼き屋、鉄板料理屋、寿司屋、おまかせ料理、ユニクロ、無印、ダイソー、AV・・・アニメは言わずもがな。最近はサンリオが狂ったように人気だな。彼らが愛してやまない日本文化だ。(尚、味も見た目もクオリティも日本とは別物)
彼らは口を開けば「日本旅行は大好きだよ!ごはんも美味しいし。歴史以外はね!(笑)俺らが一番いやなのは中国人だからさ(笑)」という。が、いざ中国人を前にすると、日本ほど歴史を知らないので特に何も言わない。日本人を前にすると、餌を見つけたかのようにウキウキとする。何度も言うが、年齢関係なく言ってくる。若いやつもだ。
うーんどうかな。
ちなみに度々今回の騒動を受けて「白々しい」と批判される達郎の「市井の人に届けたい」発言だけど、これが盛んに言われるようになったのはRay Of Hopeという曲を出した後と記憶している
元々は自殺したワーナーミュージックの元社長に捧げた歌だったが、時期的に東日本大震災と重なり、特に震災被災者のファンによく聴かれたことから、山下達郎もそういう人々に届けたい的なことをよく言うようになった(違ったら識者の人訂正頼む)。
それ以後の作品で歌詞がその意向を反映しているかは微妙だけど、少なくとも制作のスタンスは日々悩む市井の人一人ひとりに寄り添う的な感じらしい。
(話は脱線するが達郎はノンポリとよく言うが、昔はちょいちょいラジオの冒頭部で政権批判してたし、なんなら原発事故直後は反原発の姿勢を打ち出していたよね。だからコロナ禍で政権批判やめようと言い出して糸井重里かよと結構驚いた)
一見弱者に寄り添うように見せかけて今回のようなことがあると、作品自体の世界観と無関係でも先日のラジオの内容と先述のスタンスとのギャップが気になり入り込めない。
あと弱者に寄り添うと言いながら、サブスク批判して高額課金する信者向けの物理のみに振り切ったり、印税の振り分けも実店舗に負担を強いるものだったり、なんだかなーっていう。
もちろん作品自体に違法性はなく、達郎自身が違法行為を行なったわけでもないので、市場から消すという意味でのキャンセルはそもそも問題にはならないけど、個人的に手が伸びない。
https://web.archive.org/web/20200419053650/https://ameblo.jp/mikio-date/entry-12587965893.html
政権擁護だ!って一部叩かれてたけど今一度全文読むとそうでもない。
安倍総理大臣を含め、誰もが生まれて初めての『緊急事態宣言発令』…。
そりゃ、支援策や制度に対して言いたい事はあるかも知れないけど、あんまり文句ばっかり並べても今は特に仕方ない。
国民全員が納得する策なんて難しいし、きっと…ない。
特に、ここで一部火が付いた。
東日本大震災の直後、数日間でしたが日本中が同じ方向を向いた気が僕はしました。
それはそれは、めちゃくちゃ大変な時期だったけど、その瞬間は好きな時間でした。感動したし誇りに思えました。
国民に配るマスクですが、このU字工事・卓郎が使ってるマスクに変更出来ませんかね??
山一證券に内定が決まってた同級生がいた世代。なので、記憶がちょっと曖昧なところもあるかもしれないが許してほしい。
山一廃業のニュースが流れた日、内定をもらっていたその人は大学に姿を見せなかった。翌日青白い顔をして現れ就職相談課へ向かったが、状況はどうにもならないようだった。
10人に内定を出していた企業は、2月になって1人を除いて内定取り消しを知らせてきた。そんなことがあちこちで起こった。
内定を取り消された者への補償など、誰も何も言わなかった。だってそれは仕方がないことだから、不況だからね。山一が倒れるくらいだから他の企業も潰れてもおかしくないだろう? そういうリスクがあるのはわかってるんだから、なんで公務員試験を受けなかった? そんな空気だった。もっとも公務員試験も教員採用試験も受けたところで採用される確率はとても低く、強いコネでもないと決まらない時代でもあった。
当時の空気感は今と全く違うし、知らない世代には通じないものがあると思う。そんな話をしていきたい。
まず、当時はインターネットがそんなに普及してなかった。地方に行くほどその傾向は高く、他所で何が起きているかを把握するまでに少し時間がかかった。一番早くてテレビ、それから翌日届く朝刊。口コミの伝播も遅かった。東京で流行っているファッションやアイテムが地方に届くまでにも、半年くらいかかっていた。
就職のための情報収集もとにかくアナログで、ホームページのある企業はまだ少なかったし、あっても用を成さないものと見做されていた。だからリクルートがくれる分厚いカタログについてくるハガキで資料請求。
そんなことをしてると部屋中企業案内のカタログだらけ…になると思うだろ? 企業はハガキにある大学名を見て送ってこなかったりもしたから、そんなに増えないのだ。そして応募しても当たり前のように落ちるし、酷いところは結果も知らされない。絶対電話で結果は連絡しますといっても、かけてこない企業の方が圧倒的に多かった。電話代もいちいちかけるには高いもんな。当然封書での不採用通知もほとんどくることはなかった。履歴書も戻ってくることはほとんどなかった。
パソコンよりワープロのほうが普及していたけど、増田のいたゼミは卒論を手書きで出してた割合の方が高かった。そして履歴書は当然手書き。当時はそんなソフトもない。(頑張れば履歴書も作れたかもしれないが、当時の手書き文化の前で認められることはなかっただろう)そんな手書きの履歴書を何十、何百枚と書いて各企業に郵送していた。当然、コピーなど許されなかった。ペンだこができるまでボールペンを握り続けた。ちなみにボールペンも昔はたいして種類がなくてソフトグリップなんてものはまだ多くなかった。だから履歴書も手を真っ黒にして書き続けるしかなく、その多くが徒労に終わった。
ちなみにあの頃ケータイは高すぎて、学生は皆ピッチ(PHS)かポケベルを持ってた。田舎住まいだと実家に帰ると電波が入らなくて、履歴書にも家電の番号を書いていた。
しかしながら増田の周りの女子大生、特に短大生の内定率は高かった。まだ腰掛けが当然の時代で、30歳前、早ければ25歳くらいで女性社員は結婚を理由にどんどん退社していく。つまり常に会社には若い女性が入れる隙間があった。そして企業がそんな若い女性に求めるのは、「将来的にいいお嫁さんとして最適な時代に辞めていくこと」でしかなく、学生側もそれを良しとしていた。総合職を目指す女子大生は求められていなかったのだ。そこは厳選された男子学生の席だった。
男女雇用均等法はまだ、あってないようなものだった。インターネットが普及していないかったから、今のように誰でも気軽に告発するようなこともできなかった。そういったことは共産党に相談するしかなく、それはとても高いハードルだった。
氷河期世代を理由に今も不遇をかこっているのがおじさんばかりなのもそこに理由がある。あの当時、女子大生、短大生はサクッと内定を獲得し、数年働き、そのほとんどが結婚を機に職場を去っている。そして家を建て、車を買い子供を産んだ。
もちろん、そうはいかなかった女もいる。これを書いている増田だ。中学生の頃から母がフルタイムで働いていて、自分でもそうするのが当たり前だと思っていた。だから分不相応にも就職活動ではキャリアを目指したいなどと言ってしまった。
結果、どこにも決まらなかった。そんなものはまだ必要とされていない時代だったのだ。
内定先を見つけられないまま卒業式を迎えた。求人誌で見つけた大手企業のアルバイトに応募したら案外あっさりと決まった。社員登用もありなんて書かれると人は弱い。そんなことは結局起きなかったが。
アルバイトながら4月1日に勤務開始。仕事は主に伝票計算。社保も厚生年金も入れず自分で払うと最低時給の給料は吹き飛んだ。そしてその職場には、同じく就職できなかった女子がいた。卒業した大学は増田よりはるかに上のランクだった。こんな人でも決まらなかったのか。彼女はやはり25歳になる前にお見合いをして職場を去った。
増田も30前にしてやっと手に職をつけることができた。アルバイト先を辞めて実家を出て、なんとか就職できた。
数年働いた後、昔のバイト先が消滅したとバイト仲間から知らせを受けた。紙と手でチェックしていた伝票計算の仕事が無事にすべてIT化され、施設自体が閉鎖、アルバイトも全員解雇されたのだ。
だが昔の仲間を労っている暇はなかった。キャリアも何もないアラサーの女は多少のことで辞めはしないだろうという激務につぐ激務で、体を壊した。
転職しようと就職支援の会社に行くと「年齢とキャリアがミスマッチですね」と言われ、紹介できる会社はないと遠回しに言われた。ずっとこの言葉はついて回るのかと思いながら、別の会社を経由して無事に転職した。このときにはもう、履歴書を手書きで出す必要はないと言われた。いつのまにか時代は変わっていた。ネットに落ちているExcelの履歴書をダウンロードして入力して、プリントアウトして提出した。あっさりしたものだった。
無事に転職した直後に、リーマンショックがきた。暮れのテレビでは派遣村のニュースをやっていて、自分もいつそこへ行ってもおかしくないと痛感した。当時付き合っていた人は不況の煽りを受けて職場が倒産し、その後変な山師みたいなおっさんについてベトナムに行くと言って連絡が取れなくなった。風の噂で今は日本にいると聞いたが、どうしているのかまでは知らない。
それから震災やら大コケするビッグプロジェクトやら家族との別れなど、色々なことに遭遇しながら、今も一人で生きている。会社は辞めたが、仕事はしている。久しぶりに自分で健康保険と国民年金を払ったら、思った以上に高くなっていた。この先もずっとこんな感じで生きていくと思う。職をつけてよかった。
増田には今、大学の同級生たちとのつながりがほとんどない。世の中にSNSが普及したころ、彼女たちは子育ての真っ最中でそれどころではなかったのだ。Facebookで卒大のグループを見てもそれらしいアカウントは見つからなかった。かろうじて繋がっている数少ない友人たちもLINEをやるくらいで、SNSで積極的に発信することはない。特に言うべきこともないからだ。
https://doumin.exblog.jp/13750112/
ビールに始まり、記者は日本酒、酒豪の伸子夫人は赤ワインをぐいぐいと。
「アハハ、そうね。菅さんの原点はゲリラ、市民ゲリラだってこと、もっと思い出してもらわなくちゃ。昔の菅さんを知る支持者のみんなからさんざん言われるの。あと少ししかないなら、何かやってくれなきゃ。面白くないよって。私もそう思う」
https://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/select/seiji/news/20110609ddm013010005000c.html
あなたは女性との関わりを避けようとしてきたのだから、例えば困ってる女性がいてもスルーするでしょう。まさに心臓が止まってAEDを必要とする状況の女性がいても、見殺しにするのでは?
その中で女性に理解を示さず、関心も持たず、助けようとしないのは男女不平等な態度だ。
震災とかで女性と関わるのが不可避な状況に陥るかもしれないでしょ。
そのとき、女性を知らないあなたは知らずに近くにいる女性を傷つけてしまう。
女性に縁遠いとおっしゃるけど、男女関係なく他人に得体の知れない恐怖を感じれば人は近寄りがたいと思うもの。まわりの人の輪に馴染むように、好感をもってもらえるような努力をしましたか?