はてなキーワード: 美術館とは
そして「消費」は低俗で品が悪く、作品に対して侮辱するような向き合い方だと。
恐ろしいもんだね。
それじゃあ配信サービスで毎日新曲をチェックして、そこに出てない曲も確認するために毎週DIGってるような人間は音楽を「消費」してるだけのウスラボケかい。
なるほどね。
それじゃあ将棋のプロや野球ファンみたいなずっと齧りついてる連中は皆「消費」をしてるだけか。
はぁ~~味わい深い人生やな。
色んな分野をあっちへフラフラこっちへフラフラして、誰かが教えてくれた話題作だけをつまみ食いするのが正しい「鑑賞」の仕方だとさ。
まあねえ美術館に展示してあるような絵だけがご立派な絵で、まだ誰もレビューしてない世に出たての作品なんて味わっても後になってから「時間の無駄だった」とでも感じるかもねえ。
そうだよねえ人生は短いもんねえ。
いちいち出てきた作品何から何まで追って、無名の新人に期待してみたり雑誌を渡り歩いてる作家の連載本数にたまげてたりしてるんじゃあ「消費」って言われても仕方ないねえ。
いやー分かるなあ正しいよ正しいね。
漫画は「鬼滅の刃」だけ読めばいいし、映画は「RRR」だけ観ればいいわけで、音楽なら「モーツァルト」と「ビートルズ」なんだろうねいやいやご自慢の人生だ。
どこに出しても恥ずかしくないねえ。
なんたって「消費」なんて下卑て馬鹿げたこととは無縁のご立派な「鑑賞者様」だものねえ。
いやはや素晴らしいね。
そのせいで本を読んでも内容が頭に入らない。
だがボーっと釣り糸を垂れるような人生の使い方をするのは流石に勿体ないと感じてしまう。
美術館を巡って目玉の展示とやたら長い時間睨み合ったりするというのを思いついて実行に移したが、感受性も落ち着いてしまったのか第一印象以上の何かを見いだせたかさえ疑問に終わった。
こうもまともに生きれなくなってくると今度は「老人なりに自分の体を労ること」が趣味になってくる。
温泉に行くとかグルコサミンサプリをいくつも試すとかそういったことで「身体が改善されていると錯覚すること」が本当に楽しいので辛い。
学ぶ・観る・遊ぶといったことで得られなかった達成感が健康に関してだけは得られる。
年寄りの冷や水でジム通いをして救急車を呼ばせる迷惑な老人が産まれるのも納得の楽しさだ。
「ウンチ」は奥が深い。
主成分は食物繊維と腸内細菌であり、食事を減らして飲料中心の生活をしても細菌分のウンチは出てくる。
だがその量は通常よりも明らかに少ない。
では逆に食物繊維を取るとどうなるかというと、「取った食物繊維の分×(1+便の水分量)」が出てくる。
ウンチは水分含有率が高いので、大体5倍ぐらいになって出てくると思えば良い。
CMでたまにある食物繊維スティックで言えば、1本飲めば5本分ウンチが増えることになる。
1日3本飲めば15本分であり、スティックシュガー15本分ともなるとかなりのモリモリであることがわかる。
水溶性食物繊維だけをひたすら取りまくると、極めて危険なドロドロウンチを生み出すことが出来る。
少し力むだけでニュルニュル出てくるので、透かしっ屁をしようとしたときに直腸にあったら間違いなくアウトだ。
ただこれはその危険性が楽しいだけでウンチを出した時にメキメキと尻穴が広がりこの世界に新たな何かが飛び出していくあの感覚は味わえない。
やはり理想の「ウンチ」は「ちょっと硬めのごん太ウンチを漫画に出てくる💩の形が作れそうな一本勝負で出すこと」に他ならない。
尻穴を通っていつまでもいつまでもウンチが出続ける時の無限感に勝るものはない。
出し終わったあとの内蔵が一つゴッソリ抜けたような腹の物足りなさはサウダージさえ感じさせる。
これだけ大量に老廃物を出したのだから俺の体はどれほど綺麗になったのだろうかという達成感、これが今の渡しにとって人生最大のコンテンツだ。
今の私はある意味でウンコ製造機としての生を過ごしているのだろう。
それを少しでも納得の行く形にしてひり出すことが人生の価値となっている。
だが考えても見て欲しい。
誰に頼まれたわけでもなく、ただこの世界を汚すだけの存在として暮らし、むしろ自分が如何に世界に爪痕を残せたかを誇ってきたのが人類史ではないのか?
そこにようやく生まれた恥じらいが、子孫の世代に持続可能性を残すという立つ鳥跡を濁さずの精神なのだろう。
美術館とか博物館内の手荷物預けるロッカーは大体どこも100円返ってくるタイプのはず○
ことさらに俺俺言ってるのと一か所だけ一人称が私になってるのとこの慌てっぷりを見るに本当は女性が書いた文章なのかなと何となく思った
刀剣乱舞、文アル、文スト、FGOあたりの隠れオタクで同人イベントの帰りに推しの元ネタを見るために美術館に行ったとかそういうシチュで
結局これって増田自身が他人の知性とか判断力を微塵も信用してないってだけの話じゃないの?
他人から意味不明な勘違いをする可能性を先回りして、馬鹿の勘違いに巻き込まれたくないというフェールセーフ優先の考えが暴走してる。
まあ日本では無理だけどな。
日本人は頭悪いし日本の司法は平気で冤罪を繰り返すから、美術館一回の金でそのリスクを回避した増田の判断が結局正解だったんだよ。
4月から進学や就職で東京に出る人も多いだろう。そういうタイミングで心機一転、これからやるぞ、楽しむぞ、という気持ちで味わえる東京って最高に楽しい。
街中に突然現れる桜並木をひとり散歩したり、ちょっと自転車で町を見るかと思ったら都心には思ったよりも坂道が多かったり、中央総武線沿いの堀とビルと桜の風景に東京を感じたり、先のライブイベントを調べてテンション上がったり、美術館行き放題に気付いてほくそ笑んだり、買い物は駅ビルで十分では?と思ったりするんだろうな。
いいなー。
日曜日にとある美術館に行ったんだがモヤモヤしてしまったのでどうすればモヤモヤしなかったのか知りたい。
昨日の俺は美術館とは別に買い出しもしてたのでクソデカリュックを背負って美術館に入り、リュックはロッカーに預けることにした。
そこのロッカーは入れた100円があとで帰ってくる今どき良心的なタイプだった。
俺が荷物を入れて鍵をひねると入れたはずの100円がすぐに返ってきた。
壊れているのかと不安になり、確認のために開け締めを繰り返すと100円がいつの間にか2枚になっていた。
前の利用者が100円を回収していないのだ。
この時、前の利用者が100円を忘れた気持ち悪いロッカーは無視して他のロッカーを選び直すべきだった。
今なら分かる。
そうだ。それだけが正解でそれ以外のすべての選択は間違いだった。俺はそこを間違えたのだ。冷静さを欠いていた。
どこから冷静さを欠いたのかと言えばここで間違いない。
買い出しのついでに美術館に寄ったのがそもそもの間違いだったとは思わないのでやはりここなのだ。
俺はひとまず自分の荷物をロッカーに入れて鍵を引き抜きポケットにしまった。
戻ってきた前の利用者の100円は手に握ったままロッカールームを出て、すぐそこにいる警備員に「前の人のが出てきました」と声をかけながら渡した。
俺がすぐ横のエスカレーターに乗ろうとすると、後方から「ロッカーは何番ですか?」という声が聞こえた。
俺が振り返りポケットから出した鍵の番号を見て「◎▲□番です」と答えると「ありがとうございます」が返ってきた。
俺がエスカレーターに乗った直後に警備員が無線に「◎▲□番のロッカーうんちゃらかんちゃら」と喋るのが聞こえた。
そうなのだ。
ここなのだ。
ここで俺の脳は完全にパニックに陥ったのだ。
◎▲□番のロッカーの中に入っているのは俺のバッグだ。中身は人にあまり見せたくない趣味のグッズだ。これ即ちマジのファックだ。脳を飛び交う信号はBPMを加速し続け私の妄想は臨界を突き抜けた。
「俺のバックが前にロッカーを使用した人の落とし物扱いになる!俺は俺を証明してそれを取り返す必要がある!下手をすると俺が他人の荷物をパクろうとした窃盗犯として指名手配だ!それはマジでだるい!」
そう思い込んだ俺は急いでエスカレーターを逆走しそうになるも踏みとどまった。この話で唯一冷静だった部分だ。
エスカレーターのすぐ横に貼られた「お食事お飲み物ご遠慮ください」「マスクをつけてください」「おしゃべりはご遠慮ください」の張り紙が目に映る。エスカレーターの下り口に待つ別の警備員が俺を睨んでいる。
俺を睨んでくる警備員に「これってすぐに来た道を戻るルートってありますか?」と聞いた。
警備員は嫌そうな顔で横を指差す。
エレベーター!見えてなかった!冷静ではない!
警備員に礼をつげてエレベーターに走り寄ると、目の前を通過したのがドアのガラスから見えた。
俺は階段を駆け下りる。発声器官が再び野生に帰る。もうこの美術館にとって俺は「100円をちゃんと返した人」ではなく「迷惑な○ピー○○ピー」だろう。クソ!入館料を払った直後なのにすでにここを出て行きたくてたまらない!ポケットの中でチケットに八つ当たりしていると気づけばそれはパチンコ玉ぐらいの大きさに織り込まれた紙玉になっていた。
ロッカーにつくと荷物はまだあったのでひとまず鍵を空けて荷物を取り出し、別のロッカーに移すことにした。
立て付けの悪いロッカーがあり、あの100円は忘れられたのではなく「機械の調子が悪く飲まれていた」可能性に思い至る。
調子のいいロッカーを探して荷物の移し替えを終えて、最初のエスカレーターに戻る。
100円を渡した警備員と目が会うので気まずくなりそっと目を逸らす。
エスカレーターに乗ってから「ロッカーに前の人のカバンもまだ残っている可能性を感じた俺が急いで盗みに戻ったと勘違いされていたら?」という不安に襲われた。
流石に妄想だというのは分かっていたのだが、さきほどエレベーターを教えてくれた警備員の不快感を顕にしたような眼差しと視線がぶつかると妄想の圧力が増した。
この時に俺は「近くの警備員ではなく受付に100円を返していたらどうだったのだ?」という後悔に取り憑かれた。
今思い返すと、そうした所で結局同じような流れにはなっていただろうし同じように妄想に取り憑かれただろう。
やはり正解は「100円が出てきたロッカーは無視して他のを使う」だったのだと思う。
俺は受け付けにいかず安易にすぐ近くの警備員にお金を渡した自分を強く攻めていた。
そうではなくもっと前に、落とし物の100円をロッカーから取り出した時点で、問題のロッカーにそのまま荷物を一度預けたまま離れた時点で間違いだったのだが。
自分に対しての苛立ちと僅かなボタンの掛け違いに心のモヤは最大限となった。
情報が入ってこない。
紙玉になったチケットをポケットで握りつぶしながら展示の目の前を早足で進み、それを丁寧に眺める人々を次々に抜き去っていく。
数分のうちに全てを見て回り、ロッカールームへと戻り顔を怒りに歪ませながら美術館をあとにした。
入館時に気になっていたミュージアムショップを見て回ろうという気はもう起こらない。
その気持ちを思い出そうものならこんな奴らにこれ以上無駄金を払えるものかという憎しみで自分が壊れてしまうと感じ押し殺した。
入館料も美術館によった時間もあの100円のせいで全部ゴミに変わった。
思い出してもモヤモヤとしてくる。
冷静さや人生経験が足りなかった。
諦めはつく。
展示のポスターを見たときのキラキラした思いが汚泥にまみれたカスになったことさえ割り切れはする。
クリスマスケーキを帰り道に川に落としたとでも思えばいいんだ。
家に待つ誰かが悲しむでもなく自分が辛いだけなのだから飲み込める程度の痛みだ。
それでも悔しさは残る。
どうすればいいのか、どうすればよかったのか。
本当に全く同じことがまた起きたら対処は出来るが、少し違う形で起きたならまた同じように失敗する気がする。
なにかないものか?
多分AIには答えられない。
奴らはどうせ「ロッカーから出てきた100円は遺失物です。盗めば窃盗罪になります」とでもわかりきったことを言うだけだろう。
・新しいゲーム機で、説明文を読んで得たばかりの知識を、野良猫になぜか少し得意げに披露している人の声を聞きながら、ファミレスの看板を見ている瞬間
・ムンジュイック城で冷凍食品を買って、包み紙をカサカサやっている感じ
・おっさんの初期設定をしているときの、明らかに古い形式で実際には動かない感じ
・緊張した姿の若い兄ちゃんが、雲ひとつない青空をバックにゆっくり回転している
・地元のために用意された、デカい惣菜パンに入ったデカいフナムシの近くを通ったときに感じる、強いおっさんの匂い
・12月の雨の日、降っているものにネコが混じっていることに染みている
・夏場に歩道橋やバルセロナに行ったときの、圧倒的な雰囲気(コロナ対策)
・自転車でイカの横を通り抜けるときにオクトパスが混じっていることに気がつく瞬間(静かさはない)
・アーチェリー場に腰掛けたときの風が強い、フナムシがお気に入り
・ピヨピヨ交差点で、ピヨピヨいう音と一緒にみんなでピヨピヨ
・スーパーのトライアルの中にあったオレンジで、おっさんが矢を射ていたこと
・スーパーで買い物してる親子連れのヒョウが、なぜか少し得意げに歩き出す
・地元のおっさんの2パターンくらいしかない画像を酷使して作られた、美術館
など…
・水族館や動物園で、説明文を読んで得たばかりの知識を、同行者になぜか少し得意げに披露している人の声を聞きながら、動物や魚を見ている瞬間
・いいパン屋でいい惣菜パンを買って、包み紙に油が染みているのを見たとき
・新しいゲーム機の初期設定をしているときの、焦れるようなワクワクするような感じ
・ロイヤルホストなどのファミレスの看板が、雲ひとつない青空をバックにゆっくり回転している
・22時22分
・式典のために用意された、デカい花瓶に入ったデカい生花の近くを通ったときに感じる、強い花の匂い
・12月の雨の日、降っているものにあられが混じっていることに気がつく瞬間
・春先に飛んでるオレンジ色のチョウチョ(ツマグロヒョウモン!)
・夏場に美術館や博物館に行ったときの、圧倒的な涼しさ(案外人は多くて、静かさはない)
・自転車でネコの横を通り抜けるときにネコが見せる、いつでも動けるように緊張した姿(実際には動かない)
・波止場に腰掛けたときのコンクリートの冷たさ、フナムシがそのへんをカサカサやっている感じ
・でかい交差点で、ピヨピヨいう音と一緒にみんなで歩き出す瞬間
・バルセロナのムンジュイック城の中にあったアーチェリー場で、おっさんが矢を射ていたこと
・明らかに風が強い日の朝、起きた瞬間にそれがわかる
・スーパーで買い物してる親子連れのガキンチョが、お気に入りらしい冷凍食品をねだっている声
・地元のゆるキャラの2パターンくらいしかない画像を酷使して作られた、コロナ対策のポスター
・明らかに古い形式で作られている個人サイトの「最近の更新」欄を見たら、2023年とかの投稿があったとき
など…
県庁所在地の市の出身だけどフツーにある。大阪レベルではそんな感じないと思うよ。
東北地方にいたけど、隣の人が何時から何時にいないとか、昼間に車があるとかないとかみんな知っている。
人の趣味もあの歳でダンスだなんてとかどこの奥さんが美術館でどうたらこうたら、とにかくそういう話がみんな好き。
帰省すると親がサラサラとそういうことを言い出して本当にびっくりするけど、それしかやることがないんだよ。
イベントだけは東京が最強。美術館・博物館等のの企画展示(今だったらエゴンシーレとか)、ライブ、コンサート、握手会、サイン会、コミケ、コラボストア・カフェ、オンリーショップ、各種食のイベント、とにかくなんでも東京から始まる。
東京で始まらないものだけ遠征すれば済む首都圏と違い、地方はガチでほとんど来ないから全て遠征しなきゃならん。そしてその交通費分で都内のやつはもう一回ライブに行ったりしているわけだ。
モノが買えればよく、限定品に興味がない人にとっては地方と東京には大差ないとは思う。逆に限定品やリアルイベントに通い詰めたいのにいつまでも地方にいたって何も解決しない。
東京にいて手に入らないチャンスより、東京にいなくて逃すチャンスの方が圧倒的に多いのは肌身にしみてるから二度と地方には戻らない。地元のコンサートホール跡地は葬儀場になった。
小さい方眼のマスに文字を書き込むのが楽しそうだなと思い、PENCOのノートを美術館で買った
表紙がプラスチック製で丈夫だから、表紙にそのままボールペンをひっかけている
最初に買ったのはパイロットのHI-TEC-Cの黒の0.3(昔からよく見るキャップ式の細いボールペン)
書き心地はいいけど、出先で使うのにキャップ式なのがちょっと面倒だった
次に、同じくパイロットのcouleurを買って、今使っている
金属製でノック式でHI-TEC-Cと比べると胴回りが大分細く、ノートの表紙に留めたときの収まりがものすごくよい
ただペン先の細さは0.5くらいと太く、またインクの出があまり良くなくて、書き心地はHI-TEC-Cと比べると大分劣る
HI-TEC-Cの方がインクが多く出ているから力を入れずに書けて、小さいノートの小さいマスに書くのに向いている感じ
朝、NHKのローカルニュースを見ていたら、近くの温泉ホテルで現代アートのフェスをやってるというのが流れてきた。
個人的に美術には造詣が深くない。持っている美術知識といえば大学の一般教養で受けた西洋美術史概論(途中でいかなくなったため単位未取得)とダヴィンチコード(序盤で読むのやめた)くらい。
特に「現代アート」なんてものはわけがわからない。ルネサンス絵画や印象派の絵なら実物を見て、「あ、これ知ってる!」「すごい!」、「うまい!」、「きれい!」などの感情を抱けるが、現代アートと呼ばれるものは、見ても「?」、「これがアートなのか・・・アートってなんなのかよくわからんわ・・・」みたいな感情しか持てない。
なので普段なら見流すところだった。
だがしかし、前日にスーパー銭湯でブルーピリオドを読破していた私は俄然興味を持っていた。
今なら、わかる気がする。
もしわかんなくてつまんなくても温泉に入れるみたいだし、温泉ホテルで美術館ってなんか珍しいから話のネタになりそうだし。
というわけで行ってみたんだが、結論から言うと、行って良かったとは思うがそれが現代アートのおかげなのかどうなのかは正直よくわからん、というところ。
会場は半径500mくらいの温泉街の5、6個のホテルに点在していてる。高低差が50mくらいある。結構歩く。つらい。
鑑賞エリアがわかりやすく区切られているわけではなくて、ロビーの一角だったり、エレベーターホールだったり、客室、ゲームコーナー、ラウンジなんかに自然な形で展示されていて、それが意図して作られたアートなのか、元からあったホテルの什器なのかよくわからなかったりする。
どのホテルも年季が入っていて、80年代、90年代のバブル、平成レトロな空気が漂ってるように感じたんだが、これがアートのおかげなのか元からそうだったのかよくわからない。
作品展示以外にもロビーで劇をやっていたり、夕日が沈む海の前でバイオリンを弾いていたり、日常空間が非日常空間になっていてよくわからない気持ちになった。
穏やかな海と冬の午後の暖かい太陽がとにかく美しくて、ノスタルジックなホテルで展開されるよくわからない現代アートと相まって、不思議な空間を作り出していた、気がする。
いやほんと、気がする。確信が持てない。なんとなくでしかない。ずっとほわほわしていた。
ブルーピリオドを読んでいたおかげで、作品が絵や彫刻でなくても「これがインスタレーションってやつね!」と自分を納得させることはできたが、それ以上の助けにはならなかった。
なんだろう、映えスポットだらけだった。現代アートと映えスポットの違いがわからない。若者はあまりいなかったけど、いたらきっと至る所でパシャパシャしてるんだろうな、と思った。
結局私には現代アートはわからないままだった。でもこの日の体験は行ってよかったと思えるものだった。
日本の高度経済成長期には、欧米から日本人はエコノミックアニマルだとバカにされていたよな
金持ってかもしれないが、金の使い道は知らない稼げても賢く使えない野蛮人という意味で
当時からしばらくはそういう文化コンプレックスがあったから美味しんぼみたいなグルメマンガがウケる土壌がてきたわけだよな
稼ぐだけじゃなくて、本当に美味いものを知ってるんだぜという文化人ポーズができるようになりたかった
それ比べて今はオリンピックの施設作るのにも採算だ、芸術支援なんて無駄遣いだという批判がいっぱいあるわけよ