はてなキーワード: 身分とは
(雰囲気とかじゃなくて「あの男前ね」と認識され、行く先々で空気が色めき立つガチのイケメン。俳優系。)
彼を見て、関わって一番印象的だったことを書かせてもらう
それは『一部のイケメンは「誰にでも愛される孤独」を抱えていて、それは深刻なものだ』ということ
俺みたいなブサメンはイケメンに対して誰にでも好かれまくりで人生イージーモードでいいご身分ですなあ…と思ってしまうし
実際その通り突き進む人がほとんどかもしれないけど
逆にそれが窮屈で寂しくてたまらない人もいるみたいだ
誰にでも愛されるなんて羨ましくて血の涙が出そうだが
周りに自分全肯定botだらけの世界はさすがに気持ち悪いような気がするし逆に自分の居場所がない感じなのかもしれない
それは俺がひねくれ者でケッってなってた(最低だけど)からだと思う
他の女性はもちろん彼に優しく、男性も彼に関わって悪いことはないと優しくしていたから
そんな中で取り入ろうとしない俺(ただの陰)に興味を持ったのだと思う なんか申し訳ないが
俺は彼が将来結婚するとして、その相手がとんでもないDVかましてくる女性のパターンとか容易に想像できて心配だ
彼は自分を愛してくれる人に興味がないっぽい
幸せになってほしいけど
新聞やテレビそうだけど、Twitterやはてブをみていると「男/女」と「世代」ばかりで社会問題を語りすぎ。
社会問題で切り取るべき線は、「学歴」「所得階層」「職業」「都会/地方」など様々あるのに、みんな男女と世代の対立に還元されてしまう。
貧困や労働の問題として語るべき問題が、女性差別(あるいは男性への「逆差別」)にされたりしている。典型的なのは、病院勤務医の過労問題に由来する入試差別が女性差別の問題としてのみフレーミングされたり、高齢者はデータ上は貧困率が非常に高い年齢層なのに、「高齢世代は得をしている」という言説ばかりが強いことなど。「シルバーデモクラシー」とか言うけど、この10年は年金減らされているんですけど。
なんで日本人はジェンダー論や世代間対立論がこんなに好きなのか。いい加減にしたほうがいいと思う。
(追記)
断っておくと、ジェンダー差別や世代間対立はどうでもいいという話ではなく、それそれで大事な解決すべき問題。避けなければいけないのは、ジェンダー差別をジェンダーの枠組みだけで論じたり、世代間格差を世代という枠組みだけで論じたりすること。事実、罰則付きの男女雇用機会均等法は20年以上前にできたけど、長時間労働や安定雇用の減少という問題を完全に無視して進めたため、かえってジェンダー格差が広がってしまった。事実、ネットフェミニストは労働問題や貧困問題にあまり関心がない。
あの問題にしても、オープンレター側はジェンダー差別意識や「女性差別を娯楽にしている」という単純な差別意識の問題として片付けたいようだが、「まだテニュアを得られてない身分不安定な男性研究者が、テニュアの大学教員が女性というだけで被害感情を全面に出すことのできることへのモヤモヤ感」を「差別意識」の一言で切り捨てるのは違うだろうと思う。
私たちはいつから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説!
https://intojapanwaraku.com/culture/48024/
疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉、から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができます。しかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちのご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。
日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授・中澤克昭先生のお話をもとに追ってみました。
うつりかわる肉食への考え方
日本史の教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代(明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜は労働力を提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。
3世紀ごろの日本(ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀に仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避(タブー)につながっていくのです。
しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシやシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代の遺跡から出土した木簡からわかっています。中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地の所有権を確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。
古代には禁欲の対象だったお肉も、平安時代になると禁忌つまり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代も飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物が確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。
「天神さま(菅原道真)の牛のように、神話や伝承の世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓(ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。
新鮮な馬肉
では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。
なお、近代以前に肉を地方から京都や江戸へ運ぶとき、塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉も存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカやイノシシでしたが、貴族社会の宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお(現在の味噌・醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています。
肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家に権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家の食事のマナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別な作法があったようです。
江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料上確認できますが、その後しばらく姿を消してしまいます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗は徳川家康を尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名の特権ではなくなりました。明治天皇も御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇が狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野で鷹狩りをして以来のことでした。天皇は800年ものあいだ狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士の時代と重なっているのが興味深いところです。
明治天皇は1872年に牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後生まれの世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥でちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活も高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。
一方で2030年ごろには、世界の人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食の研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。
「動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ちを自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。
うふふ!いい御身分でしょー!
道幅が狭くてすれ違うにはどちらかが車道に出なくてはいけない場面
狭い歩道にさらに電柱があるのですれ違うにはどちらかが歩道から降りて車道に出なくてはならない場面
女は絶対に道を譲ってくれない。
安全な道を通るのは女性の権利であるかのように、どの女も当たり前のように道を譲らない。
いい御身分ですね。
1年くらいセフレ関係にあった人妻は子なしにもかかわらず婚姻即専業主婦って身分だったな。
旦那は神奈川某市の自動車工場で働いてる人だった。無論、本体採用ではない。
そんな裏切りや不貞と遠そうなキャラなのに、セフレ関係になるそもそものきっかけが
「1日カカオでメッセージをやり取り→明日SEXしに会おう」これにすんなり了解してくれてなったんだもんなあ。
不貞を働くような神話も夫婦関係も闇も全然ないこの人がコンビニに行くような軽さでSEXを了承したのはなんでだろうと不思議だったけど、多分バカだったからだわ。
通話中に「今オナニーしてよ」って頼んだら即座にしてたし。そのくせ自前のオモチャは持ってるところとか動物感あった。
なんかいつも苦笑してため息つきながら
起業して一ヶ月。
AさんとBさんの間を取り持つということがここまでめんどくさいとは思わなかった。
Aさんのギリギリになっての値上げ交渉、Bさんの「別件からもね~」攻撃。
世界怖い世界怖い。なんとか利ざやは一本抜けた、これでとりあえず色々払える。
ありとあらゆる局面で親族会社が登場して利ざやをゴリゴリゴリゴリ削るあれは
文化とかそういうレベルではなく、外国人への嫌がらせだったとしか思えない。
契約してた運搬ルートをギリギリに変えろとかイジメだろ。保険とか色々あるっつーのに。
こちとらワンミス即死のディールしてんだぞ、と思うものの向こうには逆らえず。
そして、最高の商材があっても最後まで付き合いを優先しようとする日本メーカーの姿勢にもうんざりした。
横槍が入るのは覚悟してたが、人様のルートが存在することを知るや否や「それウチで開拓するんでそこから買うのやめない?」
とか交渉に入るとか。なぁ、某商社さん。ひどいと思いませんかね。
それはぼくが長年かけて個人の足で開拓したルートなんですよ、そりゃあることさえわかればあんたらはカスメ取ってくんでしょうが、
流石にそれを担保にウチをすり潰そうとするのはエグいんじゃないですかね。
さて…あとはこのルートを守るためにどこの後ろ盾をつけるかの作業に入るか…。
第一候補はどう考えても横槍野郎のところしかないんだが。大体、ぼくのような零細中小がやれないような大規模ディールを
やるのがおたくらの稼業だろう。それがハイエナ稼業で横から浚おうってどういう了見なんだ。
金主に返金して借金返して色々払って、俺の手元には大してのこんねーなぁ。コレ持ってタイ辺りに飛びたいなぁ。
早くテクスチャを自分で組める身分になりたい。人様の金でやるディールほど疲れるものはない。
まぁ、とりあえずキャッシュをテーブルにドサドサ積んで山分け会やるか、これやりたくて起業したようなもんだし。
とりあえず、次回はまだ自己勘定取引じゃやれねーなぁ。あと四回くらいコレ越えれば自己勘定できるようになるかなぁ。
金が欲しいなぁ。
【北京=三塚聖平】在日中国大使館は23日に発表した報道官談話で、北京市内で在中国日本大使館の職員が中国当局により一時的に拘束されたことについて、「身分に適合しない活動に従事しており、中国の関係部門が法に照らして調査、質問した」と主張した。日本が中国側に厳重な抗議をしたことに「中国は受け入れない」と反発した。
北京の在中国日本大使館によると、同職員は21日午後に外交官としての活動を行っていた際に一時的に拘束された。拘束の経緯など詳細については、本人の安全面への配慮などから明らかにしていない。
森健良事務次官は22日、楊宇駐日中国大使館臨時代理大使に対し、外交関係に関するウィーン条約の明白な違反だとして厳重な抗議をするとともに謝罪を要求。再発防止策も強く求めた。
垂秀夫(たるみ・ひでお)駐中国大使も同日夜、中国の呉江浩外務次官補に厳重な抗議を行った。日本大使館は職員が拘束された21日に中国外務省に抗議を行おうと調整したが、中国側の都合により22日夜にまでずれ込んだという。
身分犯
みぶんはん
犯罪が成立するために、行為者の一定の地位または状態を必要とする犯罪をいう。「身分」の意義につき、判例は、「男女の性別、内外国人の別、親族の関係、公務員たるの資格のような関係のみに限らず、総(すべ)て一定の犯罪行為に関する犯人の人的関係である特殊の地位または状態を指称する」と解している。公務員や法律によって公務員とみなされる者(「みなし公務員」という)がとくに重要である(刑法197条以下の収賄罪、同法193条の公務員職権濫用罪など)。この身分犯には、秘密漏示罪(刑法134条)、偽証罪(同法169条)、保護責任者遺棄罪(同法218条)、横領罪(同法252条)などのほか、たとえば、常習犯(同法186条1項の常習賭博(とばく)罪など)における犯人の常習性や、目的犯(同法225条の略取誘拐罪など)における目的なども身分犯の対象となりうる。身分犯には真正身分犯と不真正身分犯の区別があり、前者は行為者が一定の身分を有することによって初めて犯罪を構成する場合であり、後者は身分の有無により法定刑が加重または減軽されるにすぎない場合である。収賄罪(刑法197条)は前者の例であり、業務上横領罪(同法253条)は後者の例である。
[名和鐵郎]