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はてなキーワード: 大理石とは

2015-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20151009160013

はぁー。そうなんすか。知らなかった。

大理石なんて重いし硬いもんな。

倒れてコンクリに頭ぶつけるのと一緒か。

http://anond.hatelabo.jp/20151009155612

大理石のテーブルだったそうで。

庶民の安テーブルならまず大丈夫だったはず。

2015-08-14

「 Sapokanikan /サポカニカンタバコ畑)」

オジマンディアン*1のせいだね

タバコ畑の地図

砂に埋もれてくしゃくしゃ

地は侘しく平らかに均された

跡なき力強い御手によって

遺跡に遊び

ポリ袋を叩いて鳴らした

勇敢なる男たちと女たちは神を敬愛

朽ちた襤褸たちの知るところとなった

口ずさむ:私を愛していますか?

私をおぼえていますか?

私のうえに雪がつもる

幾重にも幾重にも層を成して:

これも神の掌のうちなのか

パッチ・オブ・グラス』の下に、彼女

オランダ巨匠*2の骨は隠されている

どこか他の場所でトビアス

ラファエル変装しているのを

学者たちが母と子と見破るあいだ*3

他の娘たちは埋葬される

無縁墓地*4の土のなかへ

彼女たちの上ではパレード

日々を刻んで通りすぎる

大理石と鉄でできた純白のアーチの建つ公園*5を抜けて

二万の死者たちがあなたの歩みに寄り添うところ

だるい鳥達のさえずりのなかで失われていった彼らの死因

彼らの残した記録はどうしたって謎めいている

すべては廃れて消えた

文字は織られない、X線は何も映さな

蛍光なしではね

御手が始まりと終わりを司る場所ではね

私もがんばってきたんだよ でも

私の愛していたものを思い出して、私を抱きしめて、なんて言わない

なんどもなんども医者を呼んだ

でも雪が私をフローリー・ウォーカー*6ごと飲みこんでしま

そして絵の中に生きる

彼は言った:

大丈夫

「もう終わったよ」

そして飛行機に乗った

ベルトを締めずに

彼はとんでもない向こう見ずで有名で

“ぼうや”と呼ばれ

市長としてタマニー・ホールタマナ首長混同しながら

落下へと突き進んでいった*7

そして私たちは水準をあげる

賢く健全な魂を回復するために

狩人たちは

百年前からずっと見て、そして絶望してきたのかも*8

そして驚きをもって見つめて

私たち公園に捨てて錆びつかせてきた捧げ物を

私たちの髪をピンと逆立てると誓って

ジョン・パーロイミッチェルを見送るために

私たちの働きが不可欠なのかもしれない西部戦線

慈悲を! 神よ!

出て行って、狩人が石碑を解読するのを待って*9

この街の下に何が横たわり、去っていったのか

見よ、そして絶望せよ

見よ、そして絶望せよ

---

1 シェリーの詩『オジマンディアス』より。古代エジプトの「王のなかの王」オジマンディアスを詠った詩。このあと続く砂漠遺跡イメージシェリーの詩に準じている。全体をつらぬくモチーフでもある。

2 ゴッホ絵画パッチ・オブ・グラス』のこと。

3 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作の絵画についてのエピソード。この作品は長いあいだ、旧約聖書外典トビト記を下敷きにしたポピュラー宗教画モチーフ「トビアス大天使ラフェエル」の絵だと信じられてきたが、のちの研究でもともと「母親子供」の図として描かれたものティツィアーノ弟子宗教画へ改変したものと判明した。

 ちなみに「トビアス大天使ラフェエル」はこんな話。ユダヤの盲人トビトの息子トビアスは、父親から昔貸した金を回収するように命じられてメディアの地まで旅をする。そのとき同行者として大天使ラファエルがトビアスについてくる。トビアスは旅から帰るまで、自分の同行者がラファエルだと気づかなかった。

4 歌詞では「potter’s field ポッターフィールド」。無縁墓地を指す。語源新約聖書マタイ福音書銀貨三十枚でキリストを売ったユダ自責の念からクビをつって自殺ユダから押し付けられた銀貨のあつかいに困った祭司長たちは陶器職人(potter)の地所を購入し、行旅死亡人墓地に定めた。

5 ワシントンスクエア公園のこと。パリ凱旋門モデルにしたワシントンスクエア・アーチが建っている。もともとは貧困者用の無縁墓地で、今もその下には2万人以上の遺体が埋まっているという。

6 オーストラリア人画家アーサー・ストリートンの絵『Spring』の元ネタになった人物のこと。ストリートンの恋人だったらしい。

7 「ニューヨーク市長坊や」の異名を取ったジョン・パーロイミッチェル1914年から17年までの三年間、ニューヨーク市市長を務めた人物。彼は当時ニューヨークを仕切っていた悪名高き集票マシーン一種政治団体タマニー・ホールと激しく対立し、17年の選挙落選するや第一次世界大戦に参加するため空軍へ入隊した。入隊の翌年、彼は飛行訓練中の事故で死亡。原因はシートベルトを締めなかったことによる落下事故だったという。

8 シェリーの詩『オジマンディアス』の「全能の神よ我が業をみよ そして絶望せよ」から引用

9 ホレイショ・スミスの詩『オジマンディアスから

2015-08-01

わたしたちー いわゆるアイドルー 週末テロインー 星色クローバー しねーーーーーーー

ニュー山王ホテル

ニュー山王ホテル

ニュー山王ホテル(ニューさんのうホテル、New Sanno、ニューサンノー、New Sanno U.S.Force Center、ニューサンノー米軍センター])は、

東京都港区所在する、在日米軍施設である管理者アメリカ海軍)。


概要

この施設ホテル形態をしており、アメリカ軍関係者東京訪問した際の宿泊施設、及び在日米軍のための保養所、社交場として機能している。さらに、駐日アメリカ大使館関係者にも開放されている。

日本人は勿論、アメリカ人であっても軍と無関係民間人は、原則として立ち入ることは不可能である施設内で使用される言語英語通貨米ドルとなる。当施設では他の在日米軍基地と同様、日本人雇用例もみられる。利用や宿泊の条件は、アメリカ海軍規定に拠って厳しく規定されているが、とりわけ週末には満室となり、宿泊予約が取れないことが多いという。

日米地位協定などについての協議を行う、「日米地位協定各条に関する日米合同委員会」の会合が開催されることでも知られる。

歴史

第二次世界大戦終結後の1946年昭和21年)、アメリカ軍旧日本軍山王ホテル士官宿舎(東京赤坂)を接収、以後占有した。

1983年昭和58年10月、同地は旧山王ホテルオーナーであった安全自動車などの所有者に返還された。その代替として日本政府からアメリカ軍提供されたのが、現在のニュー山王ホテル土地建物である

所在地は、安立電気本社跡地であり、部屋数(149室)、床面積(15万平方フィートから駐車場台数(74台)に至るまでのすべてが、移転前の旧山王ホテルのそれらと同一となっている。1981年6月建築着工され、1983年6月に完成、同7月閣議決定と日米間の政府協定の締結を経て、同年7月16日アメリカ軍提供された。

1983年11月に、日本の国の関係機関、ニュー山王ホテル代表地元町内会から構成される「ニューサンノー米軍センター地域連絡協議会」が設置され、定期的な協議が行われている。

2004年から2006年にかけて、内外装に対する大規模な改修工事が行われた。作業は大成建設施工し、特別大理石を敷き詰めたロビーを始めとする重厚で華やかな仕様工事には、1,000万ドル以上が費やされたという。


施設概要

住所:東京都港区南麻布 4-12-20

開業1983年10月

客室数:149(全室禁煙

土地面積:7,249平方メートル私有地

建物:地上7階、地下1階

管理部隊極東海軍施設技術部隊(アメリカ海軍横須賀基地司令部

売店

和食洋食レストランカフェ、バーラウンジ

スイミング・プールフィットネスセンター

会議室パーティー/宴会

銀行ATM

なお、アメリカ同時多発テロ事件以降、テロ対策理由施設前のパーキングメーター撤去された。


アクセス

鉄道

東京メトロ日比谷線広尾駅徒歩約12

自動車

明治通り天現寺交差点:約150メートル

首都高速道路2号線天現寺出入り口:約50メートル

2015-07-27

母のありがた迷惑

一軒家の建築計画が進行中の折、

母が台湾旅行お土産として表札を買ってきた。

有名な大理石の産地で買ったというのだが、

大変困ったことに、この表札、全く家の雰囲気マッチしない。

正直いって「いらねえわこれ・・・」というのが率直な感想だったが、

純粋好意からの贈り物を無碍にするのも何とも心苦しい。

かと言ってやり直しのきかないマイホームの表札を妥協するのも後々後悔しそう。

落とし所としては、表の表札は自分の好みにして、

玄関入ったところに大事そうに飾るのがいいだろうか。

なんとも悩ましい。

2014-07-08

ぼくのかんがえるソードアートオンライン

今回紹介するのは、2030年から爆発的な人気となったオンラインゲームソードアートオンライン。いったい何がブームのきっかけになったのか、プレイの流れとともに紹介しよう。

ソードアートオンラインの参加方法はとてもシンプル名前キャラクターを選ぶだけ。これだけで、あなたは広大な世界に入ることが出来る。あなた最初にもらうアイテムナイフ、オノ、ランプ、そしてわずかなお金のみ。何をしていいか途方に暮れるだろう。しかし、この世界ですぐに始めるべきことは、たった1つである

手元にあるナイフアート作品を作る。それだけだ。

周りを見渡すと、森があちこちにあるだろう。あなたはそこに行き、オノで木を切るとよい。もちろん、地面に落ちている枝や丸太を使ってもよい。好きな素材を使って彫刻オブジェ・置物・家具などを自由に作るのだ。

作った作品は街に行けば売ることができる。精巧に作れば作るほど、価値は高い。もちろん店に売るだけでなくフリーマーケットで売ってもよい。場合によっては展覧会を開催して客を集めることもできるだろう。そうやって稼いだお金で、新たな素材や道具を購入できる。

もちろん素材は木材だけではない。土、砂、大理石、氷だって彫刻の素材にできる。道具だって様々だ。彫刻刀、ノミとトンカチ、のこぎり、グレートソードレイピアサムライソードダイヤモンドカッターなどなど。あなたが作りたいものを作りたいように作ればよい。

このゲームに夢中になっている青年に話を聞いてみた。「今までのネットゲームは誰かを殺すことばかりだった。それに飽きた頃に登場したのがソードアートオンラインさ。このゲームでは誰かに殺されることが無い。好きな時に、好きなだけ作品を作ればいいんだ」

一方、こちらの彼女作品を作るよりも教えることに楽しみを見出していた。「私はお金を稼ぐことにはあまり興味がなかったの。だから個展を開いてたんだけど、初心者の人が『どうやったらそんなにカッコいい作品が作れるんですか?』と聞いてきたのよ。それからは教師としてみんなに作品の作り方を教えているわ」

プレイヤーによっては、ゲームに使う周辺機器も選んでいる。キーボード派の彼はこう答える。「デジタル入力が可能なキーボードのほうが繊細な作品が作れると思うよ」と。一方、ナイフ形のコントローラを使う彼はこう語る。「このコントローラのほうが実際に作品を作ってる感覚に近いんだ。ヘッドマウントディスプレイも使えばまさに自分だけの作品を作ってる気分になれるぜ。ゲームからナイフで手を切る心配もないしね」

いかがだっただろうか。ソーシャル要素を持ちつつ、自分一人で楽しむこともできるこの作品。誰かと作品を競い合うもよし、空いた時間にコツコツと作るもよし、木こりとして山で生活するもよし。プレイヤーの数だけ遊び方がある。

さあ、今すぐログインして、広大かつ穏やかな世界作品作りを楽しもう!

2014-05-13

年収1000万円の価値

僕は今東京で働いておよそ9年ほどになる。

仕事はいわゆるIT系

新卒時は年収およそ450万円だった。

特に上昇志向が強いわけではないが、

とにかく忙しい業界ということ、また周りの環境もあったが、

一旦、年収1000万円くらいでは頑張ってみようと思った。

企画営業職、都心で働き、都心に住む。家賃20万円ほどだ。

東京に出てきたとき田舎感覚家賃4万円ほどで

探していたが、駐車場しかないと鼻で笑われた。

それから考えれば家賃20万円など夢のまた夢で、

大理石100㎡くらいあるんじゃないかという感覚だったが、

住んでみればなんということもない、普通の家だった。

駅が近いことだけが利点か。

むろん、もっと若くしてもっと稼いでいる人間が多くいるのは

了解しているが、特に僕はそこを目指しているわけではないし、

経営者になりたいわけでも、大金持ちになりたいわけでもない。

ただ、温和に暮らしていきたいだけだ。

マンション購入でもすれば、といわれるが

ローンなんて組めないし、貯金もさほどしていなかったため

せいぜい500万円ほどあるだけで、おそらく同年代でも

少ないほうだろう。

2013年国税庁民間給与実態統計調査結果によれば、

全国の男性年収階層分布は、

年収1,000万円以上の割合は3.8%

だそうだ。

4%弱。

「以上」とあるからには1億の人も10億の人もいるわけで

ようやく1000万円という人間はまあ、この最下層なわけだが、

とにもかくにもこの中にははいったわけだ。

統計は全国なわけだから東京に限って言えば

かなり数値は動くかと思うけど。

格差社会が進行していくといわれる中での

選民思想的なものを持ち合わせている人はもちろんいるが、

本音としてまったくそういう感情はわかなかった。

いや、本当は持ちたかたからこそ、なぜ

持てなかったかを考えたくなったのだ。

もう少し正確に言えば、

1000万円以上の人間に囲まれ、その生態や思想

どのように蠢いているのか、

(ただ、2000万円以上の人間は少なく、もはや

 サンプルはあまりないため、実質

 知っているのは、極めて少ない階層ではあるが)

について、整理したくなったのだ。

前年の収入によって税金は変動するので

何とも言えないが、だいたい内訳はこうなる。

昨年度:

額面:10,000,000円

手取り:7,800,000円

年俸制のため、ボーナスはない。

今年度:

月給はおよそ

額面:800,000~1,000,000円

手取り:650,000~800,000円 程度

2012-07-14

http://anond.hatelabo.jp/20120714215101

話が横にそれるけど、君が代日の丸に反対する教師をリアルで見た事がない


私が通ってた小学校じゃ、校庭には大理石国旗掲揚台が堂々と鎮座してて、毎週月曜日の朝礼では君が代音楽が流れ、国歌斉唱に合わせて国旗がするすると昇るのが当たり前の光景だった

音楽テストじゃ一人ずつピアノの前で君が代歌詞カードを見ないで歌う試験があり、きちんと歌えるようになるまでパスできなかった

運動会が近くなると週に二回・二時間ぶっ通しで四列縦隊で行進する練習をし、足を揃える事、直角に曲がる事に命をかけてる風だった

来賓席の近くを通るときは「かしら右」をやってた

戦後アメリカ教育よりも、戦前軍国主義的な教育のほうが色濃く残ってたような気がする

もちろん地域によるのだろうけど

2011-07-07

散歩の途中だった。

道路で猫が死んでいた。車に轢かれたのだと思う。外傷は然程なく、出血も耳鼻から微々たる紅が垂れている程度なのに。寝ているようにさえ見えるのに死んでしまっていた。

形ある小さな純白の遺骸。見下ろしていたら、少しだけ視界がぼやけた。夏は真っ盛りで、気温も天井を打つ午後二時の四辻には、蝉の鳴き声と幻覚のように立ち昇る陽炎とだけが密集している。

密集。

ジリジリと照りつける日差し帽子越しに感じながら、私は猫を見下ろし、ぼんやりと立ち尽くして、いまこの四辻に密集しているものごとについて思いを巡らした。

遠くの幹線道路を、車はどんどん走っている。

ふと、この猫は一体いつ死んだのだろうかと考えた。ここは閑静な住宅地のど真ん中なのだ。この時間帯で近くを走る車は皆無に等しいし、この猫にしたって炎天下の中を歩き続けることは避けていたに違いない。昨日の夜から明け方にかけて轢かれたと考えるのが妥当だった。妥当だったが、どうにも腑に落ちない。

猫の遺骸があまりにもきちんと横たわりすぎているのである。蠅がたかっていない。烏に啄かれてもいない。そもそも遅くとも明け方には死んでいなければならない骸なのだ。とっくの昔に近隣住人に発見されているだろうし、ともすれば保健所に連絡が入っているはずで、いくら他の雑務に駆られているからと言ってこの時間まで放置されているのは不自然な気がした。

万が一保健所の職員が来られなかったとしても、この時間になるまで四辻の真ん中で横たわっている状態はおかしい。近隣住人の嫌悪感が理由になるのだとしても、その心理が私には理解出来ない。

しゃがみ込み、そっと力を亡くした四肢を動かしてみる。蟻さえも近づかなかった猫の死骸は剥製と見紛うばかりに美しく、ともすればふとした拍子に生き返ってしまうのではないかと思わせる躍動に満ちていた。あるいはただ単に気絶しているだけなのかもしれない。急いで病院に駆け込めば、一命を取り戻すことだってあるのかもしれない。

けれども私は、その骸を両腕に抱いた瞬間にわかってしまった。確実にいまこの瞬間に白描は死んでいる。死んでしまっている。不気味なほど力のない、弛緩しきった骸の冷たさが肌に滲むかのようだった。

いま腕の中にあるもの、それは猫の形をした何かだった。限りなく猫に近いくせに、決定的に猫ではない塊だった。

蝉の音がシャワーのように降り注ぎ、容赦のない太陽と立ち昇る陽炎とが私を燻すように熱している。

白い猫の綺麗な遺骸を抱きながら、ぼんやりと重たいなと思い始めていた。三キロ? それとも五キロ? いやいや七キロ以上はあるまい。とは言え、市販のダンベル一つで十分足りてしまう重さだった。ダンベル、たったの一つ分。

この白猫はどうして死んでしまったのだろう。立ち尽くしたまま考えるでもなく考えてみた。骨格に酷い損傷は見られない、外傷もそんなに目立つものはないのに、どうしてよくできた縫いぐるみみたいになってしまってるのだろう。

きっと打ちどころが悪かったんだよ。誰かが答えた。仕方がなかったんだ、運が悪くてね。そういうこともあるものなんだよ。

そうなのだろうか。そういうこともあるのだろうか。そういうことがあってもいいのだろうか。じっと猫を見つめながらじくじくと問い続けた。責め続けたのだった。

まりにも理不尽に過ぎるような気がしたので。

突如としてその言葉が私の周りをひしめき合うように囲い始めた。空から降ってくるものもあれば、地面から生えてくるものもあり、霧が晴れるかのように現れたり、気がつけばいつの間にかそこにあったものなど様々だった。大理石のようなもの、切り出した木くずが組み合わさったもの、丹念に砂で固められてもの、雲のように輪郭線がはっきりしないものなど素材までもが多岐に渡っていた。

夏の炎天下。人気のない四辻で白描の遺骸を抱いた私は理不尽という言葉に囲われている。どうしてなのだろう。答えは出ない。どうしてなのだろう。絶対にわからない。

もぞりと、腕の中で猫が身動きをした。見ればぐるりぐるりと丸まっていく最中で、手足は屈められ尻尾が穏やかに首に巻きつき、背骨が曲がりに曲がり、遂には丸々とした真っ白な毛玉になってしまった。

風など吹いているはずもないのに、そよそよと白い毛並みは私の肌を撫でていく。心地良い。思った途端にふわりと浮かんで、毛玉は空へと昇っていった。ぐんぐんぐんぐん青空に呑み込まれていって、二度とは戻らなかった。

呆然としたまま空を仰いでいた私は、ふと我に帰り視線を正面に向ける。ひしめくように周囲を囲っていた言葉たちは知らない間に消えてしまっていた。

四辻に残されたのは私一人だけ。

ジリジリと照りつける日差し帽子越しにも熱く感じられる。蝉は変わらず鳴き続けていて、遠く幹線道路を走る車の音と、途切れ途切れに聞こえる風鈴音色とが細かく耳朶に届いている。

今日、猫が死んでいるのを見つけた。外傷は然程なく、出血も耳鼻から微々たる紅が垂れている程度だったのに、猫は確かに死んでいた。

きっと、それだけのこと。

私は再び散歩をし始める。

2011-03-28

今朝中国人と殴り合ったわけだが

今、仕事上海に住んでいる。半年ほどになる。

日本ネット界隈の嫌中国報道は痛ましく思っている。思っていた。

椅子が爆発するだとか、米がプラだとか、ビルが倒壊するだとか、そんなことはどうでもいい。

僕がこの国に住んでみて感じた事はそんなことじゃない。

なぜ、そんぜそことが起こるのか、本質はなんなのか、僕の見た中国

それを書く。


この国は今、まさにバブルだ。

高度経済成長に乗っかって、金が乱れ飛び、バブル時代の象徴のようにデコラティブな超高層ビルが並び、地下鉄縦横無尽に市内を走る。

カルチャーを伴うようなものでもなければ、買えないものなんてほとんどない。

国が先進国の仲間入りを果たさんがために、成長にじゃぶじゃぶ金を使っている。

だが、人は違う。

ネット界隈の言葉を借りれば、民度

これが全く経済の成長に追いついてない。

地下鉄はあっても、地下鉄の乗り方がわかってない。

列に並ぶ、降りる人に道を譲る、前の人を押さない、脚を投げ出さない、弱者に席を譲る

こんなことも、本気でわからない。

音漏れとか電話とか化粧とかそんな次元じゃない。

高層ビルで働くホワイトカラーは、そのエレベーターの開くボタンを後から来る人の為に押しておくことを知らない。

どこの街角にもファミマセブンローソンがあるが、列に並ぶ、たったそれすらもわからない。

「なぜ?私いそいでるのよ?譲ってよ。当然でしょ?」

家の寝室のドアの立て付けが悪いと業者を呼べば、布団や家具カバーをかける事も無くいきなり大理石に電ノコを入れ始める。

終わった後にはうずたかく積もった砂埃の山に頭を抱える。

レストランで注文をする。

料理のあとにサラダを運んでくる。

厨房を除けばコックが蛇口で頭を洗っている。

運んで来ればまだましだ。3回に1回は必ず何か忘れる。

おもしろい話がある。

中国でオーダーしたものが出てこない時、「早くもってこい」といっても出てこない。

「もういらない」と言えばいい。5分で出てくる。


いちいちイライラさせる。

気が短いのは自覚している。けつの穴がちいさいことも。

もっと世界を知れば、そんなこと気にならないのかもしれない。

だが、それが毎日、あたりまえの日常としておこる。

これほど経済が成長した国だ、つい期待してしまう。

清潔(に見える)な新しい地下鉄に並ぶ時、誰が後ろから突き飛ばされることを予想できる?

それが貧民国の路上を土ぼこりをあげて走る機関車ならわかる。

舗装されて交通量の多い交差点をわたる時、誰が信号無視車両を予想できる?

それが中東の荒れ果てた信号もない交差点ならわかる。

誰がドアマンのいるレストランでコックが厨房シャンプーしてると想像できる?

それが人口3,000人くらいの農村ならわかる。

何もかも不釣り合いだ。

分不相応だ。

まだ、早い。おまえらにこの暮らしはまだ早いんだよ。

そう思ってる。

基本的に、他者を思いやる、想像する、ということができない。

そう感じる。


さて、釣りタイトルだが、今朝、例によって地下鉄に乗っていた。

上海の2号線は朝、ひどい混雑だ。乗車率で言えば東京山手線以上、田園都市線以下といったところか。

いつもは上のような理由でイライラするのが嫌で、タクシーで出社している。

自宅から会社まで日本円で250円くらいだから、その方が精神衛生にいい。

だが、今朝は早く目が覚めた。

早起きは3文の得。電車なら50円くらいで出社できる。

背中を押され、体をぶつけられ、眉をしかめながら電車に揺られていたわけだが、そのひどさといったら日本人には絶対理解できないだろう。

他人なんかどうでもいいんだ。自分の乗る場所を確保できればいい。そんな人間の集まりだ。

脚をふもうが、肩が女性のほほを擦ろうが、鞄が誰かの胸を圧迫してようが関係ない。

やっと車内のアナウンスが降車駅を告げた。

こっちの人間は、自分が降りるときは、列車がつく前にドアの前に移動しないと気が済まない。

日本人なら、どんなに混んでいても、並んで降りれば降りられないなんてことは無いと知っているのだけれど、そんなことは皆知らない。

これはマジだぞ?

もう少しも動くスペースがないのに、無理矢理肩をこじ入れてドアの前に行こうとする。

僕はその時目の前に数人の人がいたので、お行儀よく並んでいたのだが、後ろにいた中国人の目にはそれが「降りない」と映ったようだ。

僕を突き飛ばしながら肩をぶつけてきた。

頭にきて、眉をしかめながら振り向いて舌うちをした

すると、そいつ、「やんのかおい」と言わんばかりの顔で睨んできた。

笑える。

キレた。

たまりにたまった半年分の怒りだ。

振り返るや胸ぐら掴んで思いっきり殴ってやった。

嘘だ。そんなにうまくいかない。ただのサラリーマンだ。中学卓球部で高校は美術部だ。

胸ぐらつかんで列車に押しもどしてやったら、後ろからかに後頭部を殴られた。

一瞬、中国人日本人に対して集中攻撃を始めたのかと思ったが違った。

仲間だ。仲間がいた。向こうは2人だった。

後頭部をうしろからガンガン殴ってくる。それ自体は全然痛くない。拳なんかより頭蓋骨の方が固い。

だが眼鏡、おれの眼鏡はどこいった?

知らない、そんなことはどうでもいい、それよりこいつ、この今胸ぐらつかんでるこいつ、こいつは許せん。

そこで殴ろうとしてとうとう止められた。

駅員に。

冗談じゃない。おれはまだ殴ってない。

羽交い締めにされながら「てめーこっちこいこの野郎!」そんなことを喚いていた気がする。

内心ホッとしてたか?そこまでひ弱じゃない。

どんなにボコボコにされてもごめんなさいと言わせてやる電車に乗るマナーを教えてやる!

無理だった。

その後引き離されても挑発してくる。

上等だおい。

ジェットリーよろしく胸をはって薄ら笑いを浮かべて、手のひらを上に向けてクイクイっとしてやる。

こいよ。マジでぶっとばしてやる。


まぁ、そんなこんなで、僕は眼鏡を失った。

「秦八郎」という眼鏡職人の作ったお気に入り眼鏡だった。レンズも含めたら4万円はするだろう。

そのまま列車で運ばれたか、ホームに落ちたか

この国で落とし物が見つかる事は無い。

先ほど吉祥寺眼鏡屋に問い合わせたら秦八郎氏はもうそ眼鏡を作ってはいないそうだ。

無念。惜しい物を無くした

早起きは3文の得?

4万円の損失だ。


これから中国旅行に行ったり、赴任したりする人がもしかしたいるかもしれないので言っておく。

あいつらに他人は見えていない。

中国多いに結構。思う存分やってくれ。おれも嫌いだ。

今まで一生懸命好きになろうとしたがやっぱりダメだった。

飯もうまいと思おうとしたし、うまい飯を探した。あるわけがない。

いい人も沢山いる。ホントに親切だ。

だが、そんな人ですら、「列に並ぶ」ことができない。ドアを支えておくことが出来ない。

これが文化の壁だ。


日本はいい国だ。

最後になったが、地震被災者とその二次被害者に心からお悔やみを申し上げる。

それでも日本はま大丈夫だ。

救援物資を待つ長蛇の列をニュースで見ると、涙がでそうになる。

2010-03-25

「3週間インドに行って来たけど質問ある」の回答です

http://anond.hatelabo.jp/20100324034034

元増田です。

追記の形にしましたが、流れてしまったので改めて投稿します。

大学生は一度はインドに行け、みたいな話を聞いたことがあるけど、インドには何か学生カルチャーショックを与えるようなものを感じた?

http://anond.hatelabo.jp/20100324034912

ご質問有り難う御座います。

 カルチャーショックは感じると思います。

 私にとっては日本と比べてあからさまな格差が見られたことでしょうか。ヴァリエーションが凄いです。

 たとえば、ニューデリー繁華街コンノートプレイスでも、海外ブランドの店から、パリカバザールの雑多な店、

南のジャンパト通りにひしめく土産物店といろいろな店があります。アーケードに商品を並べる露店やバクシーシ

を求める人もいます。車で移動すると、信号で止まるたびに寄付を求める人がいます。夜になると、路上で寝る

人々も各所でみられます。

 交通手段も、タクシー、オートリキシャ、バスメトロとありますが、新しい車両もあれば、日本では整備不良

で取り締まられそうな車も数多く見ました。バイク家族五人乗りもよく見ましたし、南の国道では現役のラクダ

もいました。大八車も現役で、いろいろな種類の車が混在しているためか、渋滞がすごかったです。道の整備も所

によりまちまちで、車に乗るときは舌をかまないように注意する必要があります。継続的に費用をかけないとイン

フラは維持できないことがよくわかります。

 交通手段といえば列車で、長距離夜行列車は、セカンド、スリーパー、三等冷房スリーパー、同二等、一等と

細かいクラス分けがあり、駅での待合室の有無もそれによって変わっています。夜の駅では、入り口やホームで

毛布にくるまっている人がたくさんいます。

 ホテルバックパッカードミトリーから大理石造りのミッドレンジ以上までランクによって設備が全然違い

ます。大都市地方格差も大きいです。デリームンバイではちょうど良い安宿がほとんどありませんでした

(私は個室バスでホットシャワーが出るかどうかが一つの判断基準になると思っています)。

 街のにおいやレストランホテルの衛生についても日本と全く異なります。ガイドブックにのっている所でも

羽音がうるさいのや黒いのやいろいろな虫がみられます。ヤモリ日本の都会ではほとんど見ないのではないで

しょうか。停電も頻繁で、食事中やシャワーのときにまっくらになるとびっくりしました。あと、食事はインド

人向けのものは大体とてもとてもとても辛く、お菓子であればとてもとてもとても甘いです。日本インドレス

トランはノンヴェジ(肉OK)が多いですがインドではヴェジの方が多い気がしました。味付けも日本人向けに甘

かったんだと思います。

 日本規制のためだと思いますが、最低限の底が抜けたようなものが目に見える形ではあまりないような気が

します。ビニールシートハウスはあっても、そこに子どもを含め家族が住んでいるという話は聞きません。社会

が確保できる最低限度について現実的な見通しというものが、規制をどうするのかという話には必要なのではな

いかと思いました。

 インドに行って良かったと思うのは、そのような格差を見るだけでなく、変化を求める人々の動きにも触れら

れたことでしょうか。汽車の中では、日本で働き口はないかと聞いてくるエンジニア大学生とも話しましたし、

海外や州を越えた出稼ぎの話しもよく聞きました。ニュースでは、女性に三分の一の議席を確保する留保政策の

審議が話題となっていました。それには指定カースト・部族の席も設けられる予定なのだそうです。

 観光名所で特に印象に残ったのはアーグラのタージマハルとヴァーラーナシーのガンジス川です。タージマハル

写真で見るよりずっと大きく、綺麗です。ヴァーラーナシーは、本当に川に浮いているbodyを見たときの衝撃も

あるのですが、川の近くに行くと迷路のような町が広がっていて、独特の雰囲気があります。どちらも現地に行っ

てみないと、テレビ写真では、その感覚はわからないと思います。

 インドのいろいろな場所に行って思ったことは、インドは人も場所も気候もいろいろあって一概には語れない

ということなので、誰もがカルチャーショックを受けるのかはわかりませんが、面白い体験はできると思います。

私にとっては安いほうが印象が強かったのでその方を強調していますが、大都市であれば、クレジットカード

使える辛くないレストランも、自家発電機を備えているホテルも、新車のハイヤーも、便利な国内線も、バック

パッカー的生活に比較すると目の玉が飛び出るような価格ですが、日本国旅行に比べれば安く利用できるので、

どのようなインド体験をするかはその人次第ではないでしょうか。

2010-03-24

3週間インドに行って来たけど質問ある

試験的な試みとしてやってみます。

今夜22時までに寄せられたトラバに答えられるものだけ回答します。

追記

大学生は一度はインドに行け、みたいな話を聞いたことがあるけど、インドには何か学生カルチャーショックを与えるようなものを感じた?

http://anond.hatelabo.jp/20100324034912

ご質問有り難う御座います。

 カルチャーショックは感じると思います。

 私にとっては日本と比べてあからさまな格差が見られたことでしょうか。ヴァリエーションが凄いです。

 たとえば、ニューデリー繁華街コンノートプレイスでも、海外ブランドの店から、パリカバザールの雑多な店、

南のジャンパト通りにひしめく土産物店といろいろな店があります。アーケードに商品を並べる露店やバクシーシ

を求める人もいます。車で移動すると、信号で止まるたびに寄付を求める人がいます。夜になると、路上で寝る

人々も各所でみられます。

 交通手段も、タクシー、オートリキシャ、バスメトロとありますが、新しい車両もあれば、日本では整備不良

で取り締まられそうな車も数多く見ました。バイク家族五人乗りもよく見ましたし、南の国道では現役のラクダ

もいました。大八車も現役で、いろいろな種類の車が混在しているためか、渋滞がすごかったです。道の整備も所

によりまちまちで、車に乗るときは舌をかまないように注意する必要があります。継続的に費用をかけないとイン

フラは維持できないことがよくわかります。

 交通手段といえば列車で、長距離夜行列車は、セカンド、スリーパー、三等冷房スリーパー、同二等、一等と

細かいクラス分けがあり、駅での待合室の有無もそれによって変わっています。夜の駅では、入り口やホームで

毛布にくるまっている人がたくさんいます。

 ホテルバックパッカードミトリーから大理石造りのミッドレンジ以上までランクによって設備が全然違い

ます。大都市地方格差も大きいです。デリームンバイではちょうど良い安宿がほとんどありませんでした

(私は個室バスでホットシャワーが出るかどうかが一つの判断基準になると思っています)。

 街のにおいやレストランホテルの衛生についても日本と全く異なります。ガイドブックにのっている所でも

羽音がうるさいのや黒いのやいろいろな虫がみられます。ヤモリ日本の都会ではほとんど見ないのではないで

しょうか。停電も頻繁で、食事中やシャワーのときにまっくらになるとびっくりしました。あと、食事はインド

人向けのものは大体とてもとてもとても辛く、お菓子であればとてもとてもとても甘いです。日本インドレス

トランはノンヴェジ(肉OK)が多いですがインドではヴェジの方が多い気がしました。味付けも日本人向けに甘

かったんだと思います。

 日本規制のためだと思いますが、最低限の底が抜けたようなものが目に見える形ではあまりないような気が

します。ビニールシートハウスはあっても、そこに子どもを含め家族が住んでいるという話は聞きません。社会

が確保できる最低限度について現実的な見通しというものが、規制をどうするのかという話には必要なのではな

いかと思いました。

 インドに行って良かったと思うのは、そのような格差を見るだけでなく、変化を求める人々の動きにも触れら

れたことでしょうか。汽車の中では、日本で働き口はないかと聞いてくるエンジニア大学生とも話しましたし、

海外や州を越えた出稼ぎの話しもよく聞きました。ニュースでは、女性に三分の一の議席を確保する留保政策の

審議が話題となっていました。それには指定カースト・部族の席も設けられる予定なのだそうです。

 観光名所で特に印象に残ったのはアーグラのタージマハルとヴァーラーナシーのガンジス川です。タージマハル

写真で見るよりずっと大きく、綺麗です。ヴァーラーナシーは、本当に川に浮いているbodyを見たときの衝撃も

あるのですが、川の近くに行くと迷路のような町が広がっていて、独特の雰囲気があります。どちらも現地に行っ

てみないと、テレビ写真では、その感覚はわからないと思います。

 インドのいろいろな場所に行って思ったことは、インドは人も場所も気候もいろいろあって一概には語れない

ということなので、誰もがカルチャーショックを受けるのかはわかりませんが、面白い体験はできると思います。

私にとっては安いほうが印象が強かったのでその方を強調していますが、大都市であれば、クレジットカード

使える辛くないレストランも、自家発電機を備えているホテルも、新車のハイヤーも、便利な国内線も、バック

パッカー的生活に比較すると目の玉が飛び出るような価格ですが、日本国旅行に比べれば安く利用できるので、

どのようなインド体験をするかはその人次第ではないでしょうか。

2009-09-09

ウラジオストック、ナホトカ紀行(その3)

人民元建て「中国ソブレン債券」を発行

 オフショアで60億元を調達し、ハードカレンシー化への第一歩

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英紙フィナンシャルタイムズ9月9日)速報に拠れば、中国オフショア市場で初めての人民元建て国債を発行する。

香港オフショア市場を利用して総額60億元を世界投資家から調達、発行は9月28日。ただし利率、償還期間の詳細は不明。

これは中国通貨戦略の具体的発動で、自国通貨ハードカレンシー化への第一歩であり、注目される。

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ウラジオストック、ナホトカ紀行(その3)

ロシア北朝鮮中国国境では何が始まっているのか?

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(承前)

ウラジオストックの中央広場にあるフェリー乗り場からおんぼろフェリールースキー島へ上陸して驚いた。

道路ぬかるみ、舗装は溶けて泥道、大雨のあとの水たまりの悪路を日本製ランドクルーザーが進むが、生い茂った森林の伐採作業場ばかりが続き、激しい凸凹道に車酔いを感じながら一時間後、ようやくイベント会場となる現場に到着した。

普請の騒音が高い。

現場日本製クレーンが林立している。ブルドーザ、シャベルカーも殆どが日本製だ。そうか、日本抜きにして開発は成り立たないんだ。

建設現場の横に長い看板、「2012年APECサミット会場」(ロシア語)がなければ何の工事かよく分からない。俄かづくりの観が否めない。アゼルバイジャンなどからの流れ者労働者が混在している理由も分かる。

建材や鉄骨が臨時の波止場に積み上げられ、労働者が居住するプレハブマンションが周囲に建っている。「でも冬は零下二十度になるというのに、あんな住宅大丈夫か」と問うと「真冬は工事が中断」という答えが返ってきた。会場になるコンベンションホール外国代表の宿泊予定のホテルも、まだ影も形もない。

ふたたび鋼鉄が錆びてぼろぼろのフェリーウラジオストックへ戻る。80歳を越えた老女がスターリン勲章を沢山つけて誇らしげに入ってきたので、意地悪な質問。大祖国戦争って何ですか。

ビルが林立して壮観だった

さて船から市内を眺めやるとウラジオストックは意外にも高層ビルが林立して壮観である。港には軍艦が三隻、写真を撮っても誰も咎めなかった。

瀟洒なレストラン豊饒なメニューの昼飯のあと、名物の「潜水艦C56博物館」を見学した。戦争博物館を兼ねる。

展示内容が「大祖国戦争」と「第二次世界大戦」ばかりでソ連軍満州侵略に触れていないのはロシア歴史観だから仕方がないにせよ、「日露戦争」の記述があまりにも少ない。ガイドに理由を問うと「あれ(日露戦争)は『小さな戦争』ですから」と答えたのには驚いた。

翌日、立派な高速道路を飛ばしてナホトカへ行く。

ナホトカは狭い町で展望台に登ると港湾全体が見下ろせる。

港は撮影禁止と聞いていたが、軍事施設もなく、石炭のバージ船が沖合待ちをしている程度、かつて日本のバック・パッカーの出発点だったシベリア鉄道の始発駅は閑散としていた。

ナホトカで一番大きなホテル中国資本の遠東大飯店(ユンドァン)という。わざわざ見学に行ってみたが、ほぼガランドウに近く、対岸側にあるチャイナ・タウンの長い長い商店街も人が殆どいない。門前の四階建てのホテル中華風のつくりだが、そもそも中国人客の姿がない。

チャイナタウンは火が消えていた

中華門の傍で焼き鳥を焼いている中年男に「中国人か?」と訊くと「そうだ」。

「商売はどう?」、「うぅん最悪に近いな」。「中国人を殆ど見かけないが?」、「そうさ、北朝鮮キルギスウズベキスタン、そしてアゼルバイジャンからの安い労働力に奪われ、殆どの中国人は帰ったよ」と言う。

われわれ四人組が泊まったのはナホトカで高級な、ガイドブックにも出ているピラミッドホテル。だが、これとて民宿に近い。地下のレストランは客も疎らで、ウラジオストックの繁栄ぶりに比べると天地の開きがある(ただし味は旨かった)。

ナホトカの町を歩いている女性のセンスも田舎風で流行遅れ所得格差が歴然としており市内唯一のデパート「グム」を見学して品数の貧弱さに唖然とする。書店絵本小説くらいしかない。村上春樹翻訳? ナホトカでは見かけなかった。

2006年に524人の遺骨が収容され、慰霊祭も行ったというナホトカの日本人墓地は台座が毀され荒れ果てていた。

慰霊祭から僅か三年後、お墓だった場所は草ぼうぼう、日本人墓地標識落書き、おそらく大理石だった台座がインテリアの飾りにでも使うのだろう、殆ど盗まれて、まるでハゲタカの被害にあったような荒廃ぶりである。

ウラジオストックにあったお墓のほうが立派で、墓園の入り口には花屋もあったのに。

ホテルの裏にこれ見よがしにあった日ロ友好の壁が虚しい気がした。

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 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

     平成21年(2009年)9月9日水曜日)貳

        通巻第2703号 

2009-05-18

男性トイレの小便器って、よく下が大理石チックな素材でできてるじゃないですか。

あれって遠くから見ると、狙いから外れた小便がテカテカ光っていてとてもいやだ。

いやなものはいやだ。

2009-02-11

アフガニスタン麻薬汚職による「カルザイ汚泥」

  米国はカルザイ大統領排除に密かに動き出した様子

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 アフガニスタン攻略の当初、米国が引っ張り出してきたのがカルザイだった。

国連大使アフガニスタン外務次官の顔を持つカルザイは、民族衣装をまとい、米国の代理人のごとく、或いは自由民主の使者、大げさに言えば“希望の星”として世界政治に登場した。

 カルザイをこの日のために育ててきたのはCIA筋と言って良いかもしれない。

 米国事実上亡命時代、カルザイはカリフォルニアメジャーユノカル」の顧問として食いつなぎ、しかもユノカルは当時、トルクメニスタンのガスをアフガニスタンを経由してパキスタンの港までパイプラインを敷設するプロジェクトを進めていた。

カルザイ政権誕生するや、このプロジェクトはすぐに成立、参加国の署名式をすませた。

そして、この1580キロのガス運搬ルートに着目し、ユノカルへの買収をかけたのが中国CNOOC中国海洋石油)だった。

ブッシュ政権はCNOOCによるユノカル買収を回避させるため、コノコと合併させた。

しかし、ブッシュ大統領が簡単に制圧できると考えたアフガニスタンは泥沼だった。

嘗て英軍はアフガン征伐に向い、殲滅され、ロシアアフガンで失敗した。アフガニスタンは強悍な部族が伝統的に収めてきた土地である。

アルカィーダをテロリストと決めつけた米軍911直後から大規模な空爆

米軍制空権の下で北部同盟マスード派)とウズベキスタンに逃げていた部族(ドスタム将軍)との連合タリバンを南へ追いやった。

イラン寄りのヘクマチアルは下野した。

そしてカルザイ政権が成立し、まがりなりの七年間が経過した。

▲カルザイ政権の腐敗は目を覆いたくなる

「より良い状況が、カルザイ治世下で、単に「よい」だけの状態となり、それがやや悪くなり、より悪くなり、いまや最悪の状況が現出した」(アブドラ元外相)。

NATO米軍は数万の軍隊を投入したが、タリバンは逆に勢力を回復した。連合軍はかろうじてカブールの治安を掌握しているに過ぎず、西側の援助は、いったい何処へ消えたのか?

麻薬は撲滅されず、アフガン政府軍は弱体、警察は役に立たず、そしてカルザイ政権の腐敗は目に余るようになった。

バイデン上院議員(現副大統領)は昨年、カブールを訪問した際に大統領官邸大理石を敷き詰めた宮殿のようなダイニングルームに招かれ、ほかの二人の米国上院議員らと食事を執った。

バイデンは「汚職はなんとかならないのか」とカルザイを問い詰めた。カルザイは答えた。

「我が国に汚職はない。政治家は皆、清廉である」。

バイデンら三人の上院議員ナプキンを投げすて「食事会は終わった」と45分で席を蹴った。爾来、この政治家のカルザイへの不信感、不快感は根強く、これはヒラリーに伝播している。

ヒラリーはいまや国務長官。「あの国は麻薬に汚染されている」と発言している。

オバマ大統領も「カルザイは信頼出来ないし、かれのやっている統治は効果をあげていない」と発言している(この三人の発言はIHI,3月10日付け)。

カルザイは、しかし「米国傀儡」を離れて独自の道を歩もうとしているのではないのか。

どの国にも独立自尊精神はあるだろう。あれほど米国傀儡として登場し、西側をこまめに回ってカネをかき集めながら、カブールの治安もままならない境遇に陥れたのも、カルザイの無能によるものではあるが、カルザイ一人の責任ではなく、これはたぶんアフガニスタンの民が内包する長老支配という「伝統」の所為ではないか。

カルザイの任期は五月まで。もちろんカルザイは再選を目指し選挙準備に余念がない。

アブドラ元外相とアシュラフ・ガニ元財務相5月20日大統領選挙に対抗馬として立候補する。

▲「デモクラシー」とは投票箱主義のこと

デモクラシー」なるものはイスラム世界では適応が難しい。その通用しにくいシステムを維持し、それが民主化だというポーズを維持して西側の援助をさらに期待する。それ以外、この国におけるまつりごとは成立しまい。

だからオバマ政権ブッシュとの違いを見せるため、ブッシュが肩入れしすぎたカルザイを、[CHANGE]しようとたくらんでいるわけである。

ウィリアムウッズカブール米国大使は言う。

「カルザイ政権はよくやっている。タリバン政権下ではふたつしかなかった大学が17に増え、600万の子供学校へ通い、女性学校へ行けるようになり、当時なかった軍と警察をカルザイ政権は保持している。」

だが、首都カブールを離れると、アフガニスタンは「タリバニスタン」である。

 オバマ政権アフガニスタンへ三万二千の増派を予定している。

 嘗てバングラデシュ独立戦争で、突如「英雄」として登場したラーマン大統領は直後から一族の腐敗が絶えず、一年か貳年後に、暗殺された。

 なぜかカルザイの不評を聞いて、そのことを思いだした。

2008-10-21

隣家は永遠増築工事

木造二階建ての家に一棟増えやすだけなのに、覚えている限りでは6月頃から工事してる。同時期に更地だった別の空き地などはとっくにアパートが建って、既に人も住み始めているというのに。でもって未だに終わらない。8月頃「お、もう終わったかな?」と思ってたら、一度出来上がった車庫のコンクリ床をはがして大理石のプレートを敷き詰め始めていた。それが終わったと思ったら、今月からは増築した車庫の真っ白な壁をハンマーで壊し始めている。一体何がしたいんだ?とよくよく観察してみると、どうやらその家の爺さんが左官業らしく、日曜大工感覚でやってるらしい。この家の前の道路小学生の通学路なんだが、家の前に資材や道具を起きっぱなし、車庫をいじっている間は自家用車路駐しっぱなしと、周囲の住民も眉をひそめている様子。

仕方ないので町内会に根回しし、回覧板に俺が作ったビラを混ぜてもらう事にした。

昨今、相場よりも長い工期を見積もって不当な料金を請求する悪質なリフォーム業者が横行しています。一般的な一戸建ての増改築はxxからyy週間程度と言われています。

これを大幅に超えるような工事を見かけたら、国民生活センター等へご相談を。

電話番号 (***)**-****

次は事情を知らないフリして「もしかして、色々と難癖付けられて工期を無理矢理延ばされてるとかしてませんか?私たち心配で…」と白々しく押しかけてやるか。

2008-10-18

無題

この間友達の結婚式に初めて出席したんだけど、

まぁ結婚式は無事に?終わって、そのあと2次会があったんだが、

結婚式の2次会ってのは新郎新婦の友人が集まってわいわいする

っていうもんなんだろうけど、俺にとってはすごく苦痛だった。

まず俺のスペック

男、ブサメン、年齢=彼女いない暦

みたいなやつで、

最初は結婚式の2次会とかリア充の集まりに行くのは

おっくうだったんだけど、学生時代からの親友だったからおkした。

参加者は男女計10人の小規模なものだったんだけど、

それが余計俺を苦痛にさせたのかもしれない。

お互い初めて会ったばかりだから、最初は男、女で分かれて

座ってて、男同士で新郎の話とかしてそれなりに楽しんでた。

で、だんだん酒が入ってくると年頃の男女だからか

恋話とか始まるわけだが、年齢=彼女いない暦の俺には

まったくついていけず、どこどこの遊園地に行ったとか

遊園地なんて家族としか行ったことないとか言えんw)

どこどこのラブホ風呂大理石でどうたらこうたらとか、

まぁまったくついて行けず焼酎ばっか飲んでた。

女は話してないから分からんけど、男は俺以外はみんな

彼女持ち(既婚者も)で、なんかそんななかに俺みたいな

年齢=彼女いない暦がいて、口には出さなかったけど

あいつ童貞なんじゃね?wとか思われてないかなとか

俺がいるばかりに場が盛り下がってないだろうかとか

こんなときはリア充ならどんな受け答えをするだろうかとか

余計なことばかり考えて、もう飲まなきゃやってられんような感じで、

全然楽しくなくって、ほかの人たちは3次会に行こうとか言ってたけど、

俺がいくと邪魔になるだろうなと思って2次会で帰った。

今になって考えると、そこまで浮いてなかったかもしれんし、

だいたい俺が年齢=彼女いない暦なのを知ってるのは新郎だけなんで、

俺が勝手ネガティブに考えてしまってただけかもだけど、

やっぱりその場にいたときは、ばれないようにしなきゃとか

どういう受け答えをすればベストだろうとか、

そんなことばかり考えて結果的に苦痛になった。

多分出席者のなかで(女含めて)、年齢=彼女彼氏)いない暦

の人とか俺くらいだと思うし、ということことは他の人はみんないる(いた)

わけで、その他大勢の中に入っていない俺は、ブサメンとかそういうことも

あるだろうけど、そういった表面的なことよりかは性格とか人格とか、

そういった内面的なところになにかしらの欠陥というか障害というか

そんなんだから俺は駄目なんだろうかとか思った。

別に今初めてそんなことを思ったわけじゃなくて昔からそんなことを

考えたりはしてたんだけど、社会人なってからは男ばかりの職場

女と絡むことは公私ともにほとんどなかったからあんまり思わなかったんだけど、

結婚式とかこういったイベントのときは否応無しに女性もいるので。

2次会は苦痛だったけど、親友がせっかく呼んでくれたわけだし、

親友はとてもいいやつで、俺も本当に結婚を祝福してるし

これからも一生仲良くしていきたいと思っている。

で、家に帰ってきてから秒速5センチメートルを見て寝る。

2007-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20070324223358のつづき

しかし、その歩みを立ち塞ぐ男が現れた。

堂々たる体躯きらびやかな甲冑をまとい、背の丈の倍はあろうかと思われる十文字槍をりゅうりゅうとしごいている。

そして、いかつい顔の下半分は顎髭に覆われ、こちらを睨み付ける眼は不気味に血走っていた。

彼女は突然の乱入者に対し平静を保ちつつ、訝しげに表情を曇らせ尋ねた。

「あら、それは一体何の仮装かしら?でも御用ならまた後ほどにしていただきたいのですけど・・・」

男は構わず、槍柄の石突で大理石の床をドスンと突き破り、耳をつんざくばかりの大音声で名乗りを上げたのだった。

 

「特に用はあらねども、現れ出でたるは加藤清正!」

 

「!?あの虎殺しの?」僕は思わずうめいてしまっていた。

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