バンクシーのグラフィティが「あり」で、その辺のエビチリと書かれたグラフィティが「なし」だとすると、その違いは金銭的な価値と、積み上げられた分脈の有無だろう。
バンクシーは既に有名で、作品は数億円で取引きされている。その辺の壁のグラフィティも、うまく回収できれば数千万円〜で売れる。だから書かれた方も喜ぶ。
なぜバンクシーにその価値が生じているかというと、今までの活動と作品の蓄積で、バンクシーというアーティストがどのような作風であるか、どういう姿勢をもって何のために作品を作っているか、どのような作品の変遷があり、どの美術館に展示されているかなどが物語として成立しているから。
エビチリ落書きも、同様の蓄積があれば価値を持ち有り難がられる可能性がある。
Permalink | 記事への反応(1) | 08:57
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だからちゃんと左翼イデオロギーに則ったメッセージを前提にしていればどんな落書きだって持ち上げられるわけだ
右翼的、愛国的な作品が評価されるタイミングというのもある。日本で言えば戦時中の戦争画とか、アメリカの1920年代頃とか。場所と時流によるだろう。