はてなキーワード: 平和とは
それがなんかバザールみたいな旗がなびいてて、「ダメだこりゃ(いかりや長介)」感がものすごい。
緊迫感がねーのよ。
考えてみろよおやじが世界を救うために家族を捨てて旅立ったっていう世界を。
世の中への使命感でみんなのために旅立ったんだぞ。
そんな絶望の世界で楽しくすごせるわけねーだろ。町を出ればモンスターだらけだし。
2021年のオクトパストラベラーっぽい風景のほうが100倍良かった。
原作をそのまま持ってきた感じがあった。
今回のはなんか安っぽいソシャゲみたいな風景になってて、なんの原作への理解もない下請けの若造が作ったんだなと。
なんだこりゃとしか。
蓮舫さんを支持していたが、その蓮舫さんが小池百合子さん、石丸伸二さんに惨敗したのは日本人が読み書きできないからとのこと。
もちろんその裏には、「蓮舫さんを支持した私たちはリテラシーがあるんだけどね」というのが透けて見える。
https://x.com/Elephant1372456/status/1817766816288321558
東京都知事選の結果の背後には、この25年ほどの間に起こった、日本人のリテラシー、つまり読み書き能力の、急激な凋落があったのではないかと思っている。たとえば、人々は政策を読めない、理解できない、ということを前提に、政策を説明せずに経験談を語って共感を呼ぶ。真剣な議論をしない。質問されると別の話題にそらす。あるいは冷笑して質問し返す。街頭演説は短く、発信の言葉も短く、数は多く、という手法を徹底するなど、「ともに学び考える」のではなく、できるたけ考えずに投票できるように導く。そういう候補者に票が集まった。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik24/2024-06-08/2024060801_04_0.html
「平和を求め軍拡を許さない女たちの会」(代表・田中優子法政大学前総長)は6日、「東京都知事選への私たちの考え方」と題する声明を発表し、「私たちは今回の都知事選で蓮舫さんを支持します」と表明しました。
以下の経歴の通り上野千鶴子さんや山口二郎さん等とともにリベラル派の大物、中心人物なんだけどこんな差別的な思想の持ち主だったとはがっかりだ。
(御経歴)
「平和を求め軍拡を許さない女たちの会」(他に上野千鶴子、東村アキコ等)
「戦争をさせない1000人委員会」(他に山口二郎、瀬戸内寂聴等)
他多数
マリーアントワネットの首が歌うシーンが興味深かったから、意図をしりたくて、いろいろ読んだ。
具体的に言及はされていなかったから、はっきりとはわからなかったが、インタビューはどれも面白かった。
id:hazlittさんが教えてくれた、ラジオ番組からいろいろ読み始めた。
増田はフランス語は多少わかるが、わからないところは、DeepL先生に頼っているため、正確性は保証できない。
ホスト:昨日私たちは、コンシェルジュリーにおいて、革命の中、斬首されたマリーアントワネットがゴジラ(というパンクバンド)とマリナ・ヴィオッティと歌うというシーンを見ました。このシークエンスは、いったいどのような意図で書かれたのですか、ダミアン。
ダミアン・ガブリアック(監督):まず私は一人で書いたのではありません。すべてみんな(4人の中心人物)で書きました。そして理由は極めてシンプルです。私たちは、選手が進むルートに沿ってシークエンスを進めていくことにしていました。そして、ここではコンシェルジュリーです。マリー・アントワネットが斬首の前に幽閉されていた場所です。我々は自分たちに、これについては言及せざるを得ない、と言い聞かせました。ここで起きた歴史的なイベントは世界中が知っています。私たちはそこにエネルギッシュであることを求めました。だからゴジラです。そして、斬首されたマリーアントワネット、その両方。私たちは顔を突き合わせ、私たちが価値を見出していた(後述する)ロンドンのエリザベス女王とジェームスボンドを改めて思い起こしました。これだ、これだ、と。
パトリック・ブシュロン:そうですね、まず私たちがやった、みたものは、完全に、楽しく、集合的であったと考えています。そしてそれは全く同じく、議論するつもりがないことです、正確に。議論するつもりはないのです。私たちが見たものはまさに、さきほど述べられた通り、似ているのです。この多様性の物語、これが私たちのあり方だと、私たちが、大胆に主張している、複雑さと。それらは、あの歴史的なモニュメント(コンシェルジェリー)と、その美しさ、威圧的であることを望まない美しさ、私たちを勇気づける過去と一緒に示されました。私たちは誇りを回復しました、国家はアイデンティティではなく、あくまで政治的プロジェクトなのだ、という誇りを回復しました。私はそれらを若者に見せることができてとてもうれしいです。私の娘もコースでそれを見ました。あの悲痛なものを見たのです。それこそが全てです。シンプルです。私たちは、わずか数分の間にバスティーユを奪還したのです。
(中略)
ホスト:ダミアン、実際にこのセレモニーは、世代間的でもありましたね、だれにとっても自分事であるような感覚、ミュージカルレベルでもそうですし、サウンドトラックはすばらしかった。ダリダもあったし、クラシックもあった。とてもエモーショナルでした。とても美しかった。そして、話を変えるが、橋の上でのクィアたちとの最後の晩餐。かれらと一緒に生きているというシーンでしたね?ダミアン。
ダミアン:その通り。クィアはいた。でも付け加えるなら、フランスのすべてがあった。背が高い、低い、太っている、痩せている、黒人、白人、アラブ人、みんな違う衣装で、同じプレイリストを踊ったんだ。グアドループ(カリブ海)の音楽、オーヴェルニュの音楽、ヨーロッパの音楽を、同じ時にね。
トーマス・ジョリー監督に選ばれたパトリック・ブシュロンは、このセレモニーに寄せられる期待や懸念さえも承知の上で、「私たちに似た」物語を望むと改めて表明した。 「私たちはバカバカしいことや傲慢にならないように努めます。それをやったら、とんでもなく長い道のりになってしまうよ」と冗談を言う。
(中略)
「最初のシーンには、『エミリーパリへ行く』シリーズを観たアメリカ人などが期待する、パリで見られるものをすべて詰め込みました。きっと反応は「ありきたりなだな」だろうけど、それは違う。少し忍耐が必要です。所要時間は 3 時間 45 分です。紆余曲折があるでしょう。次に、これらのイメージは正反対の方向に進み、スノードームが転がるように、私たちはエッフェル塔(私たちが期待しているもの)を目にするでしょう 。私たちはすべてを揺るがすでしょう。違うものが出てきますよ。 」
(中略)
共同執筆者たちは、過去の開会セレモニーを研究しました。そして、アテネの謙虚さと、ロンドンの自虐性を継承することとし、北京の誇張されたナショナリズムを拒否することにしたのです。
「ディベートの仕方を知っている国に生きることはとても大きなアドバンテージです。おそらく、(この国に暮らす)外国人たちが我々にもたらしている、楽しい面のカオス、それには多くの憤りと尊敬が同居していますが、私たちはそれを見せなければならないのです。」
開会セレモニーの原点は、セーヌ川の流れとともに進む、という点である。
「私たちが見せる、このゆっくりとした流れるイメージ、この空想上のパレードは、パリが示すべき力の中にあります。このステージは軍隊のデモンストレーションパレードではないのです。フランスはもはやー私は全く望んでいませんがー世界に対して、我々の歴史について講釈を垂れるような立場ではないのです。私たちは、持っているもの、信じているものでやるしかないのです。我々が込めたメッセージはシンプルです。言葉で、あるいは映像で、伝わればうれしいですが、そうです、それは、”すべてがある、それでも私たちは一緒に生きていける”ということです。」
パリの歴史から離れて、歴史家は、パリジャンの通勤のあり方についても、言葉を用いずに示すつもりだといいます。
「英雄的物語の反対にあるもの」を語る、というこの歴史家が大量のインクを費やしてきたフレーズにおいて、彼は、その立場を明らかにした。「私たちはしゃべりすぎです』と彼は笑う。宣言も挑発もない。オリンピックゲームは、包括性、平等性、多様性という価値観に基づいています。セレモニーはそうでなければならない。私は歴史家だから、ナポレオンの話をしなければならないなら、どうすればいいか知っているし、そうするつもりです!しかし、それだけではありません。絵画(Tableau)ではより完全なものになります。私たちは何も削除していないのです。追加しているんです。セレモニーは軍事パレードではないが、謙虚でないのに謙虚なふりをするつもりはない。その一方で、私たちは互いの違いに連帯感を示すことができる。誰もが楽しめるものになるでしょう。」
少し考えた後、彼はこう付け加えた。
「私に、世界(の見たくないもの)に対して目をつむることを期待しないでください。パリに世界を迎えるのであれば、ありのままの世界、ドラマなども含めて歓迎します。オリンピックは原義的に政治的なものですから、政治的なものを排除するということはありえません。しかし世界の最も公正な感覚の中にあってほしいとのぞみます。」
彼は微笑みながら、「こんなに複雑なものに参加することになるとは思ってもみなかった」と話した。
(増田はルモンドやリベラシオンに課金はしていないので、まとめ記事が助かった)
(略)
ジョリーと4人の作家が2022年末に共同の冒険を始めたとき、ルートはすでに決められていました。
東のアウステルリッツ駅から始まり、ノートルダム大聖堂、マリー・アントワネットが投獄されたコンシェルジュリー、ルーブル美術館、 ガラスのドームが特徴のグラン・パレなど中世の遺跡を通り過ぎ、エッフェル塔のふもとで終わります。
「私たちはダウンジャケットを着て、アウステルリッツ橋からエッフェル塔 までボートで川を上下しました」とジョリーはル・モンドに語った。
「私たちはパリの歴史の一部であるあらゆるものを見ました。通り、記念碑、広場、彫像。文学的な書簡、映画、ミュージカルも調べました。」
彼らは何度もブレインストーミングした後、約9か月間秘密裏に執筆を続けた。
フランスのカルト映画「アメリ」やアメリカのネットフリックスシリーズ「エミリーパリへ行く」の夢のようなパリに引き込まれることを警戒し、 彼らは「常套句やアメリカ流のフランス解釈についても、茶化さずに扱わなければならない」とわかっていたとジョリーは語った。
彼らはショーを12の絵画(セーヌ川沿い、セーヌ川の上、さらにはセーヌ川から出る)に分割し、約90隻の船に乗ったアスリートのパレードと掛け合わせた。
3,000人を超えるダンサーや俳優が岸壁や橋の上でパフォーマンスを披露し、それぞれの絵画は、パリのシンボルと、過去と現在の両方について呼び起こすものを描いており、世界をパリの歴史と建築の旅へと誘う。
例えば、ノートルダム大聖堂は、ゴシック様式の記念碑であり、19世紀の作家ヴィクトル・ユゴーとのつながりであると同時に、猛烈な地獄でもあるなど、人によってさまざまな意味を持っています。
「世界が最後にテレビでノートルダム大聖堂を見たのは、火災のときでした」とブシュロン氏は言う。「誇りと壮大さの物語だけではなく、感動の、再建の物語でもあるのです。私たちが演じたかったのは、どんな困難にも負けずに共に生きていこうとする粘り強く創造的な意志の物語です。」
自らを「現代を愛する歴史家」と称するブシュロン氏は、式典はできるだけ多くの人々に語りかけるものでなければならなかったと語る。
「パーティーを開いてお気に入りのプレイリストをかけるのとは違います。世界からフランスへ、そしてフランスから世界へ語りかけるものでなければなりません。私たちはただ、人々が共感できるように、当時の状況を描写しようとしただけです。」
(略)
エマニュエル・マクロン大統領は、セレモニーでは1789年のフランス革命から1948年の世界人権宣言まで、「解放と自由の偉大な物語」を提供すると述べた。
セレモニーの詳細は秘密のベールに包まれているが、フランスの価値観が何らかの形で讃えられると推測されている。フランス系モロッコ人の小説家であるレイラ・スリマニは、パリが集合的であろうとする努力に価値を置いていることーそして力を合わせることで考えられないようなものを生み出せるーを高く評価している、とル・モンド紙に語っている。
4人の作家は、自分たちの物語に寛大な精神を持たせたかったという。
「喜び、模倣、動き、興奮、輝きがなければならない。フランスが時に自信過剰に見せたがる伝統的、哲学的、価値観だけでなくね。」
(略)
一方、昨年9月にパリで開催されたラグビーワールドカップの開会式は、「反例となった」とブシュロンは言う。
『アーティスト』のオスカー俳優ジャン・デュジャルダンが、ベレー帽にバゲットという出立ちで、1950年代のフランスの村々を再現した模型を自転車で巡り、ミルク絞りの女性やダンサーに手を振るというこのショーは、多くの批評家から、時代遅れの陳腐なフランス表現だと非難された。そして、非常に内向きなフランスだった。
「ただの古臭い過去のイメージや、現在の単純な賞賛ではないものでなければならない。歴史は揺らいでいるもので、国家はアイデンティティではなく、政治的プロジェクトであることを忘れてはならない。だから未来を語るのです。だから、私たちはセーヌ川を大旅行し、みんなを巻き込もうとしています。」
ブシュロンは、最も感動的なショーとして、ジャン=ポール・グードによる壮大な舞台美術を伴った、1989年のフランス革命200周年記念式典を挙げている。
当時20歳だったブシュロンは、それを見て歴史家になろうと決意した。
「それは歴史を痛感した瞬間でした。1989年、ソ連、中国(天安門広場の抗議活動)など、世界では多くの出来事が起こっていました。当時、私たちは多文化フランスと呼ばれていたものの価値を声高に明確に宣言することができました。それはより困難になり、ある種の幻滅感もありますが、私たちは怯んではなりません。」
数週間前、フランスでは議会選挙後に極右政党「国民連合」が政権を握るかもしれないという懸念が真剣にあった。その場合、ショーは「ある種の抵抗のセレモニーに変貌していただろう」とジョリー氏は語った。
結局、マリーヌ・ル・ペン氏の党は好成績を収めたが、セレモニーの書き直しを必要とするほどではなかった。
「私たちは、切実に、いたるところで起こっている暴力から離れて、平和の瞬間、止められた瞬間を共有することを必要としています」とスリマニは言った。
「私は本当に、7月26日にみんなが流れに身を任せてくれることを願っています。私たちの中の子供の部分、発見する楽しみを思い出してほしいです。今では本当に珍しいものになってしまいました」
と思っていたけど、セーヌ川、コンシェルジュリーが先にあることがわかった。ルイ16世でない理由もそこにある。またマリーがサン・キュロット版のア・サ・イラをうたい上げた後に上がった数多くの血しぶきは、その後のコンシェルジュリーで数多く処刑された人々のものであろうとも思う。なぜなら、マリーはすでに断頭済みだから。そして、ガブリアック氏、ブシュロン氏のコメントから、別に完全に誇っているわけでもないこともわかりました。やるしかねぇな、と言っているのですから。またブシェロン氏はdéchirer(悲痛な、引き裂かれる痛み)という言葉を使って、あそこで起きたことを示しており、歴史家である彼は当然革命期のその後の悲劇を知っているわけですから。それでもなお、彼は「バスティーユを奪還した」といい、国家は終わるもので、政治的プロジェクトに過ぎないのだ、ということを「誇って」いるという点が印象的でした。右派が怒ることなども承知の上でしょう、なにしろ、「ディベートの仕方を知っている国に生きている」のですからね。
開会式全体に込められたメッセージから判断すると、別にキリスト教を揶揄はしていないんでしょうね。挑発はしているかもしれませんが。クィアは存在する(キリスト教がないものとみなしている)ということを目ぇ開いてしっかり見ろ、ということが言いたいのでしょうから。真正面からね。
要は、暴力やクィアなど、みたくない、特にオリンピックにおいて、というものも当然パリは包摂してるぜ、外国人問題とかもカオスだけど、でもちゃんと一緒に生きてるんだぜっていうメッセージと受け取ったね。論争が起きるのとか、まさに狙い通りでしかないんじゃないですかね。
あんなハッピーなクィア表現や、グラン・ギニョール風のかわいらしい悪趣味劇程度で拒否反応示してるひとびと見てると、ほんと日頃から常識的で資本主義に最適化された歯ごたえのない創作物ばっかり見てんだな〜、そら美術とか誰も見ないし興味ないわな〜と思わされる
てか批判してるやつ、だいたいネットに流れてくる画像切り貼りのまとめしか見てなさそうだし、ほんまくだらん。
単に自分のクソ狭い常識と好みの埒外だからって「平和の祭典なのに〜」とか「アジア軽視〜」とかお題目つけて苦言を呈してるつもりの人たちは、イスラエルがふつーに出てることや、パリの路上生活者が立ち退きさせられてることや、現代のパリにたくさんいるムスリムたちが無視されてることにこそ問題意識を向ければいいのにね
オリンピックに並々ならぬ闘志と情熱を燃やす人もいれば、オリンピックって言葉を聞くだけで批判を口にする人もいる。オリンピックって何者なのか?
オリンピックは当初、アマチュアの祭典だった。スポーツの商業化が当たり前になった今ではこの規定は無くなったけど、スポーツだけで生計を立てられる選手はかつては出場できなかった。アマチュア選手にとって極めて重要な大会であり、「参加する栄誉が一番の報酬」という思想がオリンピックには存在する。
今となってはスポーツだけで生計を立てられるプロ選手も出場しているが、オリンピックの価値は唯一無二であり、出場するだけでも十分な栄誉であって、引退後も「オリンピアン」という肩書きが保持され続ける。
アスリートや関係者にとっては、「他の大会でいいじゃん」では片付けられない価値を有し続けている。
オリンピックも各競技の世界選手権のように個人での争いにすればいいのに、何故か国別での争いがメインになっている。日本だけが「メダル◯個」で盛り上がっているわけではない。入場からメダル集計まで国別だ。
でもこれが、五輪が「平和の祭典」とも言われる理由であるように思う。
国際紛争や戦争は国同士の争い、プライドや意地の衝突だ。しかしスポーツに置き換え、スポーツで堂々とスポーツマンシップに則って国同士で戦おう……というのが根底にあるように思われる。だから国家の連合である国際連合にも認められ、「オリンピック休戦」というものが国連決議として存在しているのだと考える。
国別のメダル計上を馬鹿らしく思う人もいるかもしれないが、国家間の争いが、戦争による土地の奪取や人の死ではなく「メダル数」で片付いているのだ。こんな平和な事はない。
上記の理屈からすると、オリンピックが政治性を有し、国家が威信をかけて開催させる事に納得がいく。オリンピックも一つの外交であり、平和への投資であるという考え方だ。そのうえ商業化により経済効果を生み、メダルへの憧れによりスポーツへの意識も高まる。これだけ聞けば悪い部分は見られない。
しかし、オリンピックがアスリートにとっても平和にとっても重要な存在であることを忘れ、オリンピックを一つの興行としか見ず、汚職など悪辣なことに手を染める人も出てきているのが現状だ。
レガシーとかエコとかいうコンセプトは一旦置いておき、今一度、オリンピックの真の価値に目を向けていくのが良いのかもしれない。
マリーアントワネットの芝居をこき下ろすことで相対的に東京が浮上すればいい。
マリーアントワネットのやつは、日本で言えばトラトラトラ!つって突撃入場してくるに相当する下劣な芝居ぞ。
フランス人が過去の蛮行をあのように開けっぴろげに誇れるのは、結局のところ、色々あったけど今日核武装するに至ったという部分に負うところが大きい。平和の祭典であの芝居というのは
…と、このような具合でどうか。
ワイは30代半ばになっても、まだ独身やった。周りの友達は次々に結婚して、子供もできているのに、ワイだけが取り残されてる感じやった。そこで、思い切って婚活を始めることにしたんや。
最初は婚活パーティーに参加したんやけど、緊張しすぎて全然話せへんかった。次にオンラインの婚活サイトに登録してみたんやけど、これもなかなか上手くいかんかった。そんな時、友達の紹介で一人の女性と会うことになったんや。
彼女の名前はサエコさん。初めて会ったとき、なんかお互いに気まずい感じやった。けど、お互いにお笑いが好きってことが分かって、一気に打ち解けたんや。特に、ダウンタウンの話で盛り上がって、二人で大笑いしたんや。
ある日、サエコさんと二人で動物園に行ったときのことや。ワイが「ほら、あのパンダめっちゃかわいいやろ?」って言ったら、サエコさんが急に「パンダって、実は肉食なんやで」って真顔で言うんや。ワイは「え、ほんまかいな?」ってビックリして、でもサエコさんが真剣な顔してるから信じちゃったんや。後で調べたら、確かにパンダは肉も食べるけど、ほとんどが竹やん。サエコさんは、ワイをからかうのが好きやったんや。
そんなサエコさんとワイは、何度もデートを重ねて、お互いのことをもっと知るようになった。ある日、ワイは勇気を出してプロポーズすることにしたんや。夜景が綺麗なレストランで、ワイは緊張しながら指輪を取り出して、「サエコさん、結婚してください!」って言ったら、サエコさんは一瞬驚いた顔をした後、涙ぐんで「はい!」って答えてくれたんや。
それからは、結婚の準備でバタバタやったけど、ワイたち二人で協力して乗り越えた。結婚式の日、サエコさんが純白のドレスで現れたとき、ワイは胸がいっぱいになって、涙が止まらんかったんや。
今では、サエコさんと幸せな日々を送ってるんや。お互いに支え合い、笑い合いながら、これからもずっと一緒に歩んでいきたいと思ってるで。
ワイたちは幸せな結婚生活を送ってたんやけど、世界の状況が急変してしまったんや。ニュースでは、各国の緊張が高まっていて、いつ戦争が始まってもおかしくない状況やった。そんな中、突然政府から動員令が出されたんや。
ワイは兵役に召集されることになり、サエコさんと離れ離れになることが決まった。お互いに悲しみを隠せなかったけど、ワイは「必ず帰ってくるから、待っててくれ」とサエコさんに約束したんや。
出発の日、サエコさんは駅まで見送りに来てくれた。涙ながらに「無事で帰ってきて」と言うサエコさんの姿を見て、ワイも涙を堪えきれんかった。心の中で「絶対に生きて帰る」と誓って、ワイは前線へと向かったんや。
戦場では、想像以上の過酷な状況が続いた。毎日が命がけで、仲間たちも次々と倒れていく中、ワイはサエコさんとの約束を胸に戦い続けた。手紙を送ることができる時は、必ずサエコさんに状況を報告し、無事を伝えたんや。サエコさんからの手紙も、ワイの心の支えやった。
ある日、大規模な戦闘が勃発し、ワイも負傷してしまった。幸いにも仲間たちの助けで命は助かったけど、戦場を離れることになったんや。療養所でのリハビリ生活が始まり、ワイは一日も早くサエコさんの元に帰りたい一心で治療に励んだ。
ようやく戦争が終結し、ワイは無事に帰還することができた。再びサエコさんと会える日が来たんや。駅で待っていたサエコさんの姿を見つけた瞬間、ワイは走り出して彼女の元に駆け寄った。サエコさんも駆け寄ってきて、二人は涙の再会を果たしたんや。
「約束通り、帰ってきたで」とワイが言うと、サエコさんは「本当に良かった」と泣きながら笑ってくれた。戦争で多くのものを失ったけど、お互いへの愛と絆はさらに強くなった気がしたんや。
それから、ワイたちは再び幸せな日々を送っている。戦争の経験が教えてくれたのは、平和の尊さと、お互いの存在の大切さや。どんな困難が訪れても、ワイたちは共に乗り越えていけると信じてるで。