2009-02-11

アフガニスタン麻薬汚職による「カルザイ汚泥」

  米国はカルザイ大統領排除に密かに動き出した様子

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 アフガニスタン攻略の当初、米国が引っ張り出してきたのがカルザイだった。

国連大使アフガニスタン外務次官の顔を持つカルザイは、民族衣装をまとい、米国の代理人のごとく、或いは自由民主の使者、大げさに言えば“希望の星”として世界政治に登場した。

 カルザイをこの日のために育ててきたのはCIA筋と言って良いかもしれない。

 米国事実上亡命時代、カルザイはカリフォルニアメジャーユノカル」の顧問として食いつなぎ、しかもユノカルは当時、トルクメニスタンのガスをアフガニスタンを経由してパキスタンの港までパイプラインを敷設するプロジェクトを進めていた。

カルザイ政権誕生するや、このプロジェクトはすぐに成立、参加国の署名式をすませた。

そして、この1580キロのガス運搬ルートに着目し、ユノカルへの買収をかけたのが中国CNOOC中国海洋石油)だった。

ブッシュ政権はCNOOCによるユノカル買収を回避させるため、コノコと合併させた。

しかし、ブッシュ大統領が簡単に制圧できると考えたアフガニスタンは泥沼だった。

嘗て英軍はアフガン征伐に向い、殲滅され、ロシアアフガンで失敗した。アフガニスタンは強悍な部族が伝統的に収めてきた土地である。

アルカィーダをテロリストと決めつけた米軍911直後から大規模な空爆

米軍制空権の下で北部同盟マスード派)とウズベキスタンに逃げていた部族(ドスタム将軍)との連合タリバンを南へ追いやった。

イラン寄りのヘクマチアルは下野した。

そしてカルザイ政権が成立し、まがりなりの七年間が経過した。

▲カルザイ政権の腐敗は目を覆いたくなる

「より良い状況が、カルザイ治世下で、単に「よい」だけの状態となり、それがやや悪くなり、より悪くなり、いまや最悪の状況が現出した」(アブドラ元外相)。

NATO米軍は数万の軍隊を投入したが、タリバンは逆に勢力を回復した。連合軍はかろうじてカブールの治安を掌握しているに過ぎず、西側の援助は、いったい何処へ消えたのか?

麻薬は撲滅されず、アフガン政府軍は弱体、警察は役に立たず、そしてカルザイ政権の腐敗は目に余るようになった。

バイデン上院議員(現副大統領)は昨年、カブールを訪問した際に大統領官邸大理石を敷き詰めた宮殿のようなダイニングルームに招かれ、ほかの二人の米国上院議員らと食事を執った。

バイデンは「汚職はなんとかならないのか」とカルザイを問い詰めた。カルザイは答えた。

「我が国に汚職はない。政治家は皆、清廉である」。

バイデンら三人の上院議員ナプキンを投げすて「食事会は終わった」と45分で席を蹴った。爾来、この政治家のカルザイへの不信感、不快感は根強く、これはヒラリーに伝播している。

ヒラリーはいまや国務長官。「あの国は麻薬に汚染されている」と発言している。

オバマ大統領も「カルザイは信頼出来ないし、かれのやっている統治は効果をあげていない」と発言している(この三人の発言はIHI,3月10日付け)。

カルザイは、しかし「米国傀儡」を離れて独自の道を歩もうとしているのではないのか。

どの国にも独立自尊精神はあるだろう。あれほど米国傀儡として登場し、西側をこまめに回ってカネをかき集めながら、カブールの治安もままならない境遇に陥れたのも、カルザイの無能によるものではあるが、カルザイ一人の責任ではなく、これはたぶんアフガニスタンの民が内包する長老支配という「伝統」の所為ではないか。

カルザイの任期は五月まで。もちろんカルザイは再選を目指し選挙準備に余念がない。

アブドラ元外相とアシュラフ・ガニ元財務相5月20日大統領選挙に対抗馬として立候補する。

▲「デモクラシー」とは投票箱主義のこと

デモクラシー」なるものはイスラム世界では適応が難しい。その通用しにくいシステムを維持し、それが民主化だというポーズを維持して西側の援助をさらに期待する。それ以外、この国におけるまつりごとは成立しまい。

だからオバマ政権ブッシュとの違いを見せるため、ブッシュが肩入れしすぎたカルザイを、[CHANGE]しようとたくらんでいるわけである。

ウィリアムウッズカブール米国大使は言う。

「カルザイ政権はよくやっている。タリバン政権下ではふたつしかなかった大学が17に増え、600万の子供学校へ通い、女性学校へ行けるようになり、当時なかった軍と警察をカルザイ政権は保持している。」

だが、首都カブールを離れると、アフガニスタンは「タリバニスタン」である。

 オバマ政権アフガニスタンへ三万二千の増派を予定している。

 嘗てバングラデシュ独立戦争で、突如「英雄」として登場したラーマン大統領は直後から一族の腐敗が絶えず、一年か貳年後に、暗殺された。

 なぜかカルザイの不評を聞いて、そのことを思いだした。

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