はてなキーワード: 不利益とは
枕するならもっと上手くやるよ
こっちもちゃんと仕組むよ
これがセカンドレイプじゃないならなんなの?
逆もあり得ると思うよ、例えばこっちがこんなに気を遣ったのにって、女の勝手もあるよ。
でも、こんな言われ方ないと思う
わたしはそれが起きてから全部連絡先断ったし、何なら別に仕事に利益も不利益も出てないよ
ただ周りの人間関係に支障を出したくなかっただけ
ギスギスしたくなかっただけ
確かにそんな嫌いな相手さえ切り捨てられない弱いわたしも悪いよ
でもその弱みにつけこんで色んなものを踏み躙った向こうも悪い
事実は変わらないんだよ
すげえ!
うさぎを飼いだして一緒に寝てたら生活に満足してしまい お店には行かなくなったんだけどw
この経験を踏まえても 僕らは寂しくて,癒やしを求めてるんだろうなって思う.
んで こうやってサラッと明るい仕事として書いてくれた,嫌悪感なしで書いてくれたこともまた嬉しい.
風俗って野球選手と同じ 仕事の一つでしか無いと思ってたから.
倫理がー心がーって否定する人も多いけど それって風俗で不利益を被ってる人の言い訳でしかなくて.合う合わないはあっても 後ろめたく感じる必要はないでしょ.
(MBA卒の投資家視点では金儲けに貴賤はない.儲かる仕事,儲かる人が正義)
274,233人の就業者中
8名の労災死
0.0029%
参考:
https://www.google.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASLD34D3RLD3ULFA00R.html
65,550,000人の就業者中
978人の労災死
0.0015%
参考:
https://www.stat.go.jp/data/roudou/longtime/03roudou.html#hyo_1
https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000209118.html
776,400,000人の就業者中
38000人の労災死
0.0049%
参考:
https://clb.org.hk/content/work-safety
https://www.statista.com/statistics/251380/number-of-employed-persons-in-china/
この数値をどう考えるべきだろう。計算ミスの可能性や数値の根拠統計の妥当性、年度のズレを無視すれば以下のことが言えそうだ。
外国人実習生の労災死亡率は日本人のそれより高い。日本国内において外国人実習生が不利益を被っている。由々しき事態だ。今後制度の改善が必須であろう。
ただ、外国人実習生の派遣元の国の労災死亡率はどうなっているんだろう?
外国人実習生の少なくない数は中国から来ている。ご存知の通り発展著しく、労働安全も劇的に改善している国だ。
そんな中国と比べると日本の、労災死亡率は少なく、日本における外国人実習生の労災死亡率も中国のそれを下回って見える。
このことからは母国にいれば死んでいた命が、外国人実習生制度によって平均して0.002%救われていると考えることもできる。遠い異国で就業するストレス加味すれば悪くない数字かもしれない。今後日本人と同等の待遇を保証するなら状況はさらに改善する可能性もある。
推計が荒いから簡単に数値逆転しそうだけど、理想を語るためには少なくとも数値が必要だと思う。数値を元にしない議論はイデオロギーの対立に陥って誰もが損をしてしまう。
イデオロギーは無しにして、みんなはこの数値をどう思うよ?
経験者(男)です。
結局これは利害調整だから、現行の文化や制度上、どの形をとれば最大限の幸せを得られるかを検討するしかありません。かなり単純化すると…
我々の場合、上記の3つのうち、丸く収まるのは、2しかありませんでした。
そうすると、最後は、妻の気持ちになるのだから、人事と事実婚の場合の福利厚生の交渉をしたり(結果はほぼNG)、夫の姓を選ぶ場合は改姓手続きは全て私が責任を持ってやることを約束したりと、誠実に対応して、何とか夫の姓で結婚できました。
冒頭にも書きましたがこれは利害調整なので、ロジックで攻めるところは攻め、最後は誠実さが生きてくるというのは、仕事のプロセスと一緒でしたね。
もちろん、夫側両親が開明的な人間であったり、会社が外資系で個人的なことを聞いたらセクハラ認定される環境であったり、妻が名家の一人娘だったりするなど、プレイヤーや環境によって結果は大いに変わってくることを付け加えさせていただきます。
いずれにせよこんな利害調整に時間と労力を費やすのは馬鹿げていますのである、一刻も早く、選択式夫婦別姓が実現するといいなあと思いました。
shea 「合理的な理由があれば従う」ってなにそれ。じゃあ、女が男の姓に変えないといけない合理的な理由説明してみてよ。ちなみにあなたがあげてる「みんなやってる」は合理的な理由ではないよ。
どちらかが姓を変えざるを得ない法律婚を前提として、男の方が将来に渡って主な稼ぎ手になると想定しているカップルなら、「男が姓を変えた場合の収入上の不利益 > 女が姓を変えた場合の収入上の不利益」となるから、女が姓を変えるほうが合理的だろうね。家計を最大化するために。
もちろん、女の方が主な稼ぎ手になるなら、男の方が変えるべき。
自分の名前で仕事を取ってくるような立場か、姓を変えてもビジネスネームで旧姓を通せる職場・業界か、みたいなことも考慮に入れるとして。
さっき検査したら、終了の縦棒しか印が出なかったーーーー、ほっとした。
結果出るまで判定のところに横棒が出てる気がして、万が一にも。と思っていた自体がこの腹の中で起こっているかと思った。
さよなら、私がいるかもしれぬと思っていた赤ちゃん。不順続くようならまた、病院へ行きます。
ドラッグストアで買う時、買いにくいところにありすぎて、3軒回ったよ!!なんでコンドームの隣やねん、しかもレジ混まないで!生理用品のコーナーに置いてくれたらまだ手に取りやすいのに、、、勇気が出なくて何度やめようと思ったか。中出しも何も心配するようなことはなく、いつも通りゴムして致したのに、生理が遅いばっかりにこんなに気持ちがしんどくなるんだな。。
ピル考えようかな。生理不順ましになるだろうし、がん予防にも良いらしい。ただ、コストはまあかかるけどそれよりも、前に生理日移動のために飲んだ時、めちゃくちゃ体調悪くなったからどうなんだろう。被る不利益より得る利益はでかいと思うけど、なんせ遠距離でそんなに機会が無いものにここまで投資するか??と思っちゃう。
『情報アクセスの非対称性』これは現状でも厳然と存在するよ。ネタバレNG派は1度でもバラされてしまえば終わりなのに対して、OK派はたまたまバレを目にしても何ら痛手はない。
NG派は楽しみにしている例えばゲームの発売前数週間からネット断ちとか普通だ。そうしないとバレを目にしてしまう確率が飛躍的に高まるから。
NG派は『受け』の姿勢でいても危ないのに対し、OK派はガンガン『攻め』ても『受け』てもまったく不利益がない。そもそも対等な立場じゃないんだよ。
OKとNGでネット上のコミュニティを分ける話だけど、NG派としては割と本気でそうして欲しい。別にネタ元を見てしまえば、NG派もOKコミュニティにアクセスしたって何ら問題は無いわけだし。そこは各々が任意で決められるので、そこがハラミ会や女だけの街との決定的な違いかな。
何が失敗かという定義次第だが、費用に見合った便益を日本社会が得られるのかという観点で考えてみたい。
万博開催に膨大な費用をつぎ込んで得られる主な便益は一部の土建屋と一部の広告会社が儲かること、開催を決めた政治家が自己満足することだろう。社会全体で見た時、費やす金に対して大した利潤は得られないだろう。また、庶民一個人の目線で開催の便益を見ても、万博に行って楽しいというのはディズニーランドに行って楽しいという程度の話である。こういった事柄が万博開催で得られる便益。
便益の反対の不利益も生じる。このままの推移ならば大阪万博の頃は今より一層日本の財政状況は悪化している。そこへきて万博なんぞやれば、老人が老体に鞭打って祭りで踊り狂うようなもので財政的な死をいくらか早める。もっと別の建設的な事柄に莫大な予算を注ぎ込むことも可能であったという意味で莫大な機会費用も発生する。
こういったことを考えた時、大阪万博を開催することは成功には成りえず、開催する前から失敗であると言えるのではないか?と自分などは思う。
ありていに言って、万博なんぞやる金があるなら、その金をこれから生まれる子供やそれを育てる親のために注ぐべきだし、外国人労働者が日本に順応し融和するための施策に注ぐべきだし、高度人材が日本に居付きたくなるようなSTEM分野の振興策に注ぐべきだ。
問題になっている作品の(元)ファンで、現在も若手俳優オタクの者です。
まず事件当時の湯澤氏のことだけど、湯澤氏が昔やってた音楽ユニットの「赤いカバン」て曲とかモロにアレだし、「頭の良い少女が好き」みたいな発言はよくしてたので、事件は事故ではなく間違いなく元々そういう癖のある人ではあるんだと思う。
ただ実刑判決を受けて出所した今の湯澤氏の内心については、誰にも分からないのではないか。
彼は今、もしかしたら当時のことを心から悔いて更正しているのかもしれない。
あるいは再犯率の高い性犯罪者として、今も変わらずそういう欲望を秘めているのかもしれない。
でもその判断は本人以外には無理だよ。
そういう人間を、演出家という舞台の現場では一番の権力者になってしまう地位に復帰させるのはどうなのか、という批判はもっともだけれど、でもあの歳のオジサンが全く権力を持たない職って、そんなんある?
窃盗の前科がある人は田んぼしかないようなド田舎に、性犯罪者は性的対象の全くいないところに隔離したい。
その気持ちは共感しないでもないけど、それは犯罪者の社会復帰とは到底言えないし、そもそも不可能だ。
だから私は、犯罪者の出所後の権利については、他の"善良な市民の方々"と全く同じように保証されるべきだと思うし、例えばこの舞台を中止にして業界から完全に追放させる、みたいな処分は絶対に駄目だと思う。
それに対して他人が口出しすることは何もない。
なので私としては、この人に関わりたくないと判断して出演・観劇を避けた俳優・舞台オタクや、逆に大人の事情とかファン感情や友人付き合いで出演・観劇を決めた俳優・舞台オタクが、
自分は人間の死の境は脳死にあると思っていて、それが医学的・宗教的に正しいかどうかは置いといてとにかくそれを信じています。
筋肉が電気的刺激で動くなんてことはカエルの解剖をしたことがあれば誰でも知っています。
脳が死んでても心臓が動いてるだけで生きてることにならないし、心臓が一時的に止まっていても脳が生きていれば蘇生のチャンスは残っていることを知っています。
なので、脳死を確認された後であれば臓器提供してもいいと思っています。
ところがドナーカードの選択欄を何度みても「脳死限定」の項目がありません。
以下抜粋です。
1.私は、脳死後および心臓が停止した死後のいずれでも、移植の為に臓器を提供します。
2.私は、心臓が停止した死後に限り、移植の為に臓器を提供します。
1は、脳死後、と書かれていて一見脳死限定のようですが、後述に「いずれでも」と書かれていて、これはつまり「脳死」「心停止」のいずれでも、つまりどちらの場合でも提供するということになりまう。
つまり脳が生きていても心停止したら臓器提供されるということで、生きているのに殺されることになります。
2は、書いてある通り心停止した時点で臓器提供に入ります、つまり脳が生きていても殺されるのでこれも違います。
3は、臓器を提供しないので脳死、心停止、どちらでも提供しないことになります。
この選択肢では、自分のように脳死=人間の死と捉える人間に「脳死したら臓器提供してもいいよ」という意思表示する選択肢がありません。
よく文章を読まない、理解度的識字率の低い人間であれば、おそらく1をそれと勘違いして選択してしまいかねない書き方もしています。
これは脳死を死の境にされると医療関係者たちにとって何らかの不利益があり、
逆に心停止を死の境にすることで得られるメリットがある、ということでしょうか?
どちらにせよ、脳死=死と考えている人たちに臓器提供の選択肢を渡さない、
そして1の分かりづらい文章でそう考えている人たちにも勘違いさせようとしている、というのは考えすぎでしょうか?
身体を動かす超基本的な連動性みたいなのって若い頃に身につけておかないと身体に全然馴染まない
将来的に例えば健康のためにとか楽しみとしてスポーツやりたいってなっても
全然ぎこちない動きしか出来なくて自分にがっかりする可能性はかなりあるとは思う
まぁ学校の体育のやらされる運動で嫌な思いしてスポーツ・運動全般を遠ざけてしまうのは気持ちは分かるけど
普通に勿体ないよ
>運動ができないことで不利益を被るっていうのが学生時代特有の経験だったことがわかる。
これは全然間違いで運動なんて出来ればできるほど社会で得に決まってる
結局人間のリソースなんて時間と体力だからね、わかりやすく早く走れないと評価が低いなんて単純なものではないけどね
それに人間の仕組みとして運動すると快楽物質がドバーと出る仕組みになってる
運動しないのは健康にそもそも悪いでもそういう素養を子供の時に身につけてないと大人になっても急には出来ない
体育教育自体を見直すのはありだと思うけど選択性で一切選択しないでOKってのは反対だな
人間が身体を持ってる限り運動能力はあればあるほどいいのが当然なので最低限のとこを身につけさせるってのが教育の役割として正しい
数Iも数Ⅱも数Ⅲも全部。
数Iをやれば思考が停止し、まったく考えが浮かばなかったり滅茶苦茶な式しか出てこない。基本的に何もわからないので授業で先生から当てられると本当に焦る。
数学は一番嫌だった。覚えても覚えなくても大して人生に影響を与えそうな公式ばかりだったから。
真っ白の答案に公式を書かされる事は無いし、難解な数式を使わないと解けないような仕事も無いし。
数学ができないことで不利益を被るっていうのが学生時代特有の経験だったことがわかる。
当時は頭を悩ませていたものがすっかり抜けていった。
逆にもっと英語の勉強や法律の勉強やっておけばなあとかは思うことはあるんだけど。
小学校くらいだったらまだやらされるのもわかる。中学くらいになる得意な人で集まってやりたがって、苦手な人は除け者にされるだけ。
どうせだったら学問としての数学をやる授業と、投資などいわゆる金融知識に関わる数学の授業でどっちかを選択して履修する形式にすればいいのにね。
数学の目的を数学的な思考を身に着けるためだとすれば、最初の5分に中学数学の基礎だけやらせてもらえればいい。苦手な人はその後の授業にはほとんど参加していないので。
学生の頃とにかく体育が苦手だった。
球技をやれば枠に飛ばなかったり空振りしたりで戦力にならない。基本的に関与しないようにしてたけどたまたまボールが来ると本当に焦る。
でも社会に出たら体育が苦手でも困ることはなかった。
何キロも走らされることは無いし、サッカーのボールをシュートする場面も無いし。
運動ができないことで不利益を被るっていうのが学生時代特有の経験だったことがわかる。
当時は頭を悩ませていたものがすっかり抜けていった。
逆にもっと国語の勉強や美術の勉強やっておけばなあとかは思うことはあるんだけど。
小学校くらいだったらまだやらされるのもわかる。中学くらいになると得意な人で集まってやりたがって、苦手な人は除け者にされるだけ。
どうせだったらスポーツを実際にやる授業と、歴史や選手を学ぶ授業でどっちかを選択して履修する形式にすればいいのにね。
体育の目的を健康増進のためだとすれば、最初の5分くらいでやるウォーミングアップだけやらせてもらえればいい。苦手な人はその後の授業にはほとんど参加していないので。
構図としては「キャパオーバーの自転車を撤去して予算もゲット」という表層的には市民に不利益を与える行動を選んでいるようには見えて、
予算ゲットどころか、おそらく撤去・保管費用で持ち出しにしかなってない。
ある一面を切り取った場合に、本来解決すべき不利益を社会人ですらない学生に皺寄せとして与えている、というのは屁理屈だが一面において正しく、その辺の感情的鬱屈がああいった文章を書かせてしまったのかなぁ、と思った次第である。
学生は税金こそ払ってはいないが社会の成員ではある。いやな言い方だが、むしろ「社会に金を掛けさせて勉強している身」ですらある。まだ学生なのだから社会に迷惑をかけても仕方がないというのは、すでに屁理屈にすらなっていない。理屈以下。
何故か卑屈っぽく被害者意識が強いあたりがいかにも京大生らしいと思う反面、簡単な論理構築すらできないあたりのレベルを超えたバカさに一周回って本当に京大生か?という疑いも。
ソースと言えるかどうかだけどポストがエロに不利益な捏造をする意味ないよね
コンビニエロ本買うのがネットに詳しくない中高年でこれから消えいく層だとか
カードやイートインの場所を削ってまで置くもんじゃなくなってる
http://news.line.me/articles/oa-newspostseven/0bd794c9370a
「エロ本(成人向け雑誌)をコンビニで買う、という習慣はすでに消滅し、コンビニ側がエロ本の売り上げに期待しているなんてこともない。雑誌取次店などとの関係から、やむを得ず陳列していたという状況だった今回の決定は、商業的には“すでになくてもよい存在”になっていた、エロ本、そして我々を“悪”にして、企業イメージのアップを図ったのではとすら感じる」(現役の成人向け雑誌編集者)
そもそも今回の取り組みは、イオンと、同社が本社を置く千葉市側との調整を経て決定したものだ。販売店側が扱い拒否を一方的に決めてしまっては雑誌取次業者、流通業者との間に要らぬ軋轢を産んでしまう。また、行政だけが進んで“表現規制”をしようものなら、反発する声も余計に大きくなる。そこで、小売業者と行政側とがタッグを組み、また東京オリンピックなどを控えた昨今の“時代の要請”や、女性や子供たちに優しい環境作りをする、といった面をアピールすることで、企業イメージと自治体イメージの向上を狙ったのでは、と成人向け雑誌業界は見ている。
https://anond.hatelabo.jp/20181112183902
元記事はそもそもが違法駐輪を取り締まられた側の文句なので実際8割方耳を貸さなくていいのだけれど、同じく百万遍に自転車を止めていた身としては(ちなみに百万遍に自転車を止めると言ってる以上元記事のひとは9割方京大生ですね)「言いたいことはわかるな」という気持ちにはなった。
この感覚を説明するとしたら、「一般道でスピード違反をした車すべてを問答無用で罰金」に近いと思う。一般道路の上限速度は一応40km/h(追記:厳密には60km/hだった。雑な知識のペーパードライバーですまない…)になっているのだが、現実問題として一般道でそれを厳密に守ってない車はざらにいる。まわりがガンガン飛ばしてるなかでひとりだけ速度を守ってるとむしろ危ない、みたいな環境は想像に難くなく、それらを容赦なく取り締まってたら感情的に反発するだろうなぁ、という話だ。
今回の例で言えば、百万遍は総数2万人とも言われる京都大学のお膝元であり(左京区に2万人いるのではない)、そのエリアには学生向けの飲食店が密集している。ランチどきになるとガガッとランチを食べにくる京大生の自転車でごったがえすのだ。あのエリアは自転車用道路が歩道と一体化していて道幅が広く、交差点部分は簡単な広場になっている上、飲食店以外にも利用するのにちょうどよさそうなドラッグストアも存在する。立地的に違法駐輪のインセンティブが大変高い。しかしそれらの店の目の前には一切の駐輪場が用意されていないというのが現実だ。
もちろんすぐそばには京大のだだっ広いキャンパス=駐輪場が存在しているので、そこに自転車とめろよ、というのは正論だ。しかしたとえば1時間程度のランチタイムというのは徒歩5分の移動時間も惜しいわけで、近くに停められるのがわかっているのにキャンパスの駐輪場を利用するのはめんどくさい。もちろんめんどくさがる方が悪い。そこに有料駐輪場を作って解決しようという発想は正攻法だが理不尽だ。なぜならそのすぐ横には京大キャンパスという広大な無料駐輪場が用意されていて、そこすら惜しむ人間たちには有料であること自体がギルティなのである。ついでに言えば有料駐輪場があったところで駐輪場があふれることは想像に難くなく、ここで起きると思われるのは「有料駐輪場からあぶれたひとが問答無用で取り締まられる」という地獄絵図だ。
悪いのはモラルハザードであり問答無用で取り締まって規律をただすのは正しい。俺がここで言いたいのは、擁護するのでも非難するのでもなく、「違法駐輪を撤去することはなにひとつ解決策になっていない」ということである。問題は京都市における自転車人口が完全にパンクしていることそのもので、そのための方策はキャパに見あったかたちでの駐輪スペース整備であると思われるのだが、当然ながらそんな余裕は物理的にも財政的にも京都市にはない。その結果やることが「違法駐輪の取り締まり」となった場合、構図としては「キャパオーバーの自転車を撤去して予算もゲット」という表層的には市民に不利益を与える行動を選んでいるようには見えて、その対象となるのは帰結として百万遍ユーザーである京大生=学生がメインになる。ある一面を切り取った場合に、本来解決すべき不利益を社会人ですらない学生に皺寄せとして与えている、というのは屁理屈だが一面において正しく、その辺の感情的鬱屈がああいった文章を書かせてしまったのかなぁ、と思った次第である。